ネタバレ全開です、閲覧ご注意ください。
はじめに
ついに完結の「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部 決意の最終楽章 後編」が出版されて読みました。
読後感の良い完結に、武田綾乃先生に対して感謝しかありません。
一部、書き切れていない感想、考察は、後日追記します。
- 大幅に加筆修正しました(2019.6.25)
- 「北宇治吹部と久美子の観測者、久石奏」追記(2019.6.27)
- 「滝先生も未熟者」追記(2019.6.27)
考察・感想
黄前久美子の悩み(北宇治吹部の問題点と対策)
久美子が北宇治吹部に悪影響を及ぼしていると考えていた問題は、下記の2点。
- 問題点1:オーディションの結果に対する不満
- 問題点2:滝先生への不信感
これらは相関関係がある。結果に疑問があるから不信感が生じ、不信感があるから結果が信用できない。そして、これらの問題点を放置すると、北宇治吹部内の空気が悪くなり、最終的には演奏に悪影響をおよぼす。
さらに問題なのは、一部の部員が感じていただけならともかく、部長である久美子自身がそう思ってしまっていた事がポイントであり、だからこそ部の空気として浸透してしまったものを覆せない。
これらの問題点に悩み、あすかの助言を経て、久美子が北宇治吹部に対する対策として考えたのは、こんな感じか。
- 問題点1:オーディションの結果に対する不満
- →その人の価値は勝敗で決まるものではなく、誰かにとって誰かは特別という事
- →重要なのは全力を尽くす事!(その先に特別がある)
- →勝敗はその結果だから受け入れろ!
- →その人の価値は勝敗で決まるものではなく、誰かにとって誰かは特別という事
- 問題点2:滝先生への不信感
- →滝先生も苦手分野のある未熟者(=絶対神ではない)
- →その不足分を幹事で補う!
- →滝先生も苦手分野のある未熟者(=絶対神ではない)
この心づもりがあって、全国大会オーディション直前演説に繋がる。
黄前久美子の全国大会オーディション2日前の部長演説
久美子部長の理想は、北宇治吹部=実力主義である。
だけど、今の北宇治吹部は、遠慮だったり、好き嫌いの感情だったり、そうしたものが蔓延し、健全な実力主義とは言えない空気が出来てしまっていた。
先に書いた通り、直前まで久美子自身も迷いの空気の中にいた。それを払拭するための答えはいたってシンプル。部長として部員に要求する事は、ただ1つ。
- (私のために)全力を出せ!
- 全国大会金賞は目標だが、その先にあれば嬉しい。
- 全力を出してオーディション不合格になっても、その悔しさも受け入れろ。(誰かが変えるものじゃない)
この演説が気持ちいいのは、部長である私のために、やってくれ!というスタンス。そこに屁理屈は無い。
多くの人間は、理想を目指すも、様々な煩悩や邪念やしがらみで、いつのまにか迷路に迷い込み、流されてしまう。自分一人でも難しいのに、組織であればなおさらだ。その組織全員の意識を塗り替えるエネルギーが今の久美子部長にある。
麗奈は他人の意識を変える事は出来なかった。2年前あすかを連れ戻した久美子だから出来る他人の意識を変える力。
この演説により、一瞬でオーディションの結果に対する不満は言わない約束になり、気兼ねなく実力を発揮できる空気を取り戻した。
私は、前編からどうやって、北宇治吹部の問題を解決するのか予想もつかなかったのだが、とてもシンプルで力強い解決方法で目からうろこが落ちるとともに、この痛快な展開に感動した。お見事です。
高坂麗奈と黒江真由の対比
真由の存在により、北宇治吹部に生ずる不協和音。麗奈の厳しいスパルタ技術指導により、北宇治吹部に生ずる不協和音。この2つの不協和音が北宇治吹部の空気をピリピリさせていた。
実は、滝先生が北宇治高校に赴任してくる前は、北宇治吹部は非コンクール至上主義だった。その後、滝先生が顧問となって、実力主義に激変し、2年前の全国大会銅賞、1年前の関西大会ダメ金を経て、絶対全国大会金賞を目指す、というコンクール至上主義に変化していった、と考えている。
上記のどちらが良い悪いというのは、一概に言えない永遠のテーゼであり、正解は無い問題と思う。
今回、久美子が付けた落としどころは、両者の折衷案ともいえる。
