たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

cocoon / 今日マチ子

ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

はじめに

アニメ化される作品の原作と知り、興味を持ちました。個人的にも宮古島に旅行に行ってきた後で、沖縄題材の作品がタイムリーということもありました。

こういう事は、私としては珍しいのですが、アニメ化前に原作が気になり、勢いkindleで購入して読みました。

今日マチ子先生の作品ははじめて読んだのですが、ラフ気味で可愛いらしい絵柄とは裏腹に、凄惨な戦争体験が描かれ、なんとも言えない複雑な気持ちになりました。ただ、悲惨なだけでなく、少女性をテーマにした物語の美しさもあり、その調合具合が絶妙だと感じました。

以下、感想・考察になります。

感想・考察

テーマ(悲惨な戦争体験と、潔癖な少女性の物語)

蚕(かいこ)と繭(まゆ)のモチーフ

本作は、蚕と繭がモチーフとして効果的に用いられる。

まず、主人公たちの名前がサン(蚕)とマユ(繭)の由来であろう。

蚕は絹糸を生産するために養蚕されるが、成虫になると繭を破ってしまうため、繭に入った幼虫のまま煮殺してしまう。ただし、養蚕を続けるために一部の蚕は生かして次のサイクルに繋げる。この部分は、本作の少女たちの物語にダイレクトに重ねられる。死んでいったクラスメイトたち=蚕であり、生き延びたサン=蚕蛾である。

サンの家族は父兄は出兵し家に男性がおらず母親と二人暮らし。島一番の女子学校であり、みなある程度の上品さは備えた少女たちだったのであろう。お化粧好きや、お絵描き好きなクラスメイトもいた。その意味で、女学生たちはみな乙女であり蚕ということであろう。潔癖だったサンも、クライマックスの事件を経て、繭から出ざるを得なくなった。そして、ラストで米軍の収容所では男子と楽しく会話するまでに変化している。

このサンの心情の変化も突然すぎてついてゆけないという感想も見かけたが、これは繭から出て成長したことで生理的に男性を受け付けるようになった(=子孫繁栄のための本能)と受け止めた。むしろ、生物学的な本能と思えば自然な変化だと感じたし、物語的にもここでサンがドライな感じである事が重要に感じた。

壮絶な戦争体験描写

本作は、明確な戦争モノであり、その悲惨な戦争体験が女学生の視点で描かれてゆく。

最初はただの女学生の日常から始まるが、空襲での大やけど、看護隊での負傷者の手当をしながら、日に日に増えてゆく死体の山。クラスメイトが空襲で死に、遺体置き場に遺棄する。捨てきれずに防空壕内に転がる死体。空襲中を逃げ回るなか、負傷して足手まといになるからと自害したクラスメイト。サトウキビを食べてその後餓死したクラスメイト。そして、乙女の純潔を守るために手榴弾で集団自決する女学生たち。

腸が出たり、死体にウジが湧いたり、絵のタッチが軽いとは言え、かなり凄惨なシーンが連続して登場する。

当たり前ではあるが、このような戦争が悪である事は間違いないし、戦争反対な作風である事に疑いの余地はないだろう。

そして、この極限状態でサンのメンタルの崩壊を防ぐために、マユは妄想の繭の中に入る事を提案する。繭の中に入れば今まで通りクラスメイトたちと楽しい時間を過ごせたし、現実の悪夢の方が夢である。そうでもしなければ正気が保てないような時間をサンたちは生きてきた。

ただ、本作は、この悲惨な戦争体験を、思想的にどうこういうニュアンスよりも、前述の思春期の乙女と殻を破って成長する事を軸にした物語の方が主軸になっていると感じた。もっと言えば、戦争体験に思想を入れることで説教臭くなるよりは、淡々と悲惨な描写を描いて伝える作風に感じた。

