たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

2018年秋期アニメ感想総括

2018年秋期アニメ感想総括

はじめに

2018年秋期アニメを6本視聴しましたが、せっかくなので「物語の良さ」という観点に重きを置いた感想をまとめて残そうと思います。

なお、作品毎に評価(rating)と良い点(pros)と悪い点(cons)を記載します。

感想

ゾンビランドサガ

  • rating ★★★★★
  • pros
    • 明快で力強い「生きる力」というテーマ
    • 物語、テーマと直結した楽曲、ライブシーン
    • ギャグとシリアスの絶妙な配合
  • cons
    • 特になし

本作に全編通して感じるのは「生きる力」という明確で力強いテーマです。

ゾンビ(死者)であるがゆえにアイドル(生者)として輝くには、魂からの生きる力が必要。中途半端な生命を持たないから余計にです。

そして絶対に諦めない気持ちと積み重ねが、一緒に行動してきた仲間が、アイドルとして輝くことを後押しする。

フランシュシュや幸太郎が全員、真剣だからこそ、そのストレスの中で必死に行動する事が、本作に感動を呼ぶと同時に、ギャグ作品としての面白さも提供する。

圧巻だったのは12話のアルピナライブのシーン。不安なさくらの思い通り、災いによりライブが中断されるが、静寂の中、幸太郎の手拍子が、愛や他のメンバーが継続する歌が、会場の観客全員が、さくらがマイクを握るのを待つ瞬間。その後に雄たけびと共に再開されるライブの臨場感。さくらの感情を大いに盛り上げる、楽曲、ダンスのステージパフォーマンスの感動。

また、本作は、12話に向かって、全てを積み重ねて精密に作られた物語である事を感じました。観直せば分かる通り、余分なものが無い。

2018年秋期のアニメは、本作がダントツに良かったと思いますし、見ていて楽しかったし、好きでした。

色づく世界の明日から

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 綺麗なお伽話のような映像と物語
    • 台詞やナレーションに依存せず、絵画の様な映像で魅せるキャラの心理描写
  • cons
    • キャラの感情表現の弱さ
    • 途中の話とメインテーマとの結合度の低さ

まず、ポジ意見から。

本作が頑張っているのは、言葉による説明を極力減らし、シチュエーションとプロットと演技、そして絵画の様な美しい映像で感動を伝えるところだと思う。

それは、童話やお伽話の様でもあり、とてもストイックで野心的な演出だと思う。もしかしたら、P.A.WORKSの「さよならの朝に別れの花束を」の映像への拘りの経験が生きているのかも知れない。

物語として捉えた時に、印象的なシーンを箇条書きにしてみた。

  • 1話
    • 冒頭の花火を観る瞳美(色彩を欠く心閉ざした少女)
    • ラストの唯翔の絵が飛び出してくるのを瞳美(憧れの色彩に一瞬だけ触れた少女)
  • 6話
    • 唯翔の絵の中に入り唯翔の闇を観る瞳美(画家の心の傷に触れる少女)
    • ラストの市電で色彩を取り戻す瞳美(画家の復活宣言に色彩を一瞬だけ取り戻す少女)
  • 10話
    • 文化祭用の絵の中に入り瞳美の闇を観る唯翔(逆に色彩を無くした少女に触れる画家)
  • 11話
    • ラストの紙飛行機から始まる瞳美と唯翔の「逢いたい」(別れの運命に引き合う少女と画家)
  • 12話
    • 前半の唯翔と一緒に色彩を取り戻す瞳美(少女に色彩を取り戻す画家)
    • 絵本「なないろのペンギン」(未来の色彩は自由に選べる、という少女へのメッセージ)

物語の核となる部分は、これらの印象的なシーンで繋げて見ても分かる様になっていると思う。物語の基本部分をいかに魅せるか?について最優先で考えられた結果であり、巧妙な演出だったのだと思う。

