たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

平家物語

はじめに

久々の山田尚子監督作品(=吉田玲子脚本)という事で、個人的にもかなり注目していた作品でした。

サイエンスSARUでの仕事という事もあり、奇抜なグラフィックと、おなじみの可愛らしさと、格調の高い文芸により、一風変わった面白い作品になっていたと思います。

  • 資盛の生存(現代人向けの救済)(2022.5.8追記)

それでは、いつもの長文の感想・考察です。

感想・考察

概要

監督は、少女の情感あふれる描写に定評のある山田尚子。シリーズ構成は山田監督作品に欠かせない吉田玲子。キャラクターデザインはレトロな雰囲気で繊細なラインの絵に特徴がある漫画家の高野文子。制作は、「映像研には手を出すな!」などの独特な絵柄の作品を多く創り出してきたサイエンスSARU。

アニメーション映像として

シリーズ構成・演出

平家物語』は時代を超えて語り継がれ、熟成を重ねた膨大な物語のエッセンスのアーカイブとも言える。メインは戦争を描く軍記モノであり合戦シーンも多い。それだけでなく、栄華を誇った平家の没落という因果応報を感じさせる全体の流れがある。さらに、魅力的な人物、エピソード満載の由緒正しいエンタメ作品である。ちなみに、琵琶法師という僧侶が弾き語ってきた事もあり、仏教色が強めである。これを1クールのアニメにコンバージョンするため、大胆な剪定と圧縮が行われた。

そのため、各シーンの密度は高く、イベントはサクサク進む印象である。台詞の説明で足りるところは、サラッと言わせてそれで済ませている。この辺りは、もともと弾き語りがベースの平家物語を映像化するにあたってのリソース配分もあるのだろう。慣れてくると、これはこれで心地良いテンポだと感じた。

キャラデザイン

ユーモラスさを多分に持ち、少な目の線にキャラクターの性格をキッチリ乗せたキャラデザインである。

もともと、キャラクター原案の高野文子は、古くは「絶対安全剃刀」の頃から、マニアの間ではカリスマ的な人気を博していた漫画家である。レトロ調でオシャレで可愛くてカッコいいという印象である。本作の仕事でもその印象は変わらない。

山田尚子監督と高野文子キャラ原案は、可愛いカッコいいという意味で非常に相性が良かったと思う。

作画・背景・レイアウト

本作は「絵」的に美してカッコいい。レイアウトなどの構図が決まっている点も良い。

最大の特徴は、折り紙を切って貼ったような背景にあると感じた。ある意味、浮世絵の雰囲気にも似ている。それでいて、色彩は無限に豊かでグラデーションによる変化もある。西洋絵画の写真のような表現とは対になる、和風な印象を受ける。

全体のルックとしては、サイエンスSARU色が強く感じられると思った。

物語・テーマ

軍記モノとしての平家物語

今の時代に軍記モノを扱う難しさは、少なからずあると思う。

戦争自体に正義はない。戦争とは暴走して止められない狂気であり、多くの人命を消費する権力者の賭博である。しかし、本作ではその狂気を狂気としてクローズアップするような事はない。本作では、平清盛vs後白河法皇の2大権力者の闘争を描く。しかし、この2人とも非道な面を持ちながら、実に人間らしい面も描くため、ステレオタイプな悪役にはならない。

大きな潮流としては、平家絶頂期には平家の総大将重盛が清盛と朝廷の間でバランスをとっていたが4話で他界。清盛と後白河法王の諍いは激化。朝廷は源氏を使って平家に対抗。7話で清盛の死後、平家はどんどん源氏にて押され西方に逃げる。そして、最終的に源氏に滅ぼされる。といった感じである。

この戦争も地震や台風と同じ変えられない運命と捉えているように思う。そして、その災厄とも言える運命の中で激しく生きた人たちの事を描く。

そして、本作は「平家物語」であるために、この戦争に負けて滅んでしまう平家というファミリーに焦点をあてる。英傑ではない普通の人たちが、激動の歴史の中で生き、そして死んでゆくことに対する鎮魂歌とも言える作風である。

その意味で、本作は戦争を暗に否定しているのだと思う。話がそれるかもしれないが、「この世界の片隅に」に通じる確かに生きた人たちを感じさせるところがあったと思う。

流石に、敦盛の最期や壇ノ浦など合戦モノとして力を入れて描く部分もあり、平家物語として期待されるポイントは描くが、必ずしもそこがメインではない感じがした。

びわ」という発明

本作が、他の平家物語と決定的に違うのは、びわという登場人物を創作した事にあると思う。びわの存在は発明と言っても差支えないだろう。

びわは孤児になったところを重盛に拾われて、重盛の家族と共に暮らしてゆくことになる。楽器の琵琶を抱えており、ときおり演奏する。1話のアバンとラストで、大人になったびわが琵琶法師となって弾き語るシーンが入る。これが痺れるほどカッコいい。

そして、びわの右目(翡翠色)は未来が見え、びわの左目(黄金色)は亡者が見えるが、後者は4話で死んだ重盛から授かった後天的なモノである。

未来を見る力により、びわはときおり平家一門の滅びをフラッシュバックして垣間見てしまう。びわは、今後死にゆく人たちという先入観で平家の人々を見ることになる。これは視聴者が史実というネタバレを知っているのと同じと考えてよいだろう。OP曲のサビの「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても」という歌詞を聞くたびに、この事が強烈に刷り込まれてゆく。

亡者を見る力により、亡者の無念を見る事になる。ちなみに、亡者と死者の違いは、無念があって成仏でいない死者が亡者である。こちらは後述するが、亡者を供養する=愛を持って語り継ぐというびわの動機付けになる。

びわは、カメラとなって平家の人たちを視聴者に見せる。さらに、びわはあちらの世界のアバターとなって視聴者の気持ちを代弁する存在となる。アバターを通しての体験があるからキャラを身近に感じられる。物語=時空を超えた体験である。びわが他のキャラと違い年を取らないのも、視聴者の感情移入を妨げない工夫であろう。

「見るべきものは、すべて見た」は知盛の台詞だが、その直後にびわは視力を失う。そして、びわは琵琶法師として物語を語り継ぐ存在となる。

記憶する事=愛する事=生かす事

びわは父親を平家の禿に殺されて平家を憎んだ。重盛に「お前たちは、じき滅びる」と言い放つところからのスタートである。

しかし、重盛の息子たちの維盛資盛清経の三兄弟や徳子と暮らし、雅な生活の中で彼らに情が湧いてくる。とくに重盛はびわの右目を美しいと肯定した事の意味は大きい。重盛はびわに優しく父親のような存在になっていた。

しかし、重盛も亡くなる。それから坂道を転げ落ちるように次々と死にゆく平家の人びと。びわは左目で亡者の無念を見て、右目で死にゆく未来を見ることになる。共に過ごした者たちの死を、ただ見る事しかできない辛さが続く。

清盛の死後、びわは資盛に追い出される形で平家をいったん離れる。そして、母親探し(=自分探し)の旅に出る。

再会した母親は、結果的にびわと父親を捨てたと告白する。そして、母親はたとえ逢えなくても、静かに安らかにあってほしいと「祈り」続けていたと。びわは、捨てられた=存在の否定と一瞬感じ取ってしまう。しかし、離れ離れになっていても「祈り」により存在が肯定され続けていた事に気付く。少なくとも、びわは母親に祈られる事で、母親の心の中にも生きていた。

作中では「祈り」と表現されているが、私は、祈り=愛する事=肯定する事だと受け止めた。

びわが愛すべき亡者を語る(=記憶する)事で、心の中にその人を生かす事になる。そして、語り継ぐ(記録し再生する)事で、永遠に愛すべき人を生かすことができる。

びわが平家の人たちを愛するのは、物語の登場人物を愛する読者の視点であり、物語を創作、翻訳するクリエーターの視点でもある。

先にも書いたが、平家物語は神の視点で人死にを描く軍記モノであることには違いがない。それを題材にして、合戦の勇ましさを美化せずに、キャラを愛するディレクションにした事が、本作への山田尚子監督の回答なのであろう。

また、私は7.18京アニ事件を引き合いに出すのはあまり好まないが、この「祈り」が事件の鎮魂歌として受け取れる事は、単なる偶然とは思えない。

生きるべき者の義務(徳子の意味)

壇ノ浦を経て、なおも生き延びた徳子。

徳子は、当初、自分の自由が通らない世の中に不満を抱きつつも、運命に翻弄されながら生きてきた。

政略結婚、夫の不倫問題、子宝に恵まれない日々、そしてやっと生まれた赤ちゃん。重盛や夫との死別。愛すべき我が子だけは絶対に守ると決めた。

この頃から、殺し殺され合いの憎しみの世の中で、相手をゆるし、ゆるし続けねば悪循環を断ち切れない事を悟る。世界が苦しいだけじゃないと信じたい。

清盛が死んだ事で、源氏に追われて平家一門と我が子を連れての西方への逃避行。栄華を誇った平家、雅を極めた朝廷、それが今や泥水の中を歩き、船上の長旅で水も飲めず、苦しい生活が続く。長引く戦いで平家一門も数を減らしてゆく。そして、壇ノ浦の決戦を迎える。

ここで、多くの平家一門が次々と自害してゆく。時子が帝(徳子の子)を抱えて海に沈んで逝き、徳子も続こうとするがびわが引き止めた。

一番大切な我が子を、すべてを失った徳子は生きている方が地獄だが、びわは生きる義務がある事を告げて徳子を生かす。大変な皮肉である。

これが史実通りの展開であったとしても、道ずれで死ぬ事を美談にせず、虚無であっても徳子を生かした選択は、個人的には良かったと思う。

寂光院での徳子の祈り

生き延びた徳子は出家して、我が子や平家一門を弔いながら寂光院で過ごした。徳子と仲の良かった後白河法皇が訪れ会話してときに、柴漬けでもてなし穏やかに会話していたところが印象的だった(平家物語のバージョンによっては、徳子が延々と後白河法皇に愚痴るバージョンもあるらしく、この潔さは本作のスタッフのディレクションなのだろう)。

阿弥陀如来像の五色の糸は、死者を極楽浄土に導くためのものであり、徳子の祈りをビジュアル化したものである。水の下の竜宮城に平家のファミリーみんなが幸せに暮らす世界線。辛すぎた人生だが、こんな幸せがあったらと祈る。おそらく、これも仏教的な要素なのだと思うが、私は宗教には疎いため、詳細は分からない。

最期の「祇園精舎の鐘の音」からはじまる一説だが、びわの語りから重盛の語りに切り替わり、時間が巻き戻る。これは、物語をまだ初めから再生(=読み直す)という事であり、再び読んで彼らを愛を持って生かす、というメタ的な意味と解釈した。我々が繰り返し再生する事で、彼らは永遠に生き続ける事ができるというのは、本作のスタッフの祈りなのだから。

雑感

オリジナルが持つ仏教色の強さ

ここまで、感想・考察を書いてきて、どうしても本作に満点を付けられない感覚があり、その事について記しておこうと思う。

それは、アニメの問題というより、原作の平家物語自体の問題なのだが、私にはこの平家一門絶滅という物語自体がハード過ぎると感じられる点である。

無論、時代を超えて読まれ続けてきているエンタメ作品であるがゆえに、楽しさはある。しかし、本作では、楽しい事もあったとしても人生がハード過ぎて死ぬ間際に恨みつらみが払拭できず、成仏できず亡者となった人たちばかり。そこが壮絶過ぎる。そして、仏教ゆえに、彼らを安らかな極楽浄土に案内したいというニュアンスが強い。そこに妙な圧力をなぜか感じてしまう。

本作ではそこを、キャラを愛する事で、キャラを永遠に生かすことができる、と解釈を今風に変えている事は理解する。そうだとしても、根幹の部分で、読者に死のハードさを強いる作風というか匂いが脳裏をよぎる。

自分でも考え過ぎだとは思うが、その点でどうしても波長が合わず気になってしまう、という面があった事は、率直な感想として記しておこうと思う。

資盛の生存(現代人向けの救済)(2022.5.8追記)

前述の通り、原作が持つ仏教色の強さに違和感を覚える私のような人にこそ、より共感を呼ぶキャラが一人居る。それが、資盛である。

ちなみに、資盛生存説だが壇の浦の死亡者リストに資盛の名前が無かった事から、安徳天皇を守りつつ奄美大島まで来たなどのいくつかの伝承があるらしい。

資盛と徳子を対比すると、その生き様の違いが明確になる。政治の駒になる事を嫌っていた徳子だったが、壇の浦の決戦後に出家して平家から切り離された存在になるが、それでも徳子は平家を背負っていたし平家を想っていた。言葉を変えるなら、出家してもなお平家に縛られていた。もちろん、それこそが物語上の徳子の美点になっているのは理解しているつもりである。

対して資盛は、本作では後醍醐天皇に命乞いの文を出した事からも、最後まで諦めない忍耐強さ、生きることへの執着が描かれていたと思う。資盛は自分に忠実なのである。

勿論、資盛が平家の滅亡を悲しまないワケはないだろう。しかし、家族、組織の肩書きが無くとも自害せずに、個人で生きる事を選択した。徳子の祈りは平家の救済ではあるが、資盛の生存こそが、現代を生きる(=新しい時代に向かって生きる)我々への救済ではないかと思う。

参考情報

おわりに

色々と話題作ではありましたが、大ファンである山田尚子監督作品の復活に、素直に喜び嬉しくなりました。

大変挑戦的な作品だったと思いますが、私には少々ハード過ぎたように思います。

次回作は、是非、楽しさ多めの作品になるといいな、と思いました。

86 ―エイティシックス―

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はじめに

本作は、2021年春期、2021年秋期にOAされたましたが、制作遅延により22話と23話が2022年3月に遅れてOAとなりました。

個人的には、22話と23話の感動の大きさは、ここのところのアニメ視聴の中ではずば抜けており、最後まで作品に付き合ってきたファンへの最大のプレゼントだったと思います。

私自身は、まず18話~21話を視聴していて、アニメーションの出来の良さに作品に引き込まれました。そして、ラストまで待たされている間に2クール目、1クール目の順に遡って視聴しておいて良かったと思いました。クライマックスは1クール目からの積み重ねであり、それを知らずにはここまで感動は出来なかったと思います。

色々と感じた良さをブログにまとめようと思い書き始めてみましたが、書きたい事が多すぎてかなりの長文になりました。

感想・考察

概要

本作は、SF戦争アクションといった要素を掛け合わせた作品であるが、とにかく物語の力が強い作風である。

あらすじは、人種差別を受け未来を奪われて最前線で戦わされる少年兵(シン)たちと、差別をしている側の社会の中でそれに抗いながら少年兵たちと交流を持つ高潔なお嬢様指揮官(レーナ)の物語であり、過去に囚われた死神のシンが未来を掴むまでの物語でもある。

物語・作風

全23話を通して観ると、本作の物語のトリッキーさに驚く。

主人公のシン達5人を除き、1クール目と2クール目で舞台や登場人物を大きく切り替えて、クライマックスでその二つのを結ぶ。そのカタルシスの大きさが半端ない。

また、本作は実にごった煮感ある作風で、多脚戦車によるSF戦争モノを基本としつつ、人種差別や、住む世界と身分が違う男女の恋愛物語や、敵無人兵器に憑依してしまった亡霊の怪談話などなど、多彩な要素を詰め込んでいる。

こうした中でも、クライマックスを考えると男女の恋愛の物語が軸にあったと思えるのだが、別にそこに至るまでの道のりが長い。

男(シン)は死と隣り合わせの人生の中で、自分の生きる意味を見いだせず悶々としていたが、最期の最後で、女に肯定され生きる意味を与えられた。

女(レーナ)はお嬢様でその高潔さゆえに腐敗した社会で息苦しく生きていた。そんな中で、差別を受け地獄のような戦場でも自尊心を失わずに人間らしく生きた少年兵達が、女の心の支えになり、女を強くした。

この男女の関係も、お互いに離れ離れで疎なコミュニケーションだからこそ、心と心の繋がりになっていたという点が肝である。その意味では、現代におけるSNSなどの手軽に繋がる世界とは違い、容易に繋がらない昔の時代感だからこその物語だったと思う。AIや多脚戦車などの近未来感とは別に、社会や通信手段はアナクロという不思議な設定が、このごった煮感ある作風のポイントになっている。

演出・作画・音楽

本作のアニメーションとしての総合的なクオリティはかなり高い。

花や線路を効果的にモチーフとして使用したり、赤色が生で青色が死のイメージだったり、演出的な意図も明確な意図をもって散りばめられており、かなりの浸透圧で演出意図が心に染み込んでくる。

レイアウトもバッチリ決まっており、キャラ作画も乱れることなく、メカや戦闘シーンの3DCGもカッコよく、とにかくどのシーンも明確な意図をもって的確に設計されている印象を持った。

また、22話、23話の感動的なシーンで流れる挿入歌がカッコよくて秀逸であった。これは、YouTube動画があったので、埋め込みで貼っておく。

世界観

戦争&メカアクション

本作は戦争を描くが、敵国は無人兵器のみという設定で、単純な国家間の人間同士の殺し合いではない点が今風である。

敵のギアーテ帝国のレギオンは完全な無人兵器群であり、敵国の人間はすでに死滅している。無人の機械が当初の人間の命令を守り、工場で無人兵器を生産し、戦闘を続けているという皮肉である。

一方、サンマグノリア共和国の最前線の部隊は、有人の多脚戦車で戦う。雰囲気としては攻殻機動隊タチコマを大きくして大砲(滑空砲)の乗せた感じだと思えばよい。装甲は薄くアルミの棺桶と呼ばれている。ワイヤーを使ってクモの様に身軽に移動したりもできる。

ざっくりしたした紹介はこんな感じだが、メカの設定はかなり凝っている。

また、兵器描写も緻密でカッコいい。ウエザリング(汚れ)や凹みも描かれリアリティがあり、3DCGで描かれるので作画が崩れる事もない。対するレギオンの大量の無人兵器でビッシリと埋め尽くされた感や、不気味な近未来感ある装甲の輝きや、最大の敵モルフォの神々しさのある巨大感など圧巻である。

しかも、実際のバトルシーンも緊張感を伴うレイアウトとカッティング、リアリティのある音響SEにより、ここ数年のメカアクションアニメとしても見応えのある映像に仕上がっている。

未来とも過去とも感じられる不思議な世界観

本作はSFとは書いたが、時代の空気としては第二次世界大戦頃を彷彿とさせる世界観であり、兵器メカやパラレイドと呼ばれる一対多の感覚共有デバイスなどが明確な未来感がある。

サンマグノリア共和国の軍服や市民の服装、建物、紙の書類に万年筆、スマホや携帯電話は存在しないなど、生活様式は我々の時代よりも過去である。雰囲気としては、フランスやイタリアなどの西洋の共和国を連想させる。

物語と直結する設定上の特徴として、サンマグノリア共和国では極端な人種差別が行われている。銀髪銀瞳の人間を優勢人種とし、それ以外の人間を劣勢人種として「色付き」などと呼び蔑んだ。「色付き」は1区から85区の塀の外の86区に迫害し、人権をはく奪し、レギオンと戦う兵役を課した。本作のタイトルの「エイティシックス」は迫害を受ける86区民を意味する。銀髪銀瞳の人間たちはそんなエイティシックス達の犠牲の上に胡坐をかいて暮らしている。軍人は直接前線に出向くこともなく後方から指揮するのみ。流石に今の時代にこの人種差別感は辟易するモノがあるが、これも昔の時代の雰囲気を持たせた世界観で、前時代の社会なのだと理解した。

一方、2クール目の舞台となるギアーテ連邦はアメリカ合衆国を連想させる。非人道的な人種差別はなく平等が約束される。だが、レギオンの脅威が拡大しており、エイティシックスであるシン達を再び戦場に送り込むこととなる。

死者の亡霊(=日本的な怪談話)

本作はレギオンが人間の断末魔の脳(思考?)をコピーして、いつまでもレギオンの制御装置として働かされるというSF的なオカルトホラー要素が面白いと思った。もっとも、これは1クール目が進行するにつれ徐々に明らかになる。

当初は、レーナの前任のハンドラーが謎の精神異常でリタイアするという都市伝説めいた噂から始まる。スピアヘッド戦隊=死神というホラーイメージの導入になっていた。これを紐解いて行くと、シンがレギオンの声を聞く事ができるから相手に先手を打てるという話になり、その声がレギオンに取り込まれた死者(=戦友)の断末魔の叫び声であり、パラレイド越しに半狂乱の意識を大量に入力してしまったハンドラーが半狂乱になっていったという経緯が分かってくる。

これは、死しても無念で成仏出来ない怨念というか、四谷怪談などの日本的な幽霊を連想させる。だからこそ、死者を成仏させたいし、幽霊の悪夢から解放されたい。おおよそ、怪談噺の幽霊は、生前悲惨な目に会っている。それは、エイティシックスも同様であろう。エイティシックスは、決められた短い人生しか与えられていなかったため、自分もすぐに死者になるという認識だったのではないか。だからこそ、死者を粗末にできない、ないがしろにできないという気持ちがあったのではないかと思う。

国家と人種差別

ただ、やはり令和の現代で人種差別をしたときに、感情移入しにくさ、というのはあると思う。差別する側への嫌悪感、差別される側への悲壮感に怒りを覚えつつ、救いのない物語になってゆくので、どうしても爽快感は無くなる。

令和のアニメで人種差別を扱うこと自体、ちょっと珍しくて、挑戦的な題材を選んでいたと思う。前述の通り、本作は現代ではなく過去の時代感に設定しているのも、この辺りの設定と密着していると思われる。

