たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

2021年冬期アニメ感想総括

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はじめに

2021年冬期アニメ総括です。今回、最終回まで見た作品は下記。

コロナの反動でアニメの本数も増えた今期ですが、今期も色んなテイストの作品をばらけて見る事ができました。

今期は「ワンダーエッグ・プライオリティ」にドハマりしていましたが、その他の作品も味濃いめで、楽しめました。

感想・考察

ワンダーエッグ・プライオリティ

  • rating ★★★★★
  • pros
    • 14歳の少女の痛み危うさを繊細、かつ濃密に描く脚本、演出、作画、芝居
    • 考察向きの含みを持たせた独特の世界観と設定
    • バトルアクションの爽快感ある作画
    • 趣があり、クセになる劇伴
  • cons
    • 制作上の問題で1話取りこぼし、続きを6月の特別版にて完結という状況

本作は、制作遅延により8話で総集編を挟み、放送枠から押し出された最終話を特別編として6月末に放送されることがアナウンスされている。その意味では、4月時点では未完の作品である事を明記しておきたい。

本来なら、未完の作品の評価は保留にするところであるが、個人的にこのクールで一番ハマった作品で有る事、12話で主人公のアイについて、一応の決着を付けている事から、本ブログに記載する事とした。

本作の見所は、やはり野島伸司のシリーズ構成と脚本。14歳の少女を繊細かつドラマチック描く。これまでの実写ドラマの過去作と比べても、期待を裏切らない出来栄えだったと思う。むしろ、1話時点では実写ドラマ寄りと感じた作風も、回が進むにつれてアニメならではの爽快感や見易さも出てきて、いい感じに実写ドラマとアニメの風味を融合していた。

例えば、ねいるが社長なのも実写ドラマなら大ブーイングの超設定だが、アニメなのでそこに引っかかり過ぎずに観れてしまう。逆に、アイの部屋やポマンダーの設定の緻密さが、実写ドラマ顔負けのリアリティを感じさせる。こうしたさじ加減が上手い作風だと感じた。

とにかく、作画と声の芝居が丁寧で、演出のキレの良さも感じた。重めのテーマゆえにストレスフルなシーンも多いが、逆に、4人の雑談やアクション作画の軽快さとも両立しており、こうした緩急の使い方が上手い。

各話のアクションシーンはとても丁寧で躍動感がある。アイたちも派手に吹っ飛ばされたりしながら、嫌悪感だらけのワンダーキラーを叩き切るシーンは、かなりの爽快感を味わえる。

私のお気に入りは、5話でリカが、アイに「悪役やってやってんだ!友だちなら出来たじゃんか!」と言うシーン。この時の目の見開き方や、口元の力の入り方が、従来の静止画の記号だけで伝える演技とは違って、完全に実写ドラマ的な芝居だったし、とても新鮮に感じた。

劇伴も印象的だった。時に女子の会話の賑やかさを軽快に、時にシリアスな展開のストレスフルな心情を重厚に、幅広く聴かせてくれた。最近の作品で近い感覚を持ったのは「安達としまむら」や「リズと青い鳥」。ちょっとクセになりそうな心地良さがあった。

作品のテーマは、子供でも大人でもない、思春期の14歳の少女の自殺を題材にしている。自殺の原因となるトラウマは、イジメ、体罰、痴漢、援助交際、ナルシスト、霊感、新興宗教、レイプなど。

物語的には、こうした自殺した少女のトラウマを退治しながら、自身が自殺に関与してしまった少女を生き返らせるため、自身の罪を償いやコンプレックス克服のために戦い続ける、というのが基本。

しかし、終盤は、自分自身の戦いから、フリルという絶対悪のラスボスとの対決の構図が見えてくる。

果たして、12話ではアイがかつての弱かったアイ自身を救うった事で、フリルと戦う決意を固める。しかし、その直後に救われたはずのもう一人のアイの左目を奪われる(多分、死を意味する)。エッグの戦いから戻ったアイは、もう一人のアイに感謝と謝罪をし、ここで12話は終わる。