次にネガ意見。

本作への不満はずばり、脚本的なキャラの書き込みが不足していると感じる点。

本作に悪人は居ない事とも関係しているが、物語の綺麗さ美しさを追求し過ぎたゆえの副作用なのか、キャラの想いの強さが伝わってこない。

個人的にそれを一番感じるのは、唯翔の行動。

例えば、6話で心の闇を瞳美に見られた時の強い拒絶と、6話のラストに瞳美に描いた絵を見て欲しいという下り。唯翔が何故そんなに拒絶したのか?短時間の間に唯翔は瞳美への八つ当たりをどう消化したのか?など、本来、文芸的に書かなくてはならない心情を省略してしまっている様に思う。だから、視聴者はその点について置いてけぼりをくらってしまう。

6話というのは物語中盤で、Aパートの唯翔の絵の中に入るシーンと、Bバートの市電で色彩が戻るシーンで、非常に見せ場の多い回である。だからこそ、美しい映像で盛り上げるための感情を丁寧に書いておく必要がある、と個人的には思う。

もしかしたら、言葉の説明を省いて美しい映像で見せるのだから、細かな所は、視聴者の想像に任せる、という選択だったのかも知れない。

何となく思うのは、今ここで私が書いているネガ意見と言うのは、本作の美点に対する、相対的な欠点なのかもしれない。

でも、やはり、私は本作が、脚本にキャラの強さを感じられなかった事は、物語としての輝き的にはマイナス評価であり、脚本の強さが不足していた、と考えている。

もう一つのネガ意見は、主要回以外の話数の印象が余りにも弱い。

これは、私が物語全体をみたいからかも知れないが、どの経験も瞳美には有意義だったのだとは思うが、その経験がどのように効いているのか?というのは分かりにくい感じがした。言い方は悪いけど、物語の薄い部分は、適当にサブキャラとの交流を書きました、という感じに思えた。この事も脚本の弱さに感じた。

ちなみに、シリーズ構成の、柿原優子さんの脚本の作品は今まで拝見しておらず、本作が始めてだったと思う。1作だけで判断する事は出来ないが、おそらく、優しい作風の方だと思うし、今後もチェックしたい脚本家です。

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 思春期症候群というヒロイン毎の問題を生かした物語作り(麻衣編、朋絵編)
    • 主人公の咲太の真摯さとヒロイン達の真面目さ
  • cons
    • 後半に行くにつれ、物語が小さくなっていってしまう感じ(理央編、のどか編、かえで編)

まず、ポジ意見から。

本作はヒロインが持つ問題点を明確にクリアしてゆく物語であり、その際に主人公である咲太の真摯で直球な関わり方が魅力である。キャラ主体の確かな物語。

麻衣編では、周囲から視認されず忘れ去られてゆく麻衣に対し、たった一人だけ咲太が抗い、寄り添い、それでも一瞬忘れてしまった後にメモから思い出し、校庭で一人大声で告白を叫ぶ事で、ヒロインの麻衣は救われる。普段はひょうひょうとしている咲太が、熱く行動するギャップが良い。この解決方法は麻衣の問題を一気に解決してしまった。

朋絵編では、たまたまループを覚えていた咲太が朋絵の恋人役として過ごすうちに、朋絵が咲太に惚れてしまい、別れを告げられずに一学期最後の日をループする問題が発生したが、朋絵の友達に嫌われたくない気持ちに立ち返って、朋絵がそこからやり直すという解決方法もまた見事で、物語的に申し分ない出来だった。

こうしたキャラの持つ問題を的確に問題解決してゆく様子が気持ちよく描かれていた作品。

次に、ネガ意見。

麻衣編、朋絵編にくらべ、理央編、のどか編、かえで編の物語としてのカタルシスの弱さが弱点に思う。後半のヒロインの問題と言うのは、気分が晴れるような明快な解決をしていないと思う。

理央の問題は国見、咲太への気持ちの持ち方と自分嫌いな二面性だった。咲太と国見は永遠の友達で居てくれそうだが、本人の気持ち一つとは言え、明快な解決では無かった様に思う。ここは理央が理系なので、そうした理屈で割り切れる問題では無いのは、理央ならでは、とも言える。

