
はじめに
いつもの、2025年春期のアニメ感想総括です。
今期はオリジナルアニメの良作が多く嬉しい限りです。やはり、先の展開を知らされていないオリジナルアニメで毎週盛り上がれるのは非常に楽しい。今期は、台風の目とも言えるジークアークスでその熱量を浴びた「体験」が貴重だったと思います。勿論、他のアニメも毎週たのしく観れました。
また、今期は似たような日常系アニメが3作品あり、それぞれに対しての感想を整理する事で、自分の日常系作品に対する視聴時の観点と好みを整理する良い機会ではないかと考えています。その辺りも、掘り下げられたらな、と考えています。
今期視聴中の作品リストを下記に示します。
- 前橋ウィッチーズ
- 機動戦士Gundam GQuuuuuuX
- アポカリプスホテル (2025.6.27追記)
- 日々は過ぎれど飯うまし (2025.6.29追記)
- 小市民シリーズ(2期) (2025.6.28追記)
- mono (2025.7.2追記)
- LAZARUS (2025.7.4追記)
- ざつ旅-That's Journey- (2025.7.18追記)
今期は気に入ったオリジナルアニメが多い事もあり、文字数が多くなりそうです。全部書き終わるのに時間を要しそうなので、最終回を迎えた作品で感想を書き切れた作品から順次公開してゆきたいと思います。
感想・考察
前橋ウィッチーズ
- rating
- ★★★★★
- pros
- cons
- 特になし
5人の魔法少女見習が歌で悩める人の「心に花を咲かせる」という話で、舞台は前橋。アイドル+魔法少女という文法を使いながらも女性視点で高解像度の切れ味のよいドラマが持ち味である。シリアスなドラマと女子感溢れるコメディの融合があり、シリアスな絶望感から笑いの幸福感までの上下幅の広いジェットコースター感のある作劇が持ち味である。Cパートでクリフハンガで次回に引っ張る演出も多用されたが、シリーズを通してみると多幸感が勝る作風である。
とりあえず、個人的にキャラクターデザインが好みである。アイドル物なので、キャラクターがいかに愛されるかというのが肝であり重要である。戦隊モノっぽさも意識したとインタビュー記事で見かけたが、テーマカラーも明確。キャラの個性が分かりやすく描き分けていて、それでいて全員可愛い。少女マンガ寄りで幼過ぎず、シリアスからコメディまでこなす芝居の幅の広さに適用できるデザインに落とし込まれていたと思う。白を基調としたステージ衣装もキャラクターに合わせて大胆に変化を持たせてデザインされていて、キャラクターに似合っていた。
楽曲については、OP曲がつんく作詞という事もあり、ハロプロを意識した賑やか目の楽曲が多めな印象。基本は応援歌なのでノリが良くてキャッチーな楽曲が向いているのだろう。ライブ映えする曲が多く、リアルのステージも意識していると感じた。ED曲の「それぞれのドア」や挿入歌の「メジルシ」のようなバラード曲もあり、アルバム的な曲のバラエティも富んでいる。楽曲自体が作中の物語やドラマに直結しているのは当然だが、本作は3DCGのライブシーンが劇中の要素を使ってドラマMV的に作られている点が特徴で効果的に作られていた。キャストも新人ながら声優兼アイドルとしてリアルステージもこなすルックと歌唱である。この辺りはバンナムが培ってきた定番的なビジネス展開なのかもしれない。
次はドラマと物語について。ここは本作のストロングポイントと言ってもいいだろう。演出の強さもあって非常に心を揺さぶる作風である。シリーズ構成・脚本の吉田恵里佳の持ち味が十二分に発揮されているのは間違いない。女性ならではの視点や感性で、社会問題を鋭く切り取ってシリアスを描きつつ、多幸感ある救済で物語を転がしてゆく。そこに等身大の生々しさを乗せてくる。問題提起はルッキズムや、他者への重度の依存や、ヤングケアラーなど。どれも、当人にとっては苦しく解のない問題のように感じるが、そこを魔法で無かったことにせず、マインドの変化で乗り越えてゆく作風が最大の特徴であろう。
また、問題を抱えて辛くて苦しくて過ちを犯しても、反省していればその罪を罰することなく受け流すという優しさ。当事者の状況を理解し、共感で寄り添う。アズの隠し事を詮索せず、マイの依存を無理やり矯正せず、チョコの家庭環境の大変さも内緒にしてゆく寛容さ。そして、辛さは他人と比較して我慢しなくてもいいという助言と痛みの共感。こうした関りを経て、マインドの変化で互いに素直な感情で信頼関係を構築してゆく5人。途中、何度かギスギスするが、最終的にはユイナの明るさ(=ペラッペラ)でネガティブな空気を断ち切ってゆくところが、本作の物語の醍醐味であろう。
本作はシリアスのギスギスもかなり強烈に描くが、女子感溢れるコメディ要素のおかげで暗い余韻を引かずにスパッと明るい気持ちになれる作風となっている。これにより、泣いたカラスがもう笑ったみたいな感じで、自然に気持ちをポジティブに切り替える事ができる。このメリハリの強さがいい。これには、もちろん演出の強さも貢献している。絶望や、感動の演出は勿論のこと、笑いもタイミングや掛け合いのテンポなど演出のセンスが問われる。この勢いある巧みな演出も本作の美点の1つであろう。個人的には、軽快な会話のやり取りが好きである。たとえば、ユイナ「アズちゃんのときは大惨事だったじゃん」→アズ「はぁー?古傷えぐんなし!」とか。アズ「愛が重すぎるつーの。マイか!」→マイ「ちょっとぉ?」とか。また、感動的なシーンなのに、ユイナだけ記憶を思い出せず「どちら様でしたっけ?」とか、感動と隣り合わせの笑いがちょうど良いスパイスとして効いている。
次に本作のテーマについて。「心の花を咲かせます」という事で、当事者の夢を魔法(≒応援)で開花させるという趣旨である。魔法は小規模なら物理で作用するが、基本は応援によるマインドの変化で問題に対処できたり乗り越えられたりしてゆく。作中の台詞にもあるが、コンプレックスからくる悔しさ、不遇な家庭環境など、そういうネガポイントも含めての人間性であり、そこを削除したら本人ではなくなってしまう。だから、栄子の魔法のように一時的に痛みを無くしてもダメというのが本作のメッセージである。たとえば、凛子の場合、肥満の外見で自ら卑下することなく自尊心を持つとか。優愛の場合、承認欲求の亡者にならずに70点主義で地道に生きるとか。問題を消さずに乗り越えてゆくという作風である。
また、最初はバイト仲間的な魔女見習いの5人の距離感も、各自の持つ問題に共感し合ったり、隠し事は隠し事としてそっとしておいたり、そうした気遣いと優しさにより、徐々に親密になってゆく。10話ではいったん全員記憶を失うが、11話で記憶の欠片にのこった思いで再び再集結して記憶を取り戻すという感動的な物語になっている。
ここらで、メインの5人のキャラクターについて。ルッキズムで心に傷を持ち外出できないアズは、お店では魔法で体形を誤魔化す、歯に衣着せぬキツイ喋りが特徴のツンデレ。実は年上の幼馴染への依存症だったマイは、ドライで要領がいい面も。リアルではヤングケアラーで苦労人だが、普段は元気印のチョコ。成績優秀な正論マンだが家庭の縛りがキツくて息苦しさを感じていたキョウカ。テンションが高くウザがられるが、発言や提案は至極真っ当なユイナ。彼女たち5人も、最初は職場の同僚的な距離感だったものが、徐々に掛け替えのない仲間に変化してゆく流れが尊い。
ユイナについては少し深掘りしておきたい。私がユイナに感じていたのは、(a)幼児のようにハイテンションであること、(b)いちいち問題に対する言動がカウンセラーのように適切で真摯であること、この2点である。
(a)については、作中でも「ペラッペラ」という表現がされていたが、「エモエモ」「ハピハピ」などの台詞とともにレンズ付きフィルムで「エモエモ写真をパシャる」として集合写真を撮影していた。正直、高校1年生にしては無遠慮でウザがられても仕方ない。これは、JKアニメ主人公補正の萌えアニメのテンションなのかと思っていたが、終盤でこの性格のせいでリアルで友達がいない事が判明する。これに対し、ユイナは自分の言動のせいで相手を傷つけ失敗したのだと凹み、傷ついていた。つまり、ユイナは鋼のメンタルの超人ではなく、人間的な弱さを持ったキャラクターとして描かれることで、ユイナに感情移入できるようになっている。この件は、魔女見習いの5人が仲間として結ばれてゆく事で救われる。ここが一種の叙述トリックになっていた点がテクニカルである。
