たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

2022年夏期アニメ感想総括

はじめに

2022年夏期のアニメ感想総括です。

今期、最後まで視聴した作品は下記です。

  • 連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ
  • リコリス・リコイル
  • Extream Hearts
  • 彼女お借りします 2期
  • 咲う アルスノトリア すんっ!
  • Engage Kiss
  • プリマドール

また、下記は継続OA中なので、終了してから追記予定です。

  • シャインポスト(2022.10.21追記)
  • ラブライブ!スーパースター!! 2期(2022.10.21追記)

シャインポストは、今期一番ドハマりした作品ですが、1話〜4話の感想をブログに書いていますので、良ければこちらもご覧ください。

以下、いつもの感想です。

感想・考察

連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ

  • rate
    • ★★★★★
  • pros
    • 映画のように情緒的な美しいシーンを丁寧に積み重ねてゆく、滋味深い作風
    • エロ風味を取り除いた、シンプルなキャラの可愛さ
  • cons
    • 特になし

本作は、ストライク・ウィッチーズの世界で紡がれる、戦闘をするのではなく、歌を唄うウィッチたちの物語である。ちなみに、キャラクター原案は島田フミカネだが、この世界にはパンモロはなく、健全なラインのディレクションである。

制作はシャフト、監督は佐伯昭志、シリーズ構成は佐伯昭志と東冨耶子は、「アサルトリリィ Bouquet」と同じ座組。これだけでアニメーションとしてのクオリティは担保されたようなものである。そこに、副監督に春藤佳奈、脚本には監督の他に森遥、山崎莉乃、春藤佳奈の3名の女性が参画しており、作品に女性っぽさを吹き込む。

本作の特徴は、詩的なシーンの積み重ねによる映像の美しさにあると思う。もう少し具体的に言うと、背景美術や劇伴や脚本が映画的というか、大人っぽいというか、観ていて心に沁みるシーンが多い。もちろん、美少女キャラアニメなので、可愛さ、賑やかさはあるが、ベースとなる映像の落ち着きが本作の肝になっていると思う。バトルシーンが極端に少ない事も起因していると思うが、映画的な重厚なドラマ作りに重きを置いたディレクションだと思う。それゆえに、地味な印象を持たれてしまうかもしれない。

オーケストラによる劇伴の重厚な音作りだったり、歌唱曲がアメイジンググレイスシャンソンぽい曲だったり、1944年という時代に見合って古風な音作りや選曲である(そのせいで、ルミナスの曲が今のアイドル曲みたいになって若干浮いてしまうほどに)。

また、空の映像も美しいものが多い。ルミナスはストライカーを装着して大空を編隊飛行するが、光の粒子をひこうき雲のように引きながら飛行する。そのためか、真夜中や真昼間だけでなく、夕焼けや朝焼けなど色んな時間の空の飛行シーンが多くある。また、4話のルミナスお披露目回だったがラストカットはひこうき雲の五線譜に9つの星が音符のように配置されて輝く、というなかなか詩的なレイアウトも凝っている。

シリーズ構成としては、下記のように分割できる。この流れ、この刻みの中でルミナスのメンバーの絆の深まりが描かれてゆく。

  • 1〜3話:ポンコツウィッチが集まり音楽隊を始める。
  • 4〜6話:音楽隊の開始とワールドツアー前半。 「𝄋」
  • 7〜9話:ワールドツアーの後半とガリア解放。
  • 10〜12話:ジニーの別れとルミナス復帰。 「D.S.」

個人的に印象に残っているのは6話と10話。

6話の主役はマリアとマナ。二人が喧嘩し仲直りする物語だが、少女の繊細な心理描写が秀逸な回だった。元気印のマナと虚弱でロジカルなマリア。ルミナスの振付担当(アクロバット飛行含む)の凸凹コンビである。シールドを用いた高難度の飛行演目で高みを目指したい気持ちと、虚弱でアクロバット飛行が苦手なため地上訓練を優先してしまう弱さの間で、弱さに傾きかけたマリア。マナは飛行訓練が少ない事に不満を抱く。マリアは自分自身への苛立ちから、マナに八つ当たりしてしまい気まずくなる。マリアは自分が嫌になって捨てた高難度の飛行設計図を拾ったマナが、これをやりたいとマリアに詰め寄り抱きしめると、マリアは自分を卑怯者と大泣きする。マナが泣きじゃくるマリアを連れてストライカーで飛んで、互いに本音をぶつけながら飛行プランを固めてゆく。つまり、雨降って地固まる的な話である。ここまでの説明だと、マナは包容力がある徳の高い子に見えるかもしれないが、そうでもない。マナはマリアと険悪になったとき、ジニーから「(マリアのことを)嫌いじゃないよね」と尋ねられ、戸惑いながら「嫌いという感情が分らない」★現物確認★と返す。つまり、マリアの事を一瞬嫌いになっている。そこからの仲直りだからこそ尊い。このような、自分でもコントロールしきれない繊細な子供心を丁寧に描いていた事を高く評価したい。

10話の主役はガリア出身のエリーである。この回も映画的、情緒的なシーンの連続で、言語化しにくい本作の良さが際立つ。何事も茶化しがちなエリーが、封印していた自分の過去と本気で向き合い、受け入れる。人のいない廃墟のパリでの実感の無さ、故郷(=過去)の緩やかな自然の回復、そして戦争で不本意ながら残してきた子猫が大きくなって親猫になっていた事実が、エリーの心を潤して涙を流す。もう一人の主役はモフィとの突然の別れが訪れるジニー。夕焼けの沼のほとりでモフィが群れに戻って飛んでゆくシーンの美しさ。ジニーが瞬きをした次のシーンからモフィの羽(=使い魔)が見えなくなるシーンの物悲しさ。こうした映画のような心情描写は本作の真骨頂である。

11話は、故郷に戻ろうとするジニーが出発前の列車内で乗客全員によるルミナスの曲の合唱を聴いて、やっと今の居場所がルミナスだと再認識してみんなと合流するまで。12話は、ガリアでのコンサートで、スーパーモフィとの再契約、世界中の人と双方向で繋がる多幸感を描いた。最終的には、モフィはノーマルに戻り、2年目のルミナスの活動開始を描いて終わる。これは、4話に戻るダルセーニョである点が洒落ている。歌う事で聴く人を、世界を、そしてルミナスメンバー全員を幸せにするという、超ハッピーエンドの大団円が心地良い。

キャラとしては、主人公のジニーは表裏が無く、嫌味なところがまったくない、純粋さだけのキャラであった事が印象深い。ルミナスが上手く行かない時も、ジニーが居るだけで一歩前に進める。ある種の神々しささえ感じさせた。シリーズ通しても家族や身の上に触れられることなくミステリアスな存在であった。そして、ジニーのドラマは自身の居場所というテーマでラスト3話かけてじっくり描かれた。