のどかの問題は、出来の良い腹違いの姉との付き合い方、コンプレックスで、この話も麻衣とのどかがお互いに大切な人、という所で決着したが、問題自体が咲太直結ではなく、麻衣の問題でもあったので、咲太のスーパー活躍がある訳でもなく、消化不良感が残った。

かえで編は、記憶喪失前の花楓が戻る事で、記憶喪失後のかえでが消失する話なのだけど、これ自体は花楓自体の問題というより、かえでと共に過ごした咲太がかえでを失う事の哀しみと気持ちの整理の話だったと思う。最終的に、悲しみを一人で(正確には翔子の助言により)乗り切ってしまった咲太と、一番大変な時に頼られないという事の怒りと悲しみの麻衣の痴話喧嘩みたいな話になり、なんとなくかえでの消失がうやむやにされてしまったような感想を抱いてしまった。花楓が「私は一人じゃないみたいだし」という台詞がかえでという存在の救いになっている。が、そうしたいくつかの要素を取っちらかして終わった感覚が残った。

その辺りは、全体の流れの中で、右肩上がりに盛り上がるオリジナルアニメとは異なり、原作準拠という点で物語全体のクライマックスを最終回に持ってきにくいケースはいくらでもある。が、そこは正直に、ネガ意見としてカウントさせていただく。

やがて君になる

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 文系的に高難易度の恋愛を的確に分かりやすく伝える演出
  • cons
    • 文系的に高難易度な恋愛の心理戦が基本的に重くてしんどいい
    • 原作忠実なため、アニメとしてはカタルシス無き最終回

本作の最大の特徴は百合なんだと思うけど、百合というよりいろんな好きの形とそのすれ違いの悲喜こもごもみたいな話なんだと思う。作者も百合と言っているので百合には間違いが無いのだけど、個人的には、男性、女性の性に依存しない恋愛な気がしている。だから、本作の百合を楽しみ、というのはちょっと違ってて、色んなタイプの恋愛を、分かる分かるとか、ちょい付いてゆけないとか、いう楽しみ方なんだと思う。

まず、ポジ意見。

本作は、そんな風変わりでとても繊細な恋愛とその駆け引きを、脚本と演出で凄く分かりやすく描いてくれていた。

例えば、6話の河原の飛び石の侑と橙子の駆け引きのシーン。それまでの侑の余裕から逆転し、橙子がイニシアティブを取って侑に「好き」と言わせない呪いを仕掛けた。夕焼けと入道雲により、移ろい易い心の動揺を比喩的に表現していたと思う。

例えば、9話で橙子がリレーで走っているシーンで侑は橙子に心底惚れて落ちてしまいそうになるが、体育館倉庫で何とかストップする事が出来た。9話でちょくちょく表現された水の映像は、侑が橙子に溺れる事の比喩だったと思う。

本当にそうした演出の工夫は枚挙にいとまがない。だから、考察好きにとって本作はとても楽しい作品だと思う。だいたい思わせぶりな事について正解がある。

そしてネガ意見。

そもそも、その文芸的に複雑な領域にある繊細な恋愛とその駆け引き自体に、魅力を感じなければ、本作はつまらない作品になると思う。

本作の6話で橙子が決めた侑に「好き」と言わせない呪いは、侑が橙子をどんどん好きになってゆくにつれ枷になる。これは、もう絶頂寸止めセ〇クスみたいなもので、ある意味、変な性癖の領域である。文芸的には普通に体験できない事(例えば殺人犯など)を疑似体験できる、という意味ではフィクションの真骨頂である。

だが、その恋愛に感情移入出来なければ、どんなに演出が優れていても、この作品を楽しむことは出来ない。

考察でキャラが何を考え何故その行動を起こすのかは分かる。だけど、そのキャラに感情移入できず、見ていてしんどかった、というのが率直な感想。

唯一、気持ちがポジになったのは、12話で侑が生徒会劇の台本を変更しようと言い出すシーン。6話の「好き」と言わせない呪いを覆そうとするシーン。このシーンだけは、ポジティブな侑を応援したくなった。

しかし、最終回の13話では、原作尊重という事もあり、台本変更については中途半端なタイミングで、カタルシスが無い状態で最終回を迎えた。原作尊重というのは許容できる。しかし、それなら、12話のポジティブ感のまま、最終回を迎えても良かったのにな、というのが正直な感想。

