たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

劇場版SHIROBAKO

ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

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はじめに

私は、2015年10月~2016年3月まで放送されていたTVシリーズSHIROBAKOの大ファンでした。なので、この劇場版もとても楽しみにしていました。

TVシリーズの4年後の世界を描き、アニメ作りに携わるスタッフ、クリエイターの群像劇と、あおいの成長を見事に描く、大満足の出来です。

本作はアニメ制作の醍醐味を、時に楽しく、時に辛く描き出すTVシリーズのスタイルを周到しているのですが、劇場版という事で、より大人寄りのエンターテインメント作品になっていると感じました。その辺りも含めて、感想・考察まとめます。

2020.3.4 キャラクターの「安原絵麻と久乃木愛」意向を追記

感想・考察

テーマ・物語

アニメ業界の浮き沈み、光と闇

冒頭でロロとミムジーTVシリーズ振り返り「めでたしめでたし」と結ぶ。しかし、4年後のムサニはこの台詞が皮肉だったという状態で始まる。

タイマス事変により、丸川社長は責任を取って退任。ムサニは倒産こそ免れたものの、事業は大幅に縮小。わずかな社員だけ残り、資産も社員も大幅に放出。細々と下請け作品を作る会社になり下がっていた。

タイマス事変とは、ムサニが正式契約を取る前に作業を進めていた「タイムヒポポタマス」(通称、タイマス)が、クライアントの都合で没り、制作は中止、持ち出した費用は回収出来ず、業績は大幅に悪化し、事業縮小に追い込まれた、というムサニ史上最悪の事件である。これにより、途中まで制作した作品はお蔵入りし、制作に携わっていたスタッフたちの情熱は行き場を失ない、悔しさと虚無が残った。

本件は、コンプライアンス的にNGなわけで、正式契約締結しなければ、作業着手しないのは当たり前と杓子定規に言うのは簡単だが、おそらく、この業界は人と人との信頼関係の上で、このような綱渡り的な取引は、しばしば行われているのだろう。(想像です)

限界集落過疎娘とツーピースの2ライン体制で順風満帆に見えたムサニも、この事件で衰退し、皮肉にもサンジョ下請けで怠慢制作会社だったスタジオタイタニックがお色気てんこ盛りのサンジョ続編の元請けとなり、それをムサニが下請けでグロス制作するという屈辱。栄枯盛衰、一寸先は闇である。

また、山田、円の演出家の二人も明暗を分けた。山田はツーピースのヒットを皮切りに人気監督としてTVに出演するなどしていたが、円はムサニに残り、先のサンジョ続編の演出をしていた。このようにアニメ制作者の浮き沈みも紙一重として描かれていた。

また、悪意を持った会社もあり、スタジオげ~ぺ~う~の社長は制作費用を渡しているにも関わらず、ろくな仕事も上げず、日程遅延に責任も持たず、さらに継続して費用を請求するという不誠実でヤクザみたいな、絵に描いたような悪役として描かれた。

このような、アニメ業界の不安定さは、エンターテインメント作品としての誇張はあれど、少なからずあるのだろう。実際には、これほどコンプライアンスがガバガバという事はないのだろうが、大企業に比べればこうしたトラブルは各段に多いのだと思う。(想像です)。この事がアニメ制作会社の地雷として描かれていた、と思う。

タイマス事変で折れたあおいの心

あおいは、タイマス事変で何もかも失ない、一度、心はポッキリ折れてしまった。

あおいには落ち度は無い。ある日突然、何か運命的な力が天変地異の如く、積み上げたモノを崩し、押し流してゆく。

劇場アニメ制作の話を聞いて決断を迷っているときに、丸川元社長のカレーをあおいが涙を流しながら食べるシーンが非常に良い。

本作のテーマは、丸川が喋る台詞が全てである。好きなだけでは行き詰まる、お客が満足できる作品を提供し、と自分自身も成長する。つまり、アニメを作り続けるしかない…。(うろ覚え、すみません)

