たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

映画 ゆるキャン△

ネタバレ全開につき閲覧にご注意ください。

はじめに

ある意味、エポックメイキングな作品となったTVシリーズの「ゆるキャン△」。その映画の感想・考察です。

10年後の大人の5人を描くという事で、色々と身構えて観てきましたが、想像以上にゆるキャン△そのものでした。

ちなみに、TVシリーズ1期の感想・考察も書いていますので、良ければこちらも読んでみてください。何が変わって、何が変わらなかったのか。その辺りをずっと考えていました。

感想・考察

テーマ

JKから社会人への変化

TVシリーズから映画の5人の変化点を下記に列挙する。

No. 項目 TVシリーズ 映画 備考
1 職業 JK 社会人
2 年齢 16,17才? 26,27才くらい? 年齢は推測
3 時間 ある ない
4 お金 ない ある キャンプ用品くらい買える
5 キャンプ 毎週のように 遠ざかってる
(なでしこ除く)
6 ストレス
心配事
少ない 多い

TVシリーズでは、JK時代の楽しいキャンプ生活を描いた。何をしても新鮮でキラキラ輝いていた。気の置けない仲間とも馬鹿言って語り合った。

映画では、10年くらい経過し社会人となった5人を描く。みんな仕事も住所もバラバラ。最後にみんなで集まったのは3年前のキャンプ。それぞれの生活に追われ、キャンプも遠ざかっていたが、ゆるくSNSで繋がってはいる。

ちなみに、大人になった5人ではあるが、異性関連については触れられていない。流石に結婚話はなかったが、恋愛や失恋の1つや2つあってもおかしくはない。しかしまぁ、そこはファンの心情を考慮してスルーしてくれたスタッフのファンに対する優しさだろう。とりあえず、現状で5人ともシングルでフリーの扱いだったと思う。

大人になった5人は、それぞれに何らかの行き詰まりを抱えていた。リンは仕事の成長、大垣は観光推進機構での今回のプロジェクト、あおいは赴任先の小学校の廃校、恵那は愛犬のちくわの老衰、なでしこは、多分販売員としての業績のように思えた。誰もが順風満帆ではなく、少しだけ人生の陰りのようなモノを漂わせていた。

ここが、TVシリーズと映画の最大の変化である。つまり、ストレスフリーと言われていたTVシリーズに対し、明確にキャラ(≒観客)にストレスを与えるディレクションになっている。それは、多くの観客もまた社会人であり、仕事をしながら趣味でキャンプを楽しむ人たちに寄せて共感できるようにするためだったのではないかと思う。

5人が集まるという意味

個人的な事を言うと、私も高校時代につるんでいた友達が数人いて、掛け替えのない宝だな、とかはたまに思う。勿論、片田舎の高校の友達ゆえに、大人になってみるともっと凄い人は世の中たくさんいる事も分かってくるのだが、この時の友達ほど気さくな会話ができる関係というのは、その後はなかなか出来ないものである。

高校を卒業し、就職や大学進学、地元に残る者、都会に移り住む者、みなバラバラになったが、正月やお盆の帰省で集まって飲みに行ったり。そうこうして、みな家庭を持ったり、独身もいたり、生活も変わったり、仕事も変わったり。そしてだんだん疎遠になり集まる事も少なくなっていった。そういえば、コロナ禍になった頃、リモート飲み会したな、とか。

社会人になってこうした友人と飲み会で語り合い、自慢したり、愚痴ったりする事もあるが、彼らとは損得勘定の打算がないから、本音をぶつけられる。例えその事で問題が解決しなくても、ただ聞いてくれるだけで気休めになる。無理すんな、の一言で気持ちが軽くなったり。時には、既婚女性に惚れてしまったなどと告白されて、無責任に不倫を応援するのもなんだし、辛いな、くらいの相槌しか出来なかったが、それでも聞いてくれてありがとうと彼は言っていた。

話がかなり脱線したが、今回の映画を観て、なでしこたち5人の友人関係に、こうした自分の高校時代の友人関係と似た感覚を持ったファンは多いのではないだろうか。

この5人の関係で感じるのは、誰かが困っていたときに、その問題を排除したり、解決したりしてくれるわけじゃない。問題に立ち向かうのはあくまで自分で、ただ側にいて話を聞いてくれたり、誰かの行いが他の誰かの勇気になったり。一緒に馬鹿騒ぎしてガス抜きしてくれたり。そうした、互いに依存し過ぎない、ある意味ドライさなのだが、それが良いなと思う。そして、その距離感は、ゆるキャン△が延々と描いてきたモノだと思う。

何を「再生」したのか?

