たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

グランベルム 第12話「マギアコナトス」

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はじめに

本ブログ記事は、グランベルム12話までのネタバレ含みます。閲覧ご注意ください。

12話予告で「沸騰してゆく少女達のエモーショナルエクスタシー」という名ワードを生み出したグランベルム。全13話中のラスト前の12話の盛り上がりが凄かったので、その熱の勢いでブログ書きます。

12話は徹頭徹尾バトル描写なのですが、その中で満月と水晶の台詞の殴り合いがやっぱり凄い。演技が凄いのは言わずもがな、なんですが、その中で分かり合えない水晶と満月の思いが良かった。満月は、今までの経緯があり、その上での12話であり、11話までの積み重ねがあるからこそ意味のある台詞が凄く良かった。

  • 満月の台詞の引用を追加し、加筆・修正をしました。(2019.9.22)

考察

水晶(人間否定)vs満月(人間賛歌)

水晶vs満月は、そのまま人間否定vs人間賛歌と言える対立関係でバトルなのだと思います。

  • 水晶vs満月
    • 水晶:人間否定、魔法肯定
    • 満月:人間肯定、魔法否定

この二人は人間じゃありません。満月も水晶もマギアコナトスが作りし人形なのですが、その主張は全く逆になります。それは、水晶が人類に対して試練を課す側の人形であり人間を否定する所から始まっている事と、満月が水晶の心の結晶として生まれた人形であり人間を肯定するところから始まっている事の違いとも言えます。

水晶の世界のために、人類は力(=魔力)を持たせない、という主張はある意味正しい。水晶が言うのは、人間は利己的で愚かだから、道具を扱いこなせず世界を傷付けるだけであり、魔法を管理する事は人間には無理なのだと。千年間も続くグランベルムの戦いの中で魔術師の子孫たちを倒し続ければ、ザ・ウィッチになれると信じて続けてきたが、なんど勝ってもザ・ウィッチになれずに戦い続ける地獄。人ならぬ水晶でも発狂状態であり、それでも戦い続ける悲哀を持ち、人間どもを蹴散らしている事が判明します。

一方、満月の主張は人間のために、魔力は存在しない方が良い。人間が生きるという事は、人間が自然にわき上がる喜怒哀楽を全て感じる事であり、それを初めから無かった事にする(=アンナ、九音)というのは「生きる」に対する冒とくであり、許されざる行為だから、魔力は存在しない方が良い、という主張。この事を人間ではない満月が言うところに12話の意味があります。

なぜ、満月がこう主張する事ができるのか?

実を言うと、私は11話視聴直後、この満月の心境の変化がジャンプし過ぎではないか?と違和感を持っていました。10話で死ぬのが怖いと言っていた人が、半月後、新月に会うときには笑顔で死ぬことを悟っている。正直、説明不足だと思いました。

  • 10話の満月の悩みと11話での心境の変化
    • 自分には何もない → 存在が消えても、薄っすらと人の心に残っている(=何も無いわけでは無い)
    • 自分にしか出来ない事をしたい → 新月の悲願である魔力根絶のために戦う
    • 独りぼっちになるのは嫌 → 理由不明だが、死ぬ覚悟は出来た★
    • 死ぬ(=存在が消える)のは嫌 → 理由不明だが、死ぬ覚悟は出来た★
      • 自分の存在を残すためには、魔力が必要(=新月の望みである魔力根絶は出来ない)という矛盾

私には、11話で満月が悟りを開き死ぬ覚悟をした経緯がどうしても分からなかったのです。でも、12話の満月の台詞で納得しました。

その理由は二つあると思っています。一つは新月の心の結晶である事。新月が人間なので、その心の代弁者だからです。もう一つは、満月が人形だからこそ言えるという事。満月は10話で「何もない人形」として絶望します。生きても居ないとか、(死ぬのが)怖いとか。でも、11話で生きるという事が、大小関わらず喜怒哀楽を感じる事という悟りを開きます。それは、マギアコナトスによって作られ、マギアコナトスによって死んでゆく人形である満月が、消えゆく存在である事を認識し、人の繋がりも無くなってゆく中で、逆に生きていた意味を考え抜いて実感したから、悟りが開けたのだと思います。12話の満月の長い台詞を引用します。