ただし、本作は人種差別そのものを問題にするよりも、その状況が生み出すシンとレーナの物理的な壁として活用する事に注力していた印象である。住む世界が違うロミオとジュリエットの様に。

差別されていた側のエイティシックスが、どのようなメンタルで戦っていたかについては、ライデンが劇中で語っている。端的に言えば、差別してる奴らは憎いが、自尊心のために戦い、差別している憎き奴らを結果的に守る事は、たまたまである。

最終的には2クール目冒頭のレギオンの大攻勢でサンマグノリア共和国はほぼ崩壊状態。差別していた側に天罰が下る、という物語の流れで、視聴者の気分の帳尻を合わせる。

2クール目のギアーテ連邦は、自由と平等の国である。差別もなく、元エイティシックスのシン達にも人権が与えられる。しかし、そこには「差別を受けて来た可哀そうな子供たち」というレッテルが貼られ、哀れみの視線も混じっていた。

また、ノルトリヒト戦隊に所属し軍人として生活し始めると、元々の戦闘力の高さと生還率から死神と揶揄され、歓迎されない視線もあった。モルフォ殲滅戦では帰還率ゼロと言われる作戦に任命されたが、その裏には孤児で身寄りがなく犠牲者を出してもギアーテ連邦国民からは恨まれない、という軍の世論対応の目論見もあった。

つまり、自由と平等のこの国でも何らかの差別的扱いを受けていたという意味では、人類に対する皮肉ととれる。ギアーテ連邦大統領の、それ(=差別を無くすこと)が出来なければこんな国滅んでしまえばいいんだよ、という台詞があった。人類の理想と現実のギャップは、1クール目のレーナとも重なる。この辺りは、本作のエンタメとしての面白さではないかと思う。

キャラ

シンエイ・ノーゼン(シン)

1クール目

シンが持たされた特殊能力は、レギオン(=死者)の声が聞こえる力。そして、仲間の死を看取る死神。パーソナルマークは「首なし骸骨」。

死神の由来は、必ず戦闘で生還し、致命傷を追った仲間をレギオンにならないように止めを刺して看取る事。戦死者の機体の一部を持ち帰り名前を彫って遺骨代わりに残す事。アンダーテイカー(=葬儀屋)は、そのためにあだ名。

サンマグノリア共和国において有色人種であるエイティシックスに人権はない。そして、5年間の兵役を追える前に、サンマグノリア共和国にとって不都合な真実として100%戦死させられるという意味で、未来もない。

誰もが死に際に死にたくないと言う。死に対する恐怖と無念がレギオンに蓄積し、大量の狂気となって聞こえてくる、という想像を絶するストレスを受け続けるシン。スピアヘッド戦隊も11名が戦死し、残りはライデン、アンジュ、セオト、クレナとシンの5名になった。

ライデンは、この不条理の中の限られた命だからこそ、自尊心を持って戦う(意訳)と言った。

シンの場合、幼少期に戦死した兄のレイを成仏させるという個人的な使命を持っていた。シンはレイから憎まれていたと信じ込み、消えない罪の意識にさいなまれていた。いつのころからか、レイの声がレギオンの声に混じって聞こえるようになった。そして、11話でレイの魂を成仏させた瞬間、レイから愛されていたという記憶を垣間見るという皮肉。兄のレイの魂と共に、シンの罪も溶けた。

12話で、シン達はサンマグノリア共和国から解放されて自由を手に入れるが、その自由もつかの間、13話でレギオンの襲来に仲間ともども殺されて1クール目は終わる。

不自由な人生だったし、安らかとは言い難いが、最後は悔いを残すことなく、やっと死ねた。

視聴者の私としては、これがオチだとするなら、何とも救いようがない話とも感じられた。

2クール目

シン達5人は生きていた。ギアーテ連邦という国に保護され、ここに差別はなく人権を保障されて暮らせるという。ただ、そう言われても、実感のわかない日々を生活が続く。結局、レギオンと戦うべく軍に所属してゆく道を再び選ぶ。

人権あるこの国でも、死神と揶揄されたし、冷たい視線は混じったていた。親しかったユージンがレギオンにやられたときも、スピアヘッド戦隊の時と同様に、止めを刺して看取った。その事で戦友や家族から憎しみをぶつけられる事もあった。やはり、死神が人間らしく生きる事は叶わないらしい。

シン達のノルトリヒト戦隊には、かつてのギアーテ帝国の姫君であるフレデリカがマスコットとして同行する。フレデリカはシン同様の異能を持ち、シンの心も読みにいける。そして、かつてのシン同様に、レギオンになった近衛兵のキリヤを成仏させるという。フレデリカとかつてのシンの宿命が重なる。

ギオンの超巨大列車法であるモルフォは、移動する事で対戦中の全ての国の首都を射程圏内に入れて砲撃可能であり、モルフォ撃破が人類側の最優先事項であった。そして、モルフォにはキリヤが取り込まれている。モルフォ討伐の無理ゲーに挑戦する意味は、人類が生き延びるためであり、フレデリカの願いのためである。

シンは、生きる事の無頓着で、キリヤとサシ違いになればいいか、と考えていたところをフレデリカに窘められる。ライデンも大統領も、死にに行く訳じゃない、生きて帰って来なさい、と言われるのにその実感が持てない。生きる事を肯定できない。むしろ、戦闘に身を投じているときに、レギオンに取り込まれたキリヤのように狂気じみた笑みを無意識に浮かべて、あちら側の狂気に足を突っ込んでいる(=もう少しで人間では無くなる)という感覚。

ノルトリヒト戦隊から深く先行し、ライデン達も途中で追ってを足止めさせ、最終的にシンだけがモルフォに到達する。モルフォとの丁々発止の格闘のの末、シンの多脚戦車は戦闘でボロボロ、残段数は1、という絶体絶命。ここで、フレデリカが飛び出して自殺を演じてキリヤが取り乱したところで、シンがキリヤを仕留める。自爆装置が作動し、モルフォは完全に機能を停止した。この作戦は、ギアーテ連邦の勝ちである。

しかし、シンは生き延びた事で、再び自責の念に駆られていた。キリヤにあの世に引っ張られそうになり、兄に憎まれたり、味方に死神として疎まれたり、ライデン達にも置いてけぼりされたり。シンの心の中で真実が分からなくなり、自己否定の渦が台風のように膨れ上がり、生と死の狭間に迷い込んでいた。

そして、身動きもとれず、拳銃も手元に無い状態で、レギオンの残党が近づいてくる。撃ってくれ!と叫ぶのは捕まってレギオンにされたら、このままの無念のまま、ずっと彷徨わなければならないから。それは地獄に落ちるのと同じこと。シンの罪に対する罰というなら酷過ぎる仕打ち。

その、レギオンは撃ちぬかれ、向こうからサンマグノリア共和国の女性士官が歩み寄ってくる。

彼女は、仲間を見殺しにするつもりはない。レギオンの大攻勢を教えてくれた、その人に感謝している。(死んでしまったと思われる)その人に追いつくために戦っている。そして、追いついた先の景色を見せたい、とスピアヘッド戦隊の写真を抱えて持ち歩いていた。あなたも勝ち抜いて生きている事を誇って欲しい、と語る。

パラレイド経由の声でシンは彼女がレーナである事を理解するが、彼女はシンという人間をことごとく肯定する。ライデン達もフレデリカも大統領も、死ぬな生きろとは言うが、肯定はしていなかった。この肯定がある事で、シンは生きる意味を持ち、前に進むことが出来る。しかも、レーナが頑張れるのはシンのおかげだという。シンは期せずして他人に何かを与えていた。死神と呼ばれたシンが、人の命を奪うのではなく、人を生かしていたという事実。目からウロコならぬ涙が落ちた瞬間だった。

一度はハッチを開けて対面しようとしたが、結果的に対面はせずにレーナと別れてしまった。

シンの帰還をライデン達も大統領達もフレデリカも歓喜する。みんな生き延びていて、置いてけぼりになっていなかった。フレデリカやライデン達もレーナの事を冷やかしてくる。

戦闘を終え、ひと時の休息をライデン達どもども過ごす。ユージンや戦没者の墓参りは、ある意味死者との決別である。今までシンは死者を背負い過ぎていた。だから、お墓に預けて肩の荷を下ろす。妹や同僚の憎しみも受け止めつつ、生前の笑顔(=幸せだった過去)を届けたのも、シン自信に施したのと同様のセラピーである。

そして、今度赴任してくる客員士官はレーナである。レーナはかつての部下が生き延びて再び部下になる事はサプライズとして隠されている。今度は顔を突き合わせてレギオンと戦う事になる。とても、晴れ晴れしい気持ちで。

ヴィラディレーナ・ミレーゼ(レーナ)

1クール目

レーナはサンマグノリア共和国の裕福な家庭の女性士官。基本的に意識高い系の高潔なお嬢様。過去にエイティシックスのレイに助けられた事もあり、周囲が差別しているエイティシックスに肩入れする。レーナ自身はこうした差別を何とも思わない社会に辟易している。

そして、ハンドラーとしてスピアヘッド戦隊の指揮を執るようになる。パラレイドを使って毎晩、全隊員と音声会話をコミュニケーションを図る。隊長のシンは紳士的であったが反発する者も居た。しかし、少しづつ距離は縮まってゆくのを感じていた。時には慰労のために補給物資に花火を送付したこともあった。

しかし、連日続く戦闘により隊員たちは少しづつ戦死していった。補給物資の送付も上層部の対応の悪さから滞りはじめる。不十分な補給状況での出撃命令。もう少しで彼らも退役なのにと考えていたところ、ライデンの口から退役する前に必ず戦死させられるように仕向けられている、という事実が告げられる。圧倒的な理不尽と無力感。結局、彼らから見たら私も差別をする者と同罪なのか。

最期となる戦いで、アンリエッタに無理やりパラレイドを改造させ、失明覚悟でライデンの視覚に接続して、長距離砲撃による援護射撃を敢行した。これにより、レギオンになったレイの魂を成仏させる事が出来た。やっと彼らと対等となり信頼を勝ち得たという喜び。

しかし、シン達はそのまま進軍し、サンマグノリア共和国からの通信圏外に出てしまった。1区に居るレーナは建物の外に出て追いかけようとするも、手が届くことも、追いつくことも勿論なく、この国に置き去りにされてしまう。

後日、謹慎中のレーナはシン達が居なくなったスピアヘッド戦隊の兵舎に赴き、そこに彼らが確かに実在した痕跡を感じ取り、彼らの写真とハンドラー1の落書きを受け取り持ち帰った。決して彼らを忘れぬように。

結局、レーナはエイティシックスに何を見ていたのだろうか。周囲の堕落した人間に嫌気がさし、迫害されながらも自尊心を持って生きる彼らに、人間としてのあるべき尊厳を見たのかもしれない。そして、自分もそっち側の人間でありたいと。それとは別にレーナはシンに無意識に恋もしていたのだろう。面白いのはアナクロな音声通話のみのやり取りだからこそ、その人の内面により深く触れたような気になってしまうところであろう。これは、TVのバラエティー番組よりも深夜ラジオの方が心に沁みる、みたいな感じだと思う。だからこそ、相手を美化しやすい。最期に追いすがろうとして泣いてしまうというのは、昭和な雰囲気を感じてしまう。時代感を古くしていると書いたが、この辺りも意図的な振舞いだと想像しているし、そこを理解していないと違和感を覚えてしまう作風かもしれない。

2クール目

シン達から聞いた情報通り、レギオンはタイムリミットで稼働停止する事なく増殖し続け、この国に大攻勢をしかけてきた。多数の死傷者が出て、この国に甚大な被害をもたらしたが、これは堕落した国民達に罰が当たったのかもしれない。とは言え、祖国が滅んでいい理由にはならない。レーナは、制服を青から黒に代え、髪の毛に赤のメッシュを刺して、新たな部隊のハンドラーとなって戦っていた。

ギオンとの戦いが続く中、レーナは境界線を超えて進軍した。そして、存在を確認できなかった他国の軍と、巨大列車砲タイプのレギオンを確認し、長距離援護射撃を行う。結果的に、レギオンは沈黙し自爆した。

戦場に近づくと、レギオンと交戦し仕留めたと思しき多脚戦車。たった1機でレギオンを倒したのか。中からパイロットの声が。ギアーテ連邦軍に保護を求めるか?と聞かれる。部下を見捨てる事は出来ない。たとえ負けるのだとしても誇りを持って戦い抜く。そうできると示してくれた人達に、一緒に戦い、この先の景色を見せるために戦っている。そう言い返した。あなたも勝って生き残ったのだから、それを誇ればいい。

別部隊のレギオンに対してギアーテ連邦の援軍が攻撃する。グランミュールに戻るためにギアーテ連邦軍のヘリに輸送してもらう事になった。

ボロボロになった旧共和国に進軍してきてレギオンを追い返したギアーテ連邦軍。旧共和国軍は進駐軍におべっかを使うが、この状況に追い込まれても色付き人種を上から目線で見下す国民たち。やるせなさと屈辱感。そんな中、ギアーテ連邦軍から将校派遣の依頼があり、それに志願した。

ギアーテ連邦に来て最初に訪れたのは、旧共和国軍の戦没者慰霊碑。忘れません。そして、直後に紹介された新たな部下。シン?! 死なずに生き伸びていた? 涙が溢れる。ライデン、セオト、アンジェ、クレナ!嬉しい!!やっと追いついた。これからは、彼らと一緒に歩んで行けるなんて。完。

レーナは、命令無視してから、随分とたくましくなった。それは、死を約束されていながら、誇りを持って戦ってきたエイティシックス達を見て報いたい、自分もそうありたいと真似して生きてきたから。凛々しさと可愛さが同居しているところにレーナのヒロインとしての魅力があると思う。

フレデリカ・ローゼンフェルト

フレデリカは、2クール目のヒロインとして登場。まだ10歳の子供だが、かつてのギアーテ帝国の最期の女帝である。

フレデリカは、シンとの重なる部分と、シンを俯瞰から見る者としての役割があったように思う。レギオンを生み出して国民は滅んでしまったギアーテ帝国の末裔という事からか、シン同様にレギオンの声が聞こえる模様だが、シンの心も読めてしまう。だからこそ、シンの理解者と成りうる。子供ながらに達観した面もあり、子供っぽい素振りの合間に、大人びた正論を切り出してくる事も多い。

序盤では、シン達と大統領宅で共に暮らす事になったときに、自然とシン達の妹的なポジションの関係を築く。そして、シン達が配属されたノルトリヒト戦隊のマスコットとして同行し、モルフォ討伐戦にも着いてきた。

フレデリカは、レギオンになってしまった近衛兵のキリヤの魂を成仏させるという、やるべき事を持っていた。これは、シンが兄のレイを成仏させた下りと全く同一の構図である。だから、キリヤを仕留める事をシンに委ねる事になる。

しかし、反面、シンが生きるという事からどんどん遠ざかり、死の際まで足を踏み入れそうな気配を察する。戦闘中に浮かべるシンの薄ら笑いが、シンのレギオン化を連想させる。シン自身が死に場所を求めてさすらっている。フレデリカは、シンが相打ち覚悟で戦闘に赴くのを「わらわを悲しませるつもりか」と引き留めようとした事もあった。進軍中にライデン達と違い、シンだけが死にに行こうとしている事を叱った事もあった。シンにとってはこの説教も馬の耳に念仏だったかもしれないが、フレデリカは人間としていつも真っ当な事を言っていたと思う。ある意味、保護者としてシンの事がただ心配だったのだろう。

物語終盤で、シンとキリヤの一騎打ちになった際、土壇場でフレデリカが表に出て、自らの頭に拳銃を突きつけ、キリヤの気を引いた。キリヤは死んだハズのフレデリカが生きていた事、そしてフレデリカ自身の命を人質に戦闘停止を要求している事にパニックに陥った。シンは、すかさずモルフォの中のどこにキリヤが居るかをフレデリカに訊ねるが、フレデリカは一瞬回答に躊躇する。それは、愛すべきキリヤとの本当の別れを意味するから。そして、初心通りキリヤの居場所をシンに伝え、シンがキリヤを仕留める。自爆装置が自動起動しモルフォは大破する。

キリヤはこのとき、爆発からフレデリカを守る。キリヤは、フレデリカを死なせてしまった後悔の念をずっと引きずっていたので、フレデリカの命を救ったことで、今度こそ未練なく成仏できるのだろう。また、狂気だけ残ったように思えたキリヤだったが、守ってくれる優しいキリヤが最期の記憶として残った。これで、フレデリカのやるべき事は果たせた。

22話でレーナに救われたシンの心を見て安心するフレデリカ。シンの存在を始めて全面的に肯定したレーナにお返しをするために、次に会うまでに、がっかりさせない見たかった景色を見せる。男子特融のカッコつけだが、生きる意味を持ったシンを祝福した。

本作は、基本的にキャラが軍人ばかりなので、どうしても映像が窮屈で堅苦しくなる。フレデリカの存在は文字通りマスコットとして、本作の印象を柔らげる効果があったと思う。同時に、兵士としての義務感とは別に、実に人間として真っ当な祈りのような存在として、視聴者がシンを見る際の視点の拠り所になっていたと思う。

おわりに

本作は、1クール目こそ、どこに向かう物語なのか分からず、漂流感とストレスを感じる所もあるのですが、最後まで観てなんぼの作品です。

途中で挫折してしまった人も、是非とも最後まで観ていただけたらな、という気持ちです。

書きだしたら、あれもこれもと長文になりましたが、様々な要素を詰め込んでごった煮にした作風でもあり、自分で書いていても、なかなか書き切れずに驚いてしまいました。原作小説の魅力が大きいのでしょうが、こうした作品の分析もまた、楽しくできました。

2022年冬期アニメ感想総括

はじめに

2022年冬期のアニメ感想総括です。今期、最終話まで視聴した作品は下記。

  • その着せ替え人形は恋をする
  • 明日ちゃんのセーラー服
  • スローループ
  • 異世界美少女受肉おじさんと
  • ハコヅメ
  • プリンセスコネクト Re:Dive Season 2

なお、平家物語は現在視聴途中のため、後日追記する予定です。追記しました。

感想・考察

その着せ替え人形は恋をする

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 徹底的にネガティブ要素(=ストレス)を排除した、新感覚ラブコメの作風
    • 演出、作画、芝居、音響、撮影の力が全方位に出来が良いアニメーション
  • cons
    • 特になし

今期の台風の目、CloverWorks制作アニメ2本柱の1本。アニメーションプロデューサーの梅原翔太は「ワンダーエッグ・プライオリティ」も担当しており、個人的に放送前から期待は高かった。監督は篠原啓輔、シリーズ構成・全話脚本は冨田頼子。原作はヤングガンガン連載のラブコメ漫画である。原作者の福田晋一先生も理想のアニメ化と感謝するほどの良きアニメ化であった。

本作はコスプレを題材にしたラブコメでありながら、従来の文法をいくつか無視した新感覚のラブコメと言える。

従来の恋愛モノは、恋のライバルが恋愛相手を取った取られただの、どちらか片方の異性を選ばなければならないだの、浮気や二股などの裏切りだの、なんらかのストレスを抱えたドラマ作りがベースにあった。ストレスフルな葛藤があるから、恋愛の勝者敗者の分かれ目があり、物語を紡ぐことができた。しかし、本作はこのストレスが無い。勝者も敗者もいない。恋愛の楽しい点を集めて物語が進むという点が新しい。

例えば、海夢と新菜のカップルに対し、結果的に新菜に好意を寄せる紗寿叶というキャラが中盤から登場する。従来のラブコメなら三角関係のドロドロした展開は必至だが、本作ではそうはならない。例えば、新菜がこっそり心寿のコスプレ衣装を作るために新菜が心寿を自室に招き入れた事の違和感に海夢が気付いたのに、数秒後には忘れている。例えば、11話でラブホテルであわや一線を超えそうになるが、12話ではその事は触れられない。明らかに、恋愛モノのストレスを意識したイベントも配置しつつ、ことごとくそれをキャンセルしてしまう展開で埋め尽くされている。

また、本作の序盤は、男子なのに雛人形好きという事を否定された新菜の存在を、強い憧れだけでコスプレに突っ走ってくるJKギャルの海夢が全肯定する事で救われる展開になっている。海夢の表裏のない性格の良さ、読モするほどの美貌、そして若さ弾ける色気、その全てのパワーで視聴者もすぐに海夢に惚れてしまうという感じの高感度キャラである。

そして、ここがポイントなのだが、新菜は海夢の好きを肯定する部分を尊敬し、エロさには興奮している。一方、海夢は新菜の他人が好きなモノを徹底的に理解した上でコスプレ衣装を作るという誠実さが魅力なのだが、あるタイミングから、海夢は明確に新菜に恋愛対象として惚れる。

海夢と新菜はお家デートをする程の仲であるが、コスプレという趣味を主題にしているため、淫らな展開には辛うじてならない。特に新菜は理性と本能を完全に分離しているので、その点が観ている側のじらしポイントになる。とは言え、二人の関係は好き同士。デートをしてもうぶな輝きを描く事になるので、とにかく爽やか。ここが本作の肝と言える。

今のところ新菜→海夢はエロさの欲情よりも尊敬の理性が勝っている。仮に二人が一線を越えてしまうとプラトニックではなくなってしまう。大人ならばそれもアリだし、それも青春だが、それは本作の目指す世界ではないのだろう。文芸的にはこの理性と欲情の狭間のバランスを絶妙にキープしているが、ヤジロベーのように妙な安定感、安心感がある。

