本ブログは、「響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」のネタバレを含みますので、閲覧ご注意ください。
はじめに
2017年12月15日、映画「リズと青い鳥」のPV第二弾がネット上で公開された。
これにより、スタッフやみぞれと希美のキービジュアル、キャラクターデザインが公開され、「聲の形」のメインスタッフが再集結する事が判明した。原作はユーフォの第二楽章となっている。
予想はしていたが、キャラクターデザインは西尾さんのより繊細なデザインに変更され、随分と大人っぽくも微妙な表情も出せるように線が細くなった印象。今回目指す演出に合わせてテイストを変更してきているのだろうが、頷ける改変だと思う。
このタイミングで第二楽章の希美やみぞれについてのツイートが活性化されて、色々思う所があったので整理しておきたいと思う。
PV第二弾の見所
PV第二弾を見た感想です。ツイートそのまま貼り付けです。
「聲の形」のスタッフ終結と関係しているのか分かんないけど、キービジュアルが翡翠色というかエメラルドグリーンの印象で、水面の揺らぎを強調している所が、共通点に感じた。
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2017年12月15日
「リズと青い鳥」公式サイト https://t.co/IXT2W9kcJy #リズと青い鳥
#リズと青い鳥
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2017年12月16日
スタッフは「聲の形」と重なる。
高校三年生最後の青春、という事だし、原作は第二楽章になっているのだから、メインは3年生の部分の話なのだろう。 pic.twitter.com/AqUQGtirxA
#リズと青い鳥
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2017年12月16日
1枚目の絵の色調、高密度感、空気感、うまく言えないが気合感じる。
2枚目3枚目の希美とみぞれは望遠レンズ効果で随分と手足がスラっとして従来のデフォルメ感が無くカッコいい。服の布素材が柔らかい感じが印象的。
そして、この二人の距離感を切り取ってきた。 pic.twitter.com/bNF1e4Sf8G
#リズと青い鳥
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2017年12月16日
こちらのアップのカットは従来のキャラデザインの雰囲気の上に上手く表情のディテールを乗せられる様に線を細くした雰囲気。
なんかみぞれの髪の毛描くだけでも大変そう、と思ってしまう。
それにしても、PVでは本当に二人しか出てこない二人だけの世界。他のキャラも早く見たい。 pic.twitter.com/sE5RoJzlp0
山田監督への期待
基本的に全キャラに優しい
山田監督は基本的にキャラに優しい。登場人物は只の悪者は居ない。山田監督は誰かを只の悪役に落とすような事は無い。その人の大切なものが違ったり、すれ違ったり、そうした事で生まれるドラマは、例え、酷い事、えぐい事をしているキャラが居ても、そのキャラにも寄り添えるように作品を仕上げてきている、と思う。
それは、今回の希美にも、みぞれにも言える残酷さを、惜しげもなく表現しきる事が出来る、山田監督ならではの武器だと思う。
そういう意味で、今回の作品は少なくとも、小説版の第二楽章の残酷さは、欠かすことなく映像化してくると思う。これは、確信してる。
ラストにどんでん返しの演出
「たまこラブストーリー」も「聲の形」もラスト付近に観ているものを混乱させる、あれ!?今何が起こった?というシーンがあり、今回もそのテイストのシーンをラストに組み込んでくると、一介の山田監督ファンは考えているのだけど、少なくとも第二楽章のラストには困惑シーンは無さそうであり、この所をどうしてくるかな?というのが、小さな楽しみです。
ストーリー妄想
ストーリー構成
映画の尺は全く分からないけれど、今までの山田監督の傾向からすると90分くらいだろうか?
映画というのは、日常のシーンを積み重ね、時にストレスを蓄積させ最後に爆発させて解放感を得るという流れが基本ではあるが、3年生時代だけで90分を作るのも無理があると思うし、やはり、1年生の時の希美の退部と、2年生の時のみぞれと希美の復縁は、初見の観客のためにもあるのではないか?と想像している。
第二楽章のメインディッシュである3年生府大会突破後の一か月を観客にストレスたっぷり与えながら合宿のみぞれオーボエ無双シーンで盛り上がり、関西大会二日前の太陽公園の「大好きのハグ」のシーンで〆てくるという配分かな…、とか妄想している。
登場キャラ
これはみぞれと希美の主観の物語だとすると、登場人物は凄く限られてくる。届けたいメロディ同様に群像劇のユーフォとは正反対になると思う。私の思う主な登場人物は下記。
- みぞれ
- 希美
- 優子部長(みぞれ過保護)
- 夏紀副部長(希美過保護)
- 久美子(完全中立)
- 梨々花(みぞれ後輩)
- 滝先生
- 新山先生(みぞれの音大牽引)
南中カルテット
とにかく、優子と夏紀は本作で然るべき重要度で登場して欲しい。
もともといびつなみぞれと希美だが、優子→みぞれの思いとは裏腹にみぞれ→優子の距離感、拒絶感を持っている所や、夏紀→希美の一方的な献身やそうした思いが一方通行で見返りが無い関係の残酷さ、みたいなものもきちんと本作で描いて欲しいし、描かれるべきだと思う。
