はじめに
2021年秋期のアニメ感想総括です。今期、最終話まで視聴した作品は下記。
- 白い砂のアクアトープ(2クール目)
- やくならマグカップも 二番窯
- ブルーピリオド
- 海賊王女
- プラオレ(2022.1.28追記)
- takt op.Destiny
- サクガン
- 逆転世界ノ電池少女
- メガトン級ムサシ
- 闘神機ジーズフレーム
- 境界戦機
今期は謎のロボアニメ大量発生のクールということもあり、ロボアニメは多めに視聴しました。なお、プラオレは現在視聴中のため、後日更新とさせていただきます。プラオレを追記しました。(2022.1.28)
また、以下については、未完なうえ、一部しか視聴していないのですが、個人的にかなり気に入ったのでこのタイミングで特別に感想を書きました。
- 86 -エイティシックス- …18話~21話のみ
感想・考察
白い砂のアクアトープ(2クール目)
- rating
- ★★★★★
- pros
- 柿原優子さんをはじめとする女性脚本家たちによる軽やかなシリーズ構成、脚本
- 相変わらずのP.A.WORKSクオリティの作画、背景、3DCGの綺麗さと的確な密度の演出
- 水族館関連のリアリティある設定
- cons
- 敢えてロジカルに問題解決させないディレクションのため、逆にパンチ力不足に感じる人も…
沖縄の水族館を舞台にした青春群像劇。2クール目は高校を卒業しアクアリウム・ティンガーラに就職した新社会人くくるの奮闘記が基本。さまざまな人たちとのふれあいやぶつかり合い。仕事の苦悩や葛藤、その先にある達成感や喜び。そうしたものを爽やかに描く。
1クール目の時も書いたが、本作の肝は爽やかな脚本にあると思う。本作は、お仕事モノでありながら業務上の問題点を一発逆転で挽回するようなカタルシスのある作劇ではない。例えば、19話で風花の後輩のルカがアイドルの仕事で悩んでいる事に対し、風花は水に飛び込めないペンギンの背中を押す事で、ルカの気持ちも晴れてゆくというラストである。敢えてルカ自身の具体的な問題の乗り越えを描かずに、希望的な未来の示唆だけで終わらせるところが本作の良さである。
ちなみに、キャラで一番好きなのは風花。1クール目のラストを観て、これはくくるがピンチになったら駆けつけるヤツ、と思っていたら2クール目開始早々の13話のラストで登場してウケた。しかも、夜の浜辺で背後から「泣いてるの?」と声をかけるところがイケメン過ぎる。16話で知夢がくくるに怒って退社してしまった時も、知夢宅を訪問し、なぜ知夢がキレたのか事情を聞き出し、職場の助け合いが必要な事を認めさせ、職場の復帰を待っていると伝えている。普通ならこれ、知夢の上長の仕事だと思うが、アイドル時代の下積みがあるとはいえ、年上相手に19歳の小娘が物怖じせず正論で攻める強気さがイイ。
こんな風花だが、23話ではくくるのそばに居ることと2年間のハワイ研修の二択に悩んでいた。もちろん、くくるは研修に行ってきてと言っている。ここで、謎空間が出現しバンドウイルカのバンちゃんが風花の背中を押す。これは、くくると海洋生物の二択で悩んでた風花に対して、海洋生物側からも風花の背中を押してくれた、という意味である。これ以上の背中の押し方があるだろうか。先にも書いたが、本作はこうした潔さが心地よい。
あと、個人的に気に入っているのが17話の社員寮でのおもてなし会。直前に知夢のシングルマザーが発覚しその後登場人物の距離がこの会で一気に縮まるというエピソードなのだが、物語としての進展はゼロ。それまでのギスギスした職場のイメージを和ませるだけの回である。ラストのベランダでくくると風花がマンゴープリン食べながら「瑛士さんが急にパフパフーとか」などと会話しているシーンが非常に女子っぽくて良いなと思う。
それから、18話の朱里回も地味ながら好きな回だった。営業部のバイトの朱里は好きな事にのめり込む周囲の人たちとの温度差や、仕事=好きな事ゆえの苦しさを横目に見ながら、熱くなれない自分を漠然と客観視していた。そこには、熱くなる事に臆病だとか、要領よく手抜きする事に慣れているとか、そうした朱里のキャラが透けて見える。しかし、魚のシール造りをしたことで少し魚に詳しくなり、水族館の魚の名前も見てわかるようになってきた、というところで終わる。エンタメ作品でくくるのような熱いキャラは描きやすいが、そうでない朱里のようなキャラも否定する事無く、マイペースで良いと肯定するのである。
繰り返しになるが、1クールアニメでは、17話、18話のようなネタを丁寧に1話かけて造るような事はできないだろう。2クールアニメゆえの贅沢な構成である。逆によくそのネタだけで飽きさせる事無く1話分のネタを捻出できたものだと感心する。
おじいやくくるの言葉を借りるなら、「選んだ道を正解にする」というところで物語を締める。くくるはたまたま大好きな飼育の道ではなく、営業の道を選んだ。選択が全てではなく、その後の行動に意味がある。後ろ向きの後悔ではなく、前向きの希望が生きる力なのだという人間賛歌であり、全24話を通して爽やかな物語を届けてくれた。
やくならマグカップも 二番窯
- rating
- ★★★★★
- pros
- 陶芸に向き合う陶芸部員たちのドラマを丁寧に描く脚本と演出
- cons
- 特になし
好印象だった2021年春の1期に引き続き、陶芸部の姫乃たちの青春ドラマを、秋から冬に移り行く季節とともに丁寧に描く良作。正直、1期があまりに綺麗に完結したために、2期は蛇足になるのではないか、と勘ぐっていたが全くの杞憂であった。
2期1話は、喫茶店のマグカップ棚の一角を姫乃の逸品コーナーとするところから始まる。天才陶芸家だった亡き母親のマグカップ群の一角に、娘の姫乃のマグカップを置こうという父親の提案に対し、姫乃は心の中のどこかで偉大な母親の娘である事へのプレッシャーを感じていた。立派なモノを創らないとイケないという無意識の気負いである。
物語としては最終回の12話で、姫乃は逸品コーナーに、自分の作品ではなくヒメナの和食器セットが置いた。色々と想像の余地はあるが、1つは母親との比較という気負いからの解放、もう1つは姫乃自身の素直な感動を人に見せて共有したいという気持ちであろう。
