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はじめに
NETFILX独占配信のアニメ映画「超かぐや姫!」が非常におもしろかったので、いつもの感想・考察を書きました。
とにかく、映像が綺麗で楽しく安心して観られる。しかも、竹取物語ベースに付け足した後日談の展開はSF風味も百合風味もあるジェットコースター展開で、映画としての感動や満足度も非常に高いです。
配信専用映画ということで、どこで切っても美味しく、2度目で見え方が変わる味変など、繰り返し観る事を想定したイマドキ感じさせる作品でもあります。
配信開始日に鑑賞し、すぐに感想を書き始めましたが、なかなかまとまらず1週間が経過しました。他の人のブログやnote記事がどんどん出て来て、何か書きたくなるモノを持っている作品なのだと思います。この熱意が伝われば幸いです。
下記を追記しました。
感想・考察
バックグラウンド
NETFLIX独占配信のオリジナルアニメーション映画
本作は、NETFLIX独占配信のオリジナルアニメーション映画である。
「また囲い込み戦略か」と揶揄する声も聞こえてきそうだが、直近だと「KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ(原題:KPop Demon Hunters)」という米国Sony Picturesが制作した映画が、2025年に全映画の中で最多視聴回数(3億2,500万回再生/91日)を叩きだし、ゴールデングローブ賞のアニメ映画賞を受賞している。こうした成功例を見ていると、非劇場公開作品であっても、市場へのインパクトは十分以上に出せる時代になったと言えよう。
制作はスタジオコロリドとスタジオクロマト。監督は山下清悟。脚本は夏生さえりと山下清悟の共同執筆とのこと。
配信開始から1週間。SNSでの評判は上々なのも頷ける快作ではある。
ただし、SNSはその性質上バズりの傾向があるが冷めるのも早い。人気が無ければすぐ上映館が無くなる劇場公開作品には、この口コミでバズって注目を集めるやり方は非常に有効である。しかし、本作は配信専用作品であり、どちらかと言うと線香花火のように一瞬で燃え尽きるのではなく、向こう3ヶ月程度は長く燃焼したいところである。1つは、個々の観客が鬼リピートして再生回数を稼ぐという流れ。これは、キャラを好きになってもらい、何度も見たくなる要素を映像に込めることになる。もう1つは、広く訴求して新規視聴者の開拓を絶やさない。こちらは主にプロモーションによるが、戦略的な課題はありそうにも思う。この辺りは前述の「KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ」などはどうしていたのかは分からないが、配信作品も増えてきて、作品の映像手法やプロモーションもまた変化が迫られているような感覚はある。
テイスト
ラノベ感溢れる、現代風味の竹取物語とプラスα
本作は「竹取物語」をラノベ風味にした感じで非常に軽妙なタッチで進行してゆく。舞台は近未来の2030年。一人暮らしのJK2年生の彩葉が翁役。ある日、七色に光るゲーミング電柱から赤ちゃんが生まれ、仕方なくアパートに連れ帰り同居生活を開始。数日でJKくらいに成長して、名前をかぐやと名付ける。みたいなノリで話が進展してゆく。映像のテンポの良さ、コメディのキレの良さもあって、かなりサクサク進んでゆく。台詞やワードがSNS風味のイマドキである。この楽しくて見やすい事が、本作の大きな特徴の1つになっている。
さらに、本作では現実世界とは別に、仮想世界「ツクヨミ」にアバターで参加し、ライブコンサートを見たり、eスポーツをしたりという要素もある。コンタクトレンズ型のインターフェースを装着して目を閉じるとログインできる。やってる事は現代のVtuberのようなもので、今風でリアリティあるネット世界の表現ができており、イイ感じに近未来感が出ている。そして、ツクヨミの管理人兼人気配信者のヤチヨがこの物語に大きく関わってくることになる。