(a)だけだとシンプルに発達障がいの女子になってしまうが、(b)のおかげで悩んでいる人を救い、主人公然とした存在として輝きを放つ。ユイナは常に相手を否定せず肯定し、ポジティブでフットワークが軽く、なおかつ相手に無理強いさせない。相手に反省の意思があれば、罪に対して罰は与えず赦しを与える。まるでカウンセラーのような見事な対応である。しかし、考えてもみて欲しい。カウンセラーは「治療」という暗いイメージで、対人関係の距離感は遠くなり、作劇的には暗くなる。本作では、ここを(a)の明るさで笑いの楽しさの方向にけん引してゆく。つまり、(a)(b)のマリアージュをイイとこ取りで実現しているという、奇跡のディレクションだと私は考えている。
ラスボスとなった膳栄子だが、これはユイナのカウンターになっていた。1話で栄子の夢は、「医者になって人助けをしたい」であったが、両親の理解や現状の成績から難しい状況があり、ユイナ達が夢をかなえるために応援したのが始まりである。その後、9話で再び来店し最終的にはユイナ達を追い出してお店を乗っ取ってしまう。栄子は、無責任な応援を受けて医大受験を目指したが、両親の説得も勉強も上手くいかずストレスは増大、お店で見かけたユイナ達はノンストレスで楽しそうにやってる。そんなことからユイナたちを妬み憎み逆恨みした形である。確かに9話は5人のわだかまりが綺麗に消えた次の話で、エモエモな思い出を残したいとユイナがハイテンションになっており、栄子にお祭りソングで応援してしまったというタイミングの悪さもあった。栄子自体は孤立していたから適切な悩みの相談が必要なタイミングであったのも事実。栄子の行動自体は非があるが、ユイナにとっては対人関係の言動で痛恨のミスで凹む事になる。
これに対し、12話でユイナたちは栄子の悩みを聞き出して共感し、子供の頃の夢の初期衝動を思い出させつつ、どうするかは栄子の選択にまかせてその選択を応援すると再定義する。つまり、選択の結果の責任は本人が取るしかないという事実を物語に込める。これは、先に書いた魔法で問題を解決しない事にも関連するが、物語に対しても誠実である。12話Bパートの台詞にあるが、ネガに感じていた痛みも含めて自分であり、そこを無かった事にしない。それは、選択により未来に訪れる痛みに関しても同様である。失敗しても肥しになるから応援する、というポジティブな解釈である。
栄子の存在は、夢の実現に質量や競争が伴う場合、気持ちの応援だけではなんともならない、というアンチテーゼを敢えて描いていたのだと考えている。ユイナを「ペラッペラ」だとバカにし、夢なんて叶わないし苦労しても報われないと、ハナから諦めてしまう人も居るだろう。そういう人たちにもある程度リーチするように、応援の解像度を一段階アップした高度な作劇になっていたと思う。
少し脱線するが、応援=エンタメ作品というメタ的な解釈もあり、エンタメ作品に救われてやる気を出す事も人間あるだろう。しかし、その結果失敗してもエンタメ作品に八つ当たりするのではなく、自分自身で受け止めるべきものである、という予防線を貼っているとも解釈できなくもない。もし栄子の両親の理解が得られず成績も伸びずという状況で、「夢=しんど過ぎる」となった場合は、現実的には夢を諦める選択肢があってもよいだろうとは思うが、それは本作の「心の花を咲かせる」テーマの範疇外の作劇になってしまうので議論からは外す。
長々と書いたが、エンタメが視聴者を応援する事のリスクも込めて、より多くの人を物語で救済する事を目指した作劇に感じたし、その誠実さが素晴らしいと思う。
最後になってしまったが、舞台の前橋について。SNSなどで前橋である必然性がない、みたいな意見も見かけたが、私は本作が「前橋」である必然性はあったと思う。少なくとも大都会が舞台だと成立しないところはあったと思う。それは、まず子供が純朴で素直なこと。本作のメインの5人は高校1年生にしては擦れてないし、ユイナのキャラクターを生かすならこれは必然だったであろう。もう1つは、ヤングケアラーを描くためには老人が多い必然が有り、ある程度の地方都市というのがリアリティがあること。また、作劇的にもシャッター商店街は重要で、大都市の人ごみの商店街では、魔法のお店の入り口は入りにくい(=作劇しにくい)とかもあるだろう。では、高崎市でも宇都宮市でも良かったか、と言えばそこは何とも言えない。ただ、シャッター商店街や広瀬川や上毛電鉄など効果的に使う作劇も多く、前橋で良かったなと思えた。
サンライズが得意とするアイドル要素と女性視点のキレ味のよいドラマは、正直に言えば取っ掛かりになるターゲットにズレがあると思う。しかし、良質なドラマと物語があれば、どちらの客も着いてくるという自信にも受け取れたし、実際そうだったと思う。私も何度も繰り返し見たくなる、良作だと太鼓判を押せる作品である。
機動戦士Gundam GQuuuuuuX
- rating
- ★★★★☆
- pros
- 仮想戦記から並行世界の部分的交換という発想で、二次創作のエポックメイキングな設定を作り上げたこと
- これでもかと擦ってくる旧作ガンダムの引用方法が絶妙で、ファンに話題と熱を提供し続けたこと
- cons
- マチュたちのジュブナイルな文芸性が弱く、強度も低い
劇場版を観たときの感想はこちら。
本作のアニメーションの質の高さや、ロボアニメとしての戦闘シーンの出来の良さは、劇場版のブログでも書いた通り。スタジオカラーの底力を見せ付けられた感がある。
放送されはじめて毎週水曜日は本作の話題がSNSやYoutube動画に大量に流れ、近年のアニメ作品の中でも稀にみる流量であったから、かなりのファンを熱くした作品と言えるのではないだろうか。私も毎週水曜日は本作のことが気になって仕事に身が入らない状況が続いたので、最終回を迎えてホッとしている。
ところで、私は劇場版を観て前半パートは初代ガンダムテイスト、後半パートはマチュたちのキラキラ新世代パートという住み分けがされていたと解釈していた。なので、TV放送の4話以降を観て、黒い三連星やバスクオム大佐やララァが出て来て、盛大に過去作ガンダムを擦り続けていた事に驚いた。もちろん、過去IPをしゃぶり尽したいバンダイの意図や、鶴巻監督たちのガンダムリスペクトを感じて、それはそれで嬉しいのだが、反面マチュたちのドラマはともかく、物語は薄っすらしたモノになってしまったと私は考えていて、そこは不満が残る。
本作の物語は、いくつかのキャラの三角関係の断面で見て取れる。
まずは、ララァ⇔シャア⇔シュウジ(白いモビルスーツの人)の三角関係。ララァはこのGQ次元には2人居るので薔薇のララァと娼館のララァと区別して記載する。白いモビルスーツの人はアムロとは明言されておらず、最終的にはシュウジが乗ったりもしたので、とりあえずシュウジと記載する。GQ次元は薔薇のララァが欲したシャアが殺されない世界線なのだが、薔薇のララァのエゴで次元の不均衡が生じている。薔薇のララァを元の世界に戻すことで次元の不均衡を正したい、というのがシャアの言い分。これに対し、シュウジは薔薇のララァを殺して夢を終わらせるという言い分。これについては、何やら観点レベルの不一致が生じていると私は思うのだが、シュウジの論点は薔薇のララァを元の次元に返しても悲しむだけだから、その悲しみも終わらせるという意味で、薔薇のララァを殺すというもの。整理すると、薔薇のララァを元の世界に戻すか、殺すかの二択だが、いずれもGQ次元の安定をもたらすものである。白い巨大ガンダムとシュウジはマチュとの対話により消滅し、最終的に薔薇のララァはマチュのNTは強くなれる発言(と失恋を受け入れる強さ)に納得したようで、ララァ自らの意思でGQ次元から立ち去ってゆく。このときシャアは介入しておらずキシリアを暗殺していた。その後、シャアはシャリアブルに殺されかけ、表舞台から身を引いておとなしく生きることになる。その答えが、娼館のララァに合いに行くというエンドで、ここはかなり熱かった。個人的には、全てのシャアの中で一番カッコいいと思った。
