たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

すずめの戸締まり

ネタバレ全開につき閲覧ご注意ください。

はじめに

いつもの長文の感想・考察です。

新海誠監督の最新作は、今までと少しテイストが変わってて、若者のギラツキ感が少な目で、多少大人びた雰囲気に感じました。

その意味で、見やすく個人的にも好印象なのですが、人によってはパンチ力不足に感じるかもしれません。

ド直球の震災映画として、他の震災映画(アニメ映画)とも少し対比しながら、メッセージについて考えていました。

また、「震災映画」という観点でもブログを書いてみたので、よければ合わせてご覧ください。

感想・考察

新海誠監督にしては、珍しく非青春映画であること

今回の作品で思ったのは、新海誠監督にしては珍しく主人公が媚びていない女性で、カップルになる異性が大学生の美青年で、なおかつ彼は大半をコミカルな椅子の姿で過ごしていた事。これは、従来の新海誠監督作品の青臭さが残る少年(青年)と美少女ヒロインの構図と逆転している。すずめがJKながらある種の勇ましさでサバサバした感じだったこと、草太が色気感じさせる美青年だった事を考えると、ジェンダーレス感がある。

昨今の映画でジェンダーレスは当たり前の潮流であり、その流れに乗っただけかもしれない。しかも、草太は大半が椅子の姿で行動していたので、恋愛要素としては薄めのディレクションと感じた。そのおかげで本作が震災という大きなテーマに対し性差なく扱いやすくしていたと感じた。

ド直球の震災映画として

本作は、ド直球で東日本大震災をテーマにしている。アニメの震災映画としては『岬のマヨイガ』や『フラ・フラダンス』があったが、これらの作品に比べて本作は被災者の悲しみを全面に押し売りする作風ではない点が違いだと感じた。その意味で説教臭くないし、鑑賞後の雰囲気は本作の方がカラッとしていたと思う。

下記の作品について、以前ブログを書いているので、良ければ読んでいただきたい。

本作の震災映画としての〆方は、死別や喪失のとてつもなく大きな悲しみ痛みがあっても、人は未来に向かって生きてゆく事ができるという事を、震災後12年後のすずめの口から過去形で言わせて、辛すぎて忘却していた12年前の悲しみの自分を受け入れる事が出来た、というもの。被災者に対する辛かったね、頑張ったね、という安全圏からの慰めではなく、当事者が乗り越えた(=乗り越えられるよ)という報告の形を取っている点が良いなと思う。

地震という自然災害をファンタジー的に視覚化したミミズの描写が面白くもエグい。後ろ戸から出てくるミミズ、それを閉じて地震を阻止する閉じ師。ミミズが大空にそびえ立ち地面に落下する前に閉じれればOKというルールが提示される。宮崎では地震が起きてしまったが、愛媛では食い止めた。物語はその後も神戸⇨東京⇨仙台とロードムービーの形をとりながら舞台を移してゆく。

この辺りのファンタージー設定を、短時間で一気に分らせる映像としての密度は高く、アニメーションならではの迫力と説得力がある。

閉じ師の必要性

閉じ師は地震を抑え込むために開いた後ろ戸を閉じて廻っているというが、なぜ、人間がそのような仕事をせねばならないのか。

劇場で配布されていた「新海誠本」によると、土地を使い始める時は地鎮祭があるのに、土地を使い終わる時には神様に依頼しない事を不自然に感じた事が着想にあるような事が記載されていた。

その意味では、土地を使い終わって返却するときのお祭りと言うこともできなくはない。

戸締りする際に聞こえる、昔そこに暮らしていた人々の声が聞こえる。それは、東日本大震災で亡くなられた人たちの事を時折思い出し、忘れずに供養してゆくための演出に思えた。だからこそ、閉じ師は人間でなければならないのだろうと想像している。そうでなければ、震災映画としての物語が成立しない、と思う。

そう思いながら「新海誠本」を読み進めていたら、仙台の常世での震災時の漁船や倒壊した家屋の再現は、最後の方で付け足した演出と記載されていて驚く。私は当然、こちらが先だと思ったので。

まぁ、制作エピソードなんて精密なドキュメンタリーである必要はなく面白おかしく改変してもいいような気もするし、どっちでもいい事ではあるが。

ダイジン=神様=子供

猫の形をしたダイジンは、神様という事だった。悪戯好きで気まぐれで、それでいて特殊な力を持っていて、人間を翻弄する。

当然ながら、人命は大切なものであり、人間社会では人命最優先と教育される。しかし、地震というのは人間の倫理観とは無関係で、人命と人間の営みを一瞬で大量に奪い去ってゆく。神様とは無慈悲な存在。その乖離の大きさゆえに、被災者は大きな悲しみや怒りや無力感で、心がバグる。俗にいうPDSTである。

ダイジンの振る舞いは、神様そのものだったと思う。人間の気持ちに合わせて振る舞うという事はなく、あくまで気まぐれで無慈悲なキャラクターである。猫の姿をしている設定は絶妙である。

最初に猫に実体化した時は、痩せ細った子猫の姿だった。すずめが食事を与えそれを食べた事で普通の太り具合の状態に変化した。その後、草太を要石として椅子に封じ込め、自分は要石としての仕事を放棄し、その場から逃げ出す。すずめの事を気に入っており、東京で草太の代わりにすずめの側に居られるようなりたがったようだが、すずめに突き放され常世の中に潜り込む。

ダイジンの体の太り具合、大きさは、神様に対する信仰心の量に異存するように思えた。神様として忘れ去られた要石が人間に優しくされたという事で、力を取り戻し、すずめに執着したように思えた。

旅の途中で、実は後ろ戸を開けていたのはダイジンではなく、ダイジンはすずめと草太を道案内していたに過ぎない事が分かる。これは、『ごんぎつね』を想像させる。人間もまた、無慈悲なのである。

本来、神様というのは人間の希望を汲み取らない存在だと思うから、ダイジンがすずめを好いてすずめのために行動したというのは、本来の神様とは違う。

しかしながら、日本では神様にお供えをして祈願してきた歴史があるので、人間と神様を繋ぐ存在であったのだと思う。

環とすずめの口喧嘩とサダイジンについて

東北に向かう途中、雨降りのため停車した道の駅で、すずめと叔母の環の口喧嘩がエスカレートするシーン。すずめは叔母の愛が重い!(意訳)と口走ってしまい、売り言葉に買い言葉で環は、あんたのせいで人生めちゃくちゃ!(意訳)と口走ってしまう。ここですずめも環も相当に凹み、環は腰が抜けたように倒れこむ。ここは不思議なシーンで、環の後ろにサダイジンが現れ環を操っていたようにも見えた。

口に出すまいと封じ込めてきた鬱憤のエネルギーが一線を越えて爆発、である。さながら地震が発生したみたいに。作劇としては、雨降って地固まるではないが、お互いに歩み寄りがあり、2人の関係はいい雰囲気に修復されてゆく。

実は、本作には感情が高まって相手を全否定しまうシーンがもう1つある。東京のミミズを草太(=要石)で後ろ戸を閉じるときに、すずめがダイジンの事を、あんたなんて大嫌い!(意訳)と言うシーンである。ダイジンはその後、しょんぼりして常世に入り込んで戸締りされる。

もともと、すずめもダイジンも親の居ないひとりぼっちの子供である。相手の心配をよそに無邪気に行動していた事で、どれだけ迷惑をかけてるのよ!と叱られたという意味で、同じ構図だったと考えることもできる。

ここからは考えすぎかも知れないが私の解釈という事で。

すずめが環にキレられた事で、ダイジンに対してどんな仕打ちをしていたか理解してしまったのではないだろうか。同時に、自分が環に対してしてきた事も。この事があるから、ラストに向かってダイジンに謝罪の気持ちが持てるし、叔母とも和解できる。

では、なぜサダイジンは環の爆発を即したのか? 結果的に環とすずめの関係は修復されるが、サダイジンは神様であり、人間関係にはあまり関心がなさそうに思う。個人的に考えているのは、ダイジンが余りに不憫だったため、すずめに同じ体験をさせて懲らしめたのかもしれない。

思えば、サダイジンは神様の大人で、ダイジンは神様の子供のようにも思える。直接の親子ではないように思うが、その関係は環とすずめのような関係なのかもしれない。

岩戸鈴芽(いわとすずめ)

すずめは4歳の時、東日本大震災で母親を失い宮崎の叔母の環の家で育てられる事になった。当時すでに母子家庭であり、父親の存在については不明。

この時、常世に入り込み、居なくなった母親を探し回るが見つからない。そして、17歳のすずめから椅子を渡され扉を出て現世に戻った。3.11から椅子を貰って現世に戻るまでの間、絵日記は黒塗りのページが続いていた。演出意図としては現実を完全にシャットアウトし拒絶していたという事だろう。母親と死別した意味さえ呑み込めず、生死の際を彷徨った。そして、生きるためにその悲しみの記憶に鍵を掛けた。

叔母との生活は、それほど荒れているようには見えなかった。ただ、互いに気を使い過ぎてぎこちない部分もあったのだろう。すずめも17歳だから高校卒業したら看護師になって自立しようとしていた節があった。自分のために、迷惑かけているという負い目の気持ちもあったのだろう。叔母には自分のために時間を使ってほしい。

すずめは少し変わり者として描かれていたと思う。普通に友達もいるが、登校中に突然回れ右して帰ったり、その後、重役登校したり、それでも友達はいつもの事みたいな感じで見ていたと思う。

ミミズを見て廃墟まで戻り草太の戸締りを手伝う。その危険に対しての躊躇の無さが普通の女子ではないと感じた。この勇敢さと表裏一体にあったのは、すずめが生死に無頓着で死を恐れていなかったから。幼少期に常世で死の淵を彷徨い、もともとあの時半分死んでいた人間だったという無自覚な感覚があったのかもしれない。自分の命に無頓着であるという事は、自分を大切にしてくれた人が死別で受ける悲しみが分らないという事である。もしくは、大勢の人の悲しみを見るくらいなら自分の命なんて粗末にしてもいいと考えているのか。いずれにせよ、それは母親と常世の記憶を封印してきた事と直結しているのだろう。

一方で、一目で草太に惹かれるという描写があり、すずめと草太の男女のロマンスも描く。もっとも、草太がすぐに椅子の姿に化けさせられるため、ビジュアル的には滑稽なやりとりである。それゆえ、恋愛ドラマは重くならない軽めのディレクションだったと思う。なぜ、草太だったのかは結局わからなかった。常世繋がりの縁なのか、たんなる面食いだったのか。

道中で千果やルミに出会い、世話になり、家族のように楽しく過ごす。千夏は大家族、ルミは母親と子供の人間関係を疑似体験する。しかし、その先々でミミズが現れ、草太と協力して後ろ戸を閉じる。東京に向かう新幹線ですずめは田舎者丸出しだった。東京で育った草太とは対照的に、すずめは地方の小さな世界にしか居なかった。旅先で彼女たち家族は、それぞれを生き、それぞれを暮らしていた。旅というのは、基本的に楽しいものである。見たことのない風景。旅先でのもてなし。旅の恥はかき捨て。草太と一緒だったとはいえ、すずめが主導の一人旅のようなものである。結果的には、早く自立したいすずめにとって、良い経験になったのかもしれない。

東京のミミズ退治は、非常に辛い結果に終わる。草太が大学生で人望が熱い事、教員になる夢があったが今年の受験を棒に振った事、まだ生きたいという未練がありながら無念にも要石になってしまった事。皮肉にも、この世に未練のないすずめは生きてしまったというのが辛い。

草太の祖父の助言により、常世に入る方法は幼少期にすずめが常世に迷い込んだ扉を探す。草太の友人の芹澤、叔母の環、すずめ、そしてダイジンの3人と一匹のドライブである。途中、道の駅でサダイジンも合流する。

宮城の住宅跡地の庭で、幼少期の絵日記を掘り起こして見る。3.11以降何ページも真っ黒に塗りつぶされた絵日記だが、めくった先に常世で受け取った椅子と母親らしき女性の絵。辛すぎて忘れていた記憶との再会。あの時、すずめは死にかけて常世を彷徨っていた。すずめは草太に惚れ無念を知るから、常世に行って自分の命に代えても草太をこの世に戻したい。

常世ではミミズが大暴れしておりサダイジンが抑え込む。要石の役割は草太→ダイジンに切り替わり、草太+すずめ+サダイジン+ダイジンでミミズを抑え込む。

この時見た東日本大震災の被害現場と、この時に聞いた被災者の声ですずめの心が引きちぎれそうになる。最後に4歳のすずめに出会い、椅子と励ましの言葉を渡す。どんな事があっても、未来を生きてゆけるよ、と。これは、4歳のすずめを励ますための言葉でもあり、17歳のすずめにとっても励ましになっている。辛い過去があっても生きられた(=生きられる)のだと。

すずめの問題の1つは自分自身を大切にしない事だったと思うが、草太と一緒に生還したことで惚れた男と一緒に生きるという楽しみとともに、自分が必要とされる人を心配かけないように、自分を大切に生きてゆくのだろうと思う。

おわりに

本作は、エンタメとしての楽しさと震災映画というメッセージをド直球で投げ込んできた作風に感じました。主人公が男子ではなく、媚びていない女子だったことも、個人的には見やすい要素だったかもしれません。

本文中では、「岬のマヨイガ」「フラ・フラダンス」に比べて、震災のメッセージが息苦しくないテイストになっている事は、大ヒットが約束されているような大作では、このあたりが落としどころだったのかもしれない、などと勘ぐってしまいました。

個人的には、文句つけるところは特になく、多くの人が楽しめるエンタメ映画だったと思います。

HP ProBook 635 Aero G8 レビュー

はじめに

ノートPCをリプレイスしたので、そのレビュー記事を残す。

正直、HPのビジネス向けのノートPCというのは地味すぎる存在なのですが、それゆえプロの道具感にあふれていて、個人的には好感が持てます。

また、HPは世界規模の大手PCメーカなので、サポート体制やツール類も充実している安心感もありあます。

ただし、HPはクセが強いと言いますか、仕様的に不満な点もいくつかありますので、個人的に気になっている点も列挙します。

本気種の選定の経緯についても書き記しますが、自己満足的な長文なので、レビューの後半に記載します。

本製品の概要

HPのビジネスノートPCの命名規則は下記ではないかと思う。名称でおおよその製品の位置付けが分るようになっている。見てのとおり、ProBook 635 Aero G8は、HPビジネスノートPCのミドルレンジのモバイル機である。

ちなみに、G8はG7のマイナーチェンジモデルである。同一筐体に毎年更新されるAMD Ryzenのアップデートを施したものと思われる。G7が発表されたのが2020年11月末。おそらく、後継機のG9は、2022年の11月末に発表されると思われる。つまり、いい意味で枯れたPCである。

開封

宅急便で送付されてきた箱と同梱品。以前、DELLLenovoのノートPCは海外から直接送付されてきたが、HPは国内生産品でなくても、東京から送付されてくる。簡単なマニュアルなどは日本語で親切ではある。いずれにせよ、シンプルな箱詰めでゴミ出ししやすい点は助かる。

本体左右の端子郡。

本体背面裏側。WindowsのライセンスシールとWWANカードのSNシールが貼ってある。カッコ悪いのでWinの方は剥がすと思う。銀色ボディにWWANの黒シールは目立つ。

液晶天板は180度弱開くので使いやすいが、全開でもやや浮いた感じになる。

ハード

デザイン・質感

  • オール金属筐体
    • きれい
    • 掃除が楽
  • とにかく地味

見た目はHPのビジネスノートPCそのもの。筐体はオール金属性である。天板と底面はマグネシウム、キーボード面はアルミニウムだと思う。

私は過去にノートPCをアルカリ電解水で拭き掃除して、せっかくのThinkPadの梨地塗装をべたべたにしてしまうという大失態を何度か起こしている。その点、本製品は金属筐体なので無水エタノールでガンガン拭ける。5年くらいは使い続けるノートPCなのでお手入れが簡単な事は重要なポイントである。

金属の美しさを生かした筐体のため、見た目の質感は高い。しかし、約1kgの軽量筐体ゆえか、MakBook Airのようなアルミ削り出し筐体のようなガチガチの硬質感はない。天板を強く押せば軽くたわむが、それは耐荷重を考慮した設計なのであろう。

ちょっと面白いのは、天板を閉じてサイドから見たときに天板とキーボード面の間に隙間ができている。それまで使っていたDELLのノートPCやThinkPadはここに隙間ができないようにキッチリ設計されていたが、この辺りは緩めの設計である。もちろん、液晶面とキーボード面の圧着を考慮した隙間なのであろうし、使い勝手には何の影響もない。気にする人は気にするかもしれないが、私は気にならないタイプである。

また、液晶天板のヒンジは、完全に閉じた状態から2cm程度はトルクなしで開閉する。別の言い方をすると、本製品の両端をもって天地を逆さまにすれば、重力で2cm程度開く。これは、片手で液晶天板を開閉できるように考慮したものであろう。実際に片手だけで開閉するのはちょっとコツが必要だが、老舗メーカーの軽量機の使い勝手のノウハウの蓄積によるものだろう。