ジニーは人に与えるが、自分は求めない。自分自身の優先順位が低いとも言えるのかもしれない。それは、ナイトウィッチなのに魔導波を発信できない欠陥にも似た、ジニーの欠落していた「何か」のようにも思えた。ジニーはモフィと別れた後、暗黙的にルールに従ったが、最後には歌の力で、歌いたい!という自分の素直な気持ちに気付き行動した。見えない羽で繋がっていたモフィが、ジニーの気持ちに反応し再契約してくれたことで、再び飛ぶことができた。

本作は、一度終わって、もう一度始まるというテーマがあったように思う。うまく言えないが単純な再生とも違う。別れがあって、もう一度出会う、みたいな。それは、奪われたガリアを奪還してやり直すことでもあり、ルミナスとジニーの別れと再開でもあり、モフィとジニーの別れと再開でもあり。それは、四季が巡るのとも似ている。常に常夏ではありがたみも分からない。暖かくなって、寒くなって、それが巡るからそれぞれの良さも分かる。

総じて地味目の印象があるが、ゆっくりと情緒的なシーンを丁寧に積み重ねてゆく作風により、心に沁みる滋味深い作品だったと思う。

リコリス・リコイル

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 明るく楽しいアクションアニメという作風
    • ガンアクションをはじめとする緻密なアクションシーンの作画と音響
    • 千束とたきなの感情を丁寧に描くドラマと物語
  • cons
    • 特になし

表向きは喫茶店で働きながら、非殺傷弾を装填した拳銃を片手に、身近で困っている人を人助けする千束。DAから左遷されてきた頭でっかちのリコリス(≒兵隊)のたきな。二人のJKがバディを組んで活躍する爽快感のあるガンアクションアニメ。

とにかく、ガンアクションが丁寧でカッコいい。近接格闘向けの銃撃スタイルを取り入れていたり、本気でガンアクションをアニメに落とし込んでいる。DAは治安維持のため国家が極秘で運用する秘密警察的な組織。そして、リコリスはそのエージェントであり殺人ライセンスを持つ。こうした設定なので、リコリスや敵は銃撃戦で躊躇なく敵を射殺したりする。かなり物騒な設定ではあるが、実際にはコメディの楽しさを優先したディレクションであり見てて気が滅入るとこはない。

DAから距離を取りながら不殺を貫く千束とバディを組んで行動するうちに、組織の歯車として疑問を持たずに生きて来たたきなの気持ちは少しづつ変わってゆく。中盤、旧電波塔事件と千束の人工心臓の謎に話が移行してゆくが、毎週適度に不透明な部分が残されており、視聴者を引き付け続ける構成になっていたと思う。千束に殺しのプロとして人工心臓を与えたアラン機関、与えられた命で不殺で人助けをする千束という皮肉。今の日本はDAが干渉しすぎて日本人を腑抜けにしているから、DAを潰してバランスを取ると主張する真島。それぞれの問いかけにどう答えて行くのか。ラストに向けて盛り上がってゆくクライムアクションとラストの粋なエピローグ。シリーズ構成のバランスはよくよく練られたものと感じた。

なお、喫茶リコリコのスタッフは千束とたきな以外にも、行き遅れのミズキ、凄腕ハッカークルミ、アフリカ人店長のミカと個性的なメンツが揃う。彼女たちの賑やかな会話や、常連客とのやり取りも楽しく、チームの一体感も気持ち良かった。

本作は、「ダイハード」や「スピード」などのハリウッド映画のような男子向けのカッコよさを狙っているように思う。もっと言えば「マトリックス」のような3DCG全盛になる前のアナログ感溢れるアクション映画である。設定としても、DAという超法規的な暗殺組織、独自の価値観で世界貢献の支援を惜しまないアラン機関、マフィアの雇われ兵隊でありながら好き勝手行動する悪役の間島など、この手のアクション映画の文法に沿うものである。ガバガバと言えばそうだが、007などはこうした設定の上で、カッコよさや粋を演じていたと思うし、そうした作品も多かった。時代は変わり、こうした作風は近年廃れていったと思う。でも、私は本作にこのワクワクを感じ楽しんでいたし、そうした需要はこの時代でもあるのだと思う。

個人的には、感情のドラマのロジックがしっかりしていると、そうした設定周りの粗さが気にならなくなる。本作は、その辺りのドラマ作りが丁寧だったと思うし、千束やたきなの決断がカッコいいと信じられた。

また、主役の千束とたきながJKであり、百合要素を加える事で、一定数の視聴者の食いつきを良くしていたと思う。繰り返しになるが、個人的には男子向けのカッコいい作風と考えているので、千束とたきなは友情として見えているのだが、百合好きから見ると百合に見えるというディレクションだと思う。この辺りはスタッフも確信犯ではないかと思う。

文芸面、演出面に話が集中してしまったが、本作はキャスト陣の演技も熱が入っていたと思う。千束の「ちょいちょいちょい」などは会話向けの台詞ではなく、口癖みたいなものだろう。千束の飄々とした声や作画の芝居が、うまい具合に生っぽさを出していたと思う。特に千束の声の芝居は、仲間と賑やかにやっているだけじゃなく、ミカ、吉松、間島などの様々な大人と対峙したときのトーンの違い、きめ細かなグラデーションのある芝居が印象的だった。たきなの声も硬質的で頑固なキャラクターに合っていたと思う。

個人的にはネガ意見はなく、文句なく楽しめた作品だった。

Extreme Hearts

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 熱血でありながら風のように爽やか、という矛盾する難題をクリアした作風
    • 非リッチなアニメーションでありながら、堅実な脚本と演出があれば楽しめるという好例
  • cons
    • 特になし

売れないシンガーソングライターの陽和が、エクストリームギアを使ったハイパースポーツの大会に出場し、仲間と出会い、歌にスポーツにと活躍してゆく少女たちの物語。熱血もあるのに汗臭くなく、爽やかな気分で楽しめるところが、本作の美点である。

アニメーション制作はSeven Arcs。最近だと「ブルーピリオド」や「アルテ」などの良作を作っているイメージだが、源流をたどると2004年の「魔法少女リリカルなのは」にたどり着く。シリーズ構成と全話脚本は、リリカルなのはシリーズの都築真紀。監督の西村純二も同様にSeven Arcs作品になじみ深い人材である。同監督、同じスタジオで個人的に大好きだった「バミューダトライアングル ~カラフル・パストラーレ~」という良作があるのだが、いわゆるリッチなアニメーションとは言えない低コスト感の漂うアニメながら、田舎に住む少女(マーメイド)の友情と交流を味わい深く描く作風であった。

本作はその期待通り、アニメーションとしてはリッチではないが、キャラの心情をしっかり丁寧に描く文芸、奇をてらわない王道の演出により安心して楽しく観られる作風だと思う。序盤はこんなもんかな、という感じで見ていたが途中から、前のめりで見ていた。

