たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

フリップフラッパーズ

ネタバレ全開につき、閲覧にご注意ください。

はじめに

フリップフラッパーズ」は2016年10月~12月にかけて放送されたTVアニメです。2022年10月にYoutubeで期間限定で無料配信されたのをキッカケに視聴しました。

思った以上に、私好みの作風でした。放送から6年経過した2022年に本作を視聴してみて、本作に古き良きというか、懐かしい感覚を覚えました。

それは、同人作家的なアクション作画や人類補完計画的なシナリオの辺りにレトロを感じたのだと思います。

2022年10月末までの期間限定配信ですが、興味があって間に合っている方は、是非、下記にてご覧ください。

感想・考察

アニメーション

可愛いさ、外連味あるアクションを堪能できる作画

本作で一番言いたいのは、イキイキとしたアニメーションの動きの良さである。本作に3DCGは存在せず、すべて手描きアニメの躍動感であり、今にしてみればとても贅沢な作風である。

比較的シンプルな線で、ホバーサーフに乗って滑空するセーラー服のココナ、巨大な樹氷怪獣、謎のエネルギー解放、これらが躍動感を持って動く。誤解を恐れずに言えば、これは同人作家が作ったアニメーションのような、絵を動かしたいという衝動に満ちた動きであり、これが見ていて非常に気持ちがイイ。付け加えると、なんでもかんでもヌルヌル動くというのではなく、タメツメのメリハリを持った動きの良さである。

3話の砂漠での格闘戦や、8話の巨大ロボ戦など、昔はよく見かけたシチュエーションだが、今となっては懐かしさを感じさせるモノがある。

ピュアイリュージョンの摩訶不思議な世界観

本作は現実世界とは違う、摩訶不思議なピュアイリュージョンと呼ばれる世界での冒険譚という形をとっている。その摩訶不思議な雰囲気が、不思議の国のアリスを連想させる絵本のようでもあり、楽しくもおもしろい。1話では雪国、2話ではウサ耳、3話で砂漠、5話でホラー学校といった具合でテイストもさまざま。

いかにもクリエイターが想像を膨らませて描いた、敢えてリアルから外したファンタジー世界は、2022年の今となっては珍しい。この作風は、コンセプトアート担当のイラストレーターのtanuさんの仕事によるものだろうか。

このピュアイリュージョンの世界は、自由自在に動くアニメーションの躍動感とのマッチングが非常に良い。リアルな質量を持たない絵である事が、躍動感ある動きを邪魔しない、本作の重要なポイントになっていると思う。

ちなみに、ココナたちが住む現実世界の学校や街並みのデザインや背景美術も凝っている。ロケーションとしては標高が高い地方都市といった感じで、高低差を生かした街づくりや、なだらかな丘に埋まった校舎など楽しいデザインとなっている。

アニメ的可愛さのキャラデザイン

キャラデザインは、古き良き低年齢少女漫画の「リボン」や「なかよし」のテイストを感じさせる。

まず、セーラー服の女の子が主人公というのが良い。やや頭でっかちで、瞳がかなり大きい。また、瞳の斜線処理のせいか、どことなくまどマギに近いテイストを感じさせる。

他にも3話のマッドマック的な暴走族と原住民の素朴なデザイン、黒色の皮膚の悪役魔女(?)など、ピュアイリュージョン側のリアルとはかけ離れたアニメ絵である事を強く意識させてくれるキャラデザインである。

的確なレイアウト、絵コンテの気持ち良さ

画面を構成するレイアウト、時間(=タイミング)を設計する絵コンテは、映像をスムーズかつ気持ち良く見せるためには重要な仕事である。さらに言えば、何よりも動きがメインディッシュの本作で、土台となる映像設計がダメだとすべてが台無しになると言っても過言ではない。

本作はここを十分にクリアしており、混乱する事なく気持ち良く映像を見られた。

1話のパピカがホバーサーフで樹氷怪獣に接近してメガネを拾うシーンは「風の谷のナウシカ」のアクションシーンを連想させる。

一番分かりやすいのは、5話のホラー回。怖がらせの映像はこうした基礎がしっかりしていなければ成立しないが、キッチリとホラー的に怖かった。

文芸

シリーズ構成・脚本

ストーリーコンセプトの綺奈ゆにこは、一連のBanG Dream!のシリーズ構成や脚本を担当しており、繊細な女子の感情描写を得意とする脚本家である。

本作でも、1話~3話、5話、6話の脚本を担当しているが、とくにココナの丁寧な心情表現が抜群に良かった。最初は、無謀なパピカを心配してピュアイリュージョンにはもう行かないと決意。しかし、パピカが手を引っ張られはじめて知るワクワクを感じた喜び、行動を共にするようになった下りとか。イロドリ先輩のトラウマを改ざんしてしまい他人の大切なモノを消してしまった動揺とか。