しかしながら、こうした工業製品としての品質よりも、本製品のデザインで重要な事は、デザインが地味なところにある。

世間では、MacBook Airなどをカフェで広げてドヤ顔するという自慢行為があるようだが、このノートPCは第三者の視線を全く集めない。この気負いなく使える地味さがイイ。多くの人はこの製品の名前を正確に言い当てる事は困難であろう。道具というのは、さりげなく気負いなく使えるものがカッコいい。

重量

  • モバイル機として必要十分な軽さ
    • 本体重量は、1.060g
    • ACアダプターは、234g

個人的には、今までのノートPCが同サイズで1.2kgだったので、約1kgというのはすごく軽く感じた。すぐ軽さに慣れてしまうかもしれないが。

今時、1kg未満のノートPCも珍しくないが、バッテリー持続時間とのトレードオフの関係もあり、バランス良くまとめられていると思う。

キーボード

  • 非常に良い
  • 押し込みが軽くて、軽快に疲れずに打鍵できる
  • PageUp/PageDown/Home/Endは、Fn+矢印キー
  • キーボードバックライトは無し
  • 個人的にちょっと惜しい点…
    • スペースキーがホームポジションの真ん中になっていない(多くの日本語キーボードがそうだが)
    • 電源ボタンがキーボード右上DELETEキー左に入り込んでいる。

キーボードは本製品の美点である。

打鍵する際の押し込みの力が軽い点がいい。以前使っていたDELL Latitudeや、ThinkPadはこの点キーボードの押し込みにある程度の力が必要だった。私はできるだけ軽く入力したいので、HPのノートPCのキーボードは歓迎である。

キーボード上の文字もシールではなくプリントであるため、キートップの見た目もきれい。

ちなみに、本製品はキーボードバックライトが搭載されない。男らしく潔い。私は余計な配線や消費電力になるためキーボードバックライト不要派である。しかしながら、世間一般ではキーボードバックライトは当たり前なので、その点は注意点である。

ちょっと脱線気味の話になるが、キーボードの話をし始めると、最終的には宗教染みた話にならざるを得ない。

あまり沢山のノートPCを触ったわけではないが、個人的にはやはり、Fujitsuのキーボードの打ち心地が王者だと思う。以前、家電量販店でFMV Chromebook 14Fを少し触ってみたが、評判通り、本当に打ち心地がいい。軽く押し込めてストロークが深く底突き感なく、ストレスを感じずに軽やかにタイプできる。

それと比較すると、HPのノートPCのキーボードは、軽さはそのままに、多少ストロークが短い感じである。ただ、前述のとおり、押し込みの力が軽くすむので、疲れにくい。

ちなみに、ThinkPadのキーボードも悪くはないが、HHKBを使っていたら固く感じるようになってしまった。一緒に使っているキーボードなどで印象は変わってくるものである。

あと、ちょっとした残念な事をいくつか。

個人的にはキーボードのホームポジションに指を置いたところが入力系のセンターになって欲しい。以前使っていたDELL Latitudeはスペースキーがちょうど「V」「B」「N」の真下にくるレイアウトで丁度センターに来ていた。付け加えるなら、スライドパッドも筐体中央に位置しているため、ホームポジションからみて右側にずれている。

なぜ、DELLはスペースキーをセンターに配置できるかといえば、右Altキーを廃止しているから。しかし、HP含め多くのメーカーは右Altキーを残しているので、スペースキーがセンターから右にずれる。完全に好みの問題で、左側にずれていたところで不都合はないと思うが、指が慣れてしまったので少々違和感がある。右Altキーとか使ってますか?

また、電源ボタンがキーボード内に配置されている。コストダウンからかもしれないが、個人的にはキーボード外に専用の電源ボタンが配置されている方が使い勝手がいいと思う。ただし、これで困っているということもない。

タッチパッド

  • 使い勝手はやや使いにくい
    • 独立した左右ボタンは無し(スライドパッドの左下端、右下端を押し込むタイプ)
    • 慣性スクロールの勢いは弱め

正直、タッチパッドはあまり褒めるところはない。

タッチパッドの機能は、

  • (a) マウスポインタの移動
  • (b) 左ボタン(ダブルタップ、もしくはスライドパッド左下物理押し込み)
  • (c) 右ボタン(スライドパッド右下物理押し込み)

である。多くの場合は、(a)のみ、(b)ダブルタップのみで操作できる。しかし、ドラッグ&ドロップや、右ボタンメニューはどうしても、左右の物理押し込み操作が必要になる。

本製品はこのパッドの押し込みのストロークも大きく感触があまり良くない。世間一般的にも、左右ボタンは個別の物理ボタンの方が好まれるところである。

以前仕事で使用していたHP EliteBookも同様のスライドパッドであったが、左下押し込みのメカスイッチが馬鹿になりかけていたので、あまり酷使したくない感じである。電車内とかはともかく、本製品は結局、Bluetoothマウスを使ってポインタ操作する事になると思う。

液晶

  • 色味が悪く、白色が黄色気味に表示される!
  • それ以外は、可もなく不可もなく

通販製品の液晶パネルは賭博みたいなところはあるが、液晶については正直がっかりした。他のノートPCなどと並べると明らかに色味が黄色寄りである。具体的に言うと、デフォルトでナイトモードになっている感覚である。

もともと、アニメ鑑賞がユースケースにあり、色味問題はかなり致命的である。とはいえ、クリエイター仕事をしている訳でもなく、色味が雑でもノートPCを使う事はできる。実際、これ単品でアニメを見ていてもすぐに慣れて気にならなくなってしまうくらい、私は鈍感ではある。せっかく購入した機種なので、ここは泣く泣く我慢しながら使ってゆこうと思う。

例えば、いつも拝見しているこちらのレビューサイトでは、キッチリとこう記載されている。

緑と赤の色がやや強めに発色されていますが、色域は広めで、非光沢で、フリッカーもなく、見やすさはまずまずだと思います。

事前情報として、緑と赤が強い(=黄色が強い)という事も提示されており、色味について無頓着だった事を猛省している。広色域ばかり気にしていたのでこれでOKと思い込んでしまった。次に購入するときには自然な色味というキーワードを最重要視するだろう。

ちなみに、液晶モニタ部品の素性がきになり調べてみたところ、

  • AU Optronics [Unknown Model: AU06B8B]

となっている。AU Optronicsは台湾にあるBenQグループの液晶パネル製造会社とのこと。ちょっと気になっているのは、製造日が2018年38週となっていること。2022年10月に購入したノートPCにしては部品がいささか古い気がいないでもない。16:10画面の液晶パネルなどトレンドに乗った部品であれば、ある程度の部品の新しさは保証されるのだろうから、そういう買い方もあったかも知れない。

ちなみに、この液晶パネルがIPS方式ではなくVA方式という海外のレビュー記事を見つけたような気がしたが真偽は不明。お値打ち感ある製品だけに、何らかの妥協はあってもよいし、個人的にはVA方式であっても、それほど気にしない。

色味が黄色以外については、明るさや視野角や色域などは可もなく不可もなくという雑な感想である。

バッテリー

  • 必要十分な53WHr
  • JEITAで18.7時間(推定実時間は半分の9時間程度?)

ここは、特に文句つけるところなし。

SIM

  • (当然ながら、)IIJ(Docomo) SIM使えてます

やっぱり、モバイル機を外でも使うことを考えると、これは便利だし必須。

拡張性

メモリ

  • SO-DIMMスロット×2枚

購入したのは、16GB×1枚。32GBのメモリを購入して48GBにしてみる予定。

メモリ64GBは男のロマン

SSD

  • M.2スロット×1枚

多くのノートPC同様に、SSDの交換は可能。購入したのは、512GBだが、とりあえず容量はこれで十分なので換装の予定はない。

ソフト

  • myhP
      • HP Programablr Key ……F12キーランチャー設定
        • キー設定は、F12、Shift+F12、Ctrl+F12、Alt+F12の4種類
      • 搭載アプリケーション
        • HP Quick Drop ……スマホなどの各種デバイスとのファイル共有
        • HP Audio Controls ……各種オーディオ設定
  • HP Support Assitant
      • 「デバイスの状態」の確認、「修正と診断」、「サポート」の総合窓口
        • 最新ドライバの更新
        • サポートデスクへのチャット、電話の窓口
    • HPのアカウントを登録する(しなくてもゲストで使える)
  • HP Wolf Security
      • セキュリティ関連のユティリティ

サービス

なんか、調子悪くて、ブラウザ上で製品特定させても、その次の操作でBad Requestになったりして動作不安定。どちらかと言えば、HP Support Assistantアプリの方が安定しているので、Webサイトには頼らなくてもいいかも。

また、マニュアルのURLも探そうとしたが、先のBad Requestでたどり着けてない。別途、安定したころを見計らって、再度記載を見直す。

個人的に気になっている点

他社製USB-C ACアダプターに警告メッセージ

他社製のUSB-C ACアダプターから給電すると、毎回下記の警告メッセージを表示します。毎回なので正直鬱陶しい。

ちなみに、DELLLenovoのPCでは見かけたことはないし、古いHP EliteBookでもこのメッセージは表示されていなかった。

パススルー給電式USB-Cモバイルモニタに対し給電しない

パススルー給電式のUSB-Cモバイルモニタに直接つないでも、モバイルモニタに給電されずモニタを認識できない。DELLLenovoのノートPCでは普通にモニタ識別できていた。この現象はHPのEliteBookでも経験しており、HPノートPC独自仕様なのではないかと思う。

ちなみに、モバイルモニタ側からパススルー給電する際は、普通にモニタを認識する。

本現象を回避するために、毎回下記の手順でモバイルモニタを接続している。なんらかの目的・意図があっての仕様だろうが、使い勝手が悪すぎるため、正直改善して欲しい。

  • (1) モニタにACアダプターで給電

  • (2) ACアダプターを外す(しばらくはデバイス起動している)

  • (3) PCと接続するとモニタ認識し給電をはじめる

トラブル

サスペンド後の挙動がおかしく、BluetoothWiFiが繋がらなくなる

  • 現象
    • スリープ復帰(?)すると、WiFi,Bluetoothが繋がらなくなる
    • スリープ復帰(?)すると、指紋認証ができなくなる

現象については、もう少し挙動を調査中だが、そのうちサービスに再問い合わせ予定。

本件が解決したら、解決法補を追記します。解決方法ご存じの方がいれば、ご教示いただければ幸いです。

総評

  • pros
    • 適度に小型軽量なモバイルPC
    • 良キーボード
    • LTE対応
    • 拡張性(主にSO-DIMMメモリスロット)
    • コスパ
  • cons
    • 液晶の色味が黄色寄り!
    • タッチパッドは独立した左右ボタン無し
    • 受注生産だったため、納品まで2か月かかったこと

購入までの経緯

リプレイスのきっかけ

2017年に購入した、DELL Latiude 7380 のリプレイスのためのノートPCを探していた。リプレイスの理由を下記に示す。

  • DELL Latitude 7380 自体の問題点・不満
    • TMP2.0故障(2年前からBIOSで認識されていない)
    • キーボードの好みが合わなくなった
    • バッテーリー劣化
    • 5年経った
  • 外部要因
    • 2022年は、Intel第12世代Coreプロセッサの著しい性能向上(=買い替え好機)

2022年は、AMD Ryzenプロセッサや、Apple M1プロセッサに遅れ気味だったIntelが、第12世代Coreプロセッサでかなりのテコ入れを施してパフォーマンスの向上と省電力ででIntelが巻き返しを図りかなりのテコ入れがされた。そのため、PCのリプレイスには良いタイミングだと考えた。

ただし、円安ショックにより輸入品が高騰し、魅力的だったM1 MacBook Aiのコスパが、新製品のM2 MacBook Airでリセットされてしまうという事もあった。

TPM2.0の故障は、保証期間3年を経過した直後に発生した。PC起動時にエラーメッセージが表示されF1キーを推すことで起動を継続す。F1キーさえ押せば使えはするが、面倒ではある。

キーボードの好みの問題は複雑である。もともと、キーボードには好印象を持っていた。しかし、2021年2月にHHKB Professional HYBRID Type-S 日本語配列を購入して使い始めると、DELLのキーボードのタイプに違和感を覚えるようになった。HHKBのキーの押し込みが軽くてすむため、DELLのキーの押し込み時に相対的により力をかける必要がある事、また、ストローク感も底づきが浅い事、が原因だと思う。なんとなく、弱い打鍵でゆったりしたストロークを持ってパンチしたい、という風に好みが変わった。この点に関しては、一般的に言われるように富士通のキーボードの打ち心地のレベルは高い(ただし高価)。

5年経ってもブレないニーズ

ノートPCに対するニーズやユースケーズについては、この5年間で変化はない。

  • 電車内や喫茶店でブログ用のテキスト入力や動画再生やTwitterする
  • ストレスなく入力できるキーボード
  • LTE接続
  • バッテリー駆動時間は実時間で8時間以上
    • バッテリーだけで1日使い続けられる
  • 画面はFHD(1920x1080)以上必須、高色域が望ましい
  • サイズは横幅30cm程度(13インチクラス)

逆に不必要なのが、

  • 過度なパフォーマンス

くらいか。

実際のところ、コロナ禍を経て、私自身が在宅勤務中心の生活になったため移動する日はかなり減った。それでも、移動中の電車内で考え事をしながらテキスト入力する時間はある。新しいユースケースはないので、従来通りの使い勝手が確保できればそれで良い。13インチクラスというのが、おおよそ横幅30cm程度となり、キーボードのサイズとしてもストレスなく入力できるサイズ感だと考えている。

ちなみに、私はタブレットを所有していない。外出中はスマホとモバイルノートPCですべて済まるスタイルである。なんとなくペン入力デバイスへの憧れはあるが、そこは諦めている。

2022年はOLEDを採用したノートPCが各社からリリースされた。高色域、高コントラストに憧れるものの、画面焼き付きのリスクや消費電力が液晶に比べ大きいなどの問題もあり、現時点では手を出す気にはならない。また、画面は非光沢が望ましいという事もある。

LTE接続は必須だが、LTE接続はビジネス機のみというメーカーが多く、対応機種はかなり制限される。スマホテザリングでもいいのでは?と思う人も多いと思うが、経験上、スマホのバッテリー切れを発生させているので、やはりノートPC本体にSIMカードを刺せる方が個人的に安心できる。

候補探し

2022年8月にザっと候補を色々物色していたが、ザっとこんな感じか。

この中にはニーズから外れているモノもあるが、物色しているとあれやこれや夢を見る事は、誰にでもあろう。インデントが一段下げているモノは、そのメーカーの中での2番手3番手候補になる。各機種、どこか光るポイントはあるが、詳細説明は省く。

この中では、王道とも言えるThinkPad X13がハードウェア的な先進度、高過ぎない価格、安心感という意味で本命として考えていた。しかし、つまらない事にBTOLTEオプションが選択できないという状況が続いていた。

もともと、私自身はThinkPad大好き人間であった。ただし、5年前にDELLを購入したのは、Lenovoスパイウェア事件があり不買運動を決め込んでいたからである。ちなみに、ThinkPad自体にスパイウェアのプレインストールがあったわけではないが、不買運動とはメーカーの姿勢を問うものであるから、ThinkPadのハードウェア自体の信頼感とは別の話である。

そんな中で、色々とレビュー記事を漁ってゆくうちに、HP ProBook 635がSO-DIMM 2スロットである事が分かる。つまり、メモリ64GBに増設可能な貴重な選択肢である。

ProBookはHPのビジネスノートPCのミドルレンジを担う。高価過ぎず安過ぎず、派手さはなく質実剛健。そんな中での本製品の美点は、良キーボード、バッテリーと質量のバランスの良さ、アルミとマグネシウムで囲まれた筐体のしっかり感。ぶっちゃけ地味だが、それがまた個人的な好みに合っている。

HPのノートPCは、HP EliteBook 830 G5というのを仕事で使っているが、キーボードの感触が独特で、キーの押し込みが軽いのが好印象である。

Ryzenプロセッサなのでメモリはデュアルチャンネルの方がビデオ性能が高まるが、本製品は片方を開きスロットにしている。メモリ増設は許されており、やろうと思えば64GBも出来る。そう考えるとベースモデルを易く購入してメモリ増設したらいいんじゃねぇ、という気持ちになった。気持ちは固まってきたが、とりあえず購入して増設、換装せずに使える、メモリ16GB、SSD512GBモデルをターゲットにする事とした。

現行機との比較調査

製品発表後、4か月経過しているため、レビュー記事も充実しており参考になる。下記にレビュー記事のリンクを列挙する。The比較さんのレビュー記事はいつも充実していて頼もしい。

メモリ8GB、ストレージ256GBにすればLTEモデルでも約10万円で購入できるが、SSDを換装はOSリカバリーなどひと手間かかるため、そのままでも使えるスペックのモデルにした。いずれは、メモリ64GBはやってみたい。