12話時点でフリルの問題やねいるの妹など謎だらけだとしても、アイのドラマに一応の決着を付け、物語を一旦閉じた点については誠意を感じた。

個人的にお気に入りは9話と11話。

9話はねいると寿の回。ねいるはエッグの運営側との繋がりもあり、戦う理由が他の3人と明確に違うが、その真意は謎。ねいるは他の3人と違って曖昧な少女性を持たず、論理的な思考でブレが無い。そんな無敵のねいるだが、唯一心を許せる同士であり、親友でもある植物人間の寿への依存が弱点として描かれる。ある意味、会社人間で将来の夢も持たないねいるが、寿と決別し、自分の人生を歩み始める。10話の髪型の変化と、リカへのラーメンOK即答は、その変化の表れ。この変化が特別編でどう効いてくるのか、楽しみ。

11話は完全に1本のホラー映画だった。裏アカの独白で進められるフリルのあずさ殺害とひまりの自殺。エッグの世界の経緯と、継続する恐怖の余韻。ここでも、裏アカたちの尻拭いをアイが押し付けられるという、身勝手な大人と犠牲となる少女の構図が効いている。永遠の14歳の少女フリルの、愛する人の移り気を憎み、浮気相手を殺し、精神的ダメージを与える残虐さ。物語的には、怪物となったフリルの暴走を止める必要があると思う。

特別編を待つ間に、気にしているポイントを整理しておこう。

フリルが普通の人間と違うのは、心の痛みを感じた時に、それはそれと割り切ったり、その痛みを乗り越えたり、次に前に進む事が出来ない点にある。ねいるは寿との別れで前に進み、アイは沢木先生や小糸の死の疑念を捨て、目の前の大切な人間を信じる事で前に進んだ。フリルが持っていないモノをねいるもアイも持っている。そこが二人の強みであろう。フリルという絶対悪のラスボスをどう倒すのか?ハッピーエンドなのか、ビターエンドなのか?楽しみは3か月後という事で…。

ゲキドル

  • rating ★★★★★
  • pros
    • 粗削りながら、毎度の超展開で細かな欠点を許せてしまう豪快な作風
  • cons
    • 色んな要素詰め込み過ぎゆえの、消化不良気味の雑多感
    • キャラの心情の変化などが大味で、きめ細かさに欠ける演出

本作は、欠点を指摘しようと思えばいくらでも指摘できるが、その豪快な超展開で全て許せてしまうという、不思議な魅力を持つ作品だった。いくつかある欠点も、作風や設定により、まあ楽しめれば細かい事はいいか、となってしまう豪快さが本作の強みである。

本作は、要素を詰め込み過ぎているせいか、物語の流れを不自然に感じる事が多々あった。イベントが突然発生し、それがその後の流れにあまり有効に生かされない。脈略が無く感突に過ぎ去る印象を受けた。

演劇、(地下)アイドル、百合、サイコパス、ドールとシアステの洗脳システム、ド根性の弱小劇団と大手劇団の対決、竹崎の世界征服、かをるの謎の過去、時空犯罪、5年前の世界同時都市消滅の真相、歴史改変、と目まぐるしいまでの超展開を詰め込み過ぎて、消化不良な感じが否めない。上手いシリーズ構成ならこれらの要素の中でどれか一つを軸にして1クール通貫のテーマとし、周辺の要素をシームレスに絡めてくるのだろうが、本作にはそうした一気通貫の軸が見えにくい。

例えば、あいりがせりあを好きでキスまでしてしまうのに、百合が炸裂するわけでもなく、普通の友達の距離に収まったまま、せりあの成長を思う良き仲間的なポジションで進行する。また、Jrアイドル時代のヌード写真撮影会の黒歴史を嫌悪して落ち込んだり、それが吹っ切れたりのドラマはある。しかし、それが物語に収斂する感じも無く、散漫なエモさアピールで終わってしまう。こうしたチグハクした感じは、せりあにもいずみにもあり、結果的にエピソードが積み重なっていかないし、キャラの行動が感突で何のために? という違和感を感じるシーンが多く、正直、見易くはなかった。

しかし、最後まで観終えると、逆に、この分かりにくさが超展開を楽しむための高度な演出ではないのか? とさえ思えてくる。

また、本作はキャラの心情の変化が感突で、滑らかさに欠ける様に感じていた。例えば、いずみがAITに復帰する際に、繭璃と和春が猛反対する。理由は憧れていたいずみのAIT裏切りの気持ちが強く残っていたからだが、その気持ちも突然だし、無口な和春がまくし立てて喋り本音で話す事でわだかまりが解けるのも、展開としては分かるが強引とも感じた。ドラマとしては成立するのだが、その変化にスムーズさが無く、大味に感じるのは演出の弱さだと思う。

