たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

2020年冬期アニメ総括

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はじめに

2020年冬期アニメ総括です。今期は、下記8作品鑑賞しました。今期は私にしては視聴本数が多く、どの作品も楽しく視聴させていただきました。

個人的には、やっぱり映像研のパンチ力が強く、観ているこちらも精神力使った感じがしますが、それゆえに、整理にもう少し時間がかかりそうだったので、後日更新させていただきます。 別ブログ記事を作成しました。(2020.5.9追記)

感想・考察

映像研には手を出すな!(2020.5.9追記)

  • rating ★★★★★
  • pros
    • 原点としてのアニメーションが動く面白さ、創作の楽しさ辛さを、余すことなく表現
    • 監督の浅草、アニメーターの水崎、マネージャーの金森のアクの強いキャラクター造形
    • 薄い物語性に対し、激情の人間ドラマを熱く提示する独特のスタイル
  • cons
    • 敢えて、特に無し

感想・考察が長くなりましたので、別ブログ記事を起こしました。下記ご参照ください。

SHOW BY ROCK!! ましゅまいれっしゅ!!

  • rating ★★★★★
  • pros
    • 演奏の楽しさ、結束、個性を、笑いと涙で熱く描く正統派の脚本
    • 上出来の楽曲(OP/ED/挿入歌)
  • cons
    • 特に無し

本作はサンリオのキャラを使ったスクエニのソシャゲ「SHOW BY ROCK!! Fes A Live」の宣伝広告作品である。また、制作会社は異なるが、前作「SHOW BY ROCK!!」の世界観を引き継ぐ作品であり、次回作である「SHOW BY ROCK!!STARS!!」の制作も発表されている。

基本はバンド物だがステージ演奏時に3DCGのデフォルメキャラになる点が特徴的。どのバンドの楽曲もバンドの個性を生かしつつ完成度が高い。SHOW BY ROCKというコンテンツに対する練度が高いというか、巨大コンテンツ感というか、半端な低予算感は全く感じない。

アニメ作品としては、「ましゅまいれっしゅ」「DOKONJYO FINGERS(通称、どこ指)」「REIJINGSIGNAL(通称、レイジン)」の新規3バンドに話を絞り、バンドの楽しさ、結束を中心にドラマを描く。どこ指は、気合重視のギャグ担当、レイジンは高いプロ意識担当、ましゅまいれっしゅは、新人ならではのフレッシュさ担当、という感じでバンドの個性も全く異なり、後半は、レイジンのララリンと主人公のほわんの価値観の違いが物語の中心として扱われる。

レイジンは全てに拘りを持って自分達でやり切るベテランの売れっ子バンドであり、この世界では実力、人気ともずば抜けている。そのバンドと競う事になっても、ほわんは勝ち負けの概念を持たずに、自分達が楽しく演奏する事を第一とし、レイジンのララリンを怒らせる。しかし、最終回ではララリンも、ほわんの楽しさを貫く姿勢をロックとして認める、という流れ。

ゲームと言う勝ち負けを競うソシャゲ世界の作品なのに、アニメ内では主人公が勝ち負けを度外視し、伸び伸びとした性格を重視する点が面白い。その意味で、根性を持って技巧に走るレイジンや、根性を持ってギャグに走るどこ指の存在もあり、多種多様なバンドの個性が光る。ガールズバンドが多数存在する本ゲームだからこそ、ましゅまいれっしゅの一番の個性として、楽しさ重視という設定付けがなされたのだろう。

一番好きな話はやはり、6話のほわんとマシマヒメコの打ち解け合った話である。ヒメコは過去にバンド仲間が去って一人取り残される経験がトラウマとなり、他人に対して本気でぶつかれなくなっていた。ほわんの事は気になるが、その臆病な性格が邪魔をして逃げてしまう。逆にほわんは1話の演奏で手を差し伸べてくれたヒメコの事を好きで、近づきたいのに素っ気なく対応されて戸惑いを覚える。何故向き合ってくれないの?、私の事は放っておいて!、ときてヒメコはウチの為を想って色々してくれたのに、ウチはヒメコの気持ちになってなかったと謝罪し、ヒメコが好きだからヒメコ一人ぼっちにしない!と言い切る。ヒメコのトラウマの壁が崩れほわんを受け入れる、という流れ。