設定についてだが、本作に登場する「エクストリームギア」はスポーツ用に身体機能を補助する装置。「ハイパースポーツ」はギアを使ったホビースポーツ。「Extreme Hearts」は女性タレントたちのハイパースポーツ大会で、トーナメント形式で試合に勝てばライブステージで歌う権利が得られる。トンデモ設定なのだが、ギアがSF風味を出していたり、アイドル物×スポーツ物だったりで、ごった煮感が強い。

ちなみに、本作はアイドル物か、それともスポーツ物か、と問われればその両方であると回答する。本作からアイドル要素をオミットしても、逆にスポーツ要素だけをオミットしても、Extreme Heartsという作品は成立しない。片方をやるために、もう片方も頑張り、その頑張りを循環させてゆく構造になっている。

本作がギアを使ったトンデモスポーツである事には演出上の2つのメリットがある。1つは、ギアを使ったド派手なアクションを見せる事で視聴者を飽きさせず楽しませる。これは、リリカルなのはのバトルアクションと同じ文法で、ここにキャラの感情を乗っけてぶつかり合いの熱さを描ける。もう1つは、スポーツ素人の陽和とベテラン選手の実力差を緩和の違和感なく描ける。ギアを使えば筋肉に頼らず俊敏性、瞬発力を拡張できる。しかも、それらは万人に与えられるため、最終的にはメンタルの強さが勝敗の肝になってくる。陽和にはへこたれないメンタルの強さがあるからこそ、試合に勝つ事ができる。これが、ガチなリアルスポーツ物なら全く説得力がなく、ドラマが台無しになるだろう。平たく言えば、トンデモスポーツという大きな嘘に総突っ込みさせる事で、ドラマ自体を真面目に見させる力がある。

もう1つのアイドル物としての要素は、作品に華やかさ、軽やかさをもたらした。ロボットアニメのバトルシーン同様、アイドルアニメの歌唱シーンはそれだけでキャッチーに視聴者を惹きつける力がある。RISEの歌はメッセージも直球で爽やか。本作のスポ根とアイドルの組み合わせは、脂の乗ったロースカツと新鮮な千切りキャベツの組み合わせの相乗効果のようなモノである。ちなみに、Extreme Heartsに出場するアイドルユニットも数多く、それぞれの楽曲も用意されており、アイドルアニメとしてキャストや楽曲にリソースを割いている。低予算感ある本作だが、こうした肝心な部分には手抜きはない。

なお、陽和の当初の楽曲はギター一本弾き語りで、寂しささえ感じる飾り気のないモノだった。RISEとしての最初の3人のステージは、衣装も上はTシャツ、下はお揃いのフレアスカートという手作り感満載のモノだった。しかし、神奈川大会の5人揃ってのファイナルステージは作画も大変そうな、凝ったアイドル衣装にグレードアップしている。楽曲のバンド伴奏も徐々にリッチになっており、こうしたステップアップ感も丁寧に描かれていた。

歴戦の強豪チームともなると、アイドル活動もハイパースポーツも手を抜かず、観客を楽しませ、熱狂させるものとしてのプライドを持ち行動している。試合の方は大会という事で一度負ければ終わりであり、絶対に負けられないという緊張感を持って試合に向かう。Extreme Hearts出場チームは基本的には女性タレント=プロの芸能人である。しかし、食うか食われるかの競争社会でありながら、チーム内もチーム間の交流も和気あいあい。部活モノのような爽やかな青春の雰囲気もある。この辺りで視聴者の頭がバグる。結局、本作がテーマにしているのは、がむしゃらに頑張る熱さと、共に歩む仲間の大切さ、の2点だと思う。

本作はキャラアニメなのでキャラを好きになってもらう必要があるが、そのために試合やライブシーンだけでなく、練習、カラオケ、事務所や外食の食事シーン、そうした日常パートでのキャラの掛け合いも十分描けていてキャラに愛着が持てた。

物語は、陽和と咲希のミュージシャンとファンの小さな関係から始まる。咲希が陽和を応援する気持ちから転がり始め、咲希の友達の純華を巻き込むところから、サポートロボ、マネージャロボのノノ、雪乃、理瀬、対戦相手だったミシェルとアシュリーや多くの人を巻き込んでRISEと葉山芸能事務所の夢を大きく膨らませてゆく、という流れ。

個人的には、理瀬のRISE加入の下りが好きである。理瀬は以前空手で事故を起こして以来、本気でぶつかる事を封印し、スポーツからも遠ざかってしまった。そこを文字通り、咲希が真正面から理瀬の不安を受け止めてRISEに加入する流れが熱い。

また、主人公である陽和は、言ってみればスナフキンのような、ある意味一匹狼のような存在だった。しかし、咲希とハイパースポーツの出会いによって、色んな仲間と出会い、色んなものが拡張されてゆく。陽和は飄々としているように見えてもメンタル強めで、仲間とともにがむしゃらに前進してゆく。大会は負ければ終わり、というプレッシャーもあったから勝ちにも拘ったし無理もしたが、何よりも仲間と楽しい時間を過ごす事を重視した。11話で神奈川県大会決勝戦を終え、12話の大勢の観客の前での「全力Challenger」の曲の途中で、感極まってはじめて泣いてしまう。これまで前だけを見て全力で前進してきたため気付かなかったが、ここではじめて半年間の道のりを振り返り、現在地点を実感し、感動してしまったのだと思う。間奏を続けつつ、他の4人はフロントにたって間を繋ぐ。この信頼感。「みんな大好き」の言葉とともに陽和が歌唱を再開するシーンが熱い。

今まで熱血モノは暑苦しさを感じさせたら興覚してしまうところがあったが、本作は不思議と押し付けがましいところがない。むしろ、陽和の持ち味で爽やかに観られてしまう点がすごい。思うに、まず丁寧なキャラの作り込みと堅実な演出があって、ぶっ飛んだトンデモ設定を組み合わせる事で、人間ドラマ部分をクローズアップして観られるのではないかと想像している。

熱血なのに爽快感があるという矛盾したニーズを軽々とクリアしてしまった本作に驚きを感じるし、非リッチなアニメーションでも良作はできるという好例だと思う。

彼女お借りします 2期

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 4人のヒロイン可愛いさ重視の良き作画と良き芝居
    • コメディとしての安定感
  • cons
    • 続きモノとして1期と同じテイストであるがゆえに、相対的にパンチ力低下に感じたこと

レンタル彼女を題材にしたラブコメの2期。監督は古賀一臣、シリーズ構成は広田光毅、キャラクターデザインは平山寛菜、制作はトムス・エンターテイメント、と1期と同じ座組である。特に、平山さんは1期2期含めて全話総作監で作画のクオリティを担保していた事は注目に値すると思う。

