たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜

ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

はじめに

映画「小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜」の、いつもの感想・考察です。

メイドラゴンのTVシリーズはかなり好きだったのですが、京アニの中でも少し特殊なモノを背負った作品なのかと思います。その意味で、1期の軽さの部分が2期だと少しシリアス寄りになった印象でした。

今回の映画も、映画然としたアクションや音響と、メリハリのある演出で十分映画足りえたと思います。が、反面、戦争も匂わせたりという、ややシリアスで重いディレクションだと感じました。

ただ、それとは別に私自身は熱狂して見たというよりも、ある意味、淡々とドライに観てしまっていました。その理由は、自分でも良く分からないです……。その辺りも、ぼんやり考えながら、感想・考察を書きました。

  • 「テーマ(ドラゴンと人間)」章 (2025.7.13追記)

感想・考察

なぜか全体的にフラットに観てしまった

ぶっちゃけた感想から入って恐縮だが、今回の映画はなぜか分からないけどフラットにみてしまった。それは、ジークアクスの熱狂を終えて、何らかが麻痺してしまったのか、シンプルに私の感受性が衰えたのか…。

104分の上映時間で、映画として期待通りの盛り上がりも見せ、演出も強めで感動的ではあったし、いつも通り実際なんども涙ぐんでいた。メイドラゴンを知っている観客なら、十分以上満足できる仕上がりになっていたと思う。キャラクターも2期を経て、それぞれの持つ感情を繋いだドラマを展開させてくれて、キャラ愛も感じさせてくれた。ファンの期待は裏切らないクオリティだったと思う。

ただ、小林さんのキャラクターは明確に、2期から変化していて、そのブレを危うさにも感じてしまった。その事は、滝谷も劇中で指摘していたし、熱い小林さんもまた小林さんではあるのだけど、そのキャラクターの変化を違和感に感じてしまったのかもしれないし、ちょっと複雑な気持ちになった部分はなくもない。

多分、(1)カンナの父娘の親子愛問題と、(2)ドラゴンの戦争回避問題と、(3)弱者(=小林さん)に何ができるか問題、などのいくつかの問題が並行して描かれていて、気持ちが分散してしまったのかも……、とも考えましたがこれもピンとは来ていません。

ネガ探しになってもあまり意味はないので、各キャラクターについて自分の中で整理しながら書き進めてゆこうと思う。

キャラクター

小林さん

ドラゴンの世界で親子の愛情はなく、子供の時から同胞として鍛えられてゆく社会。今回、小林さんはキムンカムイと接して、理解はしているモノの、キムンカムイに人間の習慣としての親子愛を分かってもらって、カンナと接して欲しい気持ちが先行してしまう。普段なら、折衷案などを提案するスタイルの小林さんが、カンナの心情をおもんばかるばかりに、力もないのにキムンカムイに啖呵を切ってしまう。当然、キムンカムイが暴力で怒りをあらわにして、トールが守るというやり取りに。

つまり、小林さんには2つのテーゼが与えられる。

  • (a) 理性を超えて習慣や常識が異なる相手に自分のエゴをぶつけてもいいのか?
  • (b) 圧倒的な弱者(=小林さん)が、大切な人を守り幸せにできるのか?

(a)に関しては、余計なお世話でも、その気持ちを大切にしたいところから、エゴを通す。具体的には、キムンカムイに人間の習慣や常識を伝えて、理解してもらう事を試みる。もっとも、ドラゴンが人間の常識を知ったとしても、ドラゴン側の迷惑はどの程度のものか、という所はある。トールはドップリつかり元には戻れない(戻らない)ことから、終焉帝との親子の縁は大喧嘩して切れかかっている。だから、たかが、人間の親子の愛情を理解した程度で何も起きない、という保証もない。そこがまずスタートラインだと考えた方がいい。

