たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない

ネタバレ全開です、閲覧ご注意ください。

はじめに

劇場アニメ「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」の感想ブログです。長文です。

なかなか良かったものの、尻すぼみだったテレビシリーズを完結させるために鑑賞しましたが、非常に練られたプロットと、心揺さぶるドラマと、胸を締め付けられる優しさと切なさで、かなり良い作品でしたので、その気持ちをブログにまとめます。

タイムリープものなので、何度かやり直しがあるのですが、その辺りが複雑かつ精密なので、整理してキャラの心情を追う形で自分の中で整理し直しました。(私はブログに整理するために2回観ました)

ちなみに、私は原作小説未読です。

劇場版の考察、感想

テレビシリーズを完結させる集大成的な映画

テレビシリーズOA前に劇場版のアナウンスはされていた。テレビシリーズの尺の関係と一番盛り上がるエピソードを劇場版にする、という狙いは、本作を観終えた今、その意図は良く分かる。

本作は、テレビシリーズ全体が伏線となり、その伏線を見事に回収して、物語を完結させる。

別の言い方をするなら、テレビシリーズは中途半場な状態で終わっているので、完結させるためには、劇場版を観るべきである。

しかし、その戦略の是非の議論はあるかも知れない。実際に、地方在住で、近くで上映していないので観れない、と嘆いている方を見受けた。この辺りは難しい所だと思う。

安心感のある作画、演出、芝居

アニメーションの作画、演出、芝居などは、テレビシリーズの延長線上にある。劇場版だから豪華にするという事は無く、だから安心して観れるし、テレビシリーズとシームレスに繋がる作品ゆえに、そのディレクションで良かったと思う。

トリッキーで複雑すぎるストーリー展開

原作からだと思うが、今回は物語の展開が凄い。

テーマの所で説明するが、タイムリープものとして、いくつかのルートをやり直す事になるのだが、その一つ一つのルートに意味があり、その積み重ねでドラマを重ね、最後は不時着させる。

間の要素を一つ抜くと成立しない。そういう精密さを持った脚本だと思った。見事です。

これまで、色んな思春期症候群を垣間見てきたが、今回の思春期症候群は、それまでのネタを重ねている所もあり、その辺りも上手いし、朋絵の量子もつれ関係や、理央の洞察力と仮説も、イイ感じで活用され、これまで観てきた視聴者をニンマリさせる。

原作は小説2巻分なので、相当削ったのだと思うが、抽出されたエピソードのバランス感覚も良かった。

自己犠牲では救いきれない世界、というテーマ

今回は、目の前の弱者を放っておけない優しさが、より身近な人の哀しくするというトレードオフの関係の中、命の椅子取りゲームを行う、というドラマだった。

自分さえ我慢して自分を滅すれば皆が幸せ、ではない!というテーマだったのではないかと思う。

最初は、咲太の命が失われるルートがあり、次に麻衣が、最後に翔子が、という流れで、それぞれのルートを積み重ねた事で、最後は翔子が誰も死なないルートを掴む。

その過程で、試されるように誰かの命を助け、誰かの命を見殺しにする、そして最後は思い出や記憶と引き換えに、相手を救うという究極のドラマに胸が締め付けられ、心が削られる。

