たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ

はじめに

本作はNETFLIXオリジナル映画で、最多視聴回数(3億2,500万回再生)を誇る大ヒット作品です。2位の「レッド・ノーティス」が2億3,000万回再生なので断トツと言っていいでしょう。一般的な映画とのヒットの規模の比較はできませんが、大ヒットなのは間違いないです。

この前評判で興味が湧いて、やっと私も視聴しましたが、映画らしい映画という印象で、後味も良かったです。セーラームーン的な美少女が悪と戦うヒーロー物としてのシンプルな軸がありつつ、主人公の葛藤やドラマが多めに描かれ、見応えも十分でした。

個人的には、本作の成功は活劇としてもオペラとしてもシンプルな事と、音楽のパンチ力と映像とのシンクロの気持ち良さにあると思いました。楽曲に合わせて戦うシーンなどが多いですが、MV的に繰り返しの鑑賞に堪えられる映像の作り込みというのもポイントだと思います。後は、アニメ特有のコミカルさ、魅力的なキャラクターといったところでしょうか。

ちなみに、原題は「KPop Demon Hunters」というシンプルな3ワードなのですが、邦題はちょっと残念な感じです。ちなみに、略称としては、「ケデハン」らしいです。

では、前置きはこれくらいにして、いつもの感想・考察に入ります。

  • 「韓国的な「恨(ハン)」と「情(チョン)」について」を追記しました。(2025.11.3追記)

作風

韓国舞台の米国製3DCG映画

アニメーション制作は、ソニー・ピクチャーズ・アニメーション。代表作では、スパイダーバースなどを制作している。今、大手の3DCGアニメーション制作会社は、「ピクサー」「ディズニー」のディズニー系列、「ドリームワークス」「イルミネーション」のユニバーサル系列があり、第三の勢力としてのソニーピクチャーズ系列となる。

実は、ソニー・ピクチャーズ・アニメーション(SPA)は、映像制作会社であるソニー・ピクチャーズ・イメージワークス(SPI)に映像を発注する。前者のSPAが企画、脚本、キャラデザ、背景美術、ストーリーボードなどを担当し、後者のSPIがレイアウトからアニメーション、ライティング、レンダリングの映像の作り込みを行う。完全に上流と下流に分けて分業している。これは、SPIが他の実写のVFXなども仕事にする事で、閑散期を作らないことや、コスト意識を持って映像制作できるなどのメリットがある。しかし、大手のディズニー系は、上流から下流まで一貫して自社で行うことで、試行錯誤により映像の細部までコントロールできることを優先している。どちらが良いかは一概には言えないところではある。

監督は韓国系カナダ人女性のマギー・カンとアメリカ人男性のクリス・アッペルハンスの2名体制。本作ではソウル生まれのマギー・カン監督の功績が大きいと思われる。ちなみに、本作が初監督作品とのこと。

これまで、韓国文化を深掘りしたアニメーション作品はなかったように思う。私も韓国の見識が深い訳ではないが、日本で言う所の「ゲイシャ・フジヤマ・ハラキリ」みたいなステレオタイプな韓国感はなく、地に足が着いた感覚があった。

アニメーションのルックとしては、よくある米国製3DCGアニメーションの域に留まるが、例にもれず表情は良く動く。極端な崩しのギャグなどもあるが、笑い25%、シリアス75%な感じである。

比較的、肌は卵のようにツルっとした質感で、全体的にザラツキ感は押さえられたルックになっている。

圧巻なのは、街頭ライブやステージのモブシーンで、結構な作り込みがされている。同じ顔や表情を単調に並べるのではなく、それぞれが個性的な感じになっており大変な労力ではないかと想像する。この、モブシーンの迫力と言うのは、ライブでファンの魂の力を借りてゆくという設定もあり、本作のテーマにも直結する肝であるから、これほど注力して仕上げてくるのも納得である。

ちなみに、ソニー・ピクチャーズ・アニメーション公式のYouTubeの再生リストがあるので、アニメーションのルックや楽曲の雰囲気は、こちらを見れば一発で分かると思う。

K-POPを全面的に押し出した作風

個人的に、K-POPは避けてきたというか、あまり見ないようにしていたと思う。K-POPが世代に合ってなかったという感じだったと思う。普通に日本のJ-POPやボカロやアニソンを中心に聞いていたと思うので、私の棚には入り込む余地は無かった。