小林さんは、ここで暴力を使わず、手紙による文通で意思の疎通を図る。酒好きのネタをフックに入れて、馴染ませてゆく作戦であり、聡明さが伺える。地味なネタに思うかもしれないが、テーブルに着かない相手と対話を図るという意味で、すごく的を得ていると思った。実際に、これでキムンカムイは人間の親子愛のざっくりとしたところは掴めて来ていたのだろう。ただし、キムンカムイからの返事の手紙は、アーザードの検閲により消されてしまっていたので、その線からの理解も一方通行になってしまっていた。

その後、魔法使いの人間アーザードのたくらみにより、ドラゴンの世界で混沌勢と調和勢の戦争が一発触発の状態であること、そのトリガーがカンナにある事が判明する。

(b)の方は、カンナがドラゴンの世界に出向いてしまったときに、戦争を回避し、カンナを連れ戻しにゆくミッションに用心棒のトールと一緒に行く。その先で、小林さんはトールとはぐれ、偶然出会った妖精と一緒にカンナの元へ進むが、人間の非力さを実感する。来る前に多少魔法の勉強をしても付け焼刃。しかし、カンナが持っていったスマホとオーディオレコーダーと、自分のスマホを使って今回の紛争がアーザードの悪だくみによる事を暴露し、本格的な戦争は回避する。力ではなく知恵と勇気で乗り切るタイプの作劇である。面白いのは、一度火のついたドラゴンたちは簡単に収まるわけもなく、ヤンキー漫画よろしく乱闘は続くが、そこはファフニールとエルマが加勢してこのドタバタを押さえてゆく。

最後は、キムンカムイとカンナとの説得が仕事だが、キムンカムイがアーザードに操られて暴走しており会話ができない。一度だけ強力なパンチが撃てる魔法を覚えてきており、トールの魔法の手助けもあり、キムンカムイをぶっ飛ばして正気に戻す事ができた。この辺りは、弱者の小林さんが人間の力を超えており、祈りにより物語も動き救われる流れだと思った。このパンチは、キムンカムイを救う意味がもあったし、カンナとの対話の時間を提供するキッカケ作りとなった。ただ、その後、父親のキムンカムイの不確実だが確かに感じる親子愛に、複雑な心境を抱いていた風にも感じた。この辺りのスッキリしなさ、ドライさは個人的に好みではある。ちなみに、魔法のワンパンの小林さんなら惜しくないであろう代償とは一体何だったのかは、読み取れなかった。

いつも、小林さんのために命がけで尽力しており、今回も例に漏れないが、最後にトールのために休暇を取ると言うやさしい言葉をかける。冒頭の言動の反転になっており、映画を〆るのに心地よい終わり方になっている。

ここからは、TVシリーズから通しての個人の感想だが、小林さん→トールというのは重すぎる愛情を感じつつ、恋愛感情で返せないというトールにとってはある意味、寸殺しの状態が続いている。1期OVA14話では、小林さんはトールの愛を拒絶した。2期12話では、小林さんはトールの愛を保留した。これは、小林さんの心情の変化があったと私は解釈している。つまり、客観的に理路整然と考えていた小林さんが、トールの情にある程度受け入れ、トールに対する優しさを見せた。もちろん、人間とドラゴンの種の違い、寿命差からも、相思相愛になっても苦しみが残るだけ、という判断があるのは不思議ではない。それでも、トールに歩み寄った。それが2期の〆方である。今回の映画のはじめと終わりは、丁度2期のはじめと終わりの小林さんとトールの関係性をなぞっただけの形にみえる。つまり、原作漫画は連載中で、まだ続く作品ゆえに、小林さんとトールの関係性も現状キープという形になったのではないかと思う。それはそれで、一つのディレクションとして理解はできるが、この件に関して、いつもトールが不憫に思えてしまうので、少しモヤモヤが残ってしまったのは、書き残しておこうと思う。

