たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

ひそねとまそたん 9話「ギャーーー!!」

はじめに

突然ですが、9話から「ひそねとまそたん」の各話考察・感想ブログを書きます。

8話では、新たな情報と謎がばらまかれ、これまでに丁寧に積み上げてきた伏線を更に立体的にした感じでしたが、9話で恋愛感情がドラマの軸に据えられて待ったなしの状態になりました。

本作は、残すところ3話というタイミングですが、このタイミングで考察しなかったら、勿体ないという事で、勢い書き殴らせて頂きます。

考察・感想

10話 次回予告

公式HPにて、10話の予告文章が記載されています。

ズルいですが、この文章も今後の展開の考察材料にさせていただきます。

  第10話
  「好きになったらトロけちゃう」
  上層部の懸念は的中した。恋愛感情が、OTFとDパイの関係に重大な亀裂をいれてしまった。
  “吻合”によりまそたんに乗れなくなったひそねは、まだ自分の気持ちに気づけずにいた。
  ひそねの姿を見た名緒は、自分にできることを見つめなおす。
  ノーマに乗れなくなった絵瑠は、再び夢を追いかけ始める。
  小此木、そして棗、“マツリゴト”を目前に揺れ動く岐阜基地の面々。
  来たるべきその日に向け、人それぞれに新たな動きが始まっていた。

「吻合」という言葉の謎

作品内では、恋愛感情を持ったDパイをOTFが消化する事を「吻合」としていたが、そもそも「吻合」の意味がしっくりこない。

  [名](スル)《上下のくちびるがぴったり合うの意》
  1 物事がしっくり合うこと。一致すること。「双方の話が吻合する」
  2 血管・神経などが相互に連絡をもつこと。また、血管や腸管などの端どうしを手術によってつなぐこと。「動脈吻合」

OTFが恋愛感情で心揺れるひそねと絵瑠を搭乗させたとき、目を回して苦しそうな表情を浮かべていた。まるで異物を飲み込んで、アレルギー反応というか食中毒反応というか、拒絶反応をしめていた。その場合、胃液で異物を溶かす行為は普通の生物はしない。

もし、項番2の臓器などを繋ぐ意味だとすると、DパイとOTFの臓器とを接続してしまうというエグイ話になるが、それもニュアンスが違うと思う。

その意味で、「吻合」という言葉が持つ意味を、10話以降で明らかにする可能性はあると思う。

いずれにせよ、ここでは、Dパイの恋愛感情と、OTFの拒絶反応という問題として、2組のカップルについて考えてみる。

星野絵瑠と財投豊について

絵瑠と財投の距離感

もともと、財投は殆どの女性に触手が動くく女好きとして登場し、プライドの高い絵瑠をギャフンと言わせてモノにする事を考えていたが、絵瑠の振舞いに次第に彼女を尊敬し、恋愛対象として気にし始めていた。

承認願望の強い絵瑠の方も、もともと軽率で嫌っていた財投が自分を認めてくれる事で、次第に気にし始めていた。

こうした矢先に、事故で二人がキスをする事で、一気にゼロ距離になった形。互いに好きという感情は見えているが、互いに好きを言っていない状況。この状況で、ノーマの吻合が起きた。

ここで絵瑠は、男(財投)と仕事(ノーマ)の二択を迫られた形である。

絵瑠がOTFに乗る理由

絵瑠はもともと、なぜ自衛官になりファイターパイロットを目指したのか?

それは子供の頃から、F-2パイロットになる事が夢だったから。しかし実際にはもう少し複雑な感情があり、初めてノーマに乗って大空を飛んだ時の感動を忘れられないから、というノーマに対する感謝というか、パートナー意識が合った事が6話で判明した。

絵瑠は、意地っ張りで押しに対しては強いが、逆に引きに弱い。だが、元々のパイロットの夢、ノーマとの友情、冷静に考えれば、今は仕事を取りたいと思うはず。

絵瑠と財投の決着の予想

財投は優しい。多分、絵瑠の望みにかなう対応をしてくれるだろう。絵瑠がOTFに乗ると言えば、二つ返事でそのような対応をすると思う。

一度、恋愛を経験しても、完膚なきまでに失恋すれば、OTFも受け入れてくれるというのが、7話の曽々田団司令の言葉であった事を考えると、多分、絵瑠が涙を飲んで財投を振る形になるのではないかと想像する。

逆に財投が絵瑠を振っても良いのだが、それでは、絵瑠の気持ちの整理が付かない。やはり、絵瑠自身が、気持ちに区切りをつける事に意味があると思う。

甘粕ひそねと小此木榛人と貝崎名緒について

ひそねの問題

ひそねは、岐阜基地でまそたんに合い、まそたんとパートナーを組み、中途半場を止め、岐阜基地の顔として責任感も持ち、岐阜基地の仲間や、Dパイの仲間を手に入れて、順風満帆な状態だった。

ひそねは、誰とでも仲良くできる器用な性格では全くなく、時に相手の気を悪くしながら、時に相手との間を詰めながら、持ち前の素直さで、周囲に溶け込んでいった。

しかし、9話で棗の台詞に振り回される。棗との会話で強調されたひそねは、人の機嫌を伺い自分自身を持たないキャラだったと思う。女子高生の機嫌を伺う自衛官という極端なまでの卑屈な描写。

この、自分自身を持たない、というのは、8話で「まそたんに夢を見させてもらっている」という言葉に微妙に繋がると思う。自分自身を強くもっていないから、夢というフワフワした言葉が出てくるのではないだろうか?

何かあると自分を置き去りにしてしまい、他人に流される。多分、ひそねは自分の足で大地を踏みしめ、自分で進行方向に舵をきり、自分の力で前進している、という感触に乏しいのだろう。

端的に言えば「自我の無さ」。これが、ひそねの本質的な問題だったのだと思う。

しかし、まそたんはひそねが唯一流されずに選んだ選択肢である。もちろん、1話では流されて登場し、2話では名緒にDパイを譲ろうとする素振りも見せたが、3話以降、自分がまそたんに搭乗する事をキッチリ選んで来てる。ひそねがまそたんと出会い変化した、という流れである。

ひそねは、まそたんを選び勝ち取った、という事で自身の問題を解決していた様に思えた。

ひそねがOTFに乗る理由

ひそねは、なぜOTFに乗るのか?

キッカケは何で有れ、ひそねがOTFに乗るのは、まそたんと一緒に何かをする事で、皆に必要とされる充実した生活が送れる事と、まそたん自身が好きだからだと思う。

まそたんは生き甲斐。まそたんに乗れなければ、元の不要な人間に逆戻り、という恐怖があってもおかしくない。

ひそねの恋愛感情

ひそねは自分が恋愛する事も想定していなかったし、想像もしていなかった。

ひそねが恋愛感情と気付いた時の奇声は、幼児の奇声に似ていて、面白い演技だと思ったし、ひそねにぴったりの演技だと思った。

要するにひそねという人間は精神が幼児なみに純粋という事だと思う。飲酒出来る大人として考えてみると、いささか問題がありそうだが、その純粋さこそが、Dパイとしての資質なのかもしれない。

もともと、ひそねは自分自身を律する事も出来ないだろうし、戸惑い、流される事しか出来なそうな気がする。

小此木の恋と仕事

小此木は、ひそねの何が好きだったのか?

7話を見た感じ、ひそねの無防備で屈託の無さが、可愛いと感じていた様に思う。どうして、そのような女性に恋心を抱くのか?それは分からない。

後、小此木はまそたんを可愛がっている。まそたんを可愛がるという共通の認識をひそねに感じて、同志という意識はもともと持っていたのだろう。その意味では、小此木もまた、7話で曽々田団司令に恋愛して失恋させる作戦を命じられた事で、恋愛を意識したという意味では、ひそねと小此木の恋愛意識は似たものがある。

小此木の仕事とは何か?

おそらく、小此木はもともとがマツリゴトを成功させるべくして、岐阜基地のまそたんの元に来たと考えると、小此木家を背負ってこの仕事についているはずで、神祇官大福の仕事が最重要な事は間違いない。

公式HPのキャラ紹介を見ても、「実は芯の強い男。信念に基づいて、大事だと思ったことは貫きとおす」となっており、小此木から、ひそねを振るのだと思う。

そんでもって、多分、棗は小此木は本当はひそねが好きだけど、任務の為に裏腹な行動を取る事を察してしまうのだろうな…、などと妄想。

名緒の出来る事

名緒の振る舞いが気になる。

名緒自身は、この状況であれば、進んでDパイの仕事に挑戦してゆくと思うが、展開が読めない。

これも妄想でしかないが、ひそねは何もかも失い、自信を失い、1話みたいなダメ人間になってしまう可能性が高い。

そんなひそねに結果的にカツを入れるのが名緒の役割な気がしてならない。2話で助けてくれた事を感謝してるとか、そんな甘い話じゃなくて、ひそねにやる気を出させる何か…。

今は見当も付かないが、そうあって欲しい、と思う。

最後はひそねの気持ちにかかっている

もう妄想でしかないが、小此木にフラれ、名緒にカツを入れられても、最後はひそねが再びやる気を出さなければ、ドラマとしては次に進めないと思う。

その気持ちの持って行き方が、10話の最大のポイントになりそうな気がする。

クサビメ(楔目?楔女?)について

タツ様の2本の尻尾を、ロープでしばり、結び目に封印するのが、多分、クサビメの役目。これが成功するとオネガエリ(尾根返り?)が完成し、臥所での封印が完了する?

クサビメの巫女は生贄みたいなSNS発言をよく見かけるけど、多分、生贄ではなく、とても危険な任務という事なのだと思う。思うに、貞さんは74年前の任務でクサビメの巫女の命を事故で落としてしまって、あんな目で巫女達を見てしまうのではないだろうか?

その、クサビメの仕事は、Dパイと神職と巫女がその場に居合わす事になる。実際に戦力としてミタツ様に対抗できる力は、OTFに限られるだろうから、神職と巫女を守るものDパイの任務だと思う。Dパイの仕事は誘導するだけの簡単なお仕事では無いのだろう。

今後の展開

超概略ですが、今後の構成は下記ではなかろうか?

