たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

86 ―エイティシックス―

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はじめに

本作は、2021年春期、2021年秋期にOAされたましたが、制作遅延により22話と23話が2022年3月に遅れてOAとなりました。

個人的には、22話と23話の感動の大きさは、ここのところのアニメ視聴の中ではずば抜けており、最後まで作品に付き合ってきたファンへの最大のプレゼントだったと思います。

私自身は、まず18話~21話を視聴していて、アニメーションの出来の良さに作品に引き込まれました。そして、ラストまで待たされている間に2クール目、1クール目の順に遡って視聴しておいて良かったと思いました。クライマックスは1クール目からの積み重ねであり、それを知らずにはここまで感動は出来なかったと思います。

色々と感じた良さをブログにまとめようと思い書き始めてみましたが、書きたい事が多すぎてかなりの長文になりました。

感想・考察

概要

本作は、SF戦争アクションといった要素を掛け合わせた作品であるが、とにかく物語の力が強い作風である。

あらすじは、人種差別を受け未来を奪われて最前線で戦わされる少年兵(シン)たちと、差別をしている側の社会の中でそれに抗いながら少年兵たちと交流を持つ高潔なお嬢様指揮官(レーナ)の物語であり、過去に囚われた死神のシンが未来を掴むまでの物語でもある。

物語・作風

全23話を通して観ると、本作の物語のトリッキーさに驚く。

主人公のシン達5人を除き、1クール目と2クール目で舞台や登場人物を大きく切り替えて、クライマックスでその二つのを結ぶ。そのカタルシスの大きさが半端ない。

また、本作は実にごった煮感ある作風で、多脚戦車によるSF戦争モノを基本としつつ、人種差別や、住む世界と身分が違う男女の恋愛物語や、敵無人兵器に憑依してしまった亡霊の怪談話などなど、多彩な要素を詰め込んでいる。

こうした中でも、クライマックスを考えると男女の恋愛の物語が軸にあったと思えるのだが、別にそこに至るまでの道のりが長い。

男(シン)は死と隣り合わせの人生の中で、自分の生きる意味を見いだせず悶々としていたが、最期の最後で、女に肯定され生きる意味を与えられた。

女(レーナ)はお嬢様でその高潔さゆえに腐敗した社会で息苦しく生きていた。そんな中で、差別を受け地獄のような戦場でも自尊心を失わずに人間らしく生きた少年兵達が、女の心の支えになり、女を強くした。

この男女の関係も、お互いに離れ離れで疎なコミュニケーションだからこそ、心と心の繋がりになっていたという点が肝である。その意味では、現代におけるSNSなどの手軽に繋がる世界とは違い、容易に繋がらない昔の時代感だからこその物語だったと思う。AIや多脚戦車などの近未来感とは別に、社会や通信手段はアナクロという不思議な設定が、このごった煮感ある作風のポイントになっている。

演出・作画・音楽

本作のアニメーションとしての総合的なクオリティはかなり高い。

花や線路を効果的にモチーフとして使用したり、赤色が生で青色が死のイメージだったり、演出的な意図も明確な意図をもって散りばめられており、かなりの浸透圧で演出意図が心に染み込んでくる。

レイアウトもバッチリ決まっており、キャラ作画も乱れることなく、メカや戦闘シーンの3DCGもカッコよく、とにかくどのシーンも明確な意図をもって的確に設計されている印象を持った。

また、22話、23話の感動的なシーンで流れる挿入歌がカッコよくて秀逸であった。これは、YouTube動画があったので、埋め込みで貼っておく。

世界観

戦争&メカアクション

本作は戦争を描くが、敵国は無人兵器のみという設定で、単純な国家間の人間同士の殺し合いではない点が今風である。

敵のギアーテ帝国のレギオンは完全な無人兵器群であり、敵国の人間はすでに死滅している。無人の機械が当初の人間の命令を守り、工場で無人兵器を生産し、戦闘を続けているという皮肉である。