また、小林さんがドラゴンの戦争を回避した。昨今の世界情勢を見ても、ウクライナとロシア、イスラエルイラクなどの戦争が起きており、日本は比較的他人事で過ごせているが、これらの戦争も反対しやめさせたい。昨今のエンタメ作品として、本作も戦争回避や戦争終結の祈りが含まれていると考えてもよいのだろう。本作の肝は、武力ではなく、知恵と勇気で戦争を回避したという部分。日本人の観客も戦闘せずに戦争回避できる、という意味が込められているのかもしれない。が、個人的にはこっちはサブテーマで、メインテーマはカンナとキムンカムイの対峙にあるのだと思う。

カンナ

今回もカンナは可愛い。今回のカンナのテーゼは、下記だったと思います。

  • (a) 人間でいうところの、親子愛で父親と通じたい(しかし、ドラゴンの世界に親子愛の概念はなし)
  • (b) しかし、人間の世界の小林さんや才川とも別れたくない

父親から親子愛を感じずに凹むが、そこは自分も通った道なので仕方ない事は理解する。そして、罠と知りつつも命がけ(=人間の世界に戻れない覚悟)でアーザードと対決し、小林さんの協力しあって戦争も回避する。そして、最後には父親の背中を追いかける子供としての純粋さもみせる。理解したかどうか父親本人も分からない親子愛だけど、その父親とカンナの間に気持ちの繋がりができ、これからも紡いでゆけばいいという希望を見せた。

とは言え、父親の許しもあり、またしばらく人間の世界で小林さんや才川たちと過ごす事ところで〆る。

この書き方がいいかは分からないが、カンナは子供であり、それはドラゴンであってもである。その子供が生き生きと過ごせる世界が大切なのだと、カンナを通じてメッセージを伝えているのではないかと思う。

イルル

アーザードと面識があり、スパイのような行動で、悪だくみをいち早く把握する。その上で、今回のドラゴンの戦争回避に首を突っ込もうとしている小林さんに、直接被害はでないから、スルーしないか?と提案するシーンでハッとする。対岸の戦争を見て見ぬふりをするのは、私も同じではあるから、である。今回は物語的に、他人ごとに介入する選択を取るが、常にスルーという選択肢が悪手とは個人的には思っていない。一択で物語が転がされてゆかないところに、エンタメとしての思慮深さがある。

それはともかく、そのフックがあって、小林さんが武力ではなく知恵で無用な戦争を回避したエピソードが効いてくる。

イルルと言うキャラクターは、幼少期に人間と遊んでいた楽しい記憶と、ドラゴンとしてドラゴンの風習の中で人間を憎むように育てられてゆく過程で上書きされてしまった、好きと憎しみのコンフリクトで悩んでいたキャラである。2期では最終的に幼少期の人間と遊びたかった自分を受け入れられるようになり、小林さんの元でメンタル的にも回復していった。今回のエピソードでその辺りに触れる必然はなかった点は少々残念ではあるが、アーザードとのバトルでの見せ場もあり、適度に活躍があって良かった。

トール

今回のトールは表情が渋いシーンが多かった。この渋さはいぶし銀ではなく、苦しいながらの判断や行動、という感じのである。

今回のトールの役割は、小林さんを守る以外に、今回の騒動の元凶であるアーザードの始末(=ドラゴンの世界の平和を守る)というテーゼを背負っていたと思う。

小林さんが、ドラゴンの世界にカンナを追いかけて戦争も回避するとしたとき、小林さんを守り切れるかで不安になってしまったところ、ファフニールに喝を入れられて、奮起する。ドラゴンどうしの荒々しい仲間との付き合い方はTVシリーズではギャグにもなっていたが、今回は映画という事もあり、シリアスに決める。

本来、戦闘で相手を手加減するようなタマじゃないが、今回はアーザードの魔法を無力化しただけで命までは取らなかった。これも、小林さんが無益な殺生を悲しむからと、ドラゴンが人間に感化された形である。人間の世界に来たドラゴンはみな人間に強く感化されているが、それが常識を変えられるという、未来への希望的な余韻にもなっていたと思う。しかしながら、その常識が変えられるというのは悪い方にも変わると言う事でもあり、もろ手を挙げて喜ぶような部分ではないのかもしれないが……。