そして、これとは別に姫乃自身が創った作品をみんなに配った。逸品コーナーに自分が感動した他人の作品を置くことを決めた時点で、姫乃は気負いから解放され創作の自由を手に入れた。みんなをイメージして創ったマグカップ=現在の等身大の姫乃自身の作品創りという事であろう。
しかも、これは姫乃が十子に赤色の挑戦を勧めた事、十子が自分の殻を破り距離を取られていた祖父と陶芸で通じ合えた事、ヒメナの神様用の小さな和食器の感動、姫乃を心配する直子の気持ち、十子から姫乃への感謝の言葉、そうしたものが巡り巡って姫乃に戻ってきて出した結論である事が上手い。
なお、この循環の中には三華は入っていないが、三華にも素敵なエピソードが用意されていた。4話で夏休み中に三華が真土泥右エ門を造るが、作家が土と対話しながら創作してゆく過程が、土主観で描かれる。五斗蒔陶土という貴重な土でプライドが高いという設定が面白く、失敗作のリカバリーのオチも見事。
また、2期は逸品コーナーの件で姫乃にプレッシャーをかけていた事を反省する父親刻四郎のドラマも良かった。姫乃の事を守るべき子供だとあたふたしていた刻四郎だったが、自分が心配するよりも娘がしっかりしている事に気付いて嬉しくなるくだり。個人的には、この大人視点の葛藤があったことで、より作品に深みを出していたと思う。父親視点=視聴者視点であり、刻四郎の心の揺れ動きに視聴者が共鳴する構造になっていたと思う。
1期では文芸面の良さに驚いたが、1期の実績があるから2期も安心して観ることができた。ご当地アニメでありながら、嫌味なく陶芸と姫乃たちのドラマを密着させて描いた脚本、演出の良さが光る快作だった。
ブルーピリオド
- rating
- ★★★★☆
- pros
- 美術(藝大受験)という斬新なテーマと、それを説得力を持って描いた映像。
- ハウツー物ではなく、八虎や周囲の人間ドラマとして成立していたこと。
- cons
- 地味目で、仄暗く、息苦しさが多い物語(好みの問題だが)
今期の吉田玲子脚本作品。総監督は舛成孝二、監督は浅野勝也。制作はセブンアークス。
物語としては、高校2年でいきなり美術に目覚めた男子高校生が東京藝術大学を目指してもがき苦しみながら受験に挑んでゆくドラマが描かれる。
美術を題材にするアニメという事で、映像に関してのハードルは高いものになる。それは、全て絵で表現するアニメ作品の中で、実物も絵画も同じ絵であり、その違いを伝える必要がある事。画家の違いによる絵の上手下手の優劣を表現する必要がある事。とても野心的な題材だが、本作はそれを違和感なくクリアしており、表現力の高さは見事である。それ抜きで、単純にアニメーションとして見ても絵が綺麗でクオリティは高い。
本作の特徴は美術を芸術(=アート)と藝大受験(=勝負)の両面から描いていた点にあると思う。芸術は表現力を支える技術や技法のロジックは土台として必要だが、最終的には感性の話になり狂人じみた作家性の話になってゆくと思う。本作でもその部分には触れてゆくのだが、どちらかというと受験テクニックというロジカルな部分が多く、視聴者の理解できる面が多く占めている。これは、美術ハウツー的な要素でもあるが、ジャンプ漫画の技を習得し強くなってゆく主人公の成長モノとして見易くなるというメリットもある。このバランスのさじ加減が上手いと思った。
主人公の八虎は、器用に周囲に合わせて生きる事が出来るソツのない人間だった。自分の感性を絵に乗っける事ができてそれを褒められた事による嬉しさが美術に目覚めたきっかけ。その純粋な気持ちで美術にハマってゆく八虎。高校美術部で絵を介しての淡い恋心。ハマった事で藝大受験のいばらの道を選択し、予備校にも通いながら泥沼の美術特訓でもがき苦しむ。周囲の予備校生はみな上手く、遥か上の存在に見えてコンプレックスに焦り悩む八虎。しかし、彼ら彼女らもまた自分にコンプレックスを持ちもがき苦しんでいる事も分かってくる。予備校の先生からアドバイスを受け、1つ技術を習得しても、また次の壁が現れて八虎を打ちのめす。その繰り返し。受験終了まで、その極限状態が続く。
ドラマ的には、天使のような森先輩との心の交流だったり、友人の恋ヶ窪にパティシエの道を選ぶ勇気を与えたり、世田介との奇妙なライバル関係だったり、龍二の挫折と向き合ったり、さまざまな人間との交流のドラマが八虎と相手の人生の肥やしとなり作品の肥やしとなってゆく。それは、八虎という作家が自分という人間に向き合って何度でも立ち上がる勇気にもなる。また、そこで八虎という人間の、根が素直でポジティブな人の良さが、視聴者の救いになると思った。
個人的には、なんとなくTVドラマ的な肌触りを感じた作品だった。それは、全ての要素がラストに向かって収斂してゆくタイプのエンタメとは違い、そのキャラが生きている感覚を切り取ったような感覚と言えばいいのか。それゆえに、本作はカタルシスのようなモノは弱く、仄暗くて長いトンネルを行くような感覚で観ていた。美術を題材とすることで、本作が真摯に美術に向き合っていたと思えることも、誠実がゆえに地味な印象になった要因かもしれない。
ただ、こうした大人な作品が出てくる事自体は非常に嬉しい事と思うし、個人的には評価したい。
原作漫画の連載は「月刊アフタヌーン」で現在も連載中。藝大生としての八虎が描かれているとの事。SNSの反応を見ていると、アニメよりも原作が良い!とか、藝大に入ってからが本番!という人が多いように見受けたので、続きに興味がある人は原作漫画を読んでみるとよいかもしれない。
海賊王女
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- 演出、作画、芝居、劇伴のどれもクオリティが高い、圧倒的なアニメーションの出来の良さ
- cons
- 物語然としたラストの展開がイマイチ。最後までフェナの運命を切り開くバイタリティある行動を見たかったかも
本作は、宝探し冒険モノ+少女漫画的エッセンスという、多少古めのテイストが特徴。とにかく演出、作画、芝居、劇伴のクオリティが高くアニメーションとしての出来が良い。
