はじめに
いつもの、2024年夏期のアニメ感想総括です。今期は視聴済6本、視聴途中が3本でした。 今期は視聴済9本になりました。
はじめに書いてしまうと、今期は個人的にマケインに思い入れが強すぎて、よくぞこのクオリティでアニメ化してくれて感謝しかない、という感想に尽きます。
それから、今期は意外と変化球な作風の作品が散見されたようにも感じており、その意味でなかなか味わい深いクールになったと思います。
視聴途中のアニメは、見切れない可能性を残しつつも、観れたら後日感想を追記しようと考えています。
- 負けヒロインが多すぎる!
- 【推しの子】(2期)
- 時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん
- 小市民シリーズ
- ラーメン赤猫
- 狼と香辛料(2クール目)
- 義妹生活
- ダンジョンの中のひと
- 先輩はおとこのこ
下記を追記しました。
- 義妹生活 (2024.10.27追記)
- ダンジョンの中のひと (2024.10.28追記)
- 先輩はおとこのこ (2024.11.14追記)
感想・考察
負けヒロインが多すぎる!
- rating
- ★★★★★
- pros
- テンプレの物語にならない、キャラの掛け合いによる生っぽいドラマ優先の作風
- 作画背景芝居音楽、全方位にアニメーションとしての質の良さ
- 徹底的な取材で再現する舞台豊橋へこだわり
- cons
- 特になし
豊橋を舞台に失恋JK(負けヒロイン)たちとと目立たず他者を避けて来た男子高校生の温水が繰り広げる青春コメディ。恋愛要素があってコメディだからラブコメではあるが、メインヒロインの八奈見、焼塩、小鞠はみな失恋して恋愛が成就しないのが新しい。そんな彼女らの割り切れない気持ちに真摯に接する温水との交流にドラマが宿る。残念さを併せ持つ彼女たちの心に触れ、彼女たちの尊さと、温水の優しさに心がざわめく、といった作風である。コメディ5割、シリアスな失恋ドラマ5割くらいの配分で、飽きさせない。
原作は雨森たきび先生によるラノベ、挿絵はいむぎむる先生によるアニメ映えしたキャラクターが印象的。
制作はA-1 Pictures。本作が初監督作品となる北村翔太郎。シリーズ構成、全話脚本は横谷昌でA-1ではおなじみの座組である。また、音楽はうたたね歌菜が担当しており、本作に彩を添える。アニメーションとしての完成度は非常にリッチ。A-1では内製に注力しつつ高く安定したクオリティを担保していたとのこと。これも単にコストをかけるだけで作れるものでもないだろう。
本作はアニメーションとして全方位に強いと思うが、はやり原作小説のキャラクターの魅力が大きいと思う。
八奈見杏菜は陽気な大食い美人。幼少期に婚約を誓った幼馴染の袴田に彼女ができるが、大好きだった気持ちを吹っ切れるハズもなく、センシティブな精神状態で温水との交流が始まる。しかも、彼女との交際を応援するために袴田の尻を叩いており、感情や行動が矛盾だらけなところがある。その感情的で本能的な非ロジカルな思考で、独自のマイルールにしたがって堂々と生きているところに器の大きさを感じる。こうした女子特有の思考パターンは男子から見たら掴みどころがない。しかし、その理解できない部分もまた、異性への不思議な魅力だったり、物語やドラマの推進力になったりする。
4話で温水が八奈見の変な噂になる事を遠慮して非常階段の弁当会を終わらせようとしたときに、八奈見は見損なった感じで別れてゆく。その後で、幼馴染の草介、温水、八奈見がそれぞれの本音をぶつけ合うシーンで、八奈見の「好き」の気持ちを尊重してくれていた温水の優しさに、八奈見は温水を見直す。最終的に八奈見と温水は改めて友達になるが、ここからお互いに一目置く対等な関係がはじまる。ここから先は、もう夫婦漫才である。6話で焼塩の件は横恋慕ではあるが焼塩を応援したい気持ちを吐露したり、10話で学園祭の時間に小鞠と温水にデートの時間を与えたのも小鞠→温水を恋する気持ち捉えての配慮だったのかなと想像する。八奈見の中の正義というか倫理観は女子の恋する気持ちを全面的に肯定したいが、ときにそれがコンフリクトしたりの葛藤があるからこその青春ではある。
焼塩も小鞠も、八奈見とはまったく違う性格で、非ロジカルなそれらしさを持ってドラマを紡ぐ。焼塩は彼女のいる幼馴染の綾瀬に対する恋心にケリを付けること、小鞠は他人と繋がりたいのに怖がって自ら遠ざけてしまう気持ちにケリを付けること。それぞれのコンフリクトする感情に温水は時に寄り添い、時に助け船を出す。そして、彼女たちの深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのである。
本作がそこら辺のラノベと違うのは、そうした物語の都合で生かされているキャラクターではなくキャラクター自体の生っぽさで物語を組み上げており、キャラクターどうしの化学反応でドラマを形成してゆくところではないかと思う。おそらく、原作者の雨森たきび先生は、キャラクターの思考や行動のらしさを強く尊重しているからだと想像する。平たく言えば、キャラの「生っぽさ」を大切にしている。極論だが、なろう系がシンプルで分かりやすい物語最優先のエンタメだとすると、本作は言葉にしにくい繊細なキャラのドラマ最優先のエンタメだと思う。
次に、アニメーションとしての感触。
まず、色使いだが初夏のシーンは木々の緑色が教室や渡り廊下に被って色彩が作り込まれていたのが特徴的で、逆に冬のシーンは木々が枯れて寒々とした感覚。また、日陰と日向のコントラストも印象的でシーンの多い教室や非常階段は日陰の色調で、屋上など解放された場所では明るい色調となり、キャラクターの肌の色味自体もシーンによって変化させていた。最近は、撮影で色々とフィルター処理されているとはいえ、ここまで色被りや日陰を意図的に強調して描く作風はちょっと珍しい。これは映像のリアリティのためでもあるのだが、純粋に写真のようにリアルにするというより、絵画的なメリハリを付けるニュアンスに感じた。そのせいか、不思議と絵だけで時間帯や季節を感じさせる映像になっていたと思う。
ちょっと驚いたのが、校舎の非常階段や屋上の手すりの錆描写がリアルだったこと。モデルとなった高校も伝統ある学校なので建物の老朽化は進んでいたのだろうが、描き込み過ぎではないかとか、演出的な情報を含まないノイズになるのではないかと当初は思っていた。しかし、これもしばらく見てゆくうちに違和感が無くなった。おそらくこの背景のリアリティは、温水たちの内面の繊細なドラマを描く上で、キャラクターと同様に豊橋という土地や空気感もドラマに直結しており、合わせて繊細に描く必要性があったという意図なのだろう。校舎の屋上での八奈見との会話、深夜の小学校での焼塩の会話、キャンプ場の夜中の小鞠との会話、そうしたものすべてがその場所の空気感とともに記憶される。その意味で、温水たちの体験を共有するための必然のクオリティだったのだと思えた。