一方、サンマグノリア共和国の最前線の部隊は、有人の多脚戦車で戦う。雰囲気としては攻殻機動隊タチコマを大きくして大砲(滑空砲)の乗せた感じだと思えばよい。装甲は薄くアルミの棺桶と呼ばれている。ワイヤーを使ってクモの様に身軽に移動したりもできる。

ざっくりしたした紹介はこんな感じだが、メカの設定はかなり凝っている。

また、兵器描写も緻密でカッコいい。ウエザリング(汚れ)や凹みも描かれリアリティがあり、3DCGで描かれるので作画が崩れる事もない。対するレギオンの大量の無人兵器でビッシリと埋め尽くされた感や、不気味な近未来感ある装甲の輝きや、最大の敵モルフォの神々しさのある巨大感など圧巻である。

しかも、実際のバトルシーンも緊張感を伴うレイアウトとカッティング、リアリティのある音響SEにより、ここ数年のメカアクションアニメとしても見応えのある映像に仕上がっている。

未来とも過去とも感じられる不思議な世界観

本作はSFとは書いたが、時代の空気としては第二次世界大戦頃を彷彿とさせる世界観であり、兵器メカやパラレイドと呼ばれる一対多の感覚共有デバイスなどが明確な未来感がある。

サンマグノリア共和国の軍服や市民の服装、建物、紙の書類に万年筆、スマホや携帯電話は存在しないなど、生活様式は我々の時代よりも過去である。雰囲気としては、フランスやイタリアなどの西洋の共和国を連想させる。

物語と直結する設定上の特徴として、サンマグノリア共和国では極端な人種差別が行われている。銀髪銀瞳の人間を優勢人種とし、それ以外の人間を劣勢人種として「色付き」などと呼び蔑んだ。「色付き」は1区から85区の塀の外の86区に迫害し、人権をはく奪し、レギオンと戦う兵役を課した。本作のタイトルの「エイティシックス」は迫害を受ける86区民を意味する。銀髪銀瞳の人間たちはそんなエイティシックス達の犠牲の上に胡坐をかいて暮らしている。軍人は直接前線に出向くこともなく後方から指揮するのみ。流石に今の時代にこの人種差別感は辟易するモノがあるが、これも昔の時代の雰囲気を持たせた世界観で、前時代の社会なのだと理解した。

一方、2クール目の舞台となるギアーテ連邦はアメリカ合衆国を連想させる。非人道的な人種差別はなく平等が約束される。だが、レギオンの脅威が拡大しており、エイティシックスであるシン達を再び戦場に送り込むこととなる。

死者の亡霊(=日本的な怪談話)

本作はレギオンが人間の断末魔の脳(思考?)をコピーして、いつまでもレギオンの制御装置として働かされるというSF的なオカルトホラー要素が面白いと思った。もっとも、これは1クール目が進行するにつれ徐々に明らかになる。

当初は、レーナの前任のハンドラーが謎の精神異常でリタイアするという都市伝説めいた噂から始まる。スピアヘッド戦隊=死神というホラーイメージの導入になっていた。これを紐解いて行くと、シンがレギオンの声を聞く事ができるから相手に先手を打てるという話になり、その声がレギオンに取り込まれた死者(=戦友)の断末魔の叫び声であり、パラレイド越しに半狂乱の意識を大量に入力してしまったハンドラーが半狂乱になっていったという経緯が分かってくる。

これは、死しても無念で成仏出来ない怨念というか、四谷怪談などの日本的な幽霊を連想させる。だからこそ、死者を成仏させたいし、幽霊の悪夢から解放されたい。おおよそ、怪談噺の幽霊は、生前悲惨な目に会っている。それは、エイティシックスも同様であろう。エイティシックスは、決められた短い人生しか与えられていなかったため、自分もすぐに死者になるという認識だったのではないか。だからこそ、死者を粗末にできない、ないがしろにできないという気持ちがあったのではないかと思う。