小林さんのところでも書いたが、トール→小林さんの報われない愛が、常に漂ってしまうので、それを見ているとこちらも息苦しくなる。

今回、トールは主役ではないので、進展がないのも仕方ないのかもしれない。ただ、今回の映画では、単身アーザードと戦う際の眉間にしわの寄ったような苦い表情のトールが印象的で忘れられない。

テーマ(ドラゴンと人間)(2025.7.13追記)

鑑賞後、数日経過してい頭の中のモヤモヤが少し整理されてきたので、考察を追記しておく。

神としてのドラゴン

本作ではドラゴンは「神」的な超常的なパワーを持つ生物として描かれている。日本では古来より龍神様という言葉もあり、水にまつわる神として崇められている。おそらく、台風などの自然災害や、干ばつによる農業の凶作など、人間にとって無慈悲な自然現象に対してメンタルを保つための帳尻合わせ的な存在として崇められ祀られてきたのが龍神様であろう。

TVシリーズではトールが「人間は下等生物」とよく言っていたが、神の視点から人間は微弱でアリみたいな取るに足らない存在でしかない。また、自然災害が人間の気持ちとは無関係に発生するため、神様は気まぐれな存在だと思われる。つまり、ここには人間を苦しめようとする悪意はなく、天災が起きるのは偶然である。ドラゴンが人間の風習や習慣を理解せず、親子愛はなく、ただの大自然や宇宙の営みのような存在である事と符合する。地球温暖化や隕石落下に人情がないのは当然である。

本作の設定では、圧倒的なパワーを持つドラゴンだから、親子愛がなくても種が絶えることなく子孫繁栄できるということであろう。だから親子愛がない事も当然。でも、彼らも生物であり、トールのように人間の世界に来て暮すドラゴンたちは人間の価値観を受容している。また、TVシリーズ2期では、小林さんの会社の専務(=魔法使い)が終焉亭に人間の親子愛の価値観を与えたエピソードもあった。つまり、後天的であっても、価値観は変える事ができるものとして描かれる。

少し神からは外れるが、ドラゴンは混沌勢と調和勢の勢力に分れてイデオロギーの違う集団を形成しており、今回も一発触発で戦争が勃発するリスクがあった。その意味では、第二次世界大戦後の米国とソ連の冷戦時代を連想させるところもあり、ドラゴンが強大な力を有する大国の比喩になっている部分もあろうだろう。その場合においても、強大なパワーゆえに個々人の人情は置き去りになる。

今回、小林さんは「ドラゴンは純粋」という台詞がある。それは、振る舞い自体に善意も悪意も存在しない自然現象的な立ち位置にある事を示しているし、計算や作為がなくヤンキーのように目の前の事象に直球で突っ走る性質を表している。そして、子供のように純粋であるがゆえに、その性質を見抜かれると利用されやすい。今回のケースではアーザードに悪用された形である。

神殺しのアーザード

アーザードは、ドラゴンの戦争で妹?を殺された被害者である。それが動機となり、魔法使いとなり、ドラゴンに近づいて戦争を起こさせ、ドラゴン同士を殺し合わせようとした。

本作では「アーザード」は明確な「悪」として描かれたのま間違いない。イルルとの戦闘でいかにも悪そうな顔をして、メンタル的にもイカれた描かれた。しかし、アーザードの憎悪の感情の奥にある愛する人を殺された悲しみを見たカンナは、一瞬だけ哀れみの表情を目に映す。ただし、そこに情状酌量の余地はない。