今回、作中で改めてK-POPに触れてみたが、とにかくビートを効かしており、古くはマイケル・ジャクソンの「スリラー」のような力強さがある楽曲が多い。また、ラップなどもふんだんに含まれるので、カッコいい系の音楽である。こうした、ビート感のある音楽は、映画のアクションシーンにハメ込むとバッチリと決まるのは良く理解できる。多分、「J-POP DEMON HUNTERS」があったとしても、本作のようにはならない。

シンプル目な歌詞だが、キャラクターの心情にカチッとハマる歌詞。だから、アクションシーンにその心情がシンクロしてハマる。

とは言え、こうした3DCGアニメーションは米国にもかなり存在しているわけで、目新しさがあるわけではない。たとえば、「アナ雪」もフル曲そのままキャラが歌唱しながら芝居をしてしまう、ミュージカル調なシーンが有名である。しかし、本作はミュージカルのように意味なく歌って踊り出すシーンは少ない(一応、ルミとジヌが単独で合うシーンはミュージカル調だった)。歌声とパフォーマンスでファン(=観客)の魂を震わせて力を借りてゆくというのがベースであるから、そのパワーの大きさを楽曲や歌唱でも表現している、というシンプルさが効いている。

今でこそ、映画を鬼リピートして鑑賞する人の話も聞くが、もともと映画というのは何度も見れるような体験ではなかったと思う。それが、今や配信のインフラでお茶の間なり、自分の部屋で見れるようになってきた。YouTube動画などでMVを繰り返し見る感覚で、映画もリピートしようと思えばできる時代。そこにきて、本作のMV的な小気味がいい映像が上手くハマったのではないかとも想像している。群像劇的な物語の複雑さを排除し、どこから見直しても引き込まれる映像。それは、映画の価値観がMV側にシフトしたというニュアンスなのかもしれない。

バトルヒロインたちのデーモン退治アクション

まず、地底からデーモンが現れて人間の魂を奪うという敵の設定がある。そして、主人公たちのアイドルグループ「ハントリックス」はデーモンハンターであり、地上に現れたデーモンたちを打ち倒す。彼女たちの最終的な使命は、歌を通してファンから魂の力を授かり、ホンムーンというバリアを作ってデーモンたちを地下に封じ込める。アイドルのライブでのファンの声援という音楽要素が密接に関係してくる設定である。

ちなみに、デーモンに魂を奪われた人間は、行方不明の失踪者となる。その魂があちらの世界で敵の大将であるグウィマの餌になっているのか、デーモンとして生まれ変わっているのか、そのあたりは良く分からない。少なくとも、ジヌは元人間がデーモンになったものである。

また、ホンムーンは「魂」と「門」の二語の造語らしく、多くの人々(=ファン)の魂の力で閉ざした門という意図があるっぽい。「門」であるから、その扉が開くとあちらの世界のデーモンがなだれ込んできて、人間の魂が食い荒らされるという感じ。

デーモンハンターは時代を超えて代々受け継がれてきており、女性3人が音楽を奏でて歌唱しながら武器を持って敵と戦う、という決められたスタイルがある模様。この辺りのアクションは、ルミの剣、ミラの薙刀、ゾーイの短剣といった属性の違う刃物が武器になっており、互いを補完しあう。アクションもそれぞれの特徴を持たせたアクションで、良くできている。

本作はステージ上で熱唱しながら、大量のデーモンを倒してゆくようなシーンがあり、そこは良くできたチャンバラの世界である。「呪術廻戦」みたいな見てる方が痛くてかなわない、という感じではないので、見ていて爽快感がある。とは言え、本作はキャラの表情芝居の細かさは美点であるので、冒頭のイケイケのアクションや、ラストの悲痛だが覚悟を決めて戦うシーンの力強さなど、アクションに芝居と歌のパワーが乗ってくる感じで飽きさせない。

ところで、女性が主役のアクションモノと言えば、古くはセーラームーンなどがあるが、ノリとしてはまったく同じテイストである。この文法は非常にビジュアル的にも分かりやすく馴染みがあるものだが、意外と米国製3DCGアニメーションでは無かったかもしれない。このド直球な感じが、本作のパワーの土台になっていると思う。

