感想・考察
サブタイトル
もしかして8話9話は繋がっていて切れていないので、いうなれば8話が「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 前編」9話が「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 後編」と考えれば良いのだろうか。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン
ヴァイオレットを追い詰めていたのは2つあったと思う。
- ギルベルト少佐の喪失、悲しみ。
- ヴァイオレットからみた世界の全て
- ヴァイオレットの愛する人
- 戦争で人を殺めてきた罪、苦しみ。
これまでの経緯を簡単にまとめると、
- 7話
- ギルベルト少佐の死を受け入れられず、ホッジンズ社長の元から飛び出す。
- 8話
- ディートフリート海軍大佐のところに行き、ギルベルト少佐の死を問い詰める
- 山奥のブーゲンビリア家のお城に行き、女中に会い、ギルベルト少佐の墓を参る。
- 9話
- インテンス要塞に行き、ギルベルト少佐との最後の場所で瓦礫を拾う。ホッジンズが車で迎えに来る。
- C.H郵便社の2回の自室に閉じこもる。
- ローランドと一緒に、一度捨てられた郵便物を配達する。
- エリカとアイリスの手紙を受け取り読む。
- ルクリアの兄から妹への手紙を代筆する。
- ホッジンズに「生きていていいのでしょうか?」と質問する。
もともと最愛の人を失う事の悲しみを突きつけらえれて、それとともに人殺しの罪の苦しみが、一気にバイオレットに流れ込んで来た事による混乱だったと思う。
後者の人殺しの罪については、ホッジンズのラストの言葉通り。人殺しの罪は負の遺産。ドールとして人を結び笑顔を与えてきたことは正の遺産。その両方の遺産を抱えながら生きる。生きていい。という話だったと思う。
しかし、前者のギルベルトの喪失の悲しみは、解決はしていないように思う。
それを解決するには、ヴァイオレットが誰かから愛され、誰かを愛し、という事が必要になると思う。
ここら辺の話は、残りの話数で触れるのだろう。ギルベルト少佐の死体が出てきていない以上、ギルベルト少佐が何らかの形で発見され、ギルベルト少佐との愛情を紡ぎ続ける可能性もあるし、全く別の人間と愛を交わす事があってもよい。
その意味でヴァイオレットは、まだ救われていない気がしてならない。
クラウディア・ホッジンズ
ヴァイオレットの「生きていても良いのでしょうか?」と問われたときに、涙をにじませなたのが、良かった。
今回のヴァイオレットの事はヴァイオレット自身が受け止める必要がある事だと理解していた。
でも、ヴァイオレットは悲しみの深さから、それを受け止めきれず、その場から逃げて逃げて、逃げられない事も理解して、そうして自分に向き合って、答えを求めてきた事が、その道のりが嬉しかったのだと思う。
ホッジンズの答えはもともと決まっていた。その答えを言う時を待っていた。
今回はホッジンズがいい男過ぎた。
あと、郵便配達のおじさんも良かったです。2話で見たときは、ここまで光るキャラだと思ってなくて、すみません。
武本演出
4話もそうだったけど、演出が奇をてらう事無くストレートなので、見ていて吸収しやすいな、と思う。
「小林さんちのメイドラゴン」の時も思ったけど、普段接してる人のちょっとした気遣いみたいなのが、嫌味なくさりげなく、にじみ出てきて良いな、と思ったり。
ヴァイオレットに感情移入できるか?
別の作品だが「Charrette」の時の感想にも書いたが、一つは主人公が超能力者である事、もう一つは主人公が世界を救うために、その運命を背負い込んで一人戦う事、この事が物語のスケールを大きくするのだが、一小市民の私がその重さに付いてゆけず、見ていて疲れてしまうという事が、本作でも感じられている。
爽快感ばかりがアニメの良さでは無いのは理解している。しかし、ここまで主人公を追い込み闇に落とし込むのは正直見ている方も辛い。
1クールのシリーズものとして見る場合に、数話単位で視聴者にストレスをかけ、最後は最高のカタルシスというパターンもあるので、そうなってくれると嬉しいと思う。このままでは、ヴァイオレットの人生が重すぎる、そう感じてしまう10話だった、と思う。
Twitterのつぶやき
ヴァイオレット・エヴァーガーデン 9話
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2018年3月7日
亡くなったギルベルト少佐。感情豊かになる事で目の前に突きつけられた心の火傷。負の遺産。
手紙を受け取る喜び。ドールとして関わった人たちの幸せ。正の遺産。
生きていていいのか?の問いに涙で答えるホッジンズと郵便配達おじさんGJ。#VioletEvergarden