たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

2024年冬期アニメ感想総括

はじめに

いつもの、2024年冬期のアニメ感想総括です。今期の視聴は下記の5本と少な目でした。

前回はフリーレンと薬屋の2強と書きましたが、個人的に今期はフリーレンの独走だったと言ってもイイと思うほど、フリーレンが突き抜けていた、というのが率直な感想でした。他の作品は相対的に分が悪かった。

感想・考察

葬送のフリーレン(2クール目)

  • rating
    • ★★★★★
  • pros
    • 長寿フリーレンならではの「魔法と人間」「人間の時代」を捉えたスケールの大きなテーマ
    • 緩急自在で上品さとキレのある演出と、毎話の切れ目とその後の反転が絶妙なシリーズ構成
  • cons
    • 特になし

フリーレン全体の作風については、2023年秋期にて1クール目の感想を書いているので、よければこちらもご参照ください。

1クール目は、勇者ヒンメルの死をきっかけに弟子のフェルンとシュタルクを引き連れ人間を知る旅をする、という体裁のロードムービーだったが、2クール目は少し物語のテイストを変えてきた。

北方を旅するのに必要な一級魔法使いの資格を取得するため、フリーレンとフェルンが試験を受験することになるが、合格者ゼロとか死者が出るとか、色々物騒な雰囲気を漂わせていた。魔法使いキャラも大勢登場し、さしずめ天下一武闘会でも始まるのかと思ったら、あながち間違ってはいなかった。

2クール目のテーマは、ずばり「魔法と人間」である。

というわけで、まずは本作における「魔法」について整理してゆきたい。

前から魔法=科学技術のイメージを持っていたが、2クール目でもそれは変わらない。大昔から存在する魔法を魔族やエルフなどが培ってきた。

千年前、フランメは花を咲かせる魔法が好きだと言っていた。孤児のフリーレンを弟子にしたのもエルフの集落が魔族に襲われて全滅したからである。魔族の魔法は当時から攻撃用に使われていた。そして、フランメは宮廷魔法使いとなり人類の魔法利用促進に貢献した。

80年前に勇者一行が倒した魔族は、ゾルトラーク(=人を殺す魔法)を使い猛威を振るっていた。しかし、この80年の間にゾルトラークは一般攻撃魔法と呼ばれるほど人間の魔法使いに定着し、これに対する万全の防御魔法も人間に開発されていた。人類の魔法に対する適応力の高さが伺われる。

ゾルトラークに限らず魔法による攻撃は魔力として感じる事ができるので、それを感知して防御魔法を発動し防ぐ。防御魔法で自分の周囲全体を覆うことも可能だが、防御魔法は魔力消費が著しいため攻撃ポイントをスポット的に防御するのが教科書通りのやり方である。攻撃側は攻撃が速ければ速いほど防御の準備をする余裕がなくなるため、エネルギー量だけでなく、連打性や手数の多さが攻撃の強さになる。防御側は魔力探知をし続ける事で奇襲に備える。この流れの中で、攻撃も防御もスピードが求められるが、この撃ち合いはカンフー映画の組手を連想させる。フェルンの戦い方はすでにファンネルが飛び交いながらビームを撃つニュータイプ戦である。

これを応用してゆくと、相手が防御できない隙を狙って攻撃するという発想が出てくる。防御側で行う魔力探知も魔法であるから、攻撃側はその魔力探知を探知していれば、隙の有無は分る。複製体フリーレンのこのタイミングを狙うというのが25話での作戦である。

ちなみに、速さだけならフリーレンよりフェルンの方が速い。フリーレンがフェルンに特訓していたのは、魔力抑制と基礎鍛錬の2点だが、このストイックなまでの魔法スタイルが、のちの一級魔法使い選抜試験にも役立つ。

また、魔力エネルギーを直接ぶつけるよりも、近くにある物体に魔力を作用させて攻撃するスタイルが、人間の魔法使いの中で流行りだしたりする。カンネの水、ラヴィーネの氷、リヒターの大地みたいな魔法の使い方である。魔族は魔力というステータスに生きているため、こういう小技を磨く方向には行かないのだろう。ここは人間の知恵と捉えてよいのだろう。