平岡の台詞もあおいの背中を押した。何かをするためには、もがき続けるしかないと。

あおいは無謀とも言える9か月間の劇場アニメ制作を決意し、失意のどん底から這い上がるが、本作はそこを、まるでインド映画のようなミュージカルダンスシーンで表現する。夜道をあおいがブツブツ言いながらミムジー、ロロ、アニメキャラクター達と踊りながら活力を取り戻してゆくシーンが、荒唐無稽でありながら、妙な説得力を持っていた。キャラクター達は、あおいの分身であり、あおいのアニメに対する気持ちである。そのキャラクター達があおいを後押しする。映像の馬鹿馬鹿しさも感じるが、その馬鹿馬鹿しさが現実の不安をあざ笑うが如く、かつてのアニメ愛の気持ちをみなぎらせてゆく。それは、アニメが人に与える良い影響をメタ的に表現しているともとれる。その演出がSHIROBAKOならではであり最高だった。

入社5年目の壁

あおいだけでなく、他のドーナツ娘達も仕事の伸び悩みを感じていた。夢を持ちがむしゃらに仕事をしていた頃を経て、自分がやりたい事が思うように出来ない事、今の自分の仕事が当初やりたかった事なのか疑問を持つ事、そうした迷いや壁があった。

こちらも、丸川の台詞の通りである。好きなだけでは行き詰まる、が効いてくる。

この壁は、もっと言えば若年層だけでなく、経験年数に無関係に、全ての登場人物に存在するものである。

例えば、タローと平岡はタイマス事変を経てフリーランスとなり、制作会社に独自に企画を持ち込む活動をして自分の道を模索している。例えば、舞茸は「空中強襲揚陸艦SIVA」の脚本の行き詰まったが、このときはみどりに共同脚本の形で入ってもらう事で乗り切ったが、みどりを「商売敵」と言った。仕事の壁は誰にでもあるが、乗り越えるために皆、あがき、もがいている。

この壁に対する万能薬は無い。それぞれに、解決策を考えてもがくしかない、と言うのが実際だと思う。

ドーナツ娘達の壁は、劇中で子供たちのアニメ教室イベントがキッカケの一つとして描かれた。

アニメが子供たちを喜ばせ、アニメーションそれ自体が普遍的な楽しさを持つ事を、子供たちから教わり直す。杉江もその事に触れており、この教室は杉江からドーナツ娘たちへのプレゼントだったのかもしれない。その子供たちの笑顔、アニメーションの力の再認識が、彼女たちの栄養源となって、壁を乗り越える助走となった。

初心に立ち返るプロットは色々あるだろうが、初心よりも根源に触れる事でやる気を取り戻してゆくエピソードを面白いと感じた。

監督やプロデューサーが守るべきモノ

本作ではあおいの立場はプロデューサーである。プロデューサーが守るべきものは作品を完成させ、世に出す事。

今回の試練は、げ~ぺ~う~が権利関係でムサニにヤクザみたく難癖付けてきた件であり、あおいはタイマス事変の悪夢を思い出し、一度は夜の公園で再び心が折れそうになる。クリエイター達の熱意や頑張りを知るあおいは、今度こそ作品を守りたい気持ちで、楓と二人でげ~ぺ~う~に乗り込み、薄っぺらな契約書の解釈を説き、録音音声を証拠に裁判で戦う意向を見せ、ヤクザな相手をやり込めた。この一連のシーンはTVシリーズ23話の木下監督が原作者に直談判したときのセルフオーマージュでもある。重要なシーンだからこそシリアスに重くならない様にコミカルに描かれる。この殴り込みを知るのは、おそらく渡辺社長と葛城Pと興津さんなどの限られた者のみだと思う。ここで重要なのは、あおいが作品に対する責任を持つことを自覚し、責任を果たす事である。TVシリーズ16話で井口さんのキャラデザが原作者からOK出ない時に、あおいは制作デスクであったため、原作者との交渉は渡辺Pと葛城Pの仕事であった。あおいは、この役を楓と二人でやり遂げた事は、あおいの4年間の成長(出世?)の証である。