平たく言えば、心の古傷のかさぶたを引っぺがして仲良くなるというドラマを、丁寧に感動的に描く脚本、演出の力量は見事。

本作は、感動ドラマだけでなく、ノリの軽いルフユのギャグや、デルミンとルフユのコンビの微笑ましさや、どこ指の馬鹿馬鹿しさ溢れるギャグなど、楽しく観れる要素が多くカラフルでバランスよくバンドを紹介する形でドラマを展開しており、肩に力が入る事なく楽しめる良作だったと思う。

ちなみに、ED曲の「きみのラプソディー」は作詞マシマヒメコとなっており本作6話に絶妙にマッチする。OP曲の「ヒロメネス」は作詞ほわんとなっていて、今は居ない心の中の尊敬する人を唄っていると思われるのだが、作中の設定とは合わずミステリアスな雰囲気。どちらも気持ちよく聴ける好きな曲である。

恋する小惑星

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 人と科学と夢、クロスオーバーする全ての繋がりと融合のハートフルな物語
    • きらら系だけど、一切手抜き無しのガチな科学考証(宇宙、地学、地理、気象)
  • cons
    • ちょっと優等生に過ぎたかも

シリーズ構成山田由香、監督平牧大輔、制作動画工房という、「わたてん」で細部まで拘りまくりファンを唸らせた座組の再来を目にして、本作視聴前の期待度はマックスだった。

本作の目玉は、ずばりガチな科学考証である。天文、地学の部活動を描き、その科学にワクワクし夢とする気持ちを大切に表現するためには、そこをなおざり出来ないという拘りである。星空は全話通して年月日時分を正確に再現し、ツアーやキラ星チャレンジで訪れる各機関の施設やスタッフは綿密なロケが行われたに違いないディティールを持って再現された。4話ロケ地のJAXA、地質標本館、地図と測量の科学館は、みらたちの夢と直結している。つまり、みら達はこれらの施設で自分の夢をより強く実感し、さらに他の部員達と共有する。取って付けた協力機関へのサービスではなく、施設も職員も物語として必要不可欠な存在として描かれる。

本作のキーワードは「繋がり」だったと思う。科学の分野を超えた繋がり。過去から未来への繋がり。人と人の繋がり。特に人と人の繋がりは部員同士、部活外の繋がり、先輩後輩の繋がり、先生と生徒の繋がり、学校外の繋がり、と多岐に渡る繋がりが描かれた。

地学部は部員数が少なく地学部と天文部が合併する形で存続したが、部員達は共に活動する事で互いの分野の知識をかじり、全く別だと思っていた分野違いの科学が少しづつオーバーラップしている事を実感していく。横の繋がりである。好奇心を持って知識を得る事は喜びである事を本作では言葉を使わずに伝えてくれるが、その好奇心は様々な分野に横断して持てる事に気が付かせてくれる。この下りはタモリ倶楽部を毎週楽しく観れる人であれば分かるのではないか、と思う。

科学や学問は、先人たちの研究成果をバトンリレーで現代に引き継がれる形で進化してきた。本作のラストで描かれるキラ星チャレンジもまた、現役の研究者から高校生たちに小惑星発見のプロセスを体験させるものであり、みら、あおの小惑星の名づけの親になる夢実現のために、遠藤先生から引き継がれたものでもある。時間を超えた縦の繋がりである。

科学も人も、横の繋がり、縦の繋がり、様々な繋がりを持っているから面白い。本作は、それを唯一無二のキャラクター同士の相関関係で表わしてくる。遠藤先生は、義務感ではなく、その人の好奇心や夢を大切にしてきた。そこを燃料にして欲しい、という願望である。12話のサブタイトルの「つながる宇宙」は、科学に対する、そんな思いをロマンチックに描いた本作にふさわしいまとめの言葉であり、本作のメインテーマだったと思う。

それから、少しキャラクターの話について。いくらでも書けそうなのだが、ここでは敢えて桜先輩に絞って書く。

桜先輩は、優しく思いやりに溢れる人柄なのだが、心の奥底で他人には理解してもらえないという諦めの気持ちを抱えていて、そのバリアのせいで他人から距離を取られてしまう、という性格であった。なので、桜先輩自身はある程度の事は自分で抱えて自分でこなして生きてきたし、そこを桜先輩の強さと感じていた周囲の人間も多かったのだと思う。しかし、桜先輩自身は他の地学部員達と違い、具体的な目標を持っていない事や、文化祭展示でボーリングなんて無理と早々に諦めたりと、少々リアル志向というか、現実主義的な面を持っていた。その意識を崩して行ったのが、周囲の人達であり、そのドラマの描き方が秀逸だった。

