たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

グランベルム 第13話「世界で唯一のふたりのために」

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はじめに

2019年夏期に一番ハマった作品「グランベルム」が遂に最終回を迎えました。魔法に運命を狂わされた少女たちの物語として、かなりハードボイルドでビターな結末に、一粒の希望をトッピングした感じの終わり方で、個人的には満足です。本作を世に送り出してくれたスタッフの方々に感謝です。

ですが、この結末に、モヤっとしている人もSNSで観測できるのも、なんとなく分かります。その辺りについても、少し考察してゆきたいと思います。

  • 「令和時代のヒーローの難しさ」を追記(2019.9.27追記)
  • 「令和時代のヒーローの難しさ」にヒーローの定義を追記し、推敲しました(2019.9.30追記)

考察

水晶(人間否定)vs新月(魔法否定)

12話のブログでも書きましたが、本作のラストは、魔法否定(新月)vs人間否定(水晶)という構図での対決が描かれてきました。

しかしながら、戦いの場所は魔力溢れるマギアコナトスの幻想空間の中で、戦いの手段はマギアコナトスを使った魔術戦です。魔法を消すために最高の魔法戦を行うという皮肉です。

新月が魔法を消したい理由 その1

新月がマギアコナトスの加護を受けている理由(=運命)の因果はあまり描かれることはありませんでした。ただ新月は、マギアコナトスがこれまで繰り返し試し続けて来たプリンセプスの魔術師の候補として運命を授けたのだと思います。その新月が生きて行く中で、下記の二つの葛藤があった事が11話で判明します。

  • 新月の魔法に対する気持ち
    • (a) 基本的に、魔法を消したい
    • (b) わずかに、魔法を使いたい(魔力で友だち=人形が欲しい)
      • 人形を見ながら思ってしまった、この気持ちに気付いた瞬間に、(a)魔法を消したいと思った!

(a)(b)の気持ちは表裏一体でした。幼少期、魔力も持たず、さりとて全てに不器用だった新月は、器用なアンナに憧れます。その後、新月フーゴ家から出ていく事になりますが、その時に自分の作った下手くそな人形を見ながら、魔法が上手かったらこの人形も綺麗になり、人間の様に振舞い、友達になってくれるのか?と思ってしまいます。

寂しい。何も持たない自分だけど、魔法があれば、色んなものを持てるのではないだろうか?魔力が心の弱みに付け込む瞬間です。魔力はこうして人間の心に入り込み、そして不幸も呼び寄せる事は、寧々の母親の台詞にもありました。

しかし、新月はその瞬間に、それはダメだと気付き、魔法を消してしまった方が良い、と悟ります。この時、何故、魔法を遠ざけ頼らないのではなく、極論的に魔法自体を消し去った方が良いと考えたのか?何故、ここまで達観できるのか?という説明は、あまりなかった様に思います。

ただ、後の新月の姿を見ると、自分さえ問題なけえば良い、という問題では無く、魔力により人間が狂わされる事を回避したがっているように感じました。

新月が魔法を消したい理由 その2

実は私は、その1で書いた理由について、少し不整合を感じていて、その事についても書いておきます。

新月フーゴ家に入った時には魔石もなく術が使えなませんでしたが、アンナがエルネスタ家の廃墟で新月の魔石を発見し、アンナのカーマウィン・ウィッチの大魔法をこっそり新月がやっていた事を考えると、新月フーゴ家を出る頃にはかなりの術が使えていたはずです。だから、術が使えないから人形に上手く術を使いたい、という話にはならないように思っています。ここが不整合だと感じている点です。

もともと、10話までの段階で、大好きな憧れのアンナが、新月の魔法のせいで嫉妬に狂って人が変わってしまったという事実から、魔法で人間が狂ってしまう悲劇を繰り返さないために、魔力を消し去りたい、と願ったのだと勝手に想像していました。

この理屈だと、魔力に心を踏みにじられた悲劇のヒーローであり、その哀しみが原動力となる感じです。だからこそ、寡黙でクールにもなり得る。そう考えていました。

しかし、あくまで理由その1が願いのコアにあり、トリガーになっている、という説明だったと理解しています。ただ、理由その2は、理由その1の外側に、後付けで追加する事も可能な理由です。私は複合だったのかな、と考えています。

新月の罪であり、新月の親友である満月

新月の弱い心が、どこか片隅で願ってしまったために、満月という人形が生まれたしまった事が10話で判明します。新月の弱さのせいで満月に哀しみを与えてしまったという罪。この時の新月の気持ちは複雑です。人間と思い込んでいた人形の悲劇。満月の存在を否定する事も、満月の存在を肯定する事もできず、満月に何も言えなかった新月

半月後、満月は新月に夜空の星を見る様にメッセージを送ります。そして新月は満月に電話し、居ても立ってもいられず満月の元に走り出します。悪いのは自分だと満月に謝るために。しかし満月は、新月は悪くない、と言います。満月はこの半月の間に「生きる」について悟りを開いていました。