そして、監督が守るべきものは作品のクオリティ。

あおいはダビング終了した作品に納得しておらず、また木下監督の同様の感触である事を理解し、公開3週間前にも関わらず、ラストのシーンをリテイクをムサニ内で切り出す。ムサニスタッフもラストの弱さは認識しているが、直すとなるとただ事では済まない。あおいは、その判断を木下監督の口から言わせる。木下監督は、手戻りがどれだけ大変か、周りのスタッフを動かす事になるかは承知している。ここで大切なのは、木下監督が気にしなければいけないのはスタッフへの申し訳ない気持ちでの気遣いではなく、作品のクオリティを担保する事であり、監督はその権限と責任の両方を持っている。そして、木下監督はリテイクを選んだ。

この監督やプロデューサーの責任というのは、中高生や学生には分かりにくいかもしれないが、プロジェクトを任されたり、会社で部課長だったりの働きを見ている者であれば理解できると思う。決断するのは責任者であり、そこを逃げられない。今回はクリエイター側よりも、より管理者側のテーマに重きを置いた物語であり、その意味でより大人向けのエンターテインメント作品だと感じた。

カタルシスは弱いが、強く余韻を残すラスト

本作のラストはリテイクされた、劇中アニメ「空中強襲揚陸艦SIVA」のラストシーンの映像で終わる。エンドロールでは、後日談としてムサニのホワイトボードに「真・第三飛行少女隊」の文字もあり、ムサニの復活を匂わせる明るい希望をチラ見せする。そして、他のスタッフの一山越えた何気ない日常のシーンが映し出される。これにより、「めでたしめでたし」で終わる物語として解釈する事は出来なくはない。

しかし、本作を観終わって、TVシリーズのサンジョの打ち上げのようなカタルシスは感じなかった。はるかに盛り上がらない感じで、フラットな感じで終わる。個人的にその事に違和感を抱き、その意味を考えていた。

「空中強襲揚陸艦SIVA」のラストは、女子供を逃がし、自分達は戦場に残り、捨て身で戦い続ける、という所で終わる。戦いは劣勢であり、それでも戦い続けなければならない。その姿があおいたちムサニの現状に重なる。アニメ業界を取り巻く問題、厳しさは相変わらずであり、その中でクリエイターたちの結晶である作品を守り、理不尽に立ち向かい、戦い続ける。俺たたエンドである。一山越えても、また次の山に立ち向かっていく。決して、安楽なハッピーエンドではない。それは、TVシリーズカタルシスあるエンドが美し過ぎた事に対する否定であり、アニメ制作者の今を生きるだけでも必至という、綺麗ごとだけじゃない、よりリアル寄りな雰囲気で締めているのだと感じた。

だからと言って、悲壮感漂うラストでは全くない。気を緩めれば、負のスパイラルに呑まれて奈落に落ちてしまうこの世界で、あおいたちはどん底から不死鳥の様に生き返った。それは、勇気といっても良い。そして、その勇気はアニメから受け取っているのである。だから私は本作のカタルシスの弱さも込みで、この作品の味わいになっているのだと思う。

少々脱線するが、「天気の子」は貧困の側にいる帆高や陽菜が苦しい社会で生きて行く物語であったが、誤解を恐れずに書くなら、本作もアニメ制作関係者の苦しい社会の中で生きてゆく姿を描いているという意味で、テーマが重なるように思う。辛い社会でも前向きに生きる、というのが2020年の今の時代のメッセージなのかもしれないな、と思った。

キャラクター

宮森あおいと宮井楓

本作は群像劇で有りながら、ドラマの詳細は主人公のあおいに絞られていたと思う。あおいのプロデューサーとしての復帰、活躍を描いた。

宮井楓は、あおいにとってのバディである。あおいはムサニの中でリーダー的立場に居ながら、会社内の上下の繋がりはあれど、その鬱憤を晴らす同僚はおらず、という状況だった。その事があおいのストレスでもあったはずである。だから、平岡にタローが必要だったように、あおいには楓が、楓にはあおいが必要だった。二人とも苗字が「宮」で始まるのも意図的な設定と思われる。宮宮(みゃーみゃー)コンビ。