敵との恋心と仲間との友情のドラマ

ハントリックスのルミ、敵対するサジャ・ボーイズのジヌ。この二人は、最初は最悪の出会いから始まり、戦闘中に相手を少し気を遣ったりしながら、惹かれ合う恋人関係っぽく描かれてゆく。二人が持つバックボーンを、お互いが意識して、相手の苦痛を共感するような、少し特別な関係になる。

ルミはデーモンの大将であるグウィマを倒せば、ジヌも悩みから救われるから共闘しようとジヌを誘ったり、結局ジヌに裏切られたり、この辺りも韓流ドラマっぽい物語の濃さである。

また、主人公のルミには秘密があり、メンバーのミラやゾーイにも内緒にしている。その事でルミ自体が、デーモンハンターとして自信を失ったり、隠し事をしたことで一度は仲間割れする。しかし、最後は互いの信頼関係を取り戻し、3人で力を合わせて敵を追い返す、という熱い展開である。

この辺りは、王道中の王道。分かりやすく途中でかかったストレスをラストで吹っ飛ばす爽快感が味わえる娯楽作品となっている。

キャラクター

ハントリックス

ルミ

ハントリックスのリーダーで主人公。紫色の長い髪を芋虫みたいに編み込んでいて、それでも長い。3人の中で一番美人顔。武器は剣で格闘技(テコンドー)も取り入れた戦闘スタイル。しかし、一番の武器はその歌声で、ファンを魅了しファンの魂を力にしてホンムーンの結界を強化してゆく。

ルミは、人間とデーモンの混血であり、忌み子であった。デーモンの血を他人には隠しながら成長し、デーモンハンターになり、ミラやゾーイにも秘密にしている。ゴールデン・ホンムーンの完成も間近に思えたが、デーモンの紋様が全身に現れて来て、歌声が出にくくなり、アイドルやハンターの仕事に支障が出て来た。

ミラ

ハントリックスのダンサー。長身でロングの赤毛、面長でツリ目、ヤンキーっぽいが情に厚い。表裏がなくストレートな性格だが、相手の事をよく観察している。武器は薙刀

ミラは家族との関係が悪く自分の居場所がないという過去を持っていた。初見は怖そうな印象だが、仲間に対する思いやりを感じさせる気遣いがいい。個人的にも、結構気に入っているキャラである。

ゾーイ

ハントリックスのラッパー。黒髪を後ろで束ねてアップにしている。そばかす顔で愛嬌のある顔。武器は投げナイフで、近接格闘では柔術レスリングのような技で押さえ込む。

オタクでミーハー。リリックをノートに書き留めるような、世間からはちょっと変わり者という視線で見られていた過去があり、ルミとミラの仲間となり肯定されて自信を持てたという経緯がある。

日本人から見ても普通のアニメ的な女子キャラに見えることと、オタク気質というところで、個人的にはゾーイが一番可愛くて好みである。

サジャ・ボーイズ

ジヌ

黒髪で体格も良くてイケメン。もともと400年前の人間だが、グウィマによってデーモンにさせられた過去を持つ。自分が母親と妹を見殺しにした「罪」をかかえ、その過去を思い出させる声に悩まされていた。地上では5人組K-POPアイドルのサジャ・ボーイズのリーダーとして、ファンの魂を地下のデーモンたちの元に送り込む。

サジャ・ボーイズの他の4人も筋肉とか、目隠れヘアとか、チビとか個性的なメンバーなのだが、今回はリーダーのジヌだけ深掘りされている形である。みな、整形手術で整えられたようなサイボーグ的なイケメンなのは、韓流という感じである。

ジヌはダークサイドに落ちたキャラクターではあるが、「罪」を咎める良心を持ち合わせて苦悩するという意味では、ルミに似ている。しかし、ルミは人間とデーモンのハーフという忌み子という立場の葛藤以外は、大きな罪はおかしていない。そこがルミの強さでもあるが、ジヌは悪魔にそそのかされて「罪」を重ねてしまう弱さがある。

物語・テーマ

敵対勢力の混血とアイデンティティ(ルミ)

ルミは人間とデーモンのハーフである。そして、デーモンを退治するデーモンハンターでもあるから、人間vsデーモンの敵側のアイデンティティも持ち合わせている。この設定こそが、人間の正しさと背中合わせに潜む弱さを象徴する。ヒーローが正論パンチ一辺倒だと魅力がなく、弱点を持つからこそ共感できるというエンタメの文法に沿ったものとなっている。