<2025.2.20追記>

戦争描写を淡々と描くことに関しては、本作の絵柄の可愛らしさが効果的に感じた。凄惨さで言えば、負傷兵の切断した右足をガマ(防空壕)の外に捨てに行くシーンなど、目の前の出来事の壮絶さは伝わってくるのに、緻密な絵で怖がらせる事がない。それは、口伝で体験談を聞く感覚に近いかもしれない。ディティールがないからこそ、描きたい事象がより鮮烈に伝わる気がした。本作は、沖縄戦を題材にしたフィクションである。フィクションなので何を書いてもいい部分はあるのだが、テーマが戦争だけにインプットした情報を変に脚色せずに淡々と描く事が、戦争に対して真摯に向き合っていることになると感じた。その意味で、安っぽい反戦映画よりも誠実さを感じた。

サンが戦時下で体験したことはトラウマとなり、その後の人生に大きく暗い影を落とすという流れも物語の選択肢としてあり得たと思う。しかし、扱っているモノが戦争であり、そこから人間性を取り戻して未来を創るという物語でなければエンタメとしては辛すぎる。本作はフィクションでありドキュメンタリーではないので、この物語性が救いであったと思う。

キャラクター

サン(過酷で凄惨な環境に置かれた少女)

サンについては、テーマのところで割と書いてしまったので、ここで書く事は少ない。

サンは、主人公であり、より潔癖さを持って描かれたキャラだったと思う。途中で東京から転校してきたカッコいい女学生のマユと親友である事を誇りに思っていたりした。

戦争体験の悲惨さから、マユが提案した、妄想の繭の世界で現実逃避する。その中では、死んでしまったクラスメイトとも会話でき、正気を保てる。

しかし、サンは途中で頭のおかしくなった日本兵にレイプされてしまう。このことで他のクラスが乙女の純潔を守るために集団自決する現場にいられないと離れてゆくのは衝撃的であった(このとき一緒にいたマユの心情については後で触れる)。

サンとマユが手を取って海岸を逃げ回っているときに、マユが銃撃で撃たれ倒れる。岩陰に運ぶ際に、マユに好きだと言われ、私もだよと返すサン。しかし、マユの服を脱がせると男子だった事が分かり、硬直するサン。

今まで、妄想の繭の中は少女しかいられない妄想空間であったが、大好きだったマユが男子と分かった時点で、拠り所がが無くなって現実世界に引き戻されたように感じた。

その後、米軍の収容所で捕虜として生活するが、それまで男性は白い影法師だったのが、普通に顔や服装も描かれるようになり、男子とも楽しく会話するように豹変していた。

戦後、無事だった家族と共に生きてゆくサンは過去から未来に駆けだしてゆく。その際、他のクラスメイトは妄想の繭の中で生きていた姿であるが、マユは死体として描かれていた。

ここの解釈は二種類ありそうで、どちらの解釈をするかはその人に委ねた形であろう。

パターンAは、サンがマユを拒絶というもの。マユの事は大切な人でも友達でもなく、忘れてしまいたい過去にしたという感じ。この残酷さドライさはマユにとっては悲劇だが、サンにとっては羽化して成長した事による生理的な変化なのだと解釈している。

パターンBは、サンが好きだったマユを受け入れ、マユの死も受け入れ、羽化して乙女を卒業したパターン。こちらの方が物語としてアクがないが毒もない。ただし、ラストのサンが未来に向かって生きるというドライさは、好きだった気持ちを吹っ切っており、違和感を覚える。なので、個人的にはパターンAなのではないかと解釈している。

<2025.2.20追記>

マユの死体と海辺に立つクラスメイトたちの解釈について考えていた。

サンはクラスメイトたちの死を受け入れず、繭の中では彼女たちは生きていた。マユは女子ではないからサンの繭に入れなかった、というのが1つ。もう1つは、サンがマユの死を直視して受け入れたから。マユの死を持って、サンは繭から羽化し、繭から追い出された。それが、マユの拒絶か受け入れかについては、やはり読者に委ねられた形に思う。

繭の中で少女のまま死んでいったクラスメイトたちが海辺からサンを見る。遠くに行ってしまうサンを眺める感じで。サンだけが大人になって未来へ進むが、クラスメイトたちの少女のまま過去に置き去りにされる。こちらも別れではあるが、彼女たちは思い出として大切に残される存在に感じた。

マユ(サンが好きで守りたかったナイト)