上記の構成詳細と見積価格を下記に示す。

また、現行機と候補機のスペックの比較を下記に示す。

No. 項目 現行機 候補機 備考
1 名称 DELL Latitude 7380 HP Probook 635 Aero G8
2 サイズ 304.8x207.9x17.3mm 307.6x204.5x17.9mm
3 重量 1.17kg 1.05kg HPはレビュー記事
によると1.08kg
4 CPU Intel Core i5 7300U AMD Ryzen 5600U
5 メモリ DDR4-2133
8GB
DDR4-3200
16GB
HPは16GB×1本
(空きスロット×1)
6 ストレージ M.2 PCIe NVMe
SSD 256GB
M.2 PCIe NVMe
SSD 512GB
7 WWAN 4G LTE 4G LTE
8 画面 13,3インチ 非光沢
1920x1080ピクセル
13.3インチ 非光沢
1920x1080ピクセル
DELLはIPS液晶
HPはVA液晶
9 キーボード - - HPのPgUp/PgDown/
Home/EndはFn同時押し
10 タッチパッド - - HPは左右ボタン無し
11 保証 3年 1年
12 価格 140,814 円 124,000円 送料税込み
13 注文日 2017年10月27日 2022年8月26日

こうしてみると、驚くほど似ている。乗り換えても違和感はなさそうに思う。

ノートPCの液晶だが、時代は16:9から16:10に移り変わりつつあるが、候補機は16:9のままである。液晶も縦長でない分、ノートPCの縦も短くて済み、現行機とほぼ同じサイズ感となる。

ちなみに、CPUのTDPも似通っている。

No. 項目 現行機 候補機 備考
1 CPU Intl Core i5 7300U AMD Ryzen 5600U
2 TDP 15W 15W
3 cTDP 7.5W-25W 10-25W コンフィグラブルTDP

気になっているのが、放熱設計。レビュー記事を読むと、フルロードでCPU温度が100°C近くまで上昇している。The比較さんのレビュー記事では、「放熱性能は高くないので、あまり高い負荷はかけないほうがいいと思います。」とある。ググった感じ、一般的にCPUの適正温度は80°C以下。ちなみに、ThinkPad X13では、75°Cくらいに抑えられているとの事。CPU温度が高いと熱暴走のリスクがあるが、かつてMacBook Proを熱暴走させ、基板交換した経験があるので、熱にはトラウマがある。とは言え、今時のノートPCで、VS CodeやFHD動作再生程度で負荷はかからないと思いたい。

この時点で、候補機に対するメリット・デメリットを整理するとこんな感じか。

  • pros
    • 後付けで、メモリ64GB増設可能(のワクワク感)
    • 良キーボードの期待感
    • 今まで通りのサイズ感
    • 地味で目立たない感
    • ボディ表面が非しっとり塗装(使い込んでベタ付かずに済む)
  • cons
    • 高熱がちょっと心配かも(高負荷をかけるつもりはないが…)
    • 液晶画面は、性能低下するかも
    • タッチパッドに専用ボタンが無いのは、若干使いにくいかも

とりあえず、こんな感じで注文を決心する。

注文から納品まで

注文する前から、納品予定日が「欠品のため納品にはお時間をいただいております」となっていたことから覚悟はしていたが、注文が受け付けられても、納期の通知はなかなか来ない。

途中、注文キャンセルしてThinkPadを注文しようと何度考えた事か。

結局、8月26日注文し、10月25日に納期連絡メールを受信し、10月29日納期となった。待ちに待った2ヶ月であるが、注文生産であればこの程度待たされる事は目安として認識しておきたい。

ちなみに、2022年11月3日時点で確認したところ、本製品のWeb販売ページには「完売御礼」となっており注文が終了していた。

なお、本製品の後継機種は、G9(=第9世代)となって2022年11月末に製品発表されるものと予想している。このレビュー記事を公開してから、間もなく発表となるという意味では、全く持ってタイムリーではなくなってしまった。

おわりに

個人的には、液晶モニタの色味が黄色寄りなのが気になりますが、画像や映像をシビアにみる仕事でなければ、想定通りの使いやすいノートPCだと思いました。

何よりも、枯れた技術なのが安心できます。

現時点でトラブルもありますが、悩みに悩んで選択した機種であり、愛着もって使い込んでいこうと思います。

フリップフラッパーズ

ネタバレ全開につき、閲覧にご注意ください。

はじめに

フリップフラッパーズ」は2016年10月~12月にかけて放送されたTVアニメです。2022年10月にYoutubeで期間限定で無料配信されたのをキッカケに視聴しました。

思った以上に、私好みの作風でした。放送から6年経過した2022年に本作を視聴してみて、本作に古き良きというか、懐かしい感覚を覚えました。

それは、同人作家的なアクション作画や人類補完計画的なシナリオの辺りにレトロを感じたのだと思います。

2022年10月末までの期間限定配信ですが、興味があって間に合っている方は、是非、下記にてご覧ください。

感想・考察

アニメーション

可愛いさ、外連味あるアクションを堪能できる作画

本作で一番言いたいのは、イキイキとしたアニメーションの動きの良さである。本作に3DCGは存在せず、すべて手描きアニメの躍動感であり、今にしてみればとても贅沢な作風である。

比較的シンプルな線で、ホバーサーフに乗って滑空するセーラー服のココナ、巨大な樹氷怪獣、謎のエネルギー解放、これらが躍動感を持って動く。誤解を恐れずに言えば、これは同人作家が作ったアニメーションのような、絵を動かしたいという衝動に満ちた動きであり、これが見ていて非常に気持ちがイイ。付け加えると、なんでもかんでもヌルヌル動くというのではなく、タメツメのメリハリを持った動きの良さである。

3話の砂漠での格闘戦や、8話の巨大ロボ戦など、昔はよく見かけたシチュエーションだが、今となっては懐かしさを感じさせるモノがある。

ピュアイリュージョンの摩訶不思議な世界観

本作は現実世界とは違う、摩訶不思議なピュアイリュージョンと呼ばれる世界での冒険譚という形をとっている。その摩訶不思議な雰囲気が、不思議の国のアリスを連想させる絵本のようでもあり、楽しくもおもしろい。1話では雪国、2話ではウサ耳、3話で砂漠、5話でホラー学校といった具合でテイストもさまざま。

いかにもクリエイターが想像を膨らませて描いた、敢えてリアルから外したファンタジー世界は、2022年の今となっては珍しい。この作風は、コンセプトアート担当のイラストレーターのtanuさんの仕事によるものだろうか。

このピュアイリュージョンの世界は、自由自在に動くアニメーションの躍動感とのマッチングが非常に良い。リアルな質量を持たない絵である事が、躍動感ある動きを邪魔しない、本作の重要なポイントになっていると思う。

ちなみに、ココナたちが住む現実世界の学校や街並みのデザインや背景美術も凝っている。ロケーションとしては標高が高い地方都市といった感じで、高低差を生かした街づくりや、なだらかな丘に埋まった校舎など楽しいデザインとなっている。

アニメ的可愛さのキャラデザイン

キャラデザインは、古き良き低年齢少女漫画の「リボン」や「なかよし」のテイストを感じさせる。

まず、セーラー服の女の子が主人公というのが良い。やや頭でっかちで、瞳がかなり大きい。また、瞳の斜線処理のせいか、どことなくまどマギに近いテイストを感じさせる。

他にも3話のマッドマック的な暴走族と原住民の素朴なデザイン、黒色の皮膚の悪役魔女(?)など、ピュアイリュージョン側のリアルとはかけ離れたアニメ絵である事を強く意識させてくれるキャラデザインである。

的確なレイアウト、絵コンテの気持ち良さ

画面を構成するレイアウト、時間(=タイミング)を設計する絵コンテは、映像をスムーズかつ気持ち良く見せるためには重要な仕事である。さらに言えば、何よりも動きがメインディッシュの本作で、土台となる映像設計がダメだとすべてが台無しになると言っても過言ではない。

本作はここを十分にクリアしており、混乱する事なく気持ち良く映像を見られた。

1話のパピカがホバーサーフで樹氷怪獣に接近してメガネを拾うシーンは「風の谷のナウシカ」のアクションシーンを連想させる。

一番分かりやすいのは、5話のホラー回。怖がらせの映像はこうした基礎がしっかりしていなければ成立しないが、キッチリとホラー的に怖かった。

文芸

シリーズ構成・脚本

ストーリーコンセプトの綺奈ゆにこは、一連のBanG Dream!のシリーズ構成や脚本を担当しており、繊細な女子の感情描写を得意とする脚本家である。

本作でも、1話~3話、5話、6話の脚本を担当しているが、とくにココナの丁寧な心情表現が抜群に良かった。最初は、無謀なパピカを心配してピュアイリュージョンにはもう行かないと決意。しかし、パピカが手を引っ張られはじめて知るワクワクを感じた喜び、行動を共にするようになった下りとか。イロドリ先輩のトラウマを改ざんしてしまい他人の大切なモノを消してしまった動揺とか。

後半のハヤシナオキは脚本としてはフリップフラッパーズが最初の作品であるが、後にCitrusひぐらしのなく頃に業/卒のシリーズ構成などを担当している。

後半の展開は、ヤヤカとの対立、ミミの暴走、最後はココナが自らの意思での選択という物語と、ピュアイリュージョンを巡る過去のしがらみを描きつつ、ピュアイリュージョンの暴走と崩壊のスペクタクルを描く。この辺りは、エヴァンゲリオン人類補完計画を逃げずにビジュアル化したようなものである。傷つきたくないけど友達が欲しいと言う自我の物語だが、令和の現代ではなんとなくレトロにすら感じるテーマである。

作劇的には、一度は嫌われてしまったココナとの繋がりを、ヤヤカとパピカが大好きの気持ちで取り戻す熱い展開である。そして、ココナが自らの意思で選択した大好きの気持ちのお返しで、世界を救う。

構成の紆余曲折に関して

本作は構成に関して紆余曲折があったとのこと。

当初は綺奈ゆにこが全面的に書いたストーリーがあり、何らかの理由で後半にテコ入れがされ、7話~13話の脚本はハヤシナオキが担当した。綺奈ゆにこのクレジットがシリーズ構成ではなく、ストーリーコンセプトとなっているのも、そのためだと思われる。

前後半でテイストの違いはなんとなく感じるものの、全13話通しての破綻はとくに感じなかった。後半はイマジナリーな設定ゆえの困難さがあるが、破綻なく物語のロジックを組み上げていると思う。難解だとか、結局伏線回収無しとかの感想をよく見るが、物語はきちんと着地している。

ただし、前半の女子の繊細さのキレ味は後半では失われてしまったように感じた、というのが率直なところ。また、後半はつじつま合わせに終始してしまった感触もなくはない。個人的には作画のキレの良さもあって、前半のテイストが好みである。

とは言え、全13話のプロット自体は綺奈ゆにこが造ったモノを踏襲しつつ、何らかのディレクションで何かがオミットされた形と妄想するが、それについては知る由もない。当初案が分からない以上、比較できるものでもない。なので、脚本交代劇について、どうのこうの言えることはなく、完成品を評価するしか出来ない。

キャラクター

ココナ

本作の主人公は、ココナだと思う。

ちょっと引っ込み思案なところもあり、進路を決めるのも一人で悩んでいた。そこに元気いっぱい過ぎてちょっと怪しいパピカが手を引っ張って、ピュアイリュージョンの世界で冒険し交流を深める。はじめは、危ないからもう行かない、と言っていたがパピカとの冒険が楽しくなり、続けて行くことになる。パピカとの距離も共同生活を経て縮まりインピーダンス(相性)も安定して来た。

6話では、イロドリ先輩のトラウマ(鳥居)に入る。無関心な両親、優しいおばちゃんの対比。おばちゃんに絵を褒められ喜ぶ。家に戻るとパピカが自室で絵を描いており、二人ともイロになっていた。そして、おばちゃんは認知症で入院しイロの名前も忘れてしまったため、ショックで逃げだした。マニュキアを見て約束を思い出し、ココナとパピカの二人でおばちゃんに名前を告げると、おばちゃんはイロを思い出し泣いた。現実世界に戻ると、イロドリ先輩のトラウマがなくなり現実世界を書き換えてしまった事が怖くなるココナ。

しかし、パピカはいつもの軽い調子で不安を分かってくれない。7話で、ピュアイリュージョンの中でパラメータの変わったいろんなパピカと二人だけで過ごして時間が流れる。「パピカのバカ―ッ!」と叫ぶと穴からパピカが現れて元の世界に戻れた。ココナとしては、いつものパピカを求めた形である。

8話では、他人の大切なものを守りたい気持ちで、ロボで巨大な敵と戦った。今まで遊びで冒険していただけだったのに、正義という理由付けをして敵と戦った。ココナの行動原理にしては、大きな変化なように思う。

9話では、双子の入れ知恵でパピカに疑念を抱きはじめる。パピカとココナで気持ちを会わせてトラップを破壊するが、ヤヤカは複雑な表情。ヤヤカから勝負を挑まれるが、本気で戦えるわけもなくヤヤカに倒される。しかし、とどめをさせないヤヤカは双子に襲われ負傷。

結局、ミミの身代わりにしてたパピカ、カケラ目的で近づいてきたヤヤカ、監視役だった祖母、みな信用できず孤立するココナの元に現れる母親のミミ。そして、ミミに甘える形で思考停止するココナ。

しばらくすると、ヤヤカやパピカがミミと戦っている姿が目に入る。もう一人のミミが怖くても自分で選択してと助言する。パピカとココナが互いに手を伸ばして手を取り合って牢を壊して敵を倒す。そのままパピカココナとミミの対決になり、最終的にパピカとお互いに大大大好きを確認しあい、ミミに間違いを認めさせた。

ピュアイリュージョン崩壊の際に、中に残ったパピカと、一人現実世界に戻されたココナ。そして、現実世界とピュアイリュージョンとの繋がりが絶たれた。

土管で太もものカケラを確認しようとしたところに突然現れるパピカ。そして、ピュアイリュージョンでの冒険はまだまだ続く。

結局、現実も、イマジナリーな妄想も、大大大好きな友達と一緒に居続けたい事も肯定するエンドになっていたと思う。

当然だが、ココナは子供であり、子供の心が描かれていたと思う。そして、シンプルなテーマとして、押し付けではなく、自分の意思で選択する事を描いていたと思う。それは思春期の子供にも、大人にも共通する普遍的なテーマだったのかもしれない。

パピカ

パピカは謎が多い。

13話で、パピカナが牢で若返ってゆき、幼女になったときにココナと出会うシーンがある。赤ちゃん→おばあさん→お姉さんと変化していたと告げられる。そして、ココナとパピカは友達になった。

年が逆行したりする時点で普通の人間とも思えないが、これはミミがパピカナをココナの友達にしようとしたのかもしれないし、パピカナ自体もミミの創造物だったのかもしれない。

ただ、パピカもココナも幼少期に友達の契約を済ませており、その意味では、二人が大大大好きなのは運命だったのだろう。

パピカは、勢いあまる行動力と身体能力でココナを冒険に誘う。それは、ココナと遊ぶ事が一番大事なため。

しかし、途中でミミの記憶がよみがえる。ただ、それを言うとココナが悲しむため言えない。この辺りがパピカの優しいところである。

ココナに私かミミかのどちらかを選ぶか迫られたとき、言い返せなかった。ミミに同じことを言われたとき、両方大事と言い返したが、ココナを奪いに来たと思われミミに逆上される。ココナやミミに嫌われると凹んで動けなくなるが、ヤヤカからの背中押しなどありながら、ココナを取り戻すべく立ち上がる。最終的にココナと手を取り合ってミミを倒した。

その後、もう一人のミミと一緒に崩壊するピュアイリュージョンの中に残る。それは、ミミへの償いだったかもしれない。ピュアイリュージョンが繋がっていると分かっているから、中に一時的に残る事が合理的と判断したのではないかと想像する。

友達が好き。その純粋さを描き続け、貫いてきた。逆に言うと、それしかない。厳しめに言えば、パピカはココナが大好きな友達としての舞台装置にしかなっていない、とも言える。

たまには、ココナのワガママに拗ねてくれたりしたら、個人的にもっと好きになっていたかもしれない。

その意味で、パピカに対して思い入れるのは難しいと感じたキャラだった。

ヤヤカ

ヤヤカは自分の居場所で迷っていた存在。

組織と友達のココナとの狭間で、揺れていた。そして、友達であるココナの側が居場所であると最終的には決断する。パピカが熱心にココナを救出し、パピカとココナの熱い友情を見せられた時の複雑(=負けヒロイン)な表情が切ない。

最後は、ソルトにカケラを託され、ピュアイリュージョンの中にパピカを助けに行き、変身して加勢する展開が熱い。

キャラ的にはまどマギ佐倉杏子的な立ち位置で、なかなかカッコいいキャラであった。

おわりに

適度に百合。物語の軸は、大大大好きな友達と、苦しくても自分で選択して責任を取る、という感じのシンプルな骨格。

そして、何より良く動く手描きアニメーションの楽しさ。ピュアイリュージョンという人類補完計画の亜流の設定。この辺りは令和の今時見かけなくなった要素であり、懐かしさを感じるところでもありました。