最期は翔子と咲太の優しさが報われる形でのハッピーエンドで、それまでのストレス過多な揺さぶりもあって、非常に鑑賞後の印象が良かった。

過去改変の流れの整理

今回の翔子の思春期症候群は、特殊相対性理論ウラシマ効果の応用。別の言い方をすると、未来の人間が過去に干渉して未来を変える。

本作の考察には、複雑に過去改変された流れを把握が必要不可欠であり、それらについて整理する。

  • (a)1周目(咲太死亡ルート)
    • 3年前、小学生翔子が心臓の病で自分が中学卒業までに死ぬと知る
    • 7月某日、咲太が小学生翔子と出会い、子猫を引き取る
    • 12月24日、咲太が交通事故で死亡
      • 翔子は咲太の心臓を移植して生き延びる
  • (b)2周目(麻衣死亡ルート)
    • ☆2年前、時間遡行で、(a)高校生翔子が中学生咲太に出会う(花楓→かえで)
    • ☆11月某日、時間遡行で、(a)大学生翔子が高校生咲太に出会う(かえで→花楓)
    • ☆12月8日、時間遡行で、(a)大学生翔子が咲太の家に泊まり込む
    • ★12月24日、麻衣が咲太の身代わりとなり交通事故で死亡
      • 翔子は麻衣の心臓を移植して生き延びる
      • 咲太は麻衣を失い錯乱状態になる
  • (c)3周目(中学生翔子が死にゆくルート)
    • ☆12月28日、時間遡行で、(b)大学生翔子が咲太に出会う
      • ☆12月24日、時間遡行で、(b)12月28日の着ぐるみ咲太が現れる
      • ★12月24日、(b)着ぐるみ咲太が身代わりとなり交通事故で死亡(消滅)
        • ★のちに中学生翔子は死亡(=大学生翔子の消滅)
  • (d)4周目(誰も死なないルート)
    • ☆12月31日、記憶の時間遡行で、中学生翔子に消失した大学生翔子の記憶が宿る
      • ☆3年前、記憶の時間遡行で、小学生翔子に消失した大学生翔子の記憶が宿る
      • ★3年前、小学生翔子が未来を生きる強い願望を持ち、咲太を巻き込まない未来を選ぶ
        • 咲太と翔子の関係は無かったことになる
        • 翔子以外(麻衣、まどか、国見、朋絵、理央)の関りは従来通り
      • 1月6日、七里ガ浜で高校生咲太と中学生翔子が出会う
        • 咲太と翔子は初対面で、互いの夢に出てくる人と理解し合う

☆:過去干渉
★:ルート変更

テレビシリーズは2周目以降で、映画は2周目の途中以降を描いている。注意して欲しいのは、1周目というのはテレビシリーズでも描かれていないという事。

そして、それぞれのルートで咲太、麻衣、翔子が亡くなるルートを描いている。残された人の未練が過去を改変するという流れである。

詳細のリストに記載している用語だが、定義が分からなかったので、独自に下記の定義付けする。

  • 時間遡行:時間の経過を拒んだ未来の人間が、過去で観測され、過去に干渉する
  • 記憶の時間遡行:時間の経過を拒んだ未来の人間の記憶が、過去の本人の夢の中に伝達する

翔子が時間遡行出来たのは、小学生の時に心臓病により自分の余命が長くて中学卒業までと宣告され、その自分の死期に対して時間の経過を拒む気持ちがあったから。だから、小学生時代まで時間遡行する事が出来るはず。

咲太が12月28日から12月24日に時間遡行出来たのも、2周目の12月13日に交通死亡事故死を宣告され、その自分の死期に対して時間の経過を拒む気持ちがあったから。だから、12月13日以前には時間遡行出来ないはず。

梓川咲太

1周目(咲太死亡ルート)の梓川咲太

実はこのルートはテレビシリーズでも描かれていない。しかし、少なくとも未来の翔子が咲太を好きになって助けに来るくらいなので、テレビシリーズ同様、中学生翔子に優しくしたのは間違いないだろう。

逆に、咲太は高校生翔子や大学生翔子に遭遇しないため、花楓↔かえでの思春期症候群の時に、どうやってヘルプ無しで乗り切ったのか?というのは興味がある。

2周目(麻衣死亡ルート)の梓川咲太

このルートがテレビシリーズで描かれたルート。

12月8日、麻衣という彼女がいるところに、大学生翔子が再登場し泊まり込みに来て、修羅場になるのだけど、咲太は麻衣が一番というスタンスを崩さないのが良い。逆に翔子が謎を明かさないため裏がありそうな感じで見ていた。