制作はProduction I.G。中澤一登氏が原作、監督、キャラクター原案、総作画監督などに名を連ねるマルチぶりを発揮。絵コンテは全話切っているという力の入れようである。エグゼクティブプロデューサーはジェイソン・デマルコとサラ・ビクター。二人はそれぞれAdlut Swim(CARTOON NETWORK)とCrouncyrollのプロデューサーであり、本作を2021年8月から北米で先行して配信していた。製作委員会はなく北米資本が入っている。その事が、良くも悪くも本作の特徴になっているのではないかと想像する。
舞台は18世紀の西洋だが、真田一族の忍者、女海賊一味、大英帝国軍艦などごった煮感ある設定が面白い。殺陣があるので血や死亡者は出てくるが、チャンバラ的な爽快感で押し切っており、ある意味古くて新しい。こうしたアクションの作画や芝居はイチイチ決まっていてカッコいい。
物語的には主人公のフェナの生い立ちと宝探しの謎解きをしながらの冒険活劇が軸である。毎週、玉ねぎの皮を剥くように新たな事実が判明し、ワクワクしながら謎に一歩づつ近づいてゆく展開。それとは別に、フェナと雪丸のラブコメをスパイスとして、重すぎず軽すぎずというバランス感である。
キャラ的にはとにかく少女漫画主人公的なフェナの可愛さに惚れる。若干、お転婆なところもあるが、意外としっかりとした強い一面も持ち合わせていて、表情が可愛くて凛々しい。声の方もザ・瀬戸麻沙美という感じでハマってる。
と、ここまで大絶賛なのだが、個人的にはラストの展開がイマイチで物語の結末に不満あり、というのが率直な感想。
古代より地球の人類の進化を監視する存在と、フェナの選択の巫女というSF設定でぶっ飛んではいたけど、そこは許容範囲内。文明の継続とリセットの二択の設定も、継続を選択するのも、その後のオチまでの流れも納得はできるものの熱くはなれなかった。それは、今までフェナが自力で掴んできた数々の奇跡を、はじめから監視者に仕組まれた役割と筋書きとして固めてしまい、活力溢れるお姫様のフェナを借りてきた人形のようにしてしまった事にあると思う。それから、どちらを選んでも自分に記憶が残らないなら、仲間との旅の記憶が大切なフェナなら何の葛藤もなく継続を選ぶであろう事も必然で選択の余地がない。もっと言えば、その二択に抗い自ら運命を切り開くくらいのバイタリティが有っても良かったのに、と思ったり。その意味で、物語の最後があっさりし過ぎていて物足りなく感じた。
最後は、記憶を失ったフェナと面倒を見る雪丸と仲間たちというところで終わる。相思相愛の記憶のある雪丸には皮肉な結末ではあるが、ヘレナへの恋心に狂って暴走したアベルも含めて、物語(=おとぎ話)というのはこういう淡泊なものかも知れない。
繰り返しになるが、本作は良くも悪くも、「北米資本で製作委員会なし」という特徴が色濃く反映された作品なのではないかと想像している。製作委員会がない事で創作の自由度が増した部分と、北米資本によりフックが弱まった部分があるのではないか?などと勘ぐってしまった。
プラオレ(2022.1.28追記)
- raiting
- ★★★★☆
- pros
- スポ根モノと見せかけて、女の子の友情ドラマが主体の作風
- 全てにおいて、地味ながら真面目で丁寧な作り(=分かりやすさ)
- cons
- 地味で真面目であるがゆえの、パンチ力不足
美少女+アイスホッケー+栃木県日光市という組み合わせのゲームタイアップ作品。ゲームは2022年3月運用開始予定でアニメが先行する形である。
制作のC2Cは地味ながら丁寧な仕事な作品が多い印象。シリーズ構成は「はるかなレシーブ」の待田堂子。監督は「ひとりぼっちの〇〇生活」の安齋剛文で、監督自身が全話の絵コンテを切る。
物語の骨格は、素人グループが体験教室をきっかけにしてアイスホッケーに打ち込んでゆくスポ根モノである。ただし、勝ち負けだけでなく、女の子どうしの友情のドラマを重視した作風であり、努力・根性を押し付けるような暑苦しさはない。ちなみに、作中の彼女たちのキャッチコピーは「心の絆でパックを繋げ!」である。
キャラ的には主人公の愛佳は超ポジティブ、優はクールな黒髪ロング、薫子はおっとりマイペース、彩佳は文字通り愛佳の妹、梨子は元気なショート、尚美はオタク気質と類型的ではあるが、分かりやすく描き分けられている。また、キャラの性格と行動に破綻はない。
繰り返しになるが、本作の肝は女子の友情ドラマだと思う。それは、大人しかった真美が引っ越す前にみんなと思いで作りをしたくて体験教室を続けたとか、捻挫で途中退場した梨子の涙をきっかけに約束を思い出して弱腰な尚美が逃げずにディフェンスの気迫を出してゆくとか、すべては友情が駆動力になっている。勿論、スポーツなので勝ちたい欲求もあるが、それがメインの駆動力になっていない点は今風なのかもしれない。全12話を通して、メインキャラに漏れなくスポットライトが当たるシリーズ構成も上手い。この辺はアニメ化という創作で頑張ったところではないかと思う。
さて、肝心のアイスホッケー描写であるが、アイスホッケー作画監督や防具作画監修のスタッフがおり、臨場感のある画面作りとなっている。素人目にも頑張っている感じはある。アイスホッケーというと目にも止まらない激しい高速技の応酬という印象だが、選手の心情や狙いをゆっくり丁寧に描くため、試合が分からなくなるという事はない。その意味では、スポ根モノの古典的な演出であり、リアルの試合のようなスピード感はあまりない。
総じて、演出は真面目で丁寧。友情ドラマも試合運びも情報が混乱することもなくわかりやすかった。それゆえ、今時のトリッキーで高圧縮なハイテンポな作風を期待すると、物足りなく感じるかもしれない。本作は、良くも悪くも変化球のない素直な作りが特徴に思う。巷では飛び道具と言われていたビクトリーダンスさえも、私には真面目で手堅く作ってると感じられた。
シリーズ構成、演出、作画など地味ながら真面目にバランス良く作り込まれた良作である。それゆえ、突出した部分がなくパンチ力不足にも感じた。とはいえ、かくいう私もなんどかウルウル来ているので、いかに変化球ではない素直な演出が効くかという話ではあると思う。