キャラクターデザインは、「86ーエイティシックスー」の川上哲也だが、原案のいみぎむる先生の勢いのあるイラストの雰囲気を上手くアニメキャラに起こしていると思う。最近のアニメはお人形さんのような崩しのないキャラクター絵も多いが、本作はラブコメということもありシリアスから崩した感じの絵まで幅広くカバーしており、本作の作風にマッチしている。また、原作挿絵になかったモブキャラのキャラデザインもレギュラーに引けを取らない感じで世界観を崩すことなくアニメーターにより個性的にデザインされていた。一事が万事そうなのだが、こうした手抜きしようとすればバッサリ切られるような部分にキッチリ手間をかけていることが伝わってくるので、高カロリーに挑むディレクションと現場の熱量が伝わってくる。
演出面だが、繊細でエモいドラマと漫談的なコメディの緩急がうまく効いていて、楽しみながら感動する流れを掴んでいると思う。たとえば、新城の道の駅での八奈見の糖質談義とか、月之木と小鞠の右×左=攻め×受け談義の馬鹿話のテンポが良い。そう言えば、私も高校時代の部活動の仲間とこんな馬鹿話をしていたような気がする。そうかと思えば、1話ラストの屋上シーンの八奈見。バックで徐々に膨らんでゆく入道雲が失恋を実感する八奈見の心に重なる演出である。また、4話冒頭の小鞠→部長の告白シーン。接近した部長に思わず「付き合ってください」と告白するシーンで、くすぶりから火が付いた花火と、小鞠の止められない心情と重なる。こうした、重要なシーンはエモさを適切かつ綺麗に演出してくる。会話や台詞は、全般的に生っぽい自然な感じがうまい。総じて、隙がなく、絶えず満足して見ていた。
負けヒロインは、好きになった相手に別の好きな人がいて、告白をしてフラれてはじめて生まれる。その意味で、彼女たちは告白という勝負を挑んだからこその敗者である。そして、振る側も振られる側も真剣だし、だからこそドラマを見ているこちらの心も痛む。本作はそこを大事にし、言葉にしにくい心情を扱い、物語に消費されない生っぽいキャラクターを描いていた。ちなみに、同じA-1制作作品の「リコリス・リコイル」は、キャラの生っぽさでは共通するが、エージェントのガンアクションだったのでエンタメ然とした物語だったと思う。同じく、「かぐや様は告らせたい」は、恋愛をゲームみたいに扱うコメディであり、こちらもギャグマンガ風味の記号的な物語だったと思う。本作は、ラノベ原作ということもあり、より生っぽさのある恋愛ドラマ寄りの作品への挑戦だったと思う。
最後に舞台となった豊橋について。
私は豊橋市出身であり、原作小説からのファンである。豊橋舞台のラノベの存在を小耳にはさんで読んでみたところ、豊橋の土地や施設や特産品をここまで溶け込ませて登場させてくれるエンタメ作品ははじめてだったので率直に嬉しかった。キャラが三河弁で喋ってくれたらなお良かったが、そこは無理からぬところであろう。本作がアニメ映えする作品に感じていたのでアニメ化は願望であったが、期待以上にハイクオリティな作品に落とし込んでくれたことに感謝しかない。
正直に言えば、豊橋はちょっと残念感のある、片田舎のさびれた地方都市だと思う。日本の中では名古屋は軽く馬鹿にされることはあるが、名古屋からは三河・豊橋は軽く馬鹿にされている。都会のような洗練はなく野暮ったい。調達できないものは名古屋に買い物に行く必要はあるが、大抵のモノは市内で用が足りる。その意味で独自の文化圏が形成されていると思う。音楽で言えばブルースのような泥臭い曲が似合う雑多なイメージがある。豊橋駅自体は再開発されて駅直結の複合施設となっているが、駅前の商店街は再開発からも取り残されつつも小型店舗が商売している。だから、豊橋は背の高いビルは少なく基本的に低い建物ばかりだから空が広い。校舎の屋上の見晴らしが良いのも地方の高校ならではの光景で、夕方に空の雲に茜が差す感じにも確かな実感を覚えた。
温水は市電+渥美線で通学するが、私は天気に関係なく毎日片道50分の自転車通学をしていたし、部室での友達との馬鹿話や書店巡りなど、ぬるま湯につかり切った青春?を過ごしていた。そうした1年を通してのその土地の空気感すべてが思い出と直結していたし、存在して当たり前のモノだった。就職して住む場所も変わり、いろんな人と接触して今に至るが、豊橋の記憶は大分薄れていった。しかし、本作を観て、少し行け海も山もあり身近に自然に触れられるコンパクトさ、ぶっちゃけ田舎ゆえに空が広く綺麗に感じられるところなど、豊橋の良さが再認識させられた。別に豊橋を1~100まで満点で褒めるというつもりはないが、やはり豊橋には豊橋の良さがある。
何もないと思っていた我が故郷は、第一線の青春アニメの舞台になった。しかも、ドラマに必然性を持って溶け込んでいるのである。繰り返しになるが、ここまでハイクオリティな作品に仕上げてくれたクリエイターの皆さまには感謝しかない。
【推しの子】(2期)
- rating
- ★★★★★
- pros
- 2.5次元舞台の綿密な設計とそれをアニメーションに再構築した高度な演出
- クリエイターや演者たちの相変わらず激エモな人間ドラマ
- cons
- 特になし
1期の感想は以下を参照。
2期の12話~20話は、2.5次元舞台の「東京ブレイド」を中心に原作漫画家、舞台の演出、脚本、役者のそれぞれのクリエイターたちが葛藤で悩み、プライドをぶつけ合って作品を作り上げてゆく群像劇を描く。
そして、21話~24話は、アクアのアイ殺しの犯人捜しからの解放からルビーの復讐の誓いへの繋ぎが描かれ、3期に繋がってゆくという流れである。
個人的に印象深かった回は、17話「成長」。
前半は、2.5次元舞台の「東京ブレイド」を設計し尽くした上で、それをアニメ上に再現するという大胆かつ緻密な演出で度肝を抜いた。ド派手な舞台のOPシーンは、それまで稽古シーンの断片だった「東京ブレイド」という作品を初見の客に分らせるには十分な情報を分かりやすく提供しており、一気に「東京ブレイド」という作品世界に引きずり込む。シーンの切り替えは観客席を取り巻くドーナツ状の舞台を回転させてセット切り替えをするシーンは、観客席目線の引きで描き疑似体験の臨場感を出す。視聴者が観客席に座りつつ観劇する感覚が確かにあった。2.5次元の演劇の設計自体が緻密な上に、それをアニメーションとしてあるときはシミュレーションし、あるときはアニメーションとしての繊細な演出を盛り込み、両者のいいとこ取りの映像になっていた。SNSによれば、2.5次元舞台周りの演出は猫富ちゃおとのことで、要注目である。