12月13日、咲太は1周目で咲太が12月24日に交通死亡事故で死に咲太の心臓が翔子に臓器移植された事を知る。純粋に死にたくないと思う咲太。

12月21日、咲太は美容院で花楓やのどかに死に際のあいさつみたいな事を呟く。見かねて麻衣が咲太をJR東海道線での逃避行に連れ出すが、熱海駅で互いの感情をぶつけあうシーンが泣ける。泣きじゃくる麻衣に対して、咲太は強くてしっかりしている麻衣が好き、というニュアンスの台詞があるが、咲太は強い人よりも弱ってる人、困っている人を放っておけない性分なのが皮肉だし、麻衣もその雰囲気は察していた。

この時の二人の主張は、麻衣の気持ちは翔子を見殺しにしても私と一緒に咲太に生きて欲しいであり、咲太の気持ちは麻衣を悲しませたくはないが、翔子を見殺しにしていいのか?、ただ麻衣の事は悲しませたくない、だったと思う。根本のところで分かり合えていない男と女の噛み合わない会話が良く伝わってくる名シーンだったと思う。

12月24日、その時まで咲太自身は生きる方向に傾いていたはずなのに、病院のICUで苦しんでいる翔子の姿を見て、咲太自身の命を犠牲にして翔子を生かそうと心変わりしてしまう。それは今まで通りの咲太の優しさであり、咲太自身が過去に翔子に救われているので、ある意味、翔子からもらった命という感覚もあったのだろう。

しかし、麻衣が交通事故の身代わりになった事で、結果的に麻衣と翔子を同時に失う、という衝撃的な状況が発生。取り返しが付かない結果に、咲太を作り上げていた優しさが一気に崩壊し、放心して彷徨う咲太がキツい。

12月28日、放心状態の咲太の前に、死んだと思っていた翔子が麻衣の心臓を受け取って時間遡行して現れて、最終的に麻衣を救うために、翔子に「何もしてあげられない」と、はっきりと翔子を真面目にふる事になるのだが、その表情が淡々としているが効いている。泣いた分だけ強いのだが、淡々としているからこそ伝わる感情。迷いが無い、辛い選択。

咲太は、12月24日に戻り、分からず屋の現在の咲太と電話で会話し、麻衣の自殺を説得で阻止し、自らが交通事故に干渉する事で現在の咲太を守る。その直前に咲太は大学生翔子に手をつなぎ、初めて初恋の人である翔子にお別れを告げる。これから咲太がやる事は、未来の翔子を消滅。笑顔でバイバイという翔子が切ない。

3周目(中学生翔子が死にゆくルート)の梓川咲太

このルートの12月24日以降の咲太は、麻衣と翔子を同時に失うという悲痛な経験をしていない。麻衣から説明を受けたとしても、翔子を見殺しにした事実には抵抗があったのだろう。麻衣と咲太が幸せに過ごすのが一番大事なのは理解できても、翔子を見殺ししにして良かったのか?という感覚。

もしかしたら、夢に現れるおぼろげな未来の記憶で、麻衣を選んで翔子を見殺しするしか手がなかった事を理解しているのかもしれない。

そして、まどかの夢が消滅してしまった世界線の未来の記憶と気付いた時、中学生翔子が過去に戻れってやり直せば翔子自身を救えるかも知れない、と咲太は考える。(死期を知り、未来を拒んで生きてきたのは、小学生翔子しか居ないので、時間遡行ができるのは翔子のみ)

理央は過去に戻ってやり直すにしても翔子の心臓病の悪化を食い止められる保証もないし、今の峯ヶ原高校の入学も、麻衣、朋絵、理央、国見の付き合いも無かったことになるかもしれず、リスクが大きすぎると言う。麻衣はやり直しても、少し遠回りになるかもしれないけど、きっとまた巡り合い恋人に慣れるはずだから、咲太の好きにしていいと言う。

咲太は熟考の末、翔子自身が過去からやり直す方向に賭けようと思ったのだと思う。そして、ICUの中学生翔子に面会の機会が訪れ、翔子の説得を試みる。

しかし、これまので経緯を、記憶の時間遡行で全て理解した中学生翔子は、翔子自身が咲太と出会ってしまった事が、咲太を苦しめてきた事実に気付き、咲太と出会わないように過去をやり直してくる、と言って眠ってしまった。