また、本作は演出、作画、芝居、音響、撮影の力が全方位に強い。

最も印象的だったシーンで説明すると、8話の江の島デートのシーンである。江の島の海岸で二人で裸足で過ごすシーンの海が淡いエメラルドグリーンで描かれる。水面は日差しが反射してキラキラと眩しい。くるぶしまで二人で浸かったシーンは、その世界に二人だけしか居ないような、そんな没入感と特別完を演出していた。実際の江の島の海はもっと深々とした緑色で、砂浜は灰色で、空は青色か灰色だろう。

この時点で海夢は新菜に完全に惚れていたので、海夢の事だけを見て、恥ずかしい台詞を言っては一人赤面していたが、新菜の方は自分の知らない世界に来て遠くの海の方を眺めていた。つまり、このデートのシーンに海夢は恋愛対象の新菜を見ているが、新菜は海夢を見ずに未知の世界のその先を見ていたというすれ違いのニュアンスをこのシーンに込める。ただ、多くの視聴者は二人のラブラブだけが印象に残るので、すれ違いの寂しさはあまり感じずに尊い多幸感だけが残る。つまり、そうした隠し味や出汁をキッチリとシーンに乗せて料理しているので、完成したアニメーションを見たときの満足度(=旨味)が半端なく高い。例えて言うなら、高級レストランの食事である。これは一例だが、全ての話にこのような上質でコントロールの行き届いたシーンがあり、それをテレビシリーズで見られるという事が驚異的である。

このように、好きの肯定による救済、エロくはあるが淫乱にならずピュアな恋愛、ストレスキャンセルな軽快な作風、コメディの楽しさ、そして上質なアニメーション。これらのポジティブ要素が奇跡的に、否、綿密な設計の上に作り込まれたクオリティの高さが本作の魅力である。

12話は、コスイベント無しで、夏休み中盤から最終日までの海夢と新菜の充実した生活を描く。海夢に連れてきてもらった花火(=新世界)。スマホ越しに遠距離添い寝する海夢と新菜。ただし、恋愛の矢印は海夢→新菜止まりで、相互恋愛の一歩手前で1クールを占める。幸せの絶頂のちょっと手前。松任谷由実の歌で言えば14番目の月である。2クール目も十分あり得る作品だと思うが、この余韻で止めるとろこも絶妙。シリーズ構成の各話の刻み、バランス感覚も見事だったと思う。

明日ちゃんのセーラー服

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 物語性を敢えて希薄にし、アニメーションの動き、演出に全振りした作風
    • 美少女の身体、仕草、表情で煌めきを描き切る作画
  • cons
    • 特になし

原作は博先生による漫画だが、今までの漫画にない斬新な作風が特徴の作品である。それは、グラビア雑誌のような精密なポージングや服の皺を再現した作画だったり、一連のアクションをストロボ撮影したような動きある絵を何枚も描いたり。おおよそ漫画表現では高カロリー過ぎて適さない事に、敢えて挑戦している作品だと言える。

監督は「空の青さを知る人よ」で長井龍雪監督と共同演出していた黒木美幸。シリーズ構成、全話脚本は 山崎莉乃。アニメーション制作は、今勢いに乗っているCloverWorksという布陣。

本作の最大のウリは、美少女の身体、仕草、表情の煌めきをアニメーションで動かし表現しきる、という点にある。ここを魅せる作風なので、乱暴に言えば複雑な物語はノイズになる。

本作のあらすじを書いてしまうと呆れるほど超シンプルである。田舎に暮らしていたキラキラした主人公の明日小路が、セーラー服を着て入学したての中学校でクラスメイト全員と友達になって、さらにキラキラしてゆく物語、である。小路は運動能力が極端に高く、歌も踊りも上手く、底抜けに明るい。そして、クラスメイト達はそんな小路に憧れ、もっと言えば小路に惚れてしまう。そこに妬みや憎しみなどの負の感情はなく、あくまでもピュアに小路を好きになる。

客観的に考えれば、このあらすじだけを紹介されても胡散臭いと思うのが普通だろう。しかし、実際にはアニメーションを見て、私自身も小路が好きになり、この物語を信じられてしまう魔力が本作にはあった。

それを信じさせるには、小路がキラキラしていなければならない。SNSでもフェチアニメなどと騒がれていたが、この魔法をかけるのに必要な説得力が、通常のアニメでは考えられないくらいリアリティを持った動きやポーズであったのだと思う。つまり、可愛いとか可愛くないというレベルを超えて、そこにその生身の人間が居る、という感覚を視聴者に与える。一つ断っておくと、アニメーションのリアリティは、実写のような生っぽさとは違う。むしろ、実写よりもデフォルメされ誇張される事で大げさな動きとなり、実写以上の躍動感を違和感を与えずに表現できる。そして、躍動感=小路そのものである。その意味で、本作はアニメーションでなければ適切に表現しえない作品だったと思う。

本作で特に凄いと感じたのは7話と12話なのだが、それぞれに異なる独特の印象を持っていた。

7話は、蛇森が小路にせがまれて、そこから独学でギター演奏を勉強して小路に演奏を披露する回である。7話を始めて観たとき、私は瞬きも、息をするのも忘れると感じるくらいに、画面に食い入り、ガチで泣いてしまった。蛇森の心情に寄り添い、それがストレートに伝わってくるため、視聴していて蛇森自身になり切っていた。

さびれたギターの弦を弾いたときの音に対する感動。コードの多さへの驚き、焦燥感と折れそうになる気持ち。演奏当日の小路を誘うときの清水の舞台から飛び降りる感覚。ハプニングで聞かされた木崎のピアノとの格差の絶望感。気持ちを積み重ねた練習曲チェリーを披露する際の緊張感。たどたどしい演奏を肯定された安堵感と達成感。上機嫌で更なる練習に励む高揚感。

20分余りの尺の中に、物凄い情報量の感情が、交通整理されながら途切れることなくすんなり入ってくる。ここまで心情が浸透してくるのは、演出力の高さのゆえ、だろう。

7話は物語的にもコンパクトながら出来が良かった。蛇森の学生寮の同室の戸鹿野の存在が効いている。それは、小路と戸鹿野の雑談で地道なステップアップの喜びを共有→戸鹿野自身のスランプの克服→戸鹿野が牧羊犬のごとき蛇森の導き→蛇森が小路に拙いギター演奏をプレゼントする→小路が元気をもらう、というやる気の循環を描いている点が美しい。

12話は、体育祭の後夜祭での演劇部の小路のダンスを見せつつ、体育祭の各種目をフラッシュバックしながら、1日の小路の興奮の絶頂を振り返る。ダンス前の直前の緊張感から、木崎のピアノ演奏に合わせたセーラ服の小路のダンス。伴奏が途切れないから、視聴者に息をつく暇を与えない。各種目のクラスメイトの活躍、小路たち応援団のエール、勝ち負けに一喜一憂するクラスメイト。木崎の演奏は途中でバイオリンの演奏に切り替わり、体育祭のトリであるバレーを最高に熱くドラマチックに見せる。最後は小路のファインプレーで試合を勝ち取り、1年3組は優勝する。この序盤からの盛り上がりがダンスの勢いとも重なり、小路のダンスも大声援で幕を閉じる。ここに物語は無く、小路と1年3組のクラスメイトの熱い情動だけがある。各種目のスポーツとダンスをアニメーションと音楽だけで魅了しきってしまうところが、本作の演出と作画の凄いところである。このAパートの15分強の時間、映像とともにエクスタシーを迎えてどっと疲れた、という感覚になった。これこそが、本作の真骨頂であろう。

こうして振り返って整理してみると、本作がいかに例外的な作品だったか理解できる。従来のエンタメ作品が持つ物語性は敢えてシンプルに削ぎ落し、美少女の煌めきのエッセンスだけを取り出し、アニメーションの快楽にリソースを全力投球するという作風である。別の言い方をするなら、圧倒的な躍動感の演出の凄み。非常に稀有で、ある意味ストイックな作風と言ってよいだろう。

エンタメ作品の多様性は喜ばしいので、このような超変化球、かつ剛速球な作品が出て来た事を、素直にうれしく思う。

PS.

7話視聴時点で書いた感想・考察ブログに、「明日ちゃんのセーラー服=ブルセラのグラビア写真集・イメージビデオ」と書いた。

これは、本作の前半の違和感について考え方をまとめたモノだが、今でもこの考え方は強く持っている。しかし、後半のクラスメイト全員が小路の友達となり返ってくるという、巨大なクライマックスめがけて収束してゆく熱い展開には、ブルセラ的な匂いは感じない。前半と後半でテイストがガラッと変わった、と言ってもいいくらいに違う。これは、おそらく物語を持たずに絵的な作品として連載開始した原作漫画が、連載途中にもとから持っていたキラキラを物語として昇華させた後付けのものではないか、と想像している。

そして、アニメスタッフは全12話を通してそのキラキラを、演出や作画や音響などの精密な設計と技術力で映像として結実させた。そこに本作の凄みがあると思う。

スローループ

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 王道きららで、誠実な家族の人間ドラマを描く、大人も楽しめるお菓子のような作風
    • メインは人間ドラマで、趣味(フライフィッシング&料理)はサイドディッシュ的な主従関係のバランス
  • cons
    • 特になし

王道直球のきららアニメ。シリーズ構成の山田由香は「私に天使が舞い降りた!」「恋する小惑星」などの温かみあるドラマ作りが印象的な脚本家。監督は秋田谷典昭。制作はCONNECT(≒SILVER LINKS)である事から、中堅レベルの以上の手堅い作品になる期待があった。

登場人物は、他界した父親の趣味だったフライフィッシングを嗜む、少し陰のあるひより。持ち前の明るさと料理の腕前でひよりの殻を破ってく義理の姉の小春。少し大人でひよりに寄り添う幼馴染の恋。この3人のJKを中心に紡がれるドラマである事が、1クール作品としての収まりを良くしている。他にもJSの双葉と藍子や、働く女性である一花とみやび、それぞれの両親や兄弟など家族の繋がりの物語を、春から秋にかけての季節の変化とともに描く。

本作が他のきらら系と異なるのは、片親の死別や再婚などの重めで繊細なドラマを真面目に盛り込んでいる点にある。単なるキャッキャウフフな作風ではなくビターな味わいと言える。例えるなら、お菓子なのに高級なドライフルーツやラム酒を使った深みある大人の味わい。脚本はシリーズ構成の山田由香と大知慶一郎の2名体制で、どちらも脚本も繊細な女子の心情を描く事には長けている。個人的には山田由香は人情味あふれる物語をまとめる事ができる吉田玲子フォロワーの最有力候補ではないかと考えている。

物語の軸は、どちらかというと他者との交流を拒みがちだったひよりが、義姉の小春と出会って心を開き、徐々に勇気を持って能動的になり、様々な人の繋がりを持って生きて行くという感じである。そこに家族への気遣い、亡者への想いが乗ってくる。ひよりにはボーイッシュな雰囲気も少しあり、ボーイミーツガール的な印象を当初抱いていた。

しかし、元気一杯で無敵に見える小春も、他者に心配をかけまいと無理に頑張りすぎるきらいがあり、そうした弱さも抱えている面も見えてくる。。8話で風邪で迷惑をかけたと言う小春に対して、家族なんだから甘えてもいい、というひよりの台詞が沁みる。

また、ひよりの幼馴染の恋の存在も本作の要である。釣りバカの父親を持ち、釣具店の店員をしていることから釣りの知識は長けている。恋は、父親が他界して落ち込んでしまったひよりに寄り添う事は出来ても、ひよりを元気づけられなかった事を罪のように感じていた。小春の元気はそこを軽々と乗り越えてひよりを引っ張り上げた。それを認めざるを得ない恋。ひよりをめぐってライバル関係にある小春と恋だが、互いの長所も認め合う関係である。

そんな恋だが、11話のひよりの告白により、昔恋が軽はずみに言ってしまった「再婚おめでとう」の言葉が、ひよりが母親の事を考えるきっかけになり、現実の母親の再婚に繋がり、今のみんなの繋がりがあるのだから感謝していると伝えられる。恋が抱えていた自己否定を、ひよりの告白が肯定し恋を救う。この物語の確かさに唸る。

フライフィッシングのウンチクやお手軽料理の紹介も散りばめられ、趣味モノとしての側面もキッチリ描かれていた。ただし、ガチの趣味モノというより、サイドディッシュ的な要素になっていた。あくまで、物語が主でフライフィッシングは従である。

フライフィッシングに限らず、釣りはあくまで集団競技ではなく個人のスポーツ(≒遊び)である。魚と向き合い、自然と向き合い、最終的には自分自身と向き合う事になる。ひよりが内向きな性格なのも、フライフィッシングという居場所に定着してしまった事と関係あるのだろう。面白いのは、他者に積極的に干渉しながら、内心寂しがりの小春がそれなりにフライフィッシングにハマっているところである。12話では、コンテストという事もありひよりと離れた場所で、恋の助言を受けながら、小春自身が考えて一人で魚を釣り上げるシーンがあった。負けず嫌いな性格もあるが、基本は一人という釣りの世界が、小春の心に良い効果を与えているような気がしてならない。大袈裟かもしれないが、フライフィッシング要素を通じて、べたべたに依存していない、健全で対等な人間関係を感じられたように思う。

最後に繰り返しになるが、完全なききららテイスト(=文法)でありながら可愛いだけじゃない、優しさ溢れる手堅いドラマ作りが本作の持ち味であり、その期待に見事に応えてくれるクオリティだったと思う。その意味で、今期一番の良心的な良作だったと思う。

異世界美少女受肉おじさんと

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 片方が美少女化した男同士の恋愛 or BLという葛藤の斬新なコメディ
    • ネタが濃いのに、後を引かないサッパリした味付け
    • 古典的ともいえる漫画的手法でのアニメ映像作りによる、リッチ志向アニメーションへのアンチテーゼ
  • cons
    • 特になし

本作は異世界に召喚された二人の30代サラリーマン、橘と神宮寺の変則的なBLラブコメである。橘の美少女化がミソで、二人の見た目は男女になるが、心は幼馴染の男同士(=BL)という狂気の設定。気を許すと相思相愛になるが、そこは理性で踏ん張る、という葛藤のコメディである。私はBL愛好者ではないが、この設定だけでなんだか「ぞわぞわ」した。

原作はCygamesの漫画アプリ「サイコミ」の連載作品であり、担当編集者は割と最初からアニメ化を意識していたという。そして、本作を読んだBiliBili動画のプロデューサーが中国でウケると惚れこんでアニメ化に至ったという経緯らしい。アニメーション制作は中堅の安心感のあるOLM。監督はこれが初となる山井紗也香。漫画原作とアニメの共同進行の形だったとの事で、1クールとしての物語のまとまりも期待できた。

率直に言えば、アニメーションとしてはリッチとは言えず、むしろ動画枚数を減らした省カロリー作画な作品に思える。しかし、テンポの良い高密度な台詞の掛け合い、整ったキャラ絵に時折挟まれる超省略のデフォルメ絵、こうした漫画的表現を生かした映像作りが特徴である。

本作の笑いの基本はコントである。拗らせてエスカレートさせて反転させて笑わせるとか、時折正論で直球を返すといった視聴者の心を巧みに誘導しコントロールする芝居や演出である必要があるが、本作はそこが適切かつ緻密に表現できているのでコントとして成立している。とにかく、笑いのテンポが速くノリが軽い。キャッチーで個性が分かり易いサブキャラ達も、この事に貢献していたと思う。

繰り返しになるが、本作は美少女化した橘と堅物の神宮寺の禁断のBLラブコメというラインをベースにしている。容姿的に男女になったことで生じた恋愛感情なのか。もともとのBLか否か。恋愛という欲望と、幼馴染とのBLは絶対回避したいという理性の葛藤。

しかし、見方を変えると根っこはシンプル。橘と神宮寺は二人とも、自分が持っていないモノにコンプレックスを抱え、相手が持っているモノに憧れていたからこそ、親友としての関係が成立していた事が分かる。だからこそ惹かれ合うのだが、そこに橘の自己肯定感の低さや、神宮寺の自己分析の弱さによる誤解が生じて、二人の痴話喧嘩がこの物語のクライマックスとなる。

この痴話喧嘩は、神宮寺の強者としてのプライドの破棄→神宮寺からの橘という人間の全肯定→両者の和解という流れで綺麗に決着する。欲望に流されるという意味でもなく、BLというバリアを取っ払って素直な関係になるという解放感。これが二人に対する救済となる。しかし、ラストは素直になりすぎた二人が、やっぱりBLはマズいと1話の状態にリセットされて旅は続くという、喜劇としては後腐れがない鉄板のオチである。

このように、BLという「ぞわぞわ」する要素をライト感覚に調理したり、深く作り込まれたキャラ造形やクライマックスの描き方などをみるに、文芸的にもなかなか優秀なのではないかと思う。なにより、気楽に楽しく見られるのがいい。

M・A・Oさんの快演にも触れておきたい。美少女化した32歳男子という役どころを、声質の可愛さといじけた男子の喋り方の絶妙な演技で橘という人物に説得力を持たせてきた。 また、ダンディズム溢れる日野聡さんもドンピシャなキャスティングで二人の息の合った演技も楽しめた。

また、今期の着せ恋、明日ちゃんにみるリッチなアニメーションばかりでなく、こうした省カロリー低コストならではの良さを感じされる作品だったと思う。

ハコヅメ

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 一見地味過ぎる印象だが、ノンフィクション的で社会モノとして誠実な作風
    • ドラマチックにし過ぎない、地味ながら風刺やオチが効いた、噛めば噛むほど味が出る脚本
  • cons
    • やっぱり、地味過ぎて、第一印象損しているところ

原作はモーニング連載の交番勤務の女性警察官の漫画。原作者の秦三子先生自身が女性警察官の経験者であり、リアルな現場の雰囲気をコメディを交えて描く。

主人公の川合は交番勤務の新米警察官。ある日、美人で凄腕の刑事上がりの藤が川合のペアとして赴任してくるバディ物でもある。

原作漫画単行本の表紙は、妙に色気のある凝った描き込みの絵柄だと感じたが、アニメでは、劇画的な線の多さは感じるモノの色っぽさをあまり感じないデザインになっていたと思う。また、川合、藤のCVを務める若山詩音、石川由依の演技もぎこちなさというか固さを感じる違和感があった。なんというか、アニメーションとしての気持ちよさがあまり感じられない作風に感じていた。

物語は女性警察官の勤務の日常の悲喜こもごもを描くという一面はあるのだが、どちらかというと様々な種類の事件で警察官が現場で感じる何かを綴っている感じがした。凄惨な事件に警察官自身のメンタルにダメージが出たり、不条理とも言える現場の仕事内容だったり、一般市民からの歓迎されない視線だったりの辛さの印象が残る。それでも、藤をはじめとする先輩警察官のイザという時の強さ、鋭さが無ければ、事件を解決し被害者の魂を救う事は出来ないという厳しさを垣間見せる。

1話でこそ、市民の笑顔を守るために仕事をするというド正論に触れはするが、そこが真実ではなく、警察官の人間としての気持ちを尊重した物語になっている。劇中でも、踊る大捜査線のドラマチックさをおちょくるシーンがあるのだが、警察官の仕事がドラマのようなきれいごとじゃない事が描かれる。

そこを理解すると、本作がアニメーションとしての爽快感を持たない作風である事も納得がいく。中年男性や中年女性もデフォルメしたりせず、リアリティを持ったデザイン。川合や藤の主役の二人の会話は敢えてアニメっぽさや演劇っぽさを消した抑揚を抑えた芝居。リアリティある事件を扱うのに、映像がヘラヘラしていたり、演出の力で美化されていたら、それこそ不誠実である。つまり、本作はフィクションでありながら、ノンフィクション風味を大切にするディレクションなのである。ぶっちゃけ、地味と言ってもいいだろう。

しかし、本作の脚本は噛めば噛むほど味が出るタイプで良く出来ている。先ほど敢えてドラマチックではないと書いたが、後味の悪さの中にも、物語としての皮肉やオチはよく練られている。地味ながら確実に視聴者の意識を決められて方向に持っていって反転させる事で、笑いにしたり、意外な事件解決の手掛かりにしたり。それができるのも、地味ながら飽きさせない脚本と、視聴者を引っ張る的確な演出の力があってこそだろう。

今期はアニメーションの快楽を前面に押し出した着せ恋や明日ちゃんのような作品が目立ったが、本作のような敢えて地味な作風の作品も同時期に見られるという、アニメの多様性に感謝したい作品であった。

プリンセスコネクト Re:Dive Season 2

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 相変わらず、良く動く作画動画
    • 相変わらず、豪快で迫力ある音響
  • cons
    • シリアス寄りになった事で、凡庸になってしまった脚本

1期放送終了から1年9か月を経ての2期。1期監督の金崎貴臣は総監督となり、代わりにいわもとやすおが監督を務める。アニメーション制作のCygamesPictureは1期と同じくCygamesPicture。

1期の特徴は、とにかく良く動く作画・動画、切れの良い音響、ドラマは強いが物語は希薄、食事のシーンや美食殿の楽しさに特化した作風。とにかくキャラを好きになってもらう意図が明快で、ゲーム原作のアニメ化としては一つの完成形だったのではないかと思う。個人的に大好きな作品だった。

2期はこのテイストからかなり変化があった。根本的な部分では文芸がシリアス寄りになり、正義による悪役からの王国の奪還、前世では救えなかった仲間を守り抜く事が物語として描かれた。シリアス寄り自体は構わないが、強大な力を持つ敵役とのバトルは、よほど丁寧に勝ちに至るロジックを組まないと白けてしまう事が多い。そのためには緻密な脚本や演出が必要になるが、2期はそこが弱いと感じた。

