響け!ユーフォニアム ~誓いのフィナーレ~
ネタバレ全開です、閲覧ご注意ください。
はじめに
「響け!ユーフォニアム ~誓いのフィナーレ~」を観てきたので、その感想考察をまとめます。
なお、ユーフォに関しては、アニメはテレビと映画を全て視聴済み、原作小説は「波乱の第二楽章」以降全て既読です。
総括
「リズと青い鳥」を例外とすれば、アニメ2期が2016年12月に放送終了し、それを継続する作品として考えて見ると、2年4カ月のブランクを経ての新作。テイストは池田晶子さんのキャラデザによるテレビシリーズの正当な後継。
久々の再会が懐かしくもあり、劇場版としての軸を久美子と奏のドラマに据えて、原作小説の枝葉をバッサリカットした事で、非常に見やすい映画だったな、というのが鑑賞後の率直な感想。
ただし、色々と思う事あり、後半にその事を書きます。かなり辛口です。
感想・考察
キャラクター
鈴木美玲と鈴木さつき
美玲が抱えていた問題は、以下。
- 周囲との親しい関係を築けず孤立(本心は周囲と打ち解けたい)
- 美玲→周囲に対するバリア★
- 慣れ合いを嫌う
- プライドの高さ
- 高い演奏技術や、効率的な練習方法の体得(=上手)
- 吹奏楽以外の時間も大切にする(=頑張っていないと見られる)
- プライドの高さ
- 慣れ合いを嫌う
- 周囲→後輩への距離感
- 周囲はさつき(下手&頑張ってる)の面倒を見る
- 周囲は美玲(上手く&頑張ってない)に距離を取る★
- 美玲→周囲に対するバリア★
★マーク部分が共鳴する形で美玲の孤立が進むというメカニズムだが、これは中学時代からも経験してきた事だと思う。
本心では美玲も周囲と打ち解けたい願望を持ちながら、北宇治吹部で心機一転やり直そうと思っていたところ、さつきの存在が自分にとって不利な事を直感し、さつきを邪険にしたのではないかと思う。
この問題に対し久美子は、以下の二つの施策で問題を解決。
- 美玲の頑張りを認める(承認欲求を満たす)
- 美玲のプライドを外すため「みっちゃん」という呼び名を受け入れさせる
こう書いてしまうと、本当にビジネスの現場とかで見られる、チーム内の部下の問題を解決するリーダの話にしか見えないが、久美子の2年生での成長はこうしたマネジメント能力の向上にあったと思う。
久石奏と中川夏紀
奏が抱えていた問題は以下。
- 中学時代のトラウマ
- 大会前:周囲は上手いから上級生を差し置いて大会にでるべき
- 大会後:どうせ結果出せないなら、上級生が大会に出れば良かった、という陰口
- 北宇治での態度
- 人柄で左右される事への反抗心
- 愛されたい、承認欲求
奏はもともとの性格か、中学時代のトラウマか、他者に対しての警戒心が強く、自分への攻撃に対して先制攻撃をしかける好戦的な性格なのだと思う。
久美子の事は攻撃してこない優しい(ちょろい)先輩である事を確かめたくて、入部前に久美子と面会し、それを確信した。(後に、それは思い違いと分かるが)
美玲がサンフェスで自らのバリアを崩した時にも、その慣れ合いを舌打ちした。
人望があり技術で劣る夏紀とのオーディションは、中学時代のトラウマの再現。結局、ワザと手を抜いてオーディションに落ちようとする魂胆が夏紀に見抜かれ、オーディションは一時中断。
奏が夏紀と久美子に吐いた言葉は、結局自分が疎まれるなら、自分を守るために大会に出たくない、という趣旨。任侠の夏紀は、おそらく、先輩を思って手を抜いたのではなく、利己のために手を抜いたという事実に驚いたのだと思う。
雨の中飛び出した奏を追って久美子が説得する。ここで奏の中学時代のトラウマが判明。
ここで、久美子が奏にした事は下記の二つ。
- 奏の努力を認めて褒める。(奏の承認欲求を満たす)
- 結果が出なくてもプロセスが重要であり、それが認められると諭す。
- 昨年、北宇治は、全国大会出場したから、麗奈の抜擢は正当評価されたのでは?
