たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

神様になった日

ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

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はじめに

TVアニメ「神様になった日」の感想・考察ブログです。

本作は、賛否両論、好みが別れる作品だと思います。SNS観測した範囲でも、感動したという肯定派だけでなく、ザル設定だの、このエピソード必要?だの、このキャラ必要?などネガ発言も否定派も多数観測しました。

私は、回収されない伏線(フック)も、枝葉で余る設定やエピソードがあっても、そこは許容できます。実際、11話までは振り回されながらも、許容して見てきました。しかし、12話で強い違和感を覚えました。それは、陽太が「愛」を持って無理ゲーをクリアしてハッピーエンドを迎えるという流れの中で、陽太の行動が「独りよがり」で本当に幸福な選択なのか?という不安を感じたからです。

本作が、マルチエンディングのゲームシナリオの感触を強く意識した作風というのは理解します。それを前提としたときに、一部の違和感は些末なノイズと思えるようになりました。その辺りも順を追って考察・解説します。

最後に、それを加味しても残る私の違和感について書きます。

感想・考察

各話の流れ(サブタイトル一覧)

サブタイトルと要点を降順に表形式にまとめる。

サブタイトル キーワード
第12話 きみが選ぶ日 ひな連れ帰り成功。映画完成、思い出、メイキング、歩み続ける陽太ひな
第11話 遊戯の日 ひな面会は1時間/日、ゲーム機、ひなを連れ帰る無理ゲー、粘り強い陽太
第10話 過ぎ去る日 転入生央人、ひなの事を無意識に避けてた陽太、ひなに会う選択、サナトリウム、期限2週間
第9話 神殺しの日 央人ハッキング、ひな頭部の量子コンピュータ(≒全知の神)、黒服に連れ去られるひな、撮影中断
第8話 海を見にいく日 撮影順調、佐藤家訪問、ロゴス症候群、母自殺、7歳で見捨てた父、その後祖父興梠博士が世話
第7話 映画撮影の日 映画撮影、陽太、ひな、伊座波、阿修羅、空、神宮司、天願、付き人、両親、借金取りの10名
第6話 祭の日 みんなで夏祭り、ひなヤキモチ、冷凍車、阿修羅陽太バイク追跡、花火大会
第5話 大魔法の日 伊座波父引きこもり、伊座波父外出に成功、ビデオレター、父娘で最後まで見る、墓参り
第4話 闘牌の日 麻雀リベルタス杯、滅茶苦茶好き勝手、陽太優勝、天願との一夜は辞退
第3話 天使が堕ちる日 妹空の先輩神宮司、ラーメン屋再生、借金取り追い返し成功
第2話 調べの日 ひな成神家来訪、シスコン、伊座波に告白失敗(映画、ピアノ)
第1話 降臨の日 ひな陽太出会い、全知の神オーディン、予知能力、世界の破滅

ゲームシナリオとしての「神様になった日」

ゲーム的要素

本作のシリーズ構成は小説ではなく、マルチエンディングのゲームシナリオの1ルートではないか?と思わせる点がいくつかある。それを感じさせる記号、文法を列挙する。

  • ヒロインが多い
    • 伊座波(幼馴染)、空(妹)、神宮司(おっとり)、天願(姉御)、ひな(ロリ)
  • 親友がいる
    • 阿修羅
  • いくつかのイベントを消化する
    • 野球、伊座波告白、ラーメン屋再生、インチキ麻雀大会、伊座波父外出、夏祭り
  • 伏線(フック)が多い
    • ひなルート以外の伏線は放置?
  • 主人公(プレイヤー)は、
    • 前半は、楽しさで導入
      • 無双(ひな助力)
      • 夫婦漫才
    • 後半は、ストレス与えて没入、共感、最後に解放
      • 凡人
      • 本人の選択である事を強調
      • 粘り強く諦めない強さ
  • ラスボスがいる
    • 司波(児童介護のプロ)