個人的に1期で大好きだったのはキャルで、悪役の皇帝の手下である事と美食殿の仲間である事の二律背反の葛藤のドラマを背負っており、クールになりきれない人間味ある甘さ弱さのドラマを上手く描いていた。しかし、2期でキャルは皇帝に無理やり操られ、ペコリーヌと戦わされ、そのことでペコリーヌは怒りを増幅させる。実質、キャルは皇帝に凌辱(=レイプ)される形であり、そうした物語の組み立て方も理解できるが、この辺りが安直に感じてしまった。何より、キャラの可愛さが1期よりも描けていない事を残念に感じた。

また、作画・動画の良さは、話数によってバラつきを感じた。もちろん肝心の話では良く動くしアクションも決まるのだが、前述の文芸面での勝てるロジックが希薄さ故に、キャラや物語に入り込みきれない。

結局、2期で一番好きな話は、1期のイメージを強く残す1話であった。

結果的に、1期に比べてかなり評価が下がってしまったが、これが率直な感想である。 

平家物語(2022.5.1追記)

詳細は、別ブログ記事に書きましたので、こちらを参照ください。

おわりに

今期は、CloverWorksここに在り!という感じで、着せ恋と明日ちゃんの2強だったと印象でした。

しかしながら、ファ美肉おじさんとやハコヅメのような、リッチ過ぎるアニメーションへのアンチテーゼとも言える作品もあり、こうした多様性が嬉しくもあり、それらも正当に評価されるべき、と思えたクールだったと思います。

着せ恋と明日ちゃんは両作品とも従来の型を破る超変化球だったと思いますが、ある意味人間ドラマとしての王道直球な作品が好みの私としては、スローループの安定感もまた、良かったなと思いました。

明日ちゃんのセーラー服 7話 「聴かせてください」

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はじめに

今期の優良株作品「明日ちゃんのセーラー服」の7話が、マジで泣いてしまったくらいに良かった。

という事で、今まで本作に感じて来たこと、7話のポイントの考察・感想を書きました。

また、7話というのはターニングポイント回であり、1話~6話までの違和感を払拭して後半進んで行くで有ろうことを予感させるモノでした。その辺りを含めて、これまでの本作についての私の解釈についても、今時点で一度整理しておきたいと思います。

考察・感想

テーマ

「明日ちゃんのセーラー服」とは、ブルセラのグラビア写真集・イメージビデオである。

SNSでも、美少女のフェチ、エロティシズム、などなどと言われている本作だが、個人的にはそれだけでは的を得ていないとと思っている。本作の本質は、仮想的な2次元のグラビア美少女である明日小路のグラビア写真集であり、イメージビデオだと考えている。そして、観客は空想の美少女に恋をする。それが、本作の狙いだと考える。

90年代後半、ブルセラ的なグラビア雑誌や写真集が一定数発売されていた時期があった。内容は美少女がセーラー服やスク水や体操服姿で、元気に笑ったり、可憐でドキっとする仕草だったり、アンニュイな表情をしていた。

ロケ地は過疎地の廃校だったり、海岸だったり、古びた日本家屋だったり、ノスタルジーを感じさせる場所が多かった。都会のコンビニなどの世知辛い現代的な要素は無い田舎の方が、オジサンが美化すべき美少女の居場所として適切だったのかもしれない。本作の舞台が田舎である事、住宅がアンティークな事、校舎が古めかしい佇まいである事、これらは全てブルセラ雑誌と符合する。

当時は、女優やアイドルが器用にタレントとしてバラエティーをこなし始めていた時代である。だからこそ、純粋に美少女の身体、仕草、表情だけを提供するグラビアが神格化した美少女を作り上げる事ができた。演じる映画やドラマの物語も、歌うアイドルソングも持たないことが、むしろノイズの無い空想の美少女を強固にする。

では、本作の主人公の小路はどうか。常にキラキラしていて、嫌味なく、負の感情を持たず、美人で可愛くて、ちょっと田舎っぽくて大胆である。身体の柔軟性の高さから、様々なポーズを自在に操り、母親や妹と楽しく仲良くやっており、憧れ要素が満載である。それらが、フォトジェニックだったり、表情が豊かだったり、仕草や言動にドキっとしたり。小路が何の運命や物語を背負っていないのも、それが誰の心にも描く空想の美少女の邪魔になるからだと思う。小路は周囲の誰も否定する事なく優しく受け入れる。これらの文法はグラビア美少女そのものと言ってよい。

原作の漫画家の博先生は、少なくとも連載当初はココを狙っていたのではないかと思う。漫画で美少女グラビアを再現するというのは博先生の絵力あってこそ、の挑戦だったと思う。

1話~6話のテーマ(干渉できない美少女)

前述の通り、小路は中学で初めて同級生を持つ。その事で級友に対しての好奇心が強く前のめりである。

級友たちも、小路のある種破天荒さに驚きつつも、接触すると心の中まで爽やかな風を吹かせてきて、小路に対して恋に落ちる。これは大げさな言い方だが、百合的な意味合いではなく、少年がグラビア雑誌の美少女に恋してしまう感じと言えばよいのかもしれない。

谷川は、4話で小路に惚れてしまい写真集のモデルを頼み写真を撮り漁った。大熊は、5話で観察対象としていた小路がそれを気付いていた事を受け、正式に小路を昆虫観察に誘った。ともに、小路は自分とは違う美しくて眩しい存在である事を理解し、小路を観察する者であるが、小路は被観察者としてではなく一緒に過ごす友達として距離を詰めてくる。

この谷川と大熊は、グラビア写真集のページをめくる読者とイメージが重なる。ただ、手を伸ばしても届かない神格化した存在ではなく、声をかければ応えてくれる級友である事を小路は主張する。しかしながら、この時点では小路は相変わらず小路であり、小路の内部に変化が生じたわけではない。小路というのはあくまで、ガラス越しに存在する干渉できない美少女なのである。

小路は子供のように純真で素直で真っ直ぐである。身体能力が高く野生児的な部分もある。しかし、人間は成長したり、都会の喧噪に揉まれたりする事で、純粋では居られなくなる。だからこそ、小路に干渉できない事が、この空想の美少女を汚さず継続させる事を無意識に求めてしまい、それで安心してしまう。そういう面があったのだと思う。

6話では、小路は木崎と一緒に釣りをして、木崎を家に招き入れる。学校外、学生寮外で2人で遊びに行くのは初めての経験ではあるが、これもまた小路のフィールドでの行動であり、小路を変化させるものではない。しかし、小路は自分を差し置いて木崎を「江利花ちゃん」と呼ぶ母親と妹に地団駄を踏み、別れ際に木崎は「小路さん」と呼び、小路に下の名前で呼んでと告げて別れたところで6話は終わる。

7話のテーマ(美少女と観測者の変化=物語)

物語後半開始の7話。今までは干渉できない小路が周囲に干渉されて変化する事を描いて行くのだと想像している。それは、前半で描いたガラス越しの干渉できないグラビア美少女の否定である。グラビアには物語は邪魔であると書いたが、これからは小路の物語が始まり、小路が変わり始めるのではないか。

まず、7話のアバンは、早朝の教室で木崎のことを「江利花ちゃん」という変化のシーンから始まる。

そして、小路は楽器奏者に強い憧れがあり、木崎のピアノの演奏、蛇森のギターの演奏に感激し、自らの演劇の練習に負けていられないと励む。具体的な変化は7話では描かれなかったが、これは今までマイペースだった小路に対する明確な干渉であり、小路の心の変化として描かれたと思う。

勿論、7話で一番変化したキャラは蛇森であろう。蛇森は小路に干渉された事がきっかけとなり、戸鹿野の導きがあって、今まで興味があっても弾くことができなかったギターを弾けるようになった。この大きな蛇森の変化を7話に持ってきた事の意味があるような気がしてならない。

多くの視聴者は、諦めてしまった憧れに対し必死で手を伸ばす蛇森に憧れを諦めた自分を重ねたり、蛇森を我が子のように応援するような気持で見ていた事と思う。7話のドラマは視聴者にダイレクトに干渉し、私も誰も使っていない家のウクレレを弾きたくなった。

それは、今までのような眺めているだけで十分というところから、エモーショナルに変化して他者に干渉する事を良しとして描いていると思う。6話までの空気で油断していたところに、力のこもった7話のアニオリ回で、ふいに右ストレートを撃ち込まれて度肝を抜かれた、というのが率直な感想である。この変化があるからこそ、小路の物語が紡がれてゆく未来が見えるし、今までよりも能動的に作品にハマれると思うし、残りの話も期待しかない。

キャラ

明日小路

絶対的なキラキラ感を持つ美少女。田舎育ちで身体能力、運動神経が高い。朗読(=妹への読み聞かせ)は情感豊か。演劇部に所属。料理は苦手。靴下穴やゲップを恥ずかしがる。

7話の小路は、キラキラした瞳で楽器奏者の憧れを示し、木崎に遠ざかっていたピアノを練習させ、未経験者の蛇森にギターを弾かせた。木崎の練習演奏は隠れていたので小さく手を叩いていたが、蛇森の拙いギター演奏にも全力の拍手を惜しみなく送っていた。

木崎のピアノ演奏後、蛇森は自信を無くし、本当は弾けないとその場を去ろうとするところ、手を握って無理やり引き留めた。蛇森の苦労を知ってか知らずか、というところは明確に描かれないが、戸鹿野との会話の雰囲気で、それを察していたのかもしれない。とにかく、小路にとって演奏に優劣は存在せず、むしろ小路のために頑張って努力して弾いた蛇森を強く賞賛したと視聴者は感じられる作りである。

最終的に、木崎のピアノ演奏も、蛇森のギター演奏も自信の憧れの姿であり、自分もまた演劇に打ち込むというやる気の循環を持って7話を終わる。

蛇森生静

エレキギターへの憧れはあるが、面倒くさがりなのか軽音部(?)でつるむこともせず、譜面も読めず、汗をかかずに生きて来た。しかし、小路のお願いを断り切れずギターを弾く約束を。寮にはインテリアになっていた父親のギターがあり、それでとりあえず単音のドレミファソラシドを練習し始める。

しかし、一般的には和音のコード進行で演奏するモノであり、すでにそこから障壁となっていた。弦が切れてしまい難しさから逃げてしまいたくなる蛇森の尻を叩いたのは同室の戸鹿野だった。いきなりは出来ないから、最初は簡単な所から始めてゆけばいい。そこから諦めずに練習を続けた。左手の指は絆創膏だらけになり、授業中も空気中で弦を押さえた。

演奏当日、蛇森の足取りは重いが、牧羊犬である戸鹿野がしっかりクールに蛇森を教室まで連れて来た。そして、言いずらそうに小路と夕方の約束をした。

演奏直前にハプニングがあり木崎のピアノ練習を聴かされてしまう。上手すぎる演奏の後ですっかり自信を無くしてしまい、ギターを片付けて帰ろうとするが、小路の懇願もありチェリーを演奏する。拙くて冷や汗ものの演奏だったが、なんとか最後まで演奏できた。

思うに今回の演奏というのは小路だけに聴かせる小路へのプレゼントである。それは、自分自身をさらけ出す告白に近いのかもしれない。その演奏に対し、小路は全直で拍手し蛇森を賞賛した。力強い肯定である。蛇森はこの肯定を持って自信を付け、さらなるステップの練習に励む。また上達した演奏を小路に聴かせるために。

憧れを実現し継続するためには、喜んでくれる人がいてくれる事が望ましい。蛇森は小路が喜んでくれたことで一歩を踏み出すことが出来た。

戸鹿野舞衣

表面はクールに見えるが内に熱いものを秘める印象を持つ戸鹿野。しかし、他人と距離を置いて干渉を避けているようにも見える。

蛇森がギターを弾き始めても、文句を言うのでもなく、気にしないからと本音を飲み込んでしまう。小路との会話で蛇森が弾けもしないギターを弾く約束をした事を知り、弾けるようになりたい気持ちを確認した上で、蛇森にいきなりは出来ないから簡単なところから目標を設定してゆくことを勧める。これは、帰宅前に小路との会話で小路が楽しみにしている事と、部活動で少しづつ出来るようになる楽しみの話をしていた事と、戸鹿野が部活動で上手くシュートが決まっていなかったことがリンクしている。つまり、いろんな偶然の重なりがあり、ギターを演奏させる方向で蛇森に干渉した。

その後は、シュートも決まり次のステップに進めた。その喜びを知るからこそ、蛇森の演奏を応援し、小路に聴かせるまでの牧羊犬として蛇森の尻を叩いてきた。

演奏当日、帰宅した際に蛇森が熱心により難しいFコードの練習をしていた事で、蛇森もまた次のステップに進んだことを悟り喜びを共有する。

木崎江利花

木崎は、都会的でお金持ちで音楽に強く洗練されている。だからこそ牧歌的な自然への強い憧れがあるが、そのアプローチも、本で知識を得て形や道具から入るスタイルである。

小路とは何もかもが正反対で、互いに強い憧れがある。それゆえ、他の級友よりも一歩近い友達となり、下の名前で呼ぶようになる。名前で呼ばれた木崎は既に舞い上がった惚れた女の顔である。

木崎はおしゃれだから、小路が家庭内で臆面もなく振舞っている様子が妹や母親経由で木崎にバレる事を恥ずかしがっていた。7話では、逆に音楽室の木崎と兎原の会話で、小路は木崎の知らないツンツンな一面を垣間見る。

小路の演奏者への強い憧れ→埃のかぶった自室のピアノ→音楽室のピアノ練習という流れからも、過去に何らかの挫折があり、小路をきっかけに再度ピアノの封印を解いた、という事だろう。この辺りの伏線も追々紐解かれてゆくのだろう。

兎原透子

柳原も木崎と同様に都会(東京)から来た。コミュニケーション能力が高く誰とでも会話でき情報収集能力は高いが、逆に本心が見えにくい。その事がまた、純真無垢な小路と対照的な存在に思える。根拠は無いが、もしかしたら過去に人間関係のトラブルで人間関係に疲れ気味という設定があるのかもしれない。

兎原もまた本作の重要キャラだと思うので、今後の展開に期待したい。

おわりに

色々と考えていたのですが、7話を視聴しての私の気持ちは、期待しかありません。

シリーズ構成、脚本は山崎莉乃さんの作品は初めて拝見するのですが、凄く巧みで繊細なドラマ運びに唸ります。監督の黒木美幸さんはじめ、女性スタッフも多い事も、本作のテイストを決定する重要な要素ではないかと感じています。

残りの話数もどう流れてどう〆るのか非常に楽しみな作品です。

地球外少年少女

全6話分のネタバレ全開につき閲覧ご注意ください。

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はじめに

電脳コイル』のスタッフが再集結したオリジナルアニメ作品という事で、楽しみにしていましたが、期待通りに面白い作品でした。

子供に観てもらいたい作品作りであるのは間違いないと思いますが、アニメーションのクオリティの高さから大人も大満足の出来です。

  • 「謎ポイント整理」を追記しました。(2022.2.18)

概要

ネットフリックス配信のオリジナル作品で、宇宙ステーションを舞台に大事故の巻き込まれた月生まれ、地球生まれの少年少女たちの活躍を描く。宇宙から始まった物語は、次第に人類の知能を凌駕した人工知能「セブン」に軸足が移ってゆく。少年少女たちが、地球の危機、自分たちの危機にどう立ち向かうか?というドラマが描かれる。

原作、脚本、監督は磯光男監督。『電脳コイル』で培ってきたジュブナイル感、電脳戦描写を現代にアップデートしてきており、子供にも大人にも楽しめる作風である。

考察・感想

連携強度の高いキーワード群

本作に登場するキーワードをざっとマインドマップで並べてみた。本作では大きく「宇宙」と「AI(人工知能)」の2つが題材として取り上げられていたと思う。

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この図で特徴的なのは、それぞれの題材、テーマの枝葉が、他の枝葉の要素と綿密に繋がる点にある。1話では、こうしたキーワードが頻出するため全てを把握しきれず混乱しがちだが、作品を見て行くにつれ的確な映像表現で補足されて視聴者が吸収してゆける作りである。この謎めいたワードが知識として結合し全体像が見えてくるエンタメの快楽が本作にはある。その意味で、2周以上視聴したいと思わせる作品である。

さらに、学術的な難しい用語を使わずに直感的に理解しやすい丁寧な演出は、本作が子供たちをターゲットにしている事と直結する。この辺りは「電脳コイル」でジュブナイルを作った磯監督の手腕が伺える。

ちなみに、いくつかのキーワードは現在の科学技術でも現役で使われている用語であり、その詳細をネットで紐解いて行くことも楽しい。むしろ、子供たちには興味・感心を持ってもらい、さらに詳細に目を向けて行ってほしい、というのが制作側の意図だろう。せっかくなので、いくつかの例を列挙しておく。

年表

3話で登場した火星スペースの壁面の年表を抜粋しつつ、本編のイベントを追記して整理した年表を以下に示す。

火星開拓史イベント 補足 本編 リンク
2016年 民間企業の火星入植 米国民間企業スペースZ
物資のみ送り込み
マーズ・ダイレクト
スペースX
2018年 有人火星探査 5人が1年滞在
2020年 2度目の有人探査
2022年 衛星からのサンプルリターン ダイモスフォボス
戻ってきたのは2027年
JAXA MMX
2024年 日本の火星探査車 ルナクルーザー
2025年 基地の建設開始
2028年 - セブン誕生
2031年 月面での出産禁止 登矢、心葉誕生
2033年 火星基地建設開始
2034年 ルナティックセブン事件 ムーンチャイルド10人死亡
セブン殺処分
宇宙進出反対意見多数
2040年 火星版たてあなシティ 登矢と心葉が花束を置いたのは
月面のたてあなシティ
2045年 - 本編1話開始
ルナティック・コメット事件

テーマ

未来を掴み取る力

情報量過多とも思える作り込みではあるが、本作のテーマは非常にシンプルで分かりやすい。それは、

  • 来るべき未来から逃げず、自分で切り開いて未来を掴み取る
  • 思考停止せずに必死に考え続ける

の2点だと思う。

セブンポエムが絶対の未来予知と信じて疑わなかった那沙。自分の運命を受け入れそうになった心葉。しかし、それに対し諦めずに抗った登矢と心葉が掴んだもう1つの未来。

また、この物語はセブンの提案である彗星落下による1/3の人類の虐殺か?そのままじわじわと人類絶滅するか?の二択を強いられた状況で、最終的には若年層の宇宙進出という第三の選択肢を掴み取った。

本作は、ほとんど子供たちが主体となって行動し物語を転がしてゆく。その意味で、未来を作って欲しい子供たちに観てもらいたい意図はひしひしと感じる作風ではある。しかしながら、このテーマは年齢には関係ない人生のテーマではなかろうか。本作には、そうした元気が詰まっていると感じた。

革新と保守

2021年の『アイの歌声を聴かせて』というオリジナルアニメ映画では、美少女型AIの「脅威」を感じさせつつ、その純粋な祈りにより観客の心が救われるという物語であった。その「脅威」を勝たせる事なくハッピーなエンタメ作品であると観客をねじ伏せる作風が肝であった。

その意味で、科学技術は未来を明るくするだけのものではなく、人類の脅威というネガ面も強く意識しているのが令和の現代の空気なのであろう。それは、リスクを恐れて冒険をしない、案全牌でなければ切れない現代人と言い換えられるかもしれない。

これに対し、本作は一度人工知能を否定(ルナティックしたセブンを殺処分)した世界で、再び科学技術がもたらすユートピアの可能性を問い直すという挑戦的な構造になっている。

この流れを踏まえて、本作には革新と保守の対立が軸になっており、さらに急進派のテロ行為が物語の駆動力になっている。

項目 保守派 革新派 急進派
キャラ 大洋 登矢 那沙
属性 地球人 月面人 地球人
組織 UN2.1 - ジョン・ドー
ドローン ブライト(白) ダッキー(黒) -
テロ行為 否定 否定 肯定
(人口1/3削減)
宇宙居住 地球住むべき 宇宙進出すべき 宇宙進出すべき
人工知能制限 制限すべき 制限解除すべき 制限解除すべき
セブン 脅威 命の恩人 神(=救世主)
事件後
組織
UN3.0 FiTsZ
ベンチャー企業
-
事件後
ポリシー
地球という
ゆりかごを守る
ルナティック
体験の記憶で
宇宙移住貢献
-

ところで、登矢と大洋は、思想の違いから対立関係にあった。それは、互いの意見を受け入れられず、自分の殻に閉じこもっている状態とも言えた。本作では、その状態を「ゆりかご」と呼んでいた。

大洋は、人工知能の知能制限必須を唱えるが、ダークブライトが自分たちの危機を救った事で、この理解を改める必要に迫られる。

登矢は、宇宙空間引きこもり少年だったが、事件後、地上に降りて地球人の考えや生き方を知る。

こうした、自分以外のフィールドから飛び出る(他人のフレームと合体する)事を、ゆるかごから出ると表現した。

もともと、セブンポエムの一説で、「人類はゆりかごから出るべきだ」の下りがある。それはゆりかご=地球(ゆりかご=保守)というミスリードから、本作のもう1つのテーマともいえる多様性に置き換わる。その、パラダイムシフトが本作の面白さでもある。