後半、若干重たい感じもありますが、キャラの可愛さ、アニメーションの爽快感でなかなかの良作だと思いました。

2022年夏期アニメ感想総括

はじめに

2022年夏期のアニメ感想総括です。

今期、最後まで視聴した作品は下記です。

  • 連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ
  • リコリス・リコイル
  • Extream Hearts
  • 彼女お借りします 2期
  • 咲う アルスノトリア すんっ!
  • Engage Kiss
  • プリマドール

また、下記は継続OA中なので、終了してから追記予定です。

  • シャインポスト(2022.10.21追記)
  • ラブライブ!スーパースター!! 2期(2022.10.21追記)

シャインポストは、今期一番ドハマりした作品ですが、1話〜4話の感想をブログに書いていますので、良ければこちらもご覧ください。

以下、いつもの感想です。

感想・考察

連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ

  • rate
    • ★★★★★
  • pros
    • 映画のように情緒的な美しいシーンを丁寧に積み重ねてゆく、滋味深い作風
    • エロ風味を取り除いた、シンプルなキャラの可愛さ
  • cons
    • 特になし

本作は、ストライク・ウィッチーズの世界で紡がれる、戦闘をするのではなく、歌を唄うウィッチたちの物語である。ちなみに、キャラクター原案は島田フミカネだが、この世界にはパンモロはなく、健全なラインのディレクションである。

制作はシャフト、監督は佐伯昭志、シリーズ構成は佐伯昭志と東冨耶子は、「アサルトリリィ Bouquet」と同じ座組。これだけでアニメーションとしてのクオリティは担保されたようなものである。そこに、副監督に春藤佳奈、脚本には監督の他に森遥、山崎莉乃、春藤佳奈の3名の女性が参画しており、作品に女性っぽさを吹き込む。

本作の特徴は、詩的なシーンの積み重ねによる映像の美しさにあると思う。もう少し具体的に言うと、背景美術や劇伴や脚本が映画的というか、大人っぽいというか、観ていて心に沁みるシーンが多い。もちろん、美少女キャラアニメなので、可愛さ、賑やかさはあるが、ベースとなる映像の落ち着きが本作の肝になっていると思う。バトルシーンが極端に少ない事も起因していると思うが、映画的な重厚なドラマ作りに重きを置いたディレクションだと思う。それゆえに、地味な印象を持たれてしまうかもしれない。

オーケストラによる劇伴の重厚な音作りだったり、歌唱曲がアメイジンググレイスシャンソンぽい曲だったり、1944年という時代に見合って古風な音作りや選曲である(そのせいで、ルミナスの曲が今のアイドル曲みたいになって若干浮いてしまうほどに)。

また、空の映像も美しいものが多い。ルミナスはストライカーを装着して大空を編隊飛行するが、光の粒子をひこうき雲のように引きながら飛行する。そのためか、真夜中や真昼間だけでなく、夕焼けや朝焼けなど色んな時間の空の飛行シーンが多くある。また、4話のルミナスお披露目回だったがラストカットはひこうき雲の五線譜に9つの星が音符のように配置されて輝く、というなかなか詩的なレイアウトも凝っている。

シリーズ構成としては、下記のように分割できる。この流れ、この刻みの中でルミナスのメンバーの絆の深まりが描かれてゆく。

  • 1〜3話:ポンコツウィッチが集まり音楽隊を始める。
  • 4〜6話:音楽隊の開始とワールドツアー前半。 「𝄋」
  • 7〜9話:ワールドツアーの後半とガリア解放。
  • 10〜12話:ジニーの別れとルミナス復帰。 「D.S.」

個人的に印象に残っているのは6話と10話。

6話の主役はマリアとマナ。二人が喧嘩し仲直りする物語だが、少女の繊細な心理描写が秀逸な回だった。元気印のマナと虚弱でロジカルなマリア。ルミナスの振付担当(アクロバット飛行含む)の凸凹コンビである。シールドを用いた高難度の飛行演目で高みを目指したい気持ちと、虚弱でアクロバット飛行が苦手なため地上訓練を優先してしまう弱さの間で、弱さに傾きかけたマリア。マナは飛行訓練が少ない事に不満を抱く。マリアは自分自身への苛立ちから、マナに八つ当たりしてしまい気まずくなる。マリアは自分が嫌になって捨てた高難度の飛行設計図を拾ったマナが、これをやりたいとマリアに詰め寄り抱きしめると、マリアは自分を卑怯者と大泣きする。マナが泣きじゃくるマリアを連れてストライカーで飛んで、互いに本音をぶつけながら飛行プランを固めてゆく。つまり、雨降って地固まる的な話である。ここまでの説明だと、マナは包容力がある徳の高い子に見えるかもしれないが、そうでもない。マナはマリアと険悪になったとき、ジニーから「(マリアのことを)嫌いじゃないよね」と尋ねられ、戸惑いながら「嫌いという感情が分らない」★現物確認★と返す。つまり、マリアの事を一瞬嫌いになっている。そこからの仲直りだからこそ尊い。このような、自分でもコントロールしきれない繊細な子供心を丁寧に描いていた事を高く評価したい。

10話の主役はガリア出身のエリーである。この回も映画的、情緒的なシーンの連続で、言語化しにくい本作の良さが際立つ。何事も茶化しがちなエリーが、封印していた自分の過去と本気で向き合い、受け入れる。人のいない廃墟のパリでの実感の無さ、故郷(=過去)の緩やかな自然の回復、そして戦争で不本意ながら残してきた子猫が大きくなって親猫になっていた事実が、エリーの心を潤して涙を流す。もう一人の主役はモフィとの突然の別れが訪れるジニー。夕焼けの沼のほとりでモフィが群れに戻って飛んでゆくシーンの美しさ。ジニーが瞬きをした次のシーンからモフィの羽(=使い魔)が見えなくなるシーンの物悲しさ。こうした映画のような心情描写は本作の真骨頂である。

11話は、故郷に戻ろうとするジニーが出発前の列車内で乗客全員によるルミナスの曲の合唱を聴いて、やっと今の居場所がルミナスだと再認識してみんなと合流するまで。12話は、ガリアでのコンサートで、スーパーモフィとの再契約、世界中の人と双方向で繋がる多幸感を描いた。最終的には、モフィはノーマルに戻り、2年目のルミナスの活動開始を描いて終わる。これは、4話に戻るダルセーニョである点が洒落ている。歌う事で聴く人を、世界を、そしてルミナスメンバー全員を幸せにするという、超ハッピーエンドの大団円が心地良い。

キャラとしては、主人公のジニーは表裏が無く、嫌味なところがまったくない、純粋さだけのキャラであった事が印象深い。ルミナスが上手く行かない時も、ジニーが居るだけで一歩前に進める。ある種の神々しささえ感じさせた。シリーズ通しても家族や身の上に触れられることなくミステリアスな存在であった。そして、ジニーのドラマは自身の居場所というテーマでラスト3話かけてじっくり描かれた。

ジニーは人に与えるが、自分は求めない。自分自身の優先順位が低いとも言えるのかもしれない。それは、ナイトウィッチなのに魔導波を発信できない欠陥にも似た、ジニーの欠落していた「何か」のようにも思えた。ジニーはモフィと別れた後、暗黙的にルールに従ったが、最後には歌の力で、歌いたい!という自分の素直な気持ちに気付き行動した。見えない羽で繋がっていたモフィが、ジニーの気持ちに反応し再契約してくれたことで、再び飛ぶことができた。

本作は、一度終わって、もう一度始まるというテーマがあったように思う。うまく言えないが単純な再生とも違う。別れがあって、もう一度出会う、みたいな。それは、奪われたガリアを奪還してやり直すことでもあり、ルミナスとジニーの別れと再開でもあり、モフィとジニーの別れと再開でもあり。それは、四季が巡るのとも似ている。常に常夏ではありがたみも分からない。暖かくなって、寒くなって、それが巡るからそれぞれの良さも分かる。

総じて地味目の印象があるが、ゆっくりと情緒的なシーンを丁寧に積み重ねてゆく作風により、心に沁みる滋味深い作品だったと思う。

リコリス・リコイル

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 明るく楽しいアクションアニメという作風
    • ガンアクションをはじめとする緻密なアクションシーンの作画と音響
    • 千束とたきなの感情を丁寧に描くドラマと物語
  • cons
    • 特になし

表向きは喫茶店で働きながら、非殺傷弾を装填した拳銃を片手に、身近で困っている人を人助けする千束。DAから左遷されてきた頭でっかちのリコリス(≒兵隊)のたきな。二人のJKがバディを組んで活躍する爽快感のあるガンアクションアニメ。

とにかく、ガンアクションが丁寧でカッコいい。近接格闘向けの銃撃スタイルを取り入れていたり、本気でガンアクションをアニメに落とし込んでいる。DAは治安維持のため国家が極秘で運用する秘密警察的な組織。そして、リコリスはそのエージェントであり殺人ライセンスを持つ。こうした設定なので、リコリスや敵は銃撃戦で躊躇なく敵を射殺したりする。かなり物騒な設定ではあるが、実際にはコメディの楽しさを優先したディレクションであり見てて気が滅入るとこはない。

DAから距離を取りながら不殺を貫く千束とバディを組んで行動するうちに、組織の歯車として疑問を持たずに生きて来たたきなの気持ちは少しづつ変わってゆく。中盤、旧電波塔事件と千束の人工心臓の謎に話が移行してゆくが、毎週適度に不透明な部分が残されており、視聴者を引き付け続ける構成になっていたと思う。千束に殺しのプロとして人工心臓を与えたアラン機関、与えられた命で不殺で人助けをする千束という皮肉。今の日本はDAが干渉しすぎて日本人を腑抜けにしているから、DAを潰してバランスを取ると主張する真島。それぞれの問いかけにどう答えて行くのか。ラストに向けて盛り上がってゆくクライムアクションとラストの粋なエピローグ。シリーズ構成のバランスはよくよく練られたものと感じた。

なお、喫茶リコリコのスタッフは千束とたきな以外にも、行き遅れのミズキ、凄腕ハッカークルミ、アフリカ人店長のミカと個性的なメンツが揃う。彼女たちの賑やかな会話や、常連客とのやり取りも楽しく、チームの一体感も気持ち良かった。

本作は、「ダイハード」や「スピード」などのハリウッド映画のような男子向けのカッコよさを狙っているように思う。もっと言えば「マトリックス」のような3DCG全盛になる前のアナログ感溢れるアクション映画である。設定としても、DAという超法規的な暗殺組織、独自の価値観で世界貢献の支援を惜しまないアラン機関、マフィアの雇われ兵隊でありながら好き勝手行動する悪役の間島など、この手のアクション映画の文法に沿うものである。ガバガバと言えばそうだが、007などはこうした設定の上で、カッコよさや粋を演じていたと思うし、そうした作品も多かった。時代は変わり、こうした作風は近年廃れていったと思う。でも、私は本作にこのワクワクを感じ楽しんでいたし、そうした需要はこの時代でもあるのだと思う。

個人的には、感情のドラマのロジックがしっかりしていると、そうした設定周りの粗さが気にならなくなる。本作は、その辺りのドラマ作りが丁寧だったと思うし、千束やたきなの決断がカッコいいと信じられた。

また、主役の千束とたきながJKであり、百合要素を加える事で、一定数の視聴者の食いつきを良くしていたと思う。繰り返しになるが、個人的には男子向けのカッコいい作風と考えているので、千束とたきなは友情として見えているのだが、百合好きから見ると百合に見えるというディレクションだと思う。この辺りはスタッフも確信犯ではないかと思う。

文芸面、演出面に話が集中してしまったが、本作はキャスト陣の演技も熱が入っていたと思う。千束の「ちょいちょいちょい」などは会話向けの台詞ではなく、口癖みたいなものだろう。千束の飄々とした声や作画の芝居が、うまい具合に生っぽさを出していたと思う。特に千束の声の芝居は、仲間と賑やかにやっているだけじゃなく、ミカ、吉松、間島などの様々な大人と対峙したときのトーンの違い、きめ細かなグラデーションのある芝居が印象的だった。たきなの声も硬質的で頑固なキャラクターに合っていたと思う。

個人的にはネガ意見はなく、文句なく楽しめた作品だった。

Extreme Hearts

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 熱血でありながら風のように爽やか、という矛盾する難題をクリアした作風
    • 非リッチなアニメーションでありながら、堅実な脚本と演出があれば楽しめるという好例
  • cons
    • 特になし

売れないシンガーソングライターの陽和が、エクストリームギアを使ったハイパースポーツの大会に出場し、仲間と出会い、歌にスポーツにと活躍してゆく少女たちの物語。熱血もあるのに汗臭くなく、爽やかな気分で楽しめるところが、本作の美点である。

アニメーション制作はSeven Arcs。最近だと「ブルーピリオド」や「アルテ」などの良作を作っているイメージだが、源流をたどると2004年の「魔法少女リリカルなのは」にたどり着く。シリーズ構成と全話脚本は、リリカルなのはシリーズの都築真紀。監督の西村純二も同様にSeven Arcs作品になじみ深い人材である。同監督、同じスタジオで個人的に大好きだった「バミューダトライアングル ~カラフル・パストラーレ~」という良作があるのだが、いわゆるリッチなアニメーションとは言えない低コスト感の漂うアニメながら、田舎に住む少女(マーメイド)の友情と交流を味わい深く描く作風であった。

本作はその期待通り、アニメーションとしてはリッチではないが、キャラの心情をしっかり丁寧に描く文芸、奇をてらわない王道の演出により安心して楽しく観られる作風だと思う。序盤はこんなもんかな、という感じで見ていたが途中から、前のめりで見ていた。

設定についてだが、本作に登場する「エクストリームギア」はスポーツ用に身体機能を補助する装置。「ハイパースポーツ」はギアを使ったホビースポーツ。「Extreme Hearts」は女性タレントたちのハイパースポーツ大会で、トーナメント形式で試合に勝てばライブステージで歌う権利が得られる。トンデモ設定なのだが、ギアがSF風味を出していたり、アイドル物×スポーツ物だったりで、ごった煮感が強い。

ちなみに、本作はアイドル物か、それともスポーツ物か、と問われればその両方であると回答する。本作からアイドル要素をオミットしても、逆にスポーツ要素だけをオミットしても、Extreme Heartsという作品は成立しない。片方をやるために、もう片方も頑張り、その頑張りを循環させてゆく構造になっている。

本作がギアを使ったトンデモスポーツである事には演出上の2つのメリットがある。1つは、ギアを使ったド派手なアクションを見せる事で視聴者を飽きさせず楽しませる。これは、リリカルなのはのバトルアクションと同じ文法で、ここにキャラの感情を乗っけてぶつかり合いの熱さを描ける。もう1つは、スポーツ素人の陽和とベテラン選手の実力差を緩和の違和感なく描ける。ギアを使えば筋肉に頼らず俊敏性、瞬発力を拡張できる。しかも、それらは万人に与えられるため、最終的にはメンタルの強さが勝敗の肝になってくる。陽和にはへこたれないメンタルの強さがあるからこそ、試合に勝つ事ができる。これが、ガチなリアルスポーツ物なら全く説得力がなく、ドラマが台無しになるだろう。平たく言えば、トンデモスポーツという大きな嘘に総突っ込みさせる事で、ドラマ自体を真面目に見させる力がある。

もう1つのアイドル物としての要素は、作品に華やかさ、軽やかさをもたらした。ロボットアニメのバトルシーン同様、アイドルアニメの歌唱シーンはそれだけでキャッチーに視聴者を惹きつける力がある。RISEの歌はメッセージも直球で爽やか。本作のスポ根とアイドルの組み合わせは、脂の乗ったロースカツと新鮮な千切りキャベツの組み合わせの相乗効果のようなモノである。ちなみに、Extreme Heartsに出場するアイドルユニットも数多く、それぞれの楽曲も用意されており、アイドルアニメとしてキャストや楽曲にリソースを割いている。低予算感ある本作だが、こうした肝心な部分には手抜きはない。

なお、陽和の当初の楽曲はギター一本弾き語りで、寂しささえ感じる飾り気のないモノだった。RISEとしての最初の3人のステージは、衣装も上はTシャツ、下はお揃いのフレアスカートという手作り感満載のモノだった。しかし、神奈川大会の5人揃ってのファイナルステージは作画も大変そうな、凝ったアイドル衣装にグレードアップしている。楽曲のバンド伴奏も徐々にリッチになっており、こうしたステップアップ感も丁寧に描かれていた。

歴戦の強豪チームともなると、アイドル活動もハイパースポーツも手を抜かず、観客を楽しませ、熱狂させるものとしてのプライドを持ち行動している。試合の方は大会という事で一度負ければ終わりであり、絶対に負けられないという緊張感を持って試合に向かう。Extreme Hearts出場チームは基本的には女性タレント=プロの芸能人である。しかし、食うか食われるかの競争社会でありながら、チーム内もチーム間の交流も和気あいあい。部活モノのような爽やかな青春の雰囲気もある。この辺りで視聴者の頭がバグる。結局、本作がテーマにしているのは、がむしゃらに頑張る熱さと、共に歩む仲間の大切さ、の2点だと思う。

