ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

はじめに
「忍たま乱太郎」の小説をアニメ映画で作っているという話を聞いてからずっと気になっていた「劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師」観てきました。大人も子供も楽しめる丁寧に作られた良作だと思いました。
SNSの感想などを観ていると、いわゆる腐女子の方々のBL視線もあるのかと驚いたりしていますが、言われてみれば性格の良い男子ばかりが登場しているな、とは思いました。いずれにせよ、「忍たま乱太郎」というコンテンツの奥深さを今更ながらに感じています。
いつものように感想・考察を書き綴りましたので、良かったら読んでいってください。
感想・考察
アニメーション
知っているようで知らなかった「忍たま乱太郎」の世界観
32年間続くNHKの子供向け長寿アニメ作品なので、日本人で「忍たま乱太郎」を知らない人は少ないだろう。しかし、乱太郎、しんべい、きり丸、ヘムヘム(忍犬)は知っていてもそれ以上はよく覚えていないという人は多いと思う。かく言う私もそうだった。
しかも、忍術学園には一年は組だけでなく2年~6年まで名前のあるキャラがいたとか、タソガレドキ城の忍者とか、まったく記憶にないキャラもいて知らないことが多かった。私みたいな人も多いと予想されていたのか、劇場版の予備知識動画が出ていたので、これから鑑賞する人は事前に見ておくことをおススメする。
また、改めてTVシリーズのキャラ一覧のリンク先も下記に記載しておく。
ちなみに、劇場版では未登場のキャラも多いが、今回はくノ一の女性キャラも登場しないという硬派な作風である。
大人にも子供にも楽しめる娯楽作
本作のテイストだが、TVアニメの子供向けの作風が基本なのでスッコケ気味のギャグとか懐かしい感じのギャグに溢れている。その意味で、子供が見ても飽きる事無く楽しめそうな作風ではある。
しかし、本作は映画ということもあり、深めのテーマが用意されている。それは、子供たちの笑顔を戦乱の世から守りたい、というシリアスで重いテーマである。ただし、あくまで子供が楽しめる作風が大前提なので、そこまで辛気臭くならないようにライトタッチで描かれるところがミソである。このテーマの軸が徹頭徹尾しっかり描かれているので、しっかり芯が通った見応えのある映画に仕上がっている。
物語はシンプル。ドラマは複雑さはなく直球勝負。複雑さを好む人には肩透かしに感じるかもしれないが、これも子供にも理解できるようにするためであろう。しかし、それゆえに大人も子供も楽しめる、笑って泣ける間口の広い作風に仕上がっていると言えよう。
良質なアクションシーン
忍者映画では外せないアクションシーンだが、本作のアクションシーンも漏れなくカッコ良くて気持ちいい。とくに6年生vs天鬼の竹藪の対決シーンが、緊迫感があり痺れた。このシーンだけでも映画を観る価値がある。
竹林は竹が密集していることで横回転系の動きが封じ込められるため、日本刀のような大ぶりのアクションの武器はどちらかと言えば不利。だからこそ、忍者の手裏剣などのコンパクトなアクションで戦いが有効になる。しかも、竹林を足場にして立体的な動きで連携を取る6年生のチームワークが冴えている。6人が6人の個性を持って描かれている点が芸が細かい。そして、捜索していた土井先生が敵として襲ってくるという状況で戸惑いも描きドラマとしても高密度。
他にも冒頭の土井先生vs尊奈門の決闘などもあり、動きの気持ちの良さは、本作の美点である。
テーマ
戦乱と平和の狭間
忍術学園の中では平和な日常が描かれているが、映画の冒頭の黒背景に真っ赤な彼岸花で表現された血しぶき、死のシーンの不穏なシーンではじまる本作。土井先生もきり丸も戦災孤児である。戦争により奪われたものがあり、惨劇の悲しみを内に秘めている。しかし、二人とも家族同然に寄り添ってくれる大人がいて、健やかさを損なうことなく生活を重ねている。
本作では、このささやかな幸せは、戦乱の世では死と隣り合わせであるという事実を観客に突きつける。6年生が土井先生を捜索中に所々に小さく彼岸花が咲いているシーンが挿入される。その不穏さを積み重ねる演出もまた丁寧な仕事であった。
土井先生と天鬼は、本質的には同じ人間の裏返しである。ドクダケ忍者隊の洗脳ソングが「愛と正義」を刷り込んで戦争により戦争を解決する方向に引っ張ったのが天鬼である。これは、愛と正義の押し売りほど胡散臭いモノはない、という教訓でもあろう。
対して、土井先生が持っていた大切なものは、子供とのふれあいであり、子供を悲しませないという強い願いであろう。自分が戦災孤児であることから似た者同士であるきり丸に気をかけ、きり丸は土井先生を慕った。