まずは、1期の振り返りについて。個人的にはかなり楽しめた作品ではあるが、世間的には主人公和也がクズ過ぎて作品に対して嫌悪感を持つ視聴者も一定数居た事は理解している。しかしながら、ヒロイン4人を可愛らしく描く作画、コメディとしての楽しさ、やや極端ながら話を盛り上げる演出、は本作の分かりやすい美点であった。さらに、千鶴の嘘(=レンタル彼女)と本音の二面性や、麻実からの嘘(=レンタル彼女)の否定という、千鶴vs麻実の対決の構図があり文芸面としても面白さを感じていた。2期では、この辺りのドラマの掘り下げも期待していた。

さて、本題の2期についてだが、まずは1期と変わらないテイストに安心感を覚える。物語の基本路線も相変わらず、流されがちな和也が千鶴を好きだと告白できずに、ズルズルとお金を払って千鶴とのレンタル彼女の関係を続けてゆく。ただし、和也の中で千鶴にお返ししたい気持ちが大きくなり、どう千鶴に恩返しできるか?というのが1つのテーマだったように思う。2期では琉夏が和也宅にお泊りしたり、実家の誕生日会で無理やりキスしてきたりとの積極的なアタックがあり、墨からの和也への助言があったり、他のヒロインからの踏み込みもみられた。 そして、これを受けて和也は翻弄されたり、千鶴への思いを強めたり、少しづつ変化してゆく。

麻実は、2期では大きな活躍が無かった。ただ、和也と千鶴がレンタル彼女関係にある事を確信しており、実家の酒屋のSNSを観測しながら決定的証拠が出てくることを、蛇のように手ぐすね引いて待っていた。

本作で琉夏だけは、裏表なく思うがままに直球で行動する。視聴者からの好感度の高さにも頷ける。和也の部屋に一泊する際、カバンにゴムを仕込ませつつ若い身体で誘惑し、既成事実を作って本当の彼女になろうとした。しかし、和也は琉夏が魅力的である事、だからこそ今の本気じゃない気持ちで抱けない事を伝えて、その場に流されず断り切った。琉夏は魅力的だと思われている(=嫌われていない)事実が判明し救われた。また、和也の実家での誕生日会では、千鶴の圧倒的優位な状況を目の当たりにし、焦燥感からトイレ前で和也に無理やりキスをした。流石の和也もこれには罪悪感を感じ、千鶴とのレンタル彼女の関係を家族の前で白紙に戻そうとするが、千鶴の祖母の容体悪化の連絡でチャラになった。よりシンプルに言えば、和也と千鶴の関係を脅かすヒロインとして存在する琉夏であるが、2期でもリーチまでしつつ流局という感じの悔しさである。

墨は、和也の事が明確に好きだが、そう切り出すことはできない。品川の水族館デート回で和也にお返しするという事自体、墨にとっては大奮発である。デートの最後で、困っている事があったら相談して、と和也に迫る。和也は、友達のことだけどと前置きし、唯一の肉親の祖母が入院した孤独、活躍してる姿を祖母に見せる夢をかなえられ家もしれない状況で、そいつに何もできない自分の不甲斐なさを吐露する。墨は千鶴の事と察しつつも和也の優しさに号泣、和也ももらい泣き、二人は手を強く握りしめる。墨は和也の力になりたくて悩みを聞いたが、これにより、和也にとって千鶴がとても大きくて大切な存在である事が分ってしまうという皮肉。でも、デートの別れ際にルンルンしていた事から、和也と千鶴の関係はポジティブに捉えているのだろう。

千鶴は、大役に抜擢されるかも(=レンタル彼女終了)というところから2期は始まるが、結局大役には選ばれず、和也が千鶴を応援したい気持ちもありレンタル彼女を継続してゆく。祖母の容体悪化にともない、最終的にはこのまま嘘の恋人関係(=レンタル彼女)を続けたいと申し出る。千鶴は、祖母が唯一の家族である。両親を早くに亡くしており、祖父母に育てられる。調子がよくて情に熱いタクシー運転手の祖父だったが、祖父も高校生の時に交通事故で亡くなる。二人に女優姿を見せる事が夢だったが、今のままでは祖母にそれを見せられるかも分からないという不安と焦りの中に居た。オーディションは続けざまに不合格。「夢は必ず叶う」と言葉の残した祖父の写真を抱えて、叶わない夢に涙を流す千鶴。

そんなとき、和也は千鶴にクラウドファンディングで映画を作れば祖母に映画を見せられるという本気の提案をした。一度は考えさせてと部屋に戻った千鶴だが、再び和也の部屋の呼び鈴を押し和也に訊ねる、本当に実現できるのか?と。和也からは出来る!必ずやってやる!の返事。千鶴の目に溢れた涙と、お願いの返事。このシーンの意味は、文脈的にはプロポーズとそれに対するOKである。それは、契約書のない契約であり、和也の傍観者から当事者への変化を表す。実際のところは、勢いだけで和也に映画が作れるとは思えず、脚本、監督、撮影、俳優などなどいろんなスタッフが必要になるだろうし、制作進行も制作費も管理が必要である。今の和也がどこまで見えているかは不安だが、それに乗った千鶴ともども、苦労してゆく必要があるだろう。

とはいえ、1期12話での和也は「君(千鶴)がいい!」からの、なーんちゃってムーブのカッコ悪さと比べれば、2期12話の和也は各段に主人公っぽくなってきたと言える。絶対に自分を安全圏内に置いていた和也が、身を挺して行動するだけの進化があった。

また、千鶴の祖父との関わりの描写も良く、祖父と和也の印象が重なる演出も上手い。中学時代のやんちゃな千鶴がグレずに育ったのも祖父母が居てからこそだろう。父親や兄弟の居ない千鶴にとっては祖父がもっとも身近な男性像であったのだろう。少し単細胞なところもあるけど、明るくて元気をくれる。しかし、「夢は必ず叶う」と言いつつ、女優になった千鶴を見ることなく他界した祖父は嘘つきでもある。千鶴にとって祖父(=男性)は、気持ちは嬉しいが信用しきれない存在、という無意識の刷り込みができてしまったのではないか。それが、千鶴の1期の強さに繋がっていたのだろう。しかし、2期の千鶴は頼れる家族も居ない不安、夢に追いつけない焦燥によりメンタルも弱っていた。和也からの提案は嬉しかったのだろうが、祖父と印象が重なるからこそ迷いがあった。それでも、今回は和也を信用した。2期12話だけで、これだけ濃密なドラマと、千鶴の守りたくなる可愛さを描いていたという意味で、本シリーズの中でも屈指の回だったと思う。

これまでの放送間隔から想像すると3期は2024年夏だろうか。原作漫画は既刊28巻で連載中。原作者の宮島礼吏先生からは、最近「最終回は決まっています」とのツイートがあったため原作漫画の完結も遠くないかもしれない。しかし、アニメ2期は原作12巻までなので、全部やるなら少なくとも残り2クールは必要だが、どうなるか。個人的には、千鶴の嘘と本音の垣根を取る事、そのために千鶴と麻実の対決があり、和也がどう振る舞うのか?みたいな話が見たいが、3期でそれが描かれるかはわからない。

最後になってしまったが2期全体の感想についてまとめておく。和也の成長や千鶴との距離の縮まりが描かれて物語がわずかに進展したが、物語の展開がゆっくり過ぎた。エッチ成分多めのラブコメの楽しさも1期同様の安定感だが、それゆえに1期と比べて相対的にパンチ力が低下したように感じてしまった、というのが率直なところ。最終的に和也と千鶴が裏表ないカップルになる結末がくるのを、気長に見守ってゆきたい。

咲う アルスノトリア すんっ!