過去に戻って病気を治して欲しい咲太と、過去に戻って咲太に合わないようにする翔子の二人の気持ちのすれ違い。

4周目(誰も死なないルート)の梓川咲太

除夜の鐘でうとうとした咲太の脳裏を逆再生してゆくみんなとの思い出。この瞬間に、過去改変が発生したものと思う。そして、未来の翔子と出会った事も、中学生翔子と出会った事も、全て無かったことになった。

1月6日、七里ガ浜で麻衣と一緒に行動していた咲太は、中学生翔子に運命の初対面の再会をする。その再会は驚きの表情と「牧之原さん」という言葉だけで十分だった。

翔子の途中の台詞が効いてくる。人が忘れるのは嫌な思い出を抱えられ続けられないならとするなら、咲太や翔子のお互いの記憶は、逆説的にはその思い出が良い思い出だったから。咲太の12月31日の願いが報われるラストで安堵する。

感無量である。

桜島麻衣

麻衣の正妻感は健在。

麻衣で一番書きたいのは、12月21日の熱海駅まで逃避行した時のシーン。

咲太の所でも書いたけど、咲太というのは、結局、目の前の弱者を放置できない性分で、本人もその自覚があり、だからこそ、麻衣は咲太と死に別れないために、物理的に藤沢から離れたい!という願いだが、麻衣のその言い方が、本当に女性っぽい、というか麻衣っぽい。咲太を引きずっても死別から遠ざけたい。その直球の願いが溢れだしてた。

対する咲太は男性っぽく理性的。麻衣の子供じみた願いを、結局は説得で受け付けない。台詞では、分かったような雰囲気になっているが、分かり合えていない、という雰囲気。この修羅場の雰囲気は良く分かるし、説得力がある。

この場は、咲太も麻衣の哀しみを感じて、分かったと言うが、12月24日時点では、麻衣は既に自分が身代わりで死ぬ覚悟でいた。結局、咲太は麻衣をここまで追い込んでしまっていた。麻衣もまた、自分の事より咲太に生きて幸せになって欲しかったのだと思う。

麻衣でもう一つ書きたいのは、3周目で12月24日に未来の咲太が麻衣の楽屋に来た時の会話。

今度は、未来の咲太に説得され麻衣が身代わりに死ぬのを諦めた後、麻衣は、咲太に幸せにしてもらおうと思ってるんじゃなくて二人で幸せになりたい、という台詞がある。さっきまで、自分が命を犠牲にする覚悟だった人が言うのも自分への皮肉でもあるだが、一方的に与えるだけじゃダメでお互いに同意して与え合うのがパートナーという考え方。これがまた女性っぽいというか麻衣っぽい。

実は、これは咲太や翔子に無かった考え方なのだと思う。咲太も翔子も相手が徹底的に困った時に救世主の様に助ける。しかも、自分を捨てて救済する。咲太と翔子はその意味で似てる。

これから、咲太は、麻衣のこの考え方に徐々に馴染んでゆくのだと思う。好き同志のカップルでも、そうした(男女の?)考え方の違いが、作品に滲み出ていているのがリアルに感じた。

麻衣が良いのは、命のやり取りをするときに翔子に辛く当たらないところ。真っ直ぐ当事者である咲太に向き合い咲太に問いかける。翔子に情を入れないという事もあるのだろう。この部分は麻衣の強さだと思った。

牧之原翔子

1周目(咲太死亡ルート)の牧之原翔子

確証は無いが、7月某日の雨の中の捨て猫の出会いは、1周目でもあったのだと思う。

12月8日、花楓の病院付き添いで来た病院で、偶然、入院中の中学生翔子に出会う。

心臓移植後、それが咲太の心臓である事は麻衣から聞いた。

咲太の心臓移植後で命を繋ぎとめた後、翔子はどのような経路をたどって高校生翔子、大学生翔子に成長していったのか?については描かれていない。ただ、おそらく、優しかった咲太が翔子の初恋の人であり、咲太に恩返ししたいと思ったのだろう。