魔法というのは何かとご都合的に扱われる事が多いと思うが、正直、ここまで魔力による戦闘の設定を詰めてくると、もはやSF考証的な精密さを感じる。こうした考証がハッキリしている事で現実には存在しない魔法の説得力が格段にアップする。これも作者の執念か何かなのか。

また、魔法の設定でおもしろいのは、魔法はイメージであり、イメージできない事は魔法でもできない、という根源的なルール。この設定は魔力の格付けを綿密に描いてきた本作の中にあっても例外的に感じるが、イメージを超えた魔法を許してしまったら作劇上収集がつかなくなるという背景があるのかもしれない。

劇中では逆に、強固なイメージがあれば相手の強力な防御魔法を打ち抜く、というのをやっていた。複製体ゼンゼをユーベルが倒したエピソードである。これは作劇的には面白いが、個人的にはなんとなく腑に落ちていない。1つあるとすれば、3年前にゼンゼの深層心理に恐怖を植え付けた時点で勝負はついていたというモノだが、複製体はオリジナルの気持ちはコピーしないという設定もあり、これも私の中で辻褄は合っていない。もっとも、この設定はもう少し擦られてゆく可能性があり、それまでの価値観の否定(=パラダイムシフト)になりかねない設定である。ただ、この辺りはいろいろと妄想でしかない。

次に人間について

2クール目の一級魔法使い選抜試験は、結果的にゼーリエとフリーレンの二人のエルフが人間たちを試す、という物語になっていたと思う。ゼーリエはストレートにその意味だが、フリーレンもまた、作劇的には同じ立ち位置に居た、というのが私の見立てである。

ゼーリエの「フリーレンを倒すのは、魔王か人間の魔法使い」「鍛錬を怠るな」という台詞。24話ではフリーレンとタッグを組んだフェルンが複製体フリーレンを惜しくも仕留め損なう。しかし、直前の作戦会議で(複製体の)フリーレンを倒せるかもしれないと発言するフェルンを見て、フリーレンは笑顔を見せた。これはフリーレンが弟子のフェルンの成長を喜ぶと同時に、人類の成長の可能性についても喜んでいたのであろう。

ゼーリエは50年前に大陸魔法協会を設立して優秀な人間の魔法使いの側近を従えている。千年前には人間に感心は無かったが、最近人間に興味を抱いたからこその変化であろう。口ではレルネンたち側近に辛辣な言葉を投げたりするが、弟子にした人間たちの好きな魔法は覚えているという。これは、ゼーリエほどの高みにいる孤独の中で、稚拙な人間を敵や害悪と考えずに、観察するのに興味深い対象として見ているからに他ならない。それは、「人間の時代」という言葉の通り、時代の変化、時代の風を楽しく感じているのだろう。

そして、一級魔法使い選抜試験の内容を順番に思い出して欲しい。受験者は老若男女の様々な魔法使いの人間たち。一次試験はチームに分かれて略奪、殺戮ありのハードな課題だった。しかし、二次試験は足を引っ張り合うメリットの無い迷宮ダンジョンのクリアである。そして、三次試験はゼーリエとの面談である。

この流れは人間社会の進化の願望に重ねることができる。つまり、昔は人種性別世代さまざまな人間が集まれば略奪や殺戮が行われた。そうした時代から、共同体の枠組みを壊して様々な人たちが協力し合いながら一つの目的を持って行動するという、理想的な平和な世界の提示である。そして、三次試験の合格者たちはみな、魔法(=ゼーリエ)に対する恐怖の感情に負けていないか、好奇心を抱いている者たちである。つまり、未来を向いている。ここまで来ると計算しつくされたストーリー構成である事に唸るしかない。こうした綿密な設計の積み重ねが、本作の心地よさの土台にある。

それにしても、フェルンが複製体フリーレンのとどめを刺すと見せかけた25話と、実はまだフリーレンは奥の手隠してましたでひっくり返る26話の話の区切りと展開が素晴らしい。魔王を倒したフリーレンがそこまで簡単に倒されるハズもなくというフリーレンの貫禄を感じられたし、話としての盛り上げ方が上手い。似た感じで27話はゼーリエはまだまだ人間は未熟で不合格者続出という空気を作りつつ、唯一フェルンだけが合格。しかし、続く28話では逆に合格者続出で、実はゼーリエもまたフリーレン同様に人間に興味を持ってました、と繋ぐのも、話の区切りと反転という意味では同様である。これを下手な作劇でやられると冷めてしまうものだが、不思議と見た後にお見事と言ってしまうのは、やはり見せ方の上手さだろう。本作のシリーズ構成・全話脚本は鈴木智尋だが、非情に丁寧な仕事に唸る。