TVシリーズを見ていた時は、みぞれ↔優子の双方向の思いになって欲しいと願い続けて、結局そうはならなかった。多分、TVシリーズで描きたい事の比重から考えると、吹いて消し飛ばしてしまいたい要素だったのだろう。
しかし、本作は少女の奇麗さ残酷さは表裏一体という趣向なので、キッチリ残酷に描いたまま終わるのも、山田監督の采配次第。TVシリーズのようにあいまいに隠すのではなく、直球で残酷さをぶつけて欲しい、と思ったりしている。
久美子について
私は、別のブログのコメントに、登場人物の改変で久美子は消されてしまうかも、と書いたけど、やっぱりいろいろ考えてみて、みぞれと希美に中立で接し、二人のいびつな関係を観客に客観的に伝える立場の人物が必要で、久美子は消される事は無い様な気がしてきた。
久美子はみぞれに、希美が音大に進まず別々の進路になる事についてみぞれに問いかけた。久美子は希美に、みぞれに黙って音大を諦めその事と放置している事を責めた。そうした事が優子や夏紀では出来ない。
視聴者視点としての久美子は、やはり外せない気がしてきている。
新山先生について
第二楽章で新山先生はみぞれに対して、大切な人を手放してしまうリズの気持ちにはなれない、といのは私も同じだった、と言った。
そして、新山先生は、青い鳥の気持ちになって演奏させる事で、大切な人の希望が大切な人の手元から飛び立つ事だとして、みぞれの演奏を解放した。自由に飛び立つ事こそが、大切な人への報いであるとした。この新山先生の逆転のロジックは、みぞれがその後、自分で希美から飛び立つための疑似体験を与えた、とも取れる。そこまで考えての新山先生のアドバイスだったのではないかと想像している。
ここからは、完全に個人の妄想ですが、こうしたエピソードがリズと青い鳥に含まれても良いな、と思って書きます。
かつて、新山先生もみぞれのように誰か大切な人に固執した。でも、その人が新山先生を大空に羽ばたかせる事を望み、みぞれのように青い鳥の気持ちで演奏させて大切な人から巣立つことが出来た。そしてその人は大学時代の滝先生の奥さんで、その時もまさにリズと青い鳥を演奏した。滝先生もこの過去を知ってはいる。そして、今年のコンクールのこの曲を選んだのは、みぞれの事を想った新山先生だった…。
これは第二楽章を読んだ時から悶々と考えていたネタですが、こうした裏エピソードみたいのが、劇中に表れても良いかな、とか妄想してた。
希美について
今回、PV第二弾公開とともに、ツイッターでリズと青い鳥、第二楽章のツイートが活性化された。その中のの希美のダークサイドの解釈で、みぞれに対して優越感に浸っていただの、みぞれに対して悪意をもっていたともとれる発言を目にして、ひどく違和感を覚えた。
この違和感を是正したい!という気持ちが強く、そのためだけにこのブログを書いた、と言っても過言ではない。これから、その事を書こうと思う。
第二楽章で希美は、これまで描かれなかった良い子では無い面が描かれた。
希美という人間は、本質的に明るくて良い子である。決して性悪な子では無いと思う。希美は意識的に良い子で有り続けたいと思っているが故に、良い子の体裁を重視する。また彼女の持つプライドから自分に都合の悪い事を相手に言い出せずに、そのまま問題を放置してしまい、最終的に相手の心を傷付けてしまう。希美の問題というのはそういう類の事だと思う。
希美の問題は具体的には下記2点だと思う。
- 一つは、作り笑いに象徴される、良い子を演じ続けて、内面を押し殺してしまう性格。
- 一つは、自分に対するプライドと、みぞれの演奏に対する嫉妬心。
みぞれに対する希美の不幸は、この2点に集約されるのだと思っている。
好きと嫌いの話で言えば、希美はみぞれのオーボエ(みぞれの奏でる音楽)は好きだが、みぞれという人間とその才能と環境に嫉妬した。もちろん希美はプライドから嫉妬しているなどと口にする事も無い。相反する好き嫌いからくるストレス。
みぞれは希美の興味を引くために練習を積み重ね最高のオーボエを聞かせるが、それが希美にとっては嫉妬という感情を生み、みぞれを嫌ってゆくという皮肉。希美はこのやり場のない気持ちの中、みぞれに対して連絡なしに退部したり、連絡なしに音大を諦めたり。そんな事が重なり、みぞれの好きの気持ちを踏みにじってしまう自分に対して自己嫌悪まで生まれ、自分の業を責め続けて生きてきた。
私はこんな希美に単純な悪役のレッテルを貼る事は出来ない。久美子では無いけど、酷いとは思うが嫌いにはなれない。
希美のバックボーンはこうした複雑な要素の積み重ねで成り立つが、ツイッターなどの断片で希美の事を悪く言うのは、希美が可哀そうと思ってしまうくらいに、第二楽章に入れ込んでいる。
これが私の第二楽章における希美の理解なのだが、リズと青い鳥を観たとき、この解釈と一致しているのか?全く新しい解釈が付与されるのか?その辺りはとても楽しみ。
みぞれについて
一方でみぞれについては、世間的にもそれほど引っかかるツイートというのは無い。
ただ、みぞれのいびつもキチンと描いて欲しい。
- 一つは、希美に固執しすぎて聖人化し、フランクに接する事も出来ず、希美の言われた通りにしてしまう事
- 一つは、希美を失う事を予感しながら、そうなった時の事を何も想像できない、超受け身体質な事
- 一つは、自分の都合が悪い事は思考停止してしまう事
みぞれを見続けて当たり前になっているが、みぞれというのは、個人というものを持たず、主張というものを持たず、自ら考えず、人として問題があった。自分でも希美に固執しすぎて気持ち悪いと思ってる。そうした、ダークな部分もキッチリ描ききって欲しい、と思う。
さいごに
取り留めもなく、書いてきたけど、世間でリズと青い鳥がツイートされている程度で、勢い書いたブログではあるけど、映画「リズと青い鳥」への期待を更に高めて残り4カ月を楽しみに待とうと思う。