土井先生は、こんな子供たちを増やさないためにも戦争をしないこと、もっと言えば土井先生自身が死んでしまったりしたら、残されたきり丸を悲しませることになる。だからこそ、強くなって戦争を回避しなければならない。
きり丸が天鬼(=土井先生)に懇願する「一緒に帰ろう」の台詞に本作のすべてが象徴されていたと思う。大切な人と一緒にいて一緒に生きたい。これが、本作のテーマの芯になっていると感じた。
忍術学園というコミュニティと戦争回避
忍術学園は1つのコミュニティを形成しており、上は校長先生から下は1年生まで、役割りはさまざまである。
大人である先生たちは忍術学園と生徒を守りつつ、社会人として社会に貢献する立場でもある。土井先生失踪の時点では学園内の問題だったが、土井先生がドクダケ城について戦を始めるとなると学園の枠を超えた政治的問題となるため、平和維持のために断固戦争を回避したいところであろう。
6年生は前半の土井先生捜索、後半は1年生の奪還と天鬼を連れて帰る任務が命じられた。ただし、天鬼との戦闘は山田先生に任せる前提である。これは、おそらくプロの忍者(山田利吉など)と同レベルの仕事ではないかと思う。おそらく、天鬼と戦闘になり生け捕りは難しいと判断すれば、山田先生は殺害も視野に入れての任務だったのではないかと想像する。
5年生は、もう少し最前線から離れたドクダケ城が仕掛ける戦の情報収集や、ドクダケ軍勢の移動の制限の任務が任された。
6年生は大学院生相当、5年生は大学生相当というのを見かけた気がするが、なるほどという感じである(出展を見失ってしまったので見間違いかもしれない)
これに対し、1年生の生徒は完全に守るべき子供たちであり、土井先生失踪自体も出張と偽りいたずらに不安を煽らないようにした。ただし、大好きな土井先生を連れ戻すために1年は組全員で勝手に行動し、ドクダケ城の最前線の一夜城に潜入して逆に捕らえられてしまう。
このように縦で役割りが変わる忍術学園だが、こうしてみると一般的な大組織のツリー構造ではなく、それぞれの任務が末端であり、すべての情報や指示は校長先生を中心とした中央に直結している。意思の統制や、状況に応じた迅速な判断は、このような組織構造が向いているのかもしれないし、そもそも忍者とはそういうものかもしれない。
さて、卒業生として山田先生の息子の利吉がプロの忍者として登場するが、後半は天鬼暗殺に来るであろうタソガレドキ城の雑渡昆奈門を足止めさせる任務が父親の山田先生から言い渡される。山田先生は抜け忍の土井先生を家族として迎え入れた経緯があり、利吉と土井先生は兄弟のような間柄である。だが、そんな身近な間柄の人間が相手では利吉がまともに戦えるか分からないと判断で、山田先生は別のミッションを与えたのだろう。雑渡は冷酷になれる男なので本当に天鬼を殺しかねないため、それだけは避けたい。そんなことになれば、土井先生だけの問題ではなく、さらに戦乱が起きてしまう。
本作では、こうした一発触発の緊張感を感じていたため、大人の観客はそれこそスリルを感じていたと思う。もっとも、大切な土井先生を連れ戻すという純粋な願いの物語でもあるわけで、子供はその視点で冒険活劇を楽しむ事ができるという、間口の広い文芸の構造になっている。この当たりの大人も子供も満足させる作風は見事だと思う。
土井先生ときり丸の二人家族
大人目線では戦争回避に奮闘する忍術学園の姿に刺さるモノがあるが、やはり本作の本質は家族(=大切な人)を悲しませない、大切な人と一緒に暮してゆきたい、に尽きると思う。もっと言えば、家族ファースト。これも、今まで家族を仕事などでないがしろにして来た大人には刺さるモノがあるかもしれない。
戦災孤児として一度家族を失っているので、今の家族とも言える土井先生を失いたくないという純粋な子供の気持ち。この願いを裏切らない物語の優しさに涙する。
ちなみに、天鬼が土井先生に戻ってホッとした雑渡昆奈門だったが、雑渡は仕事ファースト側の人間として描かれていたと思う。命令とあれば忍術学園の恨みを買おうとも土井先生を暗殺できる冷徹さを持っている。もっとも、今回の事件のドサクサで手薄になったドクダケ陣地を少しかすめ取っているので、今回の事件でも転んでもタダで起きない抜け目なさを発揮した。
忍術学園という戻るべき場所(≒家)に誰一人欠ける事無く帰る大団円。そして、平和な日常の再開を告げる「勇気100%」で〆てゆく構成はお見事であった。
おわりに
繰り返しになりますが、「忍たま乱太郎」というコンテンツを大人も子供も楽しめる映画として完成させたスタッフの実力はお見事としか言いようがありません。
そして、我々大人は子供たちの笑顔を守る側なのだと思うと、胸が少し締め付けられるような気がしました。
令和の忍たま乱太郎映画、なかなかの良作なので、未見の人は是非。