次に本題の、シュウジ⇔マチュ⇔ニャアンの三角関係。これは、幽霊のシュウジに恋をしたマチュと友達のニャアンによる「時をかける少女」みたいなジュブナイルであると解釈した。マチュの方はララァを救うという目的なので、ハイパー化した白いガンダムのシュウジと戦う事になる。マチュ+ニャアンのマブ戦の後、マチュはシュウジを「(ララァは)守られなくっても自分で強くなる」と説得し、マチュはシュウジにキスをして、シュウジはマチュに感謝して静かに消えてゆく。淡い青春の思い出である。とはいえ、途中で「大人はみんな嫌いだ」的に暴走してしまったマチュとか、テロ騒ぎで動転してマチュを裏切ろうとしてしまうニャアンとか、サスペンス寄りなイベントはいくつか発生する。ただ、キシリアに利用され大量殺りく兵器を使わされたり、徹底的に愛されないキャラのニャアンの不憫さが目立っていた。またサイコガンダムとかイオマグヌッソとかの宇宙世紀の戦争臭さと、ジュブナイルな作風が完全にミスマッチとなっており、なおかつ戦争に引っ張られ過ぎて、ジュブナイル感が薄味になり過ぎたと私は考えている。
最後にシャリアブル⇔エグザベ⇔コモリの大人のNTの三角関係。12話でシャリアブルは自分の仕事をやり終えて命もいらないと言うが、シャリアブルに殺されかけていたエグザベにNTとしての責任があると責められ、コモリにも心配をかけられていた。仏教の「空」の境地に至ったとされるシャリアブルだが、未熟を自覚するエグザベやコモリなどの若者の指導のために残りの人生を費やして欲しい、と足を引っ張られてこの世に留まったように感じた。コモリは11話で、「中佐は、来るべきNTの時代のためにキシリア様を排除する」と言ったシムスに「本物のNTならそんなことはしないよ」と自信満々に返している。状況説明としてはシムスの方が正しいのだが、コモリの祈りにも似たNTへの正しい在り方への期待の眼差しを感じた。エグザベも、野心の塊であったキシリアの元でNTを戦争の道具としていいように利用された側の人間であるが、操縦技術やガッツを含めて優秀な若者である。エピローグでは、アルテイシアの即位式を遠巻きに警護?する3人とエグザベのギャンのカットが映る。所属部隊は不明だが、この3人が師弟関係でNTが正しく生きられる世界作りを目指していると感じられる描写が、明るい未来への余韻になっていたと感じた。
ちなみに、メカで一番印象に残っているのは、キケロガが変形して人型が出て来たところ。一体誰がこんなことを考えるのか、この狂気の発想に痺れた。キャラクターで一番印象に残っているのは4話のシイコである。ある種の戦場で生きる事に足を突っ込みすぎて、せっかく家庭も持てたのに、その家庭を手放してしまうという生き様。NTキラキラ空間でのシュウジとの対話でその家庭の大切さを思い出して死んでゆく皮肉。たった1話での退場だったが、かなり衝撃で私の情緒を乱したキャラクターであった。
とまぁ、物語への不満を書いてはみたものの、本作を大いに楽しんだ事は間違いない。このリアルタイムで感じる熱を体験すること自体少なく、なおかつその熱量も過去最大だったと思う。この体験できた事が嬉しかったし、非常に良かったと思う。
本家の世界線と違うifの世界の仮想戦記で二次創作を作ること自体が発明だったのに、さらに別の世界線との移動で更に驚きがあり、しかも本家の世界線ではない事を明示してオリジナルを壊さない配慮を見せるのは非常に巧みであったと思う。そこで生み出されたキャラクターはスタッフやファンの願望によるキャラクターの変化を許容し、本家ではこのキャラはこうじゃない、という引用の枠を飛び超える理由付けもできた。オリジナルのIPが強力であるがゆえに、制作側が編み出した究極の二次創作手法と考えると、唯一無二の作品だったと言っていいだろう。
正直、本作が普通のアニメであれば、文芸性や、キャラクターの行動原理の整合性など問題はあったと私は思う。しかし、アニメーションのクオリティの高さと、過去作をしゃぶり尽くして再利用できる設定に度肝を抜かれた。このような作品を生み出したスタッフに感謝の拍手を送りたい。
アポカリプスホテル (2025.6.27追記)
- rating
- ★★★★★
- pros
- cons
- 特になし
人類不在の地球が舞台の世紀末SF。銀座のホテル銀河楼で、宇宙に旅立った人類の帰りを待ちながら働き続けるホテリエロボットたち。ホテルの支配人代理の女性型のホテリエロボットのヤチヨの活躍をコミカルかつシニカルに描く。SFと言ってもテイストは柔らかく、原案の竹本泉先生のマンガのそのまんまのテイストと思えばよいだろう。
ロボットは状態さえ良ければいくらでも稼働可能なため、時間のスコープが人間の感覚よりもはるかに長い点にSF味がある。ヤチヨ(=八千代)の長い年月を意味するネーミングが洒落ている。とはいえ、修理不可能な故障により機能停止して稼働中のロボットも当初よりもかなり減少しており、ロボットであっても寿命というタイムリミットを匂わせる。
ホテリエロボットなのに愛嬌たっぷりなヤチヨのちょっとズレた行動が可笑しくも愛おしい。百年後、最初の宇宙人宿泊客が訪れ、それ以降、徐々に他の宇宙人宿泊客も増えてゆく。地球文明とは常識が異なるが、体当たりの異文化コミュニケーションを笑いに昇華してゆく作風である。
制作スタッフについてだが、これまでもクセ強なアニメばかり作成してきたCygemesPictureが制作なので、どんなビンボールが飛んでくるかと思いきや、想像以上に手堅くまじめに作られたギャグSF作品であったと思う。なんというか、視聴者の情感に訴えるというか、大人向けな雰囲気も感じさせる洒落た作風である。監督の春藤佳奈は「ルミナスウィッチーズ」で副監督を務めており、映画さながらの詩的な映像美も、アクションも演出できる人というイメージである。シリーズ構成の村越繁は、「ゾンビランドサガ」「体操ザムライ」が印象的で骨太なドラマの書ける人というイメージ。12話を観終えて納得の布陣である。
一部、かいつまみながら、流れに沿って各話について書いてゆこうと思う。
1話の印象は、人間がいないのに宿泊客を待ち続けている物悲しさ、人恋しさのメランコリーがベースになっている。普段はホテリエロボットとしてクールな態度で業務しているが、ちょっとしたトラブルで人間っぽくテンパってしまう可笑しさ可愛さがギャグになるというのが笑いに対しての基本である。だから、ギャグを入れてもシュールな感じになり、はやり切なさの余韻が勝る不思議なテイストだと思った。ホテルのオーナーとの約束は「すぐ帰ってくるからそのときまでホテルを頼む」である。この健気さに胸がキュンとなる。ちなみに、OP/ED曲はaikoだが、この人恋しい雰囲気に非常にマッチしていたと思う。
2話は、まさかの宇宙人を宿泊客として泊める回。百年ぶりのお客様だが、言葉も仕草も通じないが客室に通して食事も出す。しかし、コミュニケーションがほぼ成立していないので、失敗しているのか否かも分からず悩むヤチヨ。ここでもオーナーの「確率で諦めず、可能性を信じる」の言葉で奮起する。ちなみに、この宇宙人が残した試験管のお土産は、地球の環境回復プラントであったことは12話で判明する。
3話は、たぬき星人一家が訪れ宿泊客として泊める回。地球人の姿で化けて出て来たので、地球人の帰還かとぬか喜びするというコメディ回である。人間とは生活習慣が違い過ぎてホテルを滅茶滅茶にした一家に対してヤチヨがキレる。ここまで来るとキレ芸は鉄板になってくる。
その後、たぬき星人の女の子のポン子を従業員として雇い、地球に居ついた地球外生命体に襲われたり、お酒の在庫が無くなったので何十年もかけてウィスキーを麦畑から作ったり、見た目は可愛いのに破壊の限りを尽くすハードボイルドな凶悪宇宙人(ハルマゲ)が宿泊したり。