ちなみに、OP曲の「ファイオー・ファイト!」は、作曲編曲は田中秀和でキャスト陣が歌唱するが、キャッチーで私好みの曲である。ピンポイントになるが、ソロパートで各キャラがリフティングでパックを繋ぐ映像の演出が可愛くて良い。
takt op.Destiny
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- 運命(CV若山詩音)のAIキャラ的な可愛さ
- 中二病感溢れる設定とバトルアクション作画
- cons
- 乗り切れなかった物語・ドラマ
本作は原作がDeNAと広井王子のソシャゲの世界をアニメ化した作品であり、ゲームに先行する形で放送された。
その設定が独特で、詳細不明な未知の敵D2と戦うのがムジカートと呼ばれる超人的な能力を持つ美少女兵器であり、そのムジカートを指揮するコンダクターとのバディで最大限の戦闘能力を発揮するというモノ。そして、ムジカートは素体となった元の人間はいるが、ターミネーターのようなD2を倒すマシン(=非人間)として描かれる。このバトルアクション作画は中二病全開の惚れ惚れするような綺麗で迫力ある映像で、本作の最大の見せ場となっている。
物語の骨格はとしては、タクト(コンダクター)、運命(ムジカート)、アンナの3人が自動車に乗ってニューヨークを目指すロードムービー。運命は感情のないマシンのような性格で、中二病感あふれる赤いバラをモチーフにした衣装をまとい、銃器にも剣にもなる巨大な武器を使って敵のD2を破壊する。その際、タクトはコンダクターとして運命に指示を出す事でより強くなるため、タクトと運命の相性が肝となる。
キャラ的には、運命の存在が際立っており、運命が可愛いいと感じさせられた時点で本作の勝ちである。CV若山詩音さんの透明感のある声と演技も運命のキャラの魅力に大いに貢献していた。個人的には、7話あたりの学習が進んできてタクトに冗談を言える辺りの運命の可愛さと、その頃から生じ始める運命のアイデンティティの切ないドラマが良かった。
本作は意味深な比喩的な設定に溢れているが、黒夜隕鉄、D2、ムジカート、コンダクターなどの謎解きは行われず、それありきの世界観で描かれる。色々と考察の余地を残しているともとれるが、設定の因果関係の説明が欲しい人には肩透かしだったかも知れない。
「音楽が消えた世界」で連想したのは、9.11同時多発テロが発生したとき、1週間街中から音楽が消えたという坂本龍一氏の話である。ショッキングな状況下では音楽を聴いたり楽しむ事はできない、逆説的に言えば音楽は人間の余裕の象徴というニュアンスであった。その意味で、タクトや運命が音楽を取り戻そうとする物語は、人間が人間らしく喜びをかみしめながら生きたい欲求だったとも言える。逆に、D2が音楽を通して破滅を導くというのは、人間間のコミュニケーションを媒介に発生するパンデミック(コロナ禍)に似ているともとれ、現実とのフィクションの対比の皮肉を感じなくもない。
ネタバレ的なあらすじとしては、こんな感じ。
運命の素体であるアンナの妹(養子)のコゼットはある事件で死亡してしまうが、同時にコゼットの容姿を持ったムジカートの運命が誕生した。あいにく、運命にはコゼットの人格は宿っておらず、マシンのように無表情で感情がない。しかも、運命はD2との戦闘でタクトの体を侵食してゆく。アンナの姉ならタクトやコゼットを治せるかもしれないと、ニューヨークを目指して3人で旅を開始する。
当初はどこかちぐはぐだった3人。やがて、アンナはコゼット死を受け入れて運命の人格を認めたり、3人が互いを思いやる気持ちで調和が取れてくる。運命も学習し、感情を理解し、人間的な自我が芽生え始める。音楽を聴かせたい人に届けるため作曲してゆくタクト。タクトの音楽を聴きたいという運命の気持ち。運命≠コゼットでありながら、無意識にコゼットに感情が重なってゆく運命に、因果めいた切なさを感じた。
終盤は物語のどんでん返しがある。4年間の沈黙を破ったD2復活の本当の悪役は、ニューヨーク・シンフォニカの最高責任者のザーガン。ニューヨークに蓄積していたD2を暴走させ、その悲しみを全て背負う事で、世界規模での平和を手に入れようとするという、ちょっと独りよがりなロジック(ザーガンは精神破綻をきたしていたのかも…)。タクトと運命は音楽を響かせたいので、ザーガンと真っ向勝負して、最終的には勝利する。しかしながら、代償として運命は消え、1枚のプレートだけが残され、タクトは一命をとりとめた。
最終話のCパートは、タクトは人口冬眠、アンナはニューヨーク・シンフォニカのコンダクターとなり運命を連れていた、というカットで締める。
物語的には幸福感よりも哀しみ寄りの作品だったと思う。音楽を聴くときは地下活動という抑圧された民衆のストレスと、音楽で解放されたい気持ちとの狭間のドラマではあるが、物語はその根本的な問題を解決しない。逆にドラマとしては、運命とタクトの気持ちのすれ違いや重なり合いのドラマがあり、最後は一緒には居られないという結末の悲しさがあった。
本作も美少女AIモノのではあるが、鉄板のテーマである「人間としての自我」については強くは触れられていない。運命は人間になりたいと叫ぶこともなく、ただタクトの音楽を聴きたいという自我だけが明確に描かれた。その意味では、人間でもAIでも、どちらでも良いと受け取れた。コゼットとの因果関係を見出すのは視聴者の感情が勝手に結びつけてしまうのだが、そのあたりの哀しみの演出のさじ加減は全編を通して大人っぽさを感じた。
総論的には、キャラとしての運命、良くわからないけどカッコいい設定、バトルアクションの作画の気持ちよさはあったが、物語・ドラマとしては個人的には吸収し切れず乗り切れなかった印象である。敵役のシントラーやザーガンも魅力不足に感じた。
サクガン
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- さまざまな対立要素を散りばめ、ステレオタイプにならない複雑さを持つテーマ
- 閉塞感とワクワク感あるハードSF設定
- cons
- 設定を消化しきれなかったシリーズ構成(もしくは、制作リソース配分上の問題?)
