たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

バミューダトライアングル ~カラフル・パストラーレ~ 6話~8話

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はじめに

バミューダトライアングル ~カラフル・パストラーレ~」(通称、カラパレ)を熱く語るブログです。

前回のブログでは、1話~5話について書きましたが、今回は中盤の6話~8話について書きます。

前回のブログで「見る人を選ぶ」と書いたのを後悔するくらい中盤の出来が良いです。良い作品なのでみんな観て!!

考察・感想

三分割される物語の中盤

現時点でカラパレは全12話中、9話まで放送されている。

まだ、完結していないけど、私はこの作品は大きく下記の3部に分けられると考えている。

  • 序盤(1話~5話)
    • ソナタ達とパーレル村でののどかな生活の紹介
    • 田舎育ちのソナタ達4人に都会育ちのカノンが加わり仲良しになる
    • 映画に興味を持ち映画館を再開する
  • 中盤(6話~8話)
  • 終盤(9話~12話)(予想)
    • 映画制作などのクリエイティビティへの関心の移行
      • ソナタ達の感動を不特定多数に伝える事
    • 歌姫(アイドル)への道筋

この3部構成について、それぞれ詳細に書いてゆく。

序盤は、ド田舎のパーレル村の子供達視点ののどかなドラマ

序盤は「掴み」であるが、正直なところ、多くの視聴者は微妙な掴みだったと思う。

本作は、過疎の村パーレルでのどかに過ごすマーメイドの少女、ソナタ達の物語であり、競争も、解決すべき問題も存在しない、のどかな生活を覗き見るようなお話だった。そのソナタ達の好奇心や思いやりのドラマを味わう作品。

多くの視聴者は「何がやりたいの?」という物語の無さに入ってこれなかったり、低カロリーな作画や地味な演出に退屈さを感じたと思う。だから、本作は放映当初は「なんか和む」くらいの感想しかSNSでも見かけなかった。

刺激が少なくのどかに暮らすソナタ達の日常のドラマを丁寧に描くが故に、大人視点で見ると、その子供のじゃれ合い自体を無意味に感じてしまう視聴者が多いと思われる事が厳しかったのだと思う。

でも、私はココが本作の真骨頂だと信じているし、強く味わいを感じるし、大好きなポイントである。

ソナタ達が自主的に映画館をDIYで再生し、5話では上映会の開催を目標を立てて、悪戦苦闘しながら上映会を成功させる所で終わる。

だから、5話はソナタ達がやりたかった事を1つやり遂げた、という目標達成のカタルシスが有ったと思うし、ケジメを付けた回だったので、より多くの視聴者にも見やすい話だったのでは無いかと思う。

そして、中盤から、じわじわと面白いという評判が聞こえるようになってきていたと思う。

中盤は、パーレル村の外部のゲストの1話完結のドラマ

中盤と序盤は明らかに違う点が1つある。それは、パーレル村の外部のゲストの1話完結の物語である事。

序盤では、視聴者もパーレル村だけを覗き見ているから、よく分からいのだけど、パーレル村というのは惑星クレイの中の海洋国家メガラニカの中でも、飛び抜けて平和で穏やかな村なのだと思う。

ソナタ達はパーレル村の外部を知らない。だから、パーレル村ののどかさ、というのは良く分かっていない。

今のソナタ達は、競争する事もなく仲良く一緒に過ごす事が当たり前すぎて、競争社会や、相手を傷付ける事や、忙しさに心を失う事や、慣習が違う種族が居る事や、そうした世界を広く観た視点を全く持てていない。

だから、そうした外部をゲストの視点で感じる事が中盤のテーマだったのではないか、と思う。特にソナタは気遣いが出来る性格なので、色んなマーメイドとの出会いが、今は完全に理解できないにせよ、だんだん彼女の肥やしになってゆくのだと思う。

中盤が基本的に見やすいのは、こうしたパーレル村の外部のゲストの、大人の視点だったり、多忙を極める都会のアイドルの視点だったり、そうした視点に気持ちを合わせやすいというところもあったと思う。

もう一つの中盤のテーマは、バミューダ△の設定を活かした話を作る事。

多分、これはスポンサーであるブシロードからのノルマだったのではないかと思うが、本作のスタッフが見事なのは、その設定が全く違和感無く生かされた物語になっている事。分かっている視聴者はこのお遊びでもニコリとする。