- いいえ、一昨年、東中3年の麗奈は府大会ダメ金で大泣きしてる。
- 昨年、北宇治は、全国大会出場したから、麗奈の抜擢は正当評価されたのでは?
個人の努力が無駄になる/される事は無い、という話で、その場はまとまり、奏の心のブレーキを外して行ったオーディションの結果は、夏紀も奏も合格という円満解決。
そして、肝心の関西大会の結果はダメ金。結果が出せなかった。
バスの中の不満顔の奏に、久美子が「悔しいか?」と問えば、涙を流しながら「悔しくって、死にそう」の返事。
かつて、中学3年の麗奈が府大会ダメ金で泣いたのと同じ、1期12話で久美子が宇治橋の上で走りながら泣いたのと同じ、上を目指して頑張れる根源の気持ち。
奏は中学時代に結果が出せなかった事に対し、周囲の誹謗中傷によりコンクールに向き会えなくなっていたのだと思う。しかし、北宇治吹部でコンクールを経験する事で、奏はコンクールに真正面から向き合い、その結果を自分の事として悔しさを受け止める事が出来るようになった。
それは、久美子が昨年体験してきた事に似ている。久美子は奏に過去の自分の姿を見て、安心したのだと思う。
黄前久美子
1年生の時は、みぞれの問題に対し、指をくわえて見ているしかできない事をあすかに指摘された。
しかし、そのあすかに食って掛かって、吹部に戻って来させたという、本気で他人に介入する経験を経て、新一年生に対して、積極的に介入し、適切なアドバイスをし、大前相談所としての実力をつけてきた久美子。
久美子は吹部という組織の中間管理職なので、仕事で後輩を持つ社会人も共感できるテーマだったと思し、その視点で共感している人も多いと思う。
それが今回の久美子の成長なのだと思う。
本作のストーリー構成の欠陥
まず言っていおきたいのは、SNSでよく見かける、原作小説のあのシーンが欲しかった、という議論は意味が無いと思う、という事。
本作が1本の映画としてみて、過去のテレビシリーズ1期2期の続編としてみてどうか?という視点で評価しなければ、本作に真正面から向き合っている事にはならないと思う。
そうしてみた時に、本作のテーマは下記だったと思う。
- 美玲や奏の、上手下手、頑張る頑張らない、という他者の評価との葛藤
本来、ユーフォは群像劇であり、それを100分で描くにはドラマの波が作れないなどの配慮があって、このようにテーマを絞ったのだと思う。
しかし、映画は関西大会の壮大な「リズと青い鳥」の演奏シーンでクライマックスを迎える。ある意味、美玲や奏の頑張りも含めた集大成なのだが、その演奏にこれまでのドラマが重なって来ない。1期で言えば香織の気持ちを乗せて麗奈のソロを吹くというシーンがあり、2期で言えば、あすかと一緒に全国大会で吹きたいという久美子のシーンがあり、そのドラマの気持ちがあっての演奏シーンであったが、今回はそれが無い。一言で言えば、入口と出口が違う。
また、主人公の久美子は今回、黄前相談所としての成長、結果を残すが、本分である吹奏楽としての頑張りは描かれない事も、物足りない要素だと思う。
(原作小説と比較するのは何ですが、久美子が2年生で全国大会に行けなかった事が、久美子が3年生で部長をし、全国大会を目指すうえで、非常に大きな意味を持つことになります。原作小説では、久美子は関西大会では放心状態でしたが、数日後、北宇治高校で、ダメ金だった悔しさを受け入れ、大泣きするシーンがあります)
全般的に、トラウマを排除するためのドラマだったが、演奏に全力で立ち向かう部員の姿が描かれていないから、吹奏楽部の物語として不満を感じてしまう。ユーフォは、北宇治高校吹奏楽部の物語、だと思っているから。
今までテレビシリーズでは、各話に盛り上がりを付けて、丁寧に練習を重ねて、それぞれの部員の心理描写を積み重ね、合奏がその部員全員の想いを乗せて、その集大成としてコンクールの合奏を描く事は出来ていた。しかし、今回の映画では、そうはなっていない。ユーフォという素材が、単発映画としては向かないのではないか?とさえ思ってしまう。