この二人は丁度、渡辺社長と、葛城Pの関係を継承する構図となっており、世代交代の意味もある。今後、彼女たちが企画を持ち込んでゆくのだろう。

映画2時間の尺で観る事は叶わなかったが、本当なら楓もアニメに情熱を持っているはずで、その情熱を具体的に見たかった。

安原絵麻と久乃木愛(2020.3.4追記)

絵麻は、ボロアパートを出てマンションで愛と二人でルームシェアしていた。タイマス事変でムサニが作画陣を放出しフリーランスとして在宅原画の仕事をする。

絵麻は、控え目で強く主張したり相手の懐に飛び込んでいくのが苦手で、ストレスを内に秘めてしまいがちな性格。

愛は、上手く喋る事ができず、たどたどしい会話しか出来ない。ともすれば、コミュニケーションを取るのに非常に手間がかかる。何かあると物陰に隠れてしまいぎみだが、絵麻に対しては懐いている。

絵麻と愛は、二人とも対外的なコミュニケーションに難があり、そうした二人だからこそ引き合ったのだと思う。

今回、あおいの作画監督の依頼に対し、絵麻は開口一番、短期日程だけどスケジューリングは破綻させないでね、とあおいにくぎを刺した。絵麻にとっては旧友のあおいとの久しぶりの仕事である事や、古巣であるムサニの元請け作品である事よりも、まずビジネスな会話をしなければならないところが、4年間フリーとして世間で揉まれた変化なのだろう。(この事は、パンフレットのCV佳村はるかさんのインタビューでも触れられていた)

絵麻の「愛が家事や料理をしてくれて感謝しているのよ」(うろ覚え)という台詞が、絵麻が仕事に追われている様子を端的に表わしている。おそらく、収入が足りないからではなく、断れずに仕事を抱えてしまったり、スケジュールのしわ寄せを受けて仕方なく、という事が重なっているからこその、前述のあおいとのやり取りなのだろう。

絵麻は今回の仕事で、大先輩である小笠原さんの原画を作画監督として修正する事になるが、その直しについて演出の円さんから駄目出しをくらう。(円さんは遠回しな言い方を好まず直球な性格) 今回の仕事で絵麻は作画監督だけでなく作画も兼任しており、時間に追われていた。最終的には、円さんが「安原さんの作画の上りが楽しみ」と制作進行に伝言させていたシーンで、そのスランプを乗り気った事が分かる。

坂木しずか(2020.3.4追記)

しずかは、知名度も上がり事務所方針でマルチタレント路線で売り出されていたが、声優として演技したいという本来の欲求が満たせず、モヤモヤしていた。

そのモヤモヤを先輩の縦尾マリが察し、しずかと二人で主婦どおしの日常会話芝居をいきなり初めて、不満ばかり言わずにダメもとでも事務所に自分の気持ちを伝えたら?と助言をするくだりがカッコ良すぎた。日常芝居の台詞をアドリブで言わせて、その中に悩み事の回答がある。

その助言が功を奏し、「空中強襲揚陸艦SIVA」のオーディションを受け、アルテ役を演じる事になる。奇跡なんてない、という台詞。(うろ覚え) 今まで事務所に流され待ちになっていた事に対して、能動的に運命を切り開こう!という、しずかの変化と重なる台詞である。

今井みどりと舞茸しめじ(2020.3.4追記)

みどりは、師匠の舞茸の口利きもあり、新人脚本家として実績を積み始めていた。ただ、脚本会議での舞茸のチェックで状況説明不足を指摘されるなど、まだまだ粗さが目立つところもある。

舞茸は、「空中強襲揚陸艦SIVA」の脚本を進める上で、どうしてもアルテの扱いがしっくりこず、ラストシーンに手こずっていた。おそらく、アルテが作劇に絡めようとしても、矛盾をきたす雰囲気だったのだろう。(この辺りの詳細な理由は読みきれなかった)

