
はじめに
2024年春期アニメは、オリジナル作品に良作が多い印象があります。本作「アポカリプスホテル」も、コメディをベースにしながらも、詩的な映像美や感動できるエピソードがしばしば見られます(その意味で、笑いと感動のエピソードの間の振れ幅が大きい)。
この11話は、ほぼ台詞を使わないストイックな演出方法を使いながら、SNSで「味わい深い」「淋しいのにおもしろい」みたいな、言語化しにくい感想を多く見かけました。確かに味わい深いのですが、自分でも少し細かく考えてみたくて、突発的にブログ記事を書きました。
見た観客の数だけ感想があってもいい作風ゆえに、これが正解とも思っていませんが、言語化できない気持ちが、これだったかもしれない、と思っていただけたら、それはそれで幸いです。
それから、「アポカリプスホテル」全体の解説は、バッサリ省略します。知っている前提で書きますので、ご承知おきください。
感想・考察
台詞を使わず映像で観せるストイックな演出
何はともあれ、台詞がほとんどなくて、映像(レイアウト、背景美術、作画の芝居、音楽)だけで見せてゆくストイックな演出スタイルである。
台詞と言うのは、主にキャラクターの心情を説明するのに使われる。しかし、本作はヤチヨの無言の芝居だけで、ヤチヨの心情を解釈してゆく必要がある。それゆえに視聴者の感想はいろいろな断面がみられておもしろい面もある。
こういうケースでは、キャラクターの心情をシーン中の他の要素で代弁するパターンが多い。また、本作はロードムービーの一種でもあるのだが、どの順番で何が出て来たかという流れも、物語の骨格になっている事が多いと思う。
その意味で、劇中のイベントを時系列に整理して、分解して考察する。
11話全体のイベントの流れ
11話は、台詞を使わない事とも関係しているが、ロードムービー的な側面もあり、2日間の旅行が物語の流れを作っている。
旅行で体験したイベントが、物語の各要素になってゆくのだが、イベントが多すぎて頭の整理が追いつかなくなるので、下記のアクテビティ図を作成した。
水色の長方形(非角丸)が、交換部品探し(=生きる)ためのイベントになっている。その生死の境目の話の他に、いくつかの物語の分流が複雑に組み合わさった構成になっていると感じた。細かな分析は、以降の章で行う。
異論は認めるが、私はこんな感じで解釈した。

私が思う11話のポイントを下記に示す。
- 全体を貫く、死と隣り合わせの死生観
- Aパートは、これまでの人生の振り返り
- Bパートは、同族が居ない孤独感(≒未来の悪い予感)
- 交換部品ゲットによる奇跡(=神のご加護)
という感じである。
交換部品探し(近づく死の気配)
11話では、ヤチヨのシステムチェックで寿命切れの交換部品がある事が分かる。おそらくこのこと自体はだいぶ前から承知していたのだろう。今回はそれを探す旅が軸になっている。交換部品はなかなか見つからず、いずれヤチヨも機能停止(=死ぬ)という気配がまとわりつく。Bパートのショップで交換部品を見つけたものの、部品が破損していて絶望的な空気にみまわれる。
11話全体を通して、残された命、いずれ訪れる死、というのが強調されて緊迫感を出していた。
定年前の自分探し旅行(人生の振り返り)
Aパートは、ヤチヨのこれまでの人生の振り返り、もう少し言えば、自分自身の存在意義に向き合う話だったと解釈している。
少し脱線するが、私が若い頃、定年間近の部長が有給休暇を取って自分の生まれ故郷の北海道に旅行に行った話を聞いた事がある。馬車馬のように働いていざ定年を迎えるタイミングで、仕事と言う服を脱いで裸になったときに、自分は何者なのかというのを知りたくなったという話だった。何やら、自分の祖父、曾祖父などの家系を少したぐってルーツを自分で見てきたり、などしたらしい。
ヤチヨはホテリエロボットだから業務が当たり前で、人間のように休暇をとってストレス解消する必要は実際にはない。しかし、馬車馬のように働いてきて、いざその仕事が無くなったときに、自分の存在意義を知りたくなる気持ちは人間的に考えれば分からなくはない。しかも、ヤチヨが居なくてもポン子たち他の従業員が銀河楼をまわしてくれる。自分が必要とされていない…、という気持ちは、自分の存在を否定されたような気持になるのが人間である。
ヤチヨは、とりあえずホテルの周辺を散策する。露天風呂、ウィスキー麦畑、ロケット発射台と自分が生きてきた痕跡を振り返るように歩く。これは、過去の記憶への遡行である。
おもしろいのは、途中で人間の旅行本やキャンプ本を手にして人間の娯楽を楽しむところである。ファッション、カフェ、カラオケ、インスタントコーヒーはまったく刺さっていないところが可笑しい。ロボットなんだから信心深さは本来は持ち合わせていないだろうが、神社で二礼二拍手一礼をして拝む姿が人間臭くていい。パチンコのフィーバーは無心だったが、異常な描きこみが逆に笑いを誘う。
途中で池の中のホタルの光のようなモノは、2話での宿泊客からのお土産をポン子が誤って放流し繁殖したもの。しかも、池の周りにはいろんな動物たちが行き来する。その意味で、外来種が地球に適応して自然を形成しており、生命力を感じさせる。これは、全編に漂う「死」とは反対の希望的な要素でもある。
夜は墓地でキャンプファイアーをしていると、いろんな動物が炎の周りに集まって賑やかになってくる。これは、墓場=人類が居ないこと、そしてそこでポン子たちや、宿泊客のおかげで賑わっている現在の銀河楼と相似していると感じた。
色んな事があったが、最初のごく淋しいロボットだけの時代から10話までの時間をかけていろんな出来事と共に今の銀河楼とヤチヨがある。Aパートは、そういう感じの走馬灯を描きたかったのではないかと思う。
これは、ある意味、ヤチヨの人生の大河ドラマである。子供の頃から自分が老人になって死ぬまでのビジョンが見えている者はいないだろう。子育てし、途中で子供がグレたり、時代や価値観も変わり伝統も書き換えられて変わって行く。それでも人生は続いてゆく。変化に次ぐ変化、激動なのが人生である。それは、ヤチヨの人生や、ポン子との関りでもある。そして、振り返って思う。思い通りにいかなくても、人生は続いてゆくのだな……と。そして、時間が経ったなぁ、と。そんな風に受け取った。
同族(≒人間)の居ない淋しさと無常観
Bパートは目覚めると、炎も消え、動物たちは居なくなっていた。1頭の子ウマが現れて、一緒に廃墟の東京を歩くが、やがてウマの群れに遭遇して子ウマは群れに帰る。Aパートで描かれる動物たちは、さまざまな動物が一緒にいるが、同種の動物が群れてはいなかった。Bパートになって急に、群れ(=同族の集団)を見せ始める。それは、海岸のアザラシも同様。ここで、ヤチヨの同族が居ない孤独に向き合う話に視点が切り替わってくる。
ところで、ヤチヨの同族とは、同じタイプの人型ロボットであろうか。それとも、地球人であろうか。私はどちらかというと後者の地球人な気がしている。人間タイプのロボットはヤチヨ一人だから孤独と言えばそうだが、ヤチヨが本当に逢いたいのは地球人であろうから。ずっと地球人から見放されたヤチヨの人生。その孤独感なんだと、私は思う。アザラシと別れた後、大きな青空に白い雲、その中に小さく描かれるヤチヨというレイアウトが、彼女の孤独を無言で語る。本作は、こうした詩的な映像作りが上手い。
続く、国会議事堂のデモの傷跡。歩き進める荒廃した市街には、朽ち果てたロボットを意図的に描く。人類は混乱し憎み合い、地球を捨てて脱出し、残されたロボットは朽ち果てる。
Aパートはこれまでの人生の振り返りと書いたが、Bパートはこれからの未来予知という気持ちで観ると、この絶望的な廃墟の中を進む事で、視聴者の心にはストレスと言うか、不安感が少しづつ蓄積してゆく。先の交換部品の話もあり、これがヤチヨの未来かもしれないという心境になるという演出的なテクニックだったのではないかと思う。
つまり、Bパートは途中まで暗く盛り下げる流れになっていた。この無常観が本作の独特の味わいである。
もう少し生きられるという奇跡
しかし、ここで奇跡が起こる。
ホテルニューオータニの中で倒れて修理不可能なホテリエロボットから交換部品を頂き、ヤチヨは生き延びる事ができた。
この時、ヤチヨは倒れているホテリエロボットにお辞儀をして深く感謝する。家畜を食べる回でもあったが、命を頂く感謝であり、Aパートの神社参拝の信心深さにも関連する。
この淡々とした描写は、ヤチヨらしいと言えるものだが、逆に言えば「生」に対しての固執はそこまで強くなかったのかも、と思った。それは、Aパートでの人生の振り返り、Bパート前半の同族の居ない孤独と、廃墟に朽ちるロボットたちのシーンの暗示の強さがあり、寿命に対しての覚悟を迫られていたように感じたから。
だからこその奇跡であり、神のご加護なのである。
もう一つの奇跡は、子ウマが再登場し、銀河楼の宿泊客のペットである事がタグで判明する。勿論、子ウマが居なくても銀河楼には戻るのだろうが、早く銀河楼に帰れという神の啓示に思えてくる。
11話全体が持つ物語としては、この奇跡がヤチヨに対するポジティブな余韻を残していると思う。救われた、までは言い過ぎだが、幸せの予感のような、少し明るくなれる気持ち。ここが、本作の最大のポイントだったと思う。
ホテルに到着してポン子に放つ台詞は、「生きてる感じがしました」。勿論、ヤチヨは生きてはいないが、機能停止という意味では生死の狭間を生きているのは生物と同じであろう。「死」の近くをある程度歩いたからこそ、「生」を感じ、その事に感謝できる。そして、自然や地球、他の動物たちとの共生の上に自分が生かされている。きっと、仕事だけの人生なら生きている感じはしないのだろう。仕事を離れた、命の本質や、孤独を感じたり、そうした色々な感情が生きるを実感させる。
そんな作風に感じた。
再会した人類との対峙は、12話へ
その子ウマがペガサスとなり夜空を駆けてゆく途中で、ヤチヨはUFOが地表に落下してゆく様を見る。12話の予告は公開されているが、どうやら地球を離れた人類の子孫ぽい。
念願の人類との対面だが、11話の人生振り返りと、神のご加護を経て、ヤチヨが何を考えて何を感じるかというのがポイントだろう。
オリジナルアニメの1クール作品という事で、1クールの〆はかなり納得できるモノが出てくるのではないかと期待している。
おわりに
こういった、考察のしがいがある作品というのは、いつ見ても嬉しいものです。
同じ時期に、機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) の11話が放送され、世間では「考察は無意味」と叫ばれているのと対照的と言えます。
また、本作の監督の春藤佳奈さんは、ルミナスウィッチーズの副監督をしており、映画的で詩的な映像作りが上手な印象を持っていたので、11話のような感触の作品は、待ってました!、という感じでした。そういう喜びもありました。
いずれにせよ、本作も後1話を残すのみ。今期はオリジナルアニメに良作が多く、非常に楽しく観れています。期ごとに書いているアニメ感想総括ブログでも、12話までのシリーズ通しての感想を書くと思います。