それから、ゼーリエについて少し語っておきたいと思う。

ゼーリエの直感はだいたい正しい。そして、ゼーリエは賢くて強くて権力もあり、周囲の者を力でひれ伏せさせている。部下のレルネンに圧をかけることでフリーレンとの無益な殺生に発展する可能性もあった。ここまで書いて、私は昔職場に居たパワハラ部長を連想していた。こうした人間は「お前のためを思って」的な正義の枕詞でパワハラをするが、イジメと同じ快楽に溺れているというのがパワハラの本質だと思う。27話までは少なくとも私はそう解釈していた。

しかし、こんなゼーリエも実は人間に興味があり、死んでいった者も含めて弟子の事を少なからず好きであったというニュアンスを最終話の28話で見せる。これで、孤独だったゼーリエもまた不器用だけど愛のあるキャラとして肯定される。最後の最後に情報開示で反転させる流れの上手さは前述の通り。本作がゼーリエも救うところにキャラに対する愛が深さを感じた(反面、魔族の徹底した心無い悪役扱いも、これはこれで痺れる)。

最後になってしまったが、フリーレンについて。

フリーレンの最深層には魔力チートな最強フリーレンが存在し、その強大な力を抑制して穏やかな日常を過ごす表層のフリーレンが存在する。魔力抑制は、戦う相手に応じてパーシャルに抑制度合いを変化させる事が出来るのではないかと想像する。その意味で、本当に魔力開放したときの本気はまだ描かれていないのだろう。必要な時に爆発させるのではなく、必要な時はリストバンドの錘を外す、という感覚なのだろう。普段の方が鍛錬がキツイという設定は面白い。

フリーレンは強大な力を秘めていながら、権力や威厳には心底執着がない。そこが、ゼーリエとの最大の違いに感じる。フランメは魔法を普及させるために国家という権力におもねる面はあった。しかし、フリーレンには縛りがなく自由。自由というのは他人との繋がりもなかった。しかし、ヒンメルたちとの10年の冒険があり、今はフェルンとシュタルクと一緒に旅をしている。そこで、他人であるフェルンとシュタルクの面倒を見る事になる。ヒンメルたちとの10年の冒険ではフリーレンはまだ他人を世話していなかった。それが、この80年のフリーレンの変化であろう。

フリーレンは他人と接する際に、完全には分からない事がある前提で接してゆく。相手を否定することなく尊重する。この辺りもゼーリエとの違いであるが、世界に対して寛容であるとも言える。ザインはよっぽど他人の気持ちが読めるが、その辺りフリーレンは不器用だし、サイエンティストのような感覚も受ける。人生の尺が人間と違うから、人間の100年の変化のうねりが、フリーレンには目の前で起きた事のように客観的に把握できる。そう考えると、2クール目のテーマというのは、まさに長寿のフリーレンなら自然にそう感じるのではないか、と思えるジャストミートなテーマに思えてくる。その考えに至った原作者の発想の鋭さには驚くしかない。

色々書いてきたが、フリーレンは濃すぎずサッパリした絵柄、メリハリの効いた静と動の描写の気持ち良さ。何気に日常生活で本気を見せる芝居と動き。無駄の無い音楽。そういう様々な要素が心地よくチューニングされた作品だと思う。アニメーションとしてジブリ的にぐりぐり動かしておけばいいんだよ、というのに対抗できる上品さがあった。そして、人間ドラマの方も、誰もが言いたいことを思い通りに言っていいわけじゃないし、相手の気持ちに少しづつ寄り添うように少しづつ少しづつ距離を縮めて相手をゆっくり理解してゆく。でも、ゆっくりなだけで、それは確実に進んでいるという心地よさを味わえた。問題発生→解決という短絡的な話ではなく、情緒のある物語。それ自体が、効率化を極める現代では少なくなっていた気がした。

そういう意味で、懐かしくも、のんびり心地よい作風が、今の人たちにも染みたのだと思う。

薬屋のひとりごと(2クール目)