しかし、こうした粗削りの演出や芝居も、テーマが演劇と思えば、ある種の大袈裟でデフォルメされた分かりやすい芝居というディレクションなのかも、と許せてしまう。

さらに、本作は当初からキャラが暗さを抱えた作風。ここも令和の現代において率直に違和感を感じた。あいりのJrアイドル時代の黒歴史、せりあの身代わりにありすを殺してしまった罪悪感、過去の恋と任務のどちらも選べなかった優柔不断な自分を責めるかをる、AITを去った事に関するいずみの申し訳なさ、そして機械ゆえに自分を持たない人形であるドールの空虚さ、竹崎の歪んだ正義などなど。あいりやせりあは前半でその気持ちを吹っ切ってゆく物語があるが、それにしたって、全員ここまで負の暗さというのは、令和にしては重苦しい。

しかし、これらの抑圧されて鬱屈した人格というのは、5年前の同時都市消失事件の影響で捻じれ曲がった世界が、キャラに落とした影だったのかも知れないな、と考えるとメタ的な演出だったととれなくもない。

こんな具合で、当初ノリ切れなかった違和感は、継続して見てゆくうちに作品の持ち味として馴染み、最終的にはディレクションなんじゃないかとさえ思えてきた。

さて、ポジ意見までの前置きが長くなったが、本作の肝は、こうした負の暗さの中でも少女達の生きる力、活力が未来を造るというシンプルで力強いメッセージにあると思う。しかも、せいあ、あいり、いずみは演劇と言う舞台で、分からず屋を相手に、本音の自分を全力でぶつけあってるだけであり、世界を救う気なんてさらさらない。これを、当事者だったかをるではなく、かをるの教え子であるせりあ達がやる事に意味がある。

かをるの中途半端な自分を責める気持ちも、ドールの何かを演じ続ける悲哀も、争いの無い世界を目指したかった竹崎も、全てエンリ(梓)に利用され、かをるの後悔が最後のピタゴラスイッチのボタンを押す仕掛けは痺れた。しかしながら、そんな黒幕の計算を嘲笑うかのように、その野望を少女達の痴話喧嘩が阻止した上に、鬱屈した過去も改変してやり直してしまう痛快さ。この12話の気持ち良さがあるから、正直今までの事を許せてしまう。

それにしたって、5年前のミキ、響子、梓の分岐点の事件を、AITが特異点となってせりな、あいり、いずみが再現するという理屈も、よく考えてみれば無茶設定。せりな達が自己解釈で役に近づこうとしていた時点で不確定要素である。エンリにしてみれば、それまでの綿密な計画と比べて、いくらなんでもリスクあり過ぎだろう、という突っ込みを入れるところである。しかしながら、好きになってしまえば、この超展開も楽しくなり、「あばたもえくぼ」と許せてしまう。

繰り返しになるが、本作はそうした憎めなさのある、不思議な作品だと思う。

ちなみに、本作は1話から8話までの演劇ベースのプロットがあって、その後に9話~12話を追加したとの事。途中までの暗さを引き継いで最後にひっくり返すシリーズ構成の豪快な荒業ぶりは、拍手を贈りたい。

Pui Pui モルカー

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 見ているだけで楽しくなるモルカーの可愛さ
  • cons
    • 特になし

今期の覇権は本作だったのかもしれない。見ているだけでハッピーになれる楽しい作風だった。

モルカーは、人間を乗せて移動できる自動車でもあり、個性的な生き物でもある。人間と共生していて人間の移動に用いられるが、モルカー自身にも意思があり、自由がある。

本作は1話3分弱の短編ストップモーションアニメである。アニメーターはモルカーの人形に動きと表情を付ける。今までの人形アニメーションでも動物をモチーフにした作品は数多くあるが、モルカーはモルモットのフォルムで、可動部分が、目、口元、足(タイヤ?)くらいに限られている点が興味深い。

例えば、ひつじのショーンなどは、人間的な芝居をするために手足が長く、マグカップで飲み物を飲むという動作があるとする。しかし、モルカーはそうした人間の仕草はなく、目もと口元の表情の芝居と4足歩行?での動作に限定されている。食事は口元をむしゃむしゃさせると目の前のニンジンが小さくなってゆく、と言う感じ。