  • ”世界にはいっぱいの思いが積み上がっている。嬉しいとか楽しいとか大好きとか。もちろんそれだけじゃない。悔しいとか悲しいとか憎いとか。後悔があって欲望があって、ああなったらいいのにとか、こんな奇跡が起きないかなとか、そういう叶えられない思いが積み重なって、忘れられて、また積み重なって世界が作られてゆく。人は生きてゆく。それでいいんだよ。それだから人は希望を持てる。生きていける。だからね新月ちゃん。魔力なんてなくていい。世界を捻じ曲げてまで願いが叶っちゃうような、嫌な事や良くない事を消しちゃうような、そんなすごい力なんて無くていい。それは希望じゃないもん。未来じゃないもん。誰もが欲しいモノは、存在しちゃいけないモノなんだよ。”

世界=人間の思いの積み重ねであり、だから希望が持てる。魔法はそれを否定し消してしまう恐ろしい力だから、魔力なんて要らないのだと。

おそらく、シリーズ構成上、12話でこの強い台詞のインパクトを出すために、11話ではここまでの新月の覚悟の理由は、あえて伏せていたのだと思いました。

満月寺で四翠に出会った事も、この悟り(=哲学)に影響していたと思いますが、この「生きる」事に対する悟りは満月自身がたった一人で導き出します。結果的に新月の願いと同じ願いになっただけ。だからその悲しい決意を伝えるために、新月への語りかけも台詞もあります。

そして、満月の主張は、人ならぬ人形の満月が主張する事に意義があります。さらに、満月は魔力で生まれた人形なのですから、魔力を根絶すると自分の存在も無くなる。魔法によって生まれた満月にとっては、自分の存在を否定する命懸けの主張です。だからこそ、私は満月の人間賛歌の主張に胸を打たれてしまうのです。

今一度、水晶と満月の主張を整理すると、下記かな、と思います。

  • 水晶vs満月の主張
    • 水晶の主張:魔法の管理は人間には無理だから、そうならないようにグランベルムで水晶が勝ち続ける。
    • 満月の主張:魔法は有ってはならない存在だから、魔法を無くしたい。(=新月の願い)

良く見ると、二人とも人間と魔法は相性が悪いので、一緒にしない方が良いという、ある意味同じことを言っているのが面白いところです。ただ、満月は魔法を無くしたくて、水晶は魔法に寄ってくる人間を排除したい、というベクトルのズレがあるのです。

そして13話へ

残り1話となりましたが、13話は水晶と新月の対決になります。言い換えると、魔力vs人間の対決です。

11話で寧々が新月に吹き込んだ、新月がグランベルムで優勝し、プリンセプスの魔術師となり、魔力を行使すれば、あるいは満月を生き続けさせる事ができるかも知れない、という選択肢。しかし、12話の満月の去り際の笑顔を見た後では、満月を魔力で生かす選択肢は、もはやないのかな?と思います。

ここまで、激しく衝突する水晶と新月の情念。人間にとっても、魔法にとっても、良い落としどころはきっとあるのだと思っていますが、それが何かはまだ分かりません。

おわりに

グランベルムは熱い作品です。その中でも、7話と12話の熱は半端ない。だけど、仮に1話と12話だけを見てこの熱を感じる事は出来ないと思います。その間のキャラの積み重ねがあってこその、熱だからです。この激しい激情を描き切る演出と演技も本作の良さです。

そして、その熱の根っこにある想いは誰もが持つ普遍的なものだと思います。どのキャラも激情の中で生き死にがありましたが、ド派手で極端な演出であっても他人事じゃない。誤解を恐れずに言えば、繊細で精密な部分よりも、激情に合わせた演出であるため、視聴者によっては大味に思うかもしれませんが、だからこその味わいの作品だと思います。

残り1話になりましたので、最終13話楽しみに観たいと思います。