このハーフという設定はいろんな解釈ができる。デーモンは排除すべき「悪」として描かれるが、ここではいったん善悪の枠組みを外して、2つの対立する集団に属する存在として考える。これは現実世界の国籍などにも単純に置き換えてみてもいいだろう。所属グループだけで他者を否定し排除したりする事はよくある。その意味で、ルミは敵対するデーモンの血が流れているだけで排除されるリスクがあり、師匠であり継母のセリーヌによりその事を秘密にして育てられた。その隠ぺいがルミの中で自己否定を起こし、ルミを不自由にして、メンタルを病んでゆく。

終盤にジヌにハメられて、ミラとゾーイにデーモンのハーフであることが暴露され、その悲鳴でさらにデーモンの紋様が顔までに広がり、絶望で動けなくなる。

絶望のさなかセリーヌの元にゆくが、デーモンの紋様を怖がられ、ルミは途方に暮れる。このセリーヌの愛が仮初という描きが鋭い。そして本当に孤独になったルミの心を的確な表すシーンだったと思う。

その絶望から反転して、ルミは一人で紋様も隠さず、デーモンたちに立ち向かう。望む望まないに関係なく、ハーフであることがルミのアイデンティティであり、それは「恥」という自己否定を捨てて、ありのままの自分を受け入れて自己肯定する事である。その苦悩もすべてルミである事を自ら発露して、ミラとゾーイの心を取り戻す。痛みを伴う自由の獲得である。

この時点で、ルミがもつバックボーンではなく、ルミという個人にフォーカスされ相互理解してゆく、というのが本作のテーマの1つになっている。

敵対関係にある相手を否定するというのは、ハントリックスがサジャ・ボーイズにぶつけるために用意した楽曲の「Takedown」にも込められているが、ルミは途中で「Takedown」ではファンの心を掴めない、「Golden」という自己肯定の歌で勝負したいというニュアンスの台詞がある。

この辺りは個人的にも思う所があり、昔は趣味でも何でもマウントを取って格下を馬鹿にするような風潮が強かった。それは、許せないという否定の気持ちの表れで、それにより自分の威厳を保ち自分を守る側面もあったように思う。しかし、最近はその風潮は弱くなり、他人の畑を荒らさずに、自分の好きなモノだけを肯定すれば良いという風潮に変わってきていると感じている。例を出すと、紅白歌合戦にB'zが出て高齢層は歓喜したが、B'zは売れ線に走った歌謡曲路線だったとして、サブカル的にエッジが立った人やコアなロックファンからは「ダサい」と否定する人種もいたと記憶する。音楽というのは、とくに差別化のためか、目立てばかならず一部からは攻撃されるような印象を持っていた。しかし、最近はどの音楽もそれぞれ良い、的な温和なムードで埋め尽くされていて毒舌はあまり聞かない。「Takedown」という楽曲自体は悪くはないと思うが、他者を否定し引きずり下ろすという思想が今風ではなくなっている。この温和なムードが今の時代が求める空気なのではないか、と感じている。

この空気はSNSフェミニズム的な論争でも言える事で、好きなものを肯定するとか、好き嫌いだけを語るだけにしておけばよいものを、嫌いな対象を否定し攻撃すると炎上して泥沼化する。個人的にもこの空気に辟易しているので、そういった気持ちともオーバーラップすると感じている。さらに、この空気を拡大解釈するなら、戦争の否定というところまで行き着くだろう。

とは言え、今回のルミはデーモンの血が流れている事で善と悪の感情の対立や葛藤があったわけでもなく、悪事を働いてもおらず、マインドは正義の側にありクリーンな存在である。生まれながらの血は先天的なものであり、ルミに責任はない。こちらのドラマは後述のジヌが担当している。

罪と恥と赦し(ジヌ)

一方、ジヌは人間がデーモンに変化したものだが、その過程で我が身可愛さに、母親と妹を見殺しにしたという「罪」を背負う。この「罪」は後悔であり「恥」となる。一度、悪に手を染めると、そこから悪を断ち切れない(=ダークサイドから這い上がれない)という描き方になっていた。それは、「罪」を償っていないことからくる自己否定であり、そんな資格はないという諦めの気持ちである。それがクセになり常習性となる。