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 羅漢(モリアーティ教授役)という味のある悪役の登場により、羅漢vs猫猫の宿命の対決の分かりやすい構図が見えてきて面白くなってきた
    • 推理モノとして、適切で分かりやすい演出と、最後に収斂して盛り上がる伏線回収の話運び
  • cons
    • 美点と表裏一体ではあるが、気を抜くと分からなくなるほど複雑な設定

前期に1クール目の感想・考察も書いていますので、よければこちらも読んでみてください。

主要キャラが魅力的に描かれており、キャラ物としての強さが本作の強みなのは間違いない。猫猫の自らの出生や両親に対してもドライなくらい達観したところがある反面、毒物薬物に目がなく、突然3頭身キャラになり可愛さを振りまく。一見クールな壬氏の猫猫への片想いラブコメ要素の楽しさもある。この可愛さ楽しさで、横溝正史ばりの推理小説の毒々しさを中和するのが、令和時代のテイストなのだろう。

前期の1クール目の感想では、猫猫がホームズ役で壬氏がワトソン役と書いたが、2クール目の主役とも言える羅漢はモリアーティ教授役だった。羅漢と猫猫は血のつながった親子でありながら、一般的な親子の愛情の繋がりはなく、互いに敵でありライバルであり、といったニュアンスをはらんでいた。猫猫は羅漢の自覚無き策士としての才能に嫉妬し、羅漢は猫猫に馴れ馴れしくする壬氏を疎ましく思いつつも、猫猫に優しくする事無く距離を置いて接する。1クール目から続く陰謀のゲームを陰で駒を操って楽しむ。しかも、そのやり方は巧妙で尻尾を掴ませるような事はない。この猫猫と羅漢の対決の構図を提示した時点で、今後も続くシリーズものとしての骨太さを感じさせる。この辺りが本作の強みであろうし、すでに2期制作も発表されている。

肝心の推理モノとしての感触だが、個々のエピソードは比較的シンプル。中国歴史モノ風な舞台ゆえに、トリックもまた古典的であり、見ていて分かりやすいという面もあるだろう。そして、それらのエピソードが重層的に一点に収斂して繋がる怒涛の伏線回収は見事。このあたりの緻密さは、原作小説の出来の良さなのだろう。

反面、本作のドラマ自体に繊細さはあまりない。推理モノにありがちなトリック優先のために、極端な強感情で物語を強引に進めてゆく感覚である。しかしながら、ここもまた時代劇という味付けに救われているように思う。

たとえば、24話の羅漢と鳳仙のエピソードはドラマとしては推理モノ故の極端な感情であったと思う。羅漢が他人に無関心すぎるとか、頭脳が良すぎるとか、ゲームで対等の相手だけを好きになったとか、感情のロジックとしてはそうなのだろうと想像はできるが、ちょっと常人の域は超えている。鳳仙の方も羅漢が好きになったのはいいが、落ちぶれたあと、疎遠になった羅漢の気を引くために自分の娘の小指を切り落とし郵送するなど、メンタルが壊れてしまった狂人である。この手の狂気を丁寧に描くことが本作の肝ではないため、このあたりは読後感も考慮して記号的に描かれる。これもまた、推理モノとしての文法であろう。

それにしても、SNSで観測した感じでは羅漢には鳳仙が美人に見えて身受けした流れで、美しい、泣けたという感想が多かったように思う。しかし、私はある種のグロテスクさの方を強く感じた。羅漢についてはもっと早期の段階で鳳仙を何とかすべきだったし、鳳仙については今回の件で内面がまったく描かれていないため本人が喜んでいるのか、怒り心頭なのか、もう何も感じないほどに壊れてしまったか、そういう事はすべて視聴者の想像に委ねている。原作者の中ではこの辺りの正解もあるのだろうが、それを描いても物語にプラスにならないから、オミットしたということであろう。

ちなみに、この件に対する猫猫の反応だが、身受け相手は鳳仙ではなく梅梅を選んでもらいたかった、という台詞はドライすぎる本心だと思えた。しかし、城壁で一人で身受けの送り出しの舞を踊るシーンでは挿入歌の歌詞の内容も相まって二人を祝福するような、ある意味皮肉な演出になっている。この辺りの演出は、猫猫のドライすぎる印象を和らげる効果があったと思うし、美しくも複雑な味わいを出していた本作の美点の好例であろう。

それにしても、薬物中毒の猫猫の自分の身の上に対してまでも超ドライな感覚、悪役としての羅漢の異様さ、壬氏の女子にモテモテの美形なのに謎に猫猫に片想いすぎるところ。これ全部、シャーロックホームズのキャラに置き換えるとシックリくるので、その意味では古典の引用へのリスペクトと言えるかもしれない。にしても、猫猫と羅漢が実は親子関係というのも設定としてはおもしろい。これを下敷きにして三頭身キャラなどで推理モノのストレスを軽減させる作風が、本作の新しさだったのではないかと思う。

ダンジョン飯(1クール目)

  • rating
    • ★★★★☆
  • pros
    • 練りに練られた感のある世界観や数々の設定に唸らされる
    • 2Dアニメの魅力たっぷりで、表情やポーズの表現が豊かなアニメーションの芝居
    • キャラが立っている(特にマルシル)
    • 全体的に綺麗ごとじゃなくてザラ付いた感じのする文芸
  • cons
    • 特になし

原作漫画の九井諒子先生は、このアニメで存在をはじめて知った。漫画家というよりイラストレーターという趣の絵である。緻密で生き生きとしたタッチで人物や小物や建物や風景を描く。それも、ただ画力があるというよりも、カメラの角度や人物のポーズのバリエーションが多いし、描かれるものすべてにおいて設定・考証が検討しつくされている雰囲気で隙がない。例えて言うなら鳥山明先生や、士郎正宗先生の密度感である。

こんな原作をアニメ化すると絵の勢いが消えてしまうのがオチだが、本作はそこに力を入れており、実際のところキャラの描写はそのタッチも芝居も他のアニメ作品と比べて一段も二段もレベルが高い。個人的には最近のTRIGGER作品はなんとなくあざとさを感じていて敬遠気味だったのだが、本作では色んな意味で作品世界を大切にした絵柄で、一皮むけた感じである。3DCGアニメの人気作も珍しくない時代に、この2D手描き作画の味わいは、非常に魅力的である。

監督は宮島善博、シリーズ構成はうえのきみこ、脚本はうえのきみこ、樋口七海、佐藤裕の3人体制。

本作は地下ダンジョンに挑むパーティーが、倒した魔物などを食して冒険を進めるという、一風変わった切り口である。アニメの料理作画のクオリティはここ10年でかなり向上したと思うが、本作でもご多幸に漏れず飯が美味そうに描かれる。ただ、食材が地下迷宮の魔物だったりするので、ある種のゲテモノ食いにはなるのだが、作画的には至極真っ当なごちそうになるところがおもしろい。

冒険者たちが長期間におよぶ冒険の途中で、何をどう食べているのかという素朴な疑問に真っ向から応えてゆくスタイルは、すでにSFと言ってもいいだろう。食材を地下ダンジョン内の魔物などで補うだけでも着目点が鋭いが、その延長線上で魔物たちも弱肉強食の食物連鎖があり、というところまでエコシステムを考えてゆくところがおもしろい。そして、時には冒険者たちも魔物たちの食材となるというシビアさである。この辺りの設定の練り方=世界観の作り方がやはり上手い。

その逆に、物語の軸はシンプルで、下層部で冒険中に炎龍の餌食になったかもしれないファリンを救出すべく、兄の勇者ライオス、鍵師のチルチャック、エルフで魔法使いのマルシル、途中で加わったドワーフのセンシの4人組が地下ダンジョンを冒険する。だが、どのキャラも味わい深い個性を持っており存在感が強く、キャラの楽しさだけで見てゆける作風である。どのキャラも自分を持った大人であり、人間関係も温すぎず熱すぎずで心地よい。

個人的にはやはりマルシルのキャラが冴えていて好みである。色気少な目の残念美少女のポジションだが、萌えキャラ的なあざとさがなく必死さや真面目さが滲み出てきて、推しではなくキャラを好きになる。いや、もっと言えばセンシもチルチャックも、自分とは全然違うタイプだが、他人として尊重したくなるタイプのサブキャラだと思う。

テーマも勧善懲悪や正義の押し売りではないところが大人風である。ダンジョン内での先頭も作戦通りに進まなかったり、急に登場する敵に対してとっさに無茶な行動で偶然仕留めるなど、非スマートな泥臭くザラついた作風である。しかも、一度炎龍に食われて骨しか残っていなかったファリンを黒魔術で蘇生させるなど、かなり趣味が悪くて何でもありかい!という感じもするが、不思議と野暮なツッコミを入れる気にならない設定としての説得力がある。この辺りは、原作譲りの美点なのだろう。

総じて、肩に力を入れない感じで、適度にハラハラしつつ、設定や世界観をよく考えてるなと感心して楽しく見ていた。食べ物で言えば、きちんと作られた上質なハンバーガー、という感じの良作に思う。

メタリックルージュ

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • ノスタルジーさえ感じる、由緒正しい古典的SFテイスト
    • 主人公のルジュが可愛かった
  • cons
    • 良く出来てはいるが突き抜けた感なし、と感じてしまったこと

SF変身ヒーローをベースにした女性バディ物。古典的SFオマージュ多めのノスタルジーあるテイストが特徴。

総監督の出渕裕と制作のBONESが原作のオリジナルアニメ。このタッグはラーゼフォンの再来である。シリーズ構成は出渕裕、 根本歳三の両名。キャラデザ、総作画監督川元利浩

ベースは「ブレードランナー」で、ネアンと呼ばれる奴隷扱いの人造人間がいる未来世界。設定は古典SFで観たようなものばかり。アジモフコードにより人類に反抗できないネアン。しかし、インモータルナインと呼ばれる一部の初期型のネアンは自由を求めて人類に反旗を翻そうとする。それを阻止する形で登場する主人公のルジュとナオミだが、精神年齢10歳のルジュもまた、ネアンでありながら自由意思でネアンと人間の自由を保障しようと考えて行動するようになる。といった感じの作品である。

ネアンという超技術を実現させたのは地球人に友好的な宇宙人の「来訪者」の技術だが、その後の地球人に好戦的な宇宙人の「簒奪者」とのパワーバランスの設定もあり、世界観のスケールは大きい。実は「来訪者」は移住のために地球人に作らせたネアンを労働力として金星テラフォーミングを計画しており、「簒奪者」はネアンの制御を横取りして金星を強奪するという背景らしいが、そちらは裏設定程度にしか触れられない。

本作は、ネアン同士の肉弾戦のアクションも多いが、それらは3DCGではなく2D手描き作画との事。もちろん、メカには3DCGも使っており、アクションシーンはカッコいい。1話を見たときは洋画っぽいであり、ブレードランナーを連想させる色彩設計や歌手のサラの雰囲気や会話劇も大人っぽいと感じた。ただ、この辺りの洒落た雰囲気作りは、徐々に尻すぼみになっていく。

ルジュ(CV宮本侑芽)とナオミ(CV黒沢ともよ)のバディのかけ合いは本作のウリの一つであろう。個人的にルジュは非常に好きなキャラである。見た目が17歳、精神年齢が10歳というところで自我を形成してゆく物語からくる必然性もあったし、シンプルに擦れてない可愛さを感じられた。ナオミも軽口ながら頼れるバックアップ役で、ナオミ自身もルジュと同様に自分が何に生きるのかというテーマもあったと思う。二人が時には喧嘩をしながらも本音でぶつかってゆく、というのがドラマの見せ場である。

とまぁ、アウトラインとしてはこんなところであるが、本作を観終えての率直な感想は、いろいろとパンチ力不足だった、である。

肝であるネアンの自由だが、ネアンが完全な機械なら種として認める必要はないだろうし、種として認めるなら倫理的な判断が必要になる。ただ、ネアンに自由を与えてしまうと人類が駆逐されかねないため、アジモフコードという仕組みで人間に服従させた。ネアン誕生の背後には来訪者の思惑が絡んでいるというのも、よく練られていると思う。しかし、ネアン⇔人間の違い(子孫の作り方、成長するしない、寿命)の違いが不明確なまま(一部隠ぺいされたまま)話が進行する上に、最後はネアンにウィルスを送り込み暴走させるくだりもあった。そうしたディレクションもあり、機械か新種の人類なのかは最後までスッキリと見れなかった。

ラストはルジュはコードイブを発動させ全ネアンのアジモフコードを解除する。この革命により世界が混沌に落ちるか、人間とネアンの平和的共存が実現するか。その先は描かず視聴者の想像にお任せするスタイルである。言葉通り一心同体となったルジュとナオミは、簒奪者との戦争に身を投じて地球を守るが、物語はそこで〆る。好き嫌いはあるだろうが、この辺りの結論無き〆方は割と好きではある。

しかし、これが重要なのだが、作劇的にもテンポ感やドラマの盛り上げ不足に感じた。言ってみれば、新海誠作品のような脚本や演出のゴリゴリの勢いがない。特にキャラの感情に視聴者が着いてゆけるだけの爆薬と燃料が不足している。

一事が万事、出来は悪くないが突き抜けてない、という雰囲気に終始していたと感じてしまったことは率直に残念であった。

最後になってしまったが、DAZBEEさんのED曲の「Scarlet」は映像も含めて素直にセンスが良くてカッコいいと思った。

勇気爆発バーンブレイバーン

  • rating
    • ★★★☆☆
  • pros
    • 唯一無二の、リアルロボと勇者ロボのクレイジーな融合(良くも悪くも)
    • 子供向け番組を大人の視点で茶化す部分も多いが、シリアスでは泣かせにもくる実力派の演出
  • cons
    • 個人的には、最後は茶化しではなく、シリアスで〆て欲しかった

原作はCygamesでプロデューサーは竹中信広とくれば、ゾンサガやアキバ冥途戦争などのイカれた設定ながら、濃厚なドラマで魅せる作品が多い印象である。これまでゾンビ×アイドル、メイド×任侠モノと来て、今度はリアルロボ×勇者ロボという組み合わせである。

制作はCygamesPicture。監督はロボの代名詞とも言える大張正己。今回は主役メカデザインと音響監督も兼ねており気合たっぷりである。シリーズ構成は軍事考証も兼ねる小柳啓伍

さて、1話は完璧なリアルロボとしてスタート。各国から集結した人型起動兵器の合同演習模擬もなかなかカッコいい。しかし、後半で宇宙人の侵略になすすべもなく蹂躙されてゆく地球側の描写はストレスフル。ここで突如、喋るヒーローロボのブレイバーンが空から降ってきて、イサミを搭乗させて大暴れ。必殺技を大声で叫びながら、巨大な剣を振り回し、敵のザコメカと塔(=母艦)を撃破する。地球の兵器では手も足もでない相手を、未知の力でなぎ倒してゆく流れは、かなり爽快感があった。これまでの勇者ロボの文法を、そのままアニメでやってカッコいいと感じさせるのは、演出のセンスの良さであろう。

しかし、2話では人の話をまったく聞かないブレイバーンの気持ち悪さと、コックピット内で全裸ヘタレになるイサミのギャップで脳がバグる。とにもかくにも、ブレイバーンの歪んだ口元がキャラのキモさを爆発させる。1話で決まった勇者文法は、2話では子供番組を大人が茶化しながら笑いに昇華する、おふざけモードを明確に打ち出す。これは、子供向け特撮番組を見ながらお約束を楽しむ大人、という構図である。

この時点で、文芸面に2つのディレクションの可能性が考えられた。1つは、純粋に友情・勇気・信頼をシリアスに描く人間ドラマ。もう1つは子供向け番組のお約束を大人視点で茶化しながら笑うコメディ。視聴者は、まずここで脳がバグる。

普通に考えれば、勇者ロボの化身とも言える大張監督自身がそんな茶化しをするのだろうか?という疑問もあったし、ゾンサガもアキバ冥途戦争もギャグを入れつつ軸はシリアスだった。なので、私は、軸はシリアスに決めてくれるのだろうという期待値で視聴していたが、それは間違いだったことは最終話で明確になる。

最終回の12話。一度はすべてを失い卑屈になったイサミだったが、ブレイバーンの中で亡くなったはずのスミスと一体化してブレイバーンは黄金化、そして大型ロボに合体変形してゆく。ルルも裸になってスペルビアも黄金化してブレイバーンの刃となり、残存ATFの全軍と共にラスボスを倒す、というお約束全部載せの形で〆る。テーマとしては「みんなの勇気を一つに重ねて強敵を倒す」という熱血にはなるが、悪ふざけ>>>シリアスという比率である。つまり、シリアスをスパイスにしつつも軸は子供向け番組を大人が茶化す。この茶化しは、ED曲の映像に代表されるBLっぽさや、主人公イサミのヘタレ⇔ヒーローのギャップにも当てはまる。

なお、本作の映像のクオリティは高い。勇者ロボ文法のレイアウトで描かれて爽快感のあるアクションシーン、リアルロボのディティールのカッコ良さ。音響面では硬質感あるSEも映像の爽快感にプラスになっていた。そして、地球側の軍事力の無力さ、敵のデスドライヴスの絶望的で圧倒的強さ、それを凌駕してゆくブレイバーンの強さを、説得力ある演出で見せつける。また、人間ドラマもしっかり目の演出で描けており、たとえばイサミとスミスがボクシングで気持ちを交え合う話はシリアス寄りの良エピソードだったと思うし、大人ルルの意識が過去のルルに戻りスペルビアと一体化するシーンは盛大に茶化しつつもルルの思いに自然と泣けてきた。こうしたバトルシーンや激情のドラマを説得力を持って映像で伝えてくるのは事実であり、スタッフの力量の高さが伺える。

おそらく、本作のメインディッシュは勇者ロボの勢いあるカッコ良さではあるが、それ以外の情報は料理を飽きさせないためのサイドディッシュだったのではないかと思う。つまり、最初から勇者ロボ100%の子供向け番組路線で行くと、大人の視聴者は付いてこない。シリアス、子供向け番組に対する大人目線のおちょくり、BL風味、やけに可愛い女子キャラなどを融合する事で、大人を飽きさせずに引き留めるテクだったと考えられる。その結果、私の脳はバグり、これは一体何なんだと混乱しつつ、作品の「狂気」に引き付けられてしまう。この辺りのさじ加減はお見事だったと言うしかない。

しかしながら、私自身はこのノリと勢いを楽しんでおきながら、最終回の勝利のための繊細なドラマを放棄してしまったという意味で本作の文芸の評価は低い。イサミのヘタレからヒーローへのギャップは、ロジック不在のギャグに振っていたと思うが、こうした部分にシリアスなドラマがあって欲しかった、という思いがある。

とは言え、私のように肩ひじを張らずに、何も考えずに勇者ロボのノスタルジーと爽快感、ノリと勢いのギャグを楽しめればよいという視聴者にはハマるディレクションだったと思う。

兎にも角にも、本作は変化球中の変化球だったと思う。この一皿一皿の強烈な味付けの料理を並べたディナーを理性を持って真面目に造っていたことが最高に「狂気」だったのかもしれない。

おわりに

今期は、視聴完走本数が少なく、他にも見ておくべき作品はあったような気はするのですが、視聴スタイルがネトフリ寄りになっている事もあいまって、ネトフリに来てないと見にくい状況が発生していました。それに、「君の名は。」とか「すずめの戸締まり」とかが配信に入ってくると、ついそれらを見てしまったり。

その意味では、少数精鋭の作品を観たつもりではありましたが、意外と当初期待よりも右下がりな作品もやっぱりあって…、という感じでした。

そんな中でやっぱりフリーレンが頭二つ抜き出た感じで楽しめました。読むのが面倒なくらい長文のブログ感想文になっていますが、やっぱり見てて素直にドヤっ!という楽しさがありましたし、大満足でした。

薬屋は1クール目は大絶賛でしたが、やはり推理モノ故の人間の汚い面の掘り下げやら、ダークな本質がより目立った感覚で、フリーレンの染みる感じのドラマの心地よさに軍配が挙がったという感じです。なんか複雑すぎた。

今期の超絶変化球で剛速球はブレイバーンだと思います。色々書きましたが、やはりクセの強さと破壊力は一見の価値ありで、今の時期に見れて良かったとは思いました。

メタリックルージュは、古典的SF設定と、少し大人っぽさある1話の作風は率直に好みだったのですが、映像としての勢いある迫力(コクやキレ)が弱く、物語はあってもドラマに雑味あり、なんなら物語の〆も綿密さがないので、演出と文芸に不満アリ、という感じでした。

ダンジョン飯は、TRIGGERの新境地とも言える雰囲気もあり、難しすぎない物語で、気持ちの良い2D作画と、説得力ある設定・考証が持ち味の、楽しさが多い作品で楽しめました。引き続き2クール目も楽しみな作品です。

最近は次第にブログを書くのが遅くなっています。昔に比べて、作品を観る集中力が落ちたかな…。