2周目に登場する高校生翔子と大学生翔子は、それぞれ花楓→かえでとかえで→花楓の入れ替わりの、咲太のメンタル面で非常に重要なタイミングで咲太を助けに来る。おそらく、生き延びた翔子は花楓からかえでの日記帳の事を聞いていたのだろう。

未来の翔子はいつも七里ガ浜で観測される。最初の観測は翔子と量子もつれの関係にある咲太にしか観測できないと思うが、高校生翔子がとても落ち着いていた事を考えると、少し不思議な気がする。もしかしたら、ここに来る前に既にループが発生していたのかもしれないが、その辺りの詳細は不明。

ただ、高校生翔子の頃は、咲太に命を返すところまでは思っていなかったのではないか、と想像する。もし、そうなら、この時点を待たずに翔子は何らかの手を打っていただろう。

高校生翔子や大学生翔子が話した「ありがとう」「がんばったね」「大好き」は、咲太の優しさと同質のモノである。おそらく、1周目ですでに咲太が中学生翔子に語っていたのだろう。

12月8日、咲太の家に上がり込む翔子は、すでに自分が消滅する覚悟で過去に来ている。生きている咲太を見て、元々初恋の人だった咲太を大好きになってしまい、自分の命を返すべきと考えてしまったのだと想像している。私には、咲太から受け取った命を咲太に返すべき、と結論付けてしまう翔子の気持ちの詳細は分からない。自己犠牲で命を差し出すというのは、大学生翔子が心臓移植で生きた6年間とその先の人生を無かった事にしてしまう事であり、翔子と関係者にとっては悲しむべき事のはずで、それを覚悟させるほどの、よっぽどの何かが翔子にあったのだろう。

12月8日から12月24日までの翔子にとっての最期の16日間を、咲太にきちんと「ありがとう」「がんばったね」「大好きだよ」を言うために生きる。

そして、翔子の最期の我がままである咲太との恋人ごっこ。葉山の結婚式場でのウエディングドレスを着て、ささやかな夢を実現する。そして、12月24日午後6時に弁天橋で待ち合わせを申し出る翔子。咲太が麻衣の所に向かうなら、交通事故現場となる弁天橋には来れないはず。最後のトラップをしかける翔子が切ない。

そして、運命の12月24日、予想に反して、麻衣が交通事故で亡くなった。

2周目(麻衣死亡ルート)の牧之原翔子

このルートでは、翔子は咲太の心臓移植を受けなかった事になり、代わりに麻衣の心臓を移植して生き延びていた。

心臓移植後、6年間を翔子がどのように過ごしたのかは描かれない。高校生翔子や大学生翔子が七里ヶ浜で咲太に来たか否かも不確実であるし、この6年間で咲太との関係もどうなったかは不明確である。

しかし、12月28日に麻衣を失った咲太の前に現れたという事は、この6年間で麻衣を失った事をとても後悔していて、さらに翔子自身がこの世に未練が無くなったという事だろう。麻衣が生きるという事は翔子が消滅すると言う事であり、その覚悟は出来ていた。

なぜ、翔子自身が麻衣を救わず、咲太が麻衣を救わなければいけないのか?について考えていたが、明確な事は分からなかった。ただ、麻衣を欲していたのは明らかに咲太であり、その責任を取る意味で、咲太本人に機会を提供したのだろう。

今回は、12月8日からやり直しても上手く行かない事は分かっているので、12月28日の失意の咲太にしかけるのがポイントであり、そこが辛い所である。

ここでも、翔子はこの時も咲太に麻衣と翔子を天秤にかけさせるという辛い判断をさせている。そして、はっきりと翔子は「何もしてあげられない」と言われるが、その時の涙目の翔子がまた切ない。