自由度が少ない分だけ、芝居の幅も狭まるわけだが、逆にその事により、モルカーと言う存在をモルカーとして受け入れてしまえるデザインの妙がある。

つまり、視聴者はモルカーをモルカーそのものとして認知して見ている。そこが、この作品の凄いところだと思う。その意味で、モルカーは発明なのだと思う。

本作のスタートは、自動車が人間をイライラさせたり、傷付けたりするストレスフルな存在としたときに、自動車が小動物みたいに可愛かったら楽しいだろう、というような発想だったのだろう。

全12話中の序盤は、人間が原因でモルカーが過大なストレスを受けつつも、その可愛さゆえの超展開で爽快感を味わう、という風刺の効いた作風かと思っていた。

しかし、中盤からモルカー自身がスパイアクションをしたり、宝探しの冒険をしたりと映画オマージュの自由な行動にシフトする。原始時代にタイムスリップして楽しい歴史改変を行う。痛車ペイントでイメージが違うと悲しむも、魔法少女的な力でヒーローになる。深夜にモルカーどうしが集まってパーティーをする。

つまり、モルカーは人間にこき使われる道具ではなく、自由な存在として描かれる。それは、社会や学校で窮屈で抑圧された生き方をしてい者からすれば、楽しく生きる事を尊重する憧れの存在(=ヒーロー)であるとも言える。

そして、12話では、モルカーは仕事に疲れた人間をベッドに寝かしつけるというケアもしている。この世界の住宅は、ビルトインガレージとなっていて、人間とモルカーは同じ部屋で生活している。道路沿いの公衆トイレには人間のトイレの横にモルカー用のトイレがある。人間とモルカーは共生しているのである。このフレンドリーな共生の設定も凝っていて楽しい。

令和の現代であれば、こうした映像は3DCGだけでも作れそうだが、実体のある人形の手作り感の溢れるアナクロな映像である事が肝だったのだと思う。ふと考えると超絶苦労の上に成り立つ映像だと思うが、視聴中はそんな事を意識せずに楽しく観れてしまう。

本作の見里朝希監督の次回作として、WIT STUDIOでのストップモーションアニメ「Candy Caries」の製作が発表されている。アクリル板に描いた絵をコマ撮りするようなポップで不思議な映像が印象的。だいぶ先になるかもしれないが、こちらも楽しみである。

ホリミヤ

  • rating ★★★☆☆
  • pros
    • 全体的にライトに見せかけて、しっかりと青春の痛み切なさを「切り取る」脚本と演出
    • 繊細で巧みなキャラデザのライン
  • cons
    • 芯はあるのに、全体的に薄味なため、しっかり見るには疲れる作風

本作を一言で表現するのは難しい。堀と宮村のカップルの恋愛を主軸に描く、青春ラブストーリー群像劇とでも言おうか。でも、本作の本当のアイデンティティは、中学時代にイジメられて人との関りを避け、自分だけの小さな空間に収まっていた宮村が、堀達の陽キャラに触れて、心を開いて行く未来というところにあったと思う。だから、惚れた腫れたの浮いた話だけではない重さ、シャープさが本作の魅力だったと思う。

本作はラブコメに分類されるだろうが、一般的なラブコメとは少し違った印象を受けた。

堀と宮村のメインカップルのラブストーリーは迷いが無い直球である。高校2年の夏頃から互いを意識し合い、妙な浸透圧で互いに引き合う。寝ている堀に対しての宮村の「好き」の告白に対し、嬉し過ぎて一瞬受け止めきれずに翌日学校をずる休みするとか、雨の降る鬱屈した日に初キスをするとか、付き合い始めたら始めたで、宮村に近づく男を敵視する堀だとか、宮村に滅茶苦茶にして欲しいとM気を出す堀とか、卒業の先が見えずに不安になる堀とか、すぐさま結婚しようと返す宮村とか、最終的にはずっと一緒に居ようと宣言する初詣とか。二人が恋人になり、これから先も一緒に歩んでゆくという恋愛の成長の過程を1クール使って丁寧に描いてきた。これだけで王道と言えなくもない。

