たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

海獣の子供

はじめに

とりあえず、感想を箇条書きにすると、こんな感じです。(小並感)

  • 絵画のようにも思える絵の迫力が凄い
  • 魚の泳ぎ、水しぶきなどの動きの迫力が凄い
  • 海と空の役割が良く分からなかった
  • 「祭り」のシーンは良く分からないけど、迫力が凄い
  • 鑑賞後、軽く疲れた。

で、好きか?嫌いか?で言えば、うーん、という感じ。「さいごに」のところでまとめます。

考察・感想

良く動き、綺麗、迫力満点、一切手抜き無しのアニメーション作画

一言で言って神作画。それ以外に言いようが無い度肝抜かれるアニメーション映像。

キャラで言えば琉花のハンドボールの生き生きした動きや、坂道を走ったり、水族館の舞台裏を探索しているシーンだったりが滑らかに生き生きと良く動く。

琉花や海や空の泳ぎのシーンだったりも良く動くが、水中である事の軽さだったり、水の重い抵抗だったり、そうした表現も全く違和感無く受け入れられていたのも、何気にアニメーションの出来の良さを物語るものだと思う。

ザトウクジラが海面でブリーチングするシーン、人魂(彗星)が夜空を飛び抜けていくシーン、そうしたスケールの大きな映像もとても綺麗。

そして、魚が群れを成して泳ぐシーンも様々に登場したが、その一匹一匹が手抜きなく調和を持って乱れなく動くシーンの圧倒的な感じ。こんなの、手で書いてたら狂ってしまうのではないか?と思われる狂気の(誉め言葉)映像。こういう所の精密さ緻密さは、本作のテーマにも関わってくる所だと思うので、そういう所だけに、手抜き一切なし。

後半のぶっ飛んでいた祭りのシーンも含めて、これぞアニメーションという映像美。動きの美。いくら、実写や3DCGが進化しても、この原作の絵のボールペンタッチのイメージを残しつつ、ある意味それ以上にキッチリ映像として動かし、圧倒的な迫力を持って、観客に伝わってくる。しかも、そういう技術、手法がこれ見よがしではなく、原作に近づき、さらに原作を超えるために使われていると感じる。スタッフの執念みたいなものを感じる。

本作のド迫力の映像は、それだけでも一見の価値がある。その意味で、2019年のアニメーション作画の進化の一歩を後世に残す事になる作品ではないかと思う。

物語の外側になる琉花の成長ドラマ

本作は、琉花の成長のドラマが外側に、人智を超えた生きる神秘の物語を内側にした、サンドイッチ構造になっていると思う。

まずは、琉花の成長のドラマについて要約し整理する。

琉花は14歳の女子中学生。琉花の家庭は父親が別居状態、母親はアルコール依存症と思われる描写があり、家庭内もギスギスした感じ。母親は、琉花を責めてばかりで、琉花を気遣う優しさが感じられない。そして、その態度は、琉花の友達に対する態度にも相似する。

夏休み初日、ハンドボール部の練習で、ラフプレイを仕掛けてきた相手に怪我をさせる。友達は「やりすぎ」と言い、顧問の先生からは「謝る気持ちが無いなら、明日から(部活に)来なくていい」と言い渡される。ナイフの様に尖っているから、周囲からも孤立する。何をやっても上手く行かない。自分という存在は一体何なのか?

そして、海、空と出会い特別な体験をする。

琉花が行方不明になった事で、両親が寄りを戻し父親が家に戻ってくるが、その事は琉花の家庭と琉花にとって、相手を思いやる事が出来る人間関係を取り戻すための素地となる。

特別な体験は琉花の意識を変えた。人間がちっぽけな存在に思えたのかも知れないし、小さな命が寄り添って大きな命を成す事から、小さな命どうしの関りの大切さを感じたのかもしれないし、相手を思いやる気持ちが調和を生む事を直感したのかもしれないし、その辺りの実際は良く分からない。

ただ、その後の琉花は、相手に笑顔を送り返す事ができるようになっていた。

ED後のパートでは、自分に妹(弟?)が生まれ、琉花がその子のへその緒を切るシーンが入る。自分が見てきた命(宇宙)の誕生。そして等価である人間の誕生を直視し、一つの個体の誕生の儀式として、へその緒をカットした。それは、生命誕生に対する祝福のテープカットの様にも見えた。

これが、外側の琉花の成長のドラマになる。もっと平たく言えば、特別な体験をして琉花が他人を思いやれる気持ちを持てた、という物語である。

こっちがメイン、物語の内側に挟まれた、特別な体験(生命の誕生)

海中、空気中に漂う人間には認知できない情報と、琉花と海の関り

冒頭のクジラのソングに含まれる情報とクジラどうしのコミュニケーション。海中の音や風に含まれて流れてくる情報。それは人間には認知できない。

ジュゴンに育てられたとされる海と空は、ジュゴンが認知する「何か」により人間には感じ取れないコミュニケーションをとり、人間が知り得ない情報を知る。

一方、琉花は、周囲のどの人間とも上手くコミュニケーションが取れず孤立した存在として描かれる。

海が琉花と仲良くなった理由は、本人も忘れていた子守歌のように、先祖が海洋生物や風でコミュニケーション出来ていた血を受け継いでいた事を、海が感じ取ったからなのだと想像する。