7話は、ポン子の活躍でロケットで人工衛星を打ち上げホテルの広告を出すというミッションが実行される。ポン子のふざけ気味な趣味を反映して「神の杖」と呼ばれる強力な兵器を実装することでヤチヨと衝突するが、ロケットの重量を軽減するためにヤチヨがパイロットを買って出る。衛星の船外作業で太陽フレアの電磁波を浴びたヤチヨは機能エラーが発生し、再起動するも宇宙空間で一人ぼっちの恐怖を感じる。この時の追加機能が「自爆」なのがまた縁起が悪い。このクリフハンガー状態で8話に続く。
8話では、年月が経過し、大人なったポン子がホテルの支配人代理の代理をしているところから始まる。ホテルはポン子の趣味を反映してある程度イメチェンされていた。ある日、ヤチヨが銀座に落下してきてポン子がヤチヨを修理するが、手と下半身は在り合わせのヤチヨタンクになっていた。今までのようにスムーズにホテル業務ができないヤチヨは限界が来て反抗期に。ヤチヨとポン子の体当たりの喧嘩の末、ヤチヨはホテルに戻り、支配人代理としてやり直し始める。
この回は個人的に重要な回だと思う。ヤチヨタンクになってしまうのも悪い冗談のようだが、スタッフのやり過ぎ感に打ちのめされそうになった。人間でも交通事故で半身不随で車いす生活とかの、今の肉体が失われても生きているし、生き続けなければいけない生の感覚を非常に上手く演出していた。ヤチヨはこのハンデキャップに押しつぶされそうになり現実を受け入れらず自暴自棄になってしまうのだが、そこが「自爆」でない事が救いであったと思う。この回のラストで代理人として最初に行ったのは、ポン子が撤去していたシャンプーハットの再設置である。これは、ホテルのトップとしてヤチヨが持つアイデンティティの復活であり、自らハンドリングするという意思表示である。ドタバタギャグ回でありながら、ヤチヨの人間性の雄叫びが印象に残る回だった。
9話は、ポン子結婚式&ムジナ葬式回。私は結婚式や葬式を劇に入れるのは、ある意味ズルいと思うのだが、予想通りこの回も感動してしまった。ちなみにヤチヨはこの式のタイミングで人間の姿に戻る。ポン子やムジナは長寿であれど長年の付き合いで、大人の女性になって結婚したり、老衰で死んだり。途中で、ヤチヨが司会進行としてムジナ直伝のポンポコ踊りをしたり、ムジナの人生を写真で振り返ったり、生前のムジナのビデオメッセージを流したり。幼きポン子とムジナの故郷での回想シーンが入り、走馬灯のように記憶にあるイベントが再生される。結婚式や葬式はそうした記憶の再生により、感情を刺激され無条件に感動してしまうのかもしれない。
10話は、サイコサスペンス風で、爆弾魔の宇宙人が宿泊し謎の死を遂げ、追ってきた刑事の宇宙人も謎の死を遂げ、ヤチヨは事件が明るみに出ないように死体をムジナの墓の横に埋めて、何もなかったように次回に続く、というシュール回。馬鹿馬鹿しいのだが、この振れ幅があってこその本作である。
11話は、ヤチヨが2日間の休暇を過ごす回。本作は非常にストイックな演出がされており、殆ど台詞無しで映像だけでヤチヨの心情を表現する回である。映し出された風景や物で心情を代弁し、2日間のロードムービーでもあったから、発生したイベントを順番に並べてゆく事に意味が出てくる。11話に関しては、ブログ記事を書いているので、詳細は下記を参照して欲しい。
要約すると、休暇というのは仕事で忘却している自分自身を見つめ直すこと。入手できない交換部品がある事でヤチヨに「死」が忍び寄っていること。Aパートはこれまでの人生の振り返り。Bパートは脱出時の人類の混乱と廃墟と取り残されたロボットたちの残骸、これがヤチヨの未来を暗く暗示する。しかし、ここで奇跡的に修復不可能で倒れていたホテリエロボットから交換部品を入手しヤチヨが生き延びる事ができた。これが1つ目の奇跡。銀河楼のタグをつけたペガサスに遭遇し、その足で銀河楼に戻るヤチヨ。これが2つ目の奇跡で、ヤチヨに早く銀河楼に戻れと言う神のお告げと私は捉えた。書いてしまうと、ふーんだが、台詞を使わずにヤチヨの心情を丁寧に描写するストイックな演出に痺れたし、私は11話が一番好きな回である。
12話は、地球人の子孫トマリが来訪し宿泊する回。ヤチヨは念願の地球人に会ったのに嬉しさが無いことに自分が壊れたのではないかと心配になり異常行動をとる。ポン子は人類も地球外生命体も同じ客として対応してきた事を誇るべきと語る。地球からウィルスは無くなっていたが、トマリはアレルギーのため宇宙服を脱げず、地球で暮らす事はできないと判明した。しかし、宿泊ならできるから宿泊にきてくださいとヤチヨ。「またのお越しをお待ちしています」「すぐに帰ってくるので、それまでホテルを続けていてください」と別れの挨拶。しかし、その言葉がオーナーの呪いの言葉と重なっている事に気付き、「人類のバカー!!」で〆るオチは秀逸。最後まで、湿っぽくなり過ぎず楽しませてくれる作風で、満足度は高い。
OP曲の「Skirt」が、依存していた男に捨てられて、空っぽになってしまって、最終的にその気持ちにケリを付けて再起する歌詞だと思うが、これは12話のヤチヨそのものであることに気付く。がむしゃらに生きてたら、年月を経て、昔の男に再会しても何も思わなかった(=依存が解けた)。本作が大人っぽいと感じたのは、こうした言葉にしにくい歌謡曲の歌詞のような世界を、作品に込めているからなのではないかと思う。ウィスキー回も宇宙人の色恋ネタであったし、結婚式や葬式も若年層には感覚的に分かりにくいかもしれない。そうした、大人っぽさに満ちた作風だったと思うし、それがオリジナルアニメで描かれた事が素晴らしいと思う。繰り返しになってしまうが、その意味で、OP/ED曲がaikoである事が非常にマッチしていたなと思う。
アニメーションとして少し触れておくと、本作は11話が飛びぬけていたと思うが、背景美術の存在感が凄くいいと思う。それから、ホテル銀河楼自体は3DCGモデルがあり、カメラを設定すると室内背景やロビー背景を作り出せるようになっていると思われるが、その3DCG背景のタッチが、手書きのような自然なタッチで全く違和感がない点に驚いた。ホテルの設定は非常に凝っていたので、挑戦的なクリエイティブだと感じた。キャラクターは竹本泉先生のテイストである程度の平面感があるものだったが、映像のルックとしてはかなりリッチな感じでまとめられていた。CygemesPicturesの作品は映像クオリティが軒並み高いので、本作ももれなくという感じである。
このノスタルジーや大人っぽさのある雰囲気を、幅広い年齢層に受け入れられるようにギャグをかましながら、一つの作品にまとめたこと自体が挑戦的である。一粒で二度美味しいではないが、様々な味付けで飽きる事無く観終える事ができた。シリーズ構成的にも11話でストイックな無言劇回、最終話で失恋を吹っ切った上向きな解放感と鉄板のオチで明るく終わるということで、美しい流れだったと思う。本作は、これまでにない例外的な唯一無二な作品だったと思う。
日々は過ぎれど飯うまし (2025.6.29追記)
- rating
- ★★★★★
- pros
- 調理食事をメインテーマにした、のんのんびよりJD版とも言える、ゆるくて心地よいグループの関係性のドラマ
- 地味ながら、五感で感じる生活感を丁寧に描く演出
- 各話とも平均点以上のずば抜けた安定感
- cons
- 特になし
本作を一言で言えば「のんのんびよりJD版」である。登場人物はJSからJDに変わり、タイトル通り、毎話に炊事と食事のシーンを入れてゆくという趣向である。コント的な緩い笑いだけでなく、「未来に残す思い出作り」というテーマもあり、文芸的にも1クール通して心地よさがある。極端に上振れ下振れすることなく、毎話毎話コンスタントに必要十分なクオリティで安定感がある作風である。
原案のあっと先生、監督の川面真也、音楽の水谷広実は「のんのんびより」からの再集結組。シリーズ構成は「アキバ冥途戦争」の比企能博だが「のんのんびより」に負けないくらいオリジナルアニメでいい味を出している。脚本も大部分は比企能博だが、一部は星野七海が担当する。監督は春水融も兼任。制作はP.A.WORKSという座組。