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • キャラの可愛さ
    • 大部分を占める、日常系としてのストレスフリーな緩さ
  • cons
    • 残虐な騎士パートの構成の、浮き気味でトリッキーな分かりにくさ(ゲーム原作としての意図は想像できるが)

2021年3月からサービス開始しているスマホゲーム「咲う アルスノトリア」原作のアニメ作品。ゲームは魔法vs騎士のバトル要素がある様だが、本作では両者はすれ違い、衝突は描かれない。あくまで、魔法学園都市アシュラムで過ごす少女たちの穏やかな学園生活をゆるく描く。

原作はニトロプラス、原案は一肇。メインキャラクター原案は大塚真一郎でリゼロやグランベルムのイメージが色濃い。これに対して、アニメ監督の龍輪直征、シリーズ構成、全話脚本は後藤みどり。脚本構成的に独特な雰囲気で、どうやら、ゲーム系の作品の脚本を多く手掛けられている方の模様。

本作がゲーム本来のバトル要素を排除して、ゆるゆるの日常系アニメ作品に落とし込んだことは、かなりの挑戦だったのではないかと思う。ゲームへの導入を考えたときに、アルスノトリアたちの可愛らしさだけを全面的に押し出す。戦いにおける両者のイデオロギーについては完全にオミット。正義だ悪だのという倫理観の押し付けのないディレクションゆえに、その辺りについては何も考えずに見られる、ストレスフリーな作風である。基本的には。

アルスノトリアたちは全寮制でお城に住み込み、魔法やマナーの授業を受け、ペンタグラムという5人一組のチームを組んで行動している。このチームで力を合わせて連携魔法術を使う事になる。魔法は騎士への対抗手段なのだろうが、そういう勇ましさには触れない。ペンタグラムは年齢差のある生徒で構成されており、理系で落ち着きのあるアブラメリン、女性っぽいピカトリクス、元気印のメル、物静かで好奇心旺盛な小アルベール、そして嗅覚が人一倍強く、それでいて一番か弱そうなアルスノトリア。個人的には疑似家族に見えていて、父親役のアブラ、母親役のピア、3人兄弟のメル、小アル、トリだと感じた。ゲーム原作らしく他にもペンタグラムは存在し、多数の美少女キャラがチョイ役で登場する。

1話からして、午後から留守にしている連携魔法術の先生の部屋でお茶会をして、日が暮れ頃に茶会を終わるゆるさ。ミルクティーにスコーン。最初に塗るのはクロテッドクリームマーマレードかいちごジャムか。ジャムの蓋が開かない。日傘自慢。紅茶占い。ところどころ分からない作中の固有名詞もあるが、とりとめのない会話が続く。ところで、本作は英国のお菓子に対する造詣が深い。クロテッドクリームやスコーンの「狼の口」の台詞が出て来たアニメは、個人的にはこれがはじめてである。

そうこうしていると1話の終盤に脈絡もなく「Warning」の文字とともに騎士が市民を惨殺を繰り広げるシーンが描かれる。このパートはゲームで敵対する騎士を描くものだろう。ゲームを宣伝するという意味では、この緊迫感も含めたディレクションなのだろう。騎士のキャラも多く、視聴者に顔を売っておくという意味もあったのかもしれない。

この調子で学園パートと騎士パートは別々に進行してゆくが、アシュラムでは蟲や騎士を厄災とみなし恐れており、有事には戦闘する構えであることや、騎士は異端の「聞くもの(=アシュラム?)」を討ち取る事を目的としている事がしだいに分かってくる。ほのぼのとした日常系の雰囲気に、騎士によるアシュラム侵略の緊張感を持たせるという二重構造になっている。

面白いのは6話で下界まで買い出しに来たアルスノトリアたちが、不足物資を人間の村まで来て買い物するエピソード。彼女たちは魔法で人間からは視認されず、妖精たちのいたずらと考えられていたところ。掃除してお礼を貰ったり、彼女たちの微笑ましい行動が、微笑ましいお返しとして返ってくる。人間とアシュラムが直接交わる事はないが、少しづつ助け合う事で共生できていた。

しかしながら、騎士たちは「聞くもの」を大瑛帝国を脅かす存在として抹殺をもくろむ。シリーズを通して騎士たちが徐々にアシュラムにリーチしてくる緊張感。12話ではいよいよ騎士たちがアシュラムの城を炎に包み込んだかのように思わせる映像を入れる。しかし、アルスノトリアたちのアシュラムはそんな事にはなっておらず、平穏無事に過ごしている、というところで終わる。まるで、同時進行する並列世界ですれ違うかのような、ちょっと凝った演出である。

アシュラムの穏やかでゆるい学園生活は、外敵に怯えながらの生活であり、外敵に干渉されないなんらかの力や自警のための連携魔法術があってはじめて成立する世界である。その中で気心の知れた仲間たちと、家族のように互いを思いながら身を寄せ合って暮らしてゆく。その中に慎ましい幸せがある。そんな作風に感じた。また、物語としては授業で深夜に咲く花を観察するだとか、大雪が降ったら授業は中止とか、その後雪中で遭難しそうになるとかの話もある。お茶会ばかりではなく、そうした小さな冒険のワクワクも描かれており、視聴していて個人的にダレる事は無く楽しめた。

Engage Kiss

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
  • cons
    • 特になし

久々のシリーズ構成・脚本丸戸史明作品。監督は田中智也。アニメーション制作はA-1 Pictures

ヤンデレ美少女×クズ男×年上元カノの三角関係ラブコメ。キサラがJK姿の悪魔で、シュウが悪魔退治のフリーランスで、アヤノがライバル会社令嬢という奇抜な設定が持ち味。ラブコメ50%、バトルアクション30%、シリアス20%くらいな感じ。