逆に、琉花は、海に必要とされた事実で、海との関りにのめり込んでゆく事になる。

世の中のまだ90%は未知という世界観

人類には世の中の90%は未知、というのが本作のSF的な重要なポイントだと思う。

この未知について、その情報を欲する人類。

冒頭のクジラのソングについて調査するシーンは、「未知との遭遇」を連想させた。ちなみにこの作品では、音階が地球外生命体との会話(コミュニケーション)に使われた。未知への探求がスリリングな雰囲気で扱われ、本作の掴みとなる、謎解きの期待を含ませる描写だったと思う。

「祭り」に関する調査結果は、某局との取引により大量の札束と交換で引き渡されるが、ジムは、海と空のために手持ちの情報を全て消去した。

一方、「祭り」のゲストとして招かれた琉花は、苦しみの中、その儀式を見届けるか否かの選択で、「見たい」と知る欲求に従い、それ知る事を選んだ。

海と空の役割、琉花の役割

水族館の舞台裏から見た、水槽を大きな額縁に見立てて地面に琉花が立ち、間に魚が群れを成して泳ぎ、一番てっぺんに海が泳ぐシーンがあるが、琉花=人間で、海=天使としての宗教画を連想させるシーンだった。公式HPなどでは、この絵には、天使として海と空の二人が描かれている。

このシーンから察するに、海と空は、琉花を神の視点に導く水先案内人としての役割があったのかと思う。

空は隕石を琉花に口移しで飲み込ませた。隕石は精子であり「祭り」のトリガーなので、空の体が息絶える前に琉花に託した。

ただ、ここから先の事は、私も考察能力不足のため、良く分からない。

儀式にゲストが必要な前提。隕石を持つ事は、本番のオスであると思うのだが、その役割を琉花に託した事はゲスト以上の仕事ではないのか?もしくは、その仕事自体がゲストの仕事なのか?もしかしたら、その役は空もしくは海の役目だったのに、海をその役にさせないために空が琉花に託したのか?その辺りは私にはよく分からなかった。

また、本番が始まり、生命が誕生する瞬間のシーンから、海が黒い影として表れて、隕石を奪い合う。この時点で琉花は儀式を見届けたい気持ちがあるので、手放そうとしないが、最終的に、隕石は黒い影の海が飲み込んで儀式は完了してゆく。このやり取りも、何を意味しているのかは、分からなかった。

「祭り」の意味と圧倒的な映像

「祭り」を意訳すると、隕石(=精子)がクジラの胃(=卵子)にぶつかり宇宙と言う生命が誕生する、という事だったと思う。誕生の瞬間はビッグバンのような大爆発である。

その中で、宇宙という生命体、地球の海という生命体、人間というの生命体、スケールは違えど、これらは小さな命が集合して大きな命になる。人間の個体は海と等しく、宇宙とも等しく、大きくて小さな存在。言葉にすると陳腐だが、そんな事を言いたかったのではないかと思った。

ちなみに、本作では、これらは人類には解明不能な情報であるため、それらを明快に観客に伝える事は出来ないという理屈である。

しかし、それでは映画にならないので、ハッキリとは分からないが、ぼんやり雰囲気が伝わるように工夫した演出がされている。

例えば、宇宙誕生の際の零れ落ちる光が星雲の形をしていることと、幼き琉花が水族館の水槽で見たジンベイザメ?の輝きの形が、似た感じの形状になっていたり、断片的な一致を所々に散りばめている。それは、あたかも海外で日本語しか知らないのに現地語で話しかけられ、その中の何かの単語だけが何度か登場し、その意味だけがおぼろげながら理解できる、と言う状況に似ている。そうした感覚を視覚的に理解させている、と思う。

とは言っても、私の理解もザルで、もっと込めたイメージがあるのだと思うが、これ以上、上手く言う事も出来ない。

こうした演出一つとっても、未知を未知のまま映像化するロジカルなアプローチという苦労を想像してしまうが、その意味で、とても難しくて、ストイックで、挑戦的な演出だったと思う。

琉花に残ったモノ

結局、特別な経験を経て琉花に残ったものは、下記だったのかと思う。

  • 通常の人間には出来ない、海洋生物仕込みの、海と空とのコミュニケーションの経験
  • 宇宙=地球(海)=人間の命の仕組みを神の視点で垣間見た経験
  • 宇宙の誕生を爆心地で目撃した経験

琉花にとっては、これらの経験を経て、孤独だった人生から、海と空との繋がり、海と地球と宇宙の繋がり、そうした繋がりを記憶に刻み、命の誕生から生命について、生きる事について、価値観の変化があったのかな、と想像する。

参考(インタビュー記事)

おわりに

本作は、結局、人智を超えた宇宙=地球(海)=人間の命の仕組みや、宇宙誕生のSFっぽい所に力が入っているのだけど、その部分が個人的に、どうも押しつけがましくて興味が持てなかったのかな、と自己分析しています。

映像表現の圧倒的な迫力は、見事としか言いようが無いし、物語の外側にある琉花の物語も納得できるのだけど、それらは、全て、前述の部分のためのもの。物語のコアが、そこにある点が、どうにも個人的にしっくりきませんでした。

言い換えるなら、人間を感じるドラマの方が、個人的に好き、なのだと思います。

ただ、アニメ映画の多様性は歓迎すべきだし、こうした実験的で尖った作品は、もっと投資すべし、という気持ちも有あります。そういう意味では、2019年のアニメ映画は豊作なのかも知れません。