  • 満月の悟り
    • 魔力が無くなり存在が消えても、周囲の人に薄っすらと記憶に残る(=完全には無くならない)
    • 世界は人の思いの積み重ねで出来てる。だから魔力で思いを無かった事にするのは良くない。だから魔力を消したい!
      • →(みんなの記憶に薄っすらと残るから、)自分の存在は無くなってもいい、という覚悟。

魔法を消したい、という願いは満月自身の答えであることに意義があります。たまたま、新月の願いと一致しただけ。満月は人間ではなく人形である事、魔力干渉が消え今にも消滅してしまいそうな存在である事、しかもその願いが叶えば確実に自分の存在が消えてしまう事、その満月が考え抜いて「生きる」事の意味を、楽しい事も辛い事も全部含めた「思い」を積み重ねであると、世界は「思い」で出来ていると悟るのです。アンナや九音や自分の「思い」を無かった事にしてしまう魔力は消し去るべきなのだと。

満月は悟りを持って、新月の励まし、背中を押して、共に「魔法を消す」という共通の願いのために戦います。そして、新月に願いを託して、水晶の敗れて消えてしまいました。そして、新月は涙しますが、水晶との戦いはその余裕を与えてくれません。

新月の決意と、寄り添う満月の思い

激しい水晶との闘いの中で、水晶に敗れそうになったときに、新月の進化を即したのは満月の思いでした。その手助けのおかげで水晶を倒し、プリンセプスの魔術師となり、願いを叶える時が来ます。

魔法により消し去られた、アンナと九音と水晶は、新月に魔法を消し去る選択に言葉で揺さぶりをかけますが、そこでも満月の後押しのおかげで、最終的に「魔法を消し去る」事ができました。

何故、新月前人未到の道をゆく事が出来たのか?恐らく、満月と言う友の存在が決定的な差であったのだと思います。人の心は弱い。魔法は人の弱みに付け込む。そんな時に、友の存在が支えとなり、心を強くする事が出来る。満月は自分の心を移した鏡の様な存在ではなく、自我を持った自分とは別の存在なのだ、と新月は言います。自分の心が負けそうなときでも、他人と言うのは客観的なアドバイスをしてくれる事が多いと思います。自分一人では、客観視できない力を、親友から受け取ったからこそ、折れずに目標を達成できた。そう理解しました。

魔力が消えた世界で、新月に与えられた透明な存在の試練

新月の願いが叶い、魔法が無かった世界に変わりました。その時点で魔法を持っていた者は世界から消滅しました。具体的には新月が、以前の満月の様に透明な存在になりました。新月自身はその場所に居るのに、誰からも認知されない。水晶は願いを叶える直前に魔法を消し去る罪である、と言いました。新月がこの世のために達成した世界は、新月に対して余りにも無慈悲な世界でした。

でも、満月の悟りであったように、完全には無くならない。薄っすらと気配だけは感じられている。誰とも直接かかわる事ができない孤独な世界。その中で、とんかつまんを食べ、教室の机に座る。新月はあまりにストイックなので、このような状況も試練として受け止めてしまいます。新月はダークヒーローなのです。

そして、教室に転入生が来て、新月が少し驚きの表情をする所で、物語は終わります。

転入生は制服部分の後ろ姿しか出てきません。いろいろ想像の余地を残していると思いますが、体型からして、おそらく満月と思われます。11話で殆ど消えかかっていた満月を新月が抱きしめるシーンがありましたが、もし、繋がりの深かった満月の生まれ変わりなら、新月の事を抱きしめてくれるかも知れない。そんな、少しだけ希望を感じさせてくれる、エンドでした。

新月という人間は、もともと他人と深くかかわる事を避けて生きてきたフシが有ります。だから、新月の記憶は周囲に余り残っていない。永遠の孤独を「魔法を消し去った」代償として受け入れる覚悟だったという事かもしれない。だけど、それではあまりに悲しい。その意味で、わずかだけど、この救いが、心に染みます。

このエンドは、賛否あると思いますが、私は、渋過ぎではあるんだけど、少し甘みのあるこのエンドに、かなり納得しています。

令和時代のヒーローの難しさ(2019.9.27,30追記)

本作はヒーロー物だと思うのですが、令和時代のヒーローの難しさを感じた点を書いておきます。

魔力は正義でも悪でもないが、水晶は悪として描かれたと思います。非常に強力で人の心をもてあそび、人情を持ち合わせない。しかし、人の苦しみ哀しみは良く良く理解していて、そういう人の表情を楽しんできたフシさえありました。その悪に立ち向かうのが新月+満月という構図でした。

しかし、他の魔術師の子孫たちは、ロサの向上心だとか、寧々の母親を振り向かせたいだとか、アンナの才能に対する憎しみ妬みだとか、九音の姉を取り戻したいだとか、ごくごく個人的な願望を燃料にグランベルムを戦ってきました。そうした個人の願いに、視聴者は思いを重ねる。水晶でさえも、千年もの間、できないという証明を続けて狂ってしまった事に同情の思いを乗せて見ていたと思います。

満月は少し微妙で、当初、個人の願いとして、自分が誰かの為になる、認められる何者かになるためにグランベルムを戦いだして、途中で人形で有ることが分かると、「生きる」悟りを得て、新月と一緒に世界のために、魔法を消す目的で戦うように変化します。