丸戸脚本という事でゲーム成分が多い。エロというよりも、ディープキスなどの濡れ場のシーンもちゃんと多いのが特徴。恋愛にだらしないクズ男に惚れた女子たちの嫉妬込みの恋愛感情をキチンと描く。シュウは悪魔と契約してまでして、家族の濡れ衣を晴らすために悪魔退治を続けるというハードボイルド風味のミステリー要素もあり。とにかく、ごった煮感が強い。

キャラデザインはゲーム的でもあり、特にキサラなどのキャラデザインに萌えキャラの雰囲気が伺える。アニメーションとしては、悪魔退治の外連味あふれる派手目なバトルアクションシーンが多い。

途中で身近な男性キャラが死んだり、裏切りがあったりサスペンスあり。シュウに惚れていた修道女も登場し、ヒロインたちは喧嘩しながらもシュウのために悪魔と戦い、最終的にはハーレム的な大団円で結ばれる。ラストでは、キサラが自分の記憶をシュウに返して記憶喪失状態になる。これにより、ヤンデレで面倒くさいヒロインが乙女に変化し、それでもシュウを信じてバトルするという流れにグッとくる。しかし、最終的にはヤンデレキャラが徐々に元に戻りつつある感じで〆る。鉄板の安心感。

全体に流れる事件の謎で引っ張るミステリー的な要素もあり、ラブコメやバトルが重すぎるという事もなく物語を楽しめる作品だったと思う。丸戸脚本のキャラの恋愛感情などは、割と細かくドラマ設計されており定評通り。が、個人的には、キャラに深く入り込むところまでの余裕がなく、雰囲気を楽しむだけで観終わってしまったのが少し勿体なかったと思う。

プリマドール

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
  • cons
    • 一部、プロットに対して脚本と演出の粒度の粗さを感じたところ

戦争のために作られたオートマタと呼ばれる美少女型ロボットたち。戦後の新しい役目として喫茶店「黒猫亭」で働き、ステージで歌唱を披露する。そして、ときおり戦争の燃えカスがくすぶって物騒な事件が起きたり、という感じの物語。

シリーズ構成・脚本は、VISUAL ARTSの丘野塔也と魁が担当し、監督はバイブリーアニメーションスタジオの天衝という座組である。バイブリーは、2019年に「アズールレーン」を初作品として手がけた制作会社で、美少女が3DCGに強いイメージがある。作画監督は矢野茜が担当しており、本作の肝であるキャラの可愛さのクオリティに貢献している。

なお、Keyよりキネティックノベルと呼ばれる本作の番外編のゲームが順次発売される予定との事。

まず、文芸面だが、「記憶」や「壊れる」といったキーワードから連想させる切なく儚げな物語を思わせる。そして、それは「泣かせ」を強く意識したプロットにも感じる。それゆえか、本作は物語やキャラの感情の移り変わりのロジックが、ときにジャンプしてしまっていて、繋がっていないとか、ロジカルではない、と感じてしまう事が少々あった。具体的には、3話で箒星は最前線で歌唱し兵士を鼓舞する事で、兵士たちを結果的に殺してしまったのではないか?という罪悪感を持っていた。最終的には、戦没者の家族から遺品の手紙で箒星が感謝されていた事を伝えられ、赦されたことで失っていた声を取り戻す。ここでロジックがおかしいのは、もともと箒星が兵士たちに感謝されていた事は自明であるので、その事を知っても罪悪感を払しょくする理由にはならない、と私は思う。

また、12話で灰桜は論理機関に負荷をかけすぎて記憶が壊れる。周囲の人は覚えていても、灰桜は大切な思い出がこぼれ落ちて行く悲しみに打ちひしがれる(日記帳の絵と文字が雨で流されていくところがミソ)。しかし、千代との会話で「大切なのは記憶ではなくそう思う気持ち」の旨の発言で初期化(=完全に記憶をリセットする)を決心する。この時の灰桜の心情は複雑で、今の壊れた記憶の状況では灰桜自身も、周囲も、幽霊のような記憶に悲しむ事になる。だったら、魂に大切な気持ちが残る事を信じて、今の自分は自分の魂にも周囲の人の魂にも残るのだから、初期化してしまって良いというロジックである。ロジック自体に破綻は無いが、完全に初期化して自分自身に魂が残るか?という部分は、今まで例がなく説得力を持てなかった。だとしても、一度死んでキチンと別れる事が残された人たちのためにも良い、という考えの物語はアリである。

いずれにせよ、アニメ作品に期待する文芸としては、泣きのプロットありきでも、その間の感情を埋める脚本なり演出の細やかさやグラデーションがもうひとひねり欲しい。もしかしたら、ゲームであれば、台詞とプロットだけで物語を埋められてしまうのかもしれないが、映像ではそこを丁寧にやって欲しい。

物語の運び方については辛口になってしまったが、全体的なプロットとしては面白かったと思う。また、キャラの可愛さ、面白さは本作の肝であり、その点は十分に満足できた。戦闘用メカニカなどの音響も妙に迫力があり、いい仕事をしていたと思う。

また、本作は歌が重要な役割を持つが、キャストの歌うキャラソンの完成度も高く、聴きごたえがある。劇中で戦時中に桜花たちが歌っていた「機械仕掛けの賛歌」は硬い軍歌のイメージで、12話のラストでも歌う事になるOP曲の「Tin Toy Melody」は、戦争で一度死んで再び生まれ変わる感じの戦後の未来を予感させるイメージである。他にも個別のキャラソンにバラード曲などもあり、バラエティに富んだ楽曲を楽しめた。

シャインポスト(2022.10.21追記)

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 人間ドラマを主軸にした感動圧の高い脚本と演出
    • ドラマを信じさせるためにヌルヌル動く作画(歌唱シーン、日常シーンとも)
  • cons
    • やや感動に振り過ぎるため、脚本に強引さを感じさせるところ

ありがちなアイドルアニメかと思いきや、売れないアイドルグループの各メンバーの苦悩と葛藤、団結と成長を力強く描く人間ドラマが主軸の骨太な作品だった。

本作は、コナミデジタルエンタテインメントとストレートエッジの共同企画であり、電撃文庫から小説が発売されており、コナミからスマホゲームのサービスの開始が予定されている。アニメーション制作はスタジオKAI、監督は及川啓、助監督は成田巧。これは、ウマ娘2期の座組であり、感動圧の高さはある意味保証されていた。前半の脚本は小説執筆もしている駱駝、後半は樋口達人

何と言っても、本作の一番の美点は、感動圧の高いドラマ作りだと思う。そのために、キャラが追い込まれた状況に応じて視聴者にストレスをかける。そして、そのハードルを乗り越えたときの解放感を視聴者に共有させる。この感動させるロジックが、脚本、演出とも実に丁寧に作り込まれている。なので、視聴者は自然と流れに身を任せて感動できる作りになっている。