  • 10話 絵瑠とひそねのDパイ復活
  • 11話 74年前のマツリゴトとマツリゴト前半戦
  • 12話 マツリゴト後半戦

こうしてみると、カツカツな感じ。

OTFやミタツ様は、地球外生命体じゃないか?とか、いろいろといじる余地がありそうだけど、そういう横っちょの話は全く出来る余裕がなさそうっすね…。

Twitterのつぶやき

8話、9話のつぶやきです。

リズと青い鳥(その2)

映画と原作小説のネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

はじめに

2回目の「リズと青い鳥」の鑑賞をしたので、あらためてブログを書きます。

私は「虚無感と味気無さ」とという強烈な感想を初見のブログに書いてしまいました。

それは事実として気持ちの中に有ったので、自分なりに下記の分析をしました。

  • 原作小説が大好きで、みぞれと希美の気持ちを味わいつくしていたという事、
  • 他の登場人物の役割をカットしたり変更したりはあったが、そのみぞれと希美に絞り込み、心情と変化を正確に再現しており、その意味で意外性は無かった事、
  • 押しつけがましいドラマチックな展開を完全に排除し、その空間ごと切り取り、観ているものに共有させるストイックな演出がなされていた事、
  • ドラマ自体には全く壮大さは無く、みぞれと希美の繊細な心の揺れを描いていた事、
  • だから、きっと「虚無感と味気無さ」を感じたのだと思う。

その後、SNSや他の人のブログを拝見して、2度目以降に良くなる、という話を多数見かけました。これは2回目の鑑賞して、ブログを書かなければいけないと思いました。

そして、私の2回目の鑑賞後の感想は、とても気持ち良い映画、という初回とは正反対の感想を持ちました。

今回は、初回と2回目の鑑賞の違いについて、下記の3点にポイントを絞り書きたいと思います。

  1. 序破急の物語のテンポ
  2. 傘木希美について
  3. 童話パートの「リズと青い鳥

序破急の物語のテンポ

下記は、山田尚子監督のインタビュー記事。

 山田監督が描きたかったのは、「彼女たちが成長していく、年を重ねていく過程の1ページ」
と話す。2人の関係性を「始まりから終わりを描くのではなく、途中から途中を描く。彼女たち
の抱えている問題や悩みは、映画の中で始まって映画の中で終われるほど、簡単なものじゃな
い」

出展: リズと青い鳥:「少女たちのため息を描く」 山田尚子監督がこだわり抜いた表現 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

この言葉は非常に興味深い。

この部分だけ読むと、2人の物語は完結せずに、物語の途中から始まり、物語の途中で終わる様に見える。それは、私が初見の時に感じた、物語が捉えどころがなく、肩透かしと感じた事にも通じるものである。

しかし、本作の流れを理解し、2回目の鑑賞を終えた今、それは私の勘違いだったと明言できる。本作は、映画としての青春の1ページは、きちんと90分の中で物語になっていた。

その物語の流れは、下記の序破急の型に当てはまると思う。

  • 序:問題提起 - みぞれの希美依存症、希美のみぞれへのよそよそしさ、不協和音。
  • 破:変化 - リズ、青い鳥の役割交換、みぞれの才能解放、希美のみぞれの才能への屈伏。
  • 急:安定 - みぞれの脱希美依存症の兆候、希美のみぞれの実力差の受け入れ、一瞬の同期。

初見では物語として着地していないからスッキリしないと思っていたが、そんな事は無かった。

私は、この序破急の物語のリズムを理解して観直す事で、この物語を気持ちよく受け入れる事ができた。

なお、序破急ではなく起承転結ではないか?という異論は認めるが、私は序破急の方がしっくりくると思っている。

ちなみに、劇中曲の「リズと青い鳥」は第一楽章から第四楽章までで構成される起承転結の型であるが、このみぞれと希美の物語とはシンクロしていないところが面白い。

キャラ毎の考察・感想

傘木希美について

本作の最重要人物は、みぞれよりも希美だと思う。

本作は、思いを直球な台詞で語らせず、瞬きや、足さばきの演技で伝えようとするため。しかし、その演技は常に意図を持って正確に描かれるため、そのポイントを抑える事が出来れば、感情に到達する事が出来ると思う。

みぞれの考えというのは、比較的分かりやすいが、希美はより何を考えているか掴みにくい。初見で見逃していた希美の思いも、2回目では感じる事が出来た。

希美の心の流れを箇条書きにすると下記という感じか。

  1. フルートは、そこそこ自信あり。自由曲「リズと青い鳥」第三楽章のフルートソロ吹きたい。
  2. 傍目には仲良しでも、みぞれとはかみ合わず。
  3. 進路希望は白紙。みぞれの音大のパンフを見て、音大受験をみぞれにほのめかす。
  4. 音楽室で優子夏紀にみぞれの「希美が行くから音大に行く」をみぞれのジョークとはぐらかす。
  5. 第三楽章のみぞれのオーボエ、希美のフルートはかみ合わない。
  6. 新山先生に音大受験を切り出すも、みぞれの才能との扱いの差を知る。
  7. 音楽準備室で優子夏紀に一般大学受験をほのめかす。
  8. みぞれのオーボエ覚醒。余りの音楽の才能の差にフルートを置き涙する。
  9. 理科室でみぞれの大好きのハグ。みぞれは「希美の全部が好き」で希美は「みぞれのオーボエが好き」と「ありがとう」
  10. 藤棚で「神様、どうして私に籠の開け方を教えたのですか」
  11. 一般大学の受験勉強に励む。みぞれは青い鳥の練習に励む楽譜に希美の「はばたけ!」の書き込み。二人の分岐。
  12. みぞれと下校中「みぞれのオーボエ支える」発言の後、「本番、頑張ろうね」でハモる。

項番1~7が、序破急の「序」。希美の屈折した思いの蓄積。

希美はフルートが大好きで自身はあった。そして、もともと、みぞれのオーボエの上手さが特別な事も知っていた。希美は、自分の後ろに付いてくる、少し理解出来ないところがあるみぞれの事を、とびきり好いたりするでもなく、突き放すでもなく、の少し離れた距離感で付き合ってきた。

みぞれの音大受験と比較して、新山先生に声もかけられず、才能も無く、お金も無く、全てを持っていたみぞれに対する嫉妬。みぞれの音大の件で、みぞれの才能に嫉妬し、思い付きで自分も音大受験すると言い、収拾が付かなくなるが、みぞれには一般大学受験を言い出せない、という罪悪感。

こうしたものが、混然となって希美を覆っていた。希美の混沌。

項番8、9が序破急の「破」。リズと青い鳥、希美とみぞれの役割交換。

みぞれの才能が目の前に突きつけられて、その現実を受け止めきれず、音楽室を飛び出す希美。みぞれは希美に「希美の全部が好き」と告白するが、それに応えられない希美。「みぞれのオーボエが好き」に対する「希美のフルートが好き」の言葉をもらえず、諦めて「ありがとう」という希美。

この時、希美はズタズタに傷ついていたハズである。

項番10~11が、序破急の「急」。みぞれとの実力差の受け入れと希美自身の前進。

みぞれのオーボエ覚醒を通じて、初めてみぞれ自身の事を思いやり考える希美。そしてみぞれの才能と音大を受け止める事が出来た希美。受け止めた事で、一般大学受験とコンクールでみぞれを支える決心が出来た希美。

希美の心の傷は、きっと、この時点で自力で心に折り合いを付けていたのだと思う。この辺りを、初見では見切れていなかった。

実は、原作小説では、大好きのハグ以降の希美の描写が無い。だから、その後、みぞれの演奏を支えた希美の心情というのは明確には描かれていない。希美というのは優子夏紀や、久美子麗奈や、久美子秀一のような、困ったときに支えてくれる人間が居ない。みぞれは希美が好きだけど、希美の気持ちは分からない。

その意味で、希美というのは孤独であり、ユーフォの中では特別なキャラだと思う。

童話パートの「リズと青い鳥

童話パートの「リズと青い鳥」が劇中劇のレベルを超えて良くできていた。

架空の童話。著者はヴェロスラフ・ヒチル。ちなみに、リズと青い鳥のPVには「Liz und ein Blauer Vogle」はドイツ語のタイトルが書かれてた。劇中劇は下記のパートで構成されていた。

  • 導入
  • 第一楽章「ありふれた日々」
  • 第二楽章「新しい家族」
  • 第三楽章「愛ゆえの決断」
  • 第四楽章「遠き空へ」(断片のみ)

最後の第四楽章は、正確には童話パートとして描かかれていない。ただ、希美とリズが交錯する形で断片的に描かれていて、それが第四楽章の一部だったのではないか?と想像している

童話パートは、彩度が高く、背景は水彩画調で、BGMも賑やかで壮大。現実パートとのメリハリをつけていた。

この童話パートのBGMは、劇中曲の「リズと青い鳥」そのものであり、北宇治吹奏楽部の自由曲になるハズ。ただし、第三楽章の演奏にピアノが入っていたような気もするので、もしかしたら吹奏楽Verは、また少し違うのかも。

各パートごとのあらすじとポイントをまとめる。

導入

  • リズが森の動物達に餌を与えていた。
  • 離れた所に美しい青い鳥が一羽。
  • その場を飛び去る青い鳥。

リズと青い鳥がお互いに惹かれ合った瞬間。

第一楽章「ありふれた日々」

  • 湖畔の家に一人で暮らすリズ。
  • リズは街にパン屋に出勤。トラムも走る街並み、坂の途中にリズの働くパン屋がある。パン屋の主人は大男のアアルト。
  • リズは仕事を終えて帰宅。一人でご飯を食べて、一人でベッドに入るリズ。

それまでの、リズの慎ましい独り暮らしの様子を紹介。

第二楽章「新しい家族」

  • 嵐の夜が去って朝になり、リズが表に出るとそこに少女が倒れていた。リズは少女を助ける。
  • リズは元気になり、とても明るく、にこやかで、のびのびしていた。強い風の中、はためく青のスカートと青い空が印象的。
  • 少女は赤いベリーの実が大好き。リズが少女の髪に赤いベリーを飾ると、少女は喜ぶ。
  • リズは少女を勤め先の街のパン屋にも連れてくる。少女は大はしゃぎする。
  • リズはパンと赤いベリーの実を食べるが、少女は赤いベリーの実だけを食べる。

リズと少女が出会い、二人の暮らしが始まる。リズも嬉しい。少女も大はしゃぎ。

赤いベリーの実は、少女の好物として、そして少女が鳥である事の象徴として描かれていた。

第三楽章「愛ゆえの決断」

  • リズと少女は一緒にベッドに入る。
  • 少女は窓を開けて鳥になり外に飛び立ち、朝までには戻ってきていた。
  • ある夜、リズが夜中に目を覚ました時、少女がおらず、窓が開き、鳥の羽が落ちている事に気付く。
  • ある日、リズは、少女が大空舞う二羽の小鳥を羨ましそうに眺めている事に気付く。
  • ある夜、リズは、少女から「寒くなったらどこに行くの?」と尋ねられるが、どこにも行かないと答える。
  • リズは、少女が小鳥であり、少女が本能的に鳥の暮らしを欲している事を察する。

リズは少女が好きなのだけども、少女は人間の姿で居続けられない、鳥の暮らしに戻してやる必要がある、だから別れを決断する。

原作小説では、少女が鳥の暮らしに戻る必要性を説明していなかったが、この童話パートの第三楽章ではキッチリその必要性を説明している。

青い鳥が大空を飛ぶ自由を本能的に欲しているのに、それを束縛していいのか?