まず、本作はProjectANIMAというDeNA、創通、文化放送、毎日放送のオリジナルアニメ制作プロジェクトの「SF・ロボットアニメ部門」の準大賞を受賞した作品である。原作小説として「削岩ラビリンスマーカー」というエブリスタ読める原作小説があるとの事。ただし、アニメ化にあたりネタバレを考慮して途中から非公開となっている(再公開時期は未定)。
大雑把感のある父親のガガンバーと、高IQ娘で冒険に憧れるのメメンプーの、父娘バディのSFアクション冒険活劇。舞台は地下で、コロニーという居住区間の周囲にあるラビリンスを移動しながらコロニー間を旅して、メメンプーが夢に見たという景色を探す冒険譚である。
コロニーを維持するための管理局、コロニーで労働するワーカー、コロニー間を冒険するマーカー、管理局を良く思わないテロ集団「シビト」、謎にコロニーを襲う怪獣など、かなりガチ目のSF設定を匂わせるが、本編ではそこまでハードSFには描かれず、各話ゲストとの1話完結のドラマに注力して描く作風だったと思う。個人的には、どことなく、ひと頃のタツノコプロ作品のような手触りを感じた。
主役メカは、マーカーがラビリンスを冒険する際の乗り物がマーカーボットと呼ばれるロボである。キャタピラーやワイヤーや削岩機を装備していてカッコ可愛いデザイン。これ以外にもワーカーボットや様々な乗り物のメカが登場するが、あくまでヒーローメカではなく、作業用メカとしてのデザインが踏襲される。
キャラデザも、アニメ的なデフォルメがありながら、老若男女、さまざまな体系のキャラが登場し、それぞれに味がある。この辺りも、タツノコプロ味を感じた要因だと思う。
次に物語・テーマについて。1話2話は、地下労働者であるガガンバーと娘のメメンプーが住むコロニーに怪獣が突如出現し、街を破壊し、知り合いのマーカーが死に、以前から切望していた冒険を始めるまでを描く。ガガンバーとメメンプーや周囲の人間とのやりとりやドラマ。メメンプーを守りながら一緒に旅をする決意。メメンプーの止められない純粋な好奇心。圧倒的な脅威としての怪獣との戦い。そうしたものが、心地よいテンポの演出で描かれる。
本作は、さまざまな相反する要素の対立と葛藤が散りばめられている。
- 管理局(管理)⇔ワーカー(被管理)
- ワーカー(束縛)⇔マーカー(自由)
- 管理局(現状保持)⇔シビト、怪獣(現状打破)
- 親(保護者)⇔子(被保護)
- ガガンバー(経験、保守)⇔メメンプー(知識、革新)
これらは、どちらが正義だ悪だとか、どちらがベターとか、単純に決められない一長一短のものである。これらが複雑に絡まった状態がカオスであり、この1点1点でのぶつかりでドラマが繰り広げられるというのが、大前提である。
個人的に気に入っているのは、ガガンバーやメメンプーやザクレットゥやユーリが仲間として一緒に行動できる事が描かれている点で、人間は思想や趣味趣向の違いがあっても、互いの多様性として認めるからこそ危険地帯でも協力し合って生き残れるというところ。これは、とても今風なテーマだと思う。
また、ラビリンスの世界がもう限界に来ていて先行き怪しいという世紀末感は、ある意味、リアル世界の環境問題を連想させる皮肉めいたものを感じさせる。また、地下のバブル(気泡)ともとれるコロニーという居住空間の閉塞感。そんな環境の中でも、最終的には、例え血は繋がっていなくても親が子供を命がけで守るのは当然という、屁理屈ではない生物の本能的な親子愛のドラマで締めくくられた安心感もあった。
ただし、終盤のシビトや、夢の風景や、ラビリンスの行く末など明確に描き切れていないネタが多数あった。感覚的には、1話2話あたりは丁寧な作り込みがされていたが、4話以降ドタバタコメディ色が濃くなり死と隣り合わせ感の緊張感が緩くなる。そういう意味でもシリーズを通して見てしまうと尻すぼみに感じた。本来、2クールぐらいのネタ量がありながら、予算的な事情で無理やり1クールに丸めたのではないかと勘ぐってしまう。その意味で、シリーズ構成には不満が残る。
総括すると、複雑で面白そうなネタを含みながら、エンタメ作品としてはネタを消化しきれず、小粒な作品に留まってしまった点が惜しい。それでも、各エピソードに様々な葛藤のドラマを配置しており、正解のないエンタメ的なテーゼの含みを持たせていた事は味わいだったと思う。アニメ作品として、粗さも目立つが、個人的には気持ちの良い作風だと感じた。
逆転世界ノ電池少女
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- テーマ(他人の「好き」の尊重)に対する凝った設定とシリーズ構成
- cons
- 基本的に茶化す芸風のためか、物語に流された感がある一部のキャラの違和感。
並行世界の真国日本の侵略によりオタク文化が否定された幻国日本で、オタク文化を取り戻すために戦うオタク達の活躍を描くオリジナルTVアニメ作品。シリアス30%、ギャグ70%くらいのライト寄りな作風。
シリーズ構成上江洲誠、監督安藤正臣、制作Lerche。キャラ原案の渡辺明夫の起用はゼロ年代オタク感のテイストを色濃く漂わせてイイ味を出している。
本作は、世界観というか設定が絶妙だと思う。そして、その設定を生かしたテーゼが二つあると思う。1つは「好き」を嗜む自由の尊重。並行世界の真国がオタク文化を嫌うのは軟弱で役に立たないから、という理由だが、だからと言って「好き」を否定し迫害する事は許されない。本作はリアルな諸外国ではなく並行世界の日本が迫害を行う点が設定の妙だと思う。もう1つは夢を通じて信じあえる信頼関係の良さ。幼少期の父親に裏切られた細道も、好きを信じる仲間と一緒に行動することで、冷めた自分から熱さで行動できるキャラに脱皮できた。
また、本作の設定で面白いのはガランドールというロボ設定であり、それを動かすパイロットと電池少女の関係の妙である。電池少女は幼気で純粋に「好き」なものがあり、その「好き」を引き出すことでガランドールは力を発揮する。そのためのパイロットは「好き」に共感してみせるのだが、その電池少女が3人もいて、とっかえひっかえパイロットは電池少女を攻略することになる。その意味ではギャルゲーの文法を踏襲していたとも言える。それぞれの電池少女を転がすように対応するパイロット役の細道の職業がホストという絶妙な設定。しかし、最終的には細道も、電池少女たちの熱に当てられて、幼少期の父親からの裏切りのトラウマを乗り越えて、オタク熱を発揮して敵である真国日本を撃退する、という胸熱展開のが大筋の物語の流れ。
本作は1話を見た時点で、3人の電池少女を攻略しつつ、最終的には細道のトラウマも解決しつつ、真国日本を撃退する、という物語の骨格はある程度予感されたものであり、想定道理の密度感でシリーズ構成の物語が編まれていたという意味では期待通りの文芸だったと思う。