後半のハヤシナオキは脚本としてはフリップフラッパーズが最初の作品であるが、後にCitrusひぐらしのなく頃に業/卒のシリーズ構成などを担当している。

後半の展開は、ヤヤカとの対立、ミミの暴走、最後はココナが自らの意思での選択という物語と、ピュアイリュージョンを巡る過去のしがらみを描きつつ、ピュアイリュージョンの暴走と崩壊のスペクタクルを描く。この辺りは、エヴァンゲリオン人類補完計画を逃げずにビジュアル化したようなものである。傷つきたくないけど友達が欲しいと言う自我の物語だが、令和の現代ではなんとなくレトロにすら感じるテーマである。

作劇的には、一度は嫌われてしまったココナとの繋がりを、ヤヤカとパピカが大好きの気持ちで取り戻す熱い展開である。そして、ココナが自らの意思で選択した大好きの気持ちのお返しで、世界を救う。

構成の紆余曲折に関して

本作は構成に関して紆余曲折があったとのこと。

当初は綺奈ゆにこが全面的に書いたストーリーがあり、何らかの理由で後半にテコ入れがされ、7話~13話の脚本はハヤシナオキが担当した。綺奈ゆにこのクレジットがシリーズ構成ではなく、ストーリーコンセプトとなっているのも、そのためだと思われる。

前後半でテイストの違いはなんとなく感じるものの、全13話通しての破綻はとくに感じなかった。後半はイマジナリーな設定ゆえの困難さがあるが、破綻なく物語のロジックを組み上げていると思う。難解だとか、結局伏線回収無しとかの感想をよく見るが、物語はきちんと着地している。

ただし、前半の女子の繊細さのキレ味は後半では失われてしまったように感じた、というのが率直なところ。また、後半はつじつま合わせに終始してしまった感触もなくはない。個人的には作画のキレの良さもあって、前半のテイストが好みである。

とは言え、全13話のプロット自体は綺奈ゆにこが造ったモノを踏襲しつつ、何らかのディレクションで何かがオミットされた形と妄想するが、それについては知る由もない。当初案が分からない以上、比較できるものでもない。なので、脚本交代劇について、どうのこうの言えることはなく、完成品を評価するしか出来ない。

キャラクター

ココナ

本作の主人公は、ココナだと思う。

ちょっと引っ込み思案なところもあり、進路を決めるのも一人で悩んでいた。そこに元気いっぱい過ぎてちょっと怪しいパピカが手を引っ張って、ピュアイリュージョンの世界で冒険し交流を深める。はじめは、危ないからもう行かない、と言っていたがパピカとの冒険が楽しくなり、続けて行くことになる。パピカとの距離も共同生活を経て縮まりインピーダンス(相性)も安定して来た。

6話では、イロドリ先輩のトラウマ(鳥居)に入る。無関心な両親、優しいおばちゃんの対比。おばちゃんに絵を褒められ喜ぶ。家に戻るとパピカが自室で絵を描いており、二人ともイロになっていた。そして、おばちゃんは認知症で入院しイロの名前も忘れてしまったため、ショックで逃げだした。マニュキアを見て約束を思い出し、ココナとパピカの二人でおばちゃんに名前を告げると、おばちゃんはイロを思い出し泣いた。現実世界に戻ると、イロドリ先輩のトラウマがなくなり現実世界を書き換えてしまった事が怖くなるココナ。

しかし、パピカはいつもの軽い調子で不安を分かってくれない。7話で、ピュアイリュージョンの中でパラメータの変わったいろんなパピカと二人だけで過ごして時間が流れる。「パピカのバカ―ッ!」と叫ぶと穴からパピカが現れて元の世界に戻れた。ココナとしては、いつものパピカを求めた形である。

8話では、他人の大切なものを守りたい気持ちで、ロボで巨大な敵と戦った。今まで遊びで冒険していただけだったのに、正義という理由付けをして敵と戦った。ココナの行動原理にしては、大きな変化なように思う。

9話では、双子の入れ知恵でパピカに疑念を抱きはじめる。パピカとココナで気持ちを会わせてトラップを破壊するが、ヤヤカは複雑な表情。ヤヤカから勝負を挑まれるが、本気で戦えるわけもなくヤヤカに倒される。しかし、とどめをさせないヤヤカは双子に襲われ負傷。