ちなみに、リズと青い鳥では、みぞれと希美にフォーカスを当て、丁寧過ぎる描写でその二人の葛藤を描き、練習の合奏シーンだけで、キャラの想いを乗せて見事なカタルシスを描いた。みぞれの覚醒のスケールの大きさ、希美の圧倒され腰が抜けてフルートを置いて溢れ出す涙。
そうしたものと比較した時に、どうしても物語としてのスケールの小ささに、気持ちを乗せられなかった。
テレビシリーズ1期に似たテイストの演出
演出面についても、物語同様見やすい感じはあったが、若干の物足りなさを感じた。
テレビシリーズでいうと、1期12話の宇治橋を走る久美子の悔しさだとか、2期4話の理科室での南中カルテットの気持ちのぶつかり合いだとか、2期9話の久美子があすかの家に訪問する際の緊張感だとか、2期10話の久美子渾身のあすか説得だとか、そうした尖がった演出の感じはしなかった。
リズと青い鳥も演出的には尖がり過ぎていたが、これは例外だろう。
こうしてみると、もしかしたら、テレビシリーズで各話毎の演出、絵コンテが、他の話に負けない作品作りを目指し、ある意味、切磋琢磨しあって作品の質を上げていたのかも知れない。
しかし、映画というフォーマットの中では、100分全体の中で前後配分を考慮しながら、盛り上がりを決めていく。その意味で、今回の演出がダメという事は無いのだが、どうしても、ユーフォというブランドにその尖がった演出を求めてしまう、期待してしまう気持ちがあり、そのギャップを感じてしまったのかも知れない、などと思った。
面倒くさい原作小説既読者の独り言
原作小説を一旦忘れて、アニメを観るべき
リズと青い鳥のときも感じた事だが、原作小説既読だと、その記憶に引きずられ、京アニが改変してきた所の解釈を間違えやすい。だから、原作を一旦記憶の外に追い出し、アニメだけで解釈できるもので再構築する必要がある。
今回も、久美子→奏の説得のロジックがどうだったのか?という事が原作小説とアニメの間でうやむやになりそうになり手間取った。そういう難しさがある。
原作小説から無くなったり薄まったりしたモノ
重々理解しているつもりではあるけど、原作小説既読者からすると映画の尺、ディレクションにより落とされたり薄まった要素に旨味が多く、どうしてもその事を惜しんでしまう気持ちがある。
もう、愚痴レベルになってしまうので、その気持ちを箇条書きする事で供養する。(逆説的には原作小説を読めば、これらの旨味を味わえます)
- 優子部長のリーダシップの強さと、夏紀副部長の下支えの気配り
- 夏紀と奏の絆
- 関西大会演奏前の夏紀→奏の感謝(久美子だけに感謝になっていた)
- オーディション後の奏→夏紀のウザ親密感
- (映画ではハッピーアイスクリームの1シーンで集約)
- 久美子のダメ金の悔しさ
- 関西大会直後は放心状態
- 何日か経って、修一の前でダメ金を受け入れて泣く
- 友恵がオーディション前の夏紀をにエール
- 関西大会以後のイベント全般
- 夢が人前で完全な演奏
- 友恵が北宇治吹部への感謝と誉め言葉
- アンサンブルコンテンストに出場する方針を決める
原作小説とアニメの時間の乖離
あとは、原作小説の波乱の第二楽章→ホントの話→決意の最終楽章とどっぷりハマってきたので、黄前相談所の設立とか、奏のこじらせとか、1年半前に過去の事として私の心に定着しているので、気持ちを過去に巻き戻すのが難しいというか、戻しきれなかった。
おわりに
ちょっと辛口になり過ぎましたしたが、今回は思い切って書きました。
一旦、誓いのフィナーレを作ってしまったので、それを周到する形でしか、続編を作れないと思いますが、そうした時に、原作小説の群像劇を映画でアニメ化するのは難しいのではないか?というのが率直な感想でした。