マユは島の女学校では「王子様」と呼ばれるくらいの憧れの女生徒であったが、実は徴兵から逃れるために性別を偽った男子であったことは、最後の方で明かされる。

マユとサンは親友という事で、最初からなのか、悲惨な戦争体験の極限状態の妄想の繭のおかげか、ラストでは相思相愛状態になっていた。

マユは銃撃で重症を負って最期にサンが好きと告白し、サンは私も好きと返す。死ぬ直前に相思相愛を確認したところで、サンはマユが男子である事を知り、米兵が二人を見つける。おそらく、マユは相思相愛状態で死んでいったという意味では、マユにとっては救いだったのかも知れない。

戦争から逃げるためとは言え、性別を偽り女学生として生き、女学生を好きになる。しかし、自分が男子である秘密は明かせない。なぜなら、マユが好きなサンは男性恐怖症なのだから嫌われてしまう。

この気持ちのまま、サンを守りたい気持ちで一緒に来たのに、サンを犯したレイプ犯を許せず首を締めて殺してしまう。

好きという強さで純愛モノと言っていい作風なのだが、これだけ狂気で死体だらけの世界だからこそ、フィクションの物語の美しさが輝くのかもしれない。

<2025.2.20追記>

振り返ってみるとマユは、最期まで立派にサンのナイトであり続けていたと思う。自分もいつ死んでもおかしくない状況で、あそこまで正気を失うことなくマユを守れたのも、大切で大好きな人だったからに他ならない。

ただ、マユはレイプ犯の日本兵を殺した罪に苛まれる。夢に見て吐くほどに。愛ゆえの罪であるが、それを貫くときにマユ自身が清らかでいられなくなった。

椿組の手榴弾自害現場からサンが逃げ出してしまったとき、マユは「死ぬのは負けだ」「自分で繭を破ってふ化するんだ」とサンに言った。繭は現実逃避の妄想空間だから、妄想→現実に戻る=生きる、と解釈していいだろう。もともと、繭に逃げ込むのはマユの提案であるが、それも生きていればこそである。世界は妄想でやり過ごせるレベルを超えて来たため、現実を生きる強さが必要だと腹をくくったとも言える。

マユは自分の死を悟ったとき、レイプ犯を殺した罪とサンへの愛を告白した。ここで、これまで自力で生きて来たマユが、はじめて妄想の繭のおまじないをしてとサンに頼む。二人だけの妄想の繭は誰も壊すことができない、と。死ぬ前に妄想の中だけでも、マユが理想とする清らかな世界を生きたい。地に足がついていたマユの足が地面から離れてゆく。マユは愛を貫き通した。

マユが男子である事を知ったサンの反応を見る事なく死んだのは、マユにとっては幸せだったのだろう。そして、マユの願い通り、サンは新しい世界で生きてゆく。その意味で、マユの願いは叶えられた。

アニメ化にあたり

現時点の情報では、2025年3月末に、NHK-BSで先行放送され、NHK総合で8月に本放送される予定となっている。絵柄はジブリ寄りで名作劇場っぽいが、本作のアニメ化には期待よりも不安な気持ちが大きい。

本作は、非常に凄惨な戦争体験が肝となっており、それを淡々と描くことが、本作の反戦映画としてのスタイルになっている。そのため、アニメ作品であっても、かなりグロテスクな描写が必要になるだろう。しかしながら、男性は白い影法師で描かれたりするため、それに乗じて生ぬるい描写になったりしたら、本作のパンチ力が失われてしまう。レイプなどは物語の肝だったりするが、そこまで描いてくれるだろうか。

もう一つの心配は、本作を反戦映画として強く押し出してしまうと、少女性や恋愛の物語の残酷な美しさが描かれなくなってしまいそうな予感もある。どちらかというと、本作の肝はこの物語部分にあると個人的には思うので、そこは決してないがしろにしてほしくない。

この原作の絶妙な調合のさじ加減が生かせるかどうかは、アニメの蓋を開けて見なければ分からない。

おわりに

3月にアニメ化する際に、話題になる事を見越して原作のブログを書いたという下心はありましたが、原作マンガを事前に読んでおいて良かったと思いました。

今日マチ子先生のマンガはもっとエッセイっぽいホンワカしたものという印象だったので、一冊目に読むにはパンチ力があり過ぎました。できれば、もう少し緩い作品を読みたいなぁ、というのが率直な今の感想です。