言及しておきたいのが、2話ラストの春の才能を目利きの観客に認めさせるシーンの演出。ここで視聴者の感情の誘導が、マネージャー、目の肥えた観客、ゆらシスのマネージャーの菊池さんなどの台詞により流されてゆく。目の肥えた観客にはこの程度のパフォーマンスは響かない→菊池は春のパフォーマンスを見抜き逸材だねと発言→春がリミッター解放→観客も春に魅了→マネージャーの狙いを解説、という流れである。要約すると、期待→残念→秘策?→覚醒→逆転ホームランという浮き沈みの多い流れになる。この感情の動きを見事にコントロールしている。

注目すべきは、このめまぐるしく変化してゆく展開を、マネージャーや観客の台詞や表情や歓声で視聴者に分らせることである。例えば歌唱シーンをMVにするラブライブシリーズとは異なり、歌唱中にもこれらの芝居を優先して描くドラマ重視のディレクションである。

そして、このドラマを信じさせるために、ライブシーンはヌルヌル動く。表情などを伝えるアップのシーンは3DCGではなく手描きの作画である。春と杏夏と理王のダンスの力量差は本作のドラマの肝である。春のダンスは綺麗で汗もほとんどかいていないが、杏夏や理王のダンスは遅れていて玉のような汗をかいている、という事を映像だけで見せる。

また、本作はライブシーンだけでなく日常芝居もヌルヌル動く。これは、表情の変化の細かな芝居を、より実写的な感覚で表現していると思う。気持ちの良いアニメーションにはツメタメがあり、ヌルヌル動けばイイと言うものでもない。しかし、本作は敢えて、ヌルヌルの動きに拘り、より生っぽい表情や感情表現を狙うディレクションだと思う。2話で定期ライブ直前にTiNgSがマネージャーにアドバイスをもらうシーンがあるが、これなどは実写的なヌルヌルした動きだったと思う。そして、ここぞという芝居では迫力を持たせる。7話のラストではじめて春が嘘で輝くシーンがあるが、その時の引きつった表情や、声の芝居の生っぽさは、本作屈指のシーンだと思う。

こうした、映像の力でドラマを信じさせるディレクションと理解すれば、このヌルヌルの動きの必然性は理解できる。

脚本は明確な問題解決型であるが、その問題や解決策を驚きを持って視聴者に伝えるために、当初はいくつかの情報が伏せられている。物語が進むにつれ、それらの情報が開示されてゆき、その都度視聴者を驚かせるという仕掛けである。それゆえ、脚本は少々強引さをともなうが、これは目の前のドラマに集中させるためのディレクションであろう。

また、本作の問題解決方法が、トラウマの原因となっている棘を抜き、潜在的に持っていた力を解放する形なので、個人的には短期間の成長も無理なく受け入れられた。

変化球ではなくド直球の人間ドラマで勝負するという、正統派アイドルモノのひとつの到達点と言える作品になったと思う。

ラブライブ!スーパースター!! 2期(2022.10.21追記)

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 相変わらずの軽快なコメディとエモさの両立
  • cons
    • 1期に比べて、少しエモさが減って、物語に散漫な印象を受けたこと
    • 勝利をさらっと描いた肩透かしのディレクションの意図が分からず困惑したこと

1期放送から1年後の2022年夏、アイドルアニメの代名詞とも言えるラブライブシリーズ最新作、スーパースター!!の2期である。

Liella!の結ヶ丘女子高は新設校のため全員1年生だったが、かのんたちも進級して2年生になり、新入学生の1年生を迎え入れる形でスタートする。昨年の東京大会2位による負けの悔しさにより、今年は勝ちに拘るところからのスタートである。

1期は、軽快なテンポのコメディとエモさが特徴の作風であったが、それは2期にも引き継がれている。しかしながら、2期はあらゆる面で漂流しているというか、ワザと肩透かしにしているというか、1期のような感動圧の高いエモさを意図的に外しているような印象を持った。狐につままれたような感触だった。

ここで、一度各話ごとのイベントを整理しておく。

話数 イベント・キーワード
1話 4月、今年こそ優勝、敷居の高きLiella、勧誘、新入生歓迎ライブ、きなこ入部
2話 優勝と楽しさの両立という難題、入部敬遠、目標下げてみた、きなこ早朝自主練→Liella集合、目標は優勝に戻す、マルガレーテ
3話 代々木フェス、高飛車マルガレーテ、Liella敗北、マルガレーテ→かのん挑戦状、Liella!は結ヶ丘の誇り、校内ライブ
4話 部長、四季仮入部、覗き見メイ、ドルオタのメイ、やってみたかったメイの背中押し、四季を一人にしたくない、向いてない、千砂都部長、素直になる、メイ四季入部
5話 夏美プロデュース動画配信、特訓、夏美腹黒疑惑、1年力量差コンプレックス、1年生合宿
6話 北海道合宿、去年の先輩を越える夢、1年生動画好評、露天風呂、夏美失った目標、かのんが夏美を勧誘、みんなとなら夢叶えられる、虹色ラベンダー畑、夏美入部、文化祭ライブ
7話 地区予選、リモートでフリー、寝不足恋、生徒会多忙?、恋→メイ秘密、ゲーム中毒、鍵預かるメイ、生徒会手伝い、ゲーム寝不足自白、笑って許す仲間、恋宅ゲーム大会、作詞かのん作曲恋、
8話 生徒会副会長かのん、自分たちらしい会場探し、神宮球場無理、オープンキャンパス、サニパステージ、街歩き、同級生バックアップ、道(=人=希望)が集まる場所、地区予選ライブ
9話 サニパがマルガレーテに敗退、Liella!東京大会進出、すみれ→可可心配、雨、マルガレーテ→かのん挑発、すみれ2年生だけで出場を提案、仲間割れ、練習中止1年帰宅、1年生→すみれに歌=ステージに立たない、可可→すみれ負けると上海送還ばらす、すみれ大嫌い大好き、9人練習強化
10話 東京大会直前、冬休み北海道合宿、大吹雪、千砂都→四季、恋→メイ、かのん→きなこ、可可すみれ→夏美、リモート会見、マルガレーテの言う本当の歌とは?、翌日遊んでみる、みんなで力を合わせて作る歌=Liella!の本当の歌、東京大会、結果発表待ち
11話 Liella!全国大会出場、年越し初詣、マルガレーテの出場動機?、かのんの夢は世界に歌を響かせたい、ラブライブ優勝が音楽学編入の条件だった、ラブライブなんてくだらない、届けたい思いで勝っていた、3学期、ウィーン留学話、かのん宅覗き見、留学はしない、千砂都→マルガレーテ、かのんに歌を学べ、千砂都留学して欲しい
12話 留学再検討、母後悔しないように、マルガレーテ→かのん留学して欲しい、夜学校呼び出し、Liella!全員集合、留学しようと思う、Liella!は8人で続けて欲しい、優勝しよう!、東京大会優勝、春、マルガレーテ結ヶ丘編入、留学は中止、どうなっちゃうの?完

