たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

劇場版 響け!ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜

ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

感想

総括

今更だが、TVシリーズのユーフォは群像劇である。しかし、今回の劇場版では、描く対象を久美子とあすかに絞り込み、思い切って群像劇である事を放棄している。

そのお陰で、思った以上に観やすく、スーッっと脳みそに情報が入ってくる印象だった。

また、あすかの久美子好きな部分が新規シーンで追加されていて、個人的に苦手だったあすかが、少しだけ身近に感じる事が出来た。

そんなわけで、鑑賞後は軽い爽快感を伴う、気持ちの良い作品だと感じた。

私はTVシリーズのユーフォ2を何回も見てきたが、本作を劇場で観れて、新しい発見もあり、良かったと素直に思った。

あすかと久美子(と麻美子)に絞った構成

ユーフォのTVシリーズは、あすかのプレッシャーというものを物凄く大きく強く描いていた。誰よりも強いあすかと対峙するごく普通の一年生部員の久美子。その久美子があすかを全国大会に連れ戻す。

客観的に見れば、たかが女子高生が部活をするか、しないかという話だが、その当事者視点で強調して力強く描かれる。

物語なので、相手の強さを表現するために、視聴者にストレスを与え続け、そのストレスを主人公が打ち返した時に、大きな開放感を得る。

あすかはTVシリーズで何を考えているか分からない強い先輩として描かれ、絶えず久美子に波状攻撃的にストレスを与え続けていた。

それを劇場版で行うと、全体105分の中で、幾つも小さなストレスと解放を繰り返す事になるので、ストレスをかける部分も、あまり大げさではなく、淡々とストレスをかけ、全体の流れの中で無意味な強弱にならないような、ディレクションがされていると感じた。それは、声の演技を中心に特にそう感じる。

また、もともと群像劇だったユーフォを、あすかと久美子のドラマに絞って純度を上げているので、二人に直結しない良いシーンも基本的にバッサリ削除し、ノイズを除去している。

これは人によっては、テレビシリーズの方が強い味わいを感じ、劇場版がパンチ力が低下した、と感じるかも知れない。でも、今回の小川監督のディレクションは一本の映画として考えた時に、やはり正しいかったのだと思う。

そのおかげで、とても観やすくなった、という印象を受けた。

柔らかく優しくなったあすか

今回、追加シーンで強調されたのは、あすかの久美子好きの部分であったと思う。

今回、久美子のふわふわの髪の毛をあすかがくしゃくしゃするシーンが追加された。TVシリーズではうろ覚えだったが、1回くらいしかなかったように思うが、そうしたシーンが割と冒頭にも追加された事で、あすかは久美子の事を気に入っている、好いている事が伝わるように改善された。

もともと、あすかは何を考えているか分からない人間としてTVシリーズでも描かれてきており、結構な冷たい言葉も吐いている。その逆におちゃらけた雰囲気も出していて、掴み所が無い、という印象を久美子にも視聴者にも与えていた。

途中で、勉強を見るという名目でで自宅に久美子を呼び、自分の事情を告白するが、その理由が「久美子の事を好いているから」という事をより補強する形となり、初見でも、そのあたりを掴みやすくなっていたと思う。

全国大会で久美子が姉の麻美子を見かけ、吹奏楽部の挨拶中に抜け出してしまうシーンもあすかが「まぁ、いいから」とその場を見逃す形に改善された。

これは、あすかの久美子へのお礼返しだったと思う。

あすかも全国大会で父に聞かせるために演奏し、滝先生経由で間接的に父親からのメッセージを受け取り繋がる事が出来た。久美子の聞かせたい相手は姉だった事をあすかと共有しており、その事を知っている。更には全国大会に来て父のメッセージを受け取る事が出来たのも久美子が自分を説得してくれたおかげである。

だからこそ、久美子の大切な人との繋がりを優先させてあげる事が、あすかの優しさとして描かれていた。

TVシリーズのユーフォを見て、最終回のあすかを見てもなお、私はあすかの事が苦手だと感じていた。それはあすかが強者として弱者に容赦なく潰しにかかる事があり、「強者故のおごりを持つ者」という思いがぬぐい去れなかったから。

