たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

きみの声をとどけたい

ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

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はじめに

アニメ映画「きみの声をとどけたい」の考察・感想です。

本作は2017年夏の劇場公開作品ですが、2019年夏に動画配信のGYAOにて無料配信があり、それを観てみての感想です。

一言で言えば、女子高生の爽やかな青春ドラマ、という感じの良作でした。期間限定で無料配信されていますので、再視聴の方、未視聴の方、是非観てください。

考察感想

物語について

手堅くリアルな実写寄りの等身大の青春ドラマ

本作の概要をざっくり、2行で簡単に。

  • 湘南が舞台で、ミニFM局で繰り広げられる、7人のJKの清涼感のある青春ドラマ(恋愛要素は無し)
  • テーマは、大切な気持ちを伝える事

本作の脚本が良いな、と思ったのは「コトダマ」というマジックアイテム以外は、いたって普通の青春ドラマなところ。寝たきりの母親の朱音という問題はあるが、普通に友達付き合いの中でのすれ違いだとか、どうせ無理ってあきらめてしまう友達に、あきらめない様にエールを送ったりだとか、大袈裟過ぎない等身大のドラマにあふれているところだと思う。

なぎさの素直な気持ち

なぎさはコトダマを信じており、不思議な事になぎさだけがコトダマを目視できる。コトダマは喋った事が現実に起きてしまうのだが、悪い言葉は自分に返ってくるので、なぎさは他人の悪口を言わない。どうしても我慢できず言いたくなった時は、近所の蛙口寺の鐘の中で一人その気持ちを叫ぶ。

カエルに導かれ雨宿りで立ち寄った無人の喫茶アクアマリン。その中にあるDJブースで、友人同士の喧嘩の事で寂しい思いをしている事を、誰に聞かせるともなくマイクに向かって喋ってしまう。かえでに対しての怒りは先ほどの蛙口寺で発散したが、その後に残るなぎさの気持ちは、本来であれば誰にも言う事無く呑み込んでしまうたぐいのモノだった。しかし、マイクがその心を紐解いてなぎさに語らせた。相手の顔が見えないラジオという媒体が喋る人の素直な気持ちを引き出す。その事が思いを届ける重要な第一歩だったのではないかと思う。

この放送がキッカケになり、紫音との繋がりが生まれ、友達を巻き込み、楽しくラジオ放送を楽しむエンジンになっていた。これが出来たのもなぎさだからこそ。なぎさの明るさが、人を集め、楽しさを増幅させ、願いを叶える。

かえでと夕の確執

夕は家柄の良いお嬢様であり、地元の有力者である祖父を尊敬していた。祖父のような立派な人間になりたい。そのために人知れず努力をしてきた。しかし、かえでの目には、どうしても祖父の威厳がちらついて見えてしまい、その事が気にくわない。だから、夕の成果に対しても色眼鏡で見てしまうし、かえでが歯に衣着せぬ物言いなので、祖父の七光りとストレートに悪口を言う。夕は尊敬する祖父の事を悪く言われるとカチンと来る。そして毎回、険悪な雰囲気になるという犬猿の仲である。

だが、昔は仲よく過ごした友達だった。しかし、小学生頃からだんだんと関係が悪化した。

今回のドラマでは、ラジオを通して素直な気持ちを伝えて仲直りしてゆく過程が描かれるのだけど、簡単には仲直りせず、紆余曲折あったのが面白い。

まずは、かえでから夕。夕のラクロス部部長が上手くいっていないとの噂を聞いたかえでは、なぎさと共にラジオを通して夕にエールを送る。

後日、アクアマリンに来た時に立ち退き工事が始まっていて、夕が1週間延期を祖父に掛け合う話が出てきた時に、かえでがいつもの口調で、夕と夕の祖父の悪口を言って最悪な雰囲気に。かえでをビンタしたのはなぎさだったが、夕はラジオを聞いたと伝えに来るためにここに来たと言い残して、その場を飛び出して行った。いつものかえでの悪い癖で一旦台無しに。この気持ちのすれ違いのドラマが魅せる。

飛び出した夕を見つけたなぎさは、夕の祖父への尊敬の気持ちと自分も祖父のような立派な人になりたい、とハードルを上げて生きてきた告白を聞き、偉いなあ、となぎさは泣いてしまう。その後、今度はなぎさと夕がラジオを通して、夕が陰で頑張っている事をかえでに伝えて、その気持ちがかえでに伝わる。

ココでのポイントは、2つあると思う。

1つ目は、一方通行のラジオだからこそ伝わるという事。直接会うと喧嘩になるのに、ラジオだと一方通行であるが故に、反論する事ができず、黙って全部聞くしかない事が、相手の気持ちが心まで届き、しみ込んでくる、という事だったと思う。