私は原作未読でアニメだけみているので、本作のアニメの最終回の終わり方は、ネガ意見とさせていただいた。

Release The Spice

  • rating ★★★☆☆
  • pros
    • 古典とも言える、古き良き美少女アクションアニメの文法
  • cons
    • もう一声欲しかったキャラの説得力を持たせる演出

脚本はスパイを扱いシリアスな面を持つが、萌えキャラっぽい部分も忘れておらず、というシリーズ構成の作風。

ビルの間を道具無しの体力と運動神経だけでジャンプしたり、スパイの秘密兵器があったり、ラストに敵側の巨大建造物が出てきたり、いろんな意味で古典的とも言えるオーソドックスなアクションアニメ。ある意味、タイムボカンシリーズのようなお約束の演出。

ただ、内通者を匂わせたり、悪役がなかなかの非道な雰囲気だったり、萌えでありながら、なかなか苦目の演出もあり、その辺りの匙加減が難しい所だったと思う。

そうした調味料を入れた、ごった煮感がある作風を楽しめるか?が本作の肝だったのかな、と思った。

ただ、1クール13話のアニメで、ド素人のももがツキカゲに入り、4カ月で敵のボスと渡り合い、モウリョウを潰して、さらに弟子を取る所までを描くという所もあり、キャラの鍛錬具合や成長が足早に進んでいってしまった感じは否めず、その辺りをもう少し丁寧に描いてくれても良かったのに…、とか思う。

例えば、寡黙なトレーニングを3カ月していて、そこは一気にスキップして、次の話から寡黙になったももを描く、などのやり方があっても良いのでは?とも思ったが、萌えキャラに感情移入させる方針であれば、それも違うのだろう、などと妄想する。

上手くいけば、萌えとシリアスの共存で化学反応を起こせたかも知れないが、本作は、逆にデメリットが目立つ化学反応になってしまった様な気がする。

SSSS.GRIDMAN

  • rating ★★★☆☆
  • pros
    • キレのある少年少女のドラマと芝居
  • cons
    • 物語としてアンバランスに感じるアカネの大罪と無罪放免
    • 浮いてしまった感のある特撮リスペクト

本作の評価が低いのは、個人的に物語に大いに不満があるため。

本作は、前半に非道を繰り返してきたアカネの罪に対し、ラストでグリッドマンの「フィクサービーム」でアカネの心も修復され、アカネは無罪放免で現実世界に帰還し、友達を大切にして生きて行こう、という物語。なんですが、アカネの怪獣による人殺しや、アンチへの凌辱や、裕太を刺したことや、大きすぎる罪をアカネが償わない、という感覚が、個人的に納得がいかない。

本作のテーマはアカネを救う事にあるのは理解しているし、物語としては完結しているという意見も百も承知。だけど、だったらこそ、アカネがそこまでの罪を犯した事に対する償いと決意が無い事が物語として、どうにも腑に落ちない。

その辺りは、こちらのブログにも書きましたので、こちらを参照してください。

なお、本作の特撮リスペクトの部分に関しては、個人的に評価スルーです。というのも、このアニメ作品において、演出や芝居がずば抜けて素晴らしく出来ていて、逆に特撮リスペクトの部分が必要なの?と思ってしまったので。

おそらく、そうした、ちぐはぐな感じが、物語の歪となって現れ、違和感を感じだのだと思う。

本作は、本来別々の客に出すべき、お寿司と餃子とアップルパイを一皿に盛ってしまったような違和感。個々の料理の腕は一流なのが余計に勿体ない。その歪を残念に思ってしまう。

おわりに

2018年秋期は、いつもよりも多めにアニメを視聴していましたが、やはり時間と気力を使うので6本は多かったような気がしました。来期は、いつも通りもう少し減らすかも。

どの作品も見所があるので視聴する訳ですが、全方位で好きな作品というのは中々お目にかかれません。そんな中で、ゾンビランドサガはネガ意見を持つことなく、とても楽しく観れました。