たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

バジャのスタジオ ~バジャのみた海~

ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

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はじめに

「バジャのスタジオ」シリーズ第二作目の「バジャのスタジオ~バジャのみた海~」の感想・考察ブログです。

前作のブログは下記にありますので、合わせてご参照頂ければと思います。

感想・考察

概要

前作同様に、本作は2019年秋の、第4回京アニ&Doファン感謝イベントに向けて制作されたアニメーションだと思われますが、7.18京アニ事件によりイベントは延期、縮小、イベントでの上映はされませんでした。

そして、2019年12月に「私たちは、いま!!全集2019」の映像特典として収録され、販売されました。また、2020年7月、8月にNHK総合にて、合計3回TV放送されました。

とにもかくにも、本作が完成し、日の目を見る事が出来て、本当に良かったと思います。

監督の三好一郎さんをはじめ、事件により多くのスタッフがお亡くなりになりました。どこまで制作が進んでいたのか知る由もありませんが、前作同様、可愛らしくも、キレと深みある演出が冴えており、三好監督や、京アニの持ち味は全く損なわれておらず健在です。

物語・テーマ

1作目のおさらい

まず、前作の考察のポイントを整理します。詳細は、前回のブログをご参照ください。

本シリーズは、もともと京アニファン向けに作られた作品だと思います。

そして、登場人物は、大きく3種類に分類され、それぞれが与え合う関係が成立していました。

  • 小動物 →バジャ、ガー (=京アニファン)
  • 小さい人たち →ココ、ギー (=京アニ作品)
  • 大きい人たち →監督カナ子など (=京アニスタッフ)

バジャは監督カナ子を癒し、監督カナ子はココやギーを創造し、ココやギーはバジャの願いを叶えたり遊んだり。こうした与え合う良い循環が出来ていました。

そして、劇中のアニメ作品のキャラとして登場するのがココとギーであり、両者は作品の表と裏とも言えます。

  • ココ → 魔法使いの女の子。魔法を使って誰かの願いを叶える。ボジティブ。ほうき星の夜に最大の力を発揮する。
  • ギー → 仮面を被った男の子。動かないモノに命を与え動かすことができる。ネガティブ。すぐ、ココと対決したがる。

「海」という作品世界

ココとギーが京アニ作品のキャラのメタファとするなら、「海」は京アニ作品世界です。

バジャは、監督カナ子が海が大好きである事を知ります。バジャはKOHATAスタジオの外に出た事がありません。だから「海」の存在は未知であり、いつか海に行ってみたいと願います。

そこで、ココとギーは、それぞれ「海」をバジャとガーに体験させますが、その「海」の印象は全く違うものでした。

  • ココの「海」 → 明るく、カラフルで、綺麗な色の魚がたくさん泳いでいて、楽しいイメージ
  • ギーの「海」 → 暗く、黒っぽく、大しけの嵐で、サメに食べられてしまいそうな、恐ろしいイメージ

結局、バジャは、ギーの恐ろしい海の印象が強烈で、怯えて海はもうこりごり、と思ってしまいます。

たった一人の友だちを取り戻す、という物語

前作では独りぼっちだったバジャが、とある冒険を経て、ガーという友だちを獲得するお話でした。

本作では、バジャとガーはなかよしの友だちとして一緒にスタジオに楽しく暮らすところから始まります。

しかし、ギーの身勝手な行動により、ガーはインクで黒く塗られ、ノートPCの中の荒れ狂う海の中に放り出されてしまいます。

出来るかどうか分からない、だけどギーを助けたい。その願いに反応してココの魔法を発動し、バジャは勇気を持ってガーを助けにノートPCの海に入っていきます。

途中でココが、監督カナ子を召喚して嵐を吹き飛ばし、穏やかで綺麗な海に戻す、という高度な裏技を使います。が、最終的には、ガーがバジャを見つけてくれて、バジャとガーは元の世界に戻って来れました。つまり、引き裂かれたともだちを自らの勇気と互いの引力で取り戻した、という流れです。