国家と人種差別

ただ、やはり令和の現代で人種差別をしたときに、感情移入しにくさ、というのはあると思う。差別する側への嫌悪感、差別される側への悲壮感に怒りを覚えつつ、救いのない物語になってゆくので、どうしても爽快感は無くなる。

令和のアニメで人種差別を扱うこと自体、ちょっと珍しくて、挑戦的な題材を選んでいたと思う。前述の通り、本作は現代ではなく過去の時代感に設定しているのも、この辺りの設定と密着していると思われる。

ただし、本作は人種差別そのものを問題にするよりも、その状況が生み出すシンとレーナの物理的な壁として活用する事に注力していた印象である。住む世界が違うロミオとジュリエットの様に。

差別されていた側のエイティシックスが、どのようなメンタルで戦っていたかについては、ライデンが劇中で語っている。端的に言えば、差別してる奴らは憎いが、自尊心のために戦い、差別している憎き奴らを結果的に守る事は、たまたまである。

最終的には2クール目冒頭のレギオンの大攻勢でサンマグノリア共和国はほぼ崩壊状態。差別していた側に天罰が下る、という物語の流れで、視聴者の気分の帳尻を合わせる。

2クール目のギアーテ連邦は、自由と平等の国である。差別もなく、元エイティシックスのシン達にも人権が与えられる。しかし、そこには「差別を受けて来た可哀そうな子供たち」というレッテルが貼られ、哀れみの視線も混じっていた。

また、ノルトリヒト戦隊に所属し軍人として生活し始めると、元々の戦闘力の高さと生還率から死神と揶揄され、歓迎されない視線もあった。モルフォ殲滅戦では帰還率ゼロと言われる作戦に任命されたが、その裏には孤児で身寄りがなく犠牲者を出してもギアーテ連邦国民からは恨まれない、という軍の世論対応の目論見もあった。

つまり、自由と平等のこの国でも何らかの差別的扱いを受けていたという意味では、人類に対する皮肉ととれる。ギアーテ連邦大統領の、それ(=差別を無くすこと)が出来なければこんな国滅んでしまえばいいんだよ、という台詞があった。人類の理想と現実のギャップは、1クール目のレーナとも重なる。この辺りは、本作のエンタメとしての面白さではないかと思う。

キャラ

シンエイ・ノーゼン(シン)

1クール目

シンが持たされた特殊能力は、レギオン(=死者)の声が聞こえる力。そして、仲間の死を看取る死神。パーソナルマークは「首なし骸骨」。

死神の由来は、必ず戦闘で生還し、致命傷を追った仲間をレギオンにならないように止めを刺して看取る事。戦死者の機体の一部を持ち帰り名前を彫って遺骨代わりに残す事。アンダーテイカー(=葬儀屋)は、そのためにあだ名。

サンマグノリア共和国において有色人種であるエイティシックスに人権はない。そして、5年間の兵役を追える前に、サンマグノリア共和国にとって不都合な真実として100%戦死させられるという意味で、未来もない。

誰もが死に際に死にたくないと言う。死に対する恐怖と無念がレギオンに蓄積し、大量の狂気となって聞こえてくる、という想像を絶するストレスを受け続けるシン。スピアヘッド戦隊も11名が戦死し、残りはライデン、アンジュ、セオト、クレナとシンの5名になった。

ライデンは、この不条理の中の限られた命だからこそ、自尊心を持って戦う(意訳)と言った。

シンの場合、幼少期に戦死した兄のレイを成仏させるという個人的な使命を持っていた。シンはレイから憎まれていたと信じ込み、消えない罪の意識にさいなまれていた。いつのころからか、レイの声がレギオンの声に混じって聞こえるようになった。そして、11話でレイの魂を成仏させた瞬間、レイから愛されていたという記憶を垣間見るという皮肉。兄のレイの魂と共に、シンの罪も溶けた。