季節が変わり、寒い冬が来たら、本来、青い鳥は暖を求めて南に移動するのだろう。青い鳥はこの湖畔で冬を越す事が出来るのか?今、判断しなければ、取り返しの付かない事になるかも知れない。そういう時間的制約もリズの判断にはあったのだと思う。

リズの表情が少し硬く厳しいところに、リズの決断の辛さがにじみ出る。

みぞれと希美がお互いに相手の幸せなんて考えていなかった事に対して、リズは相手の幸せを考えて決断してた。この対比が皮肉だと感じた。劇中劇なのに、なんか、ここで泣けてきてしまった。

第四楽章「遠き空へ」(断片のみ)

1本の童話パートといての第四楽章は劇中劇にな無かったが、そのシーンの断片が使われていたと思う。

  • 飛び去る青い鳥を観て、リズの「神様、どうして私に籠の開け方を教えたのですか」の台詞。

それが正しい判断と理解していて、それでもふと言葉にしてしまう、青い鳥との決別の悲しさ。元の独りぼっちに戻る寂しさ。リズは強い面と脆い面、その両面を持ち合わせていて、それを物語から感じられるからこそ、物語は着陸出来る。

希美の場合は逆だったと思う。別れの運命を受け入れ、その意味を藤棚で考えていたのだと思う。この辺りの微妙なずれも、味わいなのだと思う。

まとめ

2回目の鑑賞をしてから、数日経過してしまったが、初見の感想から大分変わり、その事をすぐにブログにアップしたいと思っていました。

ただ、初見の感想というのも、その瞬間思った真実であり、私の様に「虚無感と味気無さ」を感じた人も、2回目以降で馴染んできて、本作の味わいが分かってくる事は多いと思います。

その意味で、やはり本作は、初見でダメでも余力有ったら複数回観たい、という作品だと思います。

いろんな「リズと青い鳥」のブログを興味深く拝見しましたが、私の様なブログでも、そんな見方もあるのか、と思っていただければ幸いです。

リズと青い鳥

映画と原作小説のネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

はじめに

私は、山田尚子監督&吉田玲子脚本の大ファンであり、響け!ユーフォニアムの大ファンでもあり、当然「リズと青い鳥」は非常に楽しみにしていたのですが、鑑賞後の感想は、自分でも驚くべき、「虚無感と味気無さ」でした。

私は、常々、ブログやツイッターでは、作品の良いところ、凄いところに注力して書いていますが、今回は例外的に、ネガな感想を書いていますので、そういう感想が嫌いな方は、ご遠慮ください。

ちなみに、私のユーフォ経歴は下記の流れです。

  • TVアニメ 1期/劇場アニメ 1作目
  • TVアニメ 2期/劇場アニメ 2作目
  • 小説 第二楽章
  • 小説 立華高校
  • 小説 ホントの話

リズと青い鳥」を、いつものように劇場で鑑賞し、映像美に息をのみ、みぞれと希美を追いかけて、期待通り原作通りの二人の内面を浮き彫りにして、よしよし、と見終わった時、私は泣いていませんでした。そして何とも言えない「虚無感と味気無さ」を感じていました。これについて、自問自答しなければ、今回のレビューは書けないと思いました。

なので、前半は、その分析に当てました。後半は、いつも通りのキャラ毎の考察&感想です。

2018.5.3追記 2回目鑑賞で本作の評価が変わったというブログはこちらです。

鑑賞後に感じた「虚無感と味気無さ」

見事なロジックの原作小説

私の中のみぞれと希美の物語は、原作小説の第二楽章(とホントの話)で一旦決着した。

そのときのブログがこちら

みぞれと希美の気持ちは、その年代ごとに変化している。

南中でのキラキラした出会い。みぞれが北宇治高校を選んだのも希美を追いかけてなのだろう。1年のとき、北宇治吹部の空気に耐えきれず、何も告げずに仲間を引き連れて退部した希美と、残されて、それがトラウマになる程のみぞれの悲痛。2年で戻ってきた希美と、歓喜するみぞれ。3年でみぞれの才能と環境に嫉妬して打ちのめされる希美。希美が居なくなる不安を抱えて噛み合わない演奏を続けるみぞれ。

そして、みぞれからの大好きのハグでぶつけるみぞれの気持ち。みぞれは希美の全てが好きで、希美はみぞれのオーボエが好きで、という埋まらない溝が明確になり、突き放すのでも無く、好き会うのでも無い関係。

物語の最後、身の丈のあった市立大学に進学する希美と、希美の願いならばと音大に進む決意をし、希美無しの人生を選択出来たみぞれ。

これが、第二楽章のみぞれと希美の物語のあらすじ。

隙のない映像美の映画

これに対し、映画はみぞれと希美の二人を追いかける事に注力し、ノイズとなる他のキャラや要素は極力カット。これは、この物語がみぞれの見えている狭い世界しか描かないから。そして、みぞれと希美の二人の解釈は原作小説を正確に捕らえていて違和感が全くない。

繊細で的確で狙いの明確な表情やカメラワークや効果音や劇伴。穏やかで柔らかな色調の映像。山田監督の丁寧なカットの積み重ねは、もはや人間国宝級だと思う。

冒頭のシーンは、日曜練習の朝、希美の登校を待ち、希美が来たら希美の後を少し離れて付いて歩き、音楽室に入る。そして二人で自由曲「リズと青い鳥」の話をして、たわいの無い時間を過ごす。

みぞれの微熱と、希美の不思議なよそよそしさが、普通の友達じゃない異様な空気が、普通だったら描けない空気が、この映画では事も無げに描かれている。

この映画は、客観的に分からないみぞれの気持ちにメスを入れ、これまた客観的に分からない希美の気持ちにメスを入れ、このぎこちない二人が何を考えているのか?途中で種明かしする作りになっているので、どちらの主観も持たず、第三者として客観視する構造になっている。

二人のどちらにも寄り添いすぎない、客観的な視点がこの作品の特徴だと思う。

途中、みぞれ覚醒と大好きのハグのシーンは、オーディション後の構内に前倒しされたというタイミングの差はあるが、それも映画の尺を考えれば、そうなる事は理屈で分かる。

私にとっては、大好きな原作小説の非の打ち所の無い映像化だった。頭の理解では完璧な映画化のハズだった。

鑑賞後の虚無感について考える

理由は不明だが、先にも書いたが鑑賞後に泣くこともなく、虚無感に浸ってしまった事について、ずっと考えていた。以下、幾つかの仮説を立てて、自分の心に何が起きたのかを考えてみる。

仮説1:知りすぎた物語とキャラ(原作機読者にとって予定調和の物語)

原作小説の第二楽章は、みぞれと希美の物語はその二人の考え方、行動がトリッキーな所もあり、注意深く読まなければ、二人の心に寄り添えない雰囲気だった。行動、台詞や、文章中から、心の中で熟成しながら二人の心をなぞるような読み方をしてた。

要するに、原作小説を読んだときに、みぞれと希美の事を考えに考え抜いたし、それが楽しかった。

映画では、何気なく描かれた数行が、動き、音、匂いを持って描かれていて、それが違和感が全くない。

ここでふと思うのだけど、違和感が無く全く引っかからない映画というのがあったとしたら、面白いだろうか?全てが予定調和の映画である。頭の先から尻尾の先まで物語を知り尽くしている、そんな映画が楽しいだろうか?

この問いに対して、私の答えは、ケースバイケースという微妙な回答である。

原作小説の映像化であれば、映像自体の驚きや気持ちよさがあって然るべきで、その楽しみは確かにあった。それが超一流シェフである山田尚子監督、吉田玲子脚本というハードルの高さがあり、その期待値を越えなかったのでは無いか、と感じた。

非常に贅沢な事を言っていると自分でも思う。

仮説2:寄り添えなかったキャラの気持ち(敢えて封印されたドラマチックな演出)

本作と同じアニメーション制作会社である京アニのTVアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品がある。私は毎週見て、毎週泣いていた。

変な話だが、泣かせるための映像というのは確かにあると思う。キャラクターの心情に寄り添い、激しい感情を共有し、視聴者の心を揺さぶる。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のシリーズ構成は吉田玲子さん、その5話の演出は山田尚子さんであり、隣国に嫁ぐ姫君の物語であった。私はこの5話でもボロボロと泣いている。

しかし、本作では、そうした感動的なシーンを敢えて排除し、わざとらしいドラマを描かない。その空気ごと切り取り、その空気の先に、ありのままの人間のドラマを感じる演出。これはとてもストイックで、挑戦的で、大人だと思う。

原作小説では、みぞれ覚醒の演奏はもの凄く破壊力があるドラマチックなシーンとして描かれていたが、本作では、そのシーンさえも、余分なものを描かない引き算の、大人な演出だったと思う。

普段なら、大人の演出がカッコいいと思うところだが、今回は何故か、引っかからなかった。

それは、少し前にも書いたが、みぞれと希美の主観に寄らず、二人を客観的に見てきた、本作の視点に依存するものでは無いかと想像している。あくまで、他人の行動を覗いているだけで、気持ちの内面に入り込む演出では無かったと思うし、それが、キャラの心情に寄り添えなかった原因の一つではないかと思う。

仮説3:スケールの小さな箱庭の物語(さざ波の様な揺れ幅の狭い繊細なドラマ)

仮説2に通じるが、作品の普遍的なテーマやメッセージについて深堀して考えてみたり、激しい愛情だったり、突然の死別だったりの激しい感情があれば、静かな演出でも胸をエグると思う。