ゲーム的シナリオ構成

ストーリー構成は下記の3部構成と思われる。

話数 概要
第一部 第1話~第6話 各ヒロイン紹介、主人公無双、各イベント消化
第二部 第7話~第9話 ひな不幸な身の上話、突然の別れ、互いに好き
第三部 第10話~第12話 ひな奪還ルート選択、ひな記憶なくし幼児化、ひな連れ帰り成功、ずっと二人

まず、第一部(第1話~第6話)。

親友と幼馴染がいる状態から始まり、ひなが登場し、妹、妹の先輩、姉御とタイプの違うヒロインが次々と登場してくる。しかも、ひなのおかげで陽太は無双であり、凡人でありながら難題を順次クリアする。

前半で特徴的なのは、ひなと陽太の掛け合い漫才。プレスコで録っているとの事で息ぴったし。この楽しさは本作の前半の牽引力になっているが、これはシナリオゲームとしての醍醐味とも言えるかもしれない。

色んなイベントをこなし、それぞれの別ルートへの分岐があったかもしれないが、主人公はあくまで各ヒロインへのルートへ進むことなく(進めずに?)流されるように夏休みを過ごす。

別ルートへの導入であったイベントやひな以外のヒロイン達の存在は、伏線として回収される事無く放置される。もともとマルチルートのための分岐点であり、伏線ではないからである。

5話で伊座波と父親が母親の死と向き合い母親の死を乗り越えて前に進むドラマを挟む。これも中間に山場を入れておいたのかな、とも思う。

次に、第二部(第7話~第9話)。

ここは登場人物が全員集結して映画を撮影してゆくという話のアウトラインである。ここでひなルートに入ると考えていいだろう。

8話で、ひなについて何も知らない事に気付き、ひなの生い立ちについて両親に聞く。母親は自殺、父親はひなを捨てて再婚し新しい家庭を気付き、ひなの面倒は祖父がみていた。祖父になにかあったら両親が面倒みる約束があった。陽太はひなの父親に面会に行くが、ひなを引き取る気はないと言われ、ひなの父親に憤りを感じる。

9話で、ひなが黒服に連行され居なくなる。別れの直前、陽太はひなを好きだから守ると言い、ひなも陽太が好きだったと言う。映画撮影は中断。好き合っていた事が陽太の記憶に残る。

この第二部では、陽太は大人(社会)に憤りを覚えつつ、何も覆す事ができずに抑え込まれる構図である。

最後に、第三部(第10話~第11話)。

10話で、2学期から3学期模試までの間、陽太の中でフェードアウトしてゆくひなの記憶。大学進学ルートが濃厚になる陽太。央人により、ひなルートの選択肢がもたらされ、陽太の意志でひなルートが選択される。ミッションは期限2週間でひなを自宅に連れ帰る。山奥サナトリウムのひなは陽太の事を覚えておらず、陽太に怯えている。協力者は居ない。不安しかない無理ゲー。

11話で、凡人である陽太がたった一人で挑戦する無理ゲー。友人たちが電話越しにエールが心折れそうな陽太の背中を押す。徹夜してまでゲーム機の可能性に賭けて一人戦う陽太。少しづつ心を開くひな。

12話で、陽太の身分擬装がバレてタイムオーバー。最後の最後で陽太と一緒にいたいと言うひな。ひなを連れ帰りクリア。撮影再開し映画完成。メイキング映像の中で「良い思い出となった」と語る神だった頃のひな。ロゴス症候群治療の可能性にかけて浪人して医学部を目指す陽太。いつまでもひなと一緒という陽太。完。

この第三部では、陽太自身の決断でひなルートを選択し、たった一人で無理ゲーをクリアする。そして、いつまでもひなと一緒に暮らす未来という、ひなルートのエンディングが示される。

自主製作映画「Karma」(劇中劇)について

自主製作映画についてのメモを下記に示す。

  • 世界の破滅の危機
  • 破滅を回避するために少女アン(ひな)を生贄にする国王
  • 儀式を邪魔してアンを救う青年(陽太)
  • 世界は破滅し青年とアンが生き残る
  • Karmaの意味は、業、宿命、因縁