作中でも語られるが、翁もかぐや姫も別れたくはなかったのに、かぐや姫が月に連れ戻されてゆくのはバッドエンドという解釈である。本作ではかぐやが月に帰った後に、彩葉がかぐやも自分も一緒に居たいという気持ちに素直になり、運命に抗うような後日談を追加しているところに今風のバイタリティや祈りを感じる。そこで、SF要素やさらなる悲劇を入れて一筋縄ではいかないところがまた凝っているが、これは少し「君の名は。」を連想させるどんでん返し的な構成に感じた。
どのシーンもすべて美味しい!アニメーションの幕の内弁当
先にも述べたが、本作はアニメーションとしてどこで切っても気楽に楽しく観られるのが特徴だと思う。
まず、全体的にコミカルなシーンが多く楽しい。絵コンテ的にテンポ良し、レイアウト良しで小気味良い。コミカルな崩しのシーンのデフォルメも含めて、作画も綺麗で破綻することがなく安心。作画も声も芝居もギャグとしてキレがあり終始楽しく観られる。
ときおり差し込まれるドラマもエモく、さらに終盤のSF風味あるどんでん返しの超エモ展開もあり、映画としての盛り上がりもキッチリしている。ただ、全体的に展開が早くツメツメなので、ゆっくり味わうと言うよりも2回3回観て、理解が深まるタイプの作風である。
仮想世界のツクヨミのシーンも圧巻である。夜中の街中の照明のきらびやかさ、空をゆく魚のイルミネーション。eスポーツの「SENGOKU」の舞台となる広大なゲーム空間。全体的に派手な印象である。生活感のないその光景もまた、現実空間の世知辛さとは違った夢のある空間として描かれる。
本作のステージ上のライブシーンも見どころである。ステージ自体はイマドキのVtuberの3DCGライブのような雰囲気である。ただし、ヤチヨはAIライバーなので複数の仮想空間の拠点を使って同時にライブしたり、空中を舞いながら歌唱したりの舞台演出がされていたりする。また、ヤチヨは分身が得意なので小ヤチヨを観客席に飛ばして観客毎にファンサービスしたりもする。歌唱シーン自体はMV的でもあるのだが、どちらかと言うと歌唱中のシンガーの表情芝居を追うようなPV的な要素が強い。また、ヤチヨ&かぐやいろPコラボライブでは、3人の絡みの芝居をクローズアップしながらステージのパフォーマンスを中継するような演出で、ここでも芝居を中心としたキャラクター重視の演出がされる。古の有名ボカロ曲を使ったりもするサービスもある。これが、2Dアニメで破綻なく綺麗に描かれる点が嬉しい。
もう1つの見せ場であるeスポーツのアクションシーンも爽快感がある。eスポーツの3DCGでヌルヌル動く画面に慣れていると、リアリティと同時にある種の嘘くささを感じさせることがあると思う。しかし、本作ではゲームならではのデフォルメされたアクションでありつつも、2Dアニメならではの洗練された動きのリアリティを担保した上で、プレイヤーの細かな表情を含めて丁寧な作画と動画で非常に気持ち良く動く。
総じて、全編でコミカルな掛け合いで笑わせて、ツクヨミでの迫力あるアクションやライブで盛り上げる。そのすべてが破綻なく綺麗で楽しいアニメーションになっていて眼福としか言いようがない。
ただし、高密度で情報過多の映像が2時間22分の長尺で続くので、視聴後は軽い疲労感を覚えた。
古い例えで恐縮だが、私はこの感覚は映画「バックトゥザフューチャー」に似ていると思う。テンポよく矢継ぎ早に進行してゆくが、そのすべてのシーンでライト感覚で楽しめて、要所で感動的なシーンを入れる。テンポが速すぎてゆっくり考える時間を与えられず流されるように鑑賞する点も似ている。
ストーリー
本作のイベントの流れを、下記に示す。