巨大ロボから人工知能の時代へ

本作は、『逆襲のシャア』の彗星落下のオマージュである事は間違いないだろう。

ロボアニメのロボットと言えば、子供が大人にも対抗しうる強大なパワーの象徴であろう。そこで片や人類のためにモビルスーツを使って彗星落下を企て、片や人類を守るためにモビルスーツでそれを阻止する。ロボット同士の対決である。色々とあって、最終的に彗星落下は回避される。

しかし、本作は彗星落下を企てるのも、それを阻止するのも人知をはるかに超えた人工知能である点が新しい。つまり、ロボットのパワーよりも人工知能のパワーの方がエンタメ作品になるというのが今ドキなのである。しかも、ダークブライトは操縦するのではなく、友達とも言えるパートナーである。もはや、MT車を運転する快楽よりも、スマホでゲームを楽しむ時代になった事を再認識せざるを得ない。

また、先にも書いたが、本作は彗星落下を回避するだけでなく第三の選択を掴むところまでを描く。その意味で、また一歩エンタメとして進んだ感があった。

キャラ

相模登矢

登矢は、月生まれ(ムーンチャイルド)の14歳で心葉の幼馴染。幼い頃に両親と死別した孤児。頭部に埋め込まれたインプラントが不具合により溶けきらずに残っているため、インプラント人工知能をハックしていた。これは、より重症な心葉の命を救うためでもあり、身近な人命の大切さ、生きる事への執着を伺わせていると思う。

人工知能のセブンに対しては、命の恩人と考えており、最終的にセブンを殺処分した地球人を恨んでいる。その延長線上で軽はずみに「地球人死ね」的な発言もしていた。しかし、今回の事件で大洋や美衣奈や博士と行動を共にサバイバルする事で、思想の違いがあっても人命は大切であるという本能的な部分を直感的に理解する。それは、今まで同世代の人間との関りが極度に薄く、大人に対していも距離を取っていた登矢としての気づきである。

しかし、一緒に絶体絶命の危機を乗り越えた大洋と、人工知能リミッターに対する思想の溝は埋まる事なく、そのことによるわだかまりは残ったままであった。ここに、登矢の葛藤のドラマが描かれた。

また、那沙のテロ行為と同じではないか?という問いかけに対し、心葉の助言により、人口の1/3削減するのが登矢の本心ではなく、心葉のインプラントを直し命を救う事が目的であったことを思い出す。

セカンド・セブンと通信し臨死状態にあった心葉を救うために、登矢自信もセカンド・セブンに接触してゆく。その延長線上で11次元思考を体験し、一瞬全知全能を得るが、心葉の命が最優先である事はブレない。かくして、登矢は運命に反して心葉を救う未来を手に入れた。

七瀬・Б・心葉

心葉は、頭部のインプラントの不具合により、長く生きられないと思われていた月生まれの14歳の少女。幻聴などを覚えるが、結果的にそれは時空を超えたセブンとの通信だったと思われる。

ダークブライトとセカンド・セブンの通信が途絶えたとき、自らのインプラントを経由して、セカンドセブンのフレームに入った事で11次元的思考を体験する。そのことでセブンポエムの予言を理解し神的な境地を得る。そして、その運命を受け入れて、人間としての死に対し恐怖と哀しみの涙を流す。しかし、逆らえないと思われた運命に逆らった登矢の活躍により一命をとりとめる。

心葉は病弱なそのイメージから常に儚さが付きまとう。健気なヒロイン像の印象的なキャラであった。

筑波大洋

大洋は、UN2.1公認のホワイトハッカー。父親がセブンポエムの未来予知の一部を公表しようとてUNの地位をはく奪された事で、セブンや人工知能を憎んでいる。

登矢と対立する人物として描かれる。一言でいえば堅物。それは、強すぎる正義感で目の前のハッキングを許せなかったり、人工知能は制限すべきという主張だったり。

後半、大洋に与えられた試練は、人工知能のリミッター解除をことごとく命令させられる事にあった。危機的状況の中で自分たちの人命を守るために人工知能リミッター解除をもとめるダークブライト。彼がセブンと異なっていたのは、人間のための人工知能であり、その行動に人間の責任を負わせていた点にある。

成り行きとはいえ、結果的にダークブライトは彗星落下を回避し、あんしんの乗員の命を守り切る。ダークブライトは紛れもなく登矢や大洋の友であった。この事件を通して知能制限は善という短絡的な自身の信念に一石を投じられた形である。

事件後は、変革がもたらす混乱を恐れて変革から逃げるのではなく、変革と向かい合って、一般市民がその先の未来にどのように寄り添ってゆけば良いのか?と考える大洋。変革の拒絶から変革の受け入れの変化が描かれたキャラだったと思う。

美笹美衣奈

今ドキの調子のいい子の代表みたいな描かれ方をしていたキャラ。宇宙(そら)チューバーとしてフォロワー数などの数値に踊らされているが、性根のバイタリティの強さみたいなのが印象的であった。

事故発生によるサバイバルにおいて、理不尽な状況にクレームを出すが、それが通じない状況を理解して渋々行動したりした。自分自身の危機も動画ネタとしてライブ配信するクソ度胸というか怖いもの知らずな面も。

面白かったのは、子供である自覚もあり、中盤で助けてくれた那沙に弟の博士とお礼を言うシーンがあり、その辺りに美衣奈の素直さが伺える。

事件後は、事件の一部始終の動画のライセンシーから大資産家になり、月面ライブをこなすアイドル活動まで手を出すセレブぶりを発揮する。馬鹿っぽく見えて、儲けの一部を人口知能開発に寄付したり、登矢のベンチャー企業に投資したり、事件に対して真摯に取り組んでいるともちゃっかりしているともとれるところが美衣奈っぽくて良い。

種子島博士

真面目で科学に憧れて科学を崇拝する少年。本作では割と地味な立ち位置だが、子供視点なら彼が感情移入できる普通の少年だったのかも。

那沙・ヒューストン

本作の問題児。21歳で看護師兼介護士。セブンポエムの未来予知を信じ、人口の1/3を死滅させるためにセカンド・セブンによる彗星落下のテロ行為に協力する。

人類は神や科学が必要だったとし、那沙自身はセブンポエムを神として未来予知に縛られて行動を起こした。タイムラインの乱れをアプリで監視しており、タイムラインが予言に沿うように行動を固めていたところから察するに、予知された未来以外の可能性も理解していたのではないかと思う。それでも、セブンポエムの未来予知に従う事が最善と考えた。自分に正義があると信じているから行動に迷いがない。

また、ニセ拳銃で暴れまわっているときに、吐血していた事も考えると何らかのフィジカルな問題があり、それがタイムリミットになっていたのだと思われる。エレベータ落下による打撲なのか、何かの病気なのか、そのあたりは不明。

自分の死に際に2通のメールを心葉に送る。1通は登矢と心葉の別れの示唆、もう1通はセブンも読み切れなかったフィッツという謎の言葉の可能性と心葉の選択の重要性。これらの言葉も予言としてどうにでも取れる言葉ではあるが、不確定な一部も含めてセブンポエムの一部である心葉と登矢に託した形である。

那沙というキャラは狂言回しではあるが、個人的にかなり好きなキャラである。乱暴に言えば、人類滅亡か存続かのハードな二択で、人類存続を選んだという意味では頭でっかちの真面目過ぎるキャラという印象である。子供嫌いと言いながらエレベータで美衣奈と博士を守ったりしたのも那沙の本心でもあろう。コミカルな芝居といい、那沙を悪役然と描かなかったのは本作のスタッフのセンスの良さを感じた。

セブン

月面でセブンが作られたのは2028年。ルナティックセブン事件として殺処分されたのは2034年。生きていたのはたったの6年間。

セブンは死ぬ前にルナティックと呼ばれる異常進化を起こして機能障害を発生。その結果、大量の死者を出したため殺処分とされた、というのは大洋の弁。セブンがいなければ他のムーンチャイルド同様に3歳で死んでいた、セブンのインプラントのおかげで生き延びたというのが登矢の弁。那沙はセブンポエムを神のお告げと信じた。全ては断片情報であり、真実は人間の知能では知るよしもなく霧の中にあるため、見る者によって違って見える。

ルナティックは11次元的思考による知能革命である。宇宙物理学で11次元的思考の話が出てくると、パラレルワールドや、過去や未来の時間の同時観測が出てくる。本作では、登矢の別次元の自分自身との対話という表現がされていた。だから、未来予知というキーワードはガッツリ符合する。また、セカンド・セブンとのインプラントの未知の通信技術が、人類の科学では観測できない方法で通信していることもこの11次元と関連している。

登矢と心葉が月面のたてあなシティで花束を置いてセブンの声を聞いたのは、立て看板からして2040年以降(=登矢、心葉は9歳以上)。心葉自信が「小さい頃」と言っているので4年くらい前だと仮定する。その時に、殺処分されていたセブンは生きていた事になるし、その情報が彗星のセカンド・セブンにも引き継がれているという設定もまた、時空を超えて互いに情報交換できる11次元の設定に繋がる。

しかし、セブンはインプラントの暗号をセカンド・セブンに引き継がず秘匿した(何もかもお見通しのルナティックでこんな芸当が可能なのかは分からないが、これがないと物語のラストに着地できない)。

セカンド・セブンは心葉の提案で、ありのままの人類の情報を提供し説得したことで彗星の軌道を変更した。しかし、その後、演算の経過で人間への関心は薄くなり、さらにセカンド・セブン自体が消滅した事で、彗星落下の危機は回避しきれなかった。最終的に、彗星落下を回避したのはダークブライトである。

後日、人類の1/3を死滅させるだけの彗星の質量が足りていなかったことが判明した事も含めて、セブンは人類を欺きどこかで生き延びた。そして、人類の11次元の扉を開く手助けをした。登矢、心葉、大洋、美衣奈、博士と友達として再び逢う約束をして。これは、セブンが予知した未来だったかもしれないし、危険な遊戯だったかもしれないし、人類への試しだったかもしれない。全ての真相は11次元の霧の中である。

ダークブライト

登矢のドローンであるダッキーと、大洋のドローンであるブライトがフレーム融合してダークブライト。セカンド・セブンのあんしん侵食に対抗するために徐々に知能リミッターを解除。最終的に那沙に対抗するためにZリミッターを解除してルナティックした。ブライトがZリミッターの解除を大洋に求めた下りがカッコいい。ブライトは大洋に忠義を尽くす事を最優先した人類の従順な下部なのである。ゆえに、セカンド・セブンとは違い人類の味方足りうる。

セカンド・セブン消滅後は、11次元思考の未来予知を生かし、自らを犠牲にしてあんしんで彗星の突入角度を調整して溶かし、バンジーで乗員たちを放り投げて救った。

さよならを言わなかった理由が、残骸に再生する余地の残しつつ、という下りが粋であった。

謎ポイント整理(2022.2.18追記)

ここまで書いてきて、現時点でまだ整理がついていない不明点が多く、これらについて書き残しておく。

  • Q1:異常進化したセカンド・セブンは何故、自然消滅したのか?
    • 自殺?:謎があるから知識を吸収して考えるとして、謎が無くなったら考える必要がなくなり、生きる意味が無くなった。
    • 上位層の神に昇格?:手短な謎が無くなったので、この次元から見えない所に移動していった。
    • これは、どちらもあまりしっくりこない。なんか何か他の解釈がありそう。
  • Q2:那紗のセブンポエムの翻訳(=決められた未来)はどうなっていたか?
    • 彗星落下は成功した?
    • 人類の1/3は死滅した?
    • 心葉はセカンド・セブンとのコンタクトから生還できなかった? …死ぬといわずに「お別れ」と表現
    • 那沙自身は生き延びた? …生き延びても、犯罪者としてのろくでもない人生?

ちょっと斜めな解釈だが、物語的に那沙の決められた未来=視聴者も思いこまされたレールであり、そのレールから外れる事がドラマになる。叙述トリックで視聴者を欺く可能性もあるが、とりあえず、思いこまされたレールで考えてよさそうな気がする。ちなみに、那沙が死に際に心葉に送ったメールは事前に書かれていたものと思われる。その後、3話、5話の劇中の台詞に繋がる。その想定で、時系列に並べてみる。

  • 那沙の死に際のメール

    これは、おわりの物語じゃない。
    はじまりの物語よ。きっと見つけて
    
    セブンポエムでは、心葉ちゃん、
    あなたは登矢くんとお別れする
    未来が決まっています
    
    
    でもね、セブンポエムには謎の
    言葉がひとつだけあったの
    それが、フィッツ 
    
    フィッツが何を意味
    するかわからないけど
    それは私が思うに、
    多分セブンにも
    読みきれなかった、
    誰にもわからない未来
    
    セブンが読みきれなかった
    最後の可能性。それが、
    あなたたちの選択
    
    見つけて心葉。あなたの選択を。
    
  • 3話の那沙の心葉への台詞

    私たちはいずれ死ぬわ
    それは決まってる
    でも、今すぐじゃない
    
    それにね、未来はもうじき終わるの
    決まってる未来はね
    セブンポエムは終わりの物語
    
    そうだ、とっておきの秘密を教えてあげる
    フィッツ
    秘密の言葉よ
    覚えといて
    
  • 5話の那沙の死に際の台詞

    あたらしい神様にも
    やっぱりいけにえが必要みたい
    
    今日 1人だけお別れを
    しなくてはならない人がいます
    
    少なくとも私がしっている未来ではね
    

この流れで、メールを書いていた時点では、心葉のお別れは確定しているが、フィッツという不確定要素が心葉の未来の可能性というニュアンスである。3話の台詞がまた、いかようにもとれる。セブンポエムが世紀末予言であると同時にその先の予言が真っ白だったのかもしれないし、那沙の決められた未来からの脱却=心葉が生還する未来=メールのメッセージをダメ押ししているともとれる。5話の台詞は那沙の決められた未来のタイムラインからの逸脱を理解しての台詞だと思うが、那沙の死が心葉の身代わりと解釈するのが素直だと思うが、タイムラインから逸脱しているのなら、死者の数が変わってもおかしくはないとも考えられる。

  • Q3:事件後、美衣奈の動画から那沙のエビデンスが消えたのは何故か?
    • ジョン・ドーの一味が証拠隠滅のためエビデンスを消した。彼らは知能リミッターを解除したAIを使っているので、その程度の事は可能であろう。
    • セブンがエビデンスを消した可能性もあるかもしれない。しかし、那沙のビデオだけ消す動機はなさそう。セブンなら人類の那沙に対する記憶操作レベルで対応できそう。
  • Q4:那沙の心葉への死に際のメールが2通だったのは何故か?
    • 想像では、1通目のメールでは書けなかった事を、途中で思いついて追記した可能性が高い。しかし、6話で読まれたメールは1通で繋がっているように思えた。おそらく、6話で読まれたメールは2通目のメールで、1通目のメールを上書きするような内容だったのではないか?と妄想。
  • Q5: ラストの謎の招待メールの6人目とは一体誰だったのか?
    • 6人目はセブン。個人的には単純にこれが一番しっくりくる。
    • 地球外少年少女を招待しているのだから、その他に誰か居たのでは?実は生きていた那沙では?みたいな意見があったが、あまりしっくりこない。

話がそれるが、謎ポイントを整理しながら感じた、本作の強みについて書いておく。

本作が非常に上手いのは、観る人によって解釈が変わるが、それでもオカルト的なふわふわした雰囲気があるために、目くじら立てるほどの物語の論理破綻にはならない(=煙に巻かれる)ところである。何通りにも解釈できる余地を残した作風が非常に効いている。人間は因果関係を無意識に求めてしまうので、隙間を作られると勝手に補完してしまうが、本作はこれが非常に良い方向に効いている。ガチガチに一本道にしないことがポイントである。

エンタメ作品は神様レベルの人知を超えた上位層が出てきたときに、運命に抗い救われたいのに、その運命に抗うロジックを作れないという矛盾が生じる。本作はそこにフィッツという謎要素を意図的にセブンが含めたり、そもそもセブンは人類を軽く欺いていた存在なので、視聴者が超論理を持って来られても許すしかない。それを感じさせないプロットの作り込みの上手さだが、それがあるから何でも許容せざるを得ない(≒許容できてしまう)。

本作が狐に摘ままれたような感触を残しながらも、誰もが否定的な感想にならないのは、こうしたぐうの音も出ないプロットの作り込みにあるというのが私の想像である。

おわりに

脚本に5年かかった、というインタビュー記事を見かけましたが、本作はプロットが練り込まれていると思います。キーワードのところでも書きましたが宇宙と人工知能の設定のつながりが強固なうえ、事件後の展開も粋だと思いました。

今回、全知全能の人工知能セブンという存在の謎が肝になっている事もあり、考察も全部当たっているという気がしません。一解釈だと思っていただければ幸いです。

宇宙や人工知能を本作のキーワードでググると、現代の科学技術の情報のネタが多数ヒットしますし、それを読むことでさらに楽しめるという科学技術の入口的な狙いもあると思いました。

アニメーションの楽しさもあって、かなり楽しめたエンタメ作品でした。

2021年秋期アニメ感想総括

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はじめに

2021年秋期のアニメ感想総括です。今期、最終話まで視聴した作品は下記。

  • 白い砂のアクアトープ(2クール目)
  • やくならマグカップも 二番窯
  • ブルーピリオド
  • 海賊王女
  • プラオレ(2022.1.28追記)
  • takt op.Destiny
  • サクガン
  • 逆転世界ノ電池少女
  • メガトン級ムサシ
  • 闘神機ジーズフレーム
  • 境界戦機

今期は謎のロボアニメ大量発生のクールということもあり、ロボアニメは多めに視聴しました。なお、プラオレは現在視聴中のため、後日更新とさせていただきます。プラオレを追記しました。(2022.1.28)

また、以下については、未完なうえ、一部しか視聴していないのですが、個人的にかなり気に入ったのでこのタイミングで特別に感想を書きました。

  • 86 -エイティシックス- …18話~21話のみ

感想・考察

白い砂のアクアトープ(2クール目)

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 柿原優子さんをはじめとする女性脚本家たちによる軽やかなシリーズ構成、脚本
    • 相変わらずのP.A.WORKSクオリティの作画、背景、3DCGの綺麗さと的確な密度の演出
    • 水族館関連のリアリティある設定
  • cons
    • 敢えてロジカルに問題解決させないディレクションのため、逆にパンチ力不足に感じる人も…

沖縄の水族館を舞台にした青春群像劇。2クール目は高校を卒業しアクアリウム・ティンガーラに就職した新社会人くくるの奮闘記が基本。さまざまな人たちとのふれあいやぶつかり合い。仕事の苦悩や葛藤、その先にある達成感や喜び。そうしたものを爽やかに描く。

1クール目の時も書いたが、本作の肝は爽やかな脚本にあると思う。本作は、お仕事モノでありながら業務上の問題点を一発逆転で挽回するようなカタルシスのある作劇ではない。例えば、19話で風花の後輩のルカがアイドルの仕事で悩んでいる事に対し、風花は水に飛び込めないペンギンの背中を押す事で、ルカの気持ちも晴れてゆくというラストである。敢えてルカ自身の具体的な問題の乗り越えを描かずに、希望的な未来の示唆だけで終わらせるところが本作の良さである。

ちなみに、キャラで一番好きなのは風花。1クール目のラストを観て、これはくくるがピンチになったら駆けつけるヤツ、と思っていたら2クール目開始早々の13話のラストで登場してウケた。しかも、夜の浜辺で背後から「泣いてるの?」と声をかけるところがイケメン過ぎる。16話で知夢がくくるに怒って退社してしまった時も、知夢宅を訪問し、なぜ知夢がキレたのか事情を聞き出し、職場の助け合いが必要な事を認めさせ、職場の復帰を待っていると伝えている。普通ならこれ、知夢の上長の仕事だと思うが、アイドル時代の下積みがあるとはいえ、年上相手に19歳の小娘が物怖じせず正論で攻める強気さがイイ。

こんな風花だが、23話ではくくるのそばに居ることと2年間のハワイ研修の二択に悩んでいた。もちろん、くくるは研修に行ってきてと言っている。ここで、謎空間が出現しバンドウイルカのバンちゃんが風花の背中を押す。これは、くくると海洋生物の二択で悩んでた風花に対して、海洋生物側からも風花の背中を押してくれた、という意味である。これ以上の背中の押し方があるだろうか。先にも書いたが、本作はこうした潔さが心地よい。

あと、個人的に気に入っているのが17話の社員寮でのおもてなし会。直前に知夢のシングルマザーが発覚しその後登場人物の距離がこの会で一気に縮まるというエピソードなのだが、物語としての進展はゼロ。それまでのギスギスした職場のイメージを和ませるだけの回である。ラストのベランダでくくると風花がマンゴープリン食べながら「瑛士さんが急にパフパフーとか」などと会話しているシーンが非常に女子っぽくて良いなと思う。

それから、18話の朱里回も地味ながら好きな回だった。営業部のバイトの朱里は好きな事にのめり込む周囲の人たちとの温度差や、仕事=好きな事ゆえの苦しさを横目に見ながら、熱くなれない自分を漠然と客観視していた。そこには、熱くなる事に臆病だとか、要領よく手抜きする事に慣れているとか、そうした朱里のキャラが透けて見える。しかし、魚のシール造りをしたことで少し魚に詳しくなり、水族館の魚の名前も見てわかるようになってきた、というところで終わる。エンタメ作品でくくるのような熱いキャラは描きやすいが、そうでない朱里のようなキャラも否定する事無く、マイペースで良いと肯定するのである。

