はじめに
2019年になり冬期アニメもはじまりつつありますが、2018年秋期で一番好きだった「ゾンビランドサガ」の12話、および全体の感想・考察を振り返りながら、まとめます。
ちなみに、11話視聴時点のブログもありますので、良かったら見てください。
考察・感想
全体について
底辺を貫くゾンビアイドルという奇跡の設定
本作は1話から根底に流れるテーマとして、ゾンビ(死者)がアイドル(生者)として輝く事、それは、身体が死んでいても、魂の生きる力があれば、そこから必死になってやり通せば、輝けるんだ!というのがあると思う。
つまり、誰でも、気持ち一つで、いくらでも輝けるというテーマ。
これまでのアイドルアニメは「輝きたい」とか「廃校阻止」とか、フワフワした感じの動機でアイドルをしていたと思うし、不特定多数のライバル的なアイドルとの競争の末、トップアイドルに慣れなくても、まぁ仕方ない、死ぬことはない、という雰囲気ではあった。
その意味で、現代劇としてアイドルをリアルに考えれば考えるほど、話は小さくなる。
本作は、逆に、思いっきり非リアルにふり、ゾンビがアイドルするという設定で、疲弊するアイドルアニメに風穴を開けたと思う。
ゾンビは、死をもって一般社会から隔離された存在であり、帰宅を待つ家庭も無く、ゾンビである事がバレれば警察官に撃たれ、もう一度社会から排除されるという、後戻り出来ない存在。排水の陣であり、根性モノでもある。
その根性モノというのは、人によっては敬遠されがちなテーマでもあるが、ギャグテイストや、ぶっ飛んだ設定により、そのフィルターを通り越して、視聴者に浸透した面は有ったと思う。
このトリッキーなゾンビアイドル設定が、少なからず直球勝負のドラマを実現する素地となっている。
佐賀県は、ゾンビアイドル企画を通すための、おまけの設定とインタビュー記事で読んだが、佐賀県のローカルアイドルという設定のスケール感も、アイドル間の競争という問題を微妙に除外する事に役立っていた面もあると思う。
実際には佐賀県に対する綿密なリサーチ、ロケによりガチな佐賀県アニメになっているが、色んな要素が色んな意味で、神がかり的に良い方向に働いた企画なのだと思う。
フランシュシュという仲間と結束
フランシュシュの7人のメンバは、当初、自我も持たない状態で集結、自我を取り戻した後も個性はバラバラであったが、フランシュシュの活動を続けてゆくうちに、チームとしての結束を強めてゆく所も、本作の見所だったと思う。
- 1話では、さくら以外は自我が無し → デスメタルで他メンバの自我復活
- 2話では、サキ、愛、純子はアイドル活動に懐疑的 → さくらのぶち切れラップでサキがやる気だす
- 3話では、愛、純子はアイドル活動に懐疑的 → アイドル経験者の愛と純子がゲリラライブフォローしてくれる
- 4話では、足湯でメンバ全員のアイドル活動を頑張る決意確認
- 5話では、ドラ鳥CM、ガタリンピックで結束強化
- 6話では、愛と純子衝突 → 純子が戦線離脱
- 7話では、サガロックで純子が愛をフォロー、落雷で愛のトラウマ克服
- 8話では、リリィが喧嘩別れ(死別)していた父親に歌で感謝の気持ちを伝える
- 9話では、サキの未練だった暴走族の末裔にケジメを付ける
- 10話では、周囲を見ていないさくら → 雪山特訓+αで周囲を信頼する大切さを知る
- 11話では、やる気喪失のさくら → 幸太郎の「見捨ててやらん」
- 12話では、やる気喪失のさくら → たえ、ゆうぎり説得 → アルピノライブ登壇 → 再度、フランシュシュに参加
このように整理してみると、8話9話を除き、フランシュシュの結束を固める物語であった事が伺える。各話に1ステップずつの進歩があり、着実に前進してきたフランシュシュ。
実に精密なストーリー構成だと思う。
ゆうぎりとたえの当番回が無い、というのは、まぁ、そうなんですが、境監督は続編構想有り、というインタビュー記事も見かけましたし、1クールにそこまで当番回を詰め込むよりも、こうしたフランシュシュ、もっと言うと10話以降のさくらの前進する姿を全12話で描きたかった、というのは間違い無い、と思う。