劇中劇は、演者と役の関係性で、役柄が演者の暗喩になっていたり、またその逆で皮肉になっていたり、という演出が一般的に考えられる。

劇中劇の物語を要約すると、青年はヒロインと世界の2択でヒロインを選択し世界は滅ぶ、という典型的な世界系の物語となっている。

実際には、陽太に選択権はなく、神殺しによってヒロインは失われ世界は救われる。

アニメとしての「神様になった日」が描いたモノ

言うまでもなく、原作脚本の麻枝准さんはゲームのシナリオライターとしての経歴があり、「原点回帰」という意味が込められているのかもしれないが、それにしてもここまでゲームっぽさを強調する意図は不明。

通常のアニメ作品としての違和感を列挙すると、

  • 回収されない伏線
    • →マルチシナリオゲームの分岐イベントと考えられる。ひなルート以外は描かれない。ある意味、残骸。
  • ザル設定・ご都合主義
    • →ゲームであれば設定・考証はコスト高になる事、シナリオの自由度を優先したい事から、敢えてザル設定・ご都合主義を多用しているのでは? ある意味、ゲームオマージュ。

というところだが、ゲームっぽさ目指したという意図であれば、敢えて作品の欠点とは言わないでおく。本筋に対する枝葉のノイズ程度の事であろう。

改めて、本作のテーマ・メッセージ的なモノを考えて見ると、

  • 選択するのは本人(他人は何も決定しない)
  • プレイするのは本人(他人は応援しかしない)
  • 凡人でも心が強ければ無理ゲーをクリアできる

といったところか。これも、まあ、納得はできる。

アニメとしての「神様になった日」の強い違和感

12話で感じた違和感をもう一度提示する。

  • ひなルートは、陽太の「独りよがり」の可能性を強く意識させている
    • ひなを介護するコストは?
    • 父親の様に介護疲れになるリスクは?
    • ロゴス症候群治療確立の夢はあるが、根拠がなく、希望的すぎないか?
    • 友達たちの「いい思い出になった」発言のよそよそしさ
      • 思い出=過去形
      • 誰も祝福していない感
    • そもそも、ひなと一緒に暮らす事が、本当にひなの幸せなのか?
      • ひなと一緒に暮らす正義は、ひなが陽太に懐いているという一点のみ
      • より充実した介護施設で暮らす方が幸せでは?

要するに、ゲームの選択が何かを得て何かを失うとするなら、陽太の選択で損失するモノを強く匂わせている。ゲームのエンドなら、他のルートを渇望させるためにあり得る演出かもしれない。しかし、小説のエンドで選択した代償をここまで強く印象付け、不安を煽る必然性は全くない。未来に向けての希望の示唆が全く無く、不安が安心を上回る。

また、劇中の陽太や登場人物はこの不安を全く抱いていない(少なくとも不安と思っている描写は無い)。あくまで、不安を感じているのは視聴者のみである。

もちろん、単純に「感動した」などのSNSコメントも見かけるので、不安を全く感じていない視聴者も居る。

マルチルートを描かないアニメである以上、これらの不安は払拭する描写か、不安を見せないようにするのが一般的なディレクションだと思う。ディレクションは、一脚本家で決定出来る事では無く、プロデューサー、監督の総合的な判断で行われるハズで、鶴の一声で決まるとは思えない。

あるいは、世間で言うところの「愛」なんて、所詮は「独りよがり」と言いたいのか? 安直な「感動」に対してもっと冷めた目で見ているという皮肉なのか?

どうしても、この不安の放置の意図だけは、図りかねる。これが、本作に対する不満点である。

おわりに

私以外にも、多くの視聴者が12話に違和感を持っていたと思いますが、その違和感の正体を自分なりに見つめ直したのが本記事です。

残念ながら、違和感について自分の中で納得いく解釈は見つけられませんでした。ある意味、作品に負けた気がします。

本作は考察し甲斐のある作品だと思いますし、他の人の考察も楽しみにしていて、これから順次見て行こうと思います。