本作はキャラアニメなのでキャラを好きになってもらう必要があるが、そのために試合やライブシーンだけでなく、練習、カラオケ、事務所や外食の食事シーン、そうした日常パートでのキャラの掛け合いも十分描けていてキャラに愛着が持てた。

物語は、陽和と咲希のミュージシャンとファンの小さな関係から始まる。咲希が陽和を応援する気持ちから転がり始め、咲希の友達の純華を巻き込むところから、サポートロボ、マネージャロボのノノ、雪乃、理瀬、対戦相手だったミシェルとアシュリーや多くの人を巻き込んでRISEと葉山芸能事務所の夢を大きく膨らませてゆく、という流れ。

個人的には、理瀬のRISE加入の下りが好きである。理瀬は以前空手で事故を起こして以来、本気でぶつかる事を封印し、スポーツからも遠ざかってしまった。そこを文字通り、咲希が真正面から理瀬の不安を受け止めてRISEに加入する流れが熱い。

また、主人公である陽和は、言ってみればスナフキンのような、ある意味一匹狼のような存在だった。しかし、咲希とハイパースポーツの出会いによって、色んな仲間と出会い、色んなものが拡張されてゆく。陽和は飄々としているように見えてもメンタル強めで、仲間とともにがむしゃらに前進してゆく。大会は負ければ終わり、というプレッシャーもあったから勝ちにも拘ったし無理もしたが、何よりも仲間と楽しい時間を過ごす事を重視した。11話で神奈川県大会決勝戦を終え、12話の大勢の観客の前での「全力Challenger」の曲の途中で、感極まってはじめて泣いてしまう。これまで前だけを見て全力で前進してきたため気付かなかったが、ここではじめて半年間の道のりを振り返り、現在地点を実感し、感動してしまったのだと思う。間奏を続けつつ、他の4人はフロントにたって間を繋ぐ。この信頼感。「みんな大好き」の言葉とともに陽和が歌唱を再開するシーンが熱い。

今まで熱血モノは暑苦しさを感じさせたら興覚してしまうところがあったが、本作は不思議と押し付けがましいところがない。むしろ、陽和の持ち味で爽やかに観られてしまう点がすごい。思うに、まず丁寧なキャラの作り込みと堅実な演出があって、ぶっ飛んだトンデモ設定を組み合わせる事で、人間ドラマ部分をクローズアップして観られるのではないかと想像している。

熱血なのに爽快感があるという矛盾したニーズを軽々とクリアしてしまった本作に驚きを感じるし、非リッチなアニメーションでも良作はできるという好例だと思う。

彼女お借りします 2期

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 4人のヒロイン可愛いさ重視の良き作画と良き芝居
    • コメディとしての安定感
  • cons
    • 続きモノとして1期と同じテイストであるがゆえに、相対的にパンチ力低下に感じたこと

レンタル彼女を題材にしたラブコメの2期。監督は古賀一臣、シリーズ構成は広田光毅、キャラクターデザインは平山寛菜、制作はトムス・エンターテイメント、と1期と同じ座組である。特に、平山さんは1期2期含めて全話総作監で作画のクオリティを担保していた事は注目に値すると思う。

まずは、1期の振り返りについて。個人的にはかなり楽しめた作品ではあるが、世間的には主人公和也がクズ過ぎて作品に対して嫌悪感を持つ視聴者も一定数居た事は理解している。しかしながら、ヒロイン4人を可愛らしく描く作画、コメディとしての楽しさ、やや極端ながら話を盛り上げる演出、は本作の分かりやすい美点であった。さらに、千鶴の嘘(=レンタル彼女)と本音の二面性や、麻実からの嘘(=レンタル彼女)の否定という、千鶴vs麻実の対決の構図があり文芸面としても面白さを感じていた。2期では、この辺りのドラマの掘り下げも期待していた。

さて、本題の2期についてだが、まずは1期と変わらないテイストに安心感を覚える。物語の基本路線も相変わらず、流されがちな和也が千鶴を好きだと告白できずに、ズルズルとお金を払って千鶴とのレンタル彼女の関係を続けてゆく。ただし、和也の中で千鶴にお返ししたい気持ちが大きくなり、どう千鶴に恩返しできるか?というのが1つのテーマだったように思う。2期では琉夏が和也宅にお泊りしたり、実家の誕生日会で無理やりキスしてきたりとの積極的なアタックがあり、墨からの和也への助言があったり、他のヒロインからの踏み込みもみられた。 そして、これを受けて和也は翻弄されたり、千鶴への思いを強めたり、少しづつ変化してゆく。

麻実は、2期では大きな活躍が無かった。ただ、和也と千鶴がレンタル彼女関係にある事を確信しており、実家の酒屋のSNSを観測しながら決定的証拠が出てくることを、蛇のように手ぐすね引いて待っていた。

本作で琉夏だけは、裏表なく思うがままに直球で行動する。視聴者からの好感度の高さにも頷ける。和也の部屋に一泊する際、カバンにゴムを仕込ませつつ若い身体で誘惑し、既成事実を作って本当の彼女になろうとした。しかし、和也は琉夏が魅力的である事、だからこそ今の本気じゃない気持ちで抱けない事を伝えて、その場に流されず断り切った。琉夏は魅力的だと思われている(=嫌われていない)事実が判明し救われた。また、和也の実家での誕生日会では、千鶴の圧倒的優位な状況を目の当たりにし、焦燥感からトイレ前で和也に無理やりキスをした。流石の和也もこれには罪悪感を感じ、千鶴とのレンタル彼女の関係を家族の前で白紙に戻そうとするが、千鶴の祖母の容体悪化の連絡でチャラになった。よりシンプルに言えば、和也と千鶴の関係を脅かすヒロインとして存在する琉夏であるが、2期でもリーチまでしつつ流局という感じの悔しさである。

墨は、和也の事が明確に好きだが、そう切り出すことはできない。品川の水族館デート回で和也にお返しするという事自体、墨にとっては大奮発である。デートの最後で、困っている事があったら相談して、と和也に迫る。和也は、友達のことだけどと前置きし、唯一の肉親の祖母が入院した孤独、活躍してる姿を祖母に見せる夢をかなえられ家もしれない状況で、そいつに何もできない自分の不甲斐なさを吐露する。墨は千鶴の事と察しつつも和也の優しさに号泣、和也ももらい泣き、二人は手を強く握りしめる。墨は和也の力になりたくて悩みを聞いたが、これにより、和也にとって千鶴がとても大きくて大切な存在である事が分ってしまうという皮肉。でも、デートの別れ際にルンルンしていた事から、和也と千鶴の関係はポジティブに捉えているのだろう。

千鶴は、大役に抜擢されるかも(=レンタル彼女終了)というところから2期は始まるが、結局大役には選ばれず、和也が千鶴を応援したい気持ちもありレンタル彼女を継続してゆく。祖母の容体悪化にともない、最終的にはこのまま嘘の恋人関係(=レンタル彼女)を続けたいと申し出る。千鶴は、祖母が唯一の家族である。両親を早くに亡くしており、祖父母に育てられる。調子がよくて情に熱いタクシー運転手の祖父だったが、祖父も高校生の時に交通事故で亡くなる。二人に女優姿を見せる事が夢だったが、今のままでは祖母にそれを見せられるかも分からないという不安と焦りの中に居た。オーディションは続けざまに不合格。「夢は必ず叶う」と言葉の残した祖父の写真を抱えて、叶わない夢に涙を流す千鶴。

そんなとき、和也は千鶴にクラウドファンディングで映画を作れば祖母に映画を見せられるという本気の提案をした。一度は考えさせてと部屋に戻った千鶴だが、再び和也の部屋の呼び鈴を押し和也に訊ねる、本当に実現できるのか?と。和也からは出来る!必ずやってやる!の返事。千鶴の目に溢れた涙と、お願いの返事。このシーンの意味は、文脈的にはプロポーズとそれに対するOKである。それは、契約書のない契約であり、和也の傍観者から当事者への変化を表す。実際のところは、勢いだけで和也に映画が作れるとは思えず、脚本、監督、撮影、俳優などなどいろんなスタッフが必要になるだろうし、制作進行も制作費も管理が必要である。今の和也がどこまで見えているかは不安だが、それに乗った千鶴ともども、苦労してゆく必要があるだろう。

とはいえ、1期12話での和也は「君(千鶴)がいい!」からの、なーんちゃってムーブのカッコ悪さと比べれば、2期12話の和也は各段に主人公っぽくなってきたと言える。絶対に自分を安全圏内に置いていた和也が、身を挺して行動するだけの進化があった。

また、千鶴の祖父との関わりの描写も良く、祖父と和也の印象が重なる演出も上手い。中学時代のやんちゃな千鶴がグレずに育ったのも祖父母が居てからこそだろう。父親や兄弟の居ない千鶴にとっては祖父がもっとも身近な男性像であったのだろう。少し単細胞なところもあるけど、明るくて元気をくれる。しかし、「夢は必ず叶う」と言いつつ、女優になった千鶴を見ることなく他界した祖父は嘘つきでもある。千鶴にとって祖父(=男性)は、気持ちは嬉しいが信用しきれない存在、という無意識の刷り込みができてしまったのではないか。それが、千鶴の1期の強さに繋がっていたのだろう。しかし、2期の千鶴は頼れる家族も居ない不安、夢に追いつけない焦燥によりメンタルも弱っていた。和也からの提案は嬉しかったのだろうが、祖父と印象が重なるからこそ迷いがあった。それでも、今回は和也を信用した。2期12話だけで、これだけ濃密なドラマと、千鶴の守りたくなる可愛さを描いていたという意味で、本シリーズの中でも屈指の回だったと思う。

これまでの放送間隔から想像すると3期は2024年夏だろうか。原作漫画は既刊28巻で連載中。原作者の宮島礼吏先生からは、最近「最終回は決まっています」とのツイートがあったため原作漫画の完結も遠くないかもしれない。しかし、アニメ2期は原作12巻までなので、全部やるなら少なくとも残り2クールは必要だが、どうなるか。個人的には、千鶴の嘘と本音の垣根を取る事、そのために千鶴と麻実の対決があり、和也がどう振る舞うのか?みたいな話が見たいが、3期でそれが描かれるかはわからない。

最後になってしまったが2期全体の感想についてまとめておく。和也の成長や千鶴との距離の縮まりが描かれて物語がわずかに進展したが、物語の展開がゆっくり過ぎた。エッチ成分多めのラブコメの楽しさも1期同様の安定感だが、それゆえに1期と比べて相対的にパンチ力が低下したように感じてしまった、というのが率直なところ。最終的に和也と千鶴が裏表ないカップルになる結末がくるのを、気長に見守ってゆきたい。

咲う アルスノトリア すんっ!

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • キャラの可愛さ
    • 大部分を占める、日常系としてのストレスフリーな緩さ
  • cons
    • 残虐な騎士パートの構成の、浮き気味でトリッキーな分かりにくさ(ゲーム原作としての意図は想像できるが)

2021年3月からサービス開始しているスマホゲーム「咲う アルスノトリア」原作のアニメ作品。ゲームは魔法vs騎士のバトル要素がある様だが、本作では両者はすれ違い、衝突は描かれない。あくまで、魔法学園都市アシュラムで過ごす少女たちの穏やかな学園生活をゆるく描く。

原作はニトロプラス、原案は一肇。メインキャラクター原案は大塚真一郎でリゼロやグランベルムのイメージが色濃い。これに対して、アニメ監督の龍輪直征、シリーズ構成、全話脚本は後藤みどり。脚本構成的に独特な雰囲気で、どうやら、ゲーム系の作品の脚本を多く手掛けられている方の模様。

本作がゲーム本来のバトル要素を排除して、ゆるゆるの日常系アニメ作品に落とし込んだことは、かなりの挑戦だったのではないかと思う。ゲームへの導入を考えたときに、アルスノトリアたちの可愛らしさだけを全面的に押し出す。戦いにおける両者のイデオロギーについては完全にオミット。正義だ悪だのという倫理観の押し付けのないディレクションゆえに、その辺りについては何も考えずに見られる、ストレスフリーな作風である。基本的には。

アルスノトリアたちは全寮制でお城に住み込み、魔法やマナーの授業を受け、ペンタグラムという5人一組のチームを組んで行動している。このチームで力を合わせて連携魔法術を使う事になる。魔法は騎士への対抗手段なのだろうが、そういう勇ましさには触れない。ペンタグラムは年齢差のある生徒で構成されており、理系で落ち着きのあるアブラメリン、女性っぽいピカトリクス、元気印のメル、物静かで好奇心旺盛な小アルベール、そして嗅覚が人一倍強く、それでいて一番か弱そうなアルスノトリア。個人的には疑似家族に見えていて、父親役のアブラ、母親役のピア、3人兄弟のメル、小アル、トリだと感じた。ゲーム原作らしく他にもペンタグラムは存在し、多数の美少女キャラがチョイ役で登場する。

1話からして、午後から留守にしている連携魔法術の先生の部屋でお茶会をして、日が暮れ頃に茶会を終わるゆるさ。ミルクティーにスコーン。最初に塗るのはクロテッドクリームマーマレードかいちごジャムか。ジャムの蓋が開かない。日傘自慢。紅茶占い。ところどころ分からない作中の固有名詞もあるが、とりとめのない会話が続く。ところで、本作は英国のお菓子に対する造詣が深い。クロテッドクリームやスコーンの「狼の口」の台詞が出て来たアニメは、個人的にはこれがはじめてである。

そうこうしていると1話の終盤に脈絡もなく「Warning」の文字とともに騎士が市民を惨殺を繰り広げるシーンが描かれる。このパートはゲームで敵対する騎士を描くものだろう。ゲームを宣伝するという意味では、この緊迫感も含めたディレクションなのだろう。騎士のキャラも多く、視聴者に顔を売っておくという意味もあったのかもしれない。

この調子で学園パートと騎士パートは別々に進行してゆくが、アシュラムでは蟲や騎士を厄災とみなし恐れており、有事には戦闘する構えであることや、騎士は異端の「聞くもの(=アシュラム?)」を討ち取る事を目的としている事がしだいに分かってくる。ほのぼのとした日常系の雰囲気に、騎士によるアシュラム侵略の緊張感を持たせるという二重構造になっている。

面白いのは6話で下界まで買い出しに来たアルスノトリアたちが、不足物資を人間の村まで来て買い物するエピソード。彼女たちは魔法で人間からは視認されず、妖精たちのいたずらと考えられていたところ。掃除してお礼を貰ったり、彼女たちの微笑ましい行動が、微笑ましいお返しとして返ってくる。人間とアシュラムが直接交わる事はないが、少しづつ助け合う事で共生できていた。

しかしながら、騎士たちは「聞くもの」を大瑛帝国を脅かす存在として抹殺をもくろむ。シリーズを通して騎士たちが徐々にアシュラムにリーチしてくる緊張感。12話ではいよいよ騎士たちがアシュラムの城を炎に包み込んだかのように思わせる映像を入れる。しかし、アルスノトリアたちのアシュラムはそんな事にはなっておらず、平穏無事に過ごしている、というところで終わる。まるで、同時進行する並列世界ですれ違うかのような、ちょっと凝った演出である。

アシュラムの穏やかでゆるい学園生活は、外敵に怯えながらの生活であり、外敵に干渉されないなんらかの力や自警のための連携魔法術があってはじめて成立する世界である。その中で気心の知れた仲間たちと、家族のように互いを思いながら身を寄せ合って暮らしてゆく。その中に慎ましい幸せがある。そんな作風に感じた。また、物語としては授業で深夜に咲く花を観察するだとか、大雪が降ったら授業は中止とか、その後雪中で遭難しそうになるとかの話もある。お茶会ばかりではなく、そうした小さな冒険のワクワクも描かれており、視聴していて個人的にダレる事は無く楽しめた。

Engage Kiss

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    • ★★★☆☆
  • pros
  • cons
    • 特になし

久々のシリーズ構成・脚本丸戸史明作品。監督は田中智也。アニメーション制作はA-1 Pictures

ヤンデレ美少女×クズ男×年上元カノの三角関係ラブコメ。キサラがJK姿の悪魔で、シュウが悪魔退治のフリーランスで、アヤノがライバル会社令嬢という奇抜な設定が持ち味。ラブコメ50%、バトルアクション30%、シリアス20%くらいな感じ。

丸戸脚本という事でゲーム成分が多い。エロというよりも、ディープキスなどの濡れ場のシーンもちゃんと多いのが特徴。恋愛にだらしないクズ男に惚れた女子たちの嫉妬込みの恋愛感情をキチンと描く。シュウは悪魔と契約してまでして、家族の濡れ衣を晴らすために悪魔退治を続けるというハードボイルド風味のミステリー要素もあり。とにかく、ごった煮感が強い。

キャラデザインはゲーム的でもあり、特にキサラなどのキャラデザインに萌えキャラの雰囲気が伺える。アニメーションとしては、悪魔退治の外連味あふれる派手目なバトルアクションシーンが多い。