もし、続編あるなら、幸太郎の目論見である「佐賀を救う」というバックボーンに触れると思うからゆうぎりと、謎な状態がおいしいたえの二人の当番回を先送りするのは、妥当なのかな、とも思う。
それと、個人的に本作は、キャラの心情やバックボーンを丁寧に描いてくれる所が良い点だと思う。なぜ、そのキャラがその考えに至るのか?どうして、考え方が変わるのか?その心情を丁寧に描かなければ、どんな感動的な演出も空回りしてしまう。この点において、本作は、むしろ安心感さえある。
その意味で、11話をまるまる、やる気喪失のさくらを描く意味は、大きかったのだと思う。
巽幸太郎という名(迷)プロデュサー
本作のMVPは、やはり幸太郎だと思う。
フランシュシュのメンバを常に威圧し、無理難題を出す所から始まり、こちらの理屈は通らず、その上、質問の回答に困ると駄々っ子のような態度で返してくる。
これは、ギャクのテイストだからという事もあるが、作中の幸太郎も、スタッフも狙っているのは、さくらや視聴者に強いストレスをかける事が目的になっていると思う。四の五の言わさず、とにかくやれ!のスタイル。
それでいて、後々、プロデュサーとしての腕の良さや、純子やさくらに適切に進むべき方向を示していたりするシーンが登場してきて、キャラの深さを見せる。
例えが古いが、エースをねらえ!の宗像コーチのパロディではないか?と思った。ゾンビががむしゃらにアイドル活動を頑張るためには、このような鬼コーチスタイルが有効なのだろう。本作が面白いのは、真面目に宗像コーチをやっても、辛気臭くて視聴者に浸透しないと思われるところ、ギャクテイストにしているところだと思う。
視聴者は、この低レベルな会話劇をギャグとして受け入れ油断しているところが、実際にはハードなスポ根的な指導をしている。常に低レベルな会話ではなく、時には真面目なトーンもいれて喋る。
そうした変化球に上手い事、翻弄されゆく。
そして、12話回想シーンの、さくらの同級生だった事が分かるシーンで、それまでの指導が全てさくらのためだった事が判明し、幸太郎の胸の奥の熱さに視聴者は驚く、という演出も憎い。
回想シーンだけでは、幸太郎の真意までは明かされていない。徐福パワーの関係性も含めて、まだ謎が多いが、それは続編に期待する。
12話について
生前の記憶を取り戻したさくらの問題について
まず、11話で提示されるさくらの問題(持っていないモノ)について整理したい。
- 運
- 仲間
- 努力
- 絶対に諦めない気持ち
「運」は、本番当日不幸に見舞われる不運。劇、運動会、高校入学試験当日にトラブルが発生し、実力を出せないでいた。
「仲間」は、不運が続く事で、中学生以降、クラスの中でも孤立していった。周囲も声をかけずらく、自身も周囲に答えにくい気持ちがつのったのだろうと思う。
「努力」は、高校性以降、どうせ不運で駄目だからと、ポテンシャルはあるのに努力を放棄するようになった。一瞬、アイアンフリルに憧れアイドル目指すが、軽トラに轢かれて、抜け出せない不幸を再認識し、さらに努力放棄を強固にした。
「絶対に諦めない気持ち」は、努力を放棄しない心。「努力」に近いが、この場合、努力=結果とすると分かりやすいかもしれない。折れない心が無ければ、努力できない。
12話で見せているのは、これらの11話で提示された問題の回答である。
ステージに立つまでのさくら
12話Aパートでたえ、ゆうぎり、フランシュシュのみんながさくらを説得してゆくところが、何度見ても良い。
さくらはビラ配りで1号のファンに会い、自分がアイドルとしてステージに立つ姿を一瞬想像し、アイドルしたい気持ちは確実に存在するのに、不運の不安から自己否定してしまう。
しかも、11話では言っていなかった言い訳を、12話でさくらは追加している。私が居るとフランシュシュのみんなの足を引っ張り迷惑がかかる、という言い訳。
これに対し、たえは、言葉を介さずに身振り手振りでさくらと一緒にステージに立ちたいの説得。ゆうぎりはビンタ後に「さくらはん抜きで成功するくらいなら、さくらはんと一緒に失敗したい」として我々のわがままに付き合って欲しいという説得。愛は「失敗を無駄とは思わない」という不安を和らげる台詞。