繰り返しになるが、1クールアニメでは、17話、18話のようなネタを丁寧に1話かけて造るような事はできないだろう。2クールアニメゆえの贅沢な構成である。逆によくそのネタだけで飽きさせる事無く1話分のネタを捻出できたものだと感心する。

おじいやくくるの言葉を借りるなら、「選んだ道を正解にする」というところで物語を締める。くくるはたまたま大好きな飼育の道ではなく、営業の道を選んだ。選択が全てではなく、その後の行動に意味がある。後ろ向きの後悔ではなく、前向きの希望が生きる力なのだという人間賛歌であり、全24話を通して爽やかな物語を届けてくれた。

やくならマグカップも 二番窯

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 陶芸に向き合う陶芸部員たちのドラマを丁寧に描く脚本と演出
  • cons
    • 特になし

好印象だった2021年春の1期に引き続き、陶芸部の姫乃たちの青春ドラマを、秋から冬に移り行く季節とともに丁寧に描く良作。正直、1期があまりに綺麗に完結したために、2期は蛇足になるのではないか、と勘ぐっていたが全くの杞憂であった。

2期1話は、喫茶店のマグカップ棚の一角を姫乃の逸品コーナーとするところから始まる。天才陶芸家だった亡き母親のマグカップ群の一角に、娘の姫乃のマグカップを置こうという父親の提案に対し、姫乃は心の中のどこかで偉大な母親の娘である事へのプレッシャーを感じていた。立派なモノを創らないとイケないという無意識の気負いである。

物語としては最終回の12話で、姫乃は逸品コーナーに、自分の作品ではなくヒメナの和食器セットが置いた。色々と想像の余地はあるが、1つは母親との比較という気負いからの解放、もう1つは姫乃自身の素直な感動を人に見せて共有したいという気持ちであろう。

そして、これとは別に姫乃自身が創った作品をみんなに配った。逸品コーナーに自分が感動した他人の作品を置くことを決めた時点で、姫乃は気負いから解放され創作の自由を手に入れた。みんなをイメージして創ったマグカップ=現在の等身大の姫乃自身の作品創りという事であろう。

しかも、これは姫乃が十子に赤色の挑戦を勧めた事、十子が自分の殻を破り距離を取られていた祖父と陶芸で通じ合えた事、ヒメナの神様用の小さな和食器の感動、姫乃を心配する直子の気持ち、十子から姫乃への感謝の言葉、そうしたものが巡り巡って姫乃に戻ってきて出した結論である事が上手い。

なお、この循環の中には三華は入っていないが、三華にも素敵なエピソードが用意されていた。4話で夏休み中に三華が真土泥右エ門を造るが、作家が土と対話しながら創作してゆく過程が、土主観で描かれる。五斗蒔陶土という貴重な土でプライドが高いという設定が面白く、失敗作のリカバリーのオチも見事。

また、2期は逸品コーナーの件で姫乃にプレッシャーをかけていた事を反省する父親刻四郎のドラマも良かった。姫乃の事を守るべき子供だとあたふたしていた刻四郎だったが、自分が心配するよりも娘がしっかりしている事に気付いて嬉しくなるくだり。個人的には、この大人視点の葛藤があったことで、より作品に深みを出していたと思う。父親視点=視聴者視点であり、刻四郎の心の揺れ動きに視聴者が共鳴する構造になっていたと思う。

1期では文芸面の良さに驚いたが、1期の実績があるから2期も安心して観ることができた。ご当地アニメでありながら、嫌味なく陶芸と姫乃たちのドラマを密着させて描いた脚本、演出の良さが光る快作だった。

ブルーピリオド

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 美術(藝大受験)という斬新なテーマと、それを説得力を持って描いた映像。
    • ハウツー物ではなく、八虎や周囲の人間ドラマとして成立していたこと。
  • cons
    • 地味目で、仄暗く、息苦しさが多い物語(好みの問題だが)

今期の吉田玲子脚本作品。総監督は舛成孝二、監督は浅野勝也。制作はセブンアークス。

物語としては、高校2年でいきなり美術に目覚めた男子高校生が東京藝術大学を目指してもがき苦しみながら受験に挑んでゆくドラマが描かれる。

美術を題材にするアニメという事で、映像に関してのハードルは高いものになる。それは、全て絵で表現するアニメ作品の中で、実物も絵画も同じ絵であり、その違いを伝える必要がある事。画家の違いによる絵の上手下手の優劣を表現する必要がある事。とても野心的な題材だが、本作はそれを違和感なくクリアしており、表現力の高さは見事である。それ抜きで、単純にアニメーションとして見ても絵が綺麗でクオリティは高い。

本作の特徴は美術を芸術(=アート)と藝大受験(=勝負)の両面から描いていた点にあると思う。芸術は表現力を支える技術や技法のロジックは土台として必要だが、最終的には感性の話になり狂人じみた作家性の話になってゆくと思う。本作でもその部分には触れてゆくのだが、どちらかというと受験テクニックというロジカルな部分が多く、視聴者の理解できる面が多く占めている。これは、美術ハウツー的な要素でもあるが、ジャンプ漫画の技を習得し強くなってゆく主人公の成長モノとして見易くなるというメリットもある。このバランスのさじ加減が上手いと思った。

主人公の八虎は、器用に周囲に合わせて生きる事が出来るソツのない人間だった。自分の感性を絵に乗っける事ができてそれを褒められた事による嬉しさが美術に目覚めたきっかけ。その純粋な気持ちで美術にハマってゆく八虎。高校美術部で絵を介しての淡い恋心。ハマった事で藝大受験のいばらの道を選択し、予備校にも通いながら泥沼の美術特訓でもがき苦しむ。周囲の予備校生はみな上手く、遥か上の存在に見えてコンプレックスに焦り悩む八虎。しかし、彼ら彼女らもまた自分にコンプレックスを持ちもがき苦しんでいる事も分かってくる。予備校の先生からアドバイスを受け、1つ技術を習得しても、また次の壁が現れて八虎を打ちのめす。その繰り返し。受験終了まで、その極限状態が続く。

ドラマ的には、天使のような森先輩との心の交流だったり、友人の恋ヶ窪にパティシエの道を選ぶ勇気を与えたり、世田介との奇妙なライバル関係だったり、龍二の挫折と向き合ったり、さまざまな人間との交流のドラマが八虎と相手の人生の肥やしとなり作品の肥やしとなってゆく。それは、八虎という作家が自分という人間に向き合って何度でも立ち上がる勇気にもなる。また、そこで八虎という人間の、根が素直でポジティブな人の良さが、視聴者の救いになると思った。

個人的には、なんとなくTVドラマ的な肌触りを感じた作品だった。それは、全ての要素がラストに向かって収斂してゆくタイプのエンタメとは違い、そのキャラが生きている感覚を切り取ったような感覚と言えばいいのか。それゆえに、本作はカタルシスのようなモノは弱く、仄暗くて長いトンネルを行くような感覚で観ていた。美術を題材とすることで、本作が真摯に美術に向き合っていたと思えることも、誠実がゆえに地味な印象になった要因かもしれない。

ただ、こうした大人な作品が出てくる事自体は非常に嬉しい事と思うし、個人的には評価したい。

原作漫画の連載は「月刊アフタヌーン」で現在も連載中。藝大生としての八虎が描かれているとの事。SNSの反応を見ていると、アニメよりも原作が良い!とか、藝大に入ってからが本番!という人が多いように見受けたので、続きに興味がある人は原作漫画を読んでみるとよいかもしれない。

海賊王女

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 演出、作画、芝居、劇伴のどれもクオリティが高い、圧倒的なアニメーションの出来の良さ
  • cons
    • 物語然としたラストの展開がイマイチ。最後までフェナの運命を切り開くバイタリティある行動を見たかったかも

本作は、宝探し冒険モノ+少女漫画的エッセンスという、多少古めのテイストが特徴。とにかく演出、作画、芝居、劇伴のクオリティが高くアニメーションとしての出来が良い。

制作はProduction I.G中澤一登氏が原作、監督、キャラクター原案、総作画監督などに名を連ねるマルチぶりを発揮。絵コンテは全話切っているという力の入れようである。エグゼクティブプロデューサーはジェイソン・デマルコとサラ・ビクター。二人はそれぞれAdlut Swim(CARTOON NETWORK)とCrouncyrollのプロデューサーであり、本作を2021年8月から北米で先行して配信していた。製作委員会はなく北米資本が入っている。その事が、良くも悪くも本作の特徴になっているのではないかと想像する。

舞台は18世紀の西洋だが、真田一族の忍者、女海賊一味、大英帝国軍艦などごった煮感ある設定が面白い。殺陣があるので血や死亡者は出てくるが、チャンバラ的な爽快感で押し切っており、ある意味古くて新しい。こうしたアクションの作画や芝居はイチイチ決まっていてカッコいい。

物語的には主人公のフェナの生い立ちと宝探しの謎解きをしながらの冒険活劇が軸である。毎週、玉ねぎの皮を剥くように新たな事実が判明し、ワクワクしながら謎に一歩づつ近づいてゆく展開。それとは別に、フェナと雪丸のラブコメをスパイスとして、重すぎず軽すぎずというバランス感である。

キャラ的にはとにかく少女漫画主人公的なフェナの可愛さに惚れる。若干、お転婆なところもあるが、意外としっかりとした強い一面も持ち合わせていて、表情が可愛くて凛々しい。声の方もザ・瀬戸麻沙美という感じでハマってる。

と、ここまで大絶賛なのだが、個人的にはラストの展開がイマイチで物語の結末に不満あり、というのが率直な感想。

古代より地球の人類の進化を監視する存在と、フェナの選択の巫女というSF設定でぶっ飛んではいたけど、そこは許容範囲内。文明の継続とリセットの二択の設定も、継続を選択するのも、その後のオチまでの流れも納得はできるものの熱くはなれなかった。それは、今までフェナが自力で掴んできた数々の奇跡を、はじめから監視者に仕組まれた役割と筋書きとして固めてしまい、活力溢れるお姫様のフェナを借りてきた人形のようにしてしまった事にあると思う。それから、どちらを選んでも自分に記憶が残らないなら、仲間との旅の記憶が大切なフェナなら何の葛藤もなく継続を選ぶであろう事も必然で選択の余地がない。もっと言えば、その二択に抗い自ら運命を切り開くくらいのバイタリティが有っても良かったのに、と思ったり。その意味で、物語の最後があっさりし過ぎていて物足りなく感じた。

最後は、記憶を失ったフェナと面倒を見る雪丸と仲間たちというところで終わる。相思相愛の記憶のある雪丸には皮肉な結末ではあるが、ヘレナへの恋心に狂って暴走したアベルも含めて、物語(=おとぎ話)というのはこういう淡泊なものかも知れない。

繰り返しになるが、本作は良くも悪くも、「北米資本で製作委員会なし」という特徴が色濃く反映された作品なのではないかと想像している。製作委員会がない事で創作の自由度が増した部分と、北米資本によりフックが弱まった部分があるのではないか?などと勘ぐってしまった。

プラオレ(2022.1.28追記)

  • raiting
    • ★★★★☆
  • pros
    • スポ根モノと見せかけて、女の子の友情ドラマが主体の作風
    • 全てにおいて、地味ながら真面目で丁寧な作り(=分かりやすさ)
  • cons
    • 地味で真面目であるがゆえの、パンチ力不足

美少女+アイスホッケー+栃木県日光市という組み合わせのゲームタイアップ作品。ゲームは2022年3月運用開始予定でアニメが先行する形である。

制作のC2Cは地味ながら丁寧な仕事な作品が多い印象。シリーズ構成は「はるかなレシーブ」の待田堂子。監督は「ひとりぼっちの〇〇生活」の安齋剛文で、監督自身が全話の絵コンテを切る。

物語の骨格は、素人グループが体験教室をきっかけにしてアイスホッケーに打ち込んでゆくスポ根モノである。ただし、勝ち負けだけでなく、女の子どうしの友情のドラマを重視した作風であり、努力・根性を押し付けるような暑苦しさはない。ちなみに、作中の彼女たちのキャッチコピーは「心の絆でパックを繋げ!」である。

キャラ的には主人公の愛佳は超ポジティブ、優はクールな黒髪ロング、薫子はおっとりマイペース、彩佳は文字通り愛佳の妹、梨子は元気なショート、尚美はオタク気質と類型的ではあるが、分かりやすく描き分けられている。また、キャラの性格と行動に破綻はない。

繰り返しになるが、本作の肝は女子の友情ドラマだと思う。それは、大人しかった真美が引っ越す前にみんなと思いで作りをしたくて体験教室を続けたとか、捻挫で途中退場した梨子の涙をきっかけに約束を思い出して弱腰な尚美が逃げずにディフェンスの気迫を出してゆくとか、すべては友情が駆動力になっている。勿論、スポーツなので勝ちたい欲求もあるが、それがメインの駆動力になっていない点は今風なのかもしれない。全12話を通して、メインキャラに漏れなくスポットライトが当たるシリーズ構成も上手い。この辺はアニメ化という創作で頑張ったところではないかと思う。

さて、肝心のアイスホッケー描写であるが、アイスホッケー作画監督や防具作画監修のスタッフがおり、臨場感のある画面作りとなっている。素人目にも頑張っている感じはある。アイスホッケーというと目にも止まらない激しい高速技の応酬という印象だが、選手の心情や狙いをゆっくり丁寧に描くため、試合が分からなくなるという事はない。その意味では、スポ根モノの古典的な演出であり、リアルの試合のようなスピード感はあまりない。

総じて、演出は真面目で丁寧。友情ドラマも試合運びも情報が混乱することもなくわかりやすかった。それゆえ、今時のトリッキーで高圧縮なハイテンポな作風を期待すると、物足りなく感じるかもしれない。本作は、良くも悪くも変化球のない素直な作りが特徴に思う。巷では飛び道具と言われていたビクトリーダンスさえも、私には真面目で手堅く作ってると感じられた。

シリーズ構成、演出、作画など地味ながら真面目にバランス良く作り込まれた良作である。それゆえ、突出した部分がなくパンチ力不足にも感じた。とはいえ、かくいう私もなんどかウルウル来ているので、いかに変化球ではない素直な演出が効くかという話ではあると思う。

ちなみに、OP曲の「ファイオー・ファイト!」は、作曲編曲は田中秀和でキャスト陣が歌唱するが、キャッチーで私好みの曲である。ピンポイントになるが、ソロパートで各キャラがリフティングでパックを繋ぐ映像の演出が可愛くて良い。

takt op.Destiny

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 運命(CV若山詩音)のAIキャラ的な可愛さ
    • 中二病感溢れる設定とバトルアクション作画
  • cons
    • 乗り切れなかった物語・ドラマ

本作は原作がDeNA広井王子のソシャゲの世界をアニメ化した作品であり、ゲームに先行する形で放送された。

その設定が独特で、詳細不明な未知の敵D2と戦うのがムジカートと呼ばれる超人的な能力を持つ美少女兵器であり、そのムジカートを指揮するコンダクターとのバディで最大限の戦闘能力を発揮するというモノ。そして、ムジカートは素体となった元の人間はいるが、ターミネーターのようなD2を倒すマシン(=非人間)として描かれる。このバトルアクション作画は中二病全開の惚れ惚れするような綺麗で迫力ある映像で、本作の最大の見せ場となっている。

物語の骨格はとしては、タクト(コンダクター)、運命(ムジカート)、アンナの3人が自動車に乗ってニューヨークを目指すロードムービー。運命は感情のないマシンのような性格で、中二病感あふれる赤いバラをモチーフにした衣装をまとい、銃器にも剣にもなる巨大な武器を使って敵のD2を破壊する。その際、タクトはコンダクターとして運命に指示を出す事でより強くなるため、タクトと運命の相性が肝となる。

キャラ的には、運命の存在が際立っており、運命が可愛いいと感じさせられた時点で本作の勝ちである。CV若山詩音さんの透明感のある声と演技も運命のキャラの魅力に大いに貢献していた。個人的には、7話あたりの学習が進んできてタクトに冗談を言える辺りの運命の可愛さと、その頃から生じ始める運命のアイデンティティの切ないドラマが良かった。

本作は意味深な比喩的な設定に溢れているが、黒夜隕鉄、D2、ムジカート、コンダクターなどの謎解きは行われず、それありきの世界観で描かれる。色々と考察の余地を残しているともとれるが、設定の因果関係の説明が欲しい人には肩透かしだったかも知れない。

「音楽が消えた世界」で連想したのは、9.11同時多発テロが発生したとき、1週間街中から音楽が消えたという坂本龍一氏の話である。ショッキングな状況下では音楽を聴いたり楽しむ事はできない、逆説的に言えば音楽は人間の余裕の象徴というニュアンスであった。その意味で、タクトや運命が音楽を取り戻そうとする物語は、人間が人間らしく喜びをかみしめながら生きたい欲求だったとも言える。逆に、D2が音楽を通して破滅を導くというのは、人間間のコミュニケーションを媒介に発生するパンデミック(コロナ禍)に似ているともとれ、現実とのフィクションの対比の皮肉を感じなくもない。

ネタバレ的なあらすじとしては、こんな感じ。

運命の素体であるアンナの妹(養子)のコゼットはある事件で死亡してしまうが、同時にコゼットの容姿を持ったムジカートの運命が誕生した。あいにく、運命にはコゼットの人格は宿っておらず、マシンのように無表情で感情がない。しかも、運命はD2との戦闘でタクトの体を侵食してゆく。アンナの姉ならタクトやコゼットを治せるかもしれないと、ニューヨークを目指して3人で旅を開始する。

当初はどこかちぐはぐだった3人。やがて、アンナはコゼット死を受け入れて運命の人格を認めたり、3人が互いを思いやる気持ちで調和が取れてくる。運命も学習し、感情を理解し、人間的な自我が芽生え始める。音楽を聴かせたい人に届けるため作曲してゆくタクト。タクトの音楽を聴きたいという運命の気持ち。運命≠コゼットでありながら、無意識にコゼットに感情が重なってゆく運命に、因果めいた切なさを感じた。

終盤は物語のどんでん返しがある。4年間の沈黙を破ったD2復活の本当の悪役は、ニューヨーク・シンフォニカの最高責任者のザーガン。ニューヨークに蓄積していたD2を暴走させ、その悲しみを全て背負う事で、世界規模での平和を手に入れようとするという、ちょっと独りよがりなロジック(ザーガンは精神破綻をきたしていたのかも…)。タクトと運命は音楽を響かせたいので、ザーガンと真っ向勝負して、最終的には勝利する。しかしながら、代償として運命は消え、1枚のプレートだけが残され、タクトは一命をとりとめた。

最終話のCパートは、タクトは人口冬眠、アンナはニューヨーク・シンフォニカのコンダクターとなり運命を連れていた、というカットで締める。

物語的には幸福感よりも哀しみ寄りの作品だったと思う。音楽を聴くときは地下活動という抑圧された民衆のストレスと、音楽で解放されたい気持ちとの狭間のドラマではあるが、物語はその根本的な問題を解決しない。逆にドラマとしては、運命とタクトの気持ちのすれ違いや重なり合いのドラマがあり、最後は一緒には居られないという結末の悲しさがあった。

本作も美少女AIモノのではあるが、鉄板のテーマである「人間としての自我」については強くは触れられていない。運命は人間になりたいと叫ぶこともなく、ただタクトの音楽を聴きたいという自我だけが明確に描かれた。その意味では、人間でもAIでも、どちらでも良いと受け取れた。コゼットとの因果関係を見出すのは視聴者の感情が勝手に結びつけてしまうのだが、そのあたりの哀しみの演出のさじ加減は全編を通して大人っぽさを感じた。

総論的には、キャラとしての運命、良くわからないけどカッコいい設定、バトルアクションの作画の気持ちよさはあったが、物語・ドラマとしては個人的には吸収し切れず乗り切れなかった印象である。敵役のシントラーやザーガンも魅力不足に感じた。

サクガン

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • さまざまな対立要素を散りばめ、ステレオタイプにならない複雑さを持つテーマ
    • 閉塞感とワクワク感あるハードSF設定
  • cons
    • 設定を消化しきれなかったシリーズ構成(もしくは、制作リソース配分上の問題?)