その功労賞としては、みらとイブ先輩だったと思う。夏休み中に成り行きでみらが桜先輩とサシでミネラルショーに行くくだり。みらは最初緊張しているが持ち前の賑やかしで桜先輩をリラックスさせてゆく。ケーキ屋で思わず桜先輩が進路で悩んでいて、将来の事を考えているかみらに訊ねてしまうが、分からないと正直に笑顔で返される。別れ際にみらからプレゼントを渡され唖然としてしまい、息抜きに付き合ってくれたお礼を言い忘れる。家に帰ってプレゼントを確認するとトパーズ(進むべき方向を気付かせてくれる石)であり、みらは桜先輩の悩みはお見通しでエールを石で贈っていた。桜先輩は与える事には慣れているが、与えられる事は少なかった。ちなみに、みらについて付け加えるなら、みらは周囲の何人にもエールを与え続ける役割を持っていた。

それから校庭でイノ先輩と二人で難航するボーリング作業中に、運動部男子を応援として連れて来た新聞部のイブ先輩のファインプレイ。桜先輩は他人に頼ったり巻き込んだりする事に不慣れであり、その殻を取り除く手助けをした。結果、あっという間に作業は終わり、文化祭でも手伝ってくれた人たちに地学部の展示を関心を持って見てもらえた。ここでもテーマの「繋がり」が関わってくる。

本作では、キャラクターの個性を肯定しつつ、周囲から手助けやエールを送られる事で何かに気付くという、ちょっとした良いドラマに満ちていた。もちろん、桜先輩自体も周囲に与え続けている。キャラクターは誰かからエールをもらい、誰かにエールを送ると言う循環が成立している。そうした、優しさの連鎖が、本作の一番の魅力だったのだと思う。

まごう事なき良作なのを認めたうえで、それでもちょっとだけネガを言うとすると、今回はちょっと上品過ぎというか、優等生過ぎたかな、とも感じてしまった。この辺りは我ながら複雑な心境。

虚構推理

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 推理で事件を解決させるのではなく、虚構で事件を収束させるという、逆転の発想の面白さ
    • 魁夷などのオカルト要素、恋愛コメディ要素、バトル要素、ミステリー要素のごった煮感の面白さ
    • ゆっくり展開ながら、1クールを有効に使い切ったシリーズ構成の上手さ
  • cons
    • 特になし

本作の文芸的な面白さを的確に言葉で表現するのは難しい。

人間はそこに謎が有れば解明を望む。納得したがる。その欲求をエンタメ作品にしたのが推理物である。推理物は基本フィクションなので、謎の答えを導き出すために、要素を配置し、最後は見事にピースがハマる快感を味わう。

本作は、その文法を用いつつ、フィクション内での事実の帳尻合わせは二の次で、登場人物、および視聴者が納得する結末をでっち上げて、最終ピースをハメる快感を味わう、という主旨の作品である。2話3話の主様のエピソードでその趣旨を明確に提示するのはストリー構成上の工夫であり、これから続く鋼人七瀬のストーリーがどこに向かうのか予め示すためである。(余談ながら、私はこれこそアニメの考察屋の楽しみ方と同じではないか?と思ってしまった)

続く、鋼人七瀬編では、都市伝説が実体化し殺人事件を起こすという荒唐無稽な事象に対し、どのようにすればこの惨事の継続を阻止できるのか?という琴子と九朗の活躍を紗季視点で共有する事になる。魁夷だの未来決定能力だのオカルトめいたフィクションの設定の中で、琴子がオカルト設定を肯定しながら、いかに無理ゲーなのかも説明しつつ、あくまでロジカルに対処方法を検討する。この時点では、紗季は最終的な敵の存在を知らないが、徐々に九朗の従妹の六花という因縁の黒幕の存在が明らかになる。

最終的には、琴子の頭脳+九朗の未来決定能力vs六花の未来決定能力の戦いの構図をとりながら、ネット上の掲示板の書き込み合戦で、大衆をより誘導できた方が勝利というゲームのルールが明確になり、掲示板の書き込み+未来決定能力の行使というビジュアルに描くという見せ方。おおよそ、マンガ、アニメ向きでは無い題材のような気もするが、一手一手の優劣が将棋の様に明確に分かる表現に、ビジュアル化も分かりやすく丁寧に行われていたと思う。