本作の構成は、竹取物語ベース+後日談の構成になっている。前半の竹取物語ベースの部分は起承転結の流れ。後半のハッピーエンドに連れてゆく後日談は序破急の流れ。序破急の「序」については前半の竹取物語ベースはも含めて「序」と考えてもいいかもしれない。
視聴感覚としては竹取物語ベースの物語としては予定調和である。
とは言え、ぶっ飛び設定やアニメーションの気持ち良さを味わいながら、彩葉とかぐやの別れに向かう切なさや、彩葉の母親と兄の苦手意識の克服のドラマも描かれており視聴ポイントはしっかり楽しめる。
しかし、後日談の序破急に入ってからの展開はジェットコースターである。
「序」で提示される問題は、もちろん「ハッピーエンドに連れてゆく」である。
「破」は波乱部分であり、ここの急激なSF百合展開の落差とスピードが半端ない。ヤチヨの真実の告白で、大好きな彩葉に逢うために8000年待ったとか、この頃にはメンタル老婆で神的な存在になって彩葉と不釣り合いになってしまった悲哀とか、情報が多すぎてヤチヨの感情に寄り添うのが一杯一杯になる。もちろん、これらの圧縮された高密度情報を理解した上で見る二周目は、序盤のヤチヨの表情も噛みしめてさらに感情が高まる作りになっていたが、これも狙い通りだろう。本作の醍醐味は、この「破」の部分にあると言っても過言ではないと思う。
「急」は問題解決なので、これは10年後の感触が分かるボディを手に入れたかぐや(ヤチヨの分身)であろう。かぐやいろPの復活、温もり味覚を味わえるようになったヤチヨ。これにより、彩葉、かぐや、ヤチヨの3人とも救済される見事な〆である。
ベースになるおとぎ話を活用しつつ、よくよく練られた構成だと感じた。
キャラクター
酒寄彩葉
2020年(7歳頃)。優しかった父親と死別。母親は楽しさよりも結果を評価する厳しい人で父親とは正反対。彩葉が学芸会の主役を他人に譲った事を頭ごなしに叱っていたが、お人好しで執着心とガッツが無い彩葉にイラついていたのだろう。おそらく、彩葉は父親譲りの穏やかな性格なので、母親とはギスギスした関係になる。その点、兄は要領がよく早々に家を出て一人暮らしを始める。ツクヨミの歌姫ヤチヨを推しているのは、辛かった時にヤチヨの「Remember」に救われたから。
2029年。ストレスを溜めすぎた彩葉は高校入学を期に、仕送り無しでバイトと学業を両立する事を前提に、実家を出てアパートで独り暮らしを始めた。社畜のように限界ギリギリの生活ではあったが、ツクヨミで現世を忘れて友達とくつろいだり、大好きなライバーのヤチヨを推したりの息抜きもあった。高校では文武両道で優等生。ただし居眠りしかけて冷や汗をかく事も。ここまで頑張るのも苦手な母親から逃れるため。最近はスマホに母親から電話がかかって来ても通話することができず着信履歴だけが溜まって行く…。
彩葉は優等生だが自己主張の弱いというキャラクター造形は今時の若者感がある。しかし、流されがちだった幼少期に比べて、ハッキリと自立した一人暮らしをしている時点で立派な大人を感じさせるというギャップを感じた。しかし、それも一杯一杯でつま先立ちの状態と考えれば、母親に追い込まれて今の状況があるとも言える。兄は逃げ、母親からは叱咤され、身内に対して身構えて縮こまるクセがついてしまったのかもしれない。もっと言えば甘えたくても甘えさせてもらえないし、家庭内に逃げ場がない。そう考えれば客観的には自立しているのに、兄や母親と対等になる事が彩葉の課題であった事も説明がつく。
2030年(17才頃)。かぐやを拾い同棲を始める。騒がしいやら勝手に買い物するやらで迷惑千万。疲弊してゆく彩葉。しかし、かぐやと一緒に暮らして食事は美味しくなり、ハイテンションにつられてか、少しづつ彩葉にも覇気が出てくる。かぐやとライバー活動を始めて黒歴史の過去曲をいろPとして演奏し始める。最初は大きな着ぐるみを着ていたが、ブラックオニキスの帝アキラとの兄妹対決で着ぐるみを脱ぎ彩葉として兄に戦いを挑む。苦戦を強いられ険しい表情で戦う彩葉だったが、このeスポーツでいつも負けていた兄を見返し、ついに兄と対等になった。