今回は、思春期の少女達の静かな愛や憎悪を、静かに空気ごと切り取った。

極論してしまえば、微妙な関係の女子高生が、何かに傷ついたり、仲直りしたり、という微妙な話。

しかも、明確な独り立ちが出来た所までは描かず、「物語はハッピーエンドがいい」という言葉通り、改善方向に舳先を向けた所で終わる。

府大会も関西大会も無し。オーディションの選抜競争も無し。

さざ波の様なドラマの終わりをみて、味気なく思ってしまったのかも知れない。

精進料理とフランス料理

本作の映像としての技術・技巧のレベルの高さは言うまでもない事実だと思う。

このテーマにしてこの調理はシェフとしては全く間違っていない。

しかし、研ぎ澄まされた精進料理よりも、より分かりやすい美味しさのラーメンやフランス料理の方が体(精神状態)に合っている、という事はあると思う。

私の場合、たまたま、先に説明した3つの仮説が合致してしまい、素材の味を生かした、精進料理を口にして、たまたま味気ないと感じてしまったのかもしれない。

多分、原作小説を読まずに映画を見たら、様々なフックに引っかかり、色々と考えて、楽しめたのではないかと思う。

ただ、精進料理もずっと食べていると、舌が馴染んできて、美味しく感じるのかも知れない。

いろいろ書いたけど、これが私の心に感じた正解かどうかも分からない。2度目の鑑賞で、また違った発見があるかも知れない。

2回目を観て、感じるところがあれば、またブログを書くと思う。

キャラごとの考察・感想

鎧塚みぞれ

みぞれは、オーボエのエース。ダブルリードパートのパートリーダー

大好きのハグはみぞれから希美への告白である。

原作小説では、みぞれは大好きのハグに当初、かなりの抵抗を感じていたが、映画ではその部分も異なっていた。

また、原作小説では、みぞれのオーボエ覚醒から大好きのハグするまでに、夏季合宿から関西大会2日前まで2週間くらいかかっている。それは、希美が音大に行かない事をどう考えているのか?久美子に問い詰められて現実を直視できずに思考停止してしまい、その後みぞれ覚醒があり、その後もずっと考え続けてやっと行動が出来る、という時間が2週間だという理解である。

映画では尺の関係もあり、みぞれ覚醒後、すぐに大好きのハグのシーンに繋いだものと思う。

少し意外な感じもしたが、みぞれ覚醒は、リズ(希美)が望むから青い鳥は飛び立つ事が出来るロジックを受け入れていて、この時点で、半分、希美離れが出来ている、希美と対等な立場にある、という事だと理解した。

みぞれは自分の髪をいじるシーンが多用された。何となく落ち着かない時に、いじっている様に感じた。

表情で言えば、後半驚いたときに目を丸くするシーンが多々あったように思う。

また、ラストで大好きのハグをする辺りのシーンでの横顔がずいぶんと丸くて柔らかい感じがした。

みぞれのハッピーアイスクリームのシーンは何気に好きである。

今まで完全に従う立場であったみぞれ。でも最後は、鳥籠である学校から外に出て、アイスクリームをおねだりする、そういった対等の関係への第一歩。

そんなラストに感じた。

傘木希美

希美は、フルートパートで「のぞ先輩」と親しまれていて、多分、フルートのパートリーダー吹奏楽部の会計。

希美は、南中3年で吹奏楽部部長をしているとき、京都府大会銀賞という苦渋を舐め、北宇治1年で先輩のいじめに合い集団退部し、そして、リズと青い鳥の演奏でみぞれのオーボエの才能に打ちのめされるという、負け負けの人生を送ってきた。

原作小説では、希美はこれらの負債を他者に感じさせないように、努めて明るくし、その際に無理やり口角を上げて作り笑いをする、という癖が強調されていたが、映画では、あまり感じられなかった。

みぞれからの大好きのハグに対して「のぞみのオーボエが好き」と言ったのは、希美がみぞれのオーボエに嫉妬し、みぞれという人間を好きにはなれなかったからで、要するに告白を拒否したという事だと思う。

それでも、最後は、みぞれのオーボエに応えられる様にフルートを吹くことを誓った。

本作では、みぞれの視野の範囲でしか描かれないので、希美の心をケアする存在が描かれなかった。みぞれは希美依存からの脱却への一歩を進めたが、希美の傷は誰が癒すのか?いずれにせよ、希美が前に進むには、この傷を自分自身で受け止めて一歩を踏み出すしかない。

ところで、希美は、片足だけ踵を上げたり、つま先を蹴ったりする癖が見受けられた。多分、嘘を付いたり、面倒くさくなった時の仕草なのだと思った。

剣崎梨々花

梨々花には明確な役割が与えられていた。それは外部からみぞれの殻を破る事。

梨々花の特徴は、先輩にも物怖じせずに、砕け過ぎな感じで接する、マイペースキャラ。

原作小説では、梨々花と奏は、いつもふざけた口調で、なかよし川を連想させる名コンビなのだが、反面、二人で1年生達を掌握している雰囲気もあり、なかなかの曲者みたいな雰囲気を出していたが、映画ではそのような雰囲気は微塵も感じさせなかった。

梨々花は、ダブルリードパートの下校時の寄り道に、みぞれを誘うがいつも断られていた。

そうこうしているうちに、一緒にリードを作ってもらえたり、プールに誘ってもらったりと、少しづつみぞれとの距離を縮めてた。

オーディションの結果が発表された日、みぞれと梨々花の二人だけの教室で、スマホのプールの写真を見せながら、ふいにオーディションに落ちた事で、みぞれの前で泣き出す梨々花。いつも、ふわふわした対応とは違う、内面の悲しみをみぞれと共有した瞬間。

みぞれも、言葉で慰めたりしない。ただ二人で、夕方の教室で向き合ってオーボエを吹くシーンで、ジーンときた。

希美のフルートパート内は、いつもかしましく賑やかで、1年生の恋の話で盛り上がり、表面的な付き合いである事を感じさせたが、それとは対照的に、ダブルリードパートの希美と梨々花の繋がりは、静かで確かな感じがした。

みぞれの鎧を破る剣。みぞれの希美以外の人間関係の成立は、希美依存脱却の第一歩。

高坂麗奈黄前久美子

今回は流石にモブキャラだった久美子と麗奈。

印象的だったのは、リズと青い鳥の第三楽章「愛ゆえの決断」を二人で吹いているシーン。

みぞれのリミッターに不満を持っていた麗奈が、みぞれに聞かせるためにこれみよがしに吹いたのか?麗奈と久美子の関係が上手く行っている事を再確認したくて吹いたのか?

真相は不明だが、演奏後の二人の笑顔を見ると、二人の蜜月はまだ続きそうな雰囲気に見えた。

まとめ

今回のブログはネガになってしまうので、とても苦しみながら気を使いながら書きました。

結局、私は映画の何が、アニメの何が好きなのか?という自問自答をしました。

多分、響け!ユーフォニアムという作品が、TVアニメ、原作小説を含め、どこに響いたのか?映画「リズと青い鳥」が何故、響かなかったのか?

膝を打つような納得の回答は、導き出せませんでしたが、この映画が、今までに無い、特別な映画という事は、SNSの反応などを眺めていても感じます。

山田尚子監督の次回作は、もう少し底抜けな映画としての楽しさが味わえる作品になる事を期待しつつ、私は次回作も楽しみに待ち続けると思います。

2018.5.3追記 2回目鑑賞で本作の評価が変わったというブログはこちらです。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 13話『自動手記人形と「愛している」』

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考察・感想

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

「不殺」は貫くことができるか?

ヴァイオレットの命題のうちの一つは、絶対に殺生しない、させない。

ヴァイオレットは代筆の仕事を通して、戦争による理不尽な兵士達の死、残された家族の悲しみの悲痛を知り、それを回避する事を願い実践する。

根本的には反戦。「不殺」=武装放棄じゃなくて、戦うけど相手も見方も殺さない、というところが直球で良い。

しかし、そのせいで、12話テロリスト達の命を守りながら戦い自らの命の危ぶまれる。それでも「不殺」を貫こうとするヴァイオレット。

「不殺」は理想論だが、ディートフリートが言うように、襲ってくる相手を殺さずに大切な人を守れるか?という命題には、応えきれていないと思う。

新作があるとの事だが、メルクロフ准将と「不殺」の命題は、引き続き、宿題事項として残るのではないかと思う。

ギルベルト少佐を亡くした責任

ヴァイオレットは、ギルベルト少佐の元に居た時は、自分を持たず、ギルベルトの命令で動いていた。

ギルベルトは自分を持ち自由にしてよい、と言ってもヴァイオレットにはその言葉の意味さえ、正しく理解できず、逆にギルベルトが軽くイラついた表情をしていた。この表情がディートフリートに似てるところが兄弟という感じ。

ヴァイオレットは、道具として仕上げられ、純粋に道具として生きた。単純に、純粋過ぎた。

だから、道具の主であるギルベルト少佐を失った時、世界の全てを失ったような大混乱が起きた。そして、その事も理解できずに、自分を責め続けた、というのが12話までのヴァイオレットだったと思う。

ブーゲンビリア夫人の言葉

それを救ったのが、ブーゲンビリア夫人の言葉。

ギルベルトを愛しているから、ギルベルトは心の中で生き続けている。だから、バイオレットはギルベルトの死を背負いこまなくても良い。ギルベルトは心の中で生きているのだから、自分を責める必要な無い、というロジックである。

夫人は間違いなく、ヴァイオレットを救うために、わざわざ家に呼び出して、この言葉をヴァイオレットにプレゼントした。頭が良くて察しの良い人だと思うと同時に、ヴァイオレットの情報はディートフリートを通じて聞いたはずであり、ディートフリートがヴァイオレットの事を分かる様に、伝えた事も間違いない。

ディートフリートの言葉

ディートフリートの言葉は、ギルベルトの分まで、生きて生きて、そして死ね。

こちらも、ギルベルトの愛を受けたヴァイオレットをギルベルトと等しく大切に思う気持ちの表れだと思う。

少なくとも、ディートフリートも夫人も、ギルベルト少佐の肉親は、ヴァイオレットを恨んでいない事が判明し、その事だけでも、ヴァイオレットの心を軽くする事が出来るシーンだったと思う。

それに対して、ヴァイオレットの命令は要りません、の台詞。

これは、もうギルベルト少佐依存の人間ではなく、ギルベルト少佐と対等な関係となり、ギルベルト少佐から独り立ち出来た、という意味であり、彼女がこれから一人で生きて行ける証でもある。

ギルベルト少佐への手紙(初めてのヴァイオレット自身が書く手紙)

航空祭でギルベルト少佐に当てて書いた手紙。

最初は、全く書けなかったが、ギルベルト夫人とディートフリートからの言葉を受けて書けた手紙。

ギルベルト少佐は私の心の中で生きています。だから、私も生き続けます。

これは、夫人とディートフリートの言葉そのものでもある。

12話かけて混迷したヴァイオレットの心は、ポジティブな方向で歩み出す事ができたラスト。

思えば、ヴァイオレットの心は、1話時点で赤ちゃんで、C.H郵便社の仲間やルクリアと出会い子供になり、様々な代筆の仕事を通じて成人し、成長した事で自らの罪を責めて苦悩し、どん底まで落ち、最後はギルベルト少佐の家族に救われた、という心の旅だったと思う。