また、中盤の脚本や芝居は、実際、良く練られていると感じた。

6話の冒頭に海流の異変から入道雲みたいに見えるものが見えて、何かの異変を感じる演出だとか、8話のグラディスと少女のやり取りを、靴や写真やインコの鳴き声で想像させ全てを語らない脚本だとか、実に引き込まれる見せ方だった。

私は「本作は観る人を選ぶ」と前回のブログで書いてしまっていたが、中盤の出来はその事を後悔させるくらい、色んな人を惹き付ける出来だったと思う。

終盤のテーマの予想

9話を観たところ、物語はソナタ達5人に戻ってきていると思う。全ては映画を軸に話が進んでいる。

最終的に歌姫(アイドル)になる事が決まっているが、もしかしたら、歌姫への道は全く描かないのかも知れないし、描くのかも知れない。

本作を観て感じている事の一つに、ソナタ達の子供グループと、アルディ達の大人グループの対比である。

大人達は子供達を見守りフォローする。そのための経験というものも必要だし、知識や教養も必要だし、責任もある。ただ、その手前に、もっとやんちゃであっても良いと思う。

ソナタ達はそうした経験をする権利を持った可能性ある子供達。一言で言えば成長。

そう考えた時に、残り3話で映画にまつわるわくわくドキドキをどう決着させるのか?どう成長させるのか?

現時点でネガティブ要素が無いので、ネガティブを埋めるための物語にはならない。そうであれば展開予想はしやすい。彼女たちは現在もポジティブで、さらに大人にポジティブに成長する物語だとすると、本作が向かう場所はどこなのか?

そんな事を考えながら、残り3話を楽しみにしている。

6話「あなたの名前を教えて」

孤独の少女(子供の頃のフェルマ

6話のゲストは、時空を超えて、フィナ達と会話した少女。彼女が持っていたものは「孤独」。

セレナ達はパーレル村には存在しない「孤独」の寂しさ、悲しさを少女を通して感じる。少女の言い方だと随分と孤独が長く、この先いつまで孤独が続くか分からない、という状況。

そんな少女に声をかけたのはアルディだった。望み通りじゃないかも知れないが、田舎の村でみんなの気持ちを繋ぐカフェをするだろう、という事を話した。ストレートに言うなら、いずれ孤独から救われます、という意味。

この時のフェルマが良い。自分の辛かった過去と向き合い、今の幸せな自分がある。孤独の不安で圧し潰されそうな少女時代の自分をマジマジと見ていた。この時がやがて来ることは知っていたのだと思うが、その時の台詞は、自分ではなく、アルディから発せられた。

6話では、大人が少女時代の自分を思う、感傷的な情緒ある話になった。良くも悪くも昔があるから今がある。昔を否定せずに今を噛みしめる。

そうした、大人のドラマが感じられた所が、味わい深いと思う。

超越(ストライド

時空を超えて少女とフィナ達が繋がったのが、この超越によるものと思われる。この設定をこんな風に使う所が心憎い。

6話を観たとき、例えが古いが、うる星やつらに近い雰囲気を感じた。こうした、謎SFな設定で、ドラマを1話完結で構築していたので、そう思ったのだと思ったが、もともと西村純二監督は、うる星やつらで演出、絵コンテしてた人だと知り、当然の帰結だった。

7話「だから全部いただくわ」

都会の歌姫 チェル

7話のゲストはアトランティアの歌姫(アイドル)のチェル。彼女が忙殺により失っていたものは「余裕」と「心」。

チェルが象徴するものは都会の喧噪。便利な反面、慌ただしさの中で余裕を失い、目的を失い、心を失い、流される。多くの視聴者は、どちらかと言えば多忙なチェルの方が身上が近いと思う。だから、チェルの気持ちに入りやすい。

チェルはパーレル村のレトロな映画館の事を馬鹿にしてしまう。彼女にしてみれば、最新の機材に囲まれ刺激的な音楽活動をしているから、至極当然の発言なのだろう。

しかし、のどかな時間の流れの中でパーレル村以外をよく知らずに過ごすソナタ達には、チェルのイラつきが理解できない。だから、チェルに対して反感を持つ気にもならないし、真面目に説明しようとしたりする。

そんな中で、同じく都会から来たカノンだけは、この侮辱に耐えられず怒りをあらわに反抗する。カノンは、この映画館がソナタ達と思い出を積み重ねてきた場所であり、これからも積み重ねて行く大切な場所である、と。カノンだけは都会の中で競争社会の中で、誹謗中傷や、ケンカがある世界を知っている。