8月30日。ヤチヨとのコラボライブでは、ヤチヨとかぐやに導かれて大勢の観客の前で演奏パフォーマンスを披露する。人前ではっちゃけてかぐやの様に「楽しむ」を知るイベントだったと思う。
9月1日。花火大会でかぐやが月に帰るという告白を受ける。また逃げればいいと言うが、未練を残しつつもかぐやの帰る気持ちはゆるがない。かぐやに母親が好きか訊ねられるが、「好きか……分からない」「嫌いになれたらって何回も思ったよ」と返す。そして、自分でも整理できない気持ちのフタを開けにきたかぐや。面倒だからと「かぐやには分かんない」と拒絶しなかった事については、彩葉を否定し続けた母親に重なってしまうので、自分が感じて来た辛い思いをかぐやにはさせたくないという優しさから「(そうは)言いたくなかったの」と告げる。かぐやを帰したくない気持ちが重ねる手に滲み出る彩葉。
ちなみに、個人的にこのシーンの芝居が凄く好きである。二人の気持ちのやり取りは明確なのに、言葉のキャッチボールはこんな行間がある感じ。しかも、かぐやが彩葉を看病してくれた回想シーンが挟まって、あの時の心情の答え合わせをする。物語のプロットを演じるだけなら、こうした揺らぎのある心情を描く必要はないが、こうした本題に直結しないさざ波の様なドラマをカッコよく描ける。本作は、分かり易くてライトな作風とは書いているが、こうしたさりげないドラマの積み上げが、より良い味わいになっている。
彩葉はかぐやのためにブラックオニキスと友達には月の使者を撃退の協力を、ヤチヨにはライブのプロデュースを依頼し、卒業ライブへの準備を進める。かくして卒業ライブは開催されるが、彩葉たちは善戦虚しく月の使者を食い止められず。かぐやは別れ際に「彩葉…大好き」の言葉を残して去ってゆく。
これで、原典の竹取物語は終わるが、彩葉はかぐやの未練を思い出して一念発起。バイトも休んで2日間で亡き父親との未完の曲「Reply」を完成させる。この時点で、母親との対話も再開して一皮むけた彩葉自身が驚く。
対戦中の兄との会話から察するに、彩葉は母親と会話するためにはそれなりの理論武装と覚悟が必要で、丸腰で会話するといつも彩葉が責められて終わる。母親に対し逃げ腰で負け癖がついてた。そもそも、母娘に勝ち負けというのが変だが無自覚にキツい人もいるだろう。久しぶりの電話で「ええよ、やってみ」と言われていたが、文脈的考えれば、進路をもうしばらく保留したい件に思われる。かぐやの事は馬鹿正直に言うとは思えないが、もっともらしい何らかの言い訳を話したのか、素直に本音のマインドの部分だけ言ってみたのか。電話越しの母親の声は、思っていたより優しそうに聞こえた。彩葉のマインドの問題だけだった可能性もあるし、母親のマインドが変わっていたのかもしれない。
かぐやの腕輪に祈りを込めて完成した曲を歌うが、なぜかかぐやとヤチヨがダブって見えるイメージが浮かぶ。そこで、ヤチヨに連絡を取ろうとするが音信不通に。ツクヨミで途方に暮れているとウミウシが現れ、現実空間を案内されるまま進むと、マンションの一室に怪しげな電算システムが。そこでツクヨミにログインするとかぐや姫の髪型をしたヤチヨが居た。そこでヤチヨの真実が語られる。
ヤチヨ=8000年後のかぐやという事実を簡単には理解できない彩葉。もし嫌なら今の話は聞かなかった事にできるというが、それは拒否。とりあえず8000年分の話を聞かせてと要求。つまり、当事者でもあるのだから状況を把握してヤチヨ=かぐやを納得するために話を聞きたい。ヤチヨが表面的な事しか言わない事を悟り、ウミウシから8000年のすべての出来事を浴びる彩葉。彩葉の「Reply」を片時も忘れなかったヤチヨ。ヤチヨの「Remember」を聞いて生き残れたという彩葉。二人を支えた1つのメロディが二つのループを回って今、邂逅しお互いの気持ちが一つになる。