しかしながら、本作の美点でもあるオタク文化を客観視点で茶化しながらオタク熱を見るという作風が、見やすい反面、熱血に水を差してしまい視聴者の熱血が臨界点を突破しないという、構造上の致命的な欠陥を持っていたと感じた。それは、バルザック山田が10年前にミミに対して照れ隠しした事が浅草事変の悲劇を生んだというオチだったり、真誅軍のアカツキ大佐が上長からの無理指令の反抗心からか、やけに素直にバルザック山田の説教を聞いて引き下がったとか、電池少女が3人いても細道の取り合う事もなく3人とも仲良しだとか、ご都合主義とギャグを紙一重にしてしまう事と直結していると思う(これはこれで高度な文芸ではあるのだが…)。個人的には、キャラの行動原理に矛盾があったり、物語に流されていると感じてしまうと、評価が下がってしまう性分なので、その意味で本作の文芸には、若干不満があったというのが率直な感想である(厳しくてごめんなさい)。
最後に本作をロボアニメとして見た際の感想について。ロボ自体はSD感あふれるデザインであり、ヤッターマン風味のあるコミカルなモノである。しかしながら、ロボ戦の敵味方のキャラの掛け合いは、紛れもなくロボアニメのものであり、ロボアニメ風味は十分にあったと思う。またキャラ的には真誅軍のお姉さまキャラのムサシがカッコよくてお気に入り。
総じて、ギャグ時々シリアスののディレクションに対し、凝った設定、シリーズ構成で作り上げてきた手腕は見事だったと思う。その反面、本作が茶化す芸風ゆえに、せっかくの熱い盛り上がりを軽く流してしまう感じがして、その点が個人的には気になった。
メガトン級ムサシ
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- ゲーム的でキッズにも分かりやすいロボバトル、キャラ、ドラマに反して、意外と骨太な物語
- cons
- (好みの問題だが)全般的にキッズ向きのディレクションであること
原作はアクションRPGゲームであり、アニメ放送中の2021年12月9日よりゲーム配信が開始された。原作はレベルファイブ、原案・総監督は日野晃博、アニメーション制作は、OLM Team Inoue。あくまで主軸はゲーム会社のゲームという感じがある。
ローグと呼ばれるロボは鉄人28号風味の古典的なシルエットだが、ディティールは今風で、可愛さとカッコよさを兼ね備えたデザインだと思う。ロボ戦は、無数の雑魚メカを大量に退治して、各話の最後に巨大なボスメカを退治するという感じのゲーム感溢れるもの。兵装が多く存在し、窮地に追い込まれたムサシがトリッキーは兵装の使い方でピンチを切り抜けたりするが、熱い!とも、んなアホな!ともとれる演出。リアルロボット路線とは対照的で、かなりゲーム寄りの演出である。なお、3DCGで描かれるロボはゲームと同じデータを使っているとの事。その意味で、アニメとゲーム画面のローグを見比べても違和感は感じない。もっとも、ゲームではローグ自体の手足のパーツやマテリアルを選択できるので、アニメと全く同じ機体というわけでも、なさそうだが…。
キャラデザのテイストはキッズ系でありながら、それなりに洗練されていて今風である。熱血破天荒タイプ、頭脳明晰タイプ、番長タイプなどなどキャラクターの棲み分けが明快で、ビジュアルも直結している。敵味方、子供大人、全てのキャラの分かりやすさ(=識別しやすさ)は熟考されていると感じた。
物語のバックグラウンドは、地球は異性人の侵略を受け地球がテラフォーミングされているという危機的状況の中で、パイロットとして選ばれた少年少女たちがロボに乗って敵と戦うというもの。少年少女は偽りの記憶と偽りの環境で平穏な学校生活を送っていると信じ込まされていたのだが、それは人類のメンタルを保つための措置であり、実際には地球はすでに侵略されていたという事実を知って異星人と戦うという流れ。このあたりは、ゲームのプレーヤーが戦闘に興じるための緩衝材としての設定であろう。なので、主人公たちのマインドは「やられたら、やり返す」という直球かつ、ヤンキーじみたモノ。この辺りに、深く考えないでゲームに没頭するための、単純さを極めたディレクションの工夫が見て取れる。
しかしながら、意外にも本作の物語は、群像劇的に古典的かつオペラ的な要素を含む骨太なもの。主人公は敵異星人の王女と恋仲になるとか、敵の王女は戦いを辞めさせるために母親である女王に楯突くとか、地球側の美人司令官が実は敵異星人でパイロットの一人と肉体関係にあったとか、いじめられっ子が意図的にいじめられる事で周囲の人間のメンタルを保つためのアンドロイドだったとか、とにかく濃い目の物語をキャラごとに何本かまとめてやっている感じ。物語の既視感はあるものの、それぞれのキャラの性格に破綻なく割り当ててる点は美点である。
なお、敵の王女のアーシェムは、美少女生徒会長の神崎に憑依して主人公の大和暗殺を企てるが失敗する。これを繰り返しているうちに大和の事が好きになってゆく、というジュブナイル感溢れるドラマが繰り広げられる。これに代表されているが、ドラマ展開もキッズにも分かりやすく、とのディレクションであろう。
総じて、ロボバトル、キャラ、ドラマなど、全般的にキッズにも浸透しやすい分かりやすいディレクションだが、群像劇的にオペラ的な骨太な物語を持つ作風。全てが子供だましというわけではなく、意外と大人も見れる物語がポイントである。これはゲームのターゲット層の上下幅を広くとる戦略ではないかと勘ぐる。そこに違和感を感じないでもないが、全てはディレクションだと理解してしまえば、楽しく受け入れられる作風だと感じた。
ちなみに、OP曲の「MUSASHI」はラップ曲なのだが繰り返し聴いているとだんだん癖になる良き曲。ED曲の「滅亡世界のバラッド」はバラードなのだが、こちらも今風にアップテンポな雰囲気の曲。これらの曲の作詞も日野晃博が行っている。なお、ED曲の絵面は、敵の王女アーシェムが夜の水面で一人激しくダンスするシルエットなのだが、これはアーシェムが内に秘める激情を表現しているのだろう。とは理解するものの、毎回EDの絵をみながら、なぜこの絵面?とか毎回思っていた。
闘神機ジーズフレーム
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- 美少女、ロボ、宇宙戦艦など古典とも言えるマクロス的な日本SFアニメ要素
- テイストの古さゆえに、癖がなくて素直な演出&劇伴で盛り上がるドラマ
- cons
- 今時の他作品に比べて低い演出、作画などの画面作りのクオリティ
本作をざっくり言うと、謎の宇宙生命体の侵略に対し、遺跡で発掘したロボに美少女が搭乗して戦うロボアニメである。
本作を語るには、まず本作のバックボーンに触れておく必要がある。