本作のテーマが「再生」にある事は明白だと思う。

  • なでしこ、リン、千明、あおい、恵那の5人
    • キャンプ熱の再来
    • 行き詰まり感じていたメンタルの再生
  • キャンプ場作り
    • 閉鎖施設や設備の再利用
    • 縄文時代の住空間をキャンプ場として再生

一番大きいのは、細くなっていた5人の繋がりが、以前のように太くなった事だと思う。それは、ラストの5人とも個人のテントを持ち寄って年越しキャンプをした事が象徴となっている。

また、社会人になりすり減ったメンタルは、友達との交流を通して癒されていく。小学校の廃校を悲しむあおいの気持ちに千明が寄り添い、なでしこのキャンプの楽しさの伝搬が喜びと言う話を聞いて、リンの励ましになったり。そうして、今の人生をまた一歩踏み出してゆく。

キャンプというのは非日常であり、ゆっくりとした時間の中で過ごす事で、新たな気付きや気持ちの整理ができたりもする。そして、キャンプが終われば日常に戻る。なでしこがリンと八ヶ岳の秘湯で湯治するのも同じこと。キャンプ自体が「再生」との相性が良いテーマだと思う。

そして、リンが劇中で決めたキャンプ場作りのテーマは「再生」。建物や巨大鳥かごやドラム缶や小学校の遊具を再利用し、インフラを再整備した事は、「再生」と直結している。

ちょっと面白いのが、縄文時代の住空間を時代を超えてキャンプ場に再利用するという考え方。キャンプ生活が、電気もガスも無かった縄文人の生活スタイルに近づいてゆくことになるという発想。キャンプを通じて、同じ星空を見て、同じ景色を見て、縄文人と同じ空間を過ごすという体験。これは、時代を超えた住空間の再利用を描いていたとも言えるだろう。

ラストの5つのテントの意味

EDでは、キャンプ場オープンから年末までの間の3か月間の5人の様子が描かれる。そして、ラストに5人がそれぞれのテントで元旦のダイアモンド富士を見る姿で映画は終わる。

それはもちろん、2期2話で千明とあおいが拝みそびれた初日の出のリベンジという意味もあるが、それだけではない。

工事中はなでしこがレンタルしてきた巨大テントで一緒に寝ていたというのは、なでしこやリンはともかく他のメンバーはテントを持っていなかったからではないかと思う。それがラストでは、各自テントを持ってきているという事は、趣味としてのキャンプが再開したと捉えてもよいだろう。そして、同じキャンプ場でありながらテントが違うことで、本作のテーマでもあるソロキャン(=自分に向き合う)的なニュアンスも漂わせる。

この1カットを持って、依存し過ぎず、ときおり交差して楽しい時を過ごして息抜きする、大人の5人のよき関係の復活を宣言していたと思う。

それは、TVシリーズから連綿とつながるゆるキャン△の良さであり、映画でも変わらなかった本作の魅力だと思う。

キャラクター

志摩リン

ストイックで本好きのリンは、名古屋で出版社に勤めていた。営業から編集に配属が変わり、この職場ではまだ半人前である。祖父の大型バイクを譲り受け、ときおりツーリングにでかける。バイク屋の店員の綾乃とも繋がっていたりする。満員電車に揺られての通勤、企画はボツる、色々と行き詰まりを感じていたところであろう。

千明に無理やり頼まれて、キャンプ場作りをOKするが、それを連載企画として採用され、仕事でもそれで回り始めた。しかし、その事が職場の先輩の負担になっている事を後で知る。

キャンプというのは非日常を過ごすが、いずれ日常に戻る。この非日常で普段過多になっている情報を遮断し、自分を見つめ直したりできるところが良い所だろう。また、名古屋から山梨までバイクで4時間のツーリングである。このツーリングで、とりとめのない事が脳裏に浮かんでは消えて行くのも、キャンプ同様の非日常の効果があると思う。

リンはキャンプ場作りにおいて、自分が過去キャンプしていたキャンプ場を周り、コンセプトを確認する。これにより、自分の過去のキャンプを振り返り、自分たちの新たなキャンプ場のディレクションを決める。これは、ある意味創作活動であり、今のリンの仕事だからこそである。本作の「再生」というテーマは色んな意味にかけられているが、リンにとっての「再生」は、何もかも手を入れて綺麗にしてしまうのではなく、今あるものを受け入れて味わう、というニュアンスに感じた。

そして、遺跡発掘→キャンプ場作り頓挫→先輩に甘え過ぎた→仕事に励む→ますますキャンプ場作りから遠のく、という流れのなかで、リン自身も以前にもまして仕事に追われ疲労困憊してゆく。

そんな時、なでしこの誘いにより、八ヶ岳の秘湯まで湯治に行く。それは、なでしこからの、停滞する今の状況にモヤモヤする気持ちの共有と、意気込みの告白だった。キャンプの楽しさを広めたい。そして、リンちゃんなら出来るよ、の台詞。5人の中で一番忙しくて、負担が大きく、しかも今作業が頓挫しているから、リンの心が一番折れやすい。だからこそ、なでしこも一緒に成し遂げたい気持ちを伝えた。その後、二人で市庁舎に直行する展開が熱い。