新月だけは、個人的な願望と言うより、世界のためにグランベルムを戦う。その新月に視聴者は感情移入しにくい、という物語の構造的な落とし穴だったのかも知れない、と私は考えてみました。

それはある意味、自己犠牲により世界を守る、という物語になる事。その事が、おそらく視聴者をモヤっとさせる点になっているのではないか?と想像しています。自分を犠牲にして戦って、それでいいのか?と。

しかし、相手が水晶という悪である以上、個人的な願望で水晶を倒す事は出来ず、純粋な正義の力で水晶を倒す事になります。だから、水晶はクールに寡黙な雰囲気を持たせていたのだと思います。つまり、正義のヒーローです。まあ、ランドセルの件や、満月の弁当を普通と評して淡々と食べる件など、お笑い的な要素も入れてはいますが。しかも、自己犠牲の結果が、リアルな世界で透明な存在。誰からも感謝されません。(ある意味、ザンボット3を連想させます)この報われない活躍が、本作を見終えた後の引っ掛かりになっている人は居ると思います。

先の考察でも述べましたが、新月のその辺りの気持ちの追い込めていない点が、本作は弱点だと感じました。

と、ここまで書いてきて、私は新月をヒーローと考えていたのですが、その件について、SNSで多少議論がありましたので、ここでのヒーローの考え方について追記させていただきます。

  • 新月は戦いにどう向き合っているのか?
    • (a)誰の願いか? →新月と満月の二人の願い(=世界中の人は願っていない)
    • (b)誰を救済するか? →魔術師の子孫(世界中の人)のため(=新月自身が救われればいいわけではない)

一般的に、ヒーローと言うと、大衆の期待を乗せて、大衆のために戦うイメージがありますので、その文脈で言えば、(a)において、新月はみんなの期待を背負っているわけではないので、ヒーローでは無い、という主張でした。ただ、誰を救うか?という意味では、(b)の通り、自分以外の人も救済するつもりだった点から、私はヒーローであると考えました。みんなに愛されるヒーロー像ではなく、己の信念によって動く孤高のダークヒーローみたな感じで考えていました。多少混乱するかもしれませんが、このブログでは、そうした、自分以外のみんなのためにも戦う人をヒーローとして話を進めます。

もしかしたら、こうしたみんなの為に自己を犠牲にして戦う事が、昭和時代とヒーローの相性の良さとは裏腹に、令和時代にヒーローが流行らない事を示唆しているのかも知れません。真面目にヒーローものを作るというのも、グランベルムと言う作品の、ロボアニメに対するオマージュなのだとしたら、そこに挑戦する気持ちは分かります。でも、きっと、それだけだと令和で通用しないから、対照的な、アンナや九音たちのサブキャラに個人が感情移入出来る存在を混ぜた。果たして、狙い通り、そのサブキャラ達の虜になるファンが多かったと思います。

グランベルムは、そうした令和時代の個人の願望の物語と、昭和時代の滅私のヒーローの物語の融合した作品であり、両者は相反するモノであり、その意味で、両方を愛する事ができる視聴者で無ければ、折り合いが付けにくいという物語の構造的な難点を抱えた作品だったのかもしれません。

ただ、私は、新月についても、ヒーローの文脈で愛せる人であり、勿論、個人の願いのために戦ってきたサブキャラ達も愛せる人であり、総じて本作が好きなのです。ネガ意見ぽい事を書いてしまっていますが、それも好きだからこその考察で、こんな事を考えていました。

おわりに

1話時点では、絶叫しながらロボ戦する美少女アニメだけど、なんか目的がはっきりしないし感情移入できないな、と率直に思いました。2話のラストの演出を見て、キャラのドラマを大袈裟な演出で描き切る演出力を見て、花田十輝脚本と相性が良さそうだし、これは見れそうだ、と思いました。5話でロボ戦の見せ方が、古典を踏んだものであり、しかも集中していないとロボ戦の意味を理解できないため、集中してバトルシーンを観る必要がある高密度作品である認識を改めました。7話のロボ戦とキャラの感情の乗せ方、30分を飽きさせる事無く見せきる脚本と演出に唸りました。水晶が悪として実力を発揮し、満月が人形で有ることを悩み、それでも、魔力を消し去りたいと願いを叶えるために戦う。そのキャラの激情に引っ張られ続けた後半でした。キャストのみなさんの演技の強さも印象的でした。一言で言うと、右肩上がりに熱い!そんな作品でした。

一方で、ちょっとシナリオが雑だな、と思ったのが11話あたりでしたが、その辺りを帳消しにするプラス面があったと思います。

それから、2Dロボアニメの良さについても、触れておく必要があります。初代ガンダム安彦良和氏が描いたモビルスーツは、角ばり過ぎず、愛着のあるロボという印象があったのですが、アルマノクスはまさにその雰囲気です。3DCGのメカが全盛のこの令和の時代に、このような手書きメカアニメが観れる事がある意味奇跡というか、最後なのかも知れません。そういう思いも含めて、愛おしい作品になりました。

最後まで大満足な作品でした。