最終的には、琴子+九朗の勝利に終わるが、その最後の一手も痛快で、最後のピースをハメるのではなく、ピースのハマらないカオスを作り、大衆の下世話な妄想を暴走させるというオチに唸り、納得する。

色んな意味で例外的というかトリッキーな物語であり、見事にやられた!という感触があった。

ストーリー構成的には、本作は1クールの尺のなかで、鋼人七瀬編を中心に描き、琴子の一眼一足、九朗の不老不死と未来決定能力、虚構推理の意味、鋼人七瀬の事件の背景、六花の設定を、物語の流れのなかで整理しながら適切なタイミングで提供しており、混乱なく楽しめる構成作りが出来ていた。展開がスローすぎると言う意見もSNSで見受けたが、この選択は正解だったと思う。

芝居的には、本作は台詞劇であり、大量の琴子の説明台詞に圧倒される。ただ、琴子に限らず絵としての芝居も無駄なく決まっており、劇伴も適切なため、その辺りの演出は地味ながら丁寧。特に琴子はシリアスとコミカルを行ったり来たりするので、適当だと分かりにくくなると思うが、そのような事はなく、長台詞や芝居もスッと入ってくる。

キャラクター的には、登場人物を最小限にし、それぞれの役割を的確に描く。琴子は特に物語を進める原動力となるキャラクターだが、見た目の可愛さと、九朗の恋人を主張するも軽くあしらわれるというコミカルさのバランスが絶妙。また、キャラの行動原理もしっかりしており、琴子の秩序を守る、九朗の琴子を守る、六花の運命に抗う、という部分も説明があり明確。ただ、視聴中は六花が寺田刑事を殺してまでやりたかった行動原理が分からなかったのでモヤモヤしていたが、これは最終回で説明された。また、琴子と九朗の関係も、当初片想いで琴子だけが騒いでいるのかと思いきや、最終回ではしっかりカップルになっていた。事件進行中に全てを説明しきるのではなく、キャラの本音は最後の安堵感と共に描くという展開で、物語やドラマにある程度のケリを付けるストーリー構成だったと思う。

本作がアニメ向きではない、というSNSの意見も散見したが、個人的にはアニメで表現しにくい事象も上手くビジュアライズ化されており丁寧な仕事、かつ挑戦的な良作だと感じた。

推しが武道館に行ったら死ぬ

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 地下アイドルオタクに着目し全力で何かをする事の熱意をコミカルに描く
    • 地下アイドル側とオタク側の微妙な距離感の信頼関係のドラマ
    • 地下アイドルChamJamメンバ設定の上手さ
  • cons
    • 特になし

アイドルを描く作品は多く在れど、アイドルオタクを描く作品はこれまで触れてこなかったので、オタクの持つ信仰心というか純粋で力強い気持ちを新鮮に感じた。地下アイドルとアイドルオタクは、もっとアングラでドロドロした世界という噂も耳にしたが、美化されているにしても、エンタメ作品としてキチンと整理されていたと思う。

この作品の本質は、アイドルとファンの関係性とは何か?という根源に立ち返る。アイドルと言うのはお金を稼ぐための職業でありながら、同時にファンの心に灯火を灯す希望の存在でもある。その商売と信仰の両面が存在している事が、特徴的でもある。昭和時代は全国と言うマスで商売をしていたが、平成時代はローカルアイドル、握手会で直接出会える、という身近な距離感に変化するとともに、同じCDを何枚も購入し貢ぐ事で、アイドルに課金し直接応援している実感を得る、という商売に変化した。そうした際に、ただ消費されていくアイドル課金に何の意味があるのか?オタクは何を求めて課金という代償を支払うのか?そうした事が本作のテーマにあったと思う。

勿論、課金自体はソシャゲでも頻繁に話題になっており、ゲーム要素としてドラッグ的にハマってしまい、連続ガチャに大枚を果たす、というビジネス的なテクニックがあるのは百も承知で、それでも物語的な回答を用意するのが本作である。