最後はヤチヨの願いである温もり味覚を感じられるように技術を研究して実用化する。ボディとヤチヨと接続する事で再び肉体で味わえる五感を取り戻す。用意したボディも人格もかぐやそっくりで、名実ともにかぐや復活となり、彩葉もかぐやも二人でもっと歌いたかった夢の続きの実現にこぎつけた。手始めにヤチヨとかぐやいろPのコラボライブを、現実空間とツクヨミの同時配信で実施する。3人ともが救われたハッピーエンドである。
それにしても、2040年にヤチヨ+かぐやいろPのライブをするにも、ヤチヨは20才くらい?のルックで、かぐやは17才頃の容姿と精神年齢で、彩葉27歳の凸凹トリオ感はちょっとおもしろい。余談だが、このまま行くと彩葉47歳とかもありそうだが、そうなると彩葉の若さを担保することが次のハッピーエンドに連れてゆく事になるのか。この物語の業は深い。
振り返って彩葉に思うのは、真面目で頑張り屋なのだが、ギャグ的に限界ギリギリで弱音を吐いたり言葉づかいが悪かったりと、弱点を見せている点が魅力的だったと思う。成績優秀でも決してお上品なお嬢様ではない。そして、彩葉は誰に対しても誠実である。彩葉は兄や母親相手に萎縮して上手く立ち回れないメンタル的な弱さもあったが、彩葉も成長しては家族とも対等な関係を築いた。これらの要素があって彩葉を身近に感じ、彩葉の成長に感情移入できる。個人的に彩葉は大好きなキャラだし、彩葉視点で本作を観ていたと思う。
かぐや
かぐやはもともと日々のルーチンワークで退屈していた宇宙人が、すべてを放り出してフィジカルな地球人体験をしに遊びに来たものと考えれば良いのだろう。人間の体はゲーミング電柱から赤ちゃんとして生まれて彩葉に拾われ、すぐにJKに成長した。
ギャルっぽくて自由奔放で甘え上手。彩葉と同棲してニート生活を始める。勝手に買い物して限界生活の彩葉に負担をかけるが、本人は悪い事をしている自覚はない。意外にも手料理が美味しくて彩葉も無下にできない。
かぐやにとって彩葉は「刷り込み」の親でもあり大切な人。かぐやの体験はすべて彩葉の導きによるものである。手料理によるもてなしも、自分の幸せを彩葉に喜んでもらいたい気持ちからだろう。
かぐやのマインドは「楽しみたい!」であり「彩葉をハッピーエンドに連れてゆく!」である。屈託がなく底抜けに明るく、阿保っぽくもあるが、妙に器用で何でもこなしてしまう所がある。動物に例えるなら仔犬である(兎だけど)。
かぐやはどこに行くにも彩葉と一緒であったが、ツクヨミでヤチヨに逢い、ライブステージを見て、彩葉がヤチヨ推しだったころで軽くヤチヨに嫉妬する。かぐやの中に彩葉に好かれたい気持ちが透けて見える。ヤチヨカップへの参加表明も彩葉を喜ばせたい、振り向かせたいの気持ちが入り混じったものであろう。
8月31日。ヤチヨとかぐやいろPのコラボライブも大いにに楽しむが、彩葉をヤチヨとかぐやで取り合うヤチヨの演出で、かぐやが若干マジになっているのが可笑しい。ステージで歌いきり最高潮に達したタイミングで彩葉に結婚を申し込み(=ずっと一緒に居たい)、彩葉が生活費折半なら一緒に居てもいい、と返すシーンが幸せの絶頂であった。この直後に月の使者が訪れかぐやにタイムリミットを告げる。
9月1日。花火大会で次の満月の夜に月に帰ると彩葉に告白する。本心は帰りたくないが仕事なので仕方ない。それなら最後まで楽しく、最終日は卒業ライブをしたいと言う。かぐやはずっと気になっていた彩葉と母親の確執について母親は好きかと質問する。彩葉は「分かんない、嫌いになれたらなと何回も思った」という返事で彩葉が可哀そうで愛しくて涙を浮かべる。今までとは少し違う彩葉に対する愛おしさを感じたように見えた。彩葉は人生の辛いところを拒絶せずにかぐやと共有してくれた。かぐやはそのことが嬉しかったのだと思う。
9月12日。卒業ライブでは帰還を阻止しようとしてくれる彩葉たちの気持ちを嬉しく思うも、卒業ライブをまっとうしファンに感謝の言葉を投げてさってゆく。そして、最後に「彩葉、大好き」と告げて消える。