また、後半は元アイドルとして演技力不足を自覚するメルトが、舞台上の一瞬の輝きに賭けての渾身の芝居が観客を掴むというドラマ。正直、メルト回があるとは思っていなかったという油断と、前半でがっちり気持ちを鷲掴みにされていたこともあり、すごくエモくて驚いた。他の演者に比べて圧倒的に演技力が低いという自覚と世間からの認知を、一瞬の輝きで覆して、観客を満足させるという筋書きの熱さ。このストレスの蓄積→一瞬の輝き→救いという脚本の流れと的確でエモい演出が、Bパートの短い間に綺麗に描かれる。本シリーズの良きエッセンスが凝縮された回だったと思う。
もちろん、原作漫画家のアビ子先生の葛藤や、あかねvsかなの芝居対決など、業界ネタのリアリティと激エモ演出のドヤ感が毎話みごとに決まる気持ち良さは健在である。
さて、事件の深層にたどり着いたと勘違いして復讐から解放されるアクアだったが、真相はあかねの思考を通じて視聴者に伝えられた。本当の父親はかなり邪悪な存在で、まだ生きている。このときの抽象的なイメージシーンが非常に的確で、誤解なきように正確に情報を伝えてくる演出に安心感さえ感じる。24話では吾郎の死体を発見したルビーが闇落ちして復讐に取りつかれる。サスペンスドラマ感ある超展開だが不思議と違和感を感じないのも、私が本作に馴染んできたからかもしれない。いずれにせよ、キャラの心情を激しく描く作風は相変わらずキレキレで、その強さ巧みさでねじ伏せられてる感はあるが、正直それが心地よい。
総じて、1期のリアリティある芸能界ドラマは、2期の舞台演劇ドラマとしてさらにエモく昇華した。個人的にも大満足であった。続く3期も楽しみにしている。
時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん
- rating
- ★★★★☆
- pros
- cons
- 要素が多いためか、全般的に大味でテンプレ的に浅くなってしまうエピソードの書き込み
なろう系ラノベ原作ラブコメ。制作は動画工房、シリーズ構成・監督は伊藤良太。
安定の作画でメインディシュである美少女たちをあざと可愛く描く。時にお人形さんのような印象も受けるが、それは本作の持ち味であろう。1話でハイソックスの履き替えシーンのイベントでアーリャのパンチラシーンがあり、なんか久々にパンチラを見た気がして率直に嬉しくなった。このシーンがあれば掴みのシーンとしては合格であろう。シンプルにアーリャ可愛いと楽しんで観ていた。
主人公の男子は、一見不真面目な久世。ヒロインのアーリャは真面目でお堅いロシア人ハーフ美少女。他には、一見清楚なご令嬢ながらその実態は猫を被った久世の妹の周防有希。おっとりマイペースなアーリャの姉のマーシャ。その他もろもろの美少女たちに囲まれながら生徒会役員として楽しい日々を送ったりする。
当初シンプルにラブコメだけだと思っていた文芸は2話で、久世と有希が実の兄妹だと分かったり、結構アクロバティックな展開を盛り込み、最終的に、次期生徒会長選挙に向けて有希vsアーリャの対決の構図になってゆく。途中で久世がリーダーとして切れ者の資質を持ち合わせているとか、有希が初手としてダーティな手段を使うとか、ややバトル要素が途中から強くなる。一粒で二度美味しい作りである。
私は原作未読だが、本作はそれぞれのキャラが持つ課題に触れつつ、それを乗り越えてゆく骨太な物語がバックに透けて見えるところがおもしろいと思う。
久世や有希が背負う周防の家系の血は外務省か何かか。そのための英才教育により久世はリーダとしての資質を持つも普段はそれを隠している。有希は出て行った久世の代わりに周防の後継ぎを任されるのだろうが、本人の実力が伴っているかはまだ描かれずダーティーなやり方でアーリャを牽制した。アーリャ自身は理想は高いが昔から自分一人で背負い込んで空回りする問題を抱えており、民衆の心を掴むのが下手。
だから、本シリーズの大きなゴールはアーリャがリーダー(指導者)として民衆の心を掴んで大事を成す必要がある。その能力を持つのが久世だが、久世から借りっぱなしではダメで、久世なしでやり遂げる、もしくは久世に恩返しするというのがゴールなのだろう。
12話で先日討論で戦った沙也加と乃ノ亜に一緒に登壇してもらう久世の作戦が功を奏してアーリャ優勢に持ち込んだ。沙也加は借りを返しただけだが、もともとアーリャが討論会後の沙也加に止めを刺ささなかった(刺せなかった)優しさで貸しを作った形である。久世や有希は目的の為なら冷酷になれる人間である。アーリャのそのお人好しは弱点でもあるが、すべての人を救いたい弱者救済の気持ちはリーダとしての資質の1つでもあろう。
原作は既刊10巻で、1期で3巻まで消化しているので、2期以降も骨太な展開があることを期待したい。
ところで、1期の後半は久世と有希が戦争に興じてしまい、ラブコメ要素がかなり薄まった。1期は夏休み突入で〆られたから、ここから夏休みのイチャイチャが始まるのではあろう。シリアスな選挙戦とイチャイチャのラブコメをスイッチで切り替えて片方だけ見せる作風ゆえに、ラブコメしか興味がないファンには少々厳しい展開だったかもしれない。
9話の催眠術回は楽しくはあったが、逆にお約束があざと過ぎて(テンプレ過ぎて)文芸的にしんどくなってしまった。もっと自然な感じでアーリャの恥ずかしさが見たいという気持ちもある。ただ、去年の文化祭を久世の助言で惚れてしまうアーリャとか、空回りして守ってあげたくなるアーリャみたいな良いドラマをもう少しうまく全体に溶け込ませられると良いのにな、とは思う。
脚本は1~4話、12話が伊藤良太監督で、ドラマの肝はキッチリ押さえられていた。5話~11話は山田由香、千葉美鈴の2名で手分けして脚本を担当している形であるが、下品にならないラブコメ作りや作劇になっていたと思う。
最後にまとめになるが、作画が綺麗なラブコメでありながら、文芸面では生徒会会長選挙戦バトル的な部分もあり、重層的な文芸の楽しみがあったと思う。反面、ラブコメのイチャイチャやドラマがもっと欲しいというニーズもあり、その意味で魅力が散漫になった感はある。感覚的にはラブコメ4割、選挙戦6割というところか。個人的にはラブコメを重視したいが、ここまで来るとバトル物としての軸も本作のアイデンティティであろう。二兎を追う者は一兎をも得ずとならぬよう、本質である文芸やドラマでアーリャの魅力を発揮されてゆく事を期待したい。
小市民シリーズ
- rating
- ★★★★☆
- pros
- cons
スイーツ大好きゆるふわ日常系推理小説と思わせておいて、正義と悪をキッチリと突きつける、本格推理モノだった。
創元推理文庫の原作小説は米澤穂信先生の学園青春ミステリー。アニメーション制作はラパントラック、監督は神戸守、シリーズ構成は大野敏哉、脚本は大野敏哉と内海照子。
原作小説はシリーズの書籍名は「春既限定xxx事件」という感じで春夏秋冬と進み、番外編の1冊を含めて全5巻。高校一年生~三年生の3年間を描く。ちなみに、私は原作小説未読である。