あらためて、あらすじを書き起こすとこんな感じ。

2期は、かのんたち2年生と新入部員の1年生の力量差がドラマのポイントとして描かれた。強豪部活にありがちな、ハードな練習ではついてこれない、仲良しクラブじゃ勝てない、というジレンマである。特に1年生は音楽やダンスに特化した人材はおらず、スクールアイドルとしては素人同然からのスタートである(メイはガチのドルオタではあったが)。その大きなギャップを埋めてくのが、1年生組の去年の先輩を越えると(=足手まといならない)という目標であり、1年生で自主的に集まって練習したり、相談したりもした。そうして、徐々に追いついてくる1年生組の実力。

可可の件もあり絶対に優勝するためにも、東京大会でマルガレーテに勝ちたい、というメンタルに繋がってゆく。そして、よりハードな練習に挑むLiella!。10話の北海道合宿は、1年生も2年生を手伝いながら全員でLiellaの本当の歌を作り上げて行く。全員で力を合わせて歌を届けたい!その結晶としての東京大会は、9人の誰一人としてケチを付けるところがない完璧に調和の取れた歌とパフォーマンスを披露する。果たして、Liella!はマルガレーテに勝って全国大会出場の切符を手に入れた。

マルガレーテの存在というのは、かのんにとっての歌(=スクールアイドル)の哲学を自問自答するためにいたと思える。マルガレーテが認めていたのはかのんだけだった。ソロで歌うマルガレーテの芸術性、迫力もまた歌の力の一面ではあったが、そうした音楽理論だけでななくてハートの部分が大切だという事を、見つめ直すキッカケになった。

しかしそれは、ウィーン音楽学校留学の誘いとともに、かのんにとっての夢を見つめ直すキッカケになる。かのんの歌を世界中に響かせる夢と、Liella!で歌い続けることの二択である。そして、かのんは留学を決意し、Liella!は目の前の全国大会優勝を目指し、見事優勝を手に入れた。自動的に可可の上海強制送還も帳消しである。

ところが、ウィーン音楽学校側から留学中止とマルガレーテの結ヶ丘女子編入という新年度を迎えて、3期に続く。

2期のテーマは、仲間の強い結束力(=結ヶ丘女子=Liella!)が一番の強さであることだったと思う。

勝つ事を最大の目標としていたLiella!だが、序盤は勝利に突っ走るというよりも1年生組という雑味が混じる事での戸惑いのドラマがあった。そもそも、スクールアイドルとしての強みを持つ新入生が居ない。金儲け主義の動画配信者とか、白衣の発明家とか、純朴な田舎者とか。メイはスクールアイドルに憧れがあったが、他の3人は入学するまでスクールアイドルになる事も微塵も予想していなかった。この辺りの設定はコメディを優先してのディレクションなのであろう。1年生組と2年生組との実力差は大きく、それを大会までに埋めつつ去年を乗り越えて行く話になる。マルガレーテという敵役は居たが、あくまで自問自答による、去年の自分達との戦いであろう。

途中、部活内で技量の劣る1年生を外して戦うという作戦が提示されるが、最終的に全員で歌唱する事を決める。それは、Liella!(=結ヶ丘女子)は学校生徒と言う集団が大前提であり、その結束を持って勝たなければ意味がない、という信念による決断なのだと思う。この前提を崩したら勝利の意味は変わってしまう。その意味では、本作のテーマにブレはない。

そして、東京大会1位(=全国大会出場獲得)の時点で、個人芸のマルガレーテに勝利し、Liella!の記録更新の目標は達成できた。最終的にもラブライブで優勝し、2期の最大の目標である「勝利」を完全に掴んだ。

個人的には、Liella!が2期で優勝するのは意外であった。2期であれだけ勝つことを目標にしていたので、優勝してしまうと真っ白な灰になって完結してしまいそうだったから。しかしながら、2期ではあっさり優勝して日本一になってしまった。2期の演出で一番意外だったのは、勝利を感動的に描かなかったこと。これは間違いなく狙ったディレクションだと確信するが、その意図は正直分からない。プロセスが主、結果は従とするために美化しなかったのかもしれないし、3期まで続く事を考慮したときに優勝で燃え尽きても困るからかもしれない。

そして、3期につながるテーマとして終盤で浮上してきたのが、才能と夢の実現というテーマではないかと思う。

ライバルとして登場したマルガレーテは、ウィーン音楽学校に入る条件として、ラブライブを蹴散らすために送り込まれた刺客である。そのマルガレーテはラブライブを見下していたが、かのんの才能だけはを認めていた。そして、東京大会でLiella!がマルガレーテに勝利したことで、ウィーン音楽学校からかのんに留学の誘いが舞い込んだ。かのんの夢は「世界に歌を響かせたい」であり、夢にリーチしてゆく特大のチャンスである。紆余曲折がありかのんは留学を決心したが、最終的に留学はチャラとなり、マルガレーテの結ヶ丘女子編入(=面倒を見る)というオチがついた。この文脈から察するに、「才能と夢の実現」はそのまま3期のテーマになるのではないかと予想している。

長々と書いたが、2期は王道直球というよりも、チェンジアップ気味の肩透かしだったりの変化球が多いように感じた。そのせいで、優勝までの道筋をワチャワチャと散漫に展開してしまったとも言える。これは、本作クリエイター陣のフットワークの軽妙さにも思えるが、スタッフ本来の爆発力が生かされていなかったようにも感じる。

3期の3年生編では、かのんたちは最後の1年間をどう過ごし、卒業してどこに羽ばたいて行くのかという物語になると妄想している。高校生活の中で時が止まってしまうラブライブシリーズの中で、キッチリ卒業を描くのであれば、それは異例の試みとなるかもしれない。スーパースター!!シリーズの3年目の〆をどう持ってくるのか? 期待と不安を抱きつつ、順当にいけば2023年夏期になると思われる3期を待とうと思う。

おわりに

今期は、シャインポストが強すぎました。これを書いている時点でまだ、10話〜12話が残っていますが、楽しみで仕方ありません。

世間一般的には、リコリコが覇権的に盛り上がっておりますが、納得の完成度だったと思います。成功した理由など、所説言われていますが、攻めたガンアクションのシーンと、色んな人が色んな角度から見ても受容できるラインの見極めの上手さ(=多数の人が不快感なく盛り上がれる)だったのかな、と思います。

個人的には、アサルトリリィに続き佐伯監督のルミナスは、観ていて作品自体が好きになるというか、愛でたくなる、心の清浄効果ある作品で癒されました。

他にもエクハやアルスノトリアやかのかりなど、楽しさは分かるけど言語化しにくい作品が多くなってきたような気がします。それはそれで、ブログを書いている私もやりがいはありますが。