しかも、周囲のキャラの恋愛や友愛の感情も青春群像劇として描いてゆく。そこには、片想いや、三角関係や、兄妹愛や、男同士の友情などなど。

特に、表裏の無い爽やか男子の石川と、地味女の河野、強く主張できない吉川の、微妙過ぎる三角関係が切なさ爆発であった。そもそも石川は堀に未練があり、彼女を募集していない状態で、河野や吉川が石川を好きになる。吉川は石川と近しい付き合いなのに、好きという言葉を切り出せないズルさ。遠巻きに見ているだけでなく、クッキーで好きをアピールするのに石川に振り向いてもらえない河野。最終的に石川は、吉川と友だちから始めるという選択をする。好きと言う気持ちがあっても、直通しない切なさ。白黒ハッキリさせてしまう事に対する怖さ。

さらにこれに、河野を応援する綾崎、吉川に告白してフラれる柳、そういう人間関係の連鎖が広がりを持って描かれて行く。

本作は、こうした感情をスナップショットのように切り取る事に長けている。細くて繊細なキャラのライン。印象的な色使い。心情吐露はキャラのアップで、心情に合わせた影をキャラに付け、心情を語らせるという演出が効いていた(余談ながら、作画カロリーの省力化を熟考した演出だったと思う)。

そして、シリアスで重くなりそうな空気を軽めのギャグで換気してゆく。最初は、このライトなギャグが中心かと思っていたが、ギャグはシリアスに対する箸休めだったのだと思う。そのギャグもシリアスなネタがあるから効いてくる。

本作が「切り取る」事に長けている反面、個々のエピソードが散漫で、物語としてのパンチが弱いとも感じた。この「切り取り」は群像劇が同時並行的に進行しており、しかもネタが1話挟んで続いたりするので、どんなキャラだっけ? みたいになる事もあった。本作はエピソードの積み重ね(特に堀と宮村)なのに、そのエピソードが視聴者の中で積み重なりにくいというデメリットである。

その意味で、本作は毎話毎話、そのギャグの軽さに流されているだけではダメで、見る人の本気度が試される作風だったと思う。

本作は12話で、未来もずっと一緒という所で、一旦綺麗に終わる。そして、13話で、周囲に壁を作り小さな箱の中に入ったままのパラレルワールドの宮村との対峙を持って終わる。高校生活で堀と出会えて堀と恋人になれた事、それに付随して色んな人間との関りが持てた事、その幸せに対する感謝の気持ち。宮村は閉じこもっていた過去の自分を見ないようにしていた(=過去の否定)という事になるが、そうではなくて、そうした閉じこもった自分も肯定して前に進む。本作が最後に詰め込んできたのは、自分を好きになる事、だったと思う。

以上のように、本作は気を抜いてみると、ストレスなく流してみる事が出来てしまう。しかし、芯の部分は、意外としっかりした恋愛ドラマであり、自己肯定の物語である。ただ、繰り返しになるが、そこにフォーカスして見るには多少気合が必要な作風で、率直な感想を言えば、ちょっと疲れる作品であった。

のんのんびより のんすとっぷ

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 変わらず絶好調な、ゆったした童心のドラマ
    • 世代をクロスした交流と、その代替わりを感じさせる幕引きの脚本の美しさ
  • cons
    • 特になし

はじめに断っておくと、私は1期2期未視聴、映画の「ばけーしょん」は履修済み、3期は、1話、9話~12話の視聴である。

私は「ばけーしょん」を観たときに、本作は、過疎地の分校を中心に、子供が感じた心をそのまま映像にする作風であり、永遠のこども心を描く作品なのかと思っていた。

描かれる事は、大人からすれば、しょーもない事とも言える事かもしれないが、ゆっくりと時間が流れる田舎生活のなかで、田舎の風景、自然を感じながら、大人も子供も密接して暮す事に意味があり、その一つ一つが贅沢な体験である。

本作は、オジサンがそのノスタルジーを強く感じながら見る作品だと理解していた。

9話では、小鞠と夏美の姉妹の関係。そのどんくささを妹の夏海にいじられている姉の小鞠が、出来る自分になりたくて夕食を造り始めるが、上手くいかなくなったときの不安やテンパっている様子が可笑しい。大人からすれば、様々な経験から料理をステップアップさせて行ったり、出来なければ諦めてしまうところ、無計画に挑戦してしまう所が子供である。しかも、妹の夏海の手前、意地を張る。しかし、失敗しそうな絶望感の中、母親が手助けをする。今度は小鞠から母親に手伝ってとお願いする。その、一瞬の戸惑いと、完成した時の喜び。子供に成功体験を与えて伸ばす。そうした、子供と大人の繋がりと思いやりが描かれた。