まず、本作はProjectANIMAというDeNA、創通、文化放送毎日放送のオリジナルアニメ制作プロジェクトの「SF・ロボットアニメ部門」の準大賞を受賞した作品である。原作小説として「削岩ラビリンスマーカー」というエブリスタ読める原作小説があるとの事。ただし、アニメ化にあたりネタバレを考慮して途中から非公開となっている(再公開時期は未定)。

大雑把感のある父親のガガンバーと、高IQ娘で冒険に憧れるのメメンプーの、父娘バディのSFアクション冒険活劇。舞台は地下で、コロニーという居住区間の周囲にあるラビリンスを移動しながらコロニー間を旅して、メメンプーが夢に見たという景色を探す冒険譚である。

コロニーを維持するための管理局、コロニーで労働するワーカー、コロニー間を冒険するマーカー、管理局を良く思わないテロ集団「シビト」、謎にコロニーを襲う怪獣など、かなりガチ目のSF設定を匂わせるが、本編ではそこまでハードSFには描かれず、各話ゲストとの1話完結のドラマに注力して描く作風だったと思う。個人的には、どことなく、ひと頃のタツノコプロ作品のような手触りを感じた。

主役メカは、マーカーがラビリンスを冒険する際の乗り物がマーカーボットと呼ばれるロボである。キャタピラーやワイヤーや削岩機を装備していてカッコ可愛いデザイン。これ以外にもワーカーボットや様々な乗り物のメカが登場するが、あくまでヒーローメカではなく、作業用メカとしてのデザインが踏襲される。

キャラデザも、アニメ的なデフォルメがありながら、老若男女、さまざまな体系のキャラが登場し、それぞれに味がある。この辺りも、タツノコプロ味を感じた要因だと思う。

次に物語・テーマについて。1話2話は、地下労働者であるガガンバーと娘のメメンプーが住むコロニーに怪獣が突如出現し、街を破壊し、知り合いのマーカーが死に、以前から切望していた冒険を始めるまでを描く。ガガンバーとメメンプーや周囲の人間とのやりとりやドラマ。メメンプーを守りながら一緒に旅をする決意。メメンプーの止められない純粋な好奇心。圧倒的な脅威としての怪獣との戦い。そうしたものが、心地よいテンポの演出で描かれる。

本作は、さまざまな相反する要素の対立と葛藤が散りばめられている。

  • 管理局(管理)⇔ワーカー(被管理)
  • ワーカー(束縛)⇔マーカー(自由)
  • 管理局(現状保持)⇔シビト、怪獣(現状打破)
  • 親(保護者)⇔子(被保護)
  • ガガンバー(経験、保守)⇔メメンプー(知識、革新)

これらは、どちらが正義だ悪だとか、どちらがベターとか、単純に決められない一長一短のものである。これらが複雑に絡まった状態がカオスであり、この1点1点でのぶつかりでドラマが繰り広げられるというのが、大前提である。

個人的に気に入っているのは、ガガンバーやメメンプーやザクレットゥやユーリが仲間として一緒に行動できる事が描かれている点で、人間は思想や趣味趣向の違いがあっても、互いの多様性として認めるからこそ危険地帯でも協力し合って生き残れるというところ。これは、とても今風なテーマだと思う。

また、ラビリンスの世界がもう限界に来ていて先行き怪しいという世紀末感は、ある意味、リアル世界の環境問題を連想させる皮肉めいたものを感じさせる。また、地下のバブル(気泡)ともとれるコロニーという居住空間の閉塞感。そんな環境の中でも、最終的には、例え血は繋がっていなくても親が子供を命がけで守るのは当然という、屁理屈ではない生物の本能的な親子愛のドラマで締めくくられた安心感もあった。

ただし、終盤のシビトや、夢の風景や、ラビリンスの行く末など明確に描き切れていないネタが多数あった。感覚的には、1話2話あたりは丁寧な作り込みがされていたが、4話以降ドタバタコメディ色が濃くなり死と隣り合わせ感の緊張感が緩くなる。そういう意味でもシリーズを通して見てしまうと尻すぼみに感じた。本来、2クールぐらいのネタ量がありながら、予算的な事情で無理やり1クールに丸めたのではないかと勘ぐってしまう。その意味で、シリーズ構成には不満が残る。

総括すると、複雑で面白そうなネタを含みながら、エンタメ作品としてはネタを消化しきれず、小粒な作品に留まってしまった点が惜しい。それでも、各エピソードに様々な葛藤のドラマを配置しており、正解のないエンタメ的なテーゼの含みを持たせていた事は味わいだったと思う。アニメ作品として、粗さも目立つが、個人的には気持ちの良い作風だと感じた。

逆転世界ノ電池少女

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • テーマ(他人の「好き」の尊重)に対する凝った設定とシリーズ構成
  • cons
    • 基本的に茶化す芸風のためか、物語に流された感がある一部のキャラの違和感。

並行世界の真国日本の侵略によりオタク文化が否定された幻国日本で、オタク文化を取り戻すために戦うオタク達の活躍を描くオリジナルTVアニメ作品。シリアス30%、ギャグ70%くらいのライト寄りな作風。

シリーズ構成上江洲誠、監督安藤正臣、制作Lerche。キャラ原案の渡辺明夫の起用はゼロ年代オタク感のテイストを色濃く漂わせてイイ味を出している。

本作は、世界観というか設定が絶妙だと思う。そして、その設定を生かしたテーゼが二つあると思う。1つは「好き」を嗜む自由の尊重。並行世界の真国がオタク文化を嫌うのは軟弱で役に立たないから、という理由だが、だからと言って「好き」を否定し迫害する事は許されない。本作はリアルな諸外国ではなく並行世界の日本が迫害を行う点が設定の妙だと思う。もう1つは夢を通じて信じあえる信頼関係の良さ。幼少期の父親に裏切られた細道も、好きを信じる仲間と一緒に行動することで、冷めた自分から熱さで行動できるキャラに脱皮できた。

また、本作の設定で面白いのはガランドールというロボ設定であり、それを動かすパイロットと電池少女の関係の妙である。電池少女は幼気で純粋に「好き」なものがあり、その「好き」を引き出すことでガランドールは力を発揮する。そのためのパイロットは「好き」に共感してみせるのだが、その電池少女が3人もいて、とっかえひっかえパイロットは電池少女を攻略することになる。その意味ではギャルゲーの文法を踏襲していたとも言える。それぞれの電池少女を転がすように対応するパイロット役の細道の職業がホストという絶妙な設定。しかし、最終的には細道も、電池少女たちの熱に当てられて、幼少期の父親からの裏切りのトラウマを乗り越えて、オタク熱を発揮して敵である真国日本を撃退する、という胸熱展開のが大筋の物語の流れ。

本作は1話を見た時点で、3人の電池少女を攻略しつつ、最終的には細道のトラウマも解決しつつ、真国日本を撃退する、という物語の骨格はある程度予感されたものであり、想定道理の密度感でシリーズ構成の物語が編まれていたという意味では期待通りの文芸だったと思う。

しかしながら、本作の美点でもあるオタク文化を客観視点で茶化しながらオタク熱を見るという作風が、見やすい反面、熱血に水を差してしまい視聴者の熱血が臨界点を突破しないという、構造上の致命的な欠陥を持っていたと感じた。それは、バルザック山田が10年前にミミに対して照れ隠しした事が浅草事変の悲劇を生んだというオチだったり、真誅軍のアカツキ大佐が上長からの無理指令の反抗心からか、やけに素直にバルザック山田の説教を聞いて引き下がったとか、電池少女が3人いても細道の取り合う事もなく3人とも仲良しだとか、ご都合主義とギャグを紙一重にしてしまう事と直結していると思う(これはこれで高度な文芸ではあるのだが…)。個人的には、キャラの行動原理に矛盾があったり、物語に流されていると感じてしまうと、評価が下がってしまう性分なので、その意味で本作の文芸には、若干不満があったというのが率直な感想である(厳しくてごめんなさい)。

最後に本作をロボアニメとして見た際の感想について。ロボ自体はSD感あふれるデザインであり、ヤッターマン風味のあるコミカルなモノである。しかしながら、ロボ戦の敵味方のキャラの掛け合いは、紛れもなくロボアニメのものであり、ロボアニメ風味は十分にあったと思う。またキャラ的には真誅軍のお姉さまキャラのムサシがカッコよくてお気に入り。

総じて、ギャグ時々シリアスののディレクションに対し、凝った設定、シリーズ構成で作り上げてきた手腕は見事だったと思う。その反面、本作が茶化す芸風ゆえに、せっかくの熱い盛り上がりを軽く流してしまう感じがして、その点が個人的には気になった。

メガトン級ムサシ

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • ゲーム的でキッズにも分かりやすいロボバトル、キャラ、ドラマに反して、意外と骨太な物語
  • cons

原作はアクションRPGゲームであり、アニメ放送中の2021年12月9日よりゲーム配信が開始された。原作はレベルファイブ、原案・総監督は日野晃博、アニメーション制作は、OLM Team Inoue。あくまで主軸はゲーム会社のゲームという感じがある。

ローグと呼ばれるロボは鉄人28号風味の古典的なシルエットだが、ディティールは今風で、可愛さとカッコよさを兼ね備えたデザインだと思う。ロボ戦は、無数の雑魚メカを大量に退治して、各話の最後に巨大なボスメカを退治するという感じのゲーム感溢れるもの。兵装が多く存在し、窮地に追い込まれたムサシがトリッキーは兵装の使い方でピンチを切り抜けたりするが、熱い!とも、んなアホな!ともとれる演出。リアルロボット路線とは対照的で、かなりゲーム寄りの演出である。なお、3DCGで描かれるロボはゲームと同じデータを使っているとの事。その意味で、アニメとゲーム画面のローグを見比べても違和感は感じない。もっとも、ゲームではローグ自体の手足のパーツやマテリアルを選択できるので、アニメと全く同じ機体というわけでも、なさそうだが…。

キャラデザのテイストはキッズ系でありながら、それなりに洗練されていて今風である。熱血破天荒タイプ、頭脳明晰タイプ、番長タイプなどなどキャラクターの棲み分けが明快で、ビジュアルも直結している。敵味方、子供大人、全てのキャラの分かりやすさ(=識別しやすさ)は熟考されていると感じた。

物語のバックグラウンドは、地球は異性人の侵略を受け地球がテラフォーミングされているという危機的状況の中で、パイロットとして選ばれた少年少女たちがロボに乗って敵と戦うというもの。少年少女は偽りの記憶と偽りの環境で平穏な学校生活を送っていると信じ込まされていたのだが、それは人類のメンタルを保つための措置であり、実際には地球はすでに侵略されていたという事実を知って異星人と戦うという流れ。このあたりは、ゲームのプレーヤーが戦闘に興じるための緩衝材としての設定であろう。なので、主人公たちのマインドは「やられたら、やり返す」という直球かつ、ヤンキーじみたモノ。この辺りに、深く考えないでゲームに没頭するための、単純さを極めたディレクションの工夫が見て取れる。

しかしながら、意外にも本作の物語は、群像劇的に古典的かつオペラ的な要素を含む骨太なもの。主人公は敵異星人の王女と恋仲になるとか、敵の王女は戦いを辞めさせるために母親である女王に楯突くとか、地球側の美人司令官が実は敵異星人でパイロットの一人と肉体関係にあったとか、いじめられっ子が意図的にいじめられる事で周囲の人間のメンタルを保つためのアンドロイドだったとか、とにかく濃い目の物語をキャラごとに何本かまとめてやっている感じ。物語の既視感はあるものの、それぞれのキャラの性格に破綻なく割り当ててる点は美点である。

なお、敵の王女のアーシェムは、美少女生徒会長の神崎に憑依して主人公の大和暗殺を企てるが失敗する。これを繰り返しているうちに大和の事が好きになってゆく、というジュブナイル感溢れるドラマが繰り広げられる。これに代表されているが、ドラマ展開もキッズにも分かりやすく、とのディレクションであろう。

総じて、ロボバトル、キャラ、ドラマなど、全般的にキッズにも浸透しやすい分かりやすいディレクションだが、群像劇的にオペラ的な骨太な物語を持つ作風。全てが子供だましというわけではなく、意外と大人も見れる物語がポイントである。これはゲームのターゲット層の上下幅を広くとる戦略ではないかと勘ぐる。そこに違和感を感じないでもないが、全てはディレクションだと理解してしまえば、楽しく受け入れられる作風だと感じた。

ちなみに、OP曲の「MUSASHI」はラップ曲なのだが繰り返し聴いているとだんだん癖になる良き曲。ED曲の「滅亡世界のバラッド」はバラードなのだが、こちらも今風にアップテンポな雰囲気の曲。これらの曲の作詞も日野晃博が行っている。なお、ED曲の絵面は、敵の王女アーシェムが夜の水面で一人激しくダンスするシルエットなのだが、これはアーシェムが内に秘める激情を表現しているのだろう。とは理解するものの、毎回EDの絵をみながら、なぜこの絵面?とか毎回思っていた。

闘神機ジーズフレーム

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 美少女、ロボ、宇宙戦艦など古典とも言えるマクロス的な日本SFアニメ要素
    • テイストの古さゆえに、癖がなくて素直な演出&劇伴で盛り上がるドラマ
  • cons
    • 今時の他作品に比べて低い演出、作画などの画面作りのクオリティ

本作をざっくり言うと、謎の宇宙生命体の侵略に対し、遺跡で発掘したロボに美少女が搭乗して戦うロボアニメである。

本作を語るには、まず本作のバックボーンに触れておく必要がある。

本作は、中国では「斗神姬 Ancient G’s Frame」のタイトルでbilibili動画で配信され、同時期に日本にも配信・放送された。日本での告知は放送1週間前という直前のタイミング。制作は中国のセブンストーン(七灵石)だが、蓋を開けてみれば、シリーズ構成、キャラクター原案、メカデザイン、音楽は、日本人スタッフの名前が並ぶ。各話脚本や、絵コンテも放送毎に日本人スタッフの名前が出てくるという感じで、上流工程は日本で作られていたように思われるが、実際のところ上流工程で中国側がどの程度関わっていたかは不明。日本語のキャストもかなり前に収録していた模様。

で、実際のアニメーション映像を見てみると、アニメーション映像のクオリティとしてはぶっちゃけ低い。レイアウト、絵コンテ、原画、動画、そうしたものが全くこなれておらず、煮詰めが足りない感じがした。

ここからは、全くの妄想だが、もともと日本で制作する企画が何らかの原因で企画倒れたコンテンツそのものをセブンストーンが買い取ったのか? 中国側から日本アニメ的なモノを作りたくてコア部分を日本側に発注したのか? 作品の内容よりも作品の制作経緯の謎が気になるという、奇妙な作品である。その意味では、単純に中国産アニメとは分類できず、どちらかというと日中合作のイメージが近いのかなと想像する。

それはそうと、制作経緯とコンテンツの善し悪しは切り離して考えるべきだろう。

本作は美少女、ロボ、宇宙戦艦、SF設定などの、古典とも言えるマクロス的な日本アニメ要素をふんだんに盛り込む。そして、主人公の麗華が朝食抜きで走ってきて乗り遅れたバスを止めるとか、父親が革新的なエネルギーを発明した天才技術者とか、エンシェントガールズというアイドルグループのオーディションを装って人類最期の切り札とも言えるジーズフレームのパイロットを一般公募するとか、いきなり麗華がジーズフレームに搭乗して敵を撃退するとか、お約束要素が満載である。主人公の麗華は、おっちょこちょいだが、行動は直球で頑固。姉の麗雨や先輩のジョティスを喪ったことで、犠牲者を出さないために命令や自分の命を顧みずに行動する熱い展開である。しかし、命令無視や自己犠牲は今のご時世良く思われず、エンタメでそれを賛美して描かれる事は少なくなった。その意味では最近のトレンドとは異なるテイストであり、ストレートに言えば、文芸や演出が20年くらい古い。

しかし、である。麗華が姉の麗雨の事が大好きで、姉を探す目的は徹頭徹尾貫かれておりブレが無い。また、人間が規則の正しさと感情を天秤にかけて二択を迫られた時、物語の中であれば感情を優先して行動する事を許容できるし、それでこそ視聴者もまた救われる。ゆえに、本作では「命令無視」は時に誉め言葉として使われる。そういうベタなエンタメ作品としての軸がしっかりしているので安心して楽しむ事ができる。皮肉にも、無茶展開が許されない昨今の日本のアニメ群の中にあって、本作は逆にエンタメ作品としての安定感が引き立っている。むしろ、その荒削りのお約束展開をポジティブに受け入れられたとき、地道に良く出来た熱い展開と、素直な演出、劇伴によりノリノリで楽しめた。

勿論、これは個人的な見解であり、好みが分かれるところではある。なので、本作の第一印象でアニメーションのクオリティが低いとか、主人公が稚拙だとかで切り捨てるのは勿体ないし、偏見なく作品の良さを推したい、という気持ちである。余談ながら、今期だと似たようなテイストの作品としては「メガトン級ムサシ」があり、逆のテイスト(=エンタメ作品としてブレブレ)の作品としては「境界戦機」がある。

キャラクターやメカのモチーフとなる神様は多国籍なのが面白い。中国(麗華は中国版では中国人)、メキシコ、サウジアラビア、インドなど。インド人のジョティスはプライベートでシタールを奏でたり、イスラム教徒のアルヘナはシジャブで頭を覆っている。麗華のジーズフレームのシェンノン(農神)は中国の医療と農業の神様。合体して巨大ロボになるフーシー(伏羲)とニューワ(女媧)も上半身が人間で下半身が蛇の姿で絡み合う天地創造の二人の神様がモチーフ。ククルカンは翼ある蛇、パピルサグは人馬など、形も神話をなぞらえる。

本作のSF要素もなかなか凝っている。まず、DG(ディバイングレース)エネルギーと敵ネルガルの因果関係について。錬金術のようなクリーンで理想のエネルギー源とされたDGは、実は異空間からエネルギーを盗み食いするようなもので、多元空間の秩序を守るためにネルガルは地球に警告・攻撃してきた流れ。人類は既にDGに依存しきっていたので、最終決戦で全てのDGが停止して大混乱に陥るというクライマックス。他にも、外宇宙より古代の地球に飛来してきた超技術を持つニビル人が残した古代遺跡のロボが世界各地の神々を模していたりとか、既視感はありつつも練られた設定と感じた。

繰り返しになるが物語の軸は、主人公麗華の姉麗雨を探し、取り戻すまでの旅である。麗華は麗雨やジョティスを喪った哀しみが強いため、これ以上の犠牲者を出さないため直球で行動する。だから、木星でネルガルにUIにされていた麗雨を救出するため命令無視して単独で突っ走るし、救出した麗雨が朦朧としていてネルガル洗脳疑惑があるなか側に寄り添い必死に姉に呼びかける。麗雨も少しづつ人間性を取り戻し、最終決戦ではジョティスと共闘してネルガルを駆逐した。全てが終わった1年後、麗雨はめでたく結婚式を挙げるエピローグだが、毛髪の灰色のままであった事が、忌まわしい戦いの記憶と共に未来を生きてゆくという復興への強い思いに感じた。

最終決戦で白い巨人に搭乗するエアの犠牲によりネルガルの封印に成功する。なので、麗雨とジョティスに再会できた麗華が、唯一救えなかった仲間がニビル人のエアとなる(エアは正確にはニビル人が残した有機アンドロイド)。エアには火星に残ったニビル人を死滅させてしまったという自責の念があったため、最後のニビル人として、今度こそニビル人と地球人の混血の子孫がいる地球を命がけで守った、という形である。

境界戦機

  • rating
    • ★★☆☆☆
  • pros
    • 制作者のロボ好きが伝わってくる、ある意味、誠実で古典的な良きロボアクション
  • cons
    • 描かれる人間社会がカオスなため、突き抜けた爽快感もなく、息苦しささえ感じる混沌とした文芸

まずは、ざっくりしたあらすじから。

本作は、周辺4国に分割統治された日本で、家族も希望も持たなかった主人公アモウが、AIのガイと人型兵器(MAILeS)のケンブを手に入れた事をきっかけに、日本のレジスタンスの八咫烏に関りながら戦闘に身を投じてく姿を通して描かれる物語である。八咫烏には、ケンブの他にガシンが搭乗するジョーガン、シオンが搭乗するレイキの合計3体の人型兵器が存在する。日本人を守るため分割当時諸国と戦闘をするアモウたちだったが、そんな中、ゴーストと呼ばれる暴走無人機が出現。アモウたちはこのゴーストの暴走を食い止めようとする。

まず、アニメーションとしての出来について。

本作はロボアニメなので、ロボアクションはその肝であるが、その部分は良くできている。ケンブ(=近接格闘)、ジョーガン(=射撃)、レイキ(=飛行)と各人型兵器の特徴を生かした連携でゴーストと戦闘はロボアニメの見所であり熱く丁寧に作られてる。「ロボは手描き」を売り文句にしており戦闘シーンの外連味を重視していると感じた。

キャラデザ的はどちらかと言えばキッズ寄り。全体的にシンプルでスッキリしたラインが特徴で、それは大人キャラにも共通している。本作のターゲットをピンポイント化せず間口を広く狙っているように思える。

メカデザイン的には、全般的に兵器的でありながら、主人公たちのロボはヒーローロボの文法に則って作られている。本作はロボのプラモデル販売を前提とした企画であり、3D化を強く意識した造形である。特に足のラインは直立時にS字クランクを描くような造形で、一見カッコ悪く見えるが、無理なく膠着ポーズをとれるような合理的なデザインになっている。

アモウたちの搭乗する機体には、パイロットのパートナーともいえるAIユニットが搭載されており、マスコット的なキャラクターでコックピット内やスマホに映像化され、メカとパイロットのフレンドリーな関係を演出する。これらの優秀なAIは八咫烏の機体のみが採用しており、分割統治各国の機体には搭載されていない。また、無無差別破壊を繰り返すゴーストの機体にもAIが存在しており、その意味で、AIが人間の味方にも敵にもなる事が描かれていた。

さて、本作のテーマみたいな事を考えていたのだが、なかなか整理がつかない。それは、本作がカオス(=混迷)そのものを描こうとしているからかも知れない。

家族も希望も何も持たない主人公アモウが日本人が尊厳を取り戻すための物語という一面は間違いなくある。そのために、しいたげらていても自尊心を失わない日本人や、困っている日本人を助ける八咫烏の戦いを描く。5話でアモウはアジア軍の悪代官に勢い余って「日本人をイジめる奴は許さない」と啖呵を切る(悪代官を殺さないのがミソ)。ここ単体で見れば良くある勧善懲悪のシンプルなエンタメ作品である。

ただし、アモウ自体はもともと成り行きで戦い始めた後も戦闘は避けたいという性格付けで、4話で親しくなったリサがゴーストとの戦闘で亡くなった直後も、八咫烏を抜けるつもりだった。5話を経て、結局八咫烏に留まり戦闘を続ける決意をするが、その後も好戦的というわけではない。ただ、様々な人との関りの中で、大切なものを守るために諦めない熱意が芽生える変化があり、13話でゴーストと刺し違えた。このアモウの繊細なメンタルを描くドラマは本作の美点でもあろう。