2つ目は、なぎさの存在。なぎさは幼少期からのコトダマ信仰のおかげで常にポジティブである。そして二人には仲良くしてもらいたい。負けず嫌いで頑固な二人をつなぐ接着剤になったのがなぎさだった。かえではともかく、夕は思った事が口にしない部分がある。夕の気持ちは、なぎさが拾わなければ、かえでには届かなかった。いい言葉がいい関係をつくるというなぎさのポリシーに沿った働きだったと思う。

12年間の朱音と紫音のコミュニケーションの壁

12年前の交通事故で意識不明のまま現在に至る朱音。事故の前は喫茶アクアマリンのミニFM局で弾き語りで歌ったり喋ったりして、優しく楽しい人柄がにじみでる放送に地元リスナーからの人気もあった。そして、病床の母親を12年間待ち続けた娘の紫音。

紫音は母親の居ない12年間の人生で、母親が居ない事を半分受け入れ、母親に生きて帰って欲しい気持ちも半分持っていて、という状況だったと思う。小学、中学、高校と母親が欲しい時期に不在で、転校しがちで友達も積極的に作らずに、孤独感とともに生きてきたのだと思う。この状況であれば、諦めてしまうのが普通なのかも知れない。

話しかけても反応は無い。話ても話しても声は届かない。12年間の母娘のコミュニケーションの断絶。

なぎさのラジオを偶然聞いて、自分でもミニFM局で母親に語りかけたい。湘南の病院も、ミニFM局もこの夏が最後なのだから。今度は紫音のラジオを聞いてなぎさが駆けつけ、あきらめの紫音の心を号泣しながら叱咤する。どうしてこんな事言うの?! 母親にも声が届くはずと、コトダマを信じ、常に前向きななぎさの思いは、紫音を巻き込んで雪だるまのように転がり始めた。

ミニFM局を通して、なぎさ、かえで、雫、あやめ、乙葉、次々に仲間が集まってくる。ラジオで母親に伝えるという願いを軸に、皆が思い思いに、ラジオを作りに来る。一人では出来ない。仲間がいるからこそ作れるムーブメント。カラオケ、夏祭り、レコーディング、楽しい時間を過ごす紫音。

そして、タイムリミットが訪れる。

夏休み終わりの1週間前、喫茶アクアマリンの解体工事が始まる。紫音はなぎさ達にこの事を当日まで言えずにいた。あなたたちが勝手に盛り上がってたんじゃない! 思わずそう言い訳してしまう紫音の心が苦しい。

結局、この日の夕方の、なぎさと夕の放送を最後に、ミニFM局を終了すると宣言する紫音。お祭りの終わり。

やるだけはやったという気持ちなのか。やっぱり無駄だったという気持ちなのか。巻き込んでしまった事を申し訳ないと感じたのか。母親に声は届かなかったという事実を受け入れなければいけない時が来た、という事だけは確かだったのだろう。

この状況でもなぎさ達は諦めていなかった。母親の病院移転の途中、なぎさからミニFM局で声を届けるとの連絡が入り、カーラジオを付けて放送を聞く紫音。なぎさ達だけでなく、商店街の人も集まって、蛙口寺境内からライブ放送をしている。みんなの声のコトダマが、みんなの目にも、紫音の目にも映る。そして、紫音の声が朱音に届いて朱音が反応する。奇跡が起きた。

紫音と朱音の件は、奇跡で幕を閉じるが、ドラマとしては紫音のあきらめグセ、孤独グセに対する、なぎさのカウンターなのだと思う。ネガ思考とポジ思考の衝突と言っていもいいかも知れない。物語としては奇跡は観客へのプレゼントだが、ドラマとしては紫音の凝り固まった心をなぎさがほぐし、仲間と居る楽しさを知り、投げやりにならずにあきらめない大切さを知り、そうした事がメッセージなのだと思った。

設定、小道具について

ノスタルジー溢れ温かみのあるアナログなオーディオ機材

棚を埋め尽くすLPレコード。スライド式の大きなミキサーのつまみ。LRで2個並んだアナログ式のレベルメーター。OAを録音したカセットテープ。商店街に電波を繋ぐために各店舗に設置されていたトランスミッター。LPレコードのビニールをなぞる時の感覚。カセットテープデッキのテープの回転。半田ごての電子工作。こうしたものを丁寧にアニメーション映像に落とし込む。

レコードがCDにとって代わるのが1980年代の後半。喫茶アクアマリンのオーディオ機器はそれよりも古い。こうしたアナログ機器は、50歳未満くらいの人だとあまりピンと来ないかもしれないが、逆に50歳オーバーくらいの人ならとても懐かしさを感じるのではないだろうか?今ならラジオや音楽は配信で聞けるし、録音や編集はPCで出来るから、こうしたアナログ機器も見かける事が殆ど無くなった。だから、とてもノスタルジーを感じるし、それを今どきの女子高生が操っているのが面白い。