12話で、シン達はサンマグノリア共和国から解放されて自由を手に入れるが、その自由もつかの間、13話でレギオンの襲来に仲間ともども殺されて1クール目は終わる。

不自由な人生だったし、安らかとは言い難いが、最後は悔いを残すことなく、やっと死ねた。

視聴者の私としては、これがオチだとするなら、何とも救いようがない話とも感じられた。

2クール目

シン達5人は生きていた。ギアーテ連邦という国に保護され、ここに差別はなく人権を保障されて暮らせるという。ただ、そう言われても、実感のわかない日々を生活が続く。結局、レギオンと戦うべく軍に所属してゆく道を再び選ぶ。

人権あるこの国でも、死神と揶揄されたし、冷たい視線は混じったていた。親しかったユージンがレギオンにやられたときも、スピアヘッド戦隊の時と同様に、止めを刺して看取った。その事で戦友や家族から憎しみをぶつけられる事もあった。やはり、死神が人間らしく生きる事は叶わないらしい。

シン達のノルトリヒト戦隊には、かつてのギアーテ帝国の姫君であるフレデリカがマスコットとして同行する。フレデリカはシン同様の異能を持ち、シンの心も読みにいける。そして、かつてのシン同様に、レギオンになった近衛兵のキリヤを成仏させるという。フレデリカとかつてのシンの宿命が重なる。

ギオンの超巨大列車法であるモルフォは、移動する事で対戦中の全ての国の首都を射程圏内に入れて砲撃可能であり、モルフォ撃破が人類側の最優先事項であった。そして、モルフォにはキリヤが取り込まれている。モルフォ討伐の無理ゲーに挑戦する意味は、人類が生き延びるためであり、フレデリカの願いのためである。

シンは、生きる事の無頓着で、キリヤとサシ違いになればいいか、と考えていたところをフレデリカに窘められる。ライデンも大統領も、死にに行く訳じゃない、生きて帰って来なさい、と言われるのにその実感が持てない。生きる事を肯定できない。むしろ、戦闘に身を投じているときに、レギオンに取り込まれたキリヤのように狂気じみた笑みを無意識に浮かべて、あちら側の狂気に足を突っ込んでいる(=もう少しで人間では無くなる)という感覚。

ノルトリヒト戦隊から深く先行し、ライデン達も途中で追ってを足止めさせ、最終的にシンだけがモルフォに到達する。モルフォとの丁々発止の格闘のの末、シンの多脚戦車は戦闘でボロボロ、残段数は1、という絶体絶命。ここで、フレデリカが飛び出して自殺を演じてキリヤが取り乱したところで、シンがキリヤを仕留める。自爆装置が作動し、モルフォは完全に機能を停止した。この作戦は、ギアーテ連邦の勝ちである。

しかし、シンは生き延びた事で、再び自責の念に駆られていた。キリヤにあの世に引っ張られそうになり、兄に憎まれたり、味方に死神として疎まれたり、ライデン達にも置いてけぼりされたり。シンの心の中で真実が分からなくなり、自己否定の渦が台風のように膨れ上がり、生と死の狭間に迷い込んでいた。

そして、身動きもとれず、拳銃も手元に無い状態で、レギオンの残党が近づいてくる。撃ってくれ!と叫ぶのは捕まってレギオンにされたら、このままの無念のまま、ずっと彷徨わなければならないから。それは地獄に落ちるのと同じこと。シンの罪に対する罰というなら酷過ぎる仕打ち。

その、レギオンは撃ちぬかれ、向こうからサンマグノリア共和国の女性士官が歩み寄ってくる。

彼女は、仲間を見殺しにするつもりはない。レギオンの大攻勢を教えてくれた、その人に感謝している。(死んでしまったと思われる)その人に追いつくために戦っている。そして、追いついた先の景色を見せたい、とスピアヘッド戦隊の写真を抱えて持ち歩いていた。あなたも勝ち抜いて生きている事を誇って欲しい、と語る。