こうして考えてみると、宇宙人としてのルーチン生活が退屈で仕方なかったかぐやは、地球で肉体を持ち何にも縛られず自由奔放に振舞っていた。しかし、自由気ままに一度きりの人生を楽しんでいたように見えた人間も、人に説明できない悩み事や辛さを抱えて生きているという事実を、一緒にいた彩葉通じて理解した旅だったのかもしれない。
かぐやで好きなシーンをいくつか。かぐやは身振り手振りが大袈裟なのがおもしろいし、感情の出し方がわかりやすい。花火大会の日の「これが私のエンディング」というわざわざ大袈裟なポーズを付けて台詞を言うシーンが良い。あと、甘え声で彩葉におねだりするヤツとか。とにかく、こうした動きの芝居がCV夏吉ゆうこの声の芝居も相まって非常に良かった。
個人的に好きなところは、ブラックオニキスとのeスポーツ対決で帝アキラに「おら帝!勝負だ!」と吠えるシーンがあるのだが、帝が歩み寄ると後ずさりする姿が可笑しい。それから、帝にやられたときの「ぐぇ!痛えんだけどマジ!」などの勢いのある台詞が非常にかぐやっぽくて最高である。
月見ヤチヨ
月見と書いてルナミと読む。ヤチヨは仮想空間ツクヨミの歌姫でありAIライバーである。他のアバターのように人間の実体は存在しない。分身が得意で、ライブステージでも観客席のファンに多数の小ヤチヨを飛ばしてファンサービスしたりする。とにかくノリが軽く、会話は無責任でテキトーな雰囲気だが、いつも笑顔を絶やさない。
こうしてみると、初音ミク的な要素の被りも多い。どちらが先はは分からないが、音楽にも大々的にボカロPを採用している点も作品との相性が非常に良い。
後半のヤチヨの告白で、実は地球を再訪しようとしたかぐやが、宇宙船の事故で8000年前の地球に不時着し、現在に至るまで生き抜いてヤチヨになったという事実が判明する。宇宙船は故障で機能制限され、肉体を持てたのはウミウシのみ。かぐやは思念体として生き続けウミウシを通してのみ外界とコミュニケーションができた。もともと肉体を持たない存在ではあったが、仲間ともコミュニケーションできず外界とはほぼ断絶という孤独はどれほどのものか計り知れない。ウミウシの過去語りの最初のシーンが裸のかぐやが膝を抱えて「ヤチヨどっかにいるんでしょ?」(多分イメージシーン)というのが切ない。
物語の文法的に考えれば、平和な令和時代と比べて、人類の野蛮さ、愚行、悪性、戦争を存分に体験してきたはずで、その中を生き抜いて歴史の生き証人になっただけでも相当なタフさと聡明さが要求されると思われる。「擦れた」というレベルではなく、戦場カメラマンがPTSDになるレベルの過酷な精神的なストレスがかかったのではないか。しかも、子供の様にあどけなかったかぐやが体験するサバイバルにしては強烈にすぎる。ヤチヨが語る「もう、お婆ちゃんです」は、こうした内面の変化があり、昔のかぐやでは居られなくなった。言い方を変えると知り過ぎてしまったがゆえに、子供の様に無邪気に感動できる心は失ってしまったのではないかと思う。
ヤチヨはこの8000年で再びツクヨミで彩葉に再会するために生き続けた。その切なさ。途中で歴史上の人物との関りで彩葉の再会を後押しされて勇気付けられる回想シーンがあり、他者の助けがあって自分が存在しているドラマにも触れていた。そのために針に糸を通し続けるような限りなく高難度なミッションの中で何回も哀しみ痛みをともなう辛さを味わったハズ。その結果、本当に笑うことを忘れて、取り繕った笑顔で空気を作って生きて来た。繰り返しになるが、ここもフィジカルが存在せずニコパチの笑顔でドキュメンタリーな内面を持たない仮想の歌姫、初音ミクのイメージと重なるところが巧い。
ヤチヨはツクヨミで彩葉に出会う前に「Remember」などの楽曲で彩葉にエールを送っていた。その結果、彩葉はヤチヨに逢いにツクヨミに来てくれるようになった。片想いの人を遠くから眺めるヤチヨ。