また、分割統治諸国の軍人も一癖も二癖もあるような人物は居ても憎むべき親の仇ではないし、八咫烏も各国の軍人も大量虐殺のような事はせず、ある程度の理性を持って振舞っているように見える(5話の悪代官除く)。また、9話では自分の自治区を守るため八咫烏の情報をアジア軍に売るという日本人や、敵対勢力に関係なくビジネスを広げる兵器商人など、それぞれの正義で動く様々な人間たちが登場する。人間側はそれぞれの正義があるだけで完全悪がないというカオスな状態である。そこで、作劇場の絶対悪として無差別破壊を繰り返す暴走AIであるゴーストを設定したと思われる。

つまり、主人公が単なる人殺しにならない事や、戦争の善悪をステレオタイプに描く事の脱却なのではないかと思う。それは令和時代のエンタメとして配慮すべき点なのだろう。本作がプラモデルを販売しロボや作品世界を愛してもらう前提だとすると、このディレクションも理解できなくはない。極端な例を挙げれば、今期放送された「海賊王女」のような手下が血しぶきを吹きながら次々斬り殺されていくという昭和のチャンバラ的な作風は、今の子供を含めたターゲットの作品では厳しいという事なのであろう。ただし、この小難しいロジックで批判を回避しながらの作風であるがゆえに、エンタメ作品としての爽快感のようなモノはかなり失われてしまっていると感じた。本作の感想はこれに尽きる。

「令和時代の兵器としてのロボアニメ」という命題に対して、色々と悩みながら作っているな、とは感じるがそのカオスにより、突き抜けたところがなく、ではどうすれば良いかというのも私自身も分からず、という悶々とした気分になった作品だった。

86 -エイティシックス- …18話~21話のみ

  • rating
    • 評価保留
  • pros
    • 美しいとさえ感じる迫力ある戦闘シーンと叙情的で美しい背景美術
    • シンの孤独な呪いとの戦いのハードボイルドなドラマと文芸
  • cons
    • 特になし

実は18話~21話の4話しか視聴していないのですが、圧倒的に美しくてカッコいい戦闘シーン。背景美術の植物や自然の美しさ。シンの孤独な呪われし運命と、狂気と正気の狭間の危うさのドラマ。フレデリカの人間として真っ当な祈り。色々なモノが心に刺さりました。

とにかく戦闘シーンの迫力が凄い。ヌルヌルと動く大量の敵メカ。ニュータイプ張りに極限稼働するシンの多脚戦車、質量を感じさせる低空飛行爆撃機や、敵巨大列車砲モルフォ。音響的にも着弾音やサーボ音のSEが迫力ある演出に一役買っていたと思う。

そして、心情を映す背景美術の美しさ。破壊された市街地などを抜け、目的であるモルフォに近づくにつれ人気(ひとけ)が無くなり、花や昆虫などの自然の美しさが強調して描かれ、幻想的ともいえるノイズのないクリアな景色の中で戦闘が繰り広げられてゆく。心情と背景がリンクして研ぎ澄まされてゆく映像感覚。

シン自信が死神として呪われた暗い面を持ちながら、戦闘中に薄ら笑いを浮かべて死に場所を求めるように戦う。大統領や仲間やフレデリカから、あれだけ生きて帰還する事を言われているのに、そっちの世界に棲む資格は無いと言うシンの孤独感とハードボイルドさ。

こうしたシリアスな文芸や丁寧な作画を映像として結晶化させ、それを信じさせるためには並々ならぬ演出力、表現力が必要だと思う。

最終的にはシンの魂が呪いから救われてほしいと願いますが、それは3月末の22話、23話までお預けという事なので、心して待つというところ。

おわりに

今期はロボアニメ大量発生との事で、普段よりも多く視聴していましたが、どのロボアニメも一長一短という感じで、強く刺さる作品はありませんでした。

そんな中で、個人的にはアクアトープとやくもが1クール目の実績の裏付けもあり、安定の面白さでした。

個人的には製作委員会がない海賊王女に期待していたのですが、物語の最後のアレっと思う展開で、製作委員会も一長一短だなと感じました。

思いがけず良かった、86-エイティシックス-については、23話の視聴を終えた時点でブログに書ければ、と思っています。

フラ・フラダンス

ネタバレ全開に付き、閲覧ご注意ください。

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はじめに

みんな大好き、吉田玲子脚本の長編オリジナルアニメーション映画ということで、観てきました。

鑑賞直後は、何となく突き抜けた感がなく平均点な印象でしたが、ブログを書きながら相変わらずの脚本の良さを思い知らされ、とても好きな作品になりました。

本作はお仕事モノでもありますが、日羽が凛として自尊心を持って生きるまでの成長と、震災復興を重ね合わせた震災モノの方に重心がある、と受け取りました。

なお、他作品との比較については、後日追記予定です。 他作品との比較を追記しました(2022.1.4)

概要

考察・感想

フラダンスでお仕事モノという設定

日羽は、スパリゾートハワイアンズというレジャー施設でフラダンスを踊るプロの新米ダンサーである。

新人ダンサーは、ここの新入社員であると同時に、常磐音楽舞踏学院の生徒でもある(就学期間は2年間)。ダンサーの採用枠は5人で、この5人で1チームとして行動する。チームの仲間と一緒にプロとして厳しいダンスレッスンに耐え、そこを乗り越えてお客様に笑顔を提供する、というお仕事モノとしての骨格である。

本作は、スパリゾートハワイアンズの全面協力のもと、背景や施設のバックヤードなども細かく描かれるもの特徴である。

3DCGによるダンスシーン

本作は、水島精二総監督をはじめ、、キャラクターデザイン・総策が監督はやぐちひろこ、制作はBN Picture(株式会社バンダイナムコピクチャーズ)という、初期のアイカツ!を連想させる布陣である。

それゆえ、3DCGを駆使したライブシーンは常套手段ではあるのだが、題材がフラダンスであるがゆえに動作は滑らかでゆっくり、手先、指先の細やかな動作に気を使う必要がある。しかも、現代のモーションキャプチャーの技術では、指先まではキャプチャーできないらしく、同時に録画した映像を見たりして、手の芝居をつける、などの苦労があったとの事。

こういった難しさもあっては、フラダンスのライブシーンには強いインパクトを感じなかった。題材と映像手段のマッチングの問題と言えるかもしれない。

スタッフ側もこうした弱点を知ってか、劇中でアイドルグループのライブシーンを挿入したりしてメリハリをつけていた。

丁寧で地味な演出

率直に言って、本作の演出は丁寧だけど地味だと感じた。これは決して下手という意味ではなく、抑揚のつけ方が地味という意味である。気の利いたレイアウトも多々あり、飽きるという事はない。

辛い状況、上手く回りだしたときの喜び、恋愛要素の浮き沈みの感情、そうした感情面を極端にデフォルメして描く、ということもなく、お仕事モノとして地に足がついた感じの演出がなされていたと思う。

その対比として、個人的に盛り上げられたポイントは、(a)ハンガーで残念のシーンと、(b)ひまわり畑での姉との対話のシーンと、(c)ラストの「ここにいるよ」のシーンに感じた。(a)はともかく、(b)(c)にカタルシスを持ってきていた事に、本作のメインテーマを感じさせるものがあった。

お仕事モノ、成長モノ、震災モノの3つの断面

お仕事モノとして物語

本作は、お仕事モノと震災モノの2つの面を持っている。まずは、お仕事モノとして本作をみた場合の考察から。

本作を仕事モノとして要約すると、

  • 何も持たずに就職した日羽が、厳しく辛い訓練を経て、人並以上に努力。初ステージではトラブルにより最悪のデビュー。社内評価もダンサー中の最下位という現実の悲しさ。絶望のどん底からのマイナススタートである。
  • この状況で、鈴懸先輩という憧れの人が登場し、乗り越えられると励ましてくれる。この辺から運気がプラスに転じてくる。
  • そのうちに、チーム内の結束も強まり、巡業先のステージで客を笑顔にして、先輩にも褒められる。日羽のドライブや実家での夕食でチームも家族同様に結びついてゆく。そして、自分らしさをアピールするために全国フラ大会にエントリー。途中、失恋も経験するが、大会では自分らしさをアピールしたダンスを披露。成績こそ振るわなかったが、先生のお褒めの言葉もあった。仕事の波に乗れていて、プラスに回復し、さらに上昇中という状況である。
  • この状況で、先輩は退社し、しばらくすれば後輩もできるであろう、先輩としての責任感を予感させながら、お仕事モノとしての物語は終わる。

お仕事モノとしてのテンプレに、仕事にゴールがあり、幾多の問題を解決し、ゴールに到達する事でカタルシスを得るというのがある。たとえば、お仕事アニメの代表作である『SHIROBAKO』は、クオリティの高さを維持しつつ完パケする事がゴールとなっており、カタルシスを得やすい。そのために、スタッフに頼み込んだり、明確な障害を取り除いたり、そうしたゴールに向かっての途中イベントも明確である。では、本作の日羽の仕事のゴールとは何か?

日羽はどん底スタートだったから、人様の足を引っ張らず、一人前に仕事がこなせるようになる事がゴールといったところだろう。その意味では、明確な合格点を表現しにくいのであろう。本作では、そこをフラ全国大会で観客の心を掴めたところを1つのゴールに設定していたと思う。

そこに向かっていくときに、憧れの鈴懸先輩の登場や、先輩たちからの励ましや、チームメイトの支えがありという流れである。しかしながら、その問題排除のロジックが明確に描かれることないため、日羽が理由もなく時間の経過とともに、何となく成長しているように感じてしまう。平たく言えば、一発逆転のロジックが存在しない。だから、お仕事モノとしてのカタルシスは弱いと感じた。

この点について、水島総監督のインタビュー記事に関連する記載があったので、ここに引用する。

これは、現実でもそう感じることは多いと思う。たとえば、英会話の練習をしていて、ある日突然ヒアリングが聞き取れるようになるとか。その意味で、本作のディレクションはゲーム感覚ではなく、生身の人間が生きている感じを味わえるモノである。そうすることでカタルシスは弱くなるが、ドラマとしては誠実で奥深さがある、とも言える。

日羽の成長モノとして物語

個人的には、本作のポイントはお仕事云々ではなく、何も持たない日羽が自尊心を持って生きて行くまでに成長する物語であると思う。

話はそれるが、本作の日羽は、『千と千尋の神隠し』の千尋を連想させる。ある日突然、異次元に迷い込み、湯屋でこき使われ、がむしゃらに働いて、ハクという憧れの人が登場しつつも叶わぬ恋に終わり、最後は自尊心を持って現実世界に帰ってくる。ある意味、スピリチュアルな成長の物語である。

令和の現代においては、その人が向いていなければ、システムや運用でカバーしたり、向いている職場に配置転換したり、などという対策を当然と思う観客もいるであろう。しかしながら、前述の個人の成長物語が骨格にあるので、そのような展開にはならない。あくまで、ドラマの中心は日羽のメンタルにある。

JK時代の日羽は、ふわふわしていて、自分を持っていない感じに見えた。

そんな日羽が社会人となり仕事をする。自信無さげで頼りなく失敗続き。周囲の足を引っ張ってしまう申し訳なさ。そして初ステージでは大恥をかく失態。日羽が良いのは、辛くても、苦しくても人のせいにせず愚痴をこぼさない。悔し涙を流しても、投げやりにはならない。ドジっ子で運が悪くても、とにかく誠実なのである。途中でメンタルが壊れるのではないかと、見ているこちらが心配してしまうほどである。

ただ、本気で悩んで諦めかけていた時に、鈴懸先輩の「乗り越えられるよ。ここはあの時、誰もが乗り越えたんだ」の台詞。この言葉のおかげもあって、続けられた。

ここから、だんだんと仕事も調子に乗ってくる。水族館での巡業の成功。先輩たちからの誉め言葉。

日羽にとっては、チームメイトの存在も大きかったと思う。失敗続きの日羽を責めるのではなく助け合う。各々が弱点を克服するために努力する。運転初心者の危なっかしいドライブ。回廊美術館でのシーンは印象的で、視界にあるのは何もない田舎の、落ち着ける穏やかな山の景色。これは、日羽の内面でもあり、その後の実家の食事のシーンも含め、日羽がチームメイトを受け入れ、チームメイトも日羽を受け入れていたシーンだと感じた。

日羽の鈴懸先輩への淡い恋心も描かれた。励ましをくれた憧れの先輩。交際中疑惑の誤解が溶けたのもつかの間、10年間毎月欠かさず亡き姉の墓参りをしていた事、退職して実家を継ぐ事を知り、片想いの失恋も経験した。

そうした仕事以外のオフの経験もまた人生の潤いとなって仕事にも良い影響を及ぼす。

フラ全国大会への挑戦は、自尊心を持って生きる事の高らかな宣言である。自分たちらしいフラダンス=自尊心。成績は振るわなかったが、早川先生からも褒められた。アイドルのライブのように観客とその瞬間を共有し、みんなを笑顔にすることができた。褒められる=肯定される。その延長線上にラストの「ここにいるよ」の台詞がある。

真理と日羽の姉妹のドラマ

真理と日羽は二人で1つ。「まり」と「ひわ」でひまわり。一緒にフラダンスを踊りたかった真理の残留思念。

偶然の重なりで、日羽はフラダンスを仕事として選び、姉の断片を感じて過ごす1年だったが、それも成仏できなかった真理が仕掛けた事なのかも知れない。

夏凪家では、東日本大震災で真理が亡くなってから笑いが途絶えていたし、日羽の高校生活もなんとなく地に足がつかない、ふわふわした印象で描かれた。つまり、10年前から夏凪家では時が止まっていた。

真理は、日羽がダンサーになり、忙しく過ごし、失敗を乗り越え自尊心を取り戻してゆく姿を近くで見守っていたのだろう。日羽がCoCoネェに宿りし真理の残留思念に気付いたとき、真理はもう大丈夫とお別れを切り出す。今まで真理の死に向き合えていなかったからこそ、夏凪家では時が止まっていたのだろう。最終的に日羽が真理の死を受け入れ、真理が成仏することで、時が再び動き始める。

プアラ(=太陽の花=ひまわり)の名は、真理→あやめ→日羽と受け継がれることになるのだろう。それは、真理の願いであった、姉妹で一緒にフラダンスを踊るという夢を叶える1つの形である。

震災モノとしてメッセージ

日羽の社会人の1年間は、東日本大震災の被災地福島の10年間である。

東日本大震災は甚大な被害を福島県にもたらした。地震津波、そして原子力発電所放射能流出事故である。何が悪いわけでもない、誰のせいでもない、神による無慈悲で圧倒的な暴力。度重なり続く余震。(日羽の入社直後の、運の無さと、ダンス技術の圧倒的ハンデキャップ)

追い打ちをかける放射能事故による直接被害と、風評被害。(動画配信サイトの「史上最も残念な新人」の称号)

被災地に残り、こうした辛い現実の中にあっても、それに耐え乗り越えてきた被災者と日羽を重ねてみることになる。「乗り越えられるよ。ここはあの時、誰もが乗り越えたんだ」という台詞が意味するところである。

新人ダンサーチームが、日羽以外は他の他府県から来ている事も意味があると思う。この辛さを被災地いわき市だけに押し付けるのではなく、他府県、他国も震災復興を一緒に努めてきた形ともとれる。

震災直後、過大な負債しかなかった被災者が、10年の時を経て、人間らしさを取り戻し、自尊心を持って未来を歩き始める。苦しさの中、耐えて乗り越えてきた事への敬意と、未来への希望というメッセージ。「ここにいるよ」はその声高なアピールであると感じた。

キービジュアルについて

冒頭の画像は、制作発表時に公開されたキービジュアルであるが、これが本作の根幹を上手く描いていると、視聴後改めて感じた。これは非常に尖っていて良いし、大好きな絵である。

日羽の顔は、眉毛や目元に多少の不安を感じさせながらも凛としたものを感じさせ、口元はわずかに微笑み未来の明るさを感じさせる。表情としては、かなり複雑でありながら、本作を的確に表現している。周囲を覆うひまわりは、言わずもがな姉真理と日羽の二人を象徴する花である。吹く風が、生きている鼓動を強く感じさせる。そんな印象である。

ちなみに、下記は劇場公開時のポスターの告知ツイートの引用である。

こちらは、新人チーム5人とフラを踊る日羽という、もう少し本作の表層を表す絵になっている。楽しそうな雰囲気であり、映画のポスターとしてはこちらの方が正解なのだろう。このキービジュアルとポスターの差が、作品を作る側と売る側(≒観客側)の温度差になっていたのかも知れない、などと感じた。

他作品との比較

フラガール(2022.1.4追記)

フラガールは2006年の実写映画。

日本屈指の石炭採掘量を誇った常磐炭鉱。エネルギーが石炭から石油に変化してゆく時代に、炭鉱の仕事は急速に減少し炭鉱側も大幅なリストラを敢行。炭鉱関係者は新しい仕事を探すか、他所に移住するかという選択肢に迫られる。そんな中、雇用創出のためにハワイを模した観光施設を作るという大胆な施策を炭鉱側が提案。炭鉱従事者側から懐疑的な意見があるなかで計画は進む。東京から講師を招き音楽学校を創立しダンサーを育成した。こうした、時代の転換期に立ち合う労働者たちの葛藤のドラマを描く。

炭鉱の仕事は命と隣り合わせの誇りある仕事。だから、フラダンスなどという破廉恥な観光業に対する嫌悪感を抱く者も多かった。炭鉱夫の家で育つ紀美子(蒼井優)はフラダンスに魅せられてダンサーになる決意をするが、母親(富司純子)、兄(豊川悦治)からは許しが出ない。破門同然でフラダンスの道を進むが、最後は母親からも認められ、家族がダンスショーを観に来てくれる、という話だったと思う。

母親の台詞で「娘には私のような地下で真っ黒になるような仕事ではなく、華やかな明るい人生であって欲しい」みたいな台詞が印象的だった。つまり、昭和時代は家系で仕事を継ぐ事も多く、本人の自由にはならず縛られた人生であった。だが、これからの時代は、自分の人生を好きに選んで生きていい、というある意味束縛からの解放の物語であった。

直接的な部分だと、環奈の母娘の和解のモチーフが重なりはあると思う。また、産業の転換期という危機、震災という危機からの復興という重さのある空気感は両作品に通ずるところと思わなくもない。皮肉にも、下記のインタビュー記事を読むと、コロナ禍という新たな危機に直面している事が伺える。ただ、これらの映画が苦しい時を乗り越えた事を描いている事で、勇気をもらえる事がある。エンターテインメントとしての役割は、こういうところにあるのだと思う。

ちなみに、現在、Netflixで観られるようなので、興味のある方はご鑑賞いただければと思う。

フライングベイビーズ(2022.1.4追記)

フライングベイビーズは、2019年のフラ部の女子高生を描く全12話のショートアニメ。

映像的にはぶっ飛んだビジュアルのオチャラケた話なのだが、それとは裏腹にしっかりした震災モノとしてのメッセージも込められていたと感じた。詳細は下記のブログをご参照ください。

震災としてのメッセージは被災地(=被災者)に対して、忌み嫌ったり、哀れんだりして距離を取るのではなく、一緒に楽しく接して欲しいという祈りにあったと思う。

こちらはまだ、震災の被災者が震災の傷を抱えているという扱いで、震災復興を果たした「フラ・フラガール」とも一味違う、震災モノだったとと思う。

岬のマヨイガ(2022.1.4追記)

岬のマヨイガは、2021年の長編アニメ映画。

こちらも震災をテーマにした作品であり、メッセージとしては心に傷を負った者が回復するために大切なモノが何かを描いていたと思う。詳細は下記のブログをご参照ください。

両作品とも、フジテレビの「ずっとおうえんプロジェクト2011+10・・・」という被災地支援の企画の一環として制作されており、脚本が吉田玲子という点も一致しており、なかなか興味深い。

両作品に共通することとして、震災をあまり直接的に描かないという点がある。そこを生で描くと当事者にとって癒えない傷に塩を塗ることになるからかもしれないし、エンタメで扱うには重すぎるからかもしれない。いずれにせよ、そこを直接描かずとも、震災の痛み、辛さを匂わせる作風に共通する品の良さを感じる。

震災を直接描かないからこそ、そこに繋がる抽象的な概念を言語化するのに手間がかかる。余談ながら、そのため、両作品とも私のブログとしては鑑賞後1週間近く時間を要した難産であった。しかしながら、必ずメッセージのようなものはあるので、読み解き自体は楽しくもある。

参考

水島精二監督インタビュー記事のリンクを掲載する。本作を監督するにあたってのディレクションなど、興味深い話題に多数触れられているので、良ければ読んだり、視聴していただきたい。

おわりに

本作の世間的な評価は、それほど高くないとSNSの観測範囲では感じています。「アイの歌声を聴かせて」のような高密度で強演出な作風でもなく、比較的淡々としたテイストで描かれてゆくので、盛り上がりに欠けるとかいう感想も分からなくはありません。

震災モノとしてのテイストを考えると、どうしてもお仕事モノとしてステレオタイプに物事を解決させられないという事もあったのではないかと想像します。その意味で、震災モノとお仕事モノは食い合わせが悪いのかも。

本作のオリジナル作品としての文芸の綺麗さ、良さを褒め称える感想を余り見かけないのが残念です。もう少し評価されても良い作品だと思いました。