これに対する、久美子の演説は前述の通り。
麗奈の考え方も真由の考え方も、今回の久美子の考え方とは違うものである。しかし、久美子は、麗奈や真由を間違っていると否定して修正させるような事はしない。そうした考え方の違いを含めて、二人を受け入れている。
もともと、吹部部員が103人。それぞれ考え方が違っていて当たり前で、その多様性を認める事が、2019年のエンタメ作品として、時流に合っているのかも知れない、などと感じた。
それから、書いておきたいのが、この二人は演奏が上手いが、決して完璧な存在では無く欠点も描かれている事。
- 高坂麗奈の欠点:滝先生崇拝が過ぎる
- 黒江真由の欠点:棘のある発言
こうした欠点が二人の周辺に軋轢を作る。(これが物語を転がすアイテムにもなるのだが)
私は、前編での麗奈の技術指導には、基本的に問題なかったというスタンスで考えている。しかし、後編での麗奈が滝先生の悪口をパトロールするとかの、行き過ぎた滝先生崇拝の行動を取る描写があり、明確な欠点が追加で描かれたように感じた。真由の欠点に関しては前編から炸裂していた。
演奏が上手過ぎる登場人物に欠点を付与してきたのは、人間として親しみ易くバランスをとるためなのかな、と考えている。
滝先生も未熟者 (2019.6.27追記)
後編で目からうろこだっのは、滝先生にも未熟者でありヘルプが必要な存在である事に気付くところ。
滝先生は大人で強い。久美子がそう思っていた最たる理由は、2年前の北宇治吹部を全国大会出場まで導いた功績によるところが大きいと思う。滝先生の厳しい指導に従った結果、全国大会に行けたという事実。
美智恵先生との面談で、久美子は大人がいつも責任を持ってキチンと仕事をこなすもの、というイメージを持っていることを伺わせる台詞があった。まさに、滝先生や、美智恵先生の事だろう。
今年の滝先生のオーディション結果について、疑念が生じて質問しても、スラスラと帰ってくる回答はとても論理的なもの。しかし、立派過ぎる故に、その裏に何か隠しているのではないか?という疑念も逆に払拭できない。出来る大人というのは、そういう所も軽くいなしてきそうだし。
しかし、滝先生の疑念に対して、あすかがくれた回答は、意表を突くものだった。
- 滝先生は、
- 音楽は凄いが、人間関係面はまるでダメ
- (2年前、あすかは滝先生の苦手を補っていた)
- 滝先生は、才能だけじゃなく、凄い努力の人
- 音楽は凄いが、人間関係面はまるでダメ
久美子は滝先生に全てを求め過ぎていた。だから、滝先生の迷いを不安と感じてしまう。だけど、そうじゃなくて、滝先生も久美子と同じ、弱点もある人間なんだと。そして、何より、久美子たち北宇治吹部のために努力を惜しまず情熱を注いでいる。
これは、久美子(奏者)の滝先生(指揮者)依存から、対等な協調関係への気持ちの変化でもあったと思う。与えられるだけの関係から、双方に与え合う関係。
麗奈と大好きのハグをするときに、滝先生について久美子が話している。滝先生は凄い。だけど滝先生と久美子の考えは違う。滝先生も間違う時があるかもしれない。だからこそ、滝先生についていくべき、と。
この台詞は、滝先生とは違うからこそ、滝先生を補いカバーする事で、滝先生の役に立てる、ということだと思う。
ならば、久美子がやらなければならないのは、北宇治吹部の不穏な空気を直す事。その先の演説については、前のところで書いた。
今回の滝先生は未熟者のくだりは、久美子の大人になる事への苦手意識を取り除き、滝先生という人間を好きになり、滝先生を人生の目標とするための気付きになる、という展開が見事。もともと素地はあった。雑に考えると強引な流れに感じるかもしれないが、よくよく練られた秀逸な流れだと思う。
北宇治吹部と久美子の観測者、久石奏 (2019.6.27追記)
奏はかなり早い段階で、真由と北宇治吹部の空気の問題を当事者として認識し、客観的にそれを理解していた。
奏が感じていたのは、下記の2点。
- 奏は、北宇治吹部=実力主義、と考えているから…
- 真由の行動への嫌悪
- (実力があるのに)オーディションを辞退しようとするは、北宇治吹部への侮辱
- 奏自身の気持ちに対する迷い
- (実力に関係なく)大好きな久美子にソリを演奏して欲しい気持ちは、実力主義の否定か?