本作に登場する特徴的なオタクは二人いて、えりぴおとくまさである。

えりぴおの行動原理は、ただ純粋に舞奈が好きで応援する。しかも、舞奈推しが他に誰も居ない状態である事が余計にえりぴおを熱くし、献身的に貢ぎ、その極端な行動をギャグとして昇華する。ただ、舞奈は自己表現が苦手て、えりぴおの応援を嬉しく思うも、その気持ちを素直に伝えられない。その、疑似的な両片想い状態が胸キュンなコメディとして冴える。途中、市電に二人が偶然乗り合わせるシーンがあるが、ステージでも客席でもなんでもない空間では、二人は話す話題もなくそのまま別れてしまうという、近くて遠い関係の切なさも描く。両片想いの件については、舞奈がえりぴおに感謝の気持ちを伝えられる様に努力するシーンが描かれ、ぎこちないながらも双方向の思いが伝わるようになってくる。物語終盤でえりぴおは、偶然二次元オタクになった友人から、相手が実在し信じあえる双方向の関係である事を指摘され、オタクの応援がアイドルの力になり、それがオタクに返ってくる幸せを実感し、武道館という目標を持って、オタクを続けて行く事を誓う。

くまさの行動原理は、最初にファンになったレオ一筋に応援し続けるスタイル。くまさには、ChamJamのリーダーのれおが前のアイドルグループで端役を努めていた時代かられおを応援し続けてきた経緯がある。れおの誕生日お祝いの際はファンイベントの幹事を務める社交性も持ち、ファンの間でも一目置かれた存在となっている。くまさとれおの間には長年培ってきた、より前に進むために頑張るという信頼関係があり、互いに与え合う関係にある。本作ではこの関係を理想として描き、えりぴおと舞奈や、他のアイドルやオタクも、これを一つの理想として目指してゆく事になる。くまさはオタク界隈の紳士であり、一つの理想として描かれる。

また、地下アイドルのChamJamは、オタクが夢中になる訳だから、視聴者からも好感度を得られなければ説得力を持たない。その意味では、7人の全てのメンバが魅力的に描かれていたと思う。人気の順番に、リーダで下積みの長いれお、ナンバー2で運動が得意な空音、お色気担当でゆめ莉想いの眞姫、表裏無く単刀直入な優佳、自信がなく眞姫想いのゆめ莉、お馬鹿担当で負けず嫌いの文、地味担当の舞奈、という感じで互いに被らない個性的なキャラクター配置である。

ChamJamのメンバ間の人間関係は4話からフィーチャーされ始めたが、当初は一致団結というより、バラバラな雰囲気に感じた。しかし、途中で一部のメンバが一緒に初詣して祈願し合ったり、せとうちアイドルフェスで人気先行するめいぷるどーるのメイに捨て台詞に対して、後列組がリーダーのれおを励まししたり、物語終盤では他のアイドルグループに負けじと、一緒に武道館を目指すという合言葉とともに、徐々に結束が固まってゆく演出だったと思う。

総じて、ドロドロした世界を想像してしまいがちな地下アイドルとオタクという素材を、その本質の部分を見事なまでに品よく、そして楽しく仕上げてくれた、安心して楽しめる作品だと感じた。例えば、1話のステージシーンは、手書き作画であり、舞奈が一番目立たない存在である事も含めて、楽曲作りから作り込まれている愛ある丁寧な作り込みだったと思う。そうしたシーンに代表されるスタッフの愛に満ちた気持ち良い作品だったと思う。

魔法少女まどか☆マギカ外伝 マギアレコード

  • rating ★★★☆☆
  • pros
  • cons
    • 分割2クール前半という前提でも、中途半端なストーリー構成

本作は、外伝であるソシャゲのアニメ化であり、何かと本編との比較で評論されるかと思うが、個人的には外伝アニメ単体での良し悪しを書ければ、と思う。ちなみに、私は本編は視聴済みで外伝ソシャゲは未履修である。

スタッフだが、まず監督が新房昭之から劇団イヌカレーに変更になった。実際、劇中の映像は劇団イヌカレー濃度が高まっている。各エピソードは2~3話で構成されていて、それぞれのエピソードにディレクターが付く形で、ディレクターの持ち味を出せるようになっており、カラフルな印象を受ける。個人的には、2話3話のレナと楓のエピソードは少女達の心の繊細さを描くドラマが好きであり、本作の美点だと思う。絵的には、より濃くなった劇団イヌカレー風味、安定のキャラ作画で、9年間の順当な進化を感じた。また、背景などにも印象的に使われる言葉遊びなどの演出も冴えていた。