アニメーションのルックは今風というかキャラクターは線は多めだがシャープな感じ。注目なのは瞳の色と処理で、髪の毛の色など含めて色調はリアル寄りなのだが、瞳のデザインだけは奇抜な赤色なども使っている。小山内などはこの赤色の瞳で狼モードになった際のサイコパス感を際立たせていた。赤色を小山内のテーマカラーにしたのは効果的な設定だったと思う。背景は新海誠風味で、青春感のある爽やかなモノ。全編シネスコサイズで切り取られた画面もあいまって、精密な画面作りの印象を持った。
ベースが推理小説なので、台詞によるロジックの説明は重要になるが、そこは適切な台詞を持って分からせる。アニメとしてはそこに表情やら仕草の非言語を加えて表現してゆくわけだが、小鳩が名探偵よろしく謎解きを解説するシーンの勿体ぶった言い回しの際の嬉々とした表情や、容疑者の生徒たちの苛立ちの表情など、絵の芝居もキッチリやってきているという意味では教科書的な推理モノの作りだったと言えるかもしれない。やはり、芝居の中で非常に効果的だったのは小山内だろう。驚きや美味しさの喜びの表情はあるが絵や声の芝居は非常にコンパクト。そして、それは狼モードになった際も同様で、だからこそ逆にターゲットをいたぶる強者の余裕に底知れぬ恐怖感を抱いてしまう。小鳩や堂島が感情に素直なキャラゆえに、その対比が上手い。
1期10話まで見ての印象は、私からは下記の対比であり、小鳩と小山内の互恵関係からの決別を描いていたと思う。
- 小山内ゆき=悪 ≒モリアーティ
- 小鳩常悟郎=正義≒ホームズ
- 堂島健吾 =正義≒ワトソン
直近の作品であれば、「薬屋のひとりごと」が、ホームズ、ワトソン、モリアーティをなぞったキャラ造形だと思う。この手の遊びは、シャーロックホームズの文法を理解しているとパロディやらオマージュを楽しめるのだろう。
本作では、ずば抜けた頭脳を持つ小鳩と小山内がそのせいで生きにくさを感じて、互いに能ある鷹が爪を隠すための互恵関係を結んでいた。つまり、頭脳明晰を隠してつつましく「小市民」として生きる、というわけである。皮肉にも二人のモデルであるホームズとモリアーティは敵どうしなのに、小鳩と小山内は互恵関係どころか、周囲からは恋人関係に見られていたところがおもしろい。この導入だったからこそ、日常系推理モノの体裁でゆるく見ていて、途中から小山内の悪の本性に背筋が凍り、最終的にはモリアーティのオマージュなのだと腑に落ちるという味変になっていた。
小山内は自分を攻撃してきた人間に対し、とことんまで攻撃し返して完膚なきまでに打ちのめそうとする。しかも、相手への攻撃は完全犯罪というレベルで自分に罪が及ばないように、周囲の人間を操って計画を遂行する。それは、助けてやったのに自分を攻撃してきた川俣さなえもそうだし、利用したというなら小鳩や堂島もである。小山内の恐ろしいのは、石和馳美への復讐に身代金目当ての営利誘拐の濡れ衣の罪まで被せようとしたところ。逮捕監禁罪の懲役は3か月~7年、逮捕監禁致死傷罪の懲役は3か月~15年。しかし、身代金目的の営利誘拐の懲役は最大で無期懲役である。そしてここが重要なのだが、小山内はこの完全犯罪の復讐を楽しむ愉快犯である。ちなみに、濡れ衣で罪を着せるのは誣告罪として懲役は3か月~10年。つまり、石和馳美に負けるとも劣らず罪が重い。
10話では、小鳩がこの夏の事件の全容を紐解き、小山内の計画を暴くところまでリーチした。行き過ぎた復讐を指摘する小鳩とまったく悪びれない小山内。二人の互恵関係はここで瓦解した。別れ話をしているのに一切悲しくないと言い切った小山内は、完全にロジックの人である。周囲からは、二人は別れてそれぞれ新しい恋人ができたみたいになった形で1期は〆られた。
とは言え、ともに恋人が普通の人である状況に満足できるハズもないだろう。2期では小鳩と小山内はスリルを求めてまた対決する関係となるか、また互恵関係の元サヤに戻るのではないかと想像している。
総じて、本作はロジックの物語で恋愛要素は少ない。推理小説らしく、悪や犯罪という要素をキッチリ描く。推理小説風ではなく、推理小説そのものである。そして、そのキャラクターの感情の機微の描き方は丁寧。だからこそ、小山内たちのキャラクターや行動を信じられる。すべては推理小説としてのクオリティを高めてゆく形であり、非常にストイックな作風だと思う。
本作の評価はこの作風を理解し受け入れられるかにかかっていると思う。私は、推理小説をコアを大切にしながら、今風の青春感やスイーツの可愛さをトッピングしてきた本作(主に原作小説)の作風は見事だと思ったし、作品の構造もエンタメの1つとして非常に楽しめた。2025年春の2期も楽しみにしている。
ラーメン赤猫
- rating
- ★★★★☆
- pros
- 癒しとちょっとイイ話で織りなす、意外と良い文芸
- 派手さはないが、見た後で気持ち良くスッキリする作風
- cons
- 特になし
5匹の猫が営むラーメン屋「赤猫」。そこに広告関係の仕事でメンタルが壊れて退職したOLがバイトし始めるという、一風変わったファンタジーな物語。癒し系で、ちょっとイイ話がある作風で、私もクスっと笑いながら楽しみに観ていた。
制作は新興アニメ会社のE&H production。監督の清水久敏は、「体操ザムライ」でも監督をしていた。シリーズ構成・脚本の久保亨は、脚本家としての仕事は多くないがプロデュサーとしても活躍している。
アニメーションとしては、3DCGがメインだが人間の動きが少し硬い感じはあるが、二足歩行で働く猫たちはそういうキャラであると脳が認知してしまったため違和感が無く、作画も絶対に崩れる事がないため、作品に馴染んでいたと思う。舞台の多くの時間を占める赤猫の店舗内は3DCGのモデルが作られており、この辺りも作品に合った映像作りになっていたと感じた。
まずは、作品世界やテーマについて。
店長でいぶし銀の文蔵、サイドメニューと盛り付け担当のサブ、接客のハナ、接客や経理担当で経営者でもある佐々木、製麺担当の 虎のクリシュナ。この中でハナとクリシュナの二匹がメスである。職場は忙しいが人間関係(猫関係)は良好で、仲間を気遣いながら、ときに叱咤激励しながら、プライドを持って仕事に励む。猫たちのキャラクターもそれぞれ個性的でおもしろいし、それぞれの猫が物語を背負って生きている。
猫たちのキャストもベテラン揃い。文蔵のCV津田健次郎や、ハナのCV釘宮理恵、クリシュナのCV早見沙織などは、絵の芝居が硬い3DCGでは無くてはならないキャスティングであったと感じた。
猫カフェは猫が飾りでしかないが、赤猫は5匹の猫が人間相手にラーメンを作る設定である。二足歩行し、日本語を話し、ラーメンを作って接客し、店舗の経営もする。超ファンタジーな設定だが、猫が日本語を喋れるかどうかは猫の苦労の度合いにより変わるとか、ラーメンスープにはネギをダシに使えないとか、真面目に話しているところで思わず微笑してしまう。これが癒しになっている。私は猫は詳しくないが、猫ネタはかなり造詣が深く感じた。
また、過去に雇った人間のバイトが猫好き過ぎて迷惑だったから辞めてもらったとか、一方的な愛だけではダメという皮肉も描いていたりで奥が深い。