この負の循環を断ち切るためには、周囲からも赦され、自分自身も自己を赦す必要がある。

今回は、ジヌはルミに持ち掛けられて、正義に力を貸そうとするが、その本質は自己を肯定する事で、背負った罪から解放されると信じたからだろう。たった一度のミスでその人を全否定してその人のチャンスをすべて奪うのか、というニュアンスのルミの台詞があったような気がする。この辺りは、キリスト教の「赦し」の概念に近い。

しかし、ジヌはグウィマにそそのかされて、ルミを裏切る。その方がジヌにとっては目先の苦しさが小さいからだが、そうして蓄積した罪と自己否定という負の連鎖がある。この辺りは、韓流ドラマ的なエンタメ文法に沿ったものであろう。

最後は、ルミを庇って死んでしまうが、「罪」を重ねて来たジヌのルミへの罪滅ぼしである。魂はそのままルミのホンムーンのために捧げてられた事は救いであろう。ジヌはデーモンとして生きていればグウィマのマインドコントロールにより苦しめ続けられる。もともとさまよえる魂であり、成仏が呪いからの解放だったのかもしれない。

韓国的な「恨(ハン)」と「情(チョン)」について(2025.11.3追記)

たった一度の失敗を許さない韓国の文化構造

本作は米国製映画ではあるが、舞台である韓国について深掘りして描いていると感じる部分があり、その事について考察を記す。

韓国では大統領の不正が発覚した場合、弾劾訴追→弾劾審判で有罪→罷免という流れで政治生命が完全に断たれる。国民感情としては、未来永劫、彼の罪を責め続ける。これまで、大統領の弾劾訴追で罷免されたのは、2016年の朴槿恵(パク・クネ)大統領と2025年の尹錫悦(ユン・ソニョル)大統領の二人である。また、引退後に弾劾訴追された元大統領の例もある。

これは、韓国文化に根付いた感情で「恨(ハン)」と「情(チョン)」によるものと言われている。「恨」は不公平や抑圧からくる悲哀に満ちた悲しみと怒りの感情。「情」は深い愛情、絆、連帯感を差す感情とのこと。この「情」で信頼していたものに裏切られると「恨」という感情に変化する。反転アンチみたいなものと考えればいいだろう。ちなみに、「恨」が行き過ぎると激しい怒りの「怨恨(ウォンハン)」となる。

また、韓国ではリーダーや師は大衆の規範となる存在であり、不正などの誤ちは絶対にしてはいけない、という意識がある。これは儒教をベースにエスカレートした慣習ではないかと思う。大衆はリーダーを信じて期待を込めて「情」を注ぐが、リーダーの不祥事などにより裏切られると一転して「恨」の感情となる。「情」が大きければ大きいほど「恨」も大きくなる。一国の大統領の不祥事ともなるとその「恨」のエネルギーも半端ないものとなるだろう。こうした「恨」の国民感情を晴らすためにも、徹底的に罪を追求し刑事罰を持って責任を負わせられるように法的にも整備されている。訴追罷免となった大統領は、国民の「情」を裏切った罪人という扱いである。

一方、日本ではこれほどリーダーに対して徹底的な責任追及はない。辞任や引退で公的な責任を果たしたら、そこでいったん水に流す感じである。失敗は個人の資質や能力的な問題であり、裏切りという感情まで至る人は少ないのであろう。

ちなみに、米国は「リベンジ」「セカンドチャンス」を許すので、一度失脚したとしても再就任することは可能らしい。

実は、弾劾訴追を受けるも、弾劾訴追が棄却され、職務に復帰して、後に歴代大統領で好感度No1を獲得した大統領がいる。2003年に大統領に就任した盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領である。しかし、大統領退任後、側近や親族の不正献金疑惑があり、最終的に彼らは有罪となる。そして、本人も贈賄疑惑をかけられたが、途中で投身自殺した。この事件で韓国国内に衝撃が走り、流石に盧武鉉元大統領に同情が集まった。結果的に、当時の検察総長が辞任をする形となった。