その意味では、見事に着地した物語だったと思うし、このラスト以外は無いな、と思える出来だった。

自動手記人形が50%、戦争が50%の比率

前回のブログにも書いたけど、本作の成分の50%は戦争がテーマになっていたと思う。

自動手記人形という、一般の人との気持ちのやりとりである代筆を扱った話の方が、色鮮やかで、愛を感じ、心安らかに楽しめる、という面は間違いなくある。

なので、戦争という愛の無い世界(厳密に言えば愛を犠牲にする世界)でヴァイオレットが苦しむ姿が、見ていて心が痛み、息苦しさを伴っていたという事も事実である。

しかし、この二つは相反するが切っても切れない関係があり、その事を物語にしたのが本作なのだと感じた。

ヴァイオレットが苦しみ自分を責めたのも、愛を知ったから。

ヴァイオレットが依頼人や宛先の人の幸せを噛みしめられたのも、愛の無い地獄を知っているからこそ。

それを理解しないと、本作は受け止められないと思うし、意外とその事を書いている人は居ない…。

常々思うのだけど、物語は見るものに極度のストレスを与え、そのストレスを解放する事でカタルシスを味わせる。意図的にストレスにさらされるもの、我慢してそれを乗り越えた時に、大きな喜びを得られるからである。これは、感動的なシーンでも、ギャグシーンでも、いろんな感情で揺さぶらされる。

本作は、このストレスの幅が大きすぎて、落ち込んでいる時の心の重さが半端なく、途中で見れなくなる人が居ても不思議じゃないレベルだと思った。多分、石原監督や吉田玲子さんのストーリー構成の力だと思うが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという素材を、真面目に調理してしまった、という感じがヒシヒシと伝わってくる作品だったと思う。

今どき珍しい重めのテーマ

ずばり、テーマは死と生。

他人の死を受け入れられるか?死による悲しみを乗り越えられるか?

生きる事の喜び。愛する人への喜びの提供。

そして、そのどちらも伝える事ができる手紙。時空を超えて気持ちを伝える不思議なツール。

時代にあったテーマでなければ、視聴者が付いてこれない。善し悪しとは違うレベルの話。

今どきの視聴者が、本作をどのように受け止めるのか?興味深い作品だと思った。

Twitterのつぶやき

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話(その2)

ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

はじめに

十二章アンサンブルコンテストの感想・考察です。

他の短編は、その1の方にまとめましたが、あまりに長くなるので、十二章だけ分けました。

アンサンブルコンテストは第二楽章以後、新体制になって年度が替わるまでの1年生+2年生の部員たちで参加する大会で、実質、第二楽章と第三楽章(仮)の間を繋ぐ、123ページの中編小説でした。

チーム分けや、演奏シーンや、成長ドラマなど、いろいろと魅力がギュッと詰まった作品でした。

考察・感想

北宇治吹部のアンコン

アンコンの目的

滝先生は、北宇治吹部でアンコンに参加するにあたり、以下の3つの事を部員に体験させる目的があった。

  • メンバー決め
  • 曲決め
  • 審査員になること
    • ちなみに、滝先生のオーディションの観点は、
      • 技術
      • メンタル

さらに、久美子達の提案により、二種類の投票が行われる事になった。

  • 部内投票(大会出場チームを選抜する)
  • 一般投票(人気投票、引退した三年生含む)

アンコンの成果

アンコンのチームと曲と投票結果は下記。(申請順)

  • 木管五重奏、『三つの小品』
  • ホルン三重奏、『六つのトリオ』
  • 金管八重奏、『「高貴なる葡萄酒を讃えて」より五楽章 フレンダドーレ…そしてシャンペンをもう一本』
  • 木管八重奏、『晴れた日は恋人と市場へ!』
  • 金管六重奏、『タランテラ』
  • 菅打八重奏、『彩吹~Ibuki~』
  • 打楽器七重奏、『ヴォルケーノ・タワー ~七人の打楽器奏者のための』
  • 菅打八重奏、『シティガール・センチメンタリズム』
  • サックス三重奏、『スペイン舞曲集より ガランテ、バレンシアーナ』
  • フルート三重奏、『月明かりの照らす三つの風景』
  • コントラバス二重奏、『メヌエット』
  • クラリネット四重奏、『革命家』
  • サックス三重奏『古の鏡』
  • 菅打六重奏、『小さな祝典音楽』

北宇治吹部がアンコンで感じて得たものは、下記だったと思う。

  • 演奏して聴いて楽しむ
  • 主体性を持って演奏に取り組む(チーム&曲決め、誰もが演奏の主役)
    • 北宇治吹部全体の演奏レベルの底上げが出来た。
  • 他人の演奏を評価する
    • 大会向け評価と人気評価の違いを実感した。

まず、アンコンは、単純にいろんな編成の楽器で、いろんな楽曲を演奏するので、聞いているだけで楽しめる。「音楽」本来の音を楽しめる、という面があったと思う。

そして、アンコンはコンクールに比べて、演奏者の主体性が重要になると思った。

一つは、コンクールではオーディションで選抜されたメンバーが与えられた曲を演奏するが、アンコンでは小規模ながらメンバーと曲を演奏者が決める、という事。

これは、逆に言えば、要領の悪い人間が取り残され孤立する可能性もあり、その意味ではデメリットとなり得る面もある。本作では、チーム選びで残されたテナーサックス、トロンボーン、パーカスの3人に、引退した優子、希美、夏紀が参加し、余り物チームを作る事で全員参加を実現した。

もう一つは、コンクールではパート内のファースト、セカンドという序列の役割があったが、アンコンでは小規模で楽器も少ないため、普段目立たない演奏者も目立った演奏をするチャンスであり、逆に言えばミスも目立つ。良くも悪くも、チーム内での個人の演奏に占める割合が大きく、その責任も増える、という事。

本作では、ユーフォニアムの久美子とマリンバの釜屋つばめが主役になる演奏で、2年連続B編だったつばめが、周囲の助言を受けながら、自らの欠点の一つを克服し劇的に改善してゆく様子が描かれていた。葉月も足を引っ張るまいと、練習を重ね上達した。アンコンでは脇役の演奏者は居ない。少人数であるが故に一人の欠点やミスが目立ってしまう。この欠点を改善する事で、北宇治吹部全体の底上げがされたように描かれていた、と思う。

また、パート間の交流も有意義だった。パーカスのつばめの問題を指摘し改善方法を提示したのは低音パートの久美子だったが、これまでパート内で見逃されてきた問題にも他のパートの視点で問題に切り込む事が出来る。

また、パーカスのパートリーダーである井上純菜が、少しでも良い面があれば、その良い面をキチンと褒める、というポリシーでパート内を運用しており、つばめ自身も、そのポリシーで純菜を褒めるという、パーカスパート内が上手く機能しているところも描かれていた。部長である久美子は、それをみて安心しただろうし、良い空気はお互いの良い演奏に繋がってくる。

さらに、審査員視点で客観的に演奏を聴き比べる事で、競技として評価される演奏を感じてもらう事も目的としていた。

部員のみの選抜投票と一般の人気投票の違いや、個人個人の中でも二つの評価の違いを実感する事が出来た。これは、優劣を付け競い合うための演奏と、楽しくのびのびとする演奏の違いは確かに存在し、だからといって、どちらが良いという話ではない。ただ、コンクールに向けては、競技のための演奏技術を磨く必要がある、という事が実感できた、という話に思えた。

新体制始動

秀一→久美子←麗奈 の三角関係

公私ともに久美子を支える麗奈と秀一。

この3人を見ていると、スタートレックのカーク船長(久美子)とスポック副長(麗奈)とドクターマッコイ(秀一)を連想してしまう。確かな演奏技術と理論の麗奈に対し、メンタル面のアシストの秀一。そして二人は久美子の事が好きな点では共通しているのに、麗奈と秀一はギクシャクしてる点が面白い。

ちなみに、滝先生のオーディションの評価ポイントは、一に演奏技術、二にメンタルと言っていたが、久美子にとって、それぞれを麗奈、秀一が補う形になっている点も興味深い。

この三角関係は、第二楽章後編から、とりたてて変わった様子もなく、新体制としてもまずまずの滑り出しを見せている。ちょっと麗奈が秀一に噛みつき過ぎな気もするが。

麗奈のアンコンの投票方法の助言の件でも、公的な立場では部長である久美子を立てるために理論的に援護するシーンで、あ、麗奈は力強いな、と思った。部を引っ張るための、起爆剤としての重要な存在で有る事を再認識した。

久美子と麗奈のプライベートの距離感

久美子と秀一が意図的に距離を取っているのは分かるが、吹部における公的立場のせいか、麗奈と久美子も、少し距離ができていた様に感じた。

1つは、チーム高坂に久美子を誘うタイミングが最後になってしまったこと。ちなみに、チーム高坂への参加を最後に了承したのは、釜屋つばめだが、返事が貰えなかっただけで、麗奈は少し前に誘っていた。

アンコンチームの届け出も少しずつ出始めてきたころ、久美子は、社会科準備室前の三階廊下突き当りで、夕焼けに染まる時間に、一人で「赤とんぼ」を吹いていた。みぞれは久美子をみて「泣いている?」と聞いていた。社会科準備室の反対側の窓の下からは一人、麗奈がトランペットを吹く音が聞こえていた。

みぞれは直感の人なので、久美子と麗奈が離れて演奏していて、寂し気な久美子の「赤とんぼ」を聞いて、二人の寂しさを感じとったに違いない。多分、本人たちも無意識だったものをみぞれは感じ取った、のだと感じた。

なお、このシーンのみぞれの「窓、開けるの上手いね」「窓を開けるのが上手で、うれしかった。……ただそれだけ」という台詞は、他人の心の窓、みぞれの心の窓を開けた事だと思われる。

後日、チーム高坂のメンバー選びについて電車内で会話するシーンがある。麗奈としては、ユーフォは初めから久美子一択だったとか、久美子が他のチームへの参加をOKして、麗奈の誘いが断られる可能性を心配してしり込みしていたとか。結局、久美子は自分からは誘われるまで待つ形だったとか。

第二楽章になってから、少しだけよそよそしさのある二人。公的立場で過ごす時間が多くなり忙しくなったからか?秀一の存在が麗奈の心に変な遠慮をさせるのか?