途中で身近な男性キャラが死んだり、裏切りがあったりサスペンスあり。シュウに惚れていた修道女も登場し、ヒロインたちは喧嘩しながらもシュウのために悪魔と戦い、最終的にはハーレム的な大団円で結ばれる。ラストでは、キサラが自分の記憶をシュウに返して記憶喪失状態になる。これにより、ヤンデレで面倒くさいヒロインが乙女に変化し、それでもシュウを信じてバトルするという流れにグッとくる。しかし、最終的にはヤンデレキャラが徐々に元に戻りつつある感じで〆る。鉄板の安心感。

全体に流れる事件の謎で引っ張るミステリー的な要素もあり、ラブコメやバトルが重すぎるという事もなく物語を楽しめる作品だったと思う。丸戸脚本のキャラの恋愛感情などは、割と細かくドラマ設計されており定評通り。が、個人的には、キャラに深く入り込むところまでの余裕がなく、雰囲気を楽しむだけで観終わってしまったのが少し勿体なかったと思う。

プリマドール

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    • ★★★☆☆
  • pros
  • cons
    • 一部、プロットに対して脚本と演出の粒度の粗さを感じたところ

戦争のために作られたオートマタと呼ばれる美少女型ロボットたち。戦後の新しい役目として喫茶店「黒猫亭」で働き、ステージで歌唱を披露する。そして、ときおり戦争の燃えカスがくすぶって物騒な事件が起きたり、という感じの物語。

シリーズ構成・脚本は、VISUAL ARTSの丘野塔也と魁が担当し、監督はバイブリーアニメーションスタジオの天衝という座組である。バイブリーは、2019年に「アズールレーン」を初作品として手がけた制作会社で、美少女が3DCGに強いイメージがある。作画監督は矢野茜が担当しており、本作の肝であるキャラの可愛さのクオリティに貢献している。

なお、Keyよりキネティックノベルと呼ばれる本作の番外編のゲームが順次発売される予定との事。

まず、文芸面だが、「記憶」や「壊れる」といったキーワードから連想させる切なく儚げな物語を思わせる。そして、それは「泣かせ」を強く意識したプロットにも感じる。それゆえか、本作は物語やキャラの感情の移り変わりのロジックが、ときにジャンプしてしまっていて、繋がっていないとか、ロジカルではない、と感じてしまう事が少々あった。具体的には、3話で箒星は最前線で歌唱し兵士を鼓舞する事で、兵士たちを結果的に殺してしまったのではないか?という罪悪感を持っていた。最終的には、戦没者の家族から遺品の手紙で箒星が感謝されていた事を伝えられ、赦されたことで失っていた声を取り戻す。ここでロジックがおかしいのは、もともと箒星が兵士たちに感謝されていた事は自明であるので、その事を知っても罪悪感を払しょくする理由にはならない、と私は思う。

また、12話で灰桜は論理機関に負荷をかけすぎて記憶が壊れる。周囲の人は覚えていても、灰桜は大切な思い出がこぼれ落ちて行く悲しみに打ちひしがれる(日記帳の絵と文字が雨で流されていくところがミソ)。しかし、千代との会話で「大切なのは記憶ではなくそう思う気持ち」の旨の発言で初期化(=完全に記憶をリセットする)を決心する。この時の灰桜の心情は複雑で、今の壊れた記憶の状況では灰桜自身も、周囲も、幽霊のような記憶に悲しむ事になる。だったら、魂に大切な気持ちが残る事を信じて、今の自分は自分の魂にも周囲の人の魂にも残るのだから、初期化してしまって良いというロジックである。ロジック自体に破綻は無いが、完全に初期化して自分自身に魂が残るか?という部分は、今まで例がなく説得力を持てなかった。だとしても、一度死んでキチンと別れる事が残された人たちのためにも良い、という考えの物語はアリである。

いずれにせよ、アニメ作品に期待する文芸としては、泣きのプロットありきでも、その間の感情を埋める脚本なり演出の細やかさやグラデーションがもうひとひねり欲しい。もしかしたら、ゲームであれば、台詞とプロットだけで物語を埋められてしまうのかもしれないが、映像ではそこを丁寧にやって欲しい。

物語の運び方については辛口になってしまったが、全体的なプロットとしては面白かったと思う。また、キャラの可愛さ、面白さは本作の肝であり、その点は十分に満足できた。戦闘用メカニカなどの音響も妙に迫力があり、いい仕事をしていたと思う。

また、本作は歌が重要な役割を持つが、キャストの歌うキャラソンの完成度も高く、聴きごたえがある。劇中で戦時中に桜花たちが歌っていた「機械仕掛けの賛歌」は硬い軍歌のイメージで、12話のラストでも歌う事になるOP曲の「Tin Toy Melody」は、戦争で一度死んで再び生まれ変わる感じの戦後の未来を予感させるイメージである。他にも個別のキャラソンにバラード曲などもあり、バラエティに富んだ楽曲を楽しめた。

シャインポスト(2022.10.21追記)

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    • ★★★★★
  • pros
    • 人間ドラマを主軸にした感動圧の高い脚本と演出
    • ドラマを信じさせるためにヌルヌル動く作画(歌唱シーン、日常シーンとも)
  • cons
    • やや感動に振り過ぎるため、脚本に強引さを感じさせるところ

ありがちなアイドルアニメかと思いきや、売れないアイドルグループの各メンバーの苦悩と葛藤、団結と成長を力強く描く人間ドラマが主軸の骨太な作品だった。

本作は、コナミデジタルエンタテインメントとストレートエッジの共同企画であり、電撃文庫から小説が発売されており、コナミからスマホゲームのサービスの開始が予定されている。アニメーション制作はスタジオKAI、監督は及川啓、助監督は成田巧。これは、ウマ娘2期の座組であり、感動圧の高さはある意味保証されていた。前半の脚本は小説執筆もしている駱駝、後半は樋口達人

何と言っても、本作の一番の美点は、感動圧の高いドラマ作りだと思う。そのために、キャラが追い込まれた状況に応じて視聴者にストレスをかける。そして、そのハードルを乗り越えたときの解放感を視聴者に共有させる。この感動させるロジックが、脚本、演出とも実に丁寧に作り込まれている。なので、視聴者は自然と流れに身を任せて感動できる作りになっている。

言及しておきたいのが、2話ラストの春の才能を目利きの観客に認めさせるシーンの演出。ここで視聴者の感情の誘導が、マネージャー、目の肥えた観客、ゆらシスのマネージャーの菊池さんなどの台詞により流されてゆく。目の肥えた観客にはこの程度のパフォーマンスは響かない→菊池は春のパフォーマンスを見抜き逸材だねと発言→春がリミッター解放→観客も春に魅了→マネージャーの狙いを解説、という流れである。要約すると、期待→残念→秘策?→覚醒→逆転ホームランという浮き沈みの多い流れになる。この感情の動きを見事にコントロールしている。

注目すべきは、このめまぐるしく変化してゆく展開を、マネージャーや観客の台詞や表情や歓声で視聴者に分らせることである。例えば歌唱シーンをMVにするラブライブシリーズとは異なり、歌唱中にもこれらの芝居を優先して描くドラマ重視のディレクションである。

そして、このドラマを信じさせるために、ライブシーンはヌルヌル動く。表情などを伝えるアップのシーンは3DCGではなく手描きの作画である。春と杏夏と理王のダンスの力量差は本作のドラマの肝である。春のダンスは綺麗で汗もほとんどかいていないが、杏夏や理王のダンスは遅れていて玉のような汗をかいている、という事を映像だけで見せる。

また、本作はライブシーンだけでなく日常芝居もヌルヌル動く。これは、表情の変化の細かな芝居を、より実写的な感覚で表現していると思う。気持ちの良いアニメーションにはツメタメがあり、ヌルヌル動けばイイと言うものでもない。しかし、本作は敢えて、ヌルヌルの動きに拘り、より生っぽい表情や感情表現を狙うディレクションだと思う。2話で定期ライブ直前にTiNgSがマネージャーにアドバイスをもらうシーンがあるが、これなどは実写的なヌルヌルした動きだったと思う。そして、ここぞという芝居では迫力を持たせる。7話のラストではじめて春が嘘で輝くシーンがあるが、その時の引きつった表情や、声の芝居の生っぽさは、本作屈指のシーンだと思う。

こうした、映像の力でドラマを信じさせるディレクションと理解すれば、このヌルヌルの動きの必然性は理解できる。

脚本は明確な問題解決型であるが、その問題や解決策を驚きを持って視聴者に伝えるために、当初はいくつかの情報が伏せられている。物語が進むにつれ、それらの情報が開示されてゆき、その都度視聴者を驚かせるという仕掛けである。それゆえ、脚本は少々強引さをともなうが、これは目の前のドラマに集中させるためのディレクションであろう。

また、本作の問題解決方法が、トラウマの原因となっている棘を抜き、潜在的に持っていた力を解放する形なので、個人的には短期間の成長も無理なく受け入れられた。

変化球ではなくド直球の人間ドラマで勝負するという、正統派アイドルモノのひとつの到達点と言える作品になったと思う。

ラブライブ!スーパースター!! 2期(2022.10.21追記)

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 相変わらずの軽快なコメディとエモさの両立
  • cons
    • 1期に比べて、少しエモさが減って、物語に散漫な印象を受けたこと
    • 勝利をさらっと描いた肩透かしのディレクションの意図が分からず困惑したこと

1期放送から1年後の2022年夏、アイドルアニメの代名詞とも言えるラブライブシリーズ最新作、スーパースター!!の2期である。

Liella!の結ヶ丘女子高は新設校のため全員1年生だったが、かのんたちも進級して2年生になり、新入学生の1年生を迎え入れる形でスタートする。昨年の東京大会2位による負けの悔しさにより、今年は勝ちに拘るところからのスタートである。

1期は、軽快なテンポのコメディとエモさが特徴の作風であったが、それは2期にも引き継がれている。しかしながら、2期はあらゆる面で漂流しているというか、ワザと肩透かしにしているというか、1期のような感動圧の高いエモさを意図的に外しているような印象を持った。狐につままれたような感触だった。

ここで、一度各話ごとのイベントを整理しておく。

話数 イベント・キーワード
1話 4月、今年こそ優勝、敷居の高きLiella、勧誘、新入生歓迎ライブ、きなこ入部
2話 優勝と楽しさの両立という難題、入部敬遠、目標下げてみた、きなこ早朝自主練→Liella集合、目標は優勝に戻す、マルガレーテ
3話 代々木フェス、高飛車マルガレーテ、Liella敗北、マルガレーテ→かのん挑戦状、Liella!は結ヶ丘の誇り、校内ライブ
4話 部長、四季仮入部、覗き見メイ、ドルオタのメイ、やってみたかったメイの背中押し、四季を一人にしたくない、向いてない、千砂都部長、素直になる、メイ四季入部
5話 夏美プロデュース動画配信、特訓、夏美腹黒疑惑、1年力量差コンプレックス、1年生合宿
6話 北海道合宿、去年の先輩を越える夢、1年生動画好評、露天風呂、夏美失った目標、かのんが夏美を勧誘、みんなとなら夢叶えられる、虹色ラベンダー畑、夏美入部、文化祭ライブ
7話 地区予選、リモートでフリー、寝不足恋、生徒会多忙?、恋→メイ秘密、ゲーム中毒、鍵預かるメイ、生徒会手伝い、ゲーム寝不足自白、笑って許す仲間、恋宅ゲーム大会、作詞かのん作曲恋、
8話 生徒会副会長かのん、自分たちらしい会場探し、神宮球場無理、オープンキャンパス、サニパステージ、街歩き、同級生バックアップ、道(=人=希望)が集まる場所、地区予選ライブ
9話 サニパがマルガレーテに敗退、Liella!東京大会進出、すみれ→可可心配、雨、マルガレーテ→かのん挑発、すみれ2年生だけで出場を提案、仲間割れ、練習中止1年帰宅、1年生→すみれに歌=ステージに立たない、可可→すみれ負けると上海送還ばらす、すみれ大嫌い大好き、9人練習強化
10話 東京大会直前、冬休み北海道合宿、大吹雪、千砂都→四季、恋→メイ、かのん→きなこ、可可すみれ→夏美、リモート会見、マルガレーテの言う本当の歌とは?、翌日遊んでみる、みんなで力を合わせて作る歌=Liella!の本当の歌、東京大会、結果発表待ち
11話 Liella!全国大会出場、年越し初詣、マルガレーテの出場動機?、かのんの夢は世界に歌を響かせたい、ラブライブ優勝が音楽学編入の条件だった、ラブライブなんてくだらない、届けたい思いで勝っていた、3学期、ウィーン留学話、かのん宅覗き見、留学はしない、千砂都→マルガレーテ、かのんに歌を学べ、千砂都留学して欲しい
12話 留学再検討、母後悔しないように、マルガレーテ→かのん留学して欲しい、夜学校呼び出し、Liella!全員集合、留学しようと思う、Liella!は8人で続けて欲しい、優勝しよう!、東京大会優勝、春、マルガレーテ結ヶ丘編入、留学は中止、どうなっちゃうの?完

あらためて、あらすじを書き起こすとこんな感じ。

2期は、かのんたち2年生と新入部員の1年生の力量差がドラマのポイントとして描かれた。強豪部活にありがちな、ハードな練習ではついてこれない、仲良しクラブじゃ勝てない、というジレンマである。特に1年生は音楽やダンスに特化した人材はおらず、スクールアイドルとしては素人同然からのスタートである(メイはガチのドルオタではあったが)。その大きなギャップを埋めてくのが、1年生組の去年の先輩を越えると(=足手まといならない)という目標であり、1年生で自主的に集まって練習したり、相談したりもした。そうして、徐々に追いついてくる1年生組の実力。

可可の件もあり絶対に優勝するためにも、東京大会でマルガレーテに勝ちたい、というメンタルに繋がってゆく。そして、よりハードな練習に挑むLiella!。10話の北海道合宿は、1年生も2年生を手伝いながら全員でLiellaの本当の歌を作り上げて行く。全員で力を合わせて歌を届けたい!その結晶としての東京大会は、9人の誰一人としてケチを付けるところがない完璧に調和の取れた歌とパフォーマンスを披露する。果たして、Liella!はマルガレーテに勝って全国大会出場の切符を手に入れた。

マルガレーテの存在というのは、かのんにとっての歌(=スクールアイドル)の哲学を自問自答するためにいたと思える。マルガレーテが認めていたのはかのんだけだった。ソロで歌うマルガレーテの芸術性、迫力もまた歌の力の一面ではあったが、そうした音楽理論だけでななくてハートの部分が大切だという事を、見つめ直すキッカケになった。

しかしそれは、ウィーン音楽学校留学の誘いとともに、かのんにとっての夢を見つめ直すキッカケになる。かのんの歌を世界中に響かせる夢と、Liella!で歌い続けることの二択である。そして、かのんは留学を決意し、Liella!は目の前の全国大会優勝を目指し、見事優勝を手に入れた。自動的に可可の上海強制送還も帳消しである。

ところが、ウィーン音楽学校側から留学中止とマルガレーテの結ヶ丘女子編入という新年度を迎えて、3期に続く。

2期のテーマは、仲間の強い結束力(=結ヶ丘女子=Liella!)が一番の強さであることだったと思う。

勝つ事を最大の目標としていたLiella!だが、序盤は勝利に突っ走るというよりも1年生組という雑味が混じる事での戸惑いのドラマがあった。そもそも、スクールアイドルとしての強みを持つ新入生が居ない。金儲け主義の動画配信者とか、白衣の発明家とか、純朴な田舎者とか。メイはスクールアイドルに憧れがあったが、他の3人は入学するまでスクールアイドルになる事も微塵も予想していなかった。この辺りの設定はコメディを優先してのディレクションなのであろう。1年生組と2年生組との実力差は大きく、それを大会までに埋めつつ去年を乗り越えて行く話になる。マルガレーテという敵役は居たが、あくまで自問自答による、去年の自分達との戦いであろう。

途中、部活内で技量の劣る1年生を外して戦うという作戦が提示されるが、最終的に全員で歌唱する事を決める。それは、Liella!(=結ヶ丘女子)は学校生徒と言う集団が大前提であり、その結束を持って勝たなければ意味がない、という信念による決断なのだと思う。この前提を崩したら勝利の意味は変わってしまう。その意味では、本作のテーマにブレはない。

そして、東京大会1位(=全国大会出場獲得)の時点で、個人芸のマルガレーテに勝利し、Liella!の記録更新の目標は達成できた。最終的にもラブライブで優勝し、2期の最大の目標である「勝利」を完全に掴んだ。

個人的には、Liella!が2期で優勝するのは意外であった。2期であれだけ勝つことを目標にしていたので、優勝してしまうと真っ白な灰になって完結してしまいそうだったから。しかしながら、2期ではあっさり優勝して日本一になってしまった。2期の演出で一番意外だったのは、勝利を感動的に描かなかったこと。これは間違いなく狙ったディレクションだと確信するが、その意図は正直分からない。プロセスが主、結果は従とするために美化しなかったのかもしれないし、3期まで続く事を考慮したときに優勝で燃え尽きても困るからかもしれない。

そして、3期につながるテーマとして終盤で浮上してきたのが、才能と夢の実現というテーマではないかと思う。

ライバルとして登場したマルガレーテは、ウィーン音楽学校に入る条件として、ラブライブを蹴散らすために送り込まれた刺客である。そのマルガレーテはラブライブを見下していたが、かのんの才能だけはを認めていた。そして、東京大会でLiella!がマルガレーテに勝利したことで、ウィーン音楽学校からかのんに留学の誘いが舞い込んだ。かのんの夢は「世界に歌を響かせたい」であり、夢にリーチしてゆく特大のチャンスである。紆余曲折がありかのんは留学を決心したが、最終的に留学はチャラとなり、マルガレーテの結ヶ丘女子編入(=面倒を見る)というオチがついた。この文脈から察するに、「才能と夢の実現」はそのまま3期のテーマになるのではないかと予想している。

長々と書いたが、2期は王道直球というよりも、チェンジアップ気味の肩透かしだったりの変化球が多いように感じた。そのせいで、優勝までの道筋をワチャワチャと散漫に展開してしまったとも言える。これは、本作クリエイター陣のフットワークの軽妙さにも思えるが、スタッフ本来の爆発力が生かされていなかったようにも感じる。

3期の3年生編では、かのんたちは最後の1年間をどう過ごし、卒業してどこに羽ばたいて行くのかという物語になると妄想している。高校生活の中で時が止まってしまうラブライブシリーズの中で、キッチリ卒業を描くのであれば、それは異例の試みとなるかもしれない。スーパースター!!シリーズの3年目の〆をどう持ってくるのか? 期待と不安を抱きつつ、順当にいけば2023年夏期になると思われる3期を待とうと思う。

おわりに

今期は、シャインポストが強すぎました。これを書いている時点でまだ、10話〜12話が残っていますが、楽しみで仕方ありません。

世間一般的には、リコリコが覇権的に盛り上がっておりますが、納得の完成度だったと思います。成功した理由など、所説言われていますが、攻めたガンアクションのシーンと、色んな人が色んな角度から見ても受容できるラインの見極めの上手さ(=多数の人が不快感なく盛り上がれる)だったのかな、と思います。

個人的には、アサルトリリィに続き佐伯監督のルミナスは、観ていて作品自体が好きになるというか、愛でたくなる、心の清浄効果ある作品で癒されました。

他にもエクハやアルスノトリアやかのかりなど、楽しさは分かるけど言語化しにくい作品が多くなってきたような気がします。それはそれで、ブログを書いている私もやりがいはありますが。

創作関連ノウハウ動画

はじめに

夏季休暇中に、バラバラと創作関連の動画を観ていたが、メモを一か所に纏めておかないと流れていってしまうと思ったので、はてなブログに備忘録を残す事にした。

なお、ここで言う創作は、小説、漫画、イラストを主眼に置いている。

散発的に見ているため、あまり体系立ってはいないと思うが、適宜、追加、差し替え出来れば、と思う。

ノウハウ動画

物語ノウハウ

  • “絶対に売れる物語”は作れるか?〜小説家・森沢明夫「小説の書き方」から考える物語と届け方のヒミツ【山田玲司-369(山田玲司先生)

漫画ノウハウ

アプリノウハウ

Clip Studio Paint

Youtubeチャンネル/プレイリスト

おわりに

私の場合、1年に一度年賀状を描くくらいのタイミングで、板タブとCLIP STUDIO PAINTを使うというのを、もう何年も繰り返してきているが、余りにも使い方を覚えないので、少し入門のYouTube動画を見始めた、という感じである。

下手な入門書よりもポイントを突いた情報が取り出せるYouTube動画のプラットフォームは偉大だな、と思う。ただ、それを見つけられなかったり、活用できなければ無いと一緒だような、と思いつつ。

身に着けるか否かは別として、まずは、ノウハウの入り口として。

シャインポスト(1話~4話)

はじめに

個人的には、ありがちなアイドルモノとして触手が動いていなかったのですが、ふたを開けてみたらかなりの剛速球の脚本と強演出な作風で引き込まれました。

制作はスタジオKAI、監督は及川啓ウマ娘2期の座組で感動圧の高さは、ある意味保証されていました。

1話〜4話まで視聴していますが、本作の良さを広めたい気持ちで、いつものブログ記事に感想・考察をまとめました。

感動モノがお好きな方は、特にオススメです!

感想・考察

細部まで作り込まれた歌唱シーン

蛍の武道館ライブ

本作全体の掴みとなる1話アバンは、4年前の蛍の武道館ライブの歌唱シーンだが、とにかく細部まで作り込まれている。

観客席のペンライトや、カメラが大胆に空中を移動するシーンは3DCG、アップの表情や手の仕草が重要になるシーンは手描きで描かれていると思うが、手描き部分も極めてスムーズ。歌唱シーン全体を通しての違和感が無い。

ポージングも身体を大きく折り曲げたり、ステップ踏んでターンとか、ダンスの基本が出来ている。蛍はピンのアイドルだから多くのダンサーが囲んでのステージで賑やかさを演出するが、ダンサーの顔はそれぞれ違う。

想像するに、手描き部分でも、3DCGのアタリを取って手描きで微細な表情を乗せて書き直しているのではないかと思う。ちょっと面白いのは、カメラがシームレスにステージ上から観客席上空まで引いて再びバックダンサーに寄ってゆくカット。最初と最後は手描きで、間の引きの部分は3DCGなのだが、間にダンサー腰のアップや、紙吹雪のアップのカットを挿入して違和感を軽減するという小技も使っている。

曲の最後の決めの部分は、「愛の名のもとに、Sweets Salender」のスタッカートの歌詞と共に、前方の梯子のようにならんだダンサーがカメラを避けつつ、カメラは真っ直ぐ蛍に寄ってゆき、蛍のアップの表情を写す。

単純に3DCGと作画のシームレスさで言えば、虹ヶ咲やスーパースター!!の方が綺麗だが、作画の勢いやライブのバタ臭さ生っぽさに本作の強みを感じる。

TiNgSの歌唱シーン

TiNgSの3人の技量は不揃いである事は、本作のドラマの肝になる部分である。本作では、そこをダンスシーンの映像で誤魔化さずに表現する。当然、キッチリ揃った動きよりも、三者三様の動きを作る方が手間がかかるハズであるが、本作はそこを逃げない。真面目と言うかストイックな作風である。

春は高いダンス技術を持つがゆえに、杏夏と理王の動きを見て、ある意味マイナス方向に調整していた。理王は技術、体力ともに低く、動きが遅れてブレが大きい。杏夏は二人の中間という印象。これを、映像だけで見せる。

1話のマネージャーにダンス披露したときも、2話の定期ライブの「TOKYO WATASHI COLLECTION」でも、4話の「一歩前ノセカイ」でも、これはキッチリ描かれる。具体的には春は動きが綺麗で、息切れしないし汗もかいていない。杏夏は動きがブレていて、理王は明らかに遅れてる。しかも、2話は春のリミッターを外しているので、その差が大きく描かれる。これは、目利きのドルオタが春のダンスに唸るという肝となるシーンだからこそ、動きに情報を込めて説得力を持たせる。

TiNgSのライブシーンは、虹ヶ咲やスーパースター!!と違い、1分30秒のMVとしては作っておらず、2話では観客の驚きやマネージャーの戦略の台詞が入るし、4話ではEDのスタッフロールと重ねている。個人的には、これは大歓迎で、1曲をそのまま高カロリーのライブシーンに当てなくても、ドラマや止め絵で省略できる部分を省略するのはアリだと思う。なにより、本作はドラマを詰め込み過ぎているので、1曲1分30秒の間、間延びする事がなくていい。

個人的に2話が好きなのだが、Youtube動画にはなっていないので、その時の曲の「TOKYO WATASHI COLLECTION」のリリックビデオを貼っておく。

日常芝居でもヌルヌル動く作画

1話の春の登場シーン

1話Aパートで主役の春がコンビニから事務所の社長室まで移動するシーン。アイスを取り、席に座って食べてアタリが出る。歩道を走り、横断歩道を駆け抜ける。事務所ビルの自動扉が開くまで足踏み。制服からトレーニング着に着替える。廊下をスキップしながら移動。社長室の扉を開く。一連の動作がヌルヌル動く。

春の日常のテンションの高さを表現するためだろうが、それにしても過剰とも言えるヌルヌルである。

通常、アニメーションというのは、ツメ・タメや外連味というか、省略できるところを省略した方が気持ちイイ映像になる。これは、動画枚数をふんだんに使ったリッチなアニメーションにおいても例外ではなく、ヌルヌル動けばいいってもんでもない。

しかしである。本作は動きの外連味よりも、あくまで滑らかにヌルヌル動かそうとしている印象である。

2話の定期ライブ開演前のマネージャー助言のシーン

私が、ハッとしたのは、2話の定期ライブ開演前にマネージャーにTiNgSの3人に助言をするシーン。

不安な表情で緊張を隠せない舞台袖の3人。マネージャを見つけて駆け寄ってきて助言を求めるときの安堵の表情。マネージャーから一人ずつ助言する。杏夏の表情の変化は、安堵→驚き→困惑→再び驚き→助言を噛みしめる→決意と言う流れ。理王の表情の変化は、厳しい表情で助言を噛みしめ→真剣→驚き→いつものドヤ顔。春の表はピースで満面の笑み、身振り手振りあり。表情の変化が目まぐるしく、三者三様である。

このシーンで直感したのだが、本作の動きは出来る限り、写実的というか、現実の人間が出来うる動作をしている。リアルというよりもリアリティなのかもしれない。この、目まぐるしい表情の変化は漫画は不得意とするところだろう。アニメーションの芝居は身体を使ったアクションは目まぐるしく動かせても、表情を目まぐるしく動かすのは難しいと思われる。

この表情の変化は絵コンテに全て描かれているハズである。しかしこれが脚本に書かれているか否かは分からない。脚本レベルでこの粒度の表情指示がなされているとすれば脚本がかなり濃い。もし、絵コンテで盛っていたら、それはそれでかなりの演出力である。お話を流すだけなら、ここまでの詰め込みは要らないし、余計なコストとなる。しかし、本作では敢えてここに注力してリアリティ(=説得力)を出す。

レイアウトはキャラのバストショットが多かったり、どちらかというと単調気味である。しかし、これも狙いと思える。

つまり、本作はマネージャー視線でアイドルを観測するドキュメンタリーという体裁であり、そのためにカメラに写る映像は、できるだけリアルタイムな生感を持った映像であるべき、というポリシーに感じる。そこに、外連味などの誤魔化しは無い。ストイックなまでに映像での説得力に拘る。

そう考えると、このヌルヌルのディレクションも理解できるような気がする。スタッフはかなり真面目だと思う。

脚本・演出

本作の脚本はド直球の問題解決型である。物語的には売れないアイドルの問題点を解決して成長してゆくサクセスストーリーと言える。

1話2話は、TiNgSの3人の力量の差を春がマイナス方向に調整していた事と、そもそもTiNgSに客が着いていないという問題。これに対して、春のリミッターを外し目利きのファンを唸らせて、定期ライブに100人の集客ができるようになった。

3話4話では、輝きたいが失敗を恐れ、本心とは裏腹に脇役に徹するという行動を取ってしまう杏夏の自己矛盾のストレスが問題。これに対し、マネージャーがセンターで歌わせる事を決定事項とし、杏夏への説得で失敗の恐怖を取り除き、成功体験を作る事で乗り越えに成功した。

これらの問題が弱小アイドルとして有りそうだし、解決方法もロジカルでドラマの筋にブレが無い。しかも、キャラに寄り添う丁寧で強い演出のため、4話などはAパートからウルウルしながら観ていた。

そして、問題解決型ゆえに、解決後のカタルシスは大きく解放感が強い。本作の強さは、このストレスからの大きな解放感にあると思う。主要スタッフはウマ娘2期と重なるが、納得の感動圧である。

個人的には2話が一番好きで、2話の時点ですでに特大ホームランになっていた。TiNgSの3人の表情がイキイキしてゆく様が気持ち良かったし、成功までの道のりのロジカルさ、マネージャーの名探偵のごときお見通し感、全てが決まっていた。

キャラクター

青天国 春

春は表裏がなくポジティブ。アイドルとしての実力も高く、TiNgSをセンターで支える。

2話で、マネージャー助言により、杏夏と理王ではなく観客を見る事でリミッターを解除し、持ち前の「調整力」で観客に合わせた最高のパフォーマンスを発揮し、うるさ型のドルオタの固定客を獲得した。

1話のマネージャーに対する回答は、シャインポスト(=世界中の人がアイドル好きになるための道標)になる。個人的にはこの台詞も真意を掴み切れていないところがあり、道標=方向性という意味だろうが、誰からも好かれるアイドルのお手本という理解でOKなのだろうか。

考えすぎかもしれないが、春の問題はまだ残されているように思う。それは、春自信の売り込みよりも、杏夏や理王や全てのアイドルを好きになってもらいたい、という考え方が伺えるところ。つまり、他のアイドルとのタイマンでは負けるという勝負弱さ、もう少し言うと無欲過ぎるという問題をはらんでいるように思う。

また、春はその「調整力」がストロングポイントとして描かれているが、裏を返せば日和見主義的にもとれる。優しすぎて雪音のように直球でキツイ事を言えない。だからこそ、マネージャーが来るまで、TiNgSがポテンシャルを持ちながら埋もれていたという設定にも説得力がある。

学校生活では、三つ編みメガネと地味目なのも気になる。日常生活の地味さと、アイドルとしての眩しさとのギャップ(=明暗)を意図的に付けている。

それと、OPですれ違いからの因縁めいた振り返りが印象的なHY:RAINの黒金蓮との過去に何らかの問題があるのかもしれない。

これらの要素が、今後の物語にどう関わってくるのか、まだ底知れない何かがありそうで楽しみ。

玉城 杏夏

TiNgSではメインMCを務める杏夏だが、3話4話でマネージャーに攻略された。

1話のマネージャーに対する嘘は、自分が特別な存在でなくても、グループが特別な存在になればいい。どうも、引っかかる言い回しだと思ったら、直球でセンターに立ちたい、の意味だった。

客観的に分析できる強みもあるが、それゆえに常識の枠に囚われやすく、思いがけずロジックで言い訳を作りがちである。「平凡」だからと言い訳し、「特別な存在」になりたいという本音を覆い隠してストレスを溜めていた。

マネージャーにほだされる形で、因縁のセンターの曲「一歩前ノセカイ」を歌い、ファンのトッカの熱烈な応援もあって、失敗に対する恐怖を克服し、トッカにとっての「特別な存在」になるという成功体験を得た。

マネージャーに「そういう子供らしいところもイイと思うよ」と言わしめた事が、皮肉ではなく論理的な大人になりきっていない杏夏のアイドルとしての誉め言葉である。

聖舞 理王

TiNgSでは、「当然よ。何故なら私は理王様だから」が決め台詞。ダンスに難あり、アイドルとしての力量不足は自覚している。それゆえに、理王のファンは春や杏夏に比べて少なく、2人に対して劣等感を持っているハズ。

グループ内でも最年少の14歳。実際に子供っぽくて、上手くいかないと拗ねるし、大好物のプリンで手玉を取るようにご機嫌をコントロールされている。小動物っぽい可愛さである。

1話のマネージャーに対する嘘は、みんなから尊敬されるアイドルになりたい。これが、嘘だと言うのだから複雑である。

直球で解釈すれば、尊敬されたくない=軽蔑されたいだが、どちらかというと=愛されキャラになりたいと解釈すればよいのか。もともと、アイドルがキャラを作り上げるのは普通にある事だと思うが、理王の決め台詞の「理王様だから」も、本心とは違う嘘という事になるのか。

全くの余談だが、TINGSの中で理王だけが名前に季節を持たない。この辺りも、何か意味があるのか?