10話では、正月のあるひ日、表で夏海とれんげとひかげの吹雪の中のコント。そもそも大人なら馬鹿馬鹿しくてそんなことはしないが、ハイテンションな子供の無茶さ加減が可笑しい。冬休みに実家に帰省してきた幼馴染のほのかとれんげの再会。2日間限定というタイムリミットがあるから楽しく遊んでいても別れが気になる。別れ際に、駄菓子とバイバイの言葉を言って別れる。今度は言えた、というのは引っ越しの時には別れに行かなかったのだろう。成長と言うには大袈裟ではある。しかし、別れが切なくても、その切なさに向かうというのが、ある意味、勇気なのだろう。大人であれば、ちょっとした出会いと別れが、こんなに切なくなることはなくなってくる。旧知の友とあって、酒でも酌み交わしながら語らい、そして自分の生活に戻る。離れたくない、とまでは思わない。

11話の、楓が夜に宮内家に来て飲んだくれてしまう話はグッときた。赤ちゃんのれんげの面倒を見てきたつもりが、れんげ自体は年下の子に対して、年上の自覚を持ちはじめている。ゆったりした時間の中で誰もが成長している。楓がコタツで飲み潰れてしまう体たらくを自覚しつつ、れんげの前ではしっかり者でいたい。しかし、横になっている楓の布団をかけなしてくれたれんげの優しさに、思わずすすり泣いてしまう楓。いつまでも子供と思っていたのに、ふいに感じてしまう成長。この回は、過疎地であるがゆえに、広く世代をクロスした繋がりのある社会で、ゆったりとした時間の中でも、確実に人々が成長してゆく事を描いた。恐らく、11話は多くの視聴者を泣かせたと思う。この5,6年の時間の重さは、無論、れんげ自身には無い。大人だからこそ感じる、子供の成長の時間の経過の重さであり、のんのんびよりという作品の中で特別なエピソードであった。

12話では、いよいよ春となり、卓は卒業し、しおりが入学した。しおりにも妹が産まれ、れんげは一緒に学校に行く7年越しの未来の約束をする。季節と年の螺旋の時間は、ゆっくりだが確実に進む。これは11話の成長の流れを受けている。「終わらない日常の終わり」というのが放送直前の原作完結を発表した時のキャッチコピーだが、本作は終わるのではなく、世代変わりして繋がる物語として描かれる。夏海にとってはいつも同じ毎日だが、れんげにとっては初めての後輩と一緒の通学であり、昨日とは違う今日なのである。ちょうど、映画と3期の違いとも言える。きっと、1期からのファンは感無量だったであろう。

もしかして12話が4月で終わるなら、1話も4月はじまり? と想像して観てみたら、1話は5月始まりであった。9話で登場した、あかねが人見知りを直したいために、このみに呼ばれて田舎に来る話であった。高校1年生のあかねと小学1年生の世代を超えた交流。他人にノーガードな、れんげの素直過ぎる態度が、あかねの壁を崩す。1話から、すでに、こうした世代を超えた関りを明示的に描いていた事もあり、3期のテーマだったのかも、と感じた。

本作は、こうした、ゆっくりした時間の中で、こうしたちょっとしたイイ感じのエピソードを散りばめて、それでいて1話の中で無駄なく物語が描かれる所が気持ち良い作風。良質なドラマに、ほっこりする演出。4期は無いだろうが、これもケジメであろう。事実上の完結に安心できる作品だったと思う。

おわりに

今期は、良いと分かっていながら、ゆるキャン△2期と、SHOW BY ROCK!! STARS!! は、最後まで視聴出来なかったのは、ひとえにワンエグにハマり過ぎていたからです。

それでも、11話は絶対にオススメと聞いて、のんのんびよりを観れたのはかなり良かった。

2021年春期も、気になるアニメタイトルは多いけど、今期くらいに控え目になりそう。

とにかく、久々に、1クール分の総括ブログが更新できて良かった。