炊事、食事をテーマにしているだけあって、それらのシーンの作画や音響が良く、見ている側も食べたくなる飯テロ映像である。作る料理は凝り過ぎておらず比較的簡単に作れそうなもので、1話では定食屋のかつ丼、2話では屋外でカレーピラフという感じでシチュエーションを変えて飽きさせない作りになっている。
新大学生のまこは、偶然再会した小学生時代の幼馴染のしのんに誘われる形で食文化研究部に入部し、新たな仲間と共に大学生活をエンジョイしてゆくというのが軸である。他には、少しおバカだが行動力のある部長のしのん、しっかり者の副部長のくれあ、マイペースでウクレレ上手なつつじ、パズル好きで極度の人見知りななな。この5人が勉強の息抜きに部室棟に集まったり、ドライブや合宿をしたり、大学祭で屋台を出したりしながらみんなで楽しく食事する。キャラクターは、それぞれの特徴を生かして、コメディの配役が自然に決まって行く感じの安心感がある。普段から相手を気遣った言動だったり、ときおり相手に感謝の気持ちを伝えたりで、ギスギス感ゼロの非常に良好な関係が心地よい。
個人的には、つつじがウクレレのソロ弾きをする設定が好きである。つつじは掴みどころがなさそうで、相手への気遣いをいつも忘れない。まことななが初対面でテンパっているところ、無理やり踊って場を和ませようとするなど、人の良さがにじみ出ていて良い。どことなく、のんのんびよりのれんげに似ていると思う。
ななは、ルックはギャルなのに極度の人見知り。このギャップを笑いに昇華してゆく作劇である。反面、思い立ったらすぐ行動できるフットワークの軽さが強み。まこをスポーツジムに誘ったり囲炉裏の火おこしなどをノータイムで行動できる。ちなみに、高校時代はファッションは疎かったのに、大学デビューでギャルの姉に頼んでギャルファッションを覚えた。この切り替えの早さもななの強みである。パズル好きの設定もあり、火おこしのネット情報を丸暗記して実践するなど、今風の器用さがおもしろい。なな役のCV会沢紗弥の快演が光る。
くれあは、一番常識人でしっかり者。実家の定食屋で手伝いもし、たまに実家のクルマでみんなでドライブに出かけたりする。ただ、このサークル内で羽目を外さない役割りの自覚と、それゆえの少しの寂しさも持っていた。その寂しさをなんとなく気付いたまこが気遣ってくれた事がキッカケで、苗字呼びから名前呼びに切り替わるエモいいベンドもあった。
しのんは、アホキャラと色気の無さが先行してしまうが、対外的な交渉力の高さと実行力は、このグループの支えになっている。その意味では、のんのんびよりのなつみとキャラが似ている。もっと言えば、サザエさんのカツオである。ただ、客観的に見ると明るくて可愛いし、嫌味なところがまったく無いので、一緒にいると楽しそうなのは間違いない。しのん役のCV青山吉能もなかなかの快演で、コントなどの間の取り方や声色の変え方が印象的である。
主人公のまこは、中高とぼっちが長く人見知りな性格である。しのんにサークルに誘われる形で参加するが、食事についての執着が強く、獲物を狙う猛禽類の目になる事がネタになっている。
本作が日常系アニメである事は間違いないが、同じ日常系作品のくくりでも、各作品で作品のストロングポイントは異なる。今期のmonoとざつ旅などと比較しながら、本作がどんな日常系作品なのかを深掘りしたい。
本作は、日常にあるささやかなイベントを映像化しちょっとした笑いに昇華してゆく生活コメディと言える。この芸風は、「のんのんびより」と同じものであり、もっと言えば「サザエさん」から通底する日常系のテイストである。
興味深いのは、キャラクターをJCからJDに変えてきているところ。のんのんびよりは子供のころの記憶(=ノスタルジー)に特化していたが、本作ではターゲット層に合わせて大人寄りのイベント(古民家や農作業体験やスポーツジムやドライブなど)にシフトさせている。また、自炊や食事シーンの楽しみも欠かせないので大人の方がいい。かと言って、社会人だと、ここまでべったり一緒に行動するグループも少し違うように思う。この辺りを考慮すると、JDという設定が必然とさえ思えてくる。
また、毎週、調理や食事シーンを入れる事でシリーズの軸を通すが、それらが生活や幸福感に直結している。そして、季節の感覚や五感を重視したディレクションになっている。炎天下の農作業のクソ暑さ、大晦日の水洗いの手がキレそうな冷たさ。その五感を丁寧に演出することが、歳時記的な日々の積み重ねを感じさせ、生きている実感になる。その生活の中で、調理や食事シーンを入れて生活の中の幸福感を感じさせる。重要な事は、生活してゆく上での「当たり前」を丁寧に暮らしてゆくこと。だから、本作はこの部分の効果音や演出に注力して、リアリティに拘る。なので、キャラクターがヌルヌル動くアクションも必要もなく、キャラクターの日常の表情を丁寧に拾えばいい。こうした作風はアニメ的には地味に見えるが、これはこれで大変なアニメ演出の部類に入ると思う。
また物語としては、仲間と一緒に行動して、楽しい体験をして、思い出を作る。まこは中高とぼっちが長く人見知りな性格である。人見知りがゆえに、一人で定食屋で外食できなかったり、却下されるのがこわくてグループ内で提案できないという臆病なキャラ付けで大学生活を開始する。まこは食事への執着が強いので、そこを突破口にサークル内で能動的に提案したりと変化してゆく。その行動のおかげでイベントが発生し、思い出ができてゆく。思い出は自分の中にあるだけでなく、相手の中にも残る事で繋がるという意味がある。ぼっち時代は寂しさを覚えてはいなかったまこも、共有した思い出で人との繋がりが保たれる事の気付く。最終的に部室のコルクボードに思い出の写真で埋まるところで〆る。これも、いきなりゴールに到達するのではなく、日々を大切に暮らす事からの積み重ねである。
mono、ざつ旅と比べて、ドラマや物語のバランスが良く、観ていて安定感がある。それは、他の作品が旅行などの体験に重きを置いた作風で、体験自体を追体験させること自体が目的になっている面があると思う。つまり、その体験で見えたり感じたりした事を再現するから、キャラクターの心に起きた波紋だったり、キャラクターとの関りの変化だったりはあまり注力されない。本作も食事と言う体験は同じではあるが、キャラクターを生かした掛け合いや、歳時記的な穏やかな季節感で風流を感じさせたり、それが物語にもなっていて、その辺りのバランスが取れている。また、本作は各話の満足度も十分以上で、満足度にムラがない点もポイントだったと思う。
総じて、丁寧な五感で感じる日常描写、幸福感が積み重なる安心感、ネガティブ要素ゼロで非常に心地よく、気楽に観られる作品である。本作は、日常系アニメの一つの模範解答と言ってもいいのではないかと思う。
小市民シリーズ(2期) (2025.6.28追記)
- rating
- ★★★★☆
- proc
- 本格推理小説を没入して読むような感覚で楽しめる映像、芝居、演出
- 小佐内の「悪」性の強者感
- cons
- 地が本格推理小説なので、ジャンルが合わない人には楽しめないと思われる
2024年夏期の1期に続き、2期は「秋期限定栗きんとん事件」「冬期限定ボンボンショコラ事件」の小市民シリーズの完結までが描かれた。ちなみに、1期の感想は下記を参照のこと
アニメーションとしてのルックは、1期のときから変わらない。要約すると、シネスコサイズでシャープな線の絵はなかなかセンスがある。落ち着きがあり、ドスの効いた芝居も作風に合っている、という感じである。
私は、小鳩=ホームズ、堂島=ワトソン、小佐内=モリアーティという目で見ているから、キャラクターがその枠組みの中でどう動くか、あるいはどう枠組みから外れるかという観点で見ていたと思う。
