たいやき姫のひとり旅

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン 13話『自動手記人形と「愛している」』

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考察・感想

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

「不殺」は貫くことができるか?

ヴァイオレットの命題のうちの一つは、絶対に殺生しない、させない。

ヴァイオレットは代筆の仕事を通して、戦争による理不尽な兵士達の死、残された家族の悲しみの悲痛を知り、それを回避する事を願い実践する。

根本的には反戦。「不殺」=武装放棄じゃなくて、戦うけど相手も見方も殺さない、というところが直球で良い。

しかし、そのせいで、12話テロリスト達の命を守りながら戦い自らの命の危ぶまれる。それでも「不殺」を貫こうとするヴァイオレット。

「不殺」は理想論だが、ディートフリートが言うように、襲ってくる相手を殺さずに大切な人を守れるか?という命題には、応えきれていないと思う。

新作があるとの事だが、メルクロフ准将と「不殺」の命題は、引き続き、宿題事項として残るのではないかと思う。

ギルベルト少佐を亡くした責任

ヴァイオレットは、ギルベルト少佐の元に居た時は、自分を持たず、ギルベルトの命令で動いていた。

ギルベルトは自分を持ち自由にしてよい、と言ってもヴァイオレットにはその言葉の意味さえ、正しく理解できず、逆にギルベルトが軽くイラついた表情をしていた。この表情がディートフリートに似てるところが兄弟という感じ。

ヴァイオレットは、道具として仕上げられ、純粋に道具として生きた。単純に、純粋過ぎた。

だから、道具の主であるギルベルト少佐を失った時、世界の全てを失ったような大混乱が起きた。そして、その事も理解できずに、自分を責め続けた、というのが12話までのヴァイオレットだったと思う。

ブーゲンビリア夫人の言葉

それを救ったのが、ブーゲンビリア夫人の言葉。

ギルベルトを愛しているから、ギルベルトは心の中で生き続けている。だから、バイオレットはギルベルトの死を背負いこまなくても良い。ギルベルトは心の中で生きているのだから、自分を責める必要な無い、というロジックである。

夫人は間違いなく、ヴァイオレットを救うために、わざわざ家に呼び出して、この言葉をヴァイオレットにプレゼントした。頭が良くて察しの良い人だと思うと同時に、ヴァイオレットの情報はディートフリートを通じて聞いたはずであり、ディートフリートがヴァイオレットの事を分かる様に、伝えた事も間違いない。

ディートフリートの言葉

ディートフリートの言葉は、ギルベルトの分まで、生きて生きて、そして死ね。

こちらも、ギルベルトの愛を受けたヴァイオレットをギルベルトと等しく大切に思う気持ちの表れだと思う。

少なくとも、ディートフリートも夫人も、ギルベルト少佐の肉親は、ヴァイオレットを恨んでいない事が判明し、その事だけでも、ヴァイオレットの心を軽くする事が出来るシーンだったと思う。

それに対して、ヴァイオレットの命令は要りません、の台詞。

これは、もうギルベルト少佐依存の人間ではなく、ギルベルト少佐と対等な関係となり、ギルベルト少佐から独り立ち出来た、という意味であり、彼女がこれから一人で生きて行ける証でもある。

ギルベルト少佐への手紙(初めてのヴァイオレット自身が書く手紙)

航空祭でギルベルト少佐に当てて書いた手紙。

最初は、全く書けなかったが、ギルベルト夫人とディートフリートからの言葉を受けて書けた手紙。

ギルベルト少佐は私の心の中で生きています。だから、私も生き続けます。

これは、夫人とディートフリートの言葉そのものでもある。

12話かけて混迷したヴァイオレットの心は、ポジティブな方向で歩み出す事ができたラスト。

思えば、ヴァイオレットの心は、1話時点で赤ちゃんで、C.H郵便社の仲間やルクリアと出会い子供になり、様々な代筆の仕事を通じて成人し、成長した事で自らの罪を責めて苦悩し、どん底まで落ち、最後はギルベルト少佐の家族に救われた、という心の旅だったと思う。

その意味では、見事に着地した物語だったと思うし、このラスト以外は無いな、と思える出来だった。

自動手記人形が50%、戦争が50%の比率

前回のブログにも書いたけど、本作の成分の50%は戦争がテーマになっていたと思う。

自動手記人形という、一般の人との気持ちのやりとりである代筆を扱った話の方が、色鮮やかで、愛を感じ、心安らかに楽しめる、という面は間違いなくある。

なので、戦争という愛の無い世界(厳密に言えば愛を犠牲にする世界)でヴァイオレットが苦しむ姿が、見ていて心が痛み、息苦しさを伴っていたという事も事実である。

しかし、この二つは相反するが切っても切れない関係があり、その事を物語にしたのが本作なのだと感じた。

ヴァイオレットが苦しみ自分を責めたのも、愛を知ったから。

ヴァイオレットが依頼人や宛先の人の幸せを噛みしめられたのも、愛の無い地獄を知っているからこそ。

それを理解しないと、本作は受け止められないと思うし、意外とその事を書いている人は居ない…。

常々思うのだけど、物語は見るものに極度のストレスを与え、そのストレスを解放する事でカタルシスを味わせる。意図的にストレスにさらされるもの、我慢してそれを乗り越えた時に、大きな喜びを得られるからである。これは、感動的なシーンでも、ギャグシーンでも、いろんな感情で揺さぶらされる。

本作は、このストレスの幅が大きすぎて、落ち込んでいる時の心の重さが半端なく、途中で見れなくなる人が居ても不思議じゃないレベルだと思った。多分、石原監督や吉田玲子さんのストーリー構成の力だと思うが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという素材を、真面目に調理してしまった、という感じがヒシヒシと伝わってくる作品だったと思う。

今どき珍しい重めのテーマ

ずばり、テーマは死と生。

他人の死を受け入れられるか?死による悲しみを乗り越えられるか?

生きる事の喜び。愛する人への喜びの提供。

そして、そのどちらも伝える事ができる手紙。時空を超えて気持ちを伝える不思議なツール。

時代にあったテーマでなければ、視聴者が付いてこれない。善し悪しとは違うレベルの話。

今どきの視聴者が、本作をどのように受け止めるのか?興味深い作品だと思った。

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