居場所としての喫茶アクアマリン

喫茶アクアマリンは集いの場。

12年前までは朱音が弾き語りながら常連客が集まり、今は紫音やなぎさやみんなが集まる、楽しく賑やかな場所の象徴として描かれる。ファミレスじゃない、誰かの家じゃない、部外者に気を使う必要もない、そうした場所に存在意義があるし、本作を観ていて、この場所が素敵だなと思わせてくれた。

ふと考える。こうした気の合った仲間同士が気兼ねなく楽しめる隠れ家みたいな場所って、今持っているのか?ネットの時代、気の合った仲間と会話するぐらいならできるけど、集まって何か1つの事をわいわいとする事があるのか?(いや、趣味や仲間つくりに長けた人もたくさんいると思うけど)

しかし、夏休み残り1週間というタイミングで解体工事が着手され、養生シートに囲まれる。お祭りの時間の終わりをビジュアルに伝える演出が良い。これは、物語なのでひと夏の物語の終わりに、登場人物の気持ちに、節目を付ける意味もあったのかと思う。抜群の保存状態だったLPレコードもアナログカセットテープも結局は永遠では無い。人が居なければ、高速で朽ちて果てる。

そうした事に対するノスタルジーが喫茶アクアマリンにつまっているから、この場所が、この建物が、この景色が、なんとなく心をくすぐるのだと思う。

(下記の脚本家インタビュー記事で、ラストで蛙口寺から放送するために、喫茶アクアマリンの退場は必要だった、との話を見て、あーそうなか、と思いました。面白い記事なので、後で読んでみてください。いや、戦隊モノじゃなくてホントに良かった)

作画について

魅力的なキャラクター

とにかく、青木俊直さんの原案のキャラデザが可愛い。

少ない線で、キャラの個性を描き分ける。目が真ん丸だとか切れ長だとか、顔の形が卵型とかホームベース型とか、そうした記号の組み合わせで作るキャラの雰囲気作りに長けている。もう一つ言うと、キャラに色気を感じない所も清々しく思う。とにもかくにも、キャラデザは本作の看板である。

ちなみに、後に制作された「ひそねとまそたん」(2018年4月放送)ではアニメーションのキャラクターデザインは伊藤嘉之さんが担当で分業していた。この時のインタビュー記事があるのだが、いろいろと興味深い。

  • 「ひそねとまそたん」キャラ原案デザ対談! - アキバ総研

    ”(青木さんの絵は)でもそのラフな感じが味なので、そのゆるい感じを どうしたらアニメで表現できるかと考えました。 ただそのいっぽうで、この絵はピーキー過ぎて、誰もが描けるわけではないんです。 僕自身も描けるかわからなかったので、そこを整える方向で、キャラクターが 醸し出す雰囲気をできるだけ表現したいと思いました。”

青木俊直さんの絵は、マンガ的なのだと思うが、アニメとして動かす際にやりにくい部分もあるという事らしい。誰が描いてもそういう違和感が出ない様にするのが、キャラクターデザインの仕事という事なのだろう。

本作でのアニメーションキャラクターデザインは高野綾さんがやられている、「ひそねとまそたん」と比べると、青木俊直さんのラフな感じの絵の印象により近い印象を受けた。

また、リアル寄りの青春ドラマではあるが、キャラデザもシンプルな線で良い意味でアニメーション的な面もあり、アニメならではのコミカルな動きも見られたのも良かった。こうした少しのデフォルメが芝居が重くなり過ぎないように気持ちよい雰囲気作りに貢献している。

芝居について

良い意味で素人っぽさの溢れる芝居

本作のメイン6人のキャストはオーディションで選ばれた。オーディションの情報は下記参照。

本作では歌を歌う事も前提になっていたので、歌唱力も必要だったのだと思うが、本作を観た率直な感想は、良い意味で素人っぽい演技だな、であった。

物語がJKの日常が基本となりつつ、それなりに感情のぶつかりあるドラマもあるのだけど、それがベテラン声優の油が乗り切った演技よりも、かえって自然な感じで聞けた。フレッシュな新人女優がドラマに出演している感じと言えばいいのか。個人的には、作風に合っていたと思う。

おわりに

大作ではないけど良作。ひと夏の終わりに似合う、清涼感溢れる作品だと思いました。

ラストの軌跡は、まあそうなるよねって感じでアレなんですけど、改めて途中のドラマが結構冴えています。2,3度観ましたが、割と飽きずに見れる、スルメの様な作品です。オススメです。