1期の最期には、小佐内⇔小鳩の互恵関係(見た目は恋人関係)が破綻して、それぞれ別の彼氏彼女ができたところで終わる。小佐内には瓜野、小鳩には仲丸である。これが高校2年の夏の終わり。そこから高校3年秋までの1年間が「秋期限定栗きんとん事件」になる。
毎月エスカレートする連続放火事件を校内新聞の記事にする新聞部1年の瓜野。瓜野は放火にある法則を見つけ犯人を捕まえたいと考える。偶然、この事件と小佐内の結びつきを感じた小鳩は、この事件を解決に導くために裏で新聞部に介入。果たして、犯人は小佐内なのか?という緊張感で見てゆくことになる。
この事件も種を明かせば、当初は瓜野を奮起するために小佐内が暗躍していたり、ある事をキッカケにそこから小山内の「報い」による反撃が始まったり、なかなか複雑に絡んでいて謎解きとしては結構手が込んでいた。小佐内は放火事件を利用して瓜野を徹底的にコケにするのだが、瓜野に小佐内を犯人呼ばわりさせておいて、その推理を心が折れるまで否定してゆくという意地悪さ。要するに、自分に舐めた態度をとったやつは許さないという強者の余裕である。
一方、小鳩は仲丸に人間ぽくないという理由で振られる。仲丸からしたら何人もいる彼氏の内の一人だったが、恋人関係なのに徹底的にクールにしか振舞わず、1ミリも好いてくれていないし自分の事を理解しようとしてくれない小鳩が怖くなって、離れて行った。小鳩は完全に人格否定されたが、仲丸にはまったく未練がない。
最後の放火事件の後、小佐内と小鳩は互恵関係を結び直す。二人とも他の相手じゃ満足できない特別感や心地よさを感じていて、唯一無二の存在であると認めていた。ここで興味深いのが二人のニュアンスの違い。小佐内は小鳩の事を「次善」と言い、相手として100%満足はしていない、かまってやるからせいぜい頑張れや、みたいなニュアンス。小鳩は小佐内に対し体温が上がったと言い、それはシンプルにエキサイティングという意味にもとれるが、仲丸とのやり取りを考慮すると、恋愛としての好意のニュアンス。もちろん、夏期の事件で小佐内と決別した理由は、小佐内の「悪」性に嫌気がさしたからだと思うから、それを鑑みると嫌いだけど好きという微妙さだったのではないかと思う。
「冬季限定ボンボンショコラ事件」は12月小鳩が自動車のひき逃げにあい、入院しているところから始まる。ひき逃げ事件は中学3年生のときの小佐内との出会いの事件と並行する形で描かれる。安楽椅子探偵よろしく小鳩が推理してゆくのかと思っていたが、どうやら3年前のひき逃げ事件も未解決で、その情報を少しづつ視聴者に開示しながら謎解きしてゆく感じであった。今回は、小佐内が入院中の小鳩のピンチを救うという流れになっていて、クライム感あるスリリングな展開があり事件は解決する。
小山内が入院中の小鳩を救ったのは、今回のひき逃げ事件で小佐内を突き飛ばして救ってくれた事への感謝の気持ちだった半面、意識が回復せずに心配させたことから「報い」を小鳩に与える。それは、小佐内が大学進学するという京都に私を探しに来いという挑戦状であり、小鳩を眠らせて大晦日の夜、年明け5分前に黙って病室を立ち去る。ここは、ハッピーニューイヤーは恋人と迎えるものであり、小佐内から見たら次善であり恋人未満なので、そういう勘違いはさせないためなのだと解釈した。
さて、今回の事件は、小鳩が興味本位で首を突っ込み家庭崩壊のトリガーを引いてしまった3年前の小鳩の罪がキッカケになっていた。仲丸からは人間扱いされなかった小鳩が、3年ぶりに当事者の日坂祥太郎から赦され「小市民」として認められた事が、物語の救いになっていたと思う。
二人の出会いの未解決事件をなぞりながらシリーズを完結させる事、二人の関係を維持したまま、小佐内の圧倒的強者感と余韻を残して幕を引いたラストは、かなり美しい〆方に唸ってしまった。
最後にシリーズを通しての感想だが、前述のホームズ、ワトソン、モリアーティの構図を維持しつつ、高校生の範疇で事件の謎解きをしてゆくという本格推理小説として、楽しく見ていた。これまでの普通のアニメとは違い、芝居や映像の雰囲気なのか、推理小説のページをめくる感覚で没入して観ていたと思う。これも、芝居や映像的なテクニックが何かしらあるのだろうが、具体的な事は分からない。でも、そう感じたのは事実。ポイントとしては小佐内(=モリアーティ)の悪をいかに悪として描くか、という点にあるが、そこがブレずにしっかりしていたので、秋期事件なども悪役小佐内のミスリードで楽しめたし、画面への引き込みの力は凄かったので、ここもかなりの演出力があったのだと思う。一般的な視聴者が欲しそうなラブなフレーバーは微小でありながらも存在しており、小佐内に可愛らしく見せる部分も上手かった。普通の人なら、砂糖菓子に塩を入れて甘みを出す感覚なのだろうが、私には逆にカレーに砂糖を入れて辛味を出す感じだったけど。
本格推理小説の映像化という意味では、本作は一つの模範解答と言える感触があったと思う。少なくとも同じ原作者の「氷菓」とは明らかに違うテイストで、本格推理に集中できる作品であり、唯一無二の作風だったなぁ、と思う。
mono (2025.7.2追記)
- rating
- ★★★★☆
- pros
- 日常系4コマ漫画なのに、作画の良さと演出のキレで殴ってくる感じの、文句なしのテンポとビジュアル面
- 基本は気楽な作風だが、たまにイイ感じのエモい話もあり(落差が大きい)。
- cons
- 中盤はドラマや物語が極端にうす味になるため、人に寄っては好みが分かれるかも。
あfろ先生のきらら原作漫画のアニメ化。制作のソワネは、本作が初元請。監督は呪術廻戦で演出をしてきた愛敬亮太。シリーズ構成は米内山陽子。
本作のざっくりとした概要だが、シネフォト部の高校2年の雨宮さつき、霧島アン、敷島桜子が360度カメラやアクションカムを活用して新しい映像を楽しむのが1つ。もう1つは、知り合いの漫画家の秋山春乃に頼まれて、マンガのネタにする前提で、様々なアクティビティ体験を楽しんでゆく。おそらく、原作者のあfろ先生の体験をマンガにしてゆくのだろうが、JK主人公だと自動車やバイクに乗れないので、大人の春乃や華子を登場させているのではないかと勘ぐっている。それから、原作者繋がりで「ゆるキャン△」とのクロスオーバー作品となっており、モブで志摩リンやナデシコが登場して賑やかしてくれる。
テーマとしては、週末のアクティビティ体験と、アクションカムなどのガジェットによるホビーというところ。建付けとしてはそうなのだが、実際のところはシネフォト部が描かれるのは2話12話くらいで、後は聖地巡礼ツアーやだべ歩きスタンプラリーや観光地旅行などのアクティビティがほとんどである。
続いてアニメーションについて。
とにかく作画がいい。4コマ漫画原作ゆえに省略絵も多いのが特徴だが、通常の絵も省略絵も破綻が無く綺麗に動く。動きはヌルヌルというよりも、ツメタメのハッキリした動画枚数少な目で、動きのキレの良さを追求している感じである。とは言え、強風の丘を歩くとか、炎天下に冷たい缶ジュースでブルブルっとくるとか、芝居としての表現力も高い。「ヤマノススメ Next Summit」なんかで感じた職人的な動きの気持ち良さである。本作は360度カメラを使った映像も題材にするので、そうした魚眼の映像もキッチリ描いているのだが、そこも破綻がない。普通、日常系4コマと言えば、作画面では低カロリーでコスパで稼ぐイメージがあるが、本作では作画や動きを高カロリーで殴りに来るという挑戦的な作風と言ってもいいだろう。それと、これは強調しておきたいのだが、アニメだとさつき、アン、桜子のJK3人組が、ときおり仕草で美少女っぽく見えたり、足のアップのカットで色気を感じさせてドキッとしたり、そういう事がちょくちょくあった。基本的に淡泊なデザインなのに、作画でこの要素を盛り込めるのはかなりの拘りを感じた。
3DCGで印象に残ったのは、春乃の日産パオと華子のバイク。2D作画との合わせ込みの違和感がまったくなく、馴染んでいた。旅行アニメでもあり、背景美術も綺麗で申し分ない。