赤猫の職場は、忙しくとも理不尽はないホワイトな職場であり、そこに人間の珠子がバイトで入ることは、珠子のメンタルの再生がテーマの一つにあったと言える。最初は、猫たちのブラッシングから始まり、だんだんできる事を増やして製麺や食器洗いなどをしてゆく。そして、珠子なりに職場改善を提案したり、猫たちと一緒に働き、本当の仲間となってところで最終話は〆られる。
もう一つのテーマとしては、猫たちに対して見下す人間が少なからず登場するところ。やはり猫たちは人間に比べて圧倒的に弱者である。文蔵が毅然とした態度で怒りを表明しても、かまわず傍若無人な態度を改めない人間もいる。そんな輩には、赤猫を応援する人間がヘルプに入って問題解決してくれたりする。危うさはあっても、その誠実さや誠意がキチンと他人に伝わり救われる物語になっている。弱者だからと卑屈になることなく、自尊心を持って生きる事の大切さ。設定は変化球でも王道の物語に安心感を覚える作風である。
総じて、ファンタジー設定ながら文芸面は良く出来ており、また細かな猫ネタも猫好きを楽しませ、気持ち良く見られる癒しの作風だったと思う。猫ネタは、毎回クスっと笑いながら観ていたし、かなり好みの作風であった。
狼と香辛料(2クール目)
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- 物語然とした会話やロジックが強めの文芸と、美しい旅の風景
- 賢狼ホロが可愛さ
- cons
- ロジックを交通整理して見せるのは長けているが、テンポ感や勢いの弱さは演出的な弱点
1クール目の感想は、以下を参照。
全体的な印象や魅力は、1クール目から変わりはない。ラノベ原作ゆえの台詞や会話劇に重きを置きつつ、中世ヨーロッパ的な美しい風景を切り取りつつの、賢狼ホロと商人ロレンスの二人旅の物語。
2クール目で改めて思うのは、ビジネスの話だけでなく宗教が人間に及ぼしてきたモノをテーマにしているな、と感じたところだろうか。宗教≒権力だから、権力がより大きな権力に潰されたり、潰されないように守ったりという物語があったと思う。ビジネスや宗教というがんじがらめのロジックの中で生きる人々の中で、ホロとロレンスは割とその縛りを受けずに自由に生きているところに、私は憧れてしまう。賢狼ホロが真実の神様なら人間に三下り半突きつけるのであろうが、ロレンスを通じて非力な人間の生き様を見つめていたように感じた。そのあたりのさじ加減が絶妙で、人間を非力と思いながらも嫌いと好きの中間に位置付けていたと感じた。ホロもまた、弱さやじゃれ合い気質な面もあり、お互いにコミュニケーションを取りながら不器用に生きてゆく感覚があり、そこが愛おしさになる。
ただし、エンタメ的には文芸力、美術力に頼り過ぎで、今風のテンポ感や勢いは弱いと思うので、その辺りは好みが分かれてくる作風であろう。
義妹生活 (2024.10.27追記)
- rating
- ★★★★☆
- pros
- 純文学的な文芸重視の作風と物語
- 繊細さや透明感があり、スローで落ち着いたテンポで、作風にマッチした演出と芝居と音楽
- cons
- 作画はもうひと踏ん張り欲しい(他を注力するディレクションとは理解はするが…)
従来のアニメとは一線を画した、敢えてアニメーションはスローにして、男女の心情描写に比重を置いた文芸重視の作風。限りなく他人に近い義理兄妹になった浅村悠太と綾瀬沙希。再婚した両親とはじまる4人暮らし。最初は極力少なめの干渉からはじまり、互いに意識し惹かれ合い、兄妹関係というモラルの中で互いに好きの気持ちを封印する。純愛を描く純文学の風格を持った作品だと言える。
まずは、物語の全体の流れから。
父息子と母娘の再婚だから、互いに異性(の家族)に不慣れで苦手意識がある。だから、兄妹のスタートはぎこちない。しかし、浅村の偏見を持たないフラットさと誠実で親切な態度に綾瀬は引かれる。綾瀬のいつも肩に力が入っているかのような、まるで小動物が周囲を警戒して休まらないような、守ってあげたくなるけど無理やり触ったら折れてしまいそうな、そんな不思議な雰囲気に戸惑いながらも浅村は引かれる。二人とも、相手の気持ちは理解しきれないし、相手にどう思われるかの心配が先に立つ。この時点で、浅村や特に綾瀬の気持ちが自分でも分からない感じで、物語は進んでゆく。非常にぎこちない兄妹の会話劇があり、モノローグによる心情描写がつづいてゆく。全体的に浅村視点で劇が進行して、次回のアバンで綾瀬の心情を日記という形で答え合わせする、という演出パターンもあった。このように、二人が相手の台詞や身振りや行動の意味を探りながら受け止めてゆく、という暗中模索を視聴者が体験できるような演出になっている。だから、この二人のシーンは非常に息苦しく演出される。この感覚は「リズと青い鳥」の息苦しさに近い。
ちなみに、聡明で賑やかな奈良坂真綾とこの二人がからむ芝居も多いが、二人のテンションが余りにも重いのて奈良坂の演技が浮いてしまうほどである。また、同じ書店バイトの女子大生の読売栞と浅村の二人のからみは、読売の明るさもあって浅村は非常にフランクに対応している。ある意味、奈良坂と読売が本作の息継ぎになっていると言っても過言ではない。
物語が進むにつれ、綾瀬の追試の勉強をサポートしたりしてより親密になり、二人がお互いを好きな気持ちが膨らんでゆく。しかし、それを表面に出したらすべてが壊れてしまいそうな恐怖感から、二人とも自分の気持ちにブレーキをかける。たが、お互いに相手が異性と一緒にいると嫉妬して、ますます恋の炎が大きくなる。この嫉妬を「この気持ちを何と言うんだろう」みたいなモノローグで表現するあたりは、本作の文芸力と言ってもいいだろう。好き合っているのに、結び合う事ができない。純文学以外の何物でもないと感じた。
終盤にこのモラルをぶち破る助言者が現れる。綾瀬には大学教授の工藤英葉。倫理学で綾瀬の深層心理にメスを入れ、もう少し他者と交流してからその気持ちが本物なら大切にすればよいと諭す。そして、浅村には同じ塾の生徒の藤村夏帆。藤村は傷ついて悲しんだ気持ちを無理やり消そうとした過去を話し、正しさよりも自分の気持ちを大切にしなければ自分を傷つけることになると助言する。
最後は、浅村→綾瀬の「特別な気持ち」の告白があり、一瞬の拒絶の後、受け入れ合って一段落する。この時の気持ちは、明確な恋愛か兄妹愛か分らないけど、どちらにしても受け入れる、という合意である。二人の正直な気持ちをぶつけ合いながらも互いに似た気持ちを持ち、最悪の破局という事態は回避できた。それでいて、恋人か兄妹かを確定せず、しばらくは曖昧なまま現状維持すればよいという〆方であり、非常に美しいと感じた。思いきって恋人もしくは姉妹と確定してしまうことは心理的にも物語的にも安定感のある結末だとは思うが、それだと陳腐になる。今のこのつま先立ちの状態こそが二人の感情の真実であり、不安定ゆえの特別な美しさがあり、それを継続することになるからに他ならない。この辺りの受け止め方は、観る者によって千差万別であろう。