ファン、作品、スタッフの関係性と「願い」というテーマ

この物語の流れから推察するに、

  • バジャ(=京アニファン)が決断して、それぞれの人生という物語を動かす。
  • ココやギー(=京アニ作品)は、その手助けをする。
  • 監督カナ子たち(=京アニスタッフ)は、その作品作りに誠心誠意、粉骨砕身、情熱を注ぐ。

という構図に思います。

ココは魔法を発動するには、誰かの「願い」が必要です。作品を見て、楽しんだり、悲しんだり、感じたり、考えたりする事はできますが、それだけでは魔法は発動しないのです。最終的には「願い」という決断があり、初めてその人が行動を起こせるのです。

それぞれの人生の主役は、あなた自身なのです。京アニ作品は、その背中を押す手助けをする存在でありたい。そういう意図が本作に込められているような気がしてなりません。

監督カナ子の悲喜こもごもは、こうした京アニスタッフの作品に対する思いなのだと感じました。

ギーとココの役割と対比関係

ココとギーの関係は、単純に正義と悪ではなく、陽と陰の表裏一体の関係にあります。

「ココに願う事は、私(ギー)に呪われる事と同じ事」という台詞があります。ここは、いくつかの解釈が考えられますが、個人的にはあまり深い意味は無く、ココとギーの存在が表裏一体である事を強調したかっただけなのかな、と感じました。

ココという喧嘩友達は居ますが、ギーもまた意気投合できる仲間が居るわけでもありません。ココに対して毎回対決したがるのはココが好きだから? バジャを子分にしようというのは寂しさの表れ? 仮面を被るのも強く見せたいから? こうしてみると、どこいでも居そうな普通の男の子です。

結果的にギーは、バジャを怖がらせたり嫌がらせしたりする悪役ですが、基本的にお節介というか要らないお世話であり、悪意はありません。物語にストレスをかける存在でありながら憎めない、この辺りのディレクションが好きです。

そして、ココが魔法を発動するトリガーは、誰かの「願い」が必要ですが、ギーのモノに命を吹き込む力はギーの一存で発動可能です。魔法というより技術という感じです。

つまり、アニメ作品を構成する要素として、ココはマインドや文芸面を、ギーは動きを担当する作画・動画面を、それぞれ担当しているともとれます。その意味でも、この二人は互いを補う関係にあるのではないかと思います。

本作におけるギーの扱いがポイントで、本作を味わい深いものにしているのだと思います。

劇伴

本作は、27分の短編アニメーションです。その劇伴は、長尺でありながら、シームレスにそのカット毎、フレーム毎にピッタリになるように音がはめ込まれた贅沢な作りとなっています。ピッタリというのは音の長さ、タイミングだけでなく、音の表情もキャラや心情に合わせてます。

通常のTVアニメでは劇伴は使いまわしになりますが、本作は劇場版と同様に1回きりの劇伴なのです。そのために、綿密な絵コンテ、および精密なカッティングが事前に完成していなければなりません。

そして、演奏は生楽器。そうした映像と音の設計の深さを、まざまざと感じさせられます。

当たり前と言えばそうなのですが、その事が本作のクオリティの高さに繋がっています。

おわりに

繰り返しになりますが、とにかく本作が完成し日の目を見た事、そしてまごう事なき京アニクオリティで有った事を嬉しく思います。

気のせいかもしれませんが、シリーズ2作目である本作は、「海」に象徴される「作品」へのスタッフの思いをより強く込めて描いていると感じました。作品が、ファンの肥やしとなり、ファンの背中を押す存在であり得たら幸せである、そうしたスタッフの願いがあるのだと感じました。

この状況ゆえに、2021年秋にシリーズ3作目が作られるかどうかは分かりません。が、京アニファンイベントとともに、こうした京アニファン向け作品も、作り続けられると良いな、と思います。