三年生になったら、吹部の方針の話、進路の話、いろいろと麗奈と会話すべき事が多くありそうな気がしている。二人の関係の距離感の変化も今後の楽しみではある。

チーム高坂

夢が中学時代から演奏したかった『彩吹~Ibuki~』のために麗奈が集めた演奏者は下記。

それにしても、夢を除き7人が二年生、パートリーダーは麗奈、純菜、修一、久美子の4人(美千代もパートリーダー?なら5人)を確保。葉月とつばめのB編の二人を除き、超強力な布陣。

流石は麗奈、抜け目ない。梨々花や奏が要領が良いとはいえ、二年生の上級奏者は、麗奈が抑える形になっていた。

これで、順位が悪いはずが無いとも思うが、部内投票で三位というのが、やはり葉月の分かも知れないと思うと、なかなか複雑な心境。それくらい、マイナス査定を付けさせない事が大会向けの演奏という事だろう。

逆に、一般投票で一位というのは、良さをプラス査定しミスはあまり気にしない、という一般投票の評価軸だったという事だろう。

こうして考えてみると、アンコンにおけるチーム高坂が、このメンバー構成で、この順位というのは、よくよく練られた結果に思えてくる。部内投票と、一般投票を分けた事とも含めて。

釜屋つばめ

パーカスの釜屋つばめ。演奏技術で言えば底辺側の人間で、2年続けてB編。2年生になって久美子たちと同じクラスになった。

いつも目立たず、ひっそりとしているイメージだったが、B編繋がりで葉月と仲が良く、お笑い好きという一面も葉月は知っていた。親しくなると内面を見せるが、そうでない相手にはガードが固い。

つばめは麗奈にアンコンチームに誘われたが、その誘いを断っていた。多分、チーム高坂のレベルの高い演奏に付いていけない、レベルの高い演奏者達の足を引っ張りたくない、という思いがあったのだと思う。つばめ自身の演奏技術に対する諦めが伺えるし、先の二面性にも繋がる部分である。

つばめはマリンバをソロで叩いた時は上手いのに、合奏すると皆とかみ合わない。案の定、麗奈にコッテリ絞られるつばめ。

つばめの問題は、パーカス担当としては致命的な「リズム感」にあり、久美子が、他の演奏者の息継ぎを意識する事、他の演奏者を見ながら演奏する事をアドバイスしたことにより、劇的に演奏が改善された。

つばめは、ある意味みんなが演奏している中で孤立して演奏していたが、チーム高坂で他のメンバーと一緒に演奏する事の楽しさを覚えた。足を引っ張るだけでなく、自分が主役の演奏を経験した。

純菜のポリシーに従い、純菜の良い所をつばめが褒めるシーンがあるが、本人は茶化したりせず大真面目に褒めていて、つばめの良い性格が伺えて良い。このやり取りの最期につばめが久美子に言った台詞「うちのオカンか」は、つばめが普段見せないお笑い好きの素が出てきたものであり、久美子にも心を開いた証。

校内演奏会の前日、つばめが久美子に漏らした、A編で大会に出場したい発言は、それまで思いもしなかった上手くなる、上を目指すという、つばめの意識の変化の表れ。アンコンがこの変化をもたらした。

井上純

パーカスのパートリーダーを務める井上純菜。心優しく頼れる存在。

純菜のポリシーで、その人の良い所はキチンと褒めるというのがあり、そのポリシーはつばめにも浸透していて、これはパーカスパートは全体的に良い空気に包まれてるな、という感じがした。

実際につばめのマリンバ演奏を褒めており、つばめが吹部にいても良い理由を与え、つばめを救済していた。マイナス面を責めるだけでなく、プラス面を褒める。

この辺りの人との接し方は純菜と麗奈が対照的なのが面白い。

麗奈は麗奈には見えている正しい音になるために、正しくない音に対して、完膚なきまでに相手を責めてしまう。ある意味、滝先生の指導とイメージが重なる。

今回のアンコンは大会選抜のための部内投票と、賑やかしにための一般投票で別れていたが、これが丁度、麗奈と純菜の対比の関係と一致する。

私は、今回の話で純菜が一気に好きになった。

森下美千代

ホルン担当の美千代。

はっきりはしないが、多分、ホルンのパートリーダーだと思う。純菜と仲良し。

加藤葉月

アンコンでは、つばめと並び、麗奈にしごかれた葉月。

打たれ強いが、なかなか上達しない葉月も、麗奈にしごかれ、基礎練習の意味を考えながら練習するようになり、少しづつでも、美玲に少し改善が認められるくらいには、演奏が良くなってきている。

今回、つばめは明確にA編に出たいという気持ちを出したが、葉月のA編はまだまだ実感としては沸かない。

進路未定、明確なパッションも持たない、という葉月が、来年A編に選ばれ、久美子達と一緒に全国大会に行けるか?という厳しい問題を抱えて、なかなか来年のオーディションは胃が痛くなりそうな予感。

チーム吉川

吉川優子と傘木希美

みぞれに愛されながらも、みぞれのオーボエに惚れ、みぞれの才能に嫉妬し、みぞれからの告白に距離を置いた希美。

希美は、希美を追いかけず、オーボエを吹くために音大を選んだみぞれの心を理解してた。みぞれが希美の元を青い鳥の様に飛び立った事を知っていた。

優子は、希美とみぞれの進路の事は知っていても、みぞれの心までは見抜けていなかった。希美に過剰に依存するみぞれの認識しか持っていなかった。(といっても、第二楽章のみぞれは、不思議ちゃんで、常人には理解が及ばない雰囲気でしたが…)

そして、今回みぞれの心をより理解していたのは、やはり希美だった。

1年生の時、希美がみぞれに知らせずに退部したのは、みぞれが知れば、希美を追って退部してしまうので、わざと知らせなかったのかも知れない。しかし、その事でみぞれは相当に悲しんだ。

今回、希美がみぞれにアンコンの誘いをかけたのは、みぞれは希美依存から脱却している事を確証していた事、声をかける事がみぞれにとって嬉しい事を知っていた事から。

一見、掴みどころがなく、ふわふわしているように見える希美だが、みぞれの事を一番理解しているのは、やっぱり希美というのが、因果だと思った。

チーム川島

川島緑輝と月永求

今回も求の出番はあまり無かった。

この小さくも可愛らしくも鋭くもある師弟関係もあと1年しかない。

全国大会金賞の龍聖との対決もあるだろうし、こちらも来年何が起きるか分からない。

来年のコンクールに向けて

第二楽章読後からずっと気にしていた今年の全国大会の結果が、緑輝達の会話の中で出てきてた。

  • 明工:全国大会金賞
  • 龍聖:全国大会金賞
  • 修大附属:全国大会銀賞

去年の北宇治は全国大会銅賞。今年の北宇治はレベルが上がったとは言え、全国大会銅賞、もしくは銀賞だったのだろうと想像していた。そして多分、勝ち抜けた三校に比べてわずかに足りなかったのだろうと。

その結果をみて、龍聖が成績良すぎてビビるが、成程、という感じの結果になっている。

第二楽章の北宇治の関西大会止まりを読んだ時には、まさか!という感じだったが、よくよく考え抜かれたバランスだと思う。この辺りの、いきなり奇跡が起きない所は、武田綾乃先生のリアルだと思う。

来年、北宇治が目標にしなければならないのは麗奈の言う通り全国大会金賞のレベル。全国大会出場=全国大会金賞レベルなのである。

今回のアンコンで北宇治の底上げがなされたのは確実だと思う。パーカスでつばめがA編に選ばれたいと努力するなら、現在A編で選ばれている人もB編に落ちない為に努力する。小編成で自分がフロントで演奏する楽しさを味わいコンクールに対する情熱を持てた人も居るかもしれない。

来年はどんな新人が現れ、どんなドラマが生まれるのか?

是非とも、北宇治に全国大会金賞という第三楽章を読んでから死にたい。

おわりに

前回のブログからの繰り返しになりますが、本当に第二楽章が好きだったので、このホントの話が読めて非常に嬉しかったです。

ブログに感想を書こうと決めていましたが、こちらも思いのほか長くなり過ぎました。

一旦一区切りをつけ、直近では、これから封切られる「リズと青い鳥」がありますが、こちらも楽しみです。

ここまで来ると、北宇治が全国大会金賞を取るまで死ねません。まだ先になりますが、第三楽章楽しみに待ちます。

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話

ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

はじめに

第二楽章に続く響け!ユーフォニアムの短編集ですが、期待を超えて良かった!

もう、短編は本当にいろいろです。全体的に短い作品が多いので、もう日常の一コマだけで終わる空気みたいな作品もあり、今まで見せないキャラの側面が見える作品もあり、変化に対してそれぞれの覚悟や変化を見せてくれる作品もあり。

見直してみても、本作は後味の悪い気持ちになる作品は無く、ほぼ清々しい気持ちで読める作品です。

また、優子部長の代はこれが最後であり、今後南中4人組とも会えなくなるのは、とても寂しくはあります。(OBとして大会に応援は来ると思いますが)

それぞれを、サッと感想を書こうと思っていましたが、思いがけず文章が多くなりました。

第十二章は別途、投稿します。

第一章は、第十三章とのセットの物語のため、第十三章側に考察・感想を集約します。

考察・感想

一 飛び立つ君の背を見上げる(FIne)

本章は、第十三章とのセットの物語のため、そちらに考察・感想を集約します。

二 勉強は学生の義務ですから

8月末、緑輝で勉強会をする久美子と麗奈と葉月と緑輝の雑談の話。

他愛の無い雑談の中でさりげなく、4人の進路希望が語られている。

  • 緑輝は、デザイン系の学校
  • 麗奈は、音大
  • 葉月は、進路未定
  • 久美子は、進路未定

緑輝のデザイン系の学校に進学したいというのは意外。

てっきり音楽続ける事を考えていたのかと思っていた。緑輝は、コンクールでも全く物怖じしないし、常に次の大会の事考えているし、タフなメンタルの持ち主で、これこそがプロなんじゃないか?とさえ思ってた。

葉月の進路未定は、不明確な自分の立ち位置を示していたと思う。

緑輝や麗奈が明確な進路希望を持ち、やるべき事を理解し、やるべき事をやる。そうした姿をみて、緑輝や麗奈は「強い」と葉月は感じていた。この葉月の、どうしたら良いのか分からずに困っている様子は、第十二章の布石にも思う。「どうせ、A編なんて無理」「A編とのレベル差を埋める方法なんて分からない」そういったダメ元な気持ちの表れを意味しているのではないか?と思った。

久美子の進路は、第三楽章でも大きなテーマになりそうな話。

少なくともこの時点では何も考えていないが、この先9月には新山先生から音大のパンフを受け取る久美子だが、その先の話は第三楽章までお預け。

また、久美子たちが1年生の学力に触れるシーンがあったので、メモ。

  • 奏は、頭がいい。(久美子情報)
  • 梨々花は、数学学年一位(久美子情報)
  • 夢は、日本史はすごいらしい(麗奈情報)
  • 求は、かしこいってイメージはない(緑輝主観)
  • さつきは、葉月と同じくらいあほ(葉月主観)
  • 美鈴は、間違いなく頭いい(葉月主観)