もっとも現実的には、白黒をつけないこの状況のまま5年10年と大人になるわけにもいかず、一線を越えて本当に恋人になるか、青春の淡い思い出として心の中にしまって、兄妹として生きるかの選択をするときは来るのであろう。ずっとこの関係で固定するのは流石に無理がある。
いずれにせよ、言葉にしにくい純粋な気持ちをここまで緻密に描いたアニメはちょっと他に類を見ないと思う。シリーズ構成的にも、1クール12話を使いきり、非常に綺麗な幕引きだったと思う。最終回手前で最大のストレスの山場を設け、そのストレスを解放してカタルシスを味わう事ができた。これは計算し尽くされた物語の流れであろう。文系面は個人的には大絶賛である。なお、シリーズ構成は広田光毅で、脚本はこれに山田花名、笹野恵が加わる3名体制であった。
最近、エンタメ作品を観て思うが、物語は登場人物の心の葛藤を描くことが多い。AとBのどちらかの選択肢を選ばなければならない場合、現実社会ではより正しいとされる方や、多数決による数の判断で選択される事が多いと思われる。そうすると、逆の選択肢に引っかかる小さな気持ちをないがしろにすることになる。義妹生活ではまだ「ほぼ他人」だが、これが血のつながった兄妹なら完全にインモラルとなり、現実世界では非難される。でも、物語の中だけでも、そうした小さな気持ちを優遇して救う事があってもいいと思うし、それでこそのフィクションならではの物語であろう。今回、藤村がズバリその事を台詞にしていて共感してしまった。
次はアニメーションとしての感触について。
本作の雰囲気を言葉にするなら、イノセント、透明感のある美しさ、息苦しさ、プラトニック、みたいな感じか。
昨今のアニメは、リアルタイム性を持って、カンフー映画の組手のように神の目線で状況を視聴者に状況を把握させてゆくタイプの作品が多いと思う。が、本作は相手の気持ちを手探りで確認してゆく作風ゆえに、非常にスローなテンポで映像が紡がれる。モノローグが多く、映像のカットも考え事をしている風だったりするので抽象度が高いシーンが多い。昔の実写の邦画のような感触がある。
音楽やSEで近いモノは、やはり「リズと青い鳥」だったような気がする。作品に合った透明感のある劇伴が見事にマッチしていた。ちなみに、音楽担当はCITOCAとのことだが、この名義での過去作はなく謎に包まれている。
アニメーションの作画としては、あまり動かないし、作画自体もリッチさはあまりない。全体的にキャラの表情が眠いようなスッキリしていない印象である。かと思えば、動きの無い目玉焼き作画にやけに力が入っていたりする。この作画の動かなさは意図的な作風に思う。作画が良いにこしたことはないが、逆に絵が目立たないことで、より文芸面や会話劇に集中させるディレクションだったのではないかと想像する。
キャラクターとしては、綾瀬のキャラが立っている。ちょっとギャルっぽい要素を持ちながら、非常に透明感があって繊細な内面を持ち、どことなく他者を拒絶している雰囲気を持つ。現実に居たら、とっつきにくそうだが、ミステリアスでちょっと惹かれてしまいそうな存在感がある。ありがちなラノベのヒロインなら読売や奈良坂の方がそれっぽい。敢えて、そのカウンターとなっている。
キャストだが、綾瀬のCV中島由貴と浅村のCV尼崎浩平の声の芝居も、非常にゆっくりと落ち着いたトーン。探りながらなの会話劇の緊張感と息苦しさが、より伝わってくる演技である。
これらの要素は全て、本作が持つ雰囲気にビシッと合わせられた的確に演出されていたと思う。
最後に全体の感想について。
本作では、他人から家族になった異性に対して必要にせまられてコミュニケーションをとる事になった二人が、相手に誠実に向き合い、そして自分にも向き合って付き合い方を模索してゆく。特殊なシチュエーションとは言え、多かれ少なかれ人間は気持ちの分からない相手とのコミュニケーションを取りながら生きているし、時に意思疎通が必要になることもある。本作では、その面倒くさい「すり合わせ」を行いながら、汲み取れない気持ちに翻弄されてゆくところに、共感を覚える。
近年、面倒くさい事を避けてゆく傾向が生き方にもエンタメにもあるような気がしていたので、本作は挑戦的に思えたし、どちらかと言うと昭和感があるドラマ作りに感じた。また、内面描写や会話劇が多いが、必ずしも言っている事と本心が同じではないという複雑さは、文芸作品的な感覚を強く感じた。このスタイルがアニメ本来の強みではないとは思うが、敢えてエンタメ作品としてそこを丁寧にやってきたところが本作のストロングポイントだと思う。
ビッグバジェットでリッチなアニメがもてはやされるのは当たり前だが、ビジネスとしての採算を考えるならリッチ(高コスト)だけが正義ではないし、非リッチな良作も褒めたと私は常々思っている。本作は、その解答例の1つではないかと思う。
ダンジョンの中のひと (2024.10.28追記)
- rating
- ★★★★☆
- pros
- ほんわかしたきらら系4コマ風味ながら、ビター要素もあり、甘すぎないバランスの良いテイスト
- 捻りの効いたSF風味あるダンジョン設定
- cons
- 特になし
ファンタジー世界のダンジョンが超技術で作られ管理されているとしたら……。ダンジョンの管理人の少女ベルと、そこに雇われた冒険者の少女クレイの交流と、ダンジョンの中の不思議な仕事を軽快なタッチで描く。
ダンジョンの摂理や仕組みに迫る作品と言えば、直近では「ダンジョン飯」があったが、こちらはよりSF寄りな設定と感じた。絵柄がきらら系4コママンガ風味だが、ときおり残酷だったりハードボイルドなネタが差し込まれる。ベル⇔クレイの関係もベタベタした関係ではなく意外とドライであっさりしていたりする。その意味で、浅煎り珈琲のようなスッキリした後味である。
制作はOLM Team Yoshioka、監督は山井沙也香。シリーズ構成は竹内利光、脚本はこれに赤星政尚が加わる。ちなみに、この座組は「異世界美少女受肉おじさんと」と同じである。
本作の魅力を語るには、まずはキャラクター紹介からだろう。
パーティーを組むことなく単独でダンジョンを冒険していたストイックな性格のクレイ。父親のブランスに冒険者として鍛え上げられてきたが、その父親が3年前にダンジョンから帰ってこなかった。家族は父親しかおらず、父親を超えるために冒険を続けていた。そのおかげで身体能力も高く、さながら忍者である。本作では設定説明やギャグの前振りのためのクレイのモノローグが非常に多い。CV千本木彩花であるが、「ぼざろ」の廣井きくり役や「ダンジョン飯」のマルシル役のテンション高めのイメージだったが、本作ではドライなクレイを淡々としたトーンで演じていた。