外伝のアウトラインだが、本編ではキュウベイのエントロピー回収システムの中で、回し車で走るモルモットだった魔法少女だったが、ソシャゲ向けに女子大生まで年齢の幅を広げた魔法少女達を多数登場させ、魔法少女の運命に抗うという前向きなテーマも込めて、群像劇を紡ぎだす、といったところだろうか。物語としての軸は、いろはの妹うい探しと、新興宗教じみたマギウスと魔法少女たちの生き方のぶつかり合いといったところか。

キャラクターとしては、主人公いろはは強烈な個性を持たず主体性が薄く、仲間を作る必要性も感じずに単独で生きてきた。しかし、やちよたちと行動するようになり、意外と芯の強いところを垣間見せる。また、やちよは根っからの姉御肌でありながら、過去の経験から仲間が死ぬのは自分のせいだと思い込み、最近は仲間づくりを逃げてきた経緯がある。この二人の主人公の絆を確認し、これから反撃というところで、やちよは再びいろはを失う形で前半1クールが終わってしまう。13話は、ド派手なアクションシーンや、マミ、サヤカの登場があり、盛り上げりをみせて次クールに続く、と言いたいところであるが、いろはとやちよのドラマのディティールが薄く、置いてけぼりをくらった感じがした。

全ての演出や作画は、その描く物語、ドラマに心打たれてこそ意味がある、と思いたい。(例外として、物語なき映像の暴力的な作品も存在するにはするが…)その意味で、分割の1クール目の締めとしては大変物足りない、というのが私の率直な感想である。途中途中の話は小粒ながら光っていたと思っているだけに余計にである。

妹探しやマギウスの物語はこれからが本番であろうし、私自身この手の謎説き物語は嫌いじゃないので、とりあえず2クール目を静かに待つ、という感じである。

歌舞伎町シャーロック

  • rating ★★★☆☆
  • pros
    • シャーロック・ホームズをモチーフとした推理物を基本とし、曲者探偵たちを人情で描く奇抜なスタイル
    • 切り裂きジャック、モリアーティなどの連続推理ドラマの楽しさ
    • 基本的に、ブレなくキャラの行動原理を描けていたシリーズ構成
  • cons
    • 推理物ゆえの、視聴者の意識を誘導する演出のあざとさ

最初にネガを言ってしまうと、本作は連続推理物としての側面(特にモリアーティの件)が強く、視聴者の意識誘導するために、ある情報を強調したり、ある情報を隠蔽したりして、いくつかの可能性を視聴者に謎として提供して考えさせるスタイルである。だからキャラの行動がそのトリックの為に強調されたり省略されたりしていたと思う。それはそれで楽しいのを理解した上で、反対にそこに醒めてしまう事もある。私はキャラの繊細な心情を楽しみたい気持ちが強いのでその点をネガに感じてしまった。なお、弁護するわけでは無いが、キャラの行動原理は一貫しており矛盾や破綻が無かったと思う。

本作の基本スタイルは、1話完結の推理物であり、舞台を新宿歌舞伎町と設定し、シャーロック・ホームズをモチーフにしたのある登場人物を多数配置し、曲者探偵たちを人情で描くスタイルである。1話では、ワトソンがシャーロックを車で轢いて世話の為に同居を始めるというブラックな面と、謎解き解説を落語で喋るという洒落た面が強調されていたと思う。推理物としても、シャーロックの現場での観察力、洞察力を持って、人並み外れた推理力を発揮し、事件を解決に導く。

しかし、本作は、本格推理物というよりは、キャラの人情ドラマ寄りの物語に比重を置き、一般の視聴者にも見易い作りにしていたと思う。尺は2クールあり、1クール目は、切り裂きジャック、2クール目はモリアーティという悪役を設定して、連続ドラマとして、次の展開はどうなるのか?を楽しみに視聴していた。

原典でもモリアーティは最大の悪役で有り好敵手なのだが、シャーロックもモリアーティも頭脳明晰過ぎて、人の心が分からない、心が壊れた存在として描かれる。シャーロックは人の心を知るために推理落語を続けたが、モリアーティは人の心を破壊し続ける快楽を途中で知り、刑務所の囚人にマインドコントロールを仕掛けて連続的に事件を起こす。そして、シャーロックも自分の側に来るように誘う。モリアーティにとっては、シャーロックだけが遊び相手だった。