12月24日の交通事故直前に、着ぐるみ咲太とバイバイをした大学生翔子は、着ぐるみ咲太を受け入れていたので、2周目の時間遡行した翔子が12月28日から追いかけてきたものと想像しているが、この辺りは良く分からなかった。

3周目(中学生翔子が死にゆくルート)の牧之原翔子

咲太の行動により、麻衣は救われ交通死亡事故は発生しなかった。この時点で、未来の翔子は消滅して、中学生翔子は近いうちに死にゆく事が確定した。

この時、記憶の時間遡行により、ICUで治療中の中学生翔子は、未来の翔子の記憶を受け取り、全てを察した。翔子が得た未来の記憶は、1周目の6年間と、2周目の6年間の合わせて12年間分である。

自分が元気づけられた咲太に恩返しをするつもりが、結果的に自分が関わる事で大好きな人の喪失や、辛い命の選択を強いて来たのだと。

翔子の最期の決断は、咲太との出会いを無かったことにする事。普通の死別なら相手の心に翔子は刻まれる。しかし、今回の選択は、その痕跡すら残さないというこの上ない辛さ。それが、翔子の考える咲太への最大限の優しさだったのだと思う。

4周目(誰も死なないルート)の牧之原翔子

小学生翔子は、12年間+3年間=15年間の記憶の時間遡行をしているはずで、夢の中でみる未来の記憶に従い生きる決心をし、未来の予定を書き込み強く生きる決意をした。そして、絶対に咲太に出会わない事と誓って生きたのだと思う。

咲太との思い出の場所には近づかなかったのだと想像するし、7月某日の捨て猫の日も、12月8日の病院での出会いも無くなった。

そして、当初の天命を超えて生きた。

翔子は、もう安心と思って七里ガ浜に行ったのかもしれない。1月6日、七里ガ浜で翔子は咲太と出会う。初対面だから分かるハズはないのだが、その人が咲太と分かってしまった。

そして、咲太の「牧之原さん」という言葉に、咲太の記憶に自分が残っていた事に気付く。以前、咲太が言っていた、翔子さんとの思い出は楽しい記憶ばかりですから、忘れない、という台詞の通りに。多くの言葉は要らない、咲太が覚えていてくれたという事実が、驚きと喜びの表情に変わる。

感無量である。

テレビシリーズ+劇場版を通しての感想

以前、テレビシリーズが終了した時のブログには、物語が尻すぼみ感があり、その点をマイナス点としていた。

しかし、劇場版はテレビシリーズのどのエピソードよりも濃くて面白くて揺さぶられたし、何より劇場版まで観た事でシリーズが奇麗に完結した事が気持ちよかった。

とにもかくにも、原作小説のプロットの上手さだと思うが、アニメ作品に落とし込んだ時のシリーズ構成の引き算も見事だったと思う

テレビシリーズの違和感だった事の一つに、最終回のかえでのエピソードのラストに、麻衣が咲太に頼ってもらえない事に腹を立てて仕事現場に戻ってしまい咲太が追いかける、というシーンがあるのだが、これも劇場版への伏線だったと思うし、そうした物語の構成的なところは、それぞれバランスを持って、必要だから描かれていたのだと感じた。その意味でアニメのシリーズ構成は、良い仕事をしていると思う。

青ブタは、胸の中がザワザワしたり、締め付けられたり、くすぐられたりする感じの作品だったが、劇場版でもその感覚は健在で、テレビシリーズより威力を増していた。

メカや魔法やアクションが無い、リアル寄りの作品だから、アニメで描くには地味に大変なのだろうけど、そこも丁寧に描き、演技を乗せ、好感が持てる作品だった。

おわりに

キチンと物語が完結したという安心感、安堵感がありました。

個人的には、理央が好きだったのだが、やはり劇場版を見て、翔子の優しさと切なさに気持ちを持っていかれました。

ド派手な映像だけがアニメじゃない。地味に見えがちだけど丁寧な作り込みに、好感持てる作品だったと思います。