ダンジョンの管理人のベルは、ほんわかした美少女だが、戦闘力は圧倒的で非常に強い。超技術を使ってダンジョンを管理する。やられ役のモンスターの雇用だったり、ダンジョンのマップの更新だったり、悪行を繰り返す冒険者を成敗したりとやるべき事は想像以上に多いハードワークである。これらの仕事は先代の管理人から引き継いだモノであり彼女は2代目である。ただ、普段があたふたした感じで、部屋の片づけが出来なかったりで、キャラクターに二面性のギャップがある。CV鈴代紗弓の芝居はそのまんまイメージ通りのハマり役である。
それから、もう一人重要なキャラとして、武具制作やその他メンテナンスのランガド。職人かたぎなドワーフのオジサンだが、先代の管理人からの付き合いでベルの事を昔から見て来た。
この3人が、ダンジョン運営をする上での職場の仲間であり、日常系のギャグはこの3人の会話のやり取りがメインである。クレイもベルも特殊なキャラなので、ランガドが一般大衆の感覚に一番近いと思うが、この3人の感性のギャップがギャグとなる。
次にルックやアニメーションの手触りについて。
ルックとしては、前述の通りきらら系4コママンガそのものであり、4コママンガ的なギャグも多い。定番なフォーマットなので多くの人は馴染みがあるだろう。この絵柄のまま、ときおりシリアスなバトルシーンも出てきて、そこは劇伴などで緊張感のメリハリはある。基本的にダンジョン内はモンスターなども雇用されていたりで、バックヤードでは割と和気あいあいとした雰囲気である。
また、本作の醍醐味であるダンジョン設定について。
よくあるファンタジーの文法を多角的にメンテナンスする側から見直してネタを作っている感じである。例えば、ダンジョンの宝箱からお宝の補充や、モンスターを倒したときに死体が消えて宝石が出現するカラクリとか、その辺りを設定がいちいちネタになっている。
また、本作の設定はちょっとSF寄りだと思う。まずは、移動手段にスタートレックの転送装置のようなシステムがある。倒したモンスターが宝石になる件は、何度でも再生(蘇生)できるように水晶室の水晶に情報を記憶して封じ込め、宝石の周囲に肉体を作る。やられたときは、水晶の力で瞬間体に中身を転送して、宝石はそのまま使い捨てにする。また、モンスター用の食材を調達するために人口の森の中で畑などで栽培したりとか。
ちなみに、この水晶と宝石の設定は、まどマギの魔法少女システムに似ていると思う。水晶に情報を持たせて生身の体から命を分離してしまうのでダンジョン内では不死身というわけだが、宝石は依り代でしかない。ベルがクレイを雇用する際にサラッとこのシステムに取り込んでしまっているが、元の生身の人間には戻れないのかもしれない。しかし、何度死んでも個体としての記憶や肉体的鍛錬による成長は繋がっており、クレイ本人も生身の体じゃない事についてクレームも出ていないので、より高度で完璧に生物をコピーできるのかも知れない。もしかしたら、ベル自身もこのシステムで不死身になっている可能性もゼロではないと思う。
ダンジョン内のよりディープな部分では、金属の壁に覆われた精霊の部屋があり、水や光や闇や土などの精霊が居る。精霊の方が生成系の能力が高そうで、ダンジョンのフロア新設時は精霊が設計図に従ってフロアのベースを作っていた。これらの精霊の力はテクノロジー以前の自然のパワーというイメージである。
また、雑魚であるスライムが、ダンジョンの清掃の役割と持っていたりとか、弱ってきたら巨大なベースのスライムに戻して再度切り出すとかの設定もある。
こんな感じで、ダンジョンで冒険する側であったクレイが、各種設定の種明かしを受け、練られていると唸ったり、雑だと感じたり、結局分からなかったりのリアクションで笑いになる。割と説明が大変な設定が多いが、それが苦にならない程度には情報を上手くまとめていたと思う。よくも色々とネタを考えているなと感心してしまうし、この辺りは脚本的な巧さではないかと思う。
個人的に好きなエピソードは、9話の国王との対決の話と、11話の無法者の冒険者たちを始末する話。
9話は、国家とダンジョンの契約更新の話。若くしてやり手の国王だが、人質でベルを負かそうと計画したり、一目ぼれした素振りで付き添いのクレイの名前を聞き出そうとするがダンジョン側の弱みを握るための策だったりと、なかなかに腹黒い策士として描かれていた。実力差で負けを認めざるを得なかったが、国のトップともなるとこの腹黒さが生々しい。また、ベルたちはこれだけの超技術を持ちながら国家に干渉されない契約を結び共存を図るのだが、相手を圧倒的に叩きのめして実力差を示さないと、契約など守られないという話もかなりビターなネタであった。
11話では、見た目は良い人たちだが、仲間殺しと噂される腹黒冒険者たちが、新しくパーティーに参加した女性の魔法使いにダンジョン探索中に手出ししようとする。ダンジョンの管理者として狼藉は許さないベル(とクレイ)がこの悪人たちを始末する。なかなかのクズ悪役っぷりではあったが、最後はベルたちに惨殺されるのでかなりビターである。
本作はほのぼのとした絵柄ではあるが、こうしたグロい話も結構あり、昔の童話のような雰囲気を持っている。この辺りが、ふわふわしただけの作品とは一線を画しており、ハードボイルドな後味の悪さのある苦味も効いた作風となっている。
ビター寄りなエピソードの紹介になってしまったが、シリーズ構成的にもダンジョンのネタを毎回紐解いてゆく形でなかなか飽きさせない構成になっていたと思う。
最後に本作のテーマというか、ドラマの骨格的な部分について。
本作は一人でダンジョン管理をしていたベルのガールミーツガールな物語と言っていい。身内としてランガドもいたが、やはり同じ年頃の友達が必要というのはランガドも気付いていた。そこに1話の事故でクレイがダンジョンに雇われる事で身内が増えた、という形である。
クレイもまた一匹狼だったので地上に仲間や家族の未練はなく、言われるがままダンジョンで働く事になるが、自身の鍛錬を続けながら新しい仕事もまんざらではない感じでこなしてゆく。何よりベルが片づけられない事にツッコミを入れたり、先代から受け継いだダンジョン管理をベルなりに守ったり改善したりする姿勢に、技術的には分からないなりにもベルという人間に対する一生懸命さは理解して応援したくはなっている。ベルは神にも近い存在でありながら、主従関係ではなく、身内や家族としての繋がりを持てる数少ない人間である。こうして、友達の居ない者どうしが、初めての友達となり、その関係を続けてゆく、というところで12話は〆られる。
ベルもまたダンジョンの全責任を負っており、大変な責務だとは思うが、何かあるとクレイと一緒に仕事をすることで、これまで一人で仕事をしていたときよりも、楽しく仕事に向き合えるようになったのかもしれない。
もっとも、9話では転送陣で戻ったときに「ここに居る時くらい、クレイさんは私が独り占めだ」の台詞もあり、国王の好意にも気付かず恋愛に鈍いクレイにホッとしていた。これが意味するところは、クレイにずっとここに居て欲しいであり、私以外の友達は作らないで欲しいという拡大解釈もできる。これまでも触れてきたように童話のような純粋であるがゆえにグロい面は、ベルにも微かに匂わせていたと思う。個人的には、こうした部分もまた、味わいの1つであると感じている。