- 真由の行動への嫌悪
奏は、実力主義が理想だから、演奏が上手い真由と久美子が選ばれて、自分が落ちた事には理解がある。(悔しかったとは思うが)
ただ、久美子に1stとしてソリを演奏して欲しい気持ちは、実力主義を否定する事になり、奏自身の中で矛盾となる。その矛盾のモヤモヤを解消できないまま、全国大会オーディション2日前までに至る。奏は、諜報活動に長けていて情報を整理して俯瞰でみる事はできても、悟りで感情をコントロールする事は出来ない。(そこが、奏の可愛い所でもあるが)
奏は久美子が結局、どうしたいのか?を気にした。久美子と言う「お手本」がどのような回答を出すのか?
これまで、北宇治吹部の空気が悪いまま放置されてきた事を理解しているので、奏も久美子が正解を持てていない事は予想しているはずなにの、久美子に正解を求めてしまう。それは奏の久美子への信頼の厚さでもあり、奏の甘さでもある。
その場では、結局、久美子も奏と同じで、どうすれば良いか分からない。ある意味、二人で認識を共有しただけで終わる。
物語的には、久美子が真由の勝ち負けに無頓着との独白を受けた後、秀一と麗奈の喧嘩を経てあすかの所にヘルプに行く前のタイミングであり、久美子と読者に北宇治吹部と久美子の問題を明確にして提供する形である。
私は、この時の奏に怖さに似たモノを感じた。嫌悪と迷いなので客観的に見たら読者にストレスがかかる。しかし、その奏の行動は、なぜこんなにも過激に感じるのか?
その事を考えていたら、奏の行動の原理に正義があるのではないか?と思った。正義があるから、正義に合わない相手を否定する。だけど、気持ちは正義では割り切れない。奏はロジカルなのに心は繊細。繊細だから論理と言う武器を頼るようになったのかもしれないが。
真由は北宇治吹部にとっての黒船だが、真由が最も蹂躙したモノは奏の心だったのかも知れない。
全国大会オーディションは、久美子の演説により、部員全員がオーディションの結果に文句を言わない約束を取り付け、気兼ねなく実力を発揮する空気を作った。だから、真由もオーディションでは全力を尽くしてくれた、のだと思う。
全国大会後に、奏と真由が握手しているのは、真由が全力で勝負してくれた事、そして、その前提として久美子が北宇治吹部に実力主義を取り戻してくれた事があっての握手だと思う。
ただ、真由の本質は変わっておらず、真由のポリシーや棘発言を嫌悪する気持ちは残っているのだと思うが、今の真由の全力を応援している。
嫌悪する点があっても、心から応援できる。今までは正義一本槍だったが、多様性を認める事が出来た事も、奏にとっての変化だったのかもしれない。
私は、この奏を見て、武田綾乃先生ありがとう、という気持ちがあふれてきた。
おわりに
個人的には、大満足。シリーズが完結してしまう喪失感の感想をSNSでよく見かけますが、私の場合、清々しいくらいに、綺麗に終わって良かった、です。
まだまだ、今後、いろいろと感想出てきそうなので、追々、追記してゆきます。
大好きな作品を読めたこと、とても幸せでした。