オープン当日のビーノの活躍は、完全にファンサービスであろう。我らのリンちゃんの復活を高らかに気持ちよく宣言するものであった。

各務原なでしこ

常にポジティブでバイタリティー溢れるなでしこ。キャンプだけでなく普段からロードバイクに乗るストロングスタイルのアウトドア女子になっていた。東京でアウトドアショップの販売員の仕事をしていた。

本作のなでしこは、JK時代に比べ、なんとなく心の片隅にモヤモヤを抱えていたような気がした。それは、絵の表情の雰囲気だったり、声の演技だったりしたのかもしれない。単純に大人になって落ち着いただけだったのかも知れない。

しかし、各キャラが何らかの行き詰まりや悩みを抱えていた事を考えると、もしかしたら、なでしこは自分の営業スタイルに少し自信を無くしていたのではないかと思った。お客様のニーズと予算を考慮するのはいいのだが、他店の商品をすすめてしまうのは販売職としては致命的であろう。店長は大目に見ていたが、そこをなでしこ自身も引っかかっていたのではなかろうか。

キャンプ場作りが遺跡発掘のために頓挫しているとき、八ヶ岳の秘湯でリンに告白する。キャンプの楽しさを伝搬し拡散したい。その気持ちは、リンに発破をかける言葉になったが、なでしこ自身への言い聞かせにも思えた。

最終的に、なでしこはガスランタンの購入で迷うJK3人組の背中を押す事ができた。ガスランタンはなでしこが最初にバイトで買ったキャンプ用品である。

結局、なでしこにブレがあったのか否かは分からない。でも、なでしこの生き方と思いは、キャンプ場造りを通してより強固になる。

大垣千明

千明は、いつも言い出しっぺで、みんなを引っ搔き回す。ある意味、問題児である。

今回のキャンプ場作りの件は、他のメンツはともかくリンが一番説得に手間がかかる事を見越して、最初にリンを口説くという作戦だったのではないかと想像する。気遣いはできるが、巻き込むと決めたら強引なヤツ。だが、憎めない。リンを無理やり連れて来たのは、リンに土下座して頼むのと同じ事だが、その重さをリンも理解しているところが良い。

遺跡発掘でキャンプ場作りが頓挫しそうになった時は、千明が一番辛かったであろう。それこそ、みんなに土下座してもいいくらいに。最終的には、千明のプレゼンの甲斐あって、市を説得してキャンプ場作りを継続に持ち込んだ。

そのプレゼン内容が今風である。まず、自分たちがキャンプ場作りの思いを語り、遺跡発掘も肯定し、最終的に相乗効果でWin-Winとなるハイブリッド案を提案する。誰も否定せず、全てを肯定するゆるキャン△のスタイルそのものである。

プレゼン資料は恵那が作ったのだろうが、その道筋を考えたのは誰だろうか。非常に興味深い。

犬山あおい

あおいは、勤務先の小学校が廃校になる事に心を痛めていた。これは、大切なモノとの別れである。

単純に話を盛り上げるなら、大切な人との死別を差し込むところだが、ここはゆるキャン△のテイストで、小学校の廃校というイベントにしているのだと思う。本作が10年後という時空を超えた話ゆえに、止められない時間と避けられない別れを受け止めるという儀式を描いていたと思う。

あおいは、「嘘やで」の言葉を使って心で泣いて、千明はそれを理解して受け止めた。別れの事実は変えられない。慰めや、励ましの言葉が欲しいわけじゃない。でも、その悲しみを誰かが知ってくれているだけで、気持ちは軽くなったりする。そうした関係に思えた。

斉藤恵

恵那は、ペットのちくわとの別れの予感が描かれた。あおいが「別れ」を描いたことに対して、これから「別れ」が訪れる者としての寂しさである。

恵那は横浜暮らしで、ちくわは山梨の実家暮らし。残された時間は少ないが離れて暮らす事もあり、さらに時間は限られる。散歩して河原に腰掛けて、「温かいね」というシーンでグッとくる。

余談だが、ゆるキャン△のキャラは行動や思考が男性である、という話をよくする。だから、ストイックなリンや豪快ななでしこや、引っ掻き回し役の千明や、お笑い担当のあおいの事を、こういうヤツ居ると思える。しかし、恵那だけは、女性であり本作のヒロインであると思う。

OP曲/ED曲

今回も、曲が良い。

ED曲の「ミモザ」の花言葉には「友達」という意味も含まれているとの事。ワルツなのが良い感じの曲。

また、OP曲はゆるキャン△のテイストそのもので、朝に聴きたい曲。

おわりに

映画ゆるキャン△は、10年後の大人になった5人を描く、という意味で挑戦的な作品だったと思います。

多くの観客は大人で、なでしこたちがその大人に追いついた形であり、その意味でより大人の観客に沁みる内容になっていたと思います。

そして、変に成長を描くのではなく、5人のテイストを大切にして、楽しさはそのままにしているところが非常に嬉しかったところです。

おそらく、アニメの「ゆるキャン△」は、映画で幕を閉じるのだと思いますが、本当に良いエンドだったと思います。