久美子や麗奈は人づての情報なので、多分間違いないのだろうが、緑輝と葉月のは主観なので、あまり確実な情報とは言えない気がする。そういうフェイクがあるか否かは不明。

三 だけど、あのとき

香織からあすかへの手紙の形式を取りつつ、香織があすかの何に惚れてしまったのか?を掘り下げるお話。

第二楽章で関西大会の応援に駆け付けたあすかと香織とその種明かし。

香織とあすかの話を考えるといつも思うのは二人の対比

  • あすかは、愛に乾き、愛を欲してない
  • 香織は、愛に溢れ、愛を押し売りする

基本的に、あすかの行動に優しさや愛は無い。そして気に入らなければ容赦なく攻撃する。その破壊力は半端なく、常にあすかの賢さ、強さが強烈に描かれる。それでいて、愛が無い事に寂しさや孤独を感じていない。だから、愛が無い事が弱点にならない。

香織は多分、あすかの特別(賢さ強さ)の他に、愛に乾いている事を不憫に思って、その事に対して愛情で包み込もうとしていたのだと思う。

1年生の秋の帰り道のあすかは、香織があすかの告白に対して、あすかの特別が無くなったら好きじゃなくなるのか?と香織に質問してしまう。そして、案の定、レトリックな攻撃に回答を窮してしまう香織。

いつものあすかなら、これで終わっていたはずだが、この時は少し違ってた。

いざ帰るときに、ふと悲しい顔をするあすかの表情の描写が入る事で、香織からの愛に対する複雑な気持ちを見せていた。

多分、あすかにここまで愛の告白をした人は過去居なかったのだろう。そして、それ自体は嬉しいと思う気持ちが、わずかでも確かに有った。でも、それを受け取れなかったのは、いつもの他者を寄せ付けない攻撃。その条件反射的な行動が、せっかくのチャンスを殺してしまった、のだと思う。そう考えると切ない。

分かれ道に立つはずの卒業式の日、香織があすかに託す手紙は「好き」だけじゃなく「一緒に住みませんか」とあすかを追いかける宣言ともとれる内容が書かれてた。

第二楽章を見た感じ、ルームシェアはしているの可能性は高いと思うが、あすかが香織の同棲を受け入れた気持ちは分からない。「あのとき」の一瞬の寂しさが、本物の気持ちになったのか?はたまた別の理由か?その辺りを第三楽章で入れてもらわないと、この話は着陸しないような気がするので、是非お願いします。>武田綾乃先生

看護学校に入り看護師になりリアル白衣の天使になるであろう香織の行く末は、あすかにかかっている。いずれにせよ、香織の大胆過ぎる行動が強烈すぎる話だった。

四 そして、あのとき

大学で伊藤杏子や晴香に出会い、葵が吹奏楽に戻る話。

第二楽章で府大会に晴香と共に応援に駆け付けた葵とその種明かし。

入学式で出た伊藤杏子。キャラが正反対の杏子と葵の対比。

  • 葵は、地味で真面目な元北宇治吹奏楽部のサックス奏者(途中退部)
  • 杏子は、派手でアクティブな元修大付属吹奏楽部のトランペット奏者

葵が大学に入り、最初にできた友達はトランペット奏者の杏子だった。パンツスーツで赤い口紅。大学でもトランペットを吹きたくて仕方ない杏子。吹奏楽を軸に、お互いに無いモノを持ち、補い合えそうな二人。

大学の吹奏楽部の新人歓迎会で再開した晴香と葵の対比。

  • 葵は、吹奏楽部を止めた事に対する後悔してるのに、無理やり納得してた。
  • 晴香は、吹奏楽部の部長をやり遂げて、嫌な事よりも良かった思い出をいっぱい持ってた。

大学受験を優先するから、退部した人たちへの申し訳ないから、自身に言い聞かせて納得して吹奏楽から離れてた。でも今、我慢と妥協の産物だった高校時代に別れを告げて、心から欲する吹奏楽に杏子や晴香と一緒に能動的に楽しもうとしてる。

私は葵が好きなので、こうして輝き取り戻した姿を見られて嬉しく思う。

五 上質な休日の過ごし方

梨々花と奏が休日にお菓子を作る話。ちなみに、話題になっていたお菓子は下記。

馬鹿馬鹿しくふざけていても、息ピッタリの二人だが、人当たりには差がある。

  • 梨々花は、計算ずくの柔らかさで相手の懐に飛び込むタイプ
  • 奏は、見た目の可愛さで武装し皮肉交じりの丁寧な台詞を盾にするタイプ

可愛いものが好きだし、可愛くありたい。その気持ちを互いに持ち、互いに高め合う良い関係。

だがそれは、二人が等身大から少し背伸びをしている事も意味している。もう少し言うと、周りを飾り立て、素を隠しているとも考えられる。二人が抱える素の部分にドラマがあるのか?それは分からない…。

面白いのは梨々花がリードしながら奏と共同作業を行っている事。みぞれとの付き合いもそうだが、あくまで梨々花がじゃじゃ馬を乗りこなす構図だと思う。そう思うと久美子の次の代の部長は、やはり梨々花なのかも知れない。

梨々花の家は飲食業という事なので、モノによっては梨々花が負担する材料費もタダだろうし、お金を掛けなくても工夫次第で楽しく過ごせてる。普通の高校生みたいに手軽だからとマクドナルドで世間話をするような事はしない。こういう所をみると、梨々花という人間の堅実さも感じる。

梨々花はまだまだ謎多き不思議なキャラ。

六 友達の友達は他人

芹菜が梓を思いつつ、緑輝にカツを入れられる話。

  • 芹菜は、「好き」「頑張っているね」とか照れがあり過ぎて、隠してしまう。
  • 緑輝は、「好き」「頑張っているね」を直接相手に伝えるし、そうすべきと主張する。

芹菜と梓は1年のマーコンの全国大会前に和解している。このタイミングであれば、忙しい梓が電車で偶然芹菜に遭遇し、手帳に「マーコン!」を勝手に書き込むことは十分にあり得る。

それにしても、大勢の人数を相手にし活躍する陽の梓と、ただなんとなく身近な友人と一緒にいるだけの陰の芹菜の対比。たまにしか合わないから、余計に盲目的に思いが募ってしまう芹菜が痛い、痛過ぎる。

梓の友達の芹菜の友達の緑輝、すなわち、梓と緑輝は他人というタイトル。実際に梓と緑輝は知り合いでは無いが、おせっかいな所は似ている二人。でも、頼られる事に喜びを感じ、人の心のデリケートな部分に触れてしまうのは、はやり梓の特徴であり、二人の違いなんだと思う。緑輝はいい意味で鈍感(なフリ?)だと思う。

余談だが、久美子と秀一が付き合っている事がクラス内で周知されているのは、はやり六月の縣祭以降の目撃情報が多発していたのだろうと想像。噂は怖い。

七 未来を見つめて

卒業記念に北宇治吹部の卒業生が一泊二日の温泉付きスキー旅行をして、晴香とあすかと香織の3人がスキーをして温泉につかってお土産を買う話。

第二楽章で関西大会の時にあすかから久美子に手渡したひまわりの絵葉書をあすかがお土産として購入。

卒業後なので、香織の手紙がすでにあすかに届いた後になる。

気になったシーンはあすかが別の風呂に移動する際の香織と晴香のやり取り。

「私だって、いつもあすかと一緒にいるわけじゃない」という香織の台詞。あすかに一生付いていきます、くらいなノリの手紙を渡した後だとしたら、温度差があり過ぎるように感じた。でも、香織の本位はあすかと肩を並べる存在になりたい、という所にあるとすると、意味は合う。

あすかは香織に対して返事をしたのか?保留しているのか?この辺りの解釈は微妙な感じ。

香織の「多分、全部全部、これでよかったんだと思う。葵も、あすかも」から「晴香は相変わらずだね」のあたりの晴香とのやり取りも、二人だからこその言葉じゃないコミュニケーションを感じられて良かった。

あすかに今を共に生きた証の記念品を残させようとする晴香の想いとは裏腹に、結局、あすかが買った唯一のお土産が絵葉書一枚というのも、あすかっぽい。絵葉書は手元にとっておくものではなく、手離れしてしまうものだから。

八 郷愁の夢

滝先生の奥さん(千尋)、新山聡美先生、滝先生、橋本先生の大学時代の話。

千尋先輩と滝先輩は仲睦まじい恋人同志で、聡美は心優しい千尋先輩が大好きで、滝先輩が羨ましい。

千尋先輩への気持ちを全く包み隠さない聡美のストレートさ。聡美は、美人なのに飾り気無しの性格で、恋愛感情は激しモノという、カッコいい女性像で描かれてて新鮮だった。

遡れば遡るほど、偏屈っぽくなる滝先生。ならば、子供の頃の滝先生の一体どれほど偏屈なのか?という素朴な疑問。

ラストの聡美が願う千尋先輩の永遠の幸せ。未来を知る読者にはとても切ない。

九 ツインテール推進計画

休日練習の昼休みに、さつきがみんなをツインテールにしてゆく話。

ここは、各キャラの髪型を確認しながら読み進めたい。

あらすじは下記。

さつきの「みっちゃんはやっぱ優しいね」に対し、美鈴の最期の心のつぶやき「どっちが優しいんだか」が意味深。

普通に考えると、さつきの行動に優しさは無い。強いて考えるとすれば、クローバーの花飾りのピン留めを特別に付けてくれた事? この辺りの解釈は微妙。

十 真昼のイルミネーション

クリスマスイブの日、四条の喫茶店でガレット食べながら希美と夏紀が雑談する話。

夏紀のカレッジ・ブルー。夏紀は、自分が大人になり年を取る過程で、今の自分が変わってしまうかもしれない、という漠然とした不安を抱えてた。

  • 電飾の輝きが無ければ良さが分からない人は悲しい。
  • (優子のように)物事の本質で良さを見極められる人間は凄い。
  • 大切なモノが価値を知らない人間に曲げられ壊される事に対する不満。
  • そして、自分がその加害者側になる不安。

これに対し、希美は根拠なく大丈夫と夏紀に言う。根拠なんてなくてもその言葉が助けになる。

  • 「後悔しても、そのときは引き返してまたやり直せばいいだけだし」
  • 「夏紀はさ、そんなひどい大人になったりしいひんと思う」
  • 「ただ、夏紀はいいやつだって知っているから」

希美は根拠は無いというが、これまで、常に人を気遣い、他人を傷つける事のない夏紀を見続けて、そんな心配は無いと直感的に思ったのだろう。

夏紀が弱さ不安をさらけ出すのは珍しい気がする。相手が優子なら絶対無理だろう。素直な状態の夏紀と希美の距離感。良い感じ。

途中、立派に部長をやり遂げた優子に対する希美の気持ちに触れた時の一文。

  • 自分の中の醜い部分から目を逸らさない人でありたい。

みぞれの独り立ちを受け止めて、希美が大人っぽくなったと感じた。

個人的に、第十章は、全体的に薄いグレーで柔らかくて優しいという印象を持った。ユーフォという作品の中にあって、少し珍しい、この静かな温かさが良いな、と思った。

十一 木綿のハンカチ

東京暮らしを始めるため、京都駅で新幹線の卓也の旅立ちを見送る梨子の話。

卓也は寡黙で男らしく梨子の事をエスコートしてきた。梨子はこれまで卓也に尽くされてきた。

見送りの日、待ち続けるのではなく、待てなくなったら押し掛ける、と言った梨子。涙をふくハンカチは女性から男性に渡された。多分、梨子から積極的にアクション宣言したのは、珍しい事だったのではないかと思う。

木綿のハンカチーフ」の頃からは時代は変わった、という話。

十二 アンサンブルコンテンスト

長くなりそうななので、別途ブログ起こします。

十三 飛び立つ君の背を見上げる(D.C.

