たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

2023年秋期アニメ感想総括

はじめに

いつもの、2023年秋期のアニメ感想総括です。今期の視聴は下記の9本。意外と多かった。

  • 葬送のフリーレン(1クール目)
  • 薬屋のひとりごと(1クール目)
  • 経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。
  • MFゴースト
  • オーバーテイク!
  • 16bitセンセーション ANOTHER LAYER
  • 新しい上司はど天然
  • 呪術廻戦(2期)
  • スパイファミリー(2期)

今期はフリーレンと薬屋の二強でした。この2作品は、2クールものでまだ最終回を迎えていませんが、クールの切れ目で前後編的に分けられる内容なので感想に加えています。

感想・考察

葬送のフリーレン(1クール目)

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 敢えて行間を開け、侘しさを感じさせる、俳句のような大人の味わい
    • 時空を超えて交差する記憶と感情の、奥ゆかしさのあるエッセイのような作劇
    • 静と動の両方をキッチリ描ききるアニメーション
  • cons
    • 特になし

原作は少年サンデー連作中の漫画で、原作は山田鐘人、作画はアベツカサ。アニメ制作はマッドハウス。監督はぼざろの斎藤圭一郎。シリーズ構成・全話脚本は鈴木智尋。音楽のEvan Callは「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なども手掛ける荘厳な作品が得意な印象である。

アニメーションの感触としてはスッキリしたルックで、どちらかと言えばリアル寄りだとは思うが、陰影なども比較的サッパリしており、キャラクターの絵はシンプルな印象を受ける。本作は静かなシーンが多く、止め絵も多用されるが、ここぞというシーンは良く動く。それがアクションだけでなく、なんとなく上着を羽織るとかそういう日常芝居で動かしてくるので侮れない。総じて、静と動のメリハリを付けた作画だと言えよう。最近、アニメーションがリッチか否かとか、リッチならいいってもんじゃないとか書くことが多いが、本作はTVアニメのコストも考慮していい塩梅な仕上げと言えるかもしれない。

美術設定は考証を重ねたものであり、背景画のタッチも心地よい。ロードムービーで移動してゆくため、通過してしまう土地や建物をデザインしても使い回せないし、膨大な量の美術設定が必要になるが、そこに妥協はない。全てのモノがそれらしい意味を持って形を成している。

フリーレン(CV種﨑敦美)はエルフで、千年以上生きている長寿キャラだが、喋りが異常に遅い。私が想像するに、ゾウが長寿で体内時計の進みがゆっくりなのと同様、フリーレンも体内時計がゆっくり進んでいるからとだと解釈している。では、フリーレン以外のキャラが早口かと言えばそうでもない。本作は全体的にゆったりした静かな芝居が多い。もちろん、芝居の速度は絵コンテの時点で計算し尽くされたものであり、シリーズを通して一貫している。

前置きが長くなったが、本作の物語やテーマについて触れてゆこう。

物語としては、これまで人間に興味を持てなかったフリーレンが人間(主にヒンメル)を知ろうとする物語が軸になっている。フリーレンが他人と深く関わらないのは、人間の寿命が短すぎて、すぐに死別してしまうからだろう。

フリーレンは、集落が魔族に襲われ孤児となったところをフランメに拾われた。生き延びる処世術として普段から魔力を外に出さずに不意打ちするスタイルを叩き込まれる。フランメの死後、魔力を封印したまま千年が過ぎ、ヒンメルに仲間として誘われて魔王を討伐した。心を許した人は限りなく少なく、次にヒンメルに拾われるまでの間も孤独に生きていたのだろう。しかしながら、エルフにも家族や愛情は必要であろうし、それなしで生きるというのは、いささかハードボイルドが過ぎる。

ヒンメル達との魔王討伐の旅は、人間なら喜怒哀楽諸々の感情が刺激されてしかるべきであろうが、フリーレンが持つ心のバリアゆえにコンクリートの無表情を崩さない。劇中では、ヒンメルからフリーレンへの異性愛を匂わせていたし、晩年まで独身を貫いていたが、もちろんフリーレンには通じない。そして、月日が経過してヒンメルの葬式で、フリーレンは何故だか涙が溢れてきて「もっと人間を知りたい」という気持ちになった。

おそらくフリーレンはヒンメルのその気持ちに向き合い、なんらかの回答を返すべきだったのだろう。その言葉は「ありがとう」だったかもしれないし、「ごめんなさい」だったかもしれない。意思疎通できなかった後悔が、天国のヒンメルと会話するための旅にフリーレンをいざなう。旅の仲間は、うぶで真面目な魔法使いのフェルン、自信を失くした勇者のシュタルク、あとはチョイ悪オヤジ僧侶のザイン。魔王討伐の旅路の追想となる旅で、フリーレンは過去からのメッセージを拾い集めながら、ヒンメルの気持ちに寄り添いに行く、という感じか。

ある日入手した情報により、記憶の中の当事者の分からなかった感情が理解できたり、行動の意味が変わってしまう事があるが、本作にはこうしたエピソードが多い。フリーレンの場合、適当に選んだ指輪をヒンメルに買ってもらった記憶があり、シュタルクがフェルンに同じ意匠のブレスレットを贈った事実があり、ザインからその意匠の「鏡蓮華」の意味が久遠の愛である事を伝えられ、あのときのヒンメルはプロポーズだった可能性を理解するとか。この辺りの記憶のピタゴラスイッチの仕掛けが凝っている。

またその前提として、本作の作劇はキャラクターに対して奥ゆかしさがある。AさんがBさんを好きだとして、ストレートに好きと言ったらおしまいなのである。好きと言えない状況で別の言葉を使って好きを表現するが、その好きが伝わらなかったりする。その伝わらなさが本作の肝である。それは、SNSで気持ちをぶちまける令和時代とは真逆の奥ゆかしさなのかもしれない。だから、本作に懐かしさを感じるのかもしれない。

本作はあまり白黒はっきりつけず、行間をたっぷり設け、侘しさを味わう作風と考える。もっと言えば、俳句のような味わいである。ただ、こうした作風の作品は近年少なくなっていたと思う。

本作の人気の高さを考えると、この作風は令和時代にもウケていると考えてよいだろう。しかも、若者も見ているということなので、年寄り専用というわけでもない。それは、先のSNS時代のエンタメの反動とも言えるかもしれない。個人的にはこうした作風は大歓迎なので、もっとこうした作品が増えてくれればとも思う。

薬屋のひとりごと(1クール目)

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • シリアスな推理物、猫猫⇔壬氏のコメディ、女性中心の時代劇など色んな要素をイイ感じに融合したカラフルさ
  • cons
    • 特になし

大雑把に言えば、世界観は中国風歴史物で、中身は探偵ミステリー。ホームズ役が後宮で働く侍女の猫猫(まおまお)、ワトソン役が壬氏(じんし)と捉えるとキャラ配置が分かりやすい(ワトソン役と言うには、ちょっと無理があるかもしれないが)。後宮と花街という表と裏の女性社会の光と影のドラマがあり事件がある。猫猫は優れた洞察力と薬学知識で事件の謎を紐解く。こう書くと、本作が本格ミステリー物みたいに思われるかもしれないが、猫猫の薬物オタクゆえの奇行や猫猫⇔壬氏とのコメディ要素も多く、気楽なテイストで入って行ける。

日向夏先生のライトノベルがあり、キャラクター原案しのとうこ先生、作画ねこくらげ先生のコミカライズからのアニメ化である。アニメ制作は、TOHO animation STUDIOとOLM。監督、シリーズ構成は「魔法使いの嫁」の長沼範裕。脚本は柿原優子、千葉美鈴、小川ひとみ、彩奈ゆにこの4名体制で、女性っぽさの強みを生かした作風となっている。

主人公の猫猫は後宮の17歳の下級女官のそばかす少女だが、もともと後宮の裏にある花街の薬師で、異様なまでに薬や毒に関心が強く、死なない程度に自ら毒を試して快楽にひたっていたという妙な性癖がある。梨花(りふぁ)妃の事件の謎を解いたことから壬氏に目を付けられ、玉葉(ぎょくよう)妃の侍女の仕事に移動して、壬氏の知恵袋的に活用される。

猫猫の面白さの一つは心の声として本音を喋ってくれるところにある。例えば、身分が低い相手の依頼に断れるはずもないと嫌味を言ったり、後宮内に生えている薬草を見つけては歓喜の声をあげたり、という具合である。もともと身分も低く、分相応に波風立てず目立たぬように振舞うポリシーなので外に出す口数は少ないが、心の中の本音は饒舌である。こういうときは二頭身キャラになったり、内面の可愛さ可笑しさがキッチリ視聴者に伝わる演出になっている。

また、無知ゆえに梨花妃を死なせかけた侍女に、普段は感情を表に出さない猫猫が大声で食ってかかるシーンがあり、その迫力に驚いた。助けられる命を粗末にする事に対する怒りである。この辺りは、CV悠木碧の演技力の幅に唸らされる。

こうした正義感とは別に、憶測で当事者の事情さえも見透かしてしまうため、敢えて未解決事件のままとしてしまう事もあった。憶測でモノを言ってはいけないのである。真実を暴かないことが救いになるという優しさである。

猫猫は基本的に群れたりせず一匹狼であり、そこはハードボイルド要素でもある。自身の出生についても謎である。そばかすも花街時代から女子力をワザと落とすためにやっている事で、そばかすを落とし化粧をすると見違える。養父は元宦官だったりで、どこかの妃の娘である可能性があったりする。

壬氏は後宮を管理する宦官なのだが、美女のようなイケメンで後宮の女子に人気がある。猫猫を知恵袋として使いはじめ、事件の調査に派遣したりする。壬氏が徐々に猫猫がお気に入り(片想い)になってゆく流れだが、猫猫からは毎回つれなくあしらわれる。この、壬氏→猫猫の一方通行のやり取りもまた、コメディとしての見どころとなっている。

事件により猫猫を解雇するか否かで猫猫に(嫌われないために)真摯に向き合おうとするシリアスな芝居と、その後に宴会の席で猫猫と再開したときの嬉しさからくる粘着質な芝居のギャップが可笑しい。

こちらも出生に関しての謎があり、途中で後宮を去った阿多(あーどぅお)妃と容姿が似ている。猫猫の憶測では、阿多妃が自分の子供と皇后の子をすり替え、その後に蜂蜜で亡くなった子供は皇后の子という可能性を示唆していた。ただ、ここは私の妄想だが、容姿が似ているなら阿多妃の息子が壬氏という疑惑が出てもよさそうなものだが……。

後宮も花街も「花園」であり「鳥籠」。因果を背負い、縛られた女性の悲哀があり、行きつく先に事件が起きるというシリアスなドラマが軸にある。そこに猫猫⇔壬氏のラブコメや二頭身キャラのライト感覚をラッピングした作風になっている。女性キャラ不在の劇にならぬためだと思うが、女性脚本家たちによる、重くなり過ぎない明るめで芯のあるシナリオも上手くできている。

最期になってしまったが、アニメーションのルックとしては、少女漫画寄りで分かりやすいキャラクターデザインをしており、作画も綺麗で芝居も丁寧でクオリティは十分以上。衣装は上級王妃は派手で複雑だが下女や男性の服装はシンプルなデザインで、色つかいはややビビット寄りだがキャラの属性などで設計されていて見やすい。背景美術は、後宮の広大な空間や建造物を感じさせたり、季節を丁寧に切り取ったりが上手い。総じて、こうした設定的な設計は良く出来ていたと思う。そして演出面では、推理中や何かヒントに気付くシーンは、その意図が誤解なく通じるように絵コンテや劇伴が作り込まれており、ミステリー物として基本を押さえた丁寧な演出だった点も評価したい。

ただ、事件の因果関係の説明が割と複雑で各話に小事件が散っていたところもあり、全体像が掴み切れずに後で観なおした部分もあった。この辺りは、私が漢語のキャラ名だと暗記が苦手というところもあったと思う。

総じて、推理物とコメディと女性中心の時代劇をイイ感じで融合させつつ、それぞれの要素が粗末になっていないところはお見事。演出も推理物のセオリーを守りつつ、コメディ多めで楽しさも詰め込む。色んな要素が割と素のまま入って美味しい作品だと思う。

経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • ベタ過ぎる王道のラブコメだが、不思議と胸やけはしない(個人の感想)
    • 嫌味のなく月愛(ノア)の可愛さを描く脚本
  • cons
    • アニメーション映像としては非リッチ

略所は「キミゼロ」。原作は長岡マキ子先生によるライトノベルのラブコメ。アニメーション制作はENGI。監督は大庭秀昭で、シリーズ構成は福田裕子が務める。

本作は、陽キャでギャルの月愛(ルナ)と陰キャのオタク男子の龍斗(リュウト)の考え方や価値観の違う二人が、恋人として付き合い始めお互いを大切にし大好きになってゆく過程を描く、ベタ過ぎるほどのラブコメである。

世間的な評価は高くない方だと思うが、個人的には脚本が丁寧で私好みだった。恋愛の綺麗なところをイイ感じでドラマに落とし込んできていると思う。

かく言う私も、低予算アニメという先入観で観ていたため、期待せずに1話を見ていたのだが、ラストのシーンで主人公の月愛の内面の素朴さからくる屈託のない可愛さが描けていてウルっと来てしまった。もしかしたら1話だけのまぐれかもしれないと思いつつ2話を見て、この脚本の丁寧さに確信が持てた。

こう言ってはなんだが、本作はアニメーションとしてはリッチとは言えない。夕方のデートの帰り道で二人以外誰も歩いていないとか、突然スポーツカーが1台だけ走ってくるとか、もう少しなんとかならんかと思うシーンも無くはない。がしかし、これも主題以外はバッサリ割り切るという潔いディレクションに思えた。つまり、このシーンなら二人の会話や気持ちに集中するために、敢えて他にノイズになる要素を描かない。もちろん、コスト面でも有利というのも大きな理由であろう。

とりあえず、本作のあらすじと良かった点について。

龍斗が奥手で女子に慣れていないのは良くある設定であろう。月愛の素直な可愛さは誰もが認めるところではあるが、こと恋愛関係に関しては来る男子を拒まず付き合い、肉体関係含めて男子に尽くし2か月以内に飽きられて捨てられる、というのを繰り返しており、これはこれで問題のあるキャラ設定である。平たく言えば、恋人は大勢いたが恋愛を知らずに生きてきた。

1話の最後で、とりあえず恋人になった龍斗が月愛とのエッチのチャンスを逃した事で、プラトニックな恋愛から始める事になる。実際には龍斗はエッチに未練があったのに、エッチは月愛がエッチしたくなってからでいいと言ってしまう。月愛は紳士的な龍斗の対応に、恋人として大切にされている事を感じ嬉しくなる。この時の月愛が嫌味なく可愛い。

その後のお付き合いも、プレゼントやデートを通じて少しづつ恋愛を育んでゆく。途中で海愛(マリア)が登場して三角関係的な紆余曲折やすれ違いがあるものの、ホンモノの「好き」を確かなものにしてゆく。

物語の途中で月愛は、龍斗がデートで体験する「初めて」を喜びつつも、色々と経験済みな月愛自身の「初めて」を龍斗に提供できない事を悲しみ、お祭りのデート中に泣き出してしまう。私は、この感性は持ち合わせていなかったので驚くと同時に、女子を可愛く描くのが上手い脚本だと感じた。

もっとも、この気持ちについては最終話のラストで親友の笑琉(ニコル)から「月愛にとっての初めての恋」だと告げられて、「私でもリュートにあげられる「初めて」があったんだ」の台詞で〆られる。上出来である。

他で粗さを感じない事もないが、この辺りの月愛の心情の描き方が上手く、ここはシリーズ構成と脚本の福田裕子さんの功績が大きいのではないかと想像する。

ちなみに、全話放送後の原作者の長岡マキ子先生のアニメスタッフに対する謝辞のツイートを下記に引用させていただく。途中に、原作者とシリーズ構成が意気投合という記載もあり、納得しかない。

と、ここまで女子っぽさが描けている脚本の良さを語ってきたが、あくまでベタなラブコメの範疇の作品なので、そこが楽しめない人は全くフックがない作品になってしまうだろう。

小説であれば文章表現や文体で伝えるところを映像に置換してこそのアニメーションであるが、昨今のリッチすぎるTVアニメーションだけがもてはやされる状況というのも、何か違うような気がする。作品のコアとも言える文芸面で輝きを感じた作品であれば、そこをキチンと評価したい。

MFゴースト

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 頭文字D」から継承する熱きレースバトルの楽しさ
    • その上、万人受けするように徹底的に「頭文字D」のネガ要素を潰して改善している
  • cons

言わずと知れた「頭文字D」の世界で繰り広げられる次世代のレースバトル。時代に合わせて設定が色々と今風にアップデートされている。ただ題名が変わっただけの作品じゃなく、従来の頭文字Dのエンタメ作品としての欠点がイチイチ改善されているので、まずはその点について説明する。

頭文字Dは、タイマン峠バトルゆえに、物語が単調でワンパターンになりやすい。また、ライバルキャラも順番に登場するため、群像劇のようなドラマの幅は出しにくいという欠点があった。

そこで、本作ではタイマンの峠バトルから、公道をクローズドコースにしての合法レースに設定が変わった。もともと峠バトルは違法な危険行為なので、これは今風のディレクションであろう。しかも、箱根、小田原の道路をニュルブルクリンクのような全長40kmのクローズドなロングコースとして周回させるというスケールの大きさにロマンがある。私などは神奈川県在住なので、実際にドライブして見覚えがある道路で次々とバトルが繰り広げられるだけでテンションが上がる。そして、ロングコースを複数の特徴あるセクターに分割して周回させることで、バトルの見せ場やポイントを分かりやすくしつつ、緩急をつけ飽きさせない作りになっている。

各車両の位置は個別にドローンが追跡して運営が把握するため、レース中の先行車や後続車との差をリアルタイムに秒単位で観測できる。セコンドブースでは車両情報もモニタリングしながら必要な情報を通話でドライバーにインプットする、という仕組みである。例えば、夏向のハチロクは非力のためダウンヒルでスピードを稼いでも、その後のストレートで追い抜かれる。その辺りの駆け引きも、先行車や後続車と何秒差という表現で分かりやすく工夫している。

キャラクターについても、神フィフティーンと呼ばれる上位ランカーを登場させ、先頭、第2、第3グループと並行してバトルを描くことで群像劇を展開しやすくなっている。頭文字Dはタイマンバトルゆえにドラマ運びは単調になりがちだったが、これで飽きさせず各キャラに無駄なくスポットライトを当てられる。

また、ヒロインである恋の視点を多く描く事も特徴である。恋から見る夏向への恋心はラブコメ的なにぎやかし要素でもあり、MFGエンジェルスとしてバイトする際の恥じらいや同僚との会話など、女性客にも共感しやすい要素を取り入れてきている。

このような改善点は原作漫画時点で綿密に計算されたものだろうが、ことごとくアニメとしてもプラスの追い風になっている。

次にアニメーションとしての出来について。

キャラ作画は丁寧で破綻することがない。この辺りはキャラクターデザインの恩田尚之作画監督の力量が伺えるところである。

もちろん、本作の肝である3DCGで描かれるレースバトルのカッコ良さは健在である。1回のレースでタイヤのグリップを100%使い切るという戦略をアニメーション映像で説得力を持って描けている。スタート直後にタイヤを温めるためにわざとテールスライドしたり、終盤のグリップが無くなってきた相葉のGT-Rの挙動が不安定になるなど、台詞による補足説明はあるが、絵自体でその事を分からせる。また、ときおりボンネット内のエンジンが咆哮するカットとか、サスペンションがストロークして有効に働いているカットとか挿入されるのも良い。こういう地道さが映像の出来の良さに繋がる。レースバトルの映像化については、すでに円熟の域に達していると言えよう。

レース中の芝居だが、クールな夏向(CV内田雄馬)に対しセコンド役の緒方(CV畠中祐)がいい味を出している。緒方は視聴者視点で夏向の凄さに付き合ってゆく事になるので、緒方の驚きや喜び、非力な車両に対するハンデキャップの辛さを生で伝えるための演技力が重要になる。また、ヒロインの恋には実力派声優の佐倉綾音を起用しているが、恋の位置づけ、芝居の多さからすると納得のキャスティングである。

本作の物語は、性能の劣る車両が無双して高価な高性能車に勝ち進んでゆくという、王道中の王道展開である。そして、そのカギとなる夏向の卓越した能力の秘密が徐々にあらわになってゆく流れや、きちんとロジックあるバトルの模様など、ストーリー作りも綿密である。また、謎めいた「グリップウェイトレシオ」のレギュレーションの意味も断片的には夏向の台詞でヒントは提示されてはいるが、まだまだ謎に包まれている。原作漫画は2023年10月時点で既刊18巻だが、アニメ1期は5巻までとストックもまだ多く、物語序盤という感じであるため先が楽しみである。

音楽は、頭文字Dの新劇場版からの続投となる土橋安騎夫ユーロビート主体を踏襲するが、流石に古く今風ではないと思うので、脱ユーロビートしても良かったと思う。

総じて、頭文字Dから継承する熱きレースバトルのドラマ、初心者にも何が起きているか分かりやすい表現力、夏向と恋のラブコメ要素を入れるなど隙がなく、ハッピーでより万人が楽しめるエンタメ作品に仕上がっていたと思う。

オーバーテイク!

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • あおきえい監督によるエモエモ演出な人間ドラマ
    • 軽快な青春ドラマと、重厚で挑戦的な震災テーマの共存
  • cons
    • 重箱の隅なのだが、個人的に一部に作劇優先の強引さを感じてしまったこと

F4レースを舞台に弱小チームの若きレーサー朝雛遥と、偶然関わったフォトグラファ眞賀孝哉の交流を軸に描かれる人間ドラマ。ベースのテイストはコミカルで軽快な芝居だが、肝心なシリアスな部分では右ストレートのようなパンチ力のある重厚な芝居を入れてくる。今期の話題作である。

制作はTROYCA、監督のあおきえいはエモさに定評がある。オリジナルアニメで原作はKADOKAWAとTROYCA。シリーズ構成はアイドリッシュセブンの関根アユミ、スーパーバイザーに高山カツヒコで、脚本も基本2名体制だが一部の話はあおきえいが連名となっている。

まず、本作はアニメーションとしての出来が良い。志村貴子原案のシャープなキャラクターデザインをアニメ映えする形に落とし込み、作画も綺麗。車両やコースは3DCGで描かれるが、グッと車両に回り込んで寄るといった3DCGならではのカメラワークだけでなく、レース中継などで馴染みのある望遠レンズで撮影したような映像やパドックなどの自然でリアリティを感じるシーンなども多く活用されている。つまり、迫力とリアリティの両面から絵作りされており、それが目立ちすぎることなく適切なディレクションで使われているという意味で、かなり好感触である。

一般人にはなじみの薄いF4レースの世界だが、詳細かつ分かりやすく描かれ、F4の現場の雰囲気や緊迫感が伝わってくるような映像の仕上がりはお見事。

さて、本作のドラマについてだが、若手ドライバーの熱き戦いのドラマだけでなく、考哉の震災のトラウマの乗り越えがあり、後者の方がメインになっていると感じた。

東日本大震災津波の直前、ファインダー越しに死の絶望の目をした少女の目を見てしまい、それ以降人物写真が撮れなくなってしまった考哉。その回復の原動力になったのが、試合に負けて悔し泣きしている遥の泣き顔を後ろから撮影できてしまったことをキッカケとなり遥を応援し始める。そして、誰かを応援する事で自分自身も鼓舞され前に進める、というロジックである。

個人的に、この「応援する」ことが自分を救う、というのは良く分かる。以前は、推し活で再現なく課金する気持ちは分らないと思っていたが、最近とあるVtuberにハマって推し活的な応援をしていた。具体的には、配信を見てコメントを書き投げ銭をしたり、X(旧Twitter)をリポスト+いいね+返信する。さらにハマればグッズ購入などにエスカレートしてゆくのであろう。兎にも角にも、相手を部分的にでも支えている実感が推し活の原動力になっていて、応援する側もそれで幸福感に浸れるのだと思う。つまり、考哉は遥を推し活する事で、考哉自信に幸福感を与え、トラウマの傷を癒しゆくのである。見過ごされがちだが、「推し活」が壊れたメンタルを治癒するという観点は、なかなか新しい切り口だと感じた。

個人的に好きなのは6話。レースという舞台では一つ間違えば命を失う事もある。天候が不安定なレース当日、考哉は事故死を恐れてレインタイヤを勧めたが、遥はスリックタイヤでレースで賭けに出る。序盤は晴れ間にも恵まれ好調だったが、天気は突然土砂降りに。冷静さを失いかける遥だったが、考哉の助言が頭をよぎり慎重にペースダウンする。しかし、直後に早月が接触事故を起こし重症を負う。ファインダー越しにコックピットの早月を覗いた考哉には、早月にあの日の少女の目がダブって見えた(幻影が見えた)。考哉は遥の命を救ったが、考哉自身はまた人物写真が撮れなくなった、という流れである。この話は、レースとドラマのスリリングな展開の末に救えるはずの命が救えた安堵感が良かったのだが、最後の最後で早月の事故で考哉のトラウマが再発するというパンチ力もあり、観ている私も相当心揺さぶられた。

本作で一番エモかったのは、やはり9話であろう。疾走した考哉は福島に来ていた。追いかけてきた遥は考哉が人物写真が撮れなくなった本当の原因に知る。考哉は、震災直前に親しくしていた正三(前述の少女の祖父)の余命がない事を知り、病院に面会に来たのだが、そこで正三が持っていたスマホに写る正三と少女と考哉の笑顔の写真を見せられ「これからも一杯撮れ」と告げられる。そして、正三は後日息を引き取る。物語的には、罪を背負い続けていた考哉は、少女の遺族である正三のの言葉と写真の中の笑顔に救われた、という流れである。これは、考哉が再浮上するために必要な、足枷を外す儀式だったと考えてよいだろう。

最終回の12話では、人物写真が撮れなかった考哉が、F4の試合で優勝した遥や故障からの復帰戦で2位を勝ち取った早月たちの笑顔を自然に撮影できた、というところで〆る。

TVシリーズのオリジナルアニメとしては、かなり震災からの復帰という重厚なテーマを扱っており、そのチャレンジング精神には拍手を送りたい。

しかしながら、個人的に感じたネガ意見をいくつかあり、最後にその辺りに触れておく。

1つは、考哉のトラウマが12話で解消する流れの脚本だが、考哉の心に寄り添うよりも、作劇を優先してしまっている感じがしたこと。

1話から遥たちを撮影する事で徐々に復活してきた考哉だが、6話で再び早月の死線を覗いて人物撮影できなくなった。12話で笑顔を撮影できたとしても、そのうちまた誰かの死線を覗いてしまったら考哉はトラウマに悩まされるだろう。一度壊れた心は、壊れる前の健康な状態に戻る事はなく、大切に扱ってゆくしかないのだと思う。その意味で、少しづつ小さな笑顔から撮れてゆくという地味なエンドでも良かったのではないか。

もちろん、遥の優勝は超嬉しい出来事だし、正三の言葉が約束として考哉の背中を後押ししていたことも理解する。 しかし、考哉は以前も一度人物写真が撮れるようになったが、メンタル的にキツい状況に出くわして再び撮れなくなった経緯がある。それを考えると、ふたたび人物写真が撮れたとぐらいで考哉の問題が解決したとは言えない気がする。もちろん、大団円のハッピーエンドありきの作劇で〆たい気持ちは分らなくもないが、その意味で〆方が文芸的に真摯でない気がした。

何故こんな神経質になっているのかと言うと、テーマが震災だから。震災というテーマがあまりに重すぎて、真摯にキャラに寄り添って欲しいという私の願望と、作劇的な後味の良さを天秤にかけて、後者が優先された事が違和感に感じているのだと自己分析している。

この辺りは、あおきえい監督の意向が強いのだろうと考える。もともとコミカル主体でありながら、ドラマ部分は剛速球を投げ込むエモエモの作風が得意な監督だと思う。強いドラマ(≒演出)が得意で作劇優先する傾向があるため、物語(≒脚本)に皺寄せが来ているのではないか、と妄想している。

もう1つは、人死にを見てメンタル病んでいる36歳中年男性に、17歳の男子高校生がそこまで馴れ馴れしく近づけるのか?という部分。

個人的に遥の考哉に対するマインドが掴みにくい。推し活で例えれば、遥が地下アイドル、考哉が熱心なファンという構図であろう。考哉はスポンサーを貢いで小牧モータースの活動に大きく貢献したし、一緒に活動するという仲間でもあった。とはいえ、熱心なファンが疾走したとして、36歳の中年男性の留守宅に侵入したり旅先まで追いかけたりを、17歳の男子高校生がするのだろうか。遥が大人ならまだ話はわかるのだが、17歳の男子高校生の遥にそこまで考哉の人生を背負い込ませなくたくない気がした。

もちろん、互いの信頼関係があれば理不尽でもないのは理解するが、その距離感はエモさ優先のBL風味的な味付けに使われているのではないか、という意地悪な見方もできなくはない。つまらない事を言えば、このケースなら事件に巻き込まれるリスクも考慮して警察に任せるべき案件のように思う。

ちなみに、福島に押しかけて来て考哉と行動を共にした遥は、考哉に偉そうな助言をするでもなく、傍に寄り添って行動していたところについては、非常に良いと感じた。問題を抱えた人間は、ただ信頼できる人が傍にいてくれるだけで救いになると思う。

ネガ意見を2つほど書いたが、これらはキャラの心情や一般的な対処方法よりも、作劇のエモさを優先した部分であろう事は理解するし、実際に私自身もエモさに痺れた。物語には気まぐれという要因もあるから、偶然そうなったという展開なら許せるのだが、作劇優先が鼻に着くと急に冷めてしまのは私の悪い癖である。多くの人は重箱の隅をつつくような話をしているという自覚もある。その意味で文芸以外に非の打ちどころはないが、文芸面で満点は付けられない、というのが私の感想である。

16bitセンセーション ANOTHER LAYER

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 懐古ネタアニメと思いきや、サクセスストーリー、タイムリープ、近未来SF、純愛などごった煮感ある挑戦的な物語
    • クリエイター賛歌という通底するテーマ
  • cons
    • 逆説的になるが、人によっては個々の物語の詰めが甘く、取っ散らかっているだけに感じるかも

原作漫画は同人誌発で商業版の単行本も発行されており、原案はみつみ美里甘露樹、作画は若木民喜となっている。本作はその原作漫画の設定を活用しつつ、原作にはない主人公やタイムリープ設定などを大幅に追加した物語となっている。シリーズ構成にあたる役割だと思われる「アナザーレイヤー・メインストーリー」は若木民喜高橋龍也。脚本は高橋龍也雑破業東出祐一郎森瀬繚大槻涼樹の5名でみなゲームライターとしての経験を持つ。

タイムリープで過去の秋葉原に移動したコノハが当時の黎明期のゲームメーカーでゲーム作り体験してゆく、過去の秋葉原や開発環境やゲーム業界を詳細に描く古のオタク向け歴史アニメかと思いきや、サクセスストーリーや、タイムリープの未来改変、創作についての哲学的なテーマ、近未来SFアクション、時代を超えた純愛などの、ごった煮で進行し、最後の最期で中年?と美少女の恋愛のTRUE ENDで〆るという美少女ゲーム賛歌なシリーズ構成だった。

私もマイコンと呼ばれる時代からのコンピューターに興味を持って関わってきた古のオタクなので、過去のコンピューター周りのあるあるネタで喜んだ。16ビット色の画像作りのノウハウや、フロッピーディスクが出て着るだけで懐かしさがこみ上げる。ただ、1話2話時点ではこの懐古ネタに終始していたので、この調子だと物語が軽薄になり過ぎると感じたが、結果的にそれは杞憂だった。

個人的には8話の1985年の守とエコーの回が、哲学的なテーマを持っていて好きである。これは10話11話のAIが生産性を向上させたとしてもそれだけでは凡作しかならず、情熱があってこそ名作が生まれるという後半の流れに直結している。その意味ではクリエイター賛歌というか、2023年のAI生成物に対する温度感を作劇に上手く取り込んでいたと思う。本作はたまたま美少女ゲームの黎明期から衰退までの歴史を描いていたが、このクリエイター賛歌というテーマはどのようなジャンルのクリエイターにも響くのものであろう。

そして、美少女ゲームと言えば、純愛が報われたり報われなかったりで終わる。その文法にならって本作でも最後は、美少女のコノハとナイスミドルとなった守の年の差カップルの純愛に結論を出す形である。男性キャラが、美少女ゲーム黎明期を体験したナイスミドル世代というのが、高齢視聴者層にミートした設定に思う。

繰り返しになるが、文芸面ではごった煮感が強く、個々のエピソードも駆け足気味ではあったが、通底するクリエイター賛歌としてのテーゼもあり、御膳のお弁当のようにカラフルな物語も楽しめた。とは言え、人によっては個々の物語の詰めが甘く、取っ散らかっていたという感想もあるだろう。

設定については、前半の秋葉原の考証は徹底していた点は執念すら感じた。ゲームのタイトルやパッケージは肝だけにオリジナルを使う徹底ぶりである。しかし、その反動と言ってはなんだが近未来設定の水槽内の奴隷クリエイターの辺りは、どうしても雑な印象になってしまう点は惜しい。アニメーションとしてのビジュアルの出来は平均点といったところ。

声の芝居だが、コノハ(CV古賀葵)の声が作中でもハイテンションでキンキンのアニメ声、アニメ芝居を徹底していたのが印象的である。他のキャラクターはもう少しナチュラル寄りの芝居のため、一人だけ浮いていて違和感すら感じた。正直、この芝居の意図は良くは分からなかったのだが、このクセ強のアイデンティティのおかげで、世界観がどんどん変わって行く流れの中にあってコノハの声と芝居をみるだけで妙な安心感を感じられた。もしかしたら、そうした狙いがあったのかもしれない。

総じて、アクロバティックにいくつかの物語を継ぎ足した構成により、先の展開が読めずに振り回されていたところもあったが、個人的にはこれらの超展開も楽しめた。このごった煮展開の部分で作品の好き嫌いは分れる作品に思う。

新しい上司はど天然

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 緩くて優しくて微笑ましい、癒しのコメディ
    • BL味はあるが、1クールを通して切なさも感じさせる上品な文芸
  • cons
    • 特になし

いちかわ暖先生のX(旧)Twitter発のWeb連載漫画のアニメ化。制作はA1-PICTURE、監督は阿部記之、シリーズ構成は横谷昌宏。

パワハラ被害でメンタルを壊した桃瀬が、転職先の会社で優しくて天然ボケなところもある上司の白崎に癒されてゆく緩いコメディ。その他に、かまちょの青山課長、同じくパワハラ被害で後から転職してきた金城の4人がメインキャラ。全員イケメンでBL味はあるが、あくまで匂わせレベルなので気軽に楽しめる。

とは言え、桃瀬自体はパワハラの傷が完治したとは言えない状況で、ときおり前の会社のパワハラ上司の陰に怯えていたりするところは生々しくもあり、物語やドラマの中盤の推進力になっている。

ギャグは緩めで白崎の天然を見ては桃瀬が癒されていく流れであるが、桃瀬と白崎の繊細な感情のドラマも描かれており、文芸的にも悪くない。

桃瀬はそんな白崎を小馬鹿にすることもなく、白崎は桃瀬を会社の駒としてではなく、一人の人間の成長を促す部下思いの理想の上司の振る舞いであり、会社における理想の人間関係に視聴者は心地よさを感じる。

とくに白崎は前の会社のパワハラ上司から桃瀬を守ったり、男気のある頼もしさもある。その勢いで、桃瀬は白崎のマンションに同居し始める。しかし、桃瀬は白崎に甘えてばかりもおれず、自分で部屋を探さねばという気持ちと、白崎との生活の心地良さの間の葛藤のドラマもある。この気持ちは白崎も同様で、うまく言葉を交わせないもどかしさが切ない。1クールとしてはイイ感じにオチがついて終わりも綺麗だった。

BL味と書いてしまうとアレだが、要は同性愛のエンタメが好みな層、寛容な層、拒絶ぎみな層と色々とあると思うが、明示的にせずに「匂わせ」に留める事でBL味をフックにして広範囲の視聴者層を取り込む潮流なので、明確にBLか否かを議論する気はない。しかし、本作のパワハラ被害者と癒しというテーマにおいては、男女関係や女女関係よりも、より男男関係の方が適切に思うし、設定的に強引だとも思わない。

派手に動く作風ではないとは言え、作画面は安定。ゆっくりめのテンポで芝居を回して癒しのギャグのジャブを撃ちつつ、かけるべきところではストレスを与えて緩急をつける的確な演出。激しさはないが、癒されつつも、ちょっといい感じも味わえる良作だったと思う。

呪術廻戦(2期)

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 芝居のカッコ良さ(脚本、演出、レイアウト、声の演技などなど)を極めて映像スタイル
    • 苦すぎる、救いのない物語
  • cons
    • キャラや設定が多すぎて覚えきれず、怒涛のアクションで気圧されるので、毎回「呪術疲れ」になる

2期は「懐玉・玉折」「渋谷事変」の2編で、前者が前期譚、後者が1期の続きという構成である。

「懐玉・玉折」は、五条悟と夏油傑の高専時代を描くが、爽やかな青春ドラマということもなく、いつも通りの救いのない苦みと、アクションのカッコ良さを極めてゆく作風である。「渋谷事変」は新宿で五条悟が封印され、呪術師や呪霊のオールスター大乱闘の上、多くの主要キャラが容赦なく死に、日本の首都機能が消失して大混乱に陥るというスケールの大きな物語。テイストは前者と全く同様で、そこに全くブレはない。

アクション中心に語られがちだが、脚本、演出、レイアウト、声の演技も含めて、芝居の良さが光る。例えば、七海の最期のシーンは、渋谷の地下鉄ホームで無数の改造人間と戦う七海だが、七海の脳内では爽やかなマレーシアの海岸で疲れを癒すような映像が流れているが、実際の現場は血の海の地獄である。そして、最後に「虎杖君、後は頼みます」という台詞の直後に真人に殺される。七海(CV津田健次郎)の声も、劇伴も、脳内と現実の交互に入れ替わる映像も、レイアウトもカット割りも、すべたがカッコいい。これはほんの一例だが、こうした物語に救いは無いのにカッコいい芝居が積み重なって出来ているのが、本作の凄みだと思う。