本作は、中国では「斗神姬 Ancient G’s Frame」のタイトルでbilibili動画で配信され、同時期に日本にも配信・放送された。日本での告知は放送1週間前という直前のタイミング。制作は中国のセブンストーン(七灵石)だが、蓋を開けてみれば、シリーズ構成、キャラクター原案、メカデザイン、音楽は、日本人スタッフの名前が並ぶ。各話脚本や、絵コンテも放送毎に日本人スタッフの名前が出てくるという感じで、上流工程は日本で作られていたように思われるが、実際のところ上流工程で中国側がどの程度関わっていたかは不明。日本語のキャストもかなり前に収録していた模様。
で、実際のアニメーション映像を見てみると、アニメーション映像のクオリティとしてはぶっちゃけ低い。レイアウト、絵コンテ、原画、動画、そうしたものが全くこなれておらず、煮詰めが足りない感じがした。
ここからは、全くの妄想だが、もともと日本で制作する企画が何らかの原因で企画倒れたコンテンツそのものをセブンストーンが買い取ったのか? 中国側から日本アニメ的なモノを作りたくてコア部分を日本側に発注したのか? 作品の内容よりも作品の制作経緯の謎が気になるという、奇妙な作品である。その意味では、単純に中国産アニメとは分類できず、どちらかというと日中合作のイメージが近いのかなと想像する。
それはそうと、制作経緯とコンテンツの善し悪しは切り離して考えるべきだろう。
本作は美少女、ロボ、宇宙戦艦、SF設定などの、古典とも言えるマクロス的な日本アニメ要素をふんだんに盛り込む。そして、主人公の麗華が朝食抜きで走ってきて乗り遅れたバスを止めるとか、父親が革新的なエネルギーを発明した天才技術者とか、エンシェントガールズというアイドルグループのオーディションを装って人類最期の切り札とも言えるジーズフレームのパイロットを一般公募するとか、いきなり麗華がジーズフレームに搭乗して敵を撃退するとか、お約束要素が満載である。主人公の麗華は、おっちょこちょいだが、行動は直球で頑固。姉の麗雨や先輩のジョティスを喪ったことで、犠牲者を出さないために命令や自分の命を顧みずに行動する熱い展開である。しかし、命令無視や自己犠牲は今のご時世良く思われず、エンタメでそれを賛美して描かれる事は少なくなった。その意味では最近のトレンドとは異なるテイストであり、ストレートに言えば、文芸や演出が20年くらい古い。
しかし、である。麗華が姉の麗雨の事が大好きで、姉を探す目的は徹頭徹尾貫かれておりブレが無い。また、人間が規則の正しさと感情を天秤にかけて二択を迫られた時、物語の中であれば感情を優先して行動する事を許容できるし、それでこそ視聴者もまた救われる。ゆえに、本作では「命令無視」は時に誉め言葉として使われる。そういうベタなエンタメ作品としての軸がしっかりしているので安心して楽しむ事ができる。皮肉にも、無茶展開が許されない昨今の日本のアニメ群の中にあって、本作は逆にエンタメ作品としての安定感が引き立っている。むしろ、その荒削りのお約束展開をポジティブに受け入れられたとき、地道に良く出来た熱い展開と、素直な演出、劇伴によりノリノリで楽しめた。
勿論、これは個人的な見解であり、好みが分かれるところではある。なので、本作の第一印象でアニメーションのクオリティが低いとか、主人公が稚拙だとかで切り捨てるのは勿体ないし、偏見なく作品の良さを推したい、という気持ちである。余談ながら、今期だと似たようなテイストの作品としては「メガトン級ムサシ」があり、逆のテイスト(=エンタメ作品としてブレブレ)の作品としては「境界戦機」がある。
キャラクターやメカのモチーフとなる神様は多国籍なのが面白い。中国(麗華は中国版では中国人)、メキシコ、サウジアラビア、インドなど。インド人のジョティスはプライベートでシタールを奏でたり、イスラム教徒のアルヘナはシジャブで頭を覆っている。麗華のジーズフレームのシェンノン(農神)は中国の医療と農業の神様。合体して巨大ロボになるフーシー(伏羲)とニューワ(女媧)も上半身が人間で下半身が蛇の姿で絡み合う天地創造の二人の神様がモチーフ。ククルカンは翼ある蛇、パピルサグは人馬など、形も神話をなぞらえる。
本作のSF要素もなかなか凝っている。まず、DG(ディバイングレース)エネルギーと敵ネルガルの因果関係について。錬金術のようなクリーンで理想のエネルギー源とされたDGは、実は異空間からエネルギーを盗み食いするようなもので、多元空間の秩序を守るためにネルガルは地球に警告・攻撃してきた流れ。人類は既にDGに依存しきっていたので、最終決戦で全てのDGが停止して大混乱に陥るというクライマックス。他にも、外宇宙より古代の地球に飛来してきた超技術を持つニビル人が残した古代遺跡のロボが世界各地の神々を模していたりとか、既視感はありつつも練られた設定と感じた。
繰り返しになるが物語の軸は、主人公麗華の姉麗雨を探し、取り戻すまでの旅である。麗華は麗雨やジョティスを喪った哀しみが強いため、これ以上の犠牲者を出さないため直球で行動する。だから、木星でネルガルにUIにされていた麗雨を救出するため命令無視して単独で突っ走るし、救出した麗雨が朦朧としていてネルガル洗脳疑惑があるなか側に寄り添い必死に姉に呼びかける。麗雨も少しづつ人間性を取り戻し、最終決戦ではジョティスと共闘してネルガルを駆逐した。全てが終わった1年後、麗雨はめでたく結婚式を挙げるエピローグだが、毛髪の灰色のままであった事が、忌まわしい戦いの記憶と共に未来を生きてゆくという復興への強い思いに感じた。
最終決戦で白い巨人に搭乗するエアの犠牲によりネルガルの封印に成功する。なので、麗雨とジョティスに再会できた麗華が、唯一救えなかった仲間がニビル人のエアとなる(エアは正確にはニビル人が残した有機アンドロイド)。エアには火星に残ったニビル人を死滅させてしまったという自責の念があったため、最後のニビル人として、今度こそニビル人と地球人の混血の子孫がいる地球を命がけで守った、という形である。
境界戦機
- rating
- ★★☆☆☆
- pros
- 制作者のロボ好きが伝わってくる、ある意味、誠実で古典的な良きロボアクション
- cons
- 描かれる人間社会がカオスなため、突き抜けた爽快感もなく、息苦しささえ感じる混沌とした文芸
まずは、ざっくりしたあらすじから。
本作は、周辺4国に分割統治された日本で、家族も希望も持たなかった主人公アモウが、AIのガイと人型兵器(MAILeS)のケンブを手に入れた事をきっかけに、日本のレジスタンスの八咫烏に関りながら戦闘に身を投じてく姿を通して描かれる物語である。八咫烏には、ケンブの他にガシンが搭乗するジョーガン、シオンが搭乗するレイキの合計3体の人型兵器が存在する。日本人を守るため分割当時諸国と戦闘をするアモウたちだったが、そんな中、ゴーストと呼ばれる暴走無人機が出現。アモウたちはこのゴーストの暴走を食い止めようとする。