第一章とパラレルに進む話なので、こちらのまとめます。

卒業式の朝、優子とみぞれと夏紀と希美が一緒に最後の登校をする話。そして、優子が夏紀に今までの感謝の手紙を手渡しする話。

希美。

希美にとってみぞれとは何だったのだろうか?

第二楽章で、みぞれのオーボエは大好きだけど、みぞれ演奏技術や音大受験に嫉妬し、みぞれに対して酷い事したのに、みぞれからは全て許すと言われた。

希美にとっても直ぐには治らない心の傷。みぞれがプロになれるか?について少し否定的に言って後悔したり、みぞれが自分だけを見なくなった事を感じたり。

希美にとってもみぞれの事は心の傷なのである。完治はしていない。だけど、無理やりな作り笑顔は無くなった。その意味では、より力を抜いて自然に生きられるようになったようにも感じられたのは、良かった。

優子とみぞれ。

みぞれは卒業式のこの日に言わなかったら後悔すると思って、走ってきたのだと思う。最期の最後に交わす「ありがとう」の台詞。

この瞬間、見ているこちらも泣けてきて、自分でも驚いた。

ずっとみぞれを気遣ってきたのに、みぞれに気持ちが届いていないと思い込んでいた優子。その不憫さを読者もずっと共有してきたし、優子とみぞれの気持ちが通じ合える日を待ち望んでいながら、もう諦めてた。

今やっと積年の想いが、みぞれの台詞ととに成仏できた。

本当に、ありがとうございました。武田綾乃先生。

おわりに

私は響け!ユーフォニアムのファンではあるが、小説は第二楽章から読み、第二楽章が大好きな人間なので、この短編集が発売されると聞いたとき、とても喜びました。

でも、短編集なのだから第二楽章ほどの感動は無いのだろうと思っていました。

しかし、ずっとストレスを感じ続けてた、優子とみぞれの事を奇麗に精算してくれた事がとても嬉しくて、これは作者からの、優子に対する最大のプレゼントでもあり、読者に対する最高のプレゼントでもありました。

第三楽章(仮)は、久美子が部長として、全国大会金賞を目指す物語になるでしょうから、それはそれで久美子と吹部のストレスを共有しながら、上を目指す、前に進む話になると思います。先は長いですが、次回作も楽しみしています。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 12話

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感想・考察

主張の異なる軍人達のぶつかり合い

先の大戦で戦ってきた軍人・兵士達の、それぞれの持ち味が違う主張のぶつかり合い、せめぎ合いのドラマだったと思う。

ディートフリート海軍大佐、メルクロフ准将、ヴァイオレットの3人の戦争への想いを紐解きながら話を進めたい。

ディートフリート・ブーゲンビリア

立ち位置と信条

ライデンフャフトリヒ海軍大佐。ギルベルト少佐の兄。猛獣だったヴァイオレットを海軍で引き取り戦争の道具として仕立てギルベルトに託した。

ディートフリートは強い。大切な人を守るためには、他者を殺傷するのも必然。「非情な強さ」の象徴として描かれていた。

ディートフリート視点のギルベルト

ギルベルトは、ヴァイオレットに対し道具としてではなく人間として名前を付けたり、不本意ながらヴァイオレットを戦場に送る事に罪の意識を持っていた。

ギルベルトは、ディートフリートの非常な強さに対して、人情の弱さ、優しさが対比されていた。

その意味では、ディートフリートは弟のギルベルトの弱さに不甲斐なさ、歯がゆさを感じていたのかも知れない。

そして、ギルベルトは守るべき大切な人だった。ギルベルトへの兄弟愛は強く、戦争でギルベルトを失った悲しみは人一倍大きかった。

ディートフリート視点のヴァイオレット

ディートフリートは、ヴァイオレットを道具として、もっと言うと「武器」として仕立てた。

彼の信条を考えれば、戦場では非情な強さこそが有効で、感情を持たない戦闘人形としてのヴァイオレットこそが存在価値があると考えていたと思う。

感情に曇りを見せるヴァイオレットは、整備不良の拳銃と同じで、戦場で調子が悪い武器を使っていたら、それこそ命とりになる。

ディートフリートは、ヴァイオレットの感情を取り除き武器として仕上げた側の人間だからこそ、ヴァイオレットがギルベルトを守れなかった事、人殺しを拒む事に、激しい憤りを感じたに違いない。

だからこそ、ヴァイオレットの事を「命令が欲しいだけの道具」とか「ギルを守れなかったのだから、お前も死ね」とか厳しく当たっているんだと思う。

ディートフリートにとってヴァイオレットは拳銃と同じ「武器」としての働きを期待している。武器が悩んで調子が悪かったりしたら、それこそ命取りになる。今の心の曇ったヴァイオレットは、まさにそんな感じに見えているのだろう。

メルクロフ准将

立ち位置と信条

ガルダリク帝国軍人。

インテンス要塞攻略戦にて要塞を守り切れず苦渋の撤退。その際、そのまま敵に利用されないように可能な限りインテンス要塞を破壊した。

大義名分の為に戦い消耗した兵士達を、今度は平和になった途端に兵士を拒絶した社会に対して復讐の戦いを挑む。

和平反対の反乱分子を統率して南北和平調停をぶち壊し、再び戦争勃発を企てる。

メルクロフが戦っている相手

大義名分のため多数の部下の命を犠牲にしながら、彼は戦場の中で必死に戦ってきた。

しかし、大戦が終結し社会に平和が訪れようとしたとき、兵士はお払い箱となり、それどころか厄介者として世間から煙たがれた。一体、誰のため何のために苦しい戦いを続けてきたのか?これでは、戦死した兵士も、生き延びた兵士も浮かばれない。

メルクロフ准将は、そんな世間からの兵士への扱いに怒りを覚え、同志を募り和平をぶち壊す、というのが彼の口から語られた行動原理だった。

メルクロフ准将は、平和を望み和平を推進する大勢そのものに、復讐のために戦っていた。

同志が集まるという事は、相当のカリスマ性があり部下からの信頼は厚く、ずば抜けた行動力もあったのだろう。

しかし、これは想像でしかないが、大戦中にメルクロフ准将の何らかの作戦で戦犯としての罪を問われて、有罪になれば人生終わりだから、それを逃れるために同志を集め和平反対勢力として束ね謀反を起こした、とかの何らかのキッカケがあっての、反発じゃないか、と想像する。

個人的には、メルクロフ准将は言うほど奇麗ごとばかりの人物では無いと思う。

戦争と兵士の負の連鎖

大戦が終わり、世間から厄介者扱いを受け、社会的に受付られず拒絶される兵士達が生きられるのは戦場しかないという理屈。しかし、その兵士を作ったのは戦争そのもの。

戦争は大量の兵士を消耗し、兵士にも家族にも深い悲しみだけを残す。

戦争が兵士を生み、兵士が生きるために戦場を求めて戦争を起こす、という絶望的な負の連鎖。それ象徴するのがメルクロフ准将だと思う。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

立ち位置と信条

大戦中は感情を持たない道具として、ギルベルト少佐に忠誠を誓い、圧倒的な戦闘能力で戦果を上げ、ギルベルト少佐を守り続けてきた。

しかし、インテンス奪還作戦でギルベルト少佐は未帰還兵に、ヴァイオレットは少佐と両腕を失い戦後を迎える。

その後、自動手記人形として社会復帰し感情を取り戻す事と引き換えに、自分自身が戦場で殺してきた兵士達とその家族に対する罪を背負い生きている。

11話で戦死した兵士と家族の悲しみを受け、「不殺」を誓う。

理想論でしかない「不殺」というスタイル

殺せば戦死者と家族に深い悲しみを残す。愛する人が死ぬ悲しみを繰り返したくない。この命題を背負って悩みぬいた結果の行動が「不殺」だった。

メルクロフ准将が象徴する、戦争が戦場でしか生きられない兵士を作り、兵士が生きるために新たな戦争を起こす、という負の連鎖。「不殺」はその負の連鎖を断ち切る事が出来る唯一の手段かも知れない。

しかしながら、愛する人を守るためには、非情となり敵を殺す強さがなければ到底困難。

ヴァイオレットの「不殺」は自身を守ることも出来ない程の「弱さ」としてディートフリートが怒りを込めて主張した。

12話の構図としては、

  • ディートフリートの、愛する人を守るために非情となり敵を殺す=「強さ」
  • ヴァイオレット(≒ギルベルト)は、愛する人の死の悲しみを繰り返さないための不殺=「弱さ」

という二人の対比で終わった。

もともと、ヴァイオレットが超人的な殺傷能力を持った存在であったからこそ、この「不殺」による行動の制限の苦しみが重くのしかかる。殺してしまう方が守りやすい。でも、殺してしまう事の罪の大きさにも耐えらえない。この葛藤こそがヴァイオレットを苦しめるという重いドラマ。

哲学とも禅問答ともとれる、戦争という大きな命題。

果たして、ヴァイオレットの「不殺」はヴァイオレットの心を救えるのか?というのが13話の見所になると思う。

13話見所予想

ディートフリートとギルベルトは死別したが、ギルベルトの「生きろ」の意思を引き継いだヴァイオレット自体が手紙となり、死別したギルベルトの心をディートフリートに届ける事が出来れば、物語としては美しく決まる、と思う。

命令が欲しいだけの道具に感情など不要と思い込もうとしているディートフリートも、ヴァイオレットの感情が芽生えている事に気が付いている。そのヴァイオレットの感情を、ギルベルトの愛した人の感情を認められるか?

そして、もう一つの命題の戦争について。

「不殺」が世界を救うというのは理想論では分かるが、それが出来るほど世界は甘くないとも思う。こちらの決着は付かず、俺たちの戦いは続く的な味わいになると予想しているが、どうか。

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