たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

SSSS.GRIDMAN 12話「覚醒」

SSSS.GRIDMAN 12話「覚醒」

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はじめに

SSSS_GRIDMAN 12話、および全体を通しての感想を書きました。結構辛辣です。

当初、Twitterに軽く書くつもりでしたが、少し文章が長くなりましたので、ブログにまとめておきます。

2018年12月26日追記

フィクサービームの下りと、考察を追加しました。

感想

アカネの大きな罪と小さすぎる罰の違和感

アレクシスの目的が虚無のエネルギーを得るためだとして、その虚無を生産するために、もともと虚無感の塊であった現実世界のアカネに、アカネの世界という玩具を与え、その中でも自由にならないという事実を体験させ、その哀しみを食っていた、のだと思う。

アカネは別れ際、六花に「本当にごめんなさい」と泣きじゃくて謝罪した。結局、アカネはアカネの世界の夢から現実の世界に帰還した。アカネ自身が卑怯者でズルい人間という事を自覚して。

物語としてみたら、非道な事をし続けたヒロインは、それが酷い事をしたと反省して、リセットしてやり直す、という風に見える。これでハッピーエンドです、と。

ひるがえって、アカネの世界に住んでいた六花や内海や裕太は、アカネの世界の創作物として扱われ、アカネの世界という箱の中の存在で有り、現実世界の存在とは異なる存在として描かれた。

しかし、そのアカネの世界の住民たちは、意思を持ち、友情を育み、命あるものとして描かれた。有限の命を持つ生命体として。確かに生きるものとして。

その中で、六花は友情が自分の意思で発生したものでは無い、作り物の友情ではないか?という問いかけに、自分自身の心を信じて、それでも、私はアカネの友達、と言わせた。内海も無力感の中で、裕太の友達という存在意義を示した。

しかしながら、アカネはこのような命ある人間を平気で怪獣で何人も殺し、アンチの凌辱し、非道を重ねたアカネはその罪を償う事はしないまま、アカネの世界から帰還した。ゴメンという気持ちはあったかも知れないが、友達である六花に別れ際に謝罪しただけ。

アカネは怪獣化した際、死者からの掴まれて、死者と向き合わされ、苦しみを感じた、という意見もあるだろうが、それだけでは、罪を償った事にはならない。

人によっては、アカネの世界が創作物であり、アカネが現実世界に帰還する事により、アカネの世界とその住民は、この世から消滅してしまう。夢の中の人間には人権は無い、という考え方もあるだろう。でもそれでは、この物語が語ってきたリアルが、全て失われてしまうし、そういう描き方では無かった。

本作が、物語として、このような罪に対して等価の罰(もしくは、それ相当のもの)を与えずにアカネを許してしまう物語が、しっくりこない。罪に対して罰が弱すぎる。 12話を観た時点で、私が12話の脚本が好きになれない理由は、ここにある。

では、11話時点では、どう思っていたかというと、アカネが最後に、自分の罪を認め、六花を友達だと認め、六花を救うためにアカネが命を差し出して六花を守れば、アカネの心の開放と、アカネの罪滅ぼしとなり、物語として綺麗に決着する、と思っていた。そうしたビターエンドなら良かった。

だから、本作の脚本は、怪獣特撮ヒーローモノの文法を使うという制約の中で、物語全体としては把握しにくい前半ではあったが、切れ味の良いドラマを組み、キャラ(特に六花)をイキイキと書いていて、その意味では良くできている、と感じていた。

ある意味、12話のラストは予定調和なのだが、脚本としてこれで良かったのか?という個人的に後味の悪い作品となった。

2018年12月26日追記

SNSを見ていてグリッドマンフィクサービームが街を修復するだけでなく、傷付いた人間の心も修復する、という話をみて、実際に見直してみると、確かに台詞でもそのように言っていた。ずいぶんと直球かつ安易なビームだと思う。

だとすると、アカネの過去の罪は、アカネが改心した事で、あとは「赦し」によって放免される、という物語という解釈は出来なくはない。

それにしたって、何とも強引な感じの物語の運び、だと思う。その意味で、やっぱり本作の後味の悪さは変わらない。

考察

六花とアカネの距離感

六花とアカネは本作で、互いに向き合って目を合わせて喋るシーンが無い。

私は、11話の時点で、最終話で、きっと、二人が向き合って喋って物語が終わるのだろう、と予想を立てたが、見事に外れた。結局、六花とアカネは最後まで互いに目を合わせなかった。

唐突だが、EDの映像は現実世界の六花とアカネを描いているのだと私は思う。ここからは、少し妄想気味で。

転入生?の六花は、はっすやなみこと友達になる。そしてアカネとも友達になり急速にアカネの心に寄り添いに行くけど、アカネの方は少し迷いがあって、という指歩きの芝居。そして、何らかの事件があって、結局アカネは不登校になり、冬の時点では、六花が一人アカネが学校に戻ってくるのを待つ、という流れ。

アカネは結局、他人が信じられず、自分の殻に閉じこもった。その延長線上にアカネの世界が在る。

アカネの世界で周囲の人間がアカネの事を好きでいるように設定するのだけど、友達としての設定は無い。

その中で、六花だけが、友達としてアカネの心に踏み込もうとした。11話で六花がアカネは私の事をどう思っているの?の問いかけ、アカネはそれに答えようとして、アレクシスに遮られそのまま怪獣化した。

12話のアカネと六花の別れのシーンでは、六花はアカネに友達を頼ればいいと言い、アカネは六花に分かったと返事する。

人間は一人では生きていけない。結局、このアカネの成長というのは、一人だけの世界に殻を作って閉じこもるのではなく、友達を受け入れる事であり、それは、現実世界に戻る事に直結している。

私はこのシーンくらい、六花とアカネは向き合って目を合わせればいいじゃん、と思ったのだが、本作のスタッフは、ここでも結局、目を合わさせなかった。

もしかしたら、アカネは自分の罪の重さに相手を直視できなかったのか? もしかしたら、六花は目を合わせて感情移入すると別れが辛くなるからか? いずれにせよ、結局、目を合わせなかったのは、自分にとっては新しい感覚で、これはこれで悪くないのか、と感じた。友達が出来た瞬間が分かれである。

アカネの世界の人間は、現実世界の人間をコピーして、アカネが設定を加えたものだとしたら、現実世界の六花もアカネの事を友達だと思っていた可能性がある。

六花のパスケースは現実世界に戻った時の、アカネの部屋の中にも存在した。現実世界の六花がアカネに登校して欲しい気持ちで、パスケースをプレゼントしていたのだと思う。

グリッドマンに転生された裕太

グリッドマンが裕太に転生したのは、アカネの隣の席だったから?それだけじゃないと思う、と六花は言った。

思うに、あの日、裕太は六花の家で六花に告白したのだけど、六花ママがジャンクを通してグリッドマンを呼び出していた時に、たまたまその場に居合わせたので、グリッドマンが裕太に転生してしまったのだと想像。

六花にとっては、いい迷惑だったと思うが、結果的に、アカネを救う事が出来た。

おわりに

この作品、特撮リスペクトな趣も巷では評判でしたが、私は、少年少女たちのドラマの凄さに目を奪われてゆき、その部分以外はどうでもよくなりました。それくらい、この脚本注目していたのですが、やはり、物語としてみたときに、どうしても歪が出てしまう感じが、残念でした。

企画として、特撮リスペクトありき、というのは分かるのですが、脚本が勿体ない、とまで思いました。