まず、アニメーションとしての出来について。
本作はロボアニメなので、ロボアクションはその肝であるが、その部分は良くできている。ケンブ(=近接格闘)、ジョーガン(=射撃)、レイキ(=飛行)と各人型兵器の特徴を生かした連携でゴーストと戦闘はロボアニメの見所であり熱く丁寧に作られてる。「ロボは手描き」を売り文句にしており戦闘シーンの外連味を重視していると感じた。
キャラデザ的はどちらかと言えばキッズ寄り。全体的にシンプルでスッキリしたラインが特徴で、それは大人キャラにも共通している。本作のターゲットをピンポイント化せず間口を広く狙っているように思える。
メカデザイン的には、全般的に兵器的でありながら、主人公たちのロボはヒーローロボの文法に則って作られている。本作はロボのプラモデル販売を前提とした企画であり、3D化を強く意識した造形である。特に足のラインは直立時にS字クランクを描くような造形で、一見カッコ悪く見えるが、無理なく膠着ポーズをとれるような合理的なデザインになっている。
アモウたちの搭乗する機体には、パイロットのパートナーともいえるAIユニットが搭載されており、マスコット的なキャラクターでコックピット内やスマホに映像化され、メカとパイロットのフレンドリーな関係を演出する。これらの優秀なAIは八咫烏の機体のみが採用しており、分割統治各国の機体には搭載されていない。また、無無差別破壊を繰り返すゴーストの機体にもAIが存在しており、その意味で、AIが人間の味方にも敵にもなる事が描かれていた。
さて、本作のテーマみたいな事を考えていたのだが、なかなか整理がつかない。それは、本作がカオス(=混迷)そのものを描こうとしているからかも知れない。
家族も希望も何も持たない主人公アモウが日本人が尊厳を取り戻すための物語という一面は間違いなくある。そのために、しいたげらていても自尊心を失わない日本人や、困っている日本人を助ける八咫烏の戦いを描く。5話でアモウはアジア軍の悪代官に勢い余って「日本人をイジめる奴は許さない」と啖呵を切る(悪代官を殺さないのがミソ)。ここ単体で見れば良くある勧善懲悪のシンプルなエンタメ作品である。
ただし、アモウ自体はもともと成り行きで戦い始めた後も戦闘は避けたいという性格付けで、4話で親しくなったリサがゴーストとの戦闘で亡くなった直後も、八咫烏を抜けるつもりだった。5話を経て、結局八咫烏に留まり戦闘を続ける決意をするが、その後も好戦的というわけではない。ただ、様々な人との関りの中で、大切なものを守るために諦めない熱意が芽生える変化があり、13話でゴーストと刺し違えた。このアモウの繊細なメンタルを描くドラマは本作の美点でもあろう。
また、分割統治諸国の軍人も一癖も二癖もあるような人物は居ても憎むべき親の仇ではないし、八咫烏も各国の軍人も大量虐殺のような事はせず、ある程度の理性を持って振舞っているように見える(5話の悪代官除く)。また、9話では自分の自治区を守るため八咫烏の情報をアジア軍に売るという日本人や、敵対勢力に関係なくビジネスを広げる兵器商人など、それぞれの正義で動く様々な人間たちが登場する。人間側はそれぞれの正義があるだけで完全悪がないというカオスな状態である。そこで、作劇場の絶対悪として無差別破壊を繰り返す暴走AIであるゴーストを設定したと思われる。
つまり、主人公が単なる人殺しにならない事や、戦争の善悪をステレオタイプに描く事の脱却なのではないかと思う。それは令和時代のエンタメとして配慮すべき点なのだろう。本作がプラモデルを販売しロボや作品世界を愛してもらう前提だとすると、このディレクションも理解できなくはない。極端な例を挙げれば、今期放送された「海賊王女」のような手下が血しぶきを吹きながら次々斬り殺されていくという昭和のチャンバラ的な作風は、今の子供を含めたターゲットの作品では厳しいという事なのであろう。ただし、この小難しいロジックで批判を回避しながらの作風であるがゆえに、エンタメ作品としての爽快感のようなモノはかなり失われてしまっていると感じた。本作の感想はこれに尽きる。
「令和時代の兵器としてのロボアニメ」という命題に対して、色々と悩みながら作っているな、とは感じるがそのカオスにより、突き抜けたところがなく、ではどうすれば良いかというのも私自身も分からず、という悶々とした気分になった作品だった。
86 -エイティシックス- …18話~21話のみ
- rating
- 評価保留
- pros
- 美しいとさえ感じる迫力ある戦闘シーンと叙情的で美しい背景美術
- シンの孤独な呪いとの戦いのハードボイルドなドラマと文芸
- cons
- 特になし
実は18話~21話の4話しか視聴していないのですが、圧倒的に美しくてカッコいい戦闘シーン。背景美術の植物や自然の美しさ。シンの孤独な呪われし運命と、狂気と正気の狭間の危うさのドラマ。フレデリカの人間として真っ当な祈り。色々なモノが心に刺さりました。
とにかく戦闘シーンの迫力が凄い。ヌルヌルと動く大量の敵メカ。ニュータイプ張りに極限稼働するシンの多脚戦車、質量を感じさせる低空飛行爆撃機や、敵巨大列車砲モルフォ。音響的にも着弾音やサーボ音のSEが迫力ある演出に一役買っていたと思う。
そして、心情を映す背景美術の美しさ。破壊された市街地などを抜け、目的であるモルフォに近づくにつれ人気(ひとけ)が無くなり、花や昆虫などの自然の美しさが強調して描かれ、幻想的ともいえるノイズのないクリアな景色の中で戦闘が繰り広げられてゆく。心情と背景がリンクして研ぎ澄まされてゆく映像感覚。
シン自信が死神として呪われた暗い面を持ちながら、戦闘中に薄ら笑いを浮かべて死に場所を求めるように戦う。大統領や仲間やフレデリカから、あれだけ生きて帰還する事を言われているのに、そっちの世界に棲む資格は無いと言うシンの孤独感とハードボイルドさ。
こうしたシリアスな文芸や丁寧な作画を映像として結晶化させ、それを信じさせるためには並々ならぬ演出力、表現力が必要だと思う。
最終的にはシンの魂が呪いから救われてほしいと願いますが、それは3月末の22話、23話までお預けという事なので、心して待つというところ。
おわりに
今期はロボアニメ大量発生との事で、普段よりも多く視聴していましたが、どのロボアニメも一長一短という感じで、強く刺さる作品はありませんでした。
そんな中で、個人的にはアクアトープとやくもが1クール目の実績の裏付けもあり、安定の面白さでした。
個人的には製作委員会がない海賊王女に期待していたのですが、物語の最後のアレっと思う展開で、製作委員会も一長一短だなと感じました。
思いがけず良かった、86-エイティシックス-については、23話の視聴を終えた時点でブログに書ければ、と思っています。