思いが無ければ、思い出にはならない。チェルにかけているモノは「思い」だったので、マネージャーの理不尽な説教と同じく理解不能な叱責にどうする事もできず、「ばか、ばーか」と駄々っ子の様にその場を逃げた。

でも、チェルもパーレル村の子供たちの歌う子守歌としての「シャボン」や、映画館で皆で歌う「シャボン」のさまざまな心に触れ、「余裕」と「心」を取り戻す。チェルの心の問題を解決する物語だった。

私は、7話のカノンの啖呵が最高に好きだし、最後はチェルとカノンが分かり合えて良かった。

歌姫(アイドル)

バミューダ△が、海洋国家メガラニカのマーメイドのアイドルグループなので、その現役アイドルを登場させた形。

ソナタ達もやがてバミューダ△の歌姫になるのだが、ソナタ達自身は現役アイドルをみて神聖化する事も無く、単なる年の近い友達、みたいな気さくな感じだったのが面白い。コーダみたいな筋金入りのオタクの方がファンとしてアイドルに近づけない。

この雰囲気だと、ソナタ達自身が、アイドルになろう!みたいな感じにはならないと思うが、どういう物語の運びで、そうしてゆくのかは、ちょっとした楽しみである。

8話「それはね、靴っていうの」

陸に住み着いた グラディス

8話のゲストは丘上がりしたままのマーメイドのグラディス。彼女が持っていたものは「待ち人を想う心」。

グラディスは陸の上に生活する人間の少女と出会ってしまった。そして、一緒に生活し始めるが、マーメイドと人間では生きる速度が像と蟻の如く違ってた。

人間の少女は成長し、グラディスの姿はそのまま。そして、少女は何らかの理由でグラディスの島から居なくなった。

グラディスが持っていた靴は少女からのプレゼント。しかも、サイズは紫の靴だけがグラディスに合ってて、他の靴はサイズが合わない。これは、グラディスが人間の少女の靴に異常に関心を示した事からだと思う。少女はグラディスが喜ぶからプレゼントを靴にした。

少女は難破して島に漂着したが、靴は島では調達できないので、少女は途中から定期的に、陸の町と島を行き来していたのだと思う。たまに寄ってくれる少女とグラディス。時間が経過し、少女は大人になり、やがて訪れなくなった。それでも、待ち続けるグラディス。

ソナタは夜眠れずに、グラディスが陸に上がったまま海に戻って来ない事と写真の人間の女性が関係を何となく思うが良く分からない。

でも、それで良い。この世界では、様々な思いを抱えながら、たくさんのマーメイドたち、人間たち、いろんな生き物が生活している。大人になるにつれ、そういう事も分かってくる。それが理解できる=アルディたちのような大人になる、という事だろう。

8話も6話同様に、感傷的ななかなか素敵なお話だったと思う。

トゥインクル・パウダーとプリズムパール

今回もバミューダ△の設定がまんま生かされている。

  • トゥインクルパウダー:尾びれを「人間の足」に変えられる魔法のアイテム
  • プリズムパール:身につけると地上でも声が出せる

この様な賑やかし設定にも関わらず、今回のような落ち着いた話を軸に据えるところが面白い。

グラディスが、少女の姿のまま、陸の上で長く生きているのは、きっと人間の少女とマーメイドの時間のギャップを絵的に表現しやすくするためだと思う。最初から大人のグラディスと人間の少女では、友達になりにくい。

そこから、グラディスの年齢操作の必然性が生まれるが、その理屈を直接、トゥインクル・パウダーに持ってくるところが面白い。そして、その年齢操作の設定を活かして、ソナタを幼児化して遊ぶ演出が最高である。

こうした、ネタにしか思えない部分も、いろいろと見せたいものを逆算して出てきているのに、純粋に遊びとして楽しませているだけに見せている所は、このスタッフの凄いところ、なのだと想像している。

本作は、こうしたポジティブな工夫満ちている、と思う。

おわりに

下記は、西村純二監督と脚本の横手美智子の放送開始前のコメントと、それに対する私の思い。

途中にも書きましたが、終盤は、序盤と同様にセレナ達、子供たちが主役のドラマに戻ってきます。子供目線のドラマです。

その中でセレナ達が何を思い、どう過ごすのか? その辺りを楽しみに残り3話を見届けたいと思います。