つづいて演出面でが、ギャグや漫才的なボケツッコミが主体の4コマ漫画ゆえ、テンポが重要になる。こうした笑いのテンポはセンスが重要だし、笑いのエスカレーションはグラデーションを付けて「勢い」を表現したりするので、演出が難しいジャンルだと思う。その上、最終的には作画のキレが笑いのノリにも左右する。本作は心霊、ホラー要素も多いが、実はホラーも笑いと似ていて、テンポやエスカレーションなどの演出が肝になっている。ホラーのために背景の色調や劇伴などもガラッと雰囲気を変えて怖がらせてるが、その辺りの演出も徹底していて楽しめた。その意味では、本作の演出はかなりの技巧派だったと思う。そのうえ、各話のバラツキはあるものの、例えば3話などはイベント過多でツメツメの映像になっており、絵コンテもかなりの情報量でハイカロリーだったのではないかと想像する。
それから、メイン5人のキャストの芝居も良かった。主人公の両脇を固めるハイテンションなアニメ声のアン役の古賀葵、ダウナー声の桜子役の遠野ひかる。そしてハイテンションで柔らかという矛盾を超越した演技の春乃役の上田麗奈。個人的なツボは、オカルト担当でフラットな喋りのクロクマ先生役の羊宮妃那。アニプレックス的な強みを感じる旬なキャストの振り切った芝居を堪能できた。
続いて、本作の物語と文芸性について。
原作者のあfろ先生の作風でもあるのだが、きらら系マンガでありながら、キャラは男子っぽい淡泊さが特徴でもある。誤解を恐れずに言えば、あfろ先生の芸風というのは、エモさの否定にあると思っている。これは、男子っぽい趣味を、男子っぽい距離感で遊ぶことが本懐で、色恋には興味なし。ファッションやメイクやカラオケにも興味がない。カフェや料理の職には興味あるかもしれない。本作でやってる事と言えばガジェット遊びと、地域のアクティビティ体験と、旅行。それらの体験をマンガとして読者と共有するのが趣旨なのであろう。ワイワイ、ガヤガヤするのが楽しさを共有するスーパードライな作風。女友達で百合百合しく湿度を上げてゆくような事はない。
ちなみに、ゆるキャン△1期では、アニメスタッフがある程度エモさを補強していたような気がしている。シリーズ構成の田中仁はエモさに定評のあり、だからこその1期の成功だったのかもしれない。劇場版ゆるキャン△では、大人になったなでしこたちの背負ってきたものの中の切なさや、社会人として多忙を過ごす彼女たちの悲哀や喜びのドラマも炸裂し、エモさが爆発していた。
本作でもアニメスタッフのエモさ増強はあり、序盤と終盤に集中していたように思う。1話はさつきの憧れの牧之原先輩への憧憬と卒業後の喪失。そして12話はサプライズでオンライン会議越しに牧之原先輩と半年ぶりに再会し、精力的に活動結果を残していたさつきに安心する牧之原先輩で〆る。1クールの頭と尻尾を綺麗に決めた構成はお見事。
2話は桜子と華子の登場回である。シネフォト部は2話で結成。楽しそうに工夫しながら映像制作する映研部の先輩たちの姿を、今のさつきたちに重ねてみる桜子にドラマを感じたりエモさを差し込んでいた。また、華子と春乃のバイクツーリングをキッカケに春乃のマンガのネタ作りの主軸をツーリズムに持ってゆく流れが描かれた。
3話はキャンプマンガ聖地巡礼弾丸ツアー回で、1泊2日で山梨県+αの聖地を回り切るという無謀企画。編集部からの依頼ネタではあるが、ノリと勢いの無謀なドライブは、若さゆえの特権である。この回も作画がかなり良くて爆笑しながら見ていたが、やはり聖地巡礼だけだとドラマを作りにくくエモさが低下してくる。ところが、最後の鉢伏山展望台は、強風で雲が流れてゆく中、日没の絶景と劇伴で静的なエモさを描く。作画と演出の上手さが際立つ渾身のシーンであった。
4話以降は、観光ドライブかグルメスタンプラリーとかで、週末のアクティビティを楽しむ話で、エモさが低減。淡々とイベントをこなす感じになり、シネフォト部要素は激減。春乃の漫画家友達回もあり、ホラー漫画のゴスロリ衣装でガチ心霊体質のクロクマ先生が結構いい味を出していた。この辺りのテイストはかなり淡々とギャグを紡ぐ感じなのだが、このドライなテイストこそが原作通りなのだと思う。
私は、このような作風を体験型と考えていて、物語やドラマよりも、アクティビティを疑似体験する楽しさのエンタメなのだと考えている。例を挙げると「スーパーカブ」の1話だろうか。原動機付自転車に初めて乗ったときの感動を色鮮やかに描いていた。体験型はいくつかの楽しみ方があると思う。1つは、知識として知る楽しみ。1つは、五感による仮想体験(楽しそう、灼熱地獄、足がすくむなど)。1つは、行動のあるあるの共感(若さゆえの弾丸ツアー、想定外の通行止め)。これらは、体験型ゆえのドライな作風だと言えるが、これはこれで楽しい。物語やドラマが極端に薄くてそこに味がしなくて限りなく水みたいになっていても、こうした体験での爽快感があれば、炭酸水のように楽しめる、というのが私の考えである。
SNSでは中盤にJK3人のシネフォト部としての活躍が露骨に減っていた事に不満を感じる声を見かけた。その意見も分からなくも無いが、体験型を淡々とやられるとエモさ不足になってパンチ力が低下するのだろう。演出のキレが良ければ素直に笑えて楽しめるが、そこは回によっては多少ムラがある感じはあった。原作漫画を大切にして忠実なテイストなのだろうし、色々と難しさを感じる。ただ、部分的にもエモさを添えてくれたアニメスタッフには、感謝しかない。
最後に、他の日常系アニメ(ひびめし、ざつ旅)との差異を書いておこうと思う。
本作はやはり、あfろ先生のドライな男子っぽさが特徴なのでストレスなく気軽に観れるのが一番の特徴であろう。笑いというのは、シリアスとの緩急で作るものなので、ストレスフリーの作風で笑いに持っていくためには、それなりにパンチ力が必要になる。本作では、ここに作画と演出のキレの良さで殴りにくる作風だったのだと思う。昔はギャグアニメは動きが良いモノと相場は決まっていたのだが、最近はそういう作品をあまり見かけない。これは各作品が持つテイストに依存したチューニングでもあるから、作画や演出のキレで劣る他の作品がつまらないという事でもない。
笑いに関しては、4コマ漫画感の勢いを生かしたスピード感ある作風であり、作画や演出もそれに特化していた。各アクティビティも個々を短くして多くを尺に詰め込む感じでテンポはかなり速い。他の2作品がゆったりした日常系だったので、この賑やかな感じも大きな特徴であろう。
ひびめしは日常を過ごす友達との関係の心地よさを重視してゆるやかなドラマや物語をキッチリ作り込む作風ゆえ、食事などの体験要素もあるのだが、見せ方としてはよりドラマ寄りだったと思う。ざつ旅は日常系でありながら、非日常の旅行をしゃぶりつくす体験型のエンタメではあったが、落ち着いたイメージ。本作は、作画と演出で殴り掛かるテンポ感ある笑いの体験型で、なおかつ一部エモさも加算された作品だと私は受け取った。
その意味で、アニプレックスが潤沢な予算で作る、今の時代の日常系ギャグアニメ作りの実験的な作品だったのかもしれない、と想像している。しかも、土曜深夜のアニメゴールデンに、monoとひびめしの日常系2作品をアニプレックスが抱き合わせて投入してきたところも驚いた。これまで書いてきた通り、この2作品は異なる特徴を持っているので、喰い合いにはならないという英断だろうか。ちなみに、わたしはこの2作品を、あfろ先生vsあっと先生対決という構図で見ていた。まぁ、ピーキーなmono、安定感のひびめしという感じで、好みは人に寄り別れるところであろう。
LAZARUS (2025.7.4追記)
- rating
- ★★★★☆
- pros
- リッチなアクションとクールな芝居がウリの洋画風味のテイスト
- cons
- クールゆえか、グローバルコンテンツ化ゆえか、「エモさ」不足で淡々と見てしまう
制作MAPPA、監督渡辺信一郎によるオリジナルアニメ。「カウボーイビバップ」的なスタイリッシュなアクションが特徴の近未来SF。天才科学者スキナーが鎮痛剤ハプナに仕掛けた人類滅亡のシナリオ。タイムリミット30日間の間にスキナーを探すために集められた問題児のチーム、ラザロ。果たして、人類滅亡は回避できるのか?