息つく暇もないアクションだが、各キャラの背負っているモノや術の設定などは細かく考え込まれており、設定や因果関係の作り込みが半端ない。とはいえ、キャラや設定が多すぎてストロボ的に登場するので、そのキャラのバックボーンや前回の行動を覚えきれずに、目の前の圧倒的な映像に押し流されてしまう。私は全体の物語がどう流れてゆくなというのを着目するタイプなので、本作のようにジェットコースターに乗せられているような作風だと、深く味わえなくて勿体なく思ってしまう。

視聴後は毎回、ドッと疲れてしまうので、これを「呪術疲れ」と命名したい。

このような作品の情報量が多すぎて把握しきれないというのは悔しくもあるが、今の若年層は楽しめているのだろうか。もしくは、ただ私自身が老けただけ、という事なのかもしれない。

スパイファミリー(2期)

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • すでに名探偵コナンのような長寿コンテンツ化した、鉄板の安心感
    • 相変わらず、非の打ちどころがないリッチなアニメーション
  • cons
    • 大人向けのエモいドラマはもう期待できそうにない

実は2期はスタッフィングに変更があった。監督は1期の古橋一浩に、2期から原田孝宏が加わった。シリーズ構成は監督兼任だった古橋一浩から大御所の大河内一楼となり、副シリーズ構成に1期で脚本を担当していた谷村大四郎、久尾歩。谷村は豪華客船編の脚本担当を中心に構成したと思われるし、大河内は劇場版の脚本との繋がりを意識しての配置だったのかもしれない。

毎回繰り返しになるが、アニメーション的なクオリティはリッチで非の打ち所がない。ヨルのアクションシーンなどアニメ絵なのに重さや痛みが伝わってくる生の感覚が味わえる。おそらく、時代設定もあり、生身っぽいアクションで仕立たてるディレクションなのであろう。こういうアクションは原画だけでなく動画も重要だが、この滑らかさは映画並みのクオリティである。

1期当初はシリアスなドラマも行けそうな雰囲気があったが途中からすぐにお子様ウケする路線にドップリ浸かっていた感覚であった。2期は1期の延長線上のライトな感覚で始まりつつ、冷戦時代の社会の厳しさもドラマに組み込みつつ、5話かけて豪華客船のヨルのドラマをメインに添えたり、シリアス要素にテコ入れした手触りがあった。おそらく、劇場版とのブリッジとしての構成なのだろう。などとと言いつつ、最後の37話では大型犬のボンドのコメディでお口直しをして2期を〆るところは、なかなか憎い構成である。

2期はヨルの活躍にスポットが当たっていたと思う。ヨルは豪華客船での亡命者保護の任務の途中、フォージャー家を考えて気持ちが浮ついていた。しかし、任務の途中でふっきれて、家族を守るために任務に徹するという心境の変化があった。これはある意味、与えられたいから与えたいに変化したとも言えるし、フォージャー家に対して「恋」から「愛」にシフトしたとも言える。ヨルにとって家族がより大事なモノになったという事で、そろそろロイドの家族愛も描いてほしいところである。

それはともかく、相変わらず物語的な進展はなく、2期の始めと終わりでキャラの関係性の変化も全くなかった。これは名探偵コナンのような長寿コンテンツ化が狙いなのだろう。もともと、エモいドラマも作れる題材だとは思うが、ここまで来るとそういう展開はなく、個人的には多少残念とも思うが、それは仕方がない事であろう。

おわりに

フリーレンと薬屋は、個人的にはいくつかの共通点があると感じています。

この2作品は、文芸の良さを感じているのですが、なんと言うか因果応報が明確でゴールがある話というよりも、思わせぶりな余白や余韻を楽しむ作風とでもいうか。

フリーレンで言えば、時空を超えたエピソードの交差があったりしますが、それらはたまたま接触しただけで、何かの問題を作為的に解決したりはしない。ドラマもありますが、どちらかと言うと物語性が強い。どちらかと言えば日常寄りの俳句のような味わい。ふと思ったのですが、同じ週刊サンデー連載でもあったあだち充先生の漫画にも近い感覚です。最近のエンタメはエモさに振って、ワビサビを味わう作風は減ってきていたのかと思います。

薬屋で言えば、シリアスの重さを二頭身キャラのコミカルさでかき消してはいますが、探偵ミステリーをベースにした丁寧な推理物の演出(=文法)で作られているため、昔懐かしいハードボイルドな感覚は大切にしていると感じています。これもまた、令和の最近は少なくなってきた感覚です。

つまり、両作品とも昔懐かしのテイストをキッチリと入れつつ、ストレスフルには耐えられない、今時の令和の人にもなじめるようなテイストに仕上がっている事がポイントなのかな、と感じました。

そして、両作品ともコミック原作ではありますが、原作と絵の作者が別人というところ。つまり、文芸は文芸の専門家が書いている、というのがミソだったのかなと想像しています。そして、なぜか日テレ発信というのも一緒。

それから、オーバーテイク!は、出来の良さは認めるものの、個人的には重箱の隅的なところで引っかかりがあって、イマイチ高評価から外ししています。

逆にキミゼロは、世間で評価されてなさに比べて、個人的に高評価にしています。非リッチでもなかなか楽しめた作品だったのですが、評価している人が少ない……。

こうした、世間の評価とのずれが出る作品は、なんだかんだ言って、他の人の評価も読んでみたいと思わせてくれる作品です。