連続殺人犯のようなサイコパスの心の中は、一般人には良く分からない。だから、このような作品を書くときは、サイコパスの心をどのように理解させるか?は重要なポイントであると思う。本作では、モリアーティは幼少の頃から母親をお風呂で感電死させるなど、命に対して何も感じず、破壊を美しいものとして衝動的に行動する人物像として描かれた。しかも、誰もそれを止める事ができなかった。唯一、病床の双子の姉アレクが、痛みを分かる人間になってもらいたいと努力し話しかけたが、結局のところモリアーティには全く通じなかった。

區庁舎の空中庭園でシャーロックと退治した時、シャーロックの心を壊すために、モリアーティは自らの身を投げた。それにより一時はシャーロックも錯乱状態になるが、ワトソンの活躍で正気に戻る。そして、モリアーティが残した最後の謎解きのマンションを訪れ、いくつかの謎解きを解決した後、シャーロックは落語でモリアーティを救えなかった事を泣いて詫び、モリアーティの遺書とも言えるアレクのヘアピンが添えられた書置きを読む。

アレクや家族と一緒に、探偵長屋のみんなと一緒に、普通に楽しく生活する未来もあったかも。俺はシャーロックに憧れていた。さよなら、シャーロック・ホームズ。なーんてね。意訳するとこんな感じである。

モリアーティの行動は、完全に二つの心に分離していて、區庁舎から身を投げる前にこの書置きを残しており、最後はダークサイドに落ちたけど、シャーロックの謎解きのプレゼントにサニーサイドの置手紙を残していた事になる。もっと言うと、「なーんてね」が書かれている時点で、本心をはぐらかすニュアンスも持っているが、視聴者は素直にこちら側を本心と受け取り、良い話だったと結ぶ事ができるだろう。

しかしながら、モリアーティの死体は発見されておらず、まだ生きている可能性も残した作劇になっており、そうした妄想の余地も本作の余韻となる深みを持っている。こうした、色んなトリックや仕掛けを、上手い感じで洒落を効かせて驚かせ決着させるという点において、なかなか上出来の作品だったと思う。

アイカツオンパレード!

  • rating ★★★☆☆
  • pros
    • とにかく明るく元気な姫石らきのキャラクター
    • アイカツシリーズ7年のファンへの恩返し
  • cons
    • 過去作品前提の作品であること

私は、オンパレード!が初めて視聴するアイカツであり、それ以前の作品はアイカツ作品未履修であった。そして、オンパレードを見続けて、思いのほか深い作品だと感じたので、その事を書き残しておきたい。

本作の基本は、過去のアイカツシリーズ作品の学校を行き来して、新人アイドルの姫石らきが、歴代アイドルと共演して、プレミアムレアドレスを作りステージに立つ夢を叶える、というお話である。明らかに、過去のアイカツキャラというリソースを流用して歴代オールスターアイドル総出演のゲームを作ろう、という商業的な企画ネタという第一印象であった。

予備知識なしで1話を初めて見たとき、主人公らきの能天気なキャラクターに気押された。

何より度肝を抜かれたのは、先輩をちゃん付け呼びするクソ度胸と、ハッピー!ラッキー!とか、きゃは!とか、礼儀知らずで、勢い重視で、軽すぎるノリである。しかし、らきには全く悪気が無く、姉の実験が皆に迷惑をかけている事を知ると、らきが姉の代わりに皆に謝ったり、素直な良い子である事が視聴者にも浸透してくる。歴代アイドル達もらきの明るく前向きなパワーを素直に受け止め、らきにアイドルとしての在り方を少しづつ伝授してゆく。時に、らきの軽はずみな行動を叱責する歴代アイドルもいて、らきはその言葉を真摯に受け止めて謝罪し改善する。やるべき時は投げ出さず、責任を持って最後までやり遂げる。

アイカツは女児アニメなので、ある意味、そうした女児の素直で明るく生きて欲しいスタッフの願望から、らきの性格が出来たのではないかと想像している。しかし、それにしても、主人公が能天気すぎる…、というのが初見の印象だった。

そして私は、次にアイカツシリーズ7年の歴史に触れるために、これまでのアイカツ作品の経緯概要を調べた。

アイカツシリーズは、無印の4年(いちご編2年+あかり編2年)、スターズの2年、フレンズの1.5年の合計7.5年の歴史があり、一貫してアイドルになるための努力、根性、友情を描き続けている。当時から視聴している女子やオタクには、それぞれの作品の主人公やサブキャラに思い入れがあり、作品から勇気を受けてきた。だから、各話で少しづつ登場する歴代アイドル達の仕草や言動に触れる度に、それが琴線に触れ、感動がよみがえる。初見の私には何気ない平凡な台詞でも、古くからのファンはその台詞には歴史の重みが加わる。そうした事が理解出来てくると、シリーズ未履修の私でも、何気ないシーンでそのバックボーンを色々想像したり、SNSに流れてくる補完情報で頷いたり、作り手が込めた重さを感じるようになってくる。

ある意味、過去作品に依存する部分が多いので卑怯と言えば卑怯なのだが、オンパレード単体では深みが出せず、過去作品があるからこその作品と言える。しかし、それはアイカツシリーズのファンへの恩返しとも言えるだろう。

また、見続けていると、主人公のらきについても、前述の通り、嫌味が薄れてだんだん好きになってくる。これは飛躍した論理だが、毎回登場するダンスシーンのキャッチーな曲を流し込み、女児の脳みそにアイカツ魂を刷り込むという、ドラッグ的な効能があるのではないかと、冗談半分に考えている。

最終回25話では、今まで頑張ったご褒美として、いちご、あかり、ゆめ、あいね、みおと6人一緒のらきがステージで歌う。らきにもファンが出来て憧れの循環は続く。姉の実験も終わりアイドルたちもそれぞれの世界に戻る。翌朝、一瞬夢かとおもうらきだが、それぞれの記憶はそれぞれが持ち帰りそれぞれのアイカツの道を歩む。

繰り返しになるが、オンパレードはアイカツ7年の集大成であり、フィナーレであったと思う。OP曲「君のEntrance」は、 ファンがアイカツに出会った事で勇気付けられ、アイカツと別れてもこれかれの人生をずっと歩み続ける、というニュアンスを感じる。アイカツファンに対して、アイカツを終了するケジメだったのではないだろうか?

果たして、アイカツは、しばらくWeb配信コンテンツとして、音城ノエルを主人公に配信された後、2020年秋から、アイカツの新シリーズが放送開始されることが発表されている。

これは、私のフィナーレという考え方とは異なる展開のようにも思うが、従来のアイカツを大幅にアップデイトした大改変を意味するかもしれないし、従来のアイカツ精神がどう受け継がれるか?というのは不安に感じる面もある。この辺りは妄想でしかなく、確証は無い。

いずれにせよ、私はオンパレードという作品を非常に稀有で素敵な作品だと感じていて、それは歴代アイカツシリーズが、時代を追って少しづつアップデートし、ファンの間でも無印いちご編が良いだの、スターズが好きだの、ファン通しの間でも観ていた時期によって好き嫌いもあったアイカツシリーズを、分け隔てる事無く全肯定し、スタッフの愛を持って作られた作品だと感じる点である。全てをアイカツアイカツ愛で包み込む作品なのである。

これまでのアイカツは、ライバルも存在し競争もあった。しかし、らきは競争する事もなく、全てのアイドルと仲良くなってゆく。その精神は、言ってしまえば夢物語のようでもあるが、アイカツシリーズの中で唯一無二の存在として輝いているのだと思う。

おわりに

新型コロナウィルス騒動もあり、ここのところ忙しくて時間が割けなかったので、見終えてから1ヵ月以上も経過してしまいました。

振り返ってみると、まあ良作だよね、という感じの作品も大収穫でしたが、映像研のパンチ力の強さに全部持ってかれた感じはあります。なんというか、これが令和時代なのか?という衝撃がありました。

また、今後、TVアニメのOA、配信も途中で止まるコンテンツが増えて来て、このクールがある種のピークになってしまうのではないか?少なくとも、一旦、1クール当たりの作品数は減少するのは間違いないでしょうが、その後の作品数は復活するのか?質はどうなるのか?物語も変化していってしまうのではないか?など、とりとめのない事を漠然と考えています。

私は良い作品を良いと書くしか出来ないので、黙々とそれを続けるとは思いますが、それを続ける事が出来る状況が維持されることを祈っています。(ん、祈りで〆た?)