でも、今回の劇場版の届けたいメロディーでは、そうしたあすかの優しさ成分が補強され、その毒気のイメージを抜く事が出来ている。あすかの事を、より身近に感じられる事が出来る演出の改善だと思う。

もしかしたら、小川監督もあすかの事を同じように思っていたのかも知れない。私のその不満をうまく打ち消してまとめてくれた。その事が、本作の後味を爽やかにしてくれているものだと思う。

宇治川土手の「響け!ユーフォニアム」演奏シーン

ユーフォ2期9話、あすかの家に行った時に演奏したシーンで私も大好きなシーン。

劇場版では、これを全国大会や卒業式よりも後のラストに移動して来た。

今回は、最後に回想というイメージでのシーンになると思うが、あすかと久美子が深く繋がったこのシーンこそが、本作のメインである事は非常に納得できるし、個人的には大満足。

TVシリーズでは、このシーンは特殊EDになっていて、それまでのあすかの家での緊迫したやりとりが、視聴者にかなりのストレスを与える映像になっており、最後にこの特殊EDを持ってくる事で、物凄い開放感が得られる、という過剰な演出がされていた。それはともかく、この曲のおおらかな感じや開放感が良い。

このシーンの移動も、鑑賞後の爽快感を出す事に一役買っていたと思う。

プロバンスの風

冒頭の県大会の演奏シーンは、プロヴァンスの風のフルになった。これは想定しておらず、かつ映画館という良好な大音量の空間で堪能する事ができ、嬉しかった。

私は、小説版の第二楽章を読んでおり、気持ちが半分そちらに移ってしまっているが、この演奏シーンで3年生の演奏を見て、あぁ、この時はまだ彼女達もまだ、吹部で活躍していたのだな、と急に寂しい気持ちになった。

全くの余談ですが。

なんか、そういった大きな時間の流れも、ふと感じた劇場版でした。

おまけ

リズと青い鳥

最後にこの事も少し触れておかねばならないと思う。

2018年4月21日に封切られるみぞれと希美の物語は、「リズと青い鳥」というタイトルで、そのキービジュアルは、現状のユーフォとの関連性を見出せないほど、欧州の童話絵本の挿絵のようなものである。

山田尚子監督は、欧州の童話絵本のような映像が好きな話は、どこかのインタビュー記事で読んだ事はある。しかし、ユーフォという作品の中でこのようなキービジュアルをぶつけてくる所が挑戦的である。

しかも、「リズと青い鳥」は小説版の第二楽章でみぞれと希美が3年生の段階で自由曲に選ばれる曲であり、その決着は2018年10月5日発売の小説版の第二楽章後編でのお話である。

さらに、久美子2年生編の石原監督の劇場版も予定されている。

  • 2017年8月26日 小説 第二楽章 前編 発売
  • 2017年9月30日 劇場版 届けたいメロディー公開
  • 2017年10月5日 小説 第二楽章 後編 発売
  • 2018年4月21日 劇場版 リズと青い鳥公開(山田監督)(中身は小説 中一〜高三?、第二楽章 後編?)
  • 2018年x月 劇場版 久美子2年生編公開(石原監督)(中身は小説 第二楽章 前編?)

これを見て、2018年の新作映画2本の時系列と前後関係が合わないように思う。この問題をどうするのだろうか?

大胆な仮説だけど、「リズと青い鳥」はキービジュアルの部分の映像をメインとして、吹奏楽の部分をサブにする二重構造の映画で、吹奏楽部はおまけみたいな感じで、キャラデザインも現状から違うテイストにしてしまう、とか。(全くの妄想です)

なんか、それくらいの勢いを感じさせるティザー広告に感じる。

また、京アニ武田綾乃先生の創作作業がかなり重なって行われていると想像している。小説第二楽章の前編はかなり完成度が高かった。しかし、リズと青い鳥は武田綾乃先生一人のテイストではなく、山田尚子監督含めた、京アニの製作陣との共同制作ではないかと、勘ぐっている。「リズと青い鳥」が山田尚子監督のテイストにマッチしすぎている。

いずれにせよ、小説 第二楽章 後編は読む。それで、二人の物語の方向性は決まると思う。それだけではない、映画作りに度肝抜かれそうな、楽しいような、大丈夫かいなみたいな、複雑な心境でもある。

先は長いが、1年以上先まで、楽しみがあると思えば、それはそれで嬉しい。