いろいろとまだ読めていないが、おそらく5話6話が理王の当番回と予想されるので、その意味でも5話が楽しみである。

祇園寺 雪音

ゆきもじは未だデビューさえしていない。だからこそ、既にデビューしているTiNgSでありながら、アイドルとしての切磋琢磨から逃げた杏夏への口調は思わず悔しさも込みで厳しいものになる。しかしながら、口ではキツイこと言っても、内心はかなり相手を気使っており、かなりの熱血キャラである。

雪音と春の対比は、北風と太陽を連想させるし、父親と母親の関係にも似ている。

よほどの体力自慢なのか、トレーニング室で腕立て伏せ992回というネタは今後行かされるのだろうか。

伊藤 紅葉

ゆきもじのもう一人。ちびっこキャラで理王と同学年。ダンス上手との事だが、そのことでダンス下手な理王を見下す。

日本語の使い方がトンチンカンで、理王とのアホ会話が楽しい。「馬鹿って言われる方が馬鹿」「確信が自信に変わった(ランクダウンしてんじゃん)」など、理王が突っ込みに回るほどの名言のオンパレードである。

意外にも、雪音が杏夏の悩みを解決したい事を見抜いていた。論理的な会話は苦手だが、実は天才肌のキャラなのかも知れない。

日生 直輝(マネージャー)

作品内で、TiNgSメンバーから名前ではなくマネージャー君などと呼ばれているのは、名前呼びだと人格を持ったキャラになってしまうためで、自分自身の個性を持たない匿名性の高い透明なキャラとしての位置づけを大切にするためのディレクションではないかと思う。

これにより、TiNgSは異性として好意を寄せる事もなく、マネージャーと関わっているという立ち位置を明確にする。スポ根モノならコーチである。それから、視聴者はマネージャーの目を通してTINGSの最深部に触れて行く事になるため、その依り代に余計なノイズを含ませないという事もあるのだろう。

マネージャーの嘘つきが輝いて見える設定は面白いが、その特殊能力がマネージャとしての力量に直結していない所がまた面白い。能力でチートになる訳ではなく、あくまで演出上のスパイスである。

冷静な喋りと力強い眼差し。鋭い観察眼と適切な療法。頼れる人脈。アイドルのために最高の環境を準備する徹底した仕事。本作で最もクールで熱い存在である。

マネージャーの流儀には信頼関係が重要な要素にあると思う。誤解を恐れずに言えば、マネージャーはTiNgSを調教して訓練された優秀なアイドルにしようとしている。他人が他人を動かす(=変える)。そのためには、お互いの信頼関係が肝になる。また、マネージャーはTiNgSの頑張る気持ちに反応して仕事をしている。走る気のない競走馬の面倒は見ない。全力で走りたい競走馬の走るべき方向を指示する。そして競走馬からの信頼を受けて更なるをフィードバックする。

4話の杏夏のマクドナルドでの説得にマネージャーのロジカルさが現れている。杏夏のロジックとマネージャーの説得は、下記の階層になっている。

  • 春がセンター、杏夏は脇役(=MC)が適任(=正しさ)
    • →アイドルは正しい事ではなく、やりたい事をやる
  • 失敗が怖い
    • →間違えたら、マネージャーがリカバリする(=安心して間違えていい)

さらに、マネージャーが凄いのは、上から目線で論破するのではなく、相手の目線まで降りてきている点にある。泣きじゃくる杏夏に「子供らしいところもイイと思うよ」と言い、ピクルスを取り除いていた件で「子供ですか」と返される。正しい事ばかりしている大人からの助言だと説得力に欠けるが、マネージャーも子供っぽい(=正しくない)という所が、杏夏に寄り添う彼の優しさに感じた。

おわりに

2話かけて問題提起と問題解決を描くゆっくりしたスタイルですが、これも主要キャラが5人と少ないところのメリットが出ていると思います。

まだまだ、他のキャラも謎と言うか、提示されていない情報がたくさんありそうなので、いわゆる今後の展開が楽しみ、というところです。

いやー、本当に面白いっす。

映画 ゆるキャン△

ネタバレ全開につき閲覧にご注意ください。

はじめに

ある意味、エポックメイキングな作品となったTVシリーズの「ゆるキャン△」。その映画の感想・考察です。

10年後の大人の5人を描くという事で、色々と身構えて観てきましたが、想像以上にゆるキャン△そのものでした。

ちなみに、TVシリーズ1期の感想・考察も書いていますので、良ければこちらも読んでみてください。何が変わって、何が変わらなかったのか。その辺りをずっと考えていました。

感想・考察

テーマ

JKから社会人への変化

TVシリーズから映画の5人の変化点を下記に列挙する。

No. 項目 TVシリーズ 映画 備考
1 職業 JK 社会人
2 年齢 16,17才? 26,27才くらい? 年齢は推測
3 時間 ある ない
4 お金 ない ある キャンプ用品くらい買える
5 キャンプ 毎週のように 遠ざかってる
(なでしこ除く)
6 ストレス
心配事
少ない 多い

TVシリーズでは、JK時代の楽しいキャンプ生活を描いた。何をしても新鮮でキラキラ輝いていた。気の置けない仲間とも馬鹿言って語り合った。

映画では、10年くらい経過し社会人となった5人を描く。みんな仕事も住所もバラバラ。最後にみんなで集まったのは3年前のキャンプ。それぞれの生活に追われ、キャンプも遠ざかっていたが、ゆるくSNSで繋がってはいる。

ちなみに、大人になった5人ではあるが、異性関連については触れられていない。流石に結婚話はなかったが、恋愛や失恋の1つや2つあってもおかしくはない。しかしまぁ、そこはファンの心情を考慮してスルーしてくれたスタッフのファンに対する優しさだろう。とりあえず、現状で5人ともシングルでフリーの扱いだったと思う。

大人になった5人は、それぞれに何らかの行き詰まりを抱えていた。リンは仕事の成長、大垣は観光推進機構での今回のプロジェクト、あおいは赴任先の小学校の廃校、恵那は愛犬のちくわの老衰、なでしこは、多分販売員としての業績のように思えた。誰もが順風満帆ではなく、少しだけ人生の陰りのようなモノを漂わせていた。

ここが、TVシリーズと映画の最大の変化である。つまり、ストレスフリーと言われていたTVシリーズに対し、明確にキャラ(≒観客)にストレスを与えるディレクションになっている。それは、多くの観客もまた社会人であり、仕事をしながら趣味でキャンプを楽しむ人たちに寄せて共感できるようにするためだったのではないかと思う。

5人が集まるという意味

個人的な事を言うと、私も高校時代につるんでいた友達が数人いて、掛け替えのない宝だな、とかはたまに思う。勿論、片田舎の高校の友達ゆえに、大人になってみるともっと凄い人は世の中たくさんいる事も分かってくるのだが、この時の友達ほど気さくな会話ができる関係というのは、その後はなかなか出来ないものである。

高校を卒業し、就職や大学進学、地元に残る者、都会に移り住む者、みなバラバラになったが、正月やお盆の帰省で集まって飲みに行ったり。そうこうして、みな家庭を持ったり、独身もいたり、生活も変わったり、仕事も変わったり。そしてだんだん疎遠になり集まる事も少なくなっていった。そういえば、コロナ禍になった頃、リモート飲み会したな、とか。

社会人になってこうした友人と飲み会で語り合い、自慢したり、愚痴ったりする事もあるが、彼らとは損得勘定の打算がないから、本音をぶつけられる。例えその事で問題が解決しなくても、ただ聞いてくれるだけで気休めになる。無理すんな、の一言で気持ちが軽くなったり。時には、既婚女性に惚れてしまったなどと告白されて、無責任に不倫を応援するのもなんだし、辛いな、くらいの相槌しか出来なかったが、それでも聞いてくれてありがとうと彼は言っていた。

話がかなり脱線したが、今回の映画を観て、なでしこたち5人の友人関係に、こうした自分の高校時代の友人関係と似た感覚を持ったファンは多いのではないだろうか。

この5人の関係で感じるのは、誰かが困っていたときに、その問題を排除したり、解決したりしてくれるわけじゃない。問題に立ち向かうのはあくまで自分で、ただ側にいて話を聞いてくれたり、誰かの行いが他の誰かの勇気になったり。一緒に馬鹿騒ぎしてガス抜きしてくれたり。そうした、互いに依存し過ぎない、ある意味ドライさなのだが、それが良いなと思う。そして、その距離感は、ゆるキャン△が延々と描いてきたモノだと思う。

何を「再生」したのか?

本作のテーマが「再生」にある事は明白だと思う。

  • なでしこ、リン、千明、あおい、恵那の5人
    • キャンプ熱の再来
    • 行き詰まり感じていたメンタルの再生
  • キャンプ場作り
    • 閉鎖施設や設備の再利用
    • 縄文時代の住空間をキャンプ場として再生

一番大きいのは、細くなっていた5人の繋がりが、以前のように太くなった事だと思う。それは、ラストの5人とも個人のテントを持ち寄って年越しキャンプをした事が象徴となっている。

また、社会人になりすり減ったメンタルは、友達との交流を通して癒されていく。小学校の廃校を悲しむあおいの気持ちに千明が寄り添い、なでしこのキャンプの楽しさの伝搬が喜びと言う話を聞いて、リンの励ましになったり。そうして、今の人生をまた一歩踏み出してゆく。

キャンプというのは非日常であり、ゆっくりとした時間の中で過ごす事で、新たな気付きや気持ちの整理ができたりもする。そして、キャンプが終われば日常に戻る。なでしこがリンと八ヶ岳の秘湯で湯治するのも同じこと。キャンプ自体が「再生」との相性が良いテーマだと思う。

そして、リンが劇中で決めたキャンプ場作りのテーマは「再生」。建物や巨大鳥かごやドラム缶や小学校の遊具を再利用し、インフラを再整備した事は、「再生」と直結している。

ちょっと面白いのが、縄文時代の住空間を時代を超えてキャンプ場に再利用するという考え方。キャンプ生活が、電気もガスも無かった縄文人の生活スタイルに近づいてゆくことになるという発想。キャンプを通じて、同じ星空を見て、同じ景色を見て、縄文人と同じ空間を過ごすという体験。これは、時代を超えた住空間の再利用を描いていたとも言えるだろう。

ラストの5つのテントの意味

EDでは、キャンプ場オープンから年末までの間の3か月間の5人の様子が描かれる。そして、ラストに5人がそれぞれのテントで元旦のダイアモンド富士を見る姿で映画は終わる。

それはもちろん、2期2話で千明とあおいが拝みそびれた初日の出のリベンジという意味もあるが、それだけではない。

工事中はなでしこがレンタルしてきた巨大テントで一緒に寝ていたというのは、なでしこやリンはともかく他のメンバーはテントを持っていなかったからではないかと思う。それがラストでは、各自テントを持ってきているという事は、趣味としてのキャンプが再開したと捉えてもよいだろう。そして、同じキャンプ場でありながらテントが違うことで、本作のテーマでもあるソロキャン(=自分に向き合う)的なニュアンスも漂わせる。

この1カットを持って、依存し過ぎず、ときおり交差して楽しい時を過ごして息抜きする、大人の5人のよき関係の復活を宣言していたと思う。

それは、TVシリーズから連綿とつながるゆるキャン△の良さであり、映画でも変わらなかった本作の魅力だと思う。

キャラクター

志摩リン

ストイックで本好きのリンは、名古屋で出版社に勤めていた。営業から編集に配属が変わり、この職場ではまだ半人前である。祖父の大型バイクを譲り受け、ときおりツーリングにでかける。バイク屋の店員の綾乃とも繋がっていたりする。満員電車に揺られての通勤、企画はボツる、色々と行き詰まりを感じていたところであろう。

千明に無理やり頼まれて、キャンプ場作りをOKするが、それを連載企画として採用され、仕事でもそれで回り始めた。しかし、その事が職場の先輩の負担になっている事を後で知る。

キャンプというのは非日常を過ごすが、いずれ日常に戻る。この非日常で普段過多になっている情報を遮断し、自分を見つめ直したりできるところが良い所だろう。また、名古屋から山梨までバイクで4時間のツーリングである。このツーリングで、とりとめのない事が脳裏に浮かんでは消えて行くのも、キャンプ同様の非日常の効果があると思う。

リンはキャンプ場作りにおいて、自分が過去キャンプしていたキャンプ場を周り、コンセプトを確認する。これにより、自分の過去のキャンプを振り返り、自分たちの新たなキャンプ場のディレクションを決める。これは、ある意味創作活動であり、今のリンの仕事だからこそである。本作の「再生」というテーマは色んな意味にかけられているが、リンにとっての「再生」は、何もかも手を入れて綺麗にしてしまうのではなく、今あるものを受け入れて味わう、というニュアンスに感じた。

そして、遺跡発掘→キャンプ場作り頓挫→先輩に甘え過ぎた→仕事に励む→ますますキャンプ場作りから遠のく、という流れのなかで、リン自身も以前にもまして仕事に追われ疲労困憊してゆく。

そんな時、なでしこの誘いにより、八ヶ岳の秘湯まで湯治に行く。それは、なでしこからの、停滞する今の状況にモヤモヤする気持ちの共有と、意気込みの告白だった。キャンプの楽しさを広めたい。そして、リンちゃんなら出来るよ、の台詞。5人の中で一番忙しくて、負担が大きく、しかも今作業が頓挫しているから、リンの心が一番折れやすい。だからこそ、なでしこも一緒に成し遂げたい気持ちを伝えた。その後、二人で市庁舎に直行する展開が熱い。

オープン当日のビーノの活躍は、完全にファンサービスであろう。我らのリンちゃんの復活を高らかに気持ちよく宣言するものであった。

各務原なでしこ

常にポジティブでバイタリティー溢れるなでしこ。キャンプだけでなく普段からロードバイクに乗るストロングスタイルのアウトドア女子になっていた。東京でアウトドアショップの販売員の仕事をしていた。

本作のなでしこは、JK時代に比べ、なんとなく心の片隅にモヤモヤを抱えていたような気がした。それは、絵の表情の雰囲気だったり、声の演技だったりしたのかもしれない。単純に大人になって落ち着いただけだったのかも知れない。

しかし、各キャラが何らかの行き詰まりや悩みを抱えていた事を考えると、もしかしたら、なでしこは自分の営業スタイルに少し自信を無くしていたのではないかと思った。お客様のニーズと予算を考慮するのはいいのだが、他店の商品をすすめてしまうのは販売職としては致命的であろう。店長は大目に見ていたが、そこをなでしこ自身も引っかかっていたのではなかろうか。

キャンプ場作りが遺跡発掘のために頓挫しているとき、八ヶ岳の秘湯でリンに告白する。キャンプの楽しさを伝搬し拡散したい。その気持ちは、リンに発破をかける言葉になったが、なでしこ自身への言い聞かせにも思えた。

最終的に、なでしこはガスランタンの購入で迷うJK3人組の背中を押す事ができた。ガスランタンはなでしこが最初にバイトで買ったキャンプ用品である。

結局、なでしこにブレがあったのか否かは分からない。でも、なでしこの生き方と思いは、キャンプ場造りを通してより強固になる。

大垣千明

千明は、いつも言い出しっぺで、みんなを引っ搔き回す。ある意味、問題児である。

今回のキャンプ場作りの件は、他のメンツはともかくリンが一番説得に手間がかかる事を見越して、最初にリンを口説くという作戦だったのではないかと想像する。気遣いはできるが、巻き込むと決めたら強引なヤツ。だが、憎めない。リンを無理やり連れて来たのは、リンに土下座して頼むのと同じ事だが、その重さをリンも理解しているところが良い。

遺跡発掘でキャンプ場作りが頓挫しそうになった時は、千明が一番辛かったであろう。それこそ、みんなに土下座してもいいくらいに。最終的には、千明のプレゼンの甲斐あって、市を説得してキャンプ場作りを継続に持ち込んだ。

そのプレゼン内容が今風である。まず、自分たちがキャンプ場作りの思いを語り、遺跡発掘も肯定し、最終的に相乗効果でWin-Winとなるハイブリッド案を提案する。誰も否定せず、全てを肯定するゆるキャン△のスタイルそのものである。

プレゼン資料は恵那が作ったのだろうが、その道筋を考えたのは誰だろうか。非常に興味深い。

犬山あおい

あおいは、勤務先の小学校が廃校になる事に心を痛めていた。これは、大切なモノとの別れである。

単純に話を盛り上げるなら、大切な人との死別を差し込むところだが、ここはゆるキャン△のテイストで、小学校の廃校というイベントにしているのだと思う。本作が10年後という時空を超えた話ゆえに、止められない時間と避けられない別れを受け止めるという儀式を描いていたと思う。

あおいは、「嘘やで」の言葉を使って心で泣いて、千明はそれを理解して受け止めた。別れの事実は変えられない。慰めや、励ましの言葉が欲しいわけじゃない。でも、その悲しみを誰かが知ってくれているだけで、気持ちは軽くなったりする。そうした関係に思えた。

斉藤恵

恵那は、ペットのちくわとの別れの予感が描かれた。あおいが「別れ」を描いたことに対して、これから「別れ」が訪れる者としての寂しさである。

恵那は横浜暮らしで、ちくわは山梨の実家暮らし。残された時間は少ないが離れて暮らす事もあり、さらに時間は限られる。散歩して河原に腰掛けて、「温かいね」というシーンでグッとくる。

余談だが、ゆるキャン△のキャラは行動や思考が男性である、という話をよくする。だから、ストイックなリンや豪快ななでしこや、引っ掻き回し役の千明や、お笑い担当のあおいの事を、こういうヤツ居ると思える。しかし、恵那だけは、女性であり本作のヒロインであると思う。

OP曲/ED曲

今回も、曲が良い。

ED曲の「ミモザ」の花言葉には「友達」という意味も含まれているとの事。ワルツなのが良い感じの曲。

また、OP曲はゆるキャン△のテイストそのもので、朝に聴きたい曲。

おわりに

映画ゆるキャン△は、10年後の大人になった5人を描く、という意味で挑戦的な作品だったと思います。

多くの観客は大人で、なでしこたちがその大人に追いついた形であり、その意味でより大人の観客に沁みる内容になっていたと思います。

そして、変に成長を描くのではなく、5人のテイストを大切にして、楽しさはそのままにしているところが非常に嬉しかったところです。

おそらく、アニメの「ゆるキャン△」は、映画で幕を閉じるのだと思いますが、本当に良いエンドだったと思います。