この説得がさくらの心に届き、恐怖心を軽減し、ステージに立つ決意をして練習を再開。
練習中に入った大鏡のひびは、サキがさらに大鏡を殴りつけて無かったことにする。「試してみようじゃない」の台詞でさくらの不運に一緒に立ち向かう事を宣言する愛。さくらの布団に寄り添って寝るメンバ。
Aパートは、「仲間」がさくらの不安をケアして、これまでの積み重ねの「努力」によりパフォーマンス的には十分仕上がっている事をさくらに理解させた。
実は、さくらは7話のサガロック直前の円陣で「私はこのメンバで頑張りたい。ずっとずっとこのメンバで」と言っている。
フランシュシュのメンバのエンジンを始動したのは皮肉にもさくら自身。フランシュシュのメンバはさくらのこの気持ちを信じているからこその手厚いフォロー。それだけさくらが愛され必要とされている、という所で、泣ける。
不運の瞬間を乗り越えるさくら
不安の中の迎えるアルピノライブ当日、「運」に関しては回避できず、爆弾低気圧による異常降雪が佐賀を襲い、アルピノスタジオは降雪により倒壊し、ライブは一時的に中断した。
この時、さくらはさくらの不運がもたらす結果を目の当たりにする。そして、その瞬間を乗り越える時がくる。
静寂の中、響く幸太郎の手拍子は「絶対に諦めない気持ち」である。
瓦礫の中から立ち上がって歌を続行する愛、サキ、みんなが背中を後押しする「仲間」であり「絶対に諦めない気持ち」である。
最終的に観客全員の手拍子が鳴り響き、みんながさくらを待つ状態をつくり、あとはさくらの気持ち一つでライブを継続するか否か、という状況で、ヤケクソ気味にマイクを握る事を自ら選ぶさくら。
そして、継続された「ヨミガエレ」の力強さ。音楽、歌詞、ダンス、映像の勢いがその力強さを爆発させる。圧倒的な生きる力。
さくらのライブでのパフォーマンスはこれまでの「努力」の成果。
「運」が無くても「努力」と「仲間」と「諦めない気持ち」が生きる輝きを掴む。さくらが、生きる事を選び、周囲が後押しし、その瞬間を乗り越えるカタルシス。
このライブシーンをやるために、今までの11話を積み重ねてきたのだと、心底思う。
フランシュシュに復帰するさくら
「ヨミガエレ」の途中でフランシュシュの記憶が走馬燈の様に蘇ったさくら。
アンコール前の楽屋でフランシュシュのメンバにさくらが、みんなが良ければ、フランシュシュとして一緒にやってゆきたい、と台詞で言うシーンも本当に良い。
この台詞を受けて未来の希望の曲である「FLAGをはためかせろ」繋がるので、このシーンは重要。さくらのフランシュシュへの復帰宣言とメンバの受け入れ。
最近の私は、キャラが何を思い、物語がどのように決着するか?というのに重きを置いて作品を観ている。その点、本作は見事なまでに完璧にさくらを救い物語を着地させ、非常に満足度の高い作品だった。
続編で気になるポイント
続編があるとして、気になるポイントを書き出すとこんな感じか。
- 徐福パワーとバーのマスターと幸太郎の関係
- 幸太郎の「ゾンビランドサガプロジェクト」で「佐賀を救う事」の真意
- ゆうぎりの素性
- たえの素性
- サガジンの記者とゾンビバレ
- アイアンフリルとフランシュシュの対比のドラマ
- フランシュシュの結末
個人的には物語としての完結が気になるので、フランシュシュは最終的にどうなるのか?というのが一番気になるポイント。
フランシュシュはゾンビゆえに自然の摂理に反しており、存在してはいけないものだと思うが、それを最終的にどのように決着付けるのか?人々の心に残っても、ゾンビとしての活動は何かのタイミングで停止し、成仏するべき存在のように思う。
フランシュシュの最期を描かずに、12話最終回を迎えたのは、意外でもあったが、さくらを救済するためには、これ以外の方法が無かったであろう展開だった。続編もゾンビアイドルという危うい存在の最期を描かずにいくのは、物語が着地せずに落ち着かないように思う。この物語の着地点は非常に関心がある。
おわりに
新しく期が変わる前に、思いの丈をぶつけておこうと思い、書き始めましたが、気付けば5000字超でした。
本作は、本当に楽しみに見ていましたので、本作のスタッフには感謝です。お約束じゃなく、続編も期待して待ちます。