米国カートゥーン・ネットワークの全額出資で制作に5年。アクション監修にハリウッド映画のチャド・スタエルスキ、音楽はKamasi Washington、Bonobo、Floating Points。随所に本格派の匂いを漂わせるが、実際に観終わってみると、想像以上にアッサリとしたラストに拍子抜けしてしまう感じであった。同じ北米資本の「海賊王女」の時にも感じた、アニメーションとして凄く良く出来ていて、序盤の期待度の高さと裏腹に、パンチ力なく尻すぼみに終わる感覚。
実際に1話で、刑務所を脱走する主人公のアクセルのパルクールのアニメーションは長尺で、街中を逃走するシーンで舞台を見せて何となく説明してしまうという、クールで圧巻な演出である。アクションシーンも非常に見応えがあるが、ドラゴンボールのようなアニメ的なデフォルメはなく、目の前でリアルに起きている事をリアルタイムに見せる感覚で、変な味付け無しで素材の良さが分かる。非常に贅沢な動きが堪能できる。芝居の渋さも台詞の簡潔さも類型的な洋画風味。近未来感あるSF設定でクルマや建造物のデザインもカッコいい。舞台も世界中を移動し、人種も様々で、グローバル感はある。ロシアのスパイやら、中国の殺人マシーン的な殺し屋やら、米国陸軍の細菌兵器やら、いろいろと物騒な設定も出てくる。
すべてがクールという中で、エモさがなく軽い。優等生過ぎて毒がないというか。これが、グローバル戦略作品の結果というなら、そういうモノかもしれない。
さて、物語というか、テーマについて。スキナーはハプナ作って3年前に行方不明。聖人とまで言われた慈善家で、人類に失望し、人類に生きる価値があるかの問いかけをする、という体裁であった。ラザロの5人は30日間、スキナーの痕跡を追って、世界を巡って様々なモノを見聞きして、スキナーの考えている事(=想い)に近づこうとする。最終的に、ラザロがスキナーを見つけて特効薬の情報を入手したとき、アクセルはスキナーに人類滅亡した方が良かったのか?と問いかけるスキナーは同じ質問をアクセルに返し、ひどい世の中だけどそこまで捨てたもんじゃない、と返す。
まぁ、これまでの1話完結で起きた人間模様で、人間賛歌的な〆方で終わるわけだけど、そこまで絶望や希望を味わっていないので、その言葉が軽くなる。ラストの奇跡が奇跡に感じられず困惑する。SNSではシリーズ構成と脚本を問題視しているのを見かけたが、プロット自体は悪くないと思う。個人的には、本作が持つ演出面での「エモさ」不足が根底にあるような気がしてならない。
少し思うのは、例えば2025年現在でも、ロシアとウクライナ、イランとイスラエルで戦争で戦争被害者が出ているとか、新型コロナウィルス感染症とか、世界中の人種差別問題とか、人間賛歌できないストレスのネタは色々あるわけだけど、そういうのを見せてから、その中でも人間賛歌できるドラマを見せる必要がありそうに思う。ド真ん中にボールを投げずに、なんとなくやり過ごしている感がある。たとえば、新興宗教ネタのときも、自らの意思を持たずに妄信した集団が起こす殺人というテーマに触れてはいたけど、テーマ的には描けてるのに何の引っかかりも無くスルっと無難に終わる。全てにストレスがかからずに。
同じスタイリッシュでクールでもカウボーイビバップがもう少し「念」が強いというか、深みを持っていたと思うので、何か少し失ってしまったモノがあるような気がしてならない。それが、令和時代なのか、北米資本なのか、グローバルコンテンツなのか、なんなのかはよく分からない……。
ネガティブな印象ばかりを書いてしまったが、リッチなアニメーションの力作には間違いない。アニメに「媚び」を感じていたり、ガキっぽさを感じている層には、違和感なく見れる作品なのかとも思う。逆説的に言えば、後味良く気楽に見れる作品である。
ざつ旅-That's Journey- (2025.7.18追記)
- rating
- ★★★★☆
- pros
- フォトリアルで迫力のある背景美術と、旅情豊かでのんびりした作風
- 旅行を通じた友人たちとの交流の小さなドラマ
- cons
- 特になし
原作漫画は石坂ケンタ先生。製作はマカリアは聞き慣れないが、下請けは2016年くらいからのスタジオらしい。監督は「リゼロ」の渡邊政治。シリーズ構成は中村能子、脚本は中村と横谷昌宏の2名体制。
ズバリ、旅行を題材にしたアニメ。駆け出しのJD漫画家鈴ヶ森ちかが無計画な旅行体験をしてゆく。出版社の編集からのネームのダメ出しを受け行き詰まっていた主人公ちかが、ふとしたキッカケから気分転換の一人旅をする。リフレッシュできたちかは、友人や後輩、先輩漫画家たちと2、3人の旅行を繰り返してゆく。最初は、単なる旅行レポートをアニメ化した作品なのかと思っていたが、一緒に旅行した人たちとの小さなドラマの積み重ねが良かった。ちか本人も友人たちも、ちょっとした不安などを抱えているが、その不安を旅行と同伴者の気遣いが和らげてゆく。
アニメーションとしての感触だが、まず背景美術が綺麗。綺麗と言うのはフォトリアル的に綺麗で、景勝地や寺院などの木造建物の絵だけでも迫力がある。ここは本作の肝でもある。キャラデザ的にはちかのデザインは味があると思った。青髪でちょっとツリ目だがマイルドな顔立ち、赤色のベレー帽とタン色のコートの服装がトレードマーク。一般的な主人公キャラとは押し出しが弱く、少々ベクトルが異なる。他のキャラもほんわかした感触が持ち味。アニメーションとしては、それほどリッチな感じはしない。どちらかと言うと、声の芝居に助けられているところは大きい感触である。
基本的に行き当たりばったりの旅行記であり、目的地の予習もせずに、宿泊先も現地で適当に飛び込む。こうした、敢えて非日常に身を投じることで様々な事態に対応してゆく事になるのだが、それ自体が人間の能動性回復のためのリハビリになっているような気がする。無計画な旅行でバスがシーズンオフで運休していたり、次のバスまでの待ち時間が2時間だったり。いつもと違う時間感覚と、何もすることがない手持ち無沙汰な時間。こうした、イレギュラーな状況で自分と向かい合ったり。旅行は気晴らしであると同時に、頭の回転を要求し、世界の一部を知り繋がってゆく行為とも言える。旅行のそうした味わいが存分に作品に滲み出ていたと思う。私は「体験型の作品」と呼んでいるが、知識として知る楽しみ、五感による仮想体験、行動のあるあるの共感が、本作のフックになっているのは間違いない。
出だしが一人旅の体験型の作品であったため、当初は文芸性はそれほど感じなかった。これだと途中で飽きてしまうだろうと……。しかし、2、3人で旅行をするようになって、相手への気遣いや、旅行という非日常だから打ち明けられる悩みとか、そういうちょっとした気持ちの交換がドラマになっていた。スランプのちかに対する思いやりだったり、受験生の不安や、先輩どおしのちょっとした行き違いの喧嘩だったり。そういった不安を、真っ向から解決するのではなく、旅行により柔らかくなった心が自然と受け止めて立ち直って行く。旅行による小さな再生が描かれていたように感じた。そこには、単に旅行体験でマインドが変わるだけでなく、同伴者の気遣いを感じたりの人間関係の要素も影響している。誰しもが一人きりで戦って生きているわけではなく、たまに合って会話する友人との交流を大切にしたい。そんな文芸に感じた。
最終話では、ちかが読み切り漫画が漫画誌に掲載されたという成功体験で〆られる。その劇中の少女マンガ自体もエモさある作品として作り込まれいて、そのマンガをアニメで紹介するという手の込んだモノ。ちかの成長と成功を成果物のマンガで見せるという説得力ある演出はお見事。このシリーズ構成は1クールを見事に閉じたという意味で、満足度は高かった。
ちなみに、ちかが日本各地に旅行に出かけているので、私も旅行したことのある観光地が出てくるとそれだけでテンションが上がったりした。一般的な聖地巡礼が一つの地域に絞られるのに対し、観光地と言う色んな人が訪れる場所が聖地化してゆく旅行物の醍醐味でもあろう。
総じて、カタルシスのような盛り上がりとは無縁だが、旅行の体験モノとして地味に良く出来ていた事、1クールを通して地味に思いやりの小さなドラマを繋いでいった事が美点だったと思う。地味ながら真面目さを感じる良作でした。
おわりに
繰り返しになりますが、今期はオリジナルアニメの豊作で、しかも各作品とも書きたい事が結構あり、嬉しい悲鳴的な状況でした。
日常系アニメ3作品も、色々とストロングポイントが異なっており比較は有意義だったと思います。個人的には、あっと先生の作風が身に染みて好きなのか、ひびめしが一番楽しく見れました。
ちょうど仕事が谷であった事も幸いして、充実した期だったと思います。