結局、ミミの身代わりにしてたパピカ、カケラ目的で近づいてきたヤヤカ、監視役だった祖母、みな信用できず孤立するココナの元に現れる母親のミミ。そして、ミミに甘える形で思考停止するココナ。

しばらくすると、ヤヤカやパピカがミミと戦っている姿が目に入る。もう一人のミミが怖くても自分で選択してと助言する。パピカとココナが互いに手を伸ばして手を取り合って牢を壊して敵を倒す。そのままパピカココナとミミの対決になり、最終的にパピカとお互いに大大大好きを確認しあい、ミミに間違いを認めさせた。

ピュアイリュージョン崩壊の際に、中に残ったパピカと、一人現実世界に戻されたココナ。そして、現実世界とピュアイリュージョンとの繋がりが絶たれた。

土管で太もものカケラを確認しようとしたところに突然現れるパピカ。そして、ピュアイリュージョンでの冒険はまだまだ続く。

結局、現実も、イマジナリーな妄想も、大大大好きな友達と一緒に居続けたい事も肯定するエンドになっていたと思う。

当然だが、ココナは子供であり、子供の心が描かれていたと思う。そして、シンプルなテーマとして、押し付けではなく、自分の意思で選択する事を描いていたと思う。それは思春期の子供にも、大人にも共通する普遍的なテーマだったのかもしれない。

パピカ

パピカは謎が多い。

13話で、パピカナが牢で若返ってゆき、幼女になったときにココナと出会うシーンがある。赤ちゃん→おばあさん→お姉さんと変化していたと告げられる。そして、ココナとパピカは友達になった。

年が逆行したりする時点で普通の人間とも思えないが、これはミミがパピカナをココナの友達にしようとしたのかもしれないし、パピカナ自体もミミの創造物だったのかもしれない。

ただ、パピカもココナも幼少期に友達の契約を済ませており、その意味では、二人が大大大好きなのは運命だったのだろう。

パピカは、勢いあまる行動力と身体能力でココナを冒険に誘う。それは、ココナと遊ぶ事が一番大事なため。

しかし、途中でミミの記憶がよみがえる。ただ、それを言うとココナが悲しむため言えない。この辺りがパピカの優しいところである。

ココナに私かミミかのどちらかを選ぶか迫られたとき、言い返せなかった。ミミに同じことを言われたとき、両方大事と言い返したが、ココナを奪いに来たと思われミミに逆上される。ココナやミミに嫌われると凹んで動けなくなるが、ヤヤカからの背中押しなどありながら、ココナを取り戻すべく立ち上がる。最終的にココナと手を取り合ってミミを倒した。

その後、もう一人のミミと一緒に崩壊するピュアイリュージョンの中に残る。それは、ミミへの償いだったかもしれない。ピュアイリュージョンが繋がっていると分かっているから、中に一時的に残る事が合理的と判断したのではないかと想像する。

友達が好き。その純粋さを描き続け、貫いてきた。逆に言うと、それしかない。厳しめに言えば、パピカはココナが大好きな友達としての舞台装置にしかなっていない、とも言える。

たまには、ココナのワガママに拗ねてくれたりしたら、個人的にもっと好きになっていたかもしれない。

その意味で、パピカに対して思い入れるのは難しいと感じたキャラだった。

ヤヤカ

ヤヤカは自分の居場所で迷っていた存在。

組織と友達のココナとの狭間で、揺れていた。そして、友達であるココナの側が居場所であると最終的には決断する。パピカが熱心にココナを救出し、パピカとココナの熱い友情を見せられた時の複雑(=負けヒロイン)な表情が切ない。

最後は、ソルトにカケラを託され、ピュアイリュージョンの中にパピカを助けに行き、変身して加勢する展開が熱い。

キャラ的にはまどマギ佐倉杏子的な立ち位置で、なかなかカッコいいキャラであった。

おわりに

適度に百合。物語の軸は、大大大好きな友達と、苦しくても自分で選択して責任を取る、という感じのシンプルな骨格。

そして、何より良く動く手描きアニメーションの楽しさ。ピュアイリュージョンという人類補完計画の亜流の設定。この辺りは令和の今時見かけなくなった要素であり、懐かしさを感じるところでもありました。

後半、若干重たい感じもありますが、キャラの可愛さ、アニメーションの爽快感でなかなかの良作だと思いました。