この顛末を彩葉に告白するのは、相当な勇気が必要だったであろう。告白して拒否られる可能性もあった。その場合は彩葉の記憶を消して永久にヤチヨ→彩葉の片想い状態を続けるという、報われない愛を抱えて生き続ける事になる。すべてを知った彩葉の回答はかぐや→ヤチヨの受け入れと肯定。相思相愛を再確認し涙するヤチヨと彩葉。
彩葉との心の再会で温もり味覚を懐かしむヤチヨ。それに気づきヤチヨに感覚を与える研究をし10年後に実用化にこぎつける彩葉。そして、そのボディと性格はかぐやの復活で、また3人で同じステージに立つ。上出来である。
個人的には「もう、お婆ちゃんです」シーンの絵のCV早見沙織の声の切ない表情芝居はゾクッとするほど良かった。個人的に一番好きなシーンかもしれない。後は、「SENGOKU」で乃依の矢を扇で弾くシーンとか音響の良さもありカッコ良くて痺れた。基本的に飄々としたキャラクターなので、こうしたちょっとシリアスなシーンが強く印象に残るキャラクターだったと思う。
最後にヤチヨ周りのSF設定でいくつか理解しきれていない点があるので、ここに整理しておきたい。
1つ目は、ヤチヨとかぐやの輪廻の話。
ヤチヨの台詞で「今もまた同じ輪廻を巡ってる。私たちはその輪から外れる事はできない」がある。私の理解では、かぐやとヤチヨは同一人物(=思念体)が接触してタイムパラドックスになる危険性はあったが、かぐやの意思にヤチヨが干渉することなくやり過ごしていたし、8000年の大きなループがあるだけで抜け出せない無限ループにはなっていない認識である。どこかで輪廻が分かる情報があったのだろうか……。
2つ目は、2040年にボディを得て復活したかぐやの人格について。
この辺りは分かりにくいと感じた視聴者も多かったと思うが、私の理解はこうである。
まず、五感センサーのついたボディ(かぐやの体)とタケノコ宇宙船をネットワークで接続、ヤチヨが五感を得るというのが基本である。もともとヤチヨは分身ができ、同時並行的に多数の人格を制御できる技術を持っていたので、その1つの人格をかぐやのボディで当てる。ただ、真実を告白したときにヤチヨはヤチヨ≠かぐやと語った。もともとかぐやたちは電子データと親和性が高いので、彩葉と別れた直後のかぐやの自我のバックアップがあれば、それを再開する事で昔のかぐやを復活できる。これなら、彩葉と一緒に歌いたかったかぐやの気持ちも救われる。
よく分からないのはこの時のヤチヨの意識。ヤチヨはかぐやの意識を神様的な視点で客観視しているのだろうか。それとも、かぐやの意識内のみに感覚は限定されるのか。かぐやの自我とヤチヨの自我の住み分けについては理解が追いつかず気になった。
ちなみに、私の理解が正しければ、仮想空間にかぐやの人格をしたかぐや姿のアバターを出す事も出来たのではないかと思う。それが一番手っ取り早いし、ヤチヨができるベスト案だったと思う。この手段であれば、彩葉も17才のフレッシュな気持ちのままかぐやと再会できた。しかしまぁ、物語の盛り上がり的には、ヤチヨの8000年に対して彩葉も10年待つとか、自力でハッピーエンドを引き寄せるとかの意味があるのも分かるし、そのためにヤチヨの「フィジカルな五感を味わいたい」というテーゼが加えられたのも巧い展開だとは思う。
私はキャラの心情の整合性が取れていれば多少の考証がザルでも許容できるタイプの人間である。しかしながら、今回はヤチヨの心情に関わる所だから、ちょっとモヤって気になった。
もちろん、私の理解が大きく間違っている可能性もある。この辺りは他の人の考察なども見ながら、考えを深めたい。
「【Official MV】ray 超かぐや姫!Version」について(2026.2.1追記)
本編公開の9日後(2026年1月31日)、ED曲の公式MVとして、本編の後日談映像を含んだ動画がYouTubeで公開された。