総じて、きらら風味の可愛さの中にビターなネタも含んだ作風で、甘過ぎる事無く適度な苦味があって、バランスの良いエンタメだったと思う。EDに入る直前のラストのオチも毎話練られており、サッパリした後味だったところも好印象。ハッキリ描き切らない部分もあり、考証の余地があった点も良かった。ニッチながらなかなか楽しく観れた良作でした。
先輩はおとこのこ (2024.11.14追記)
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- マイノリティというシリアスで繊細なテーマと、複雑な三角関係の恋愛ドラマ
- 強めのエモい演出と、デフォルメの効いた2頭身キャラと芝居の緩急で攻める演出
- cons
- とは言え、はやり劇は真面目で重い、かなと思った。
女装男子というマイノリティーに生きるまこと、まことに恋心を寄せる幼馴染の竜二、自分の特別な存在を求め二人と関わって行く下級生女子の咲。3人の高校生が織りなすマイノリティと恋愛をシリアスに描く重めのドラマである。
アニメーション制作は、Project No.9。監督は「弱キャラ友崎くん」の柳伸亮。シリーズ構成は「着せ恋」の冨田頼子。脚本は冨田頼子と高木聖子。マイノリティと恋愛というテーマを扱うにあたり、繊細さを伴う脚本が肝になっていたと感じた。
アニメーションのルックとしては、割とオーソドックスでクセのない、いわゆるアニメっぽい絵柄。作画も背景も突出したところはないが、安定感のある作風である。それゆえに、平凡に感じてしまう人もいるかもしれない。
しかし、演出面では感情のエモさ、ストレスと解放をキッチリ描いており、多少強めの演出でシリアスな芝居を見せる。ドラマが重いため、ときおりラフな二頭身作画のギャグ調の芝居を挟むことで、シリアスになり過ぎないようなバランスを取る作風である。
1クール12話という流れの中で、まこと、竜二、咲のそれぞれの恋愛の矢印は色々と変化してゆく。ジェンダー的にマイノリティな領域に突入してゆくゆえに悩み、「自分が好き」と「世間の普通じゃない」の天秤にかけられた気持ちの揺らぎが生じる。それでも、自己否定せずに「好き」を信じたい、というテーマである。
花岡まことは、可愛いモノ好きが高じて、父親合意のもと高校では女装して女子として過ごしていたが、結局バレてイジメられた経緯がある。今では女装男子(男の娘)として認知はされているが、友達は少ない。母親に男子っぽくない所をヒステリックに言われて女子趣味を辞めようとするが出来なかった。下級生の咲に告白されたり、竜二⇔咲が恋人関係と勘違いして応援したり、竜二に告白されたりと様々なイベントが発生しつつ、恋愛に関してはすれ違い感のある恋愛ドラマが続く。学校では咲のおかげかクラスメイトとの交流も増え、女装男子のまことが受け入れられてきた。マイノリティとしての生き方については、最終回で男子になりたいわけでも女子になりたい訳でもなく、自分自身に素直に生きていきたい、と母親に本心を告げて母息子で気持ちが向き合ったところで〆られる。まことの母親がマイノリティ否定の象徴として描かれていたが、父親の多様性の尊重や、女性的な趣味を謳歌していた母方の祖父に救われた形である。竜二との恋人関係などハッキリさせなければならない問題はあるが、他者を気にして「好き」を殺して自分や誰かを傷つけない決心を下した時点で、これから先はなんとかなるのであろう。
大我竜二は、まことの幼馴染でありつつ、まことに恋してしまう、ちょっとやさぐれた男子高校生である。その事を面と向かって言えるはずもなく悶々としたり、いざ言ってみたものの空振ったり、しまいには「好き」はなかった事にしようとか言い出す。彼もまた、男子同士の恋愛というマイノリティに悩む少年である。咲に懐かれていたが、咲からの恋愛の気持ちを知っても、まこと一途を貫いてきた。竜二はいいヤツなので、彼には幸せになって欲しい。
蒼井咲は、非常にテンションが高いのが特徴で、ストレートな物言いの後輩JK。女子だと思ったまことに告白し、女装男子だと分かってさらにまことを好きになり付きまとう。ただ、その内心は他者との距離感に悩み、本当に自分に近くて愛してくれる存在を求める孤独な存在でもあった。咲はまことに対しての微妙な距離感を感じたり、次に惚れた竜二はまこと一途になっていたし、二人とのかかわり方が分からなくなって距離をとったりしていた。家庭は祖母と二人暮らしで父親は単身赴任で仕事の方が大切。離婚していなくなった母親が最近現れて、咲と食事や旅行に行くようになった。私はこの母親には何か魂胆がありそうな感触を持っているが、原作は続いているので、この先も様々なドラマがあるのだろう。
個人的に咲のキャラクターは非常に好みである。デフォルメされたときの、CV関根明良のハイテンションな芝居が気持ちいい。これでその場の重い空気も換気され、気持ちが軽くなる。咲の場合は、マイノリティというより、愛されていないという気持ちの空白の危うさがドラマの肝である。正確には、祖母も父親も咲を愛しているがそれは片手間に愛しているであって、誰かの最大限の愛を浴びたい、誰かの一番大切な人になりたい、という気持ちである。愛されたことがないから、愛し方が分からないという言い訳とも言える。もう少し言うと、思いっきり甘えたいのに心のどこかに遠慮がある。この辺りは非常に繊細な感情で、この辺りの脚本、演出は繊細さが必要だがそこは見事に描けていたと思う。
総じて、マイノリティという雑に扱えないテーマを繊細に描き、シリアスで重い作劇の中にデフォルメされたキャラと芝居でバランスを取りつつ、複雑にすれ違う三角関係を扱った恋愛ドラマだった思う。コメディ的な軽いシーンも多かったとは言え、メインはシリアスだから視聴感は重いのは間違いない。恋愛ドラマという事もあり、冨田頼子、高木聖子の女性脚本家もその繊細さにかなり貢献していたのではないかと思う。
おわりに
A-1 pictureは、色々なヒット作を出していますが、マケインもその流れに乗りつつ、今までの京アニ的や新海誠的なハイクオリティとはベクトルの違った作風で、芝居の生っぽさや背景の絵画感やキャラの色被りなど、いろんな挑戦をしながら、ハイクオリティを目指していて、技術的にも非常に興味深い作品でした。
本格推理小説の愚直な映像化である「小市民シリーズ」や、文芸作品成分多めな「義妹生活」など、今までのアニメの文法を外して原作に向き合う作品も多く、非常に興味深いクールでした。
「らしさ」を貫き続ける推しの子の圧倒的なパワーにも感心しつつ、最終的には非リッチと思われる「ラーメン赤猫」のまとまりが非常によくて、こういう仕上げの良作が増えるとよいな、とか思ったりしました。