自殺により刑事責任は帳消しとなるが、政治構造の腐敗に対する追及もうやむやになった。後に、こうした不正を防ぐために贈賄を厳しく制限する金英蘭(キム・ヨンラン)法が整備された。具体的には、それまで常套化していた配偶者を通じた裏金を制限するように、本人だけでなく、家族も財産上の利益を得る事を規制するものである。この事件の「恨」は法的整備による再発防止という形で「解(ほぐす)」という結末である。こうした流れで、政治家の不正に対するルールが厳しくなってゆく。

ここまで書いたら、お分かりであろうが、トップアイドルも大統領同様に、スキャンダルが発覚したらアーティスト生命は断たれる。こうした韓国の国民感情がベースになっているからこそ、ルミの育ての親のセリーヌが「一度の失敗」も公にできず、嘘を突き通すというスタンスには説得力がある。

これまでの社会体制の象徴=セリーヌ

セリーヌ=これまでの韓国の気質の象徴である。彼女は、先代のデーモンハンターであり、師となる存在である。だからこそ、「力強きハンターは過ちや涙を見せないものよ」という信念で動く。

ただ、今回のルミの件に関しては、それを取り繕いきれず、セリーヌ自身もどうすればよいか分からなくなり破綻する。セリーヌは、ルミの事は愛していたのだろうが、師として弱みを見せられなかった。デーモンとのハーフである事を許容できなかったのは、セリーヌ自身が持つデーモンの拒絶から来るものであろうが、そのせいでルミの心に寄り添うことができなかった。そして、ルミの母親から託され守ると約束したルミを守り切れない事は裏切りとなる。つまり「恨」と「情」のコンフリクトに身動きが取れなくなった。

この瞬間にルミは、頼れる師も居なくなり、完全に孤立し、自暴自棄になる。私がデーモンのハーフで危険なら、私を殺してと懇願するが、セリーヌにそれが出来る訳がない。ルミを守るという約束を破る不誠実になる。結局、ルミはヤケクソになって、ホンムーンをぶっ壊すと南山タワーに向かう。

ルミがハーフである事を受け入れて、その苦痛も隠さず、古い慣習をぶち壊して、仲間の信頼を取り戻し、デーモンたちを退治した。ルミがぶっ壊したのは、これまで長年積み上げて来た旧体制の息苦しい価値観である。

韓国でも「リーダーも人間、一度の失敗も許さない寛容さのない社会は息苦しい」という空気はあるようだが、「恨」を晴らすためにもリーダーに対する厳しいルールは必要という意見もある。私自身は、このことをどうこう言える立場ではない。こうした白黒で断言できない葛藤こそがエンタメなのであろう。しかしながら、今回は、米国製映画で韓国ソウル生まれのカナダ人監督が、韓国外部からこのテーマを選んだというところが肝ではないかと思う。

もちろん、「一度の失敗も許さない」から「嘘」で逃げるという息苦しさは、現代の世界中の人が共通に感じているからこそのヒットではあると思う。ひるがえって日本でも若者が行儀がよくなり過ぎて、最善手を打たなければならない、失敗できないというプレッシャーを感じているという話もちょくちょく耳にする。

本作は自己受容がテーマとよく言われるが、前述の通り、ハーフである事はルミ自身の責任ではないし、ルミ自身は嘘をついていたこと以外はクリーンである。周囲が個人を攻撃し否定していては、自己受容しようにもできない。今回のミラやゾーイやファンはルミを受け入れた。その環境があってこその自己受容であり、だからこそ、作品として力強く輝いたのではないかと思う。

初見ではセリーヌの扱いが不遇に感じたが、セリーヌが象徴していたモノを考えると、このような描き方になった事には納得できる気はする。

おわりに

最初にも書きましたが、本作は活劇としてもオペラとしても比較的シンプルなモノを丁寧にアニメーションに起こしたこと、つまり奇をてらっていない感じが好印象でした。

もちろん、韓国にまつわる設定的な部分やキャラクターの魅力については考え抜かれたアウトプットなのでしょうが、繰り返し見てそこを深掘りしてゆく楽しみもあると思います。

YouTube動画で2027年公開予定の続編のトレイラーも観たので、今色々と練っているのでしょう。デーモンの大将であるグウィマがルミの父親という事で、いよいよスターウォーズ感が増してきました。個人的には、ゾーイとミラはもっと深掘りして良いキャラなのでそっちの方のドラマを期待しますが、それは今のところ分かりません。が、続編を楽しみに待ちたいと思います。