次の「ハッピーエンドに連れてゆく」が何なのかを具体的に示す内容であり、本ブログに追記する形で整理しておきたい。
MV自体は、204x年の仮想空間ツクヨミでの、かぐやいろP、ヤチヨ、芦花、真実の5人のライブシーンの体裁である。そして、過去回想などのシーンが随時挿入される。
ちょっと面白いのは、存在しえないシーンがいくつか後半に挿入されている点。たとえば、ヤチヨの「もう、おばあちゃんです」のシーンがかぐやに差し変わっているとか、クローゼットから出て来た幼女の彩葉をかぐやが抱きしめるシーンとか。これらは、記憶(=人生)を共有した3人が、そのときどきの相手を抱きしめたい気持ちや共感を祈りとして描いているのかなと解釈している。
そして、本MVで重要な要素が富士登山である。
204x年(もしかしたら、それ以降かも)に富士登山に来たのは、義体のかぐや、大人彩葉、スマホ内にヤチヨの3人。鳥居の下にタケノコ宇宙船を掘り起こしている。
原典である「竹取物語」ではかぐや姫が月に帰る際、「不死の薬」を帝に渡すが、帝は富士山で薬を燃やす(=捨てる)。ニュアンスとしては、かぐや姫がこの世に居ないなら、無限に生きる意味はない(=限りある人生の肯定)になる。
現状のかぐやは義体であり本体はタケノコ宇宙船のヤチヨである。学習はするが肉体的な成長はないから、彩葉とかぐやの見た目の年令はどんどん離れてゆき、かぐや(とヤチヨ)が取り残される。これはこれで、バッドエンドとも解釈できる。
MVには大人の彩葉が「私はかぐやを本当の意味で人間に…」とテキスト入力されるカットが挿入される。おそらくそのまま「してあげたい」的なニュアンスではなかろうか。
だから、次のハッピーエンドを模索するとなると、かぐやの受肉ではなかろうか。彩葉とかぐやが一緒に肉体的な成長・老化を重ねて生きてゆきたい。
もともと、8000年前に不時着したタケノコ宇宙船が故障して機能不全になったことが原因で、ウミウシしか実体化するエネルギーが残っていなかったというのが、ヤチヨが実体を持てない原因であった。
しかし、壊れていないタケノコ宇宙船があれば状況は変わってくる。2030年にゲーミング電柱のようにかぐやに受肉させる事もできるし、かぐやの同胞に救助してもらう事もできる。
おそらく、富士山にタケノコ宇宙船が埋められているというのはヤチヨが知っていた情報なのではないかと思う。原典通りに平安時代にかぐや姫がきてタケノコ宇宙船を置いていったという事かもしれないし、その辺りは不明。もっとも、原典通りの解釈であれば、彩葉が電脳化して不死になる世界線もあり得るが、物語の文脈上それはないのだろう。
さて、こうしてかぐやは再び受肉して、養子縁組して彩葉に育てられ人間として一生暮らしましたとさ。が次のハッピーエンドという〆方ではないだろうか。
このMVがちょっと上手いのは、彩葉⇔母親の良い関係を挿入しつつ、それを彩葉⇔かぐやの母娘にイメージを重ねて見て取れるような誘導がされているところ。
もちろん、これも私の妄想的な解釈なので異論は認める。
本作、おまけにしては上出来すぎで、スタッフに感謝しかない。
おわりに
本作が満足度が高かった理由について考えていたのですが、やはり映像の気持ち良さの要素が一番大きいような気がしました。
普通なら、私も映画のテーマやメッセージを仰々しく考えたりしますし、そこを拾うのが癖になっているので、本作のような作品では、逆にそれを仰々しく感じさせず楽しめる点が良いのだろうと思います。その上で、メッセージ的なことも実際にはあるし、登場人物をキッチリ救済してハッピーエンドの心地よい読後感を得られる。これをノリの良さでやってのけているように見えますが、そこが非常に巧みなんだと思います。
ブログを書くために何回か部分的に再生してみるのですが、そのまま没入して観てしまうとか、しばしばありました。
長尺ですが、配信作品なので、時間を取ってなんどかリピートしたいくらいお気に入りの作品です。