みどりと舞茸は、グラウンドでキャッチボールをしながら会話するシーン。もともと、ここでこうしているのは、みどりが抱えている作品が野球モノであり、みどりが実際に変化球を投げて体感し作品に生かすために、キャッチャー役を舞茸にお願いしていたに他ならない。最初はボールと言葉を投げながらのキャッチボールの会話。舞茸はアルテの扱いについて、みどりに聞いてみる。君ならどんな球を投げる? すでに、みどりは2種類の変化球を習得しており、みどりの器用さ、手玉の多さを伺わせる。舞茸はキャッチャーとしてしゃがみ、みどりはピッチャーとして投球する。みどりが舞茸に投げ込むのである。舞茸の必至さに比べて、みどりのマイペースというか余裕を伺わせる二人の対比の演出が痺れる。

舞茸は後日、ムサニで脚本強力にみどりを加えたいと提案する。そして、みどりの師匠という台詞に、師匠ではなく商売敵だと返す。(このカットの舞茸さんの表情がマジ過ぎます!)

みどりは、もともと頭の回転が速く努力家で器用である。TVシリーズでは、脚本家の下積みとして面倒くさい設定の仕事をしていたが、そうした分からない事を調べて自分のものにする事に長けていた。吸収が速く成長も速い。その事を、舞茸が一番知っている、という事だろう。

ちなみに、私はドーナツ娘の中でみどりが一番お気に入りであり、TVシリーズ18話で平岡に「女だからって…」と言われてモヤモヤするシーンが好きである。(その時の舞茸の対応もカッコ良いのだが)

藤堂美沙(2020.3.4追記)

美沙は3DCGの「スタジオカナブン」に在籍し続け、チームリーダの立場にある。美沙の悩みは部下の育成と、自分で抱え込み過ぎな事である。

部下の仕事のクオリティが低い、進捗が遅い。自分がやればより短期で高品質に作れる。部下に動きのリアリティ(自動車の構造、物理法則)とは何か?進捗管理(遅延とリカバリ)とは何か?説明するが理解してくれたかどうか反応がはっきりしない。チームとして成果を上げるためには、自分が常識と思える事もきっちり意識共有しなければならない。そして、ついつい自分で仕事に手を付けてしまい、美沙自身に負荷が集中しチームの仕事が回らなくなる、という悪循環。

今回、爆発のシーンを請け負う際に、残業時間で何とかするという美沙に対し、手が遅いと思われた部下が最新ソフトを使いこなしていて短期間で仕上げられそうな事が分かる。クライアントからも勉強熱心だと褒められる。

美沙は今までの実績で部下のパフォーマンスを低くみていたが、部下の得手不得手も知らず、その意味でチームとしてのパフォーマンスを生かしきれない可能性があった。結果的に目の前の仕事で手一杯だった美沙が、部下のお陰でクライアントの要求に応える目途がたつ。チームメンバーの特性や先見性も重要な事が分かってくる、というのが美沙の成長というか、気付きだったのかと思う。

遠藤と嫁と下柳と瀬川(遠藤ハーレム)(2020.3.4追記)

遠藤はTVシリーズから、外連味あるアクション作画が得意だが、ちょっとストレスがかかると拗ねてしまう、という面倒くさいキャラとして描かれていた。

タイマスに賭けていた所もあり、タイマス事変後、すっかり仕事に身が入らなくなってしまい、仕事もせずにゲーセンなどで時間を潰したりしていた。

遠藤の嫁は、遠藤にはアニメーターという仕事が天職であり、アニメーターの仕事をして欲しいと願っている。しかし、今の遠藤は仕事を探す気力もない。ローン返済もあり嫁がスーパーのレジの仕事で生計を立てて遠藤を支える。

瀬川は、そんな遠藤にゲーセンでカツを入れるが、頭ごなしの正論に反発されて遠藤の説得に失敗する。遠藤はプライドが高い。瀬川さんはいつも強気なのだが、説得失敗した事に対して、またやってしまったと凹む姿をあおいに見せたところに親近感がわいた。