パラレイド経由の声でシンは彼女がレーナである事を理解するが、彼女はシンという人間をことごとく肯定する。ライデン達もフレデリカも大統領も、死ぬな生きろとは言うが、肯定はしていなかった。この肯定がある事で、シンは生きる意味を持ち、前に進むことが出来る。しかも、レーナが頑張れるのはシンのおかげだという。シンは期せずして他人に何かを与えていた。死神と呼ばれたシンが、人の命を奪うのではなく、人を生かしていたという事実。目からウロコならぬ涙が落ちた瞬間だった。

一度はハッチを開けて対面しようとしたが、結果的に対面はせずにレーナと別れてしまった。

シンの帰還をライデン達も大統領達もフレデリカも歓喜する。みんな生き延びていて、置いてけぼりになっていなかった。フレデリカやライデン達もレーナの事を冷やかしてくる。

戦闘を終え、ひと時の休息をライデン達どもども過ごす。ユージンや戦没者の墓参りは、ある意味死者との決別である。今までシンは死者を背負い過ぎていた。だから、お墓に預けて肩の荷を下ろす。妹や同僚の憎しみも受け止めつつ、生前の笑顔(=幸せだった過去)を届けたのも、シン自信に施したのと同様のセラピーである。

そして、今度赴任してくる客員士官はレーナである。レーナはかつての部下が生き延びて再び部下になる事はサプライズとして隠されている。今度は顔を突き合わせてレギオンと戦う事になる。とても、晴れ晴れしい気持ちで。

ヴィラディレーナ・ミレーゼ(レーナ)

1クール目

レーナはサンマグノリア共和国の裕福な家庭の女性士官。基本的に意識高い系の高潔なお嬢様。過去にエイティシックスのレイに助けられた事もあり、周囲が差別しているエイティシックスに肩入れする。レーナ自身はこうした差別を何とも思わない社会に辟易している。

そして、ハンドラーとしてスピアヘッド戦隊の指揮を執るようになる。パラレイドを使って毎晩、全隊員と音声会話をコミュニケーションを図る。隊長のシンは紳士的であったが反発する者も居た。しかし、少しづつ距離は縮まってゆくのを感じていた。時には慰労のために補給物資に花火を送付したこともあった。

しかし、連日続く戦闘により隊員たちは少しづつ戦死していった。補給物資の送付も上層部の対応の悪さから滞りはじめる。不十分な補給状況での出撃命令。もう少しで彼らも退役なのにと考えていたところ、ライデンの口から退役する前に必ず戦死させられるように仕向けられている、という事実が告げられる。圧倒的な理不尽と無力感。結局、彼らから見たら私も差別をする者と同罪なのか。

最期となる戦いで、アンリエッタに無理やりパラレイドを改造させ、失明覚悟でライデンの視覚に接続して、長距離砲撃による援護射撃を敢行した。これにより、レギオンになったレイの魂を成仏させる事が出来た。やっと彼らと対等となり信頼を勝ち得たという喜び。

しかし、シン達はそのまま進軍し、サンマグノリア共和国からの通信圏外に出てしまった。1区に居るレーナは建物の外に出て追いかけようとするも、手が届くことも、追いつくことも勿論なく、この国に置き去りにされてしまう。

後日、謹慎中のレーナはシン達が居なくなったスピアヘッド戦隊の兵舎に赴き、そこに彼らが確かに実在した痕跡を感じ取り、彼らの写真とハンドラー1の落書きを受け取り持ち帰った。決して彼らを忘れぬように。

結局、レーナはエイティシックスに何を見ていたのだろうか。周囲の堕落した人間に嫌気がさし、迫害されながらも自尊心を持って生きる彼らに、人間としてのあるべき尊厳を見たのかもしれない。そして、自分もそっち側の人間でありたