たいやき姫のひとり旅

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン 2話『「戻って来ない」』

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感想

エリカ・ブラウン

エリカは自信が持てず押しが弱い性格。

エリカの代筆には、エリカの弱さが反映されてしまい、ドールの仕事の出来栄えもパッとしない。それによりさらに自信喪失にという悪循環。ドールの仕事を長く続けてて、そんな自分にも嫌気がさしている。

ヴァイオレットのマシンの様に正確かつ精密で、契約ルールを常に守り、人情を全く理解せずに行動する様子に、時に戸惑い、時に驚き、時に助けられ。

エリカはヴァイオレットの事が全面的に好きという訳でもなかった。ただ、そのマシンの様な行動が理解できない。ドールの仕事に高尚な仕事に思うエリカは、「愛している」を知りたいという理由だけでドールになりたがったヴァイオレットの心が分からない。

「(この仕事に向いているか?)あなとの事は聞いていない」と言われたときムキになったし、ヴァイオレットを辞めさせないようにかばったのは、ドール不適切な自分に対する弁解のような感情だったし、その後せっかくかばったヴァイオレットから「裏腹です」と言われてしまったり。

必ずしも、ヴァイオレットとエリカの関係がしっくりきている訳ではないのに、それでもエリカはひたむきなヴァイオレットの様子をみて、ドールを続ける理由を、初心を思い出し、浄化されてドールの仕事に向き合い直した。

2話はこうしたエリカの気持ちの揺れが、物語を進める最低最小限のイベントだけで構成されている訳ではなく、各キャラの自然な振舞からくる多少無駄とも思えるイベントがちりばめられている所が凄く良いと思う。

2話については物語のための物語では無く、キャラのための物語だと思った。

エリカは文章(手紙)の力を信じている。その信念にあたる気持ちがドールの仕事を選ばせた。そうしたエリカの気持ちに触れられる脚本が良いなと思う。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

通り雨は、ヴァイオレットの代理の涙という演出だった。その雨の中にエリカが加わって泣いた。

ドールの仕事で失敗の原因を理解できず、ギルベルトと人違いした後、通り雨に降られて、エリカに自分がドールの仕事に向いているか?という質問をしたとき、機械のようなヴァイオレットの心は揺れていた。

これからしばらくは、解析不可能なエラーケースを経験し、心の揺れはもっと大きくなってゆくのだろう。

自動手記人形(ドール)という仕事

  • 活版印刷の権威であるオーランド博士が発明した
  • 小説家でありながら盲目となり執筆できなくなった妻モリーのために制作
  • それが今では代筆業を指すようになった
  • エリカは客を迎える時に人形のようにスカートをつまみ挨拶したした
  • エリカはオーランド婦人の小説の様な人の心を動かす素敵な手紙を書きたい
  • アイリスは単にタイプするだけの仕事じゃない!という自負がある
    • 多分、ドールという仕事はビジネス文書であり詩であり型にはめる事が出来ない高尚なお仕事、という設定。

テーマ考察(2018.1.22追記、修正)

ヴァイオレットの問題

ヴァイオレットは並外れた運動能力、戦闘能力、忍耐力を持ち、その思考と行動は常に論理的でストレート。まるで機械ように。

しかしながら、一般的には人間や動物には感情というものがあり、非論理的な思考や行動をともなう事はよくある事である。例えば、早死にすると理解していても止められないタバコだとか、相手を傷つけない為に嘘を付くだとか。ヴァイオレットにはこうした非論理的な部分が無い。人情が欠落している。

4年前、ギルベルト少佐の下にヴァイオレットが来た時からそうだったのか?戦争の道具を極めるために非論理的な思考と行動を訓練で封印してきたのか?その辺りははっきりしない。少なくともこの4年間は、そうした非論理的な部分が無いように育てられたのだと想像する。

そして、その思考を伝達するためのツールが言語であり、その手段が会話や文章。

ヴァイオレットが言語を教え始められたのはギルベルト少佐の下に来た4年前から。かなりの短期間に言語を習得したところを見ると頭脳は明晰なのだろう。余談ながら、他にも、スペルミスを指摘したり、借金の返済期間を暗算したり、契約ルールについての飲み込みも早ければ、記憶力も良い、などの能力の高さ見せつけるシーンはいくつもあった。

ヴァイオレットの言語もその思考同様ストレート。ヴァイオレットにはその感情が無く論理的にしか言語を介さない。冗談も言わない。

ヴァイオレットは目先の言葉の意味に悩んでいるのではなく、理解不能な人情に苦しめられている。ただ、全く人情が分からないのではなく、モヤモヤとした非論理的な何か?として感じている。これが人間として日常を生きる上でのヴァイオレットの問題だと思う。

1話で、これまでギルベルト少佐の命令のみで行動してきたヴァイオレットは、ギルベルト少佐を失い、初めて「愛している」を知りたい、という自我を芽生えさせた。

2話で、ヴァイオレットは会話での表現が本心と全く異なるケースを「裏腹」として認知した。今回のケースでは、通常の人間でもそこまで解釈するのは難しいというレベルの本音と建前の乖離であり非論理的なのだが、感情というメカニズムを持たず知らないヴァイオレットには青天の霹靂だったのだと思う。

こうして1話2話では、論理的でストレートなヴァイオレットが、少しづつ、そして確実に人情を知る方向に進んでいると思う。

そして3話以降も、ドールという仕事を通じて依頼人のストレートではない本音と言語の翻訳作業に苦しみながら、人情に理解を深めながら、そしてその度にギルベルト少佐の愛情を理解したり、ヴァイオレット自身がして来たこ事の残酷さに気付いたり、知ることで揺れ動き、もがき、苦しみ、ほだされて行く、というのが全体のテーマなのだと思う。

言葉と手紙について

ドールという代筆業を主軸としているので「言葉」の大切さをテーマとして扱うのは間違い無いと思う。

言葉は人と人がコミュニケーションを取るのに非常に重要なツールである。さらに文字に起こして手紙にしたためる事で時間と空間を跳躍してコミュニケーションを取ることが出来る。

手紙に思いを込めて文をしたためる。本作品はその手紙の力というものを描いてくれるのではないかと思う。手紙は伝達に時間がかかるため、発信者の思いを見つめ直し整理し自分に向き直す事が出来る。また、その情報は時に膨大になったり、逆に極限までノイズを除去し本当に伝えたい思いだけを記す事もある。いろんな形の手紙があると思うが、会話のようにリアルタイムな双方向コミュニケーションが即成立しないコミュニケーション手段であるが故に、思いを一旦パッケージングするという行為に手紙の良さがあると思う。

言葉をパッケージングしたものの美しさというのは、別の形でも存在し、例えば俳句のようなものも究極の言葉だと思う。

ヴァイオレットは、非論理的な思考が理解出来ないが、人間であり動物である以上、本能などの非論理的な感情は内に秘めていてもおかしくないし、モヤモヤした感情はそれが喉まで出かかったものであり、愛情もそうした本能の部分の感情だと思う。

先ほどの話とも関連するが、本作は、最終的には代筆業という他人と他人を繋ぐ翻訳業にスポットライトを浴びせてヴァイオレットの内なる人情を呼び覚ます物語であり、この言葉という厄介な文明の利器に捕らわれず、ヴァイオレットの本能の部分を言葉なしで気付くための物語ではないか?などと妄想していた。

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