竜玉に秘めたる増大な魔力でカンナとバトルし、ドラゴン(キムンカムイ)を乗っ取り操って、小林さんたちと戦わせる。ドラゴンにも存在する心を踏みにじる。

これまでの文脈で考えると、自然災害への憎悪があり、自然現象をコントロールしようとする風にも考えられなくもないが、ここに明確な悪意を乗せる事で「神殺し」としての物語に固定している。これは、小林さんに対するアンチテーゼであろう。

神と心で対話した小林さん

一方、ドラゴンとは対話や交渉で、落としどころを探りながら、ドラゴンをコントロールしてきた小林さん。この姿勢がアーザードと対極であり、もちろん小林さんにはドラゴンに対する憎悪はない。

ただし、ドラゴンに対して圧倒的に弱者であり、ドラゴンと対等に渡り合うためにはトールのバックアップがあっての事。

小林さんは、序盤ではキムンカムイとの文通で対話を試みている。平和的な対話から入ろうとしたが、アーザードの検閲により事実上、一方通行の対話にしかなっていなかった。

本作では物語的なカタルシスとして、小林さん自身がキムンカムイをぶん殴って目を覚まさせる必要があったので、小林さんの会社の専務に魔法の技(ワンパン)を教えてもらって、1回だけドラゴンと力で対等になって戦った。これは、カンナの育ての親vs生みの親の殴り合いの喧嘩である。実際のところはトールの魔法のバックアップも貰ってのKO勝ちだったが、トールと力を合わせる意味も物語上はあるので。

つまり、小林さんはドラゴンと心で対話し、アーザードはドラゴンを魔法で操りコントロールしようとした。見た目は、両者ともドラゴンと交渉しているように見えても、その本質はまったく違う。

今回の小林さんは、明確に1期2期から変化しており、ドラゴンに対して人間的な価値観を持って欲しいという、エゴとも言える感情が芽生えていた。それは、身内であるカンナを悲しませたくない思いからである。小林さんはドラゴンとも心で通じ合いたい。ドライでスマートな対話と交渉が持ち味の小林さんが感情を他者に押し付ける形である。これは、トールが人間の価値観で変わった事と同様に、トールたちとの付き合いで小林さんの価値観が多少変化しはじめた事になるのではないかと思う。

アーザード(悪)を殺さなかったトールの怒り

もともと、トールは人間は虫けら同様な下等生物(小林さん除く)というスタンスなので、アーザードを殺すことになんら躊躇う必要はなかったはず。

しかし、小林さんが悲しむからと、人間の価値観に合わせてトールはアーザードから魔力だけを奪い、命までは取らなかった。この時の、トールの怒りにも似た悲痛な表情が印象的である。神が人間に屈するのか、という風にも見える。

今回はドラゴンの無駄死には描かれていないが、これまでの経緯でアーザードがドラゴンを殺して罪を重ねて来た事は、おそらく間違いがない。トールの裁きでは、その罪は死刑ではない。

本来、このような考察を書くのはどうかとも思ったが、どうしても気になってしまったので、書き留めておこうと思う。

私は、どうしてもここで6年前の京アニ放火殺人事件という悪を連想してしまう。京アニという残された被害関係者遺族が喪に付す姿と無念という気持ち。ただし、悪に対する憎しみの連鎖は望まない。もちろん、原作漫画にあったエピソードという事なので、そうした意図ではないのかもしれない。ただ、これまで明確な悪意というのが存在しなかったメイドラゴンのシリーズに、明確な「悪」が設定された勧善懲悪な劇になっていた違和感があっただけかもしれない。この無念と言う空気が今回のメイドラゴンの空気を支配していたような気がしてならない。

おわりに

今回は、なんとなく物語の構造をまとめきれている気がしないですが、各キャラクターの見せ場だったところを足場に感想を書いてみました。私にしてみれば、例外的なブログかもしれません。

シンプルにいつものメイドラゴンが見られた安心感はあったのですが、映画として十分満足できる出来栄えだったと思います。

SNS上、あまりにも反応が薄いので心配になってしまうのですが、メイドラゴンが好きだった人は観て損はない映画です。