そして、下柳の水族館での説得。下柳は作品にタコが登場するという事で、タコや他の海洋生物を観察し、デジカメで撮影していた。下柳は3DCG担当であり、動きを掴むためにロケハンしていたのである。下柳は遠藤の作画が見たい、と目を合わせずに言う。瀬川とは反対のアプローチである。

遠藤が仕事帰りの嫁とコンビニで缶ビールを飲むシーン。遠藤と一緒に缶ビールを飲む事、爪が割れた嫁にプルタブを開けた缶ビールを交換する事、たったそれだけの事で今日はいい事があったと嫁が言っていた。それは、遠藤が普段家に居ないか、居ても嫁にも辛く当たっている事を想像させる。ここまで来てやっと遠藤が仕事に復帰する事を決める。

ムサニに仲間が復帰を説得するシーンは熱い。しかし、最後のダメ押しが嫁さんだったのが切実であった。観客は全員、嫁さんの味方だったと思う。

タローと平岡(2020.3.4追記)

フリーランスとなり、やりたい事をやるために、制作会社に企画を持ち込んでいる二人。それも、大量の企画を。

平岡の穏やかな助言。何かするためにもがくしかない。ムサニも上手く行くといいな。(うろ覚え) 今の平岡は他人の心配が出来る。あおいの苦境に添える言葉が誠実である。

タローは、演出が出来るようになっており、「空中強襲揚陸艦SIVA」の演出として入ってくれた。納豆のシーンが大幅カットされてしまったが、へこたれてないところが良い。

しかし、この二人を見ていて癒される時がくるとは。

丸川元社長と渡辺社長(2020.3.4追記)

丸川元社長は、タイマス事変の責任を取って社長を退任したが、ムサニを潰さず残した。

ムサニを潰しても、スタッフたちは安藤のように他の会社に移ったり、フリーランスになったりしてアニメの仕事を続けてゆく事は可能だったと思う。しかし、グロス制作が出来る最低限のスタッフとリソースを残し、ムサニの名前を残したのは、またいつかムサニの名前で元請けが作れる道筋を残して、渡辺やあおい達にムサニの復活を託したのかもしれない。

丸川は、アニメの最前線から手を引いたが、今のあおいを見て、前に前に進むしかない、と助言する。

TVシリーズ19話の丸川の、がむしゃらに進んでて気が付いたら今になっていた、という台詞を思い出す。この時は、やりたい事ばかりで進んできたのかと感じていたが、嫌な事があっても立ち止まらない事とセットの台詞だったのではないか?と思った。

丸川からムサニを預かった渡辺社長。人事的にはこれしかなかったと思うが、渡辺の心境はどうだったのか?

渡辺も麻雀ばかりしている風来坊に見えて、色々と企画を持ち込んではきており、プロデューサーとしての仕事の腕は確かなのだろう。ただ、あまり社長業が好きそうには見えない、というかもっと身軽さを信条としているように思う。

今回、げ~ぺ~う~への殴り込みは、あおいと楓の若手に行かせ、後方に待機した。あおいにプロデューサーの仕事をやり遂げさせた。(もっとも、あおい自ら殴り込むと息まいたのだろうが)

おわりに

TVシリーズは複数のエピソードを2,3話に多重的にまたがせるという作風で、劇中アニメのタイトルも長期間に渡り馴染ませてゆくので視聴者にも愛着が持たせる事ができるという、TVシリーズならではの強みを持っていましたが、劇場版という事で、劇中アニメも前情報なしでいきなり見る形となり、劇場版としては同じスタイルではやりにくい所もあったかも、と思いました。

しかし、その中で、TVシリーズに登場したキャラクター達を、最小限のシーンだけで、各キャラのドラマを見せる手腕は、相変わらず冴えており、TVシリーズからのファンを裏切る事無く楽しませてくれました。

また、キャラの成長に合わせてテーマもグレードアップしており、単純なTVシリーズの焼き直しではなく、予想を越えた味わいを持った作品になったと思いました。情報量が多い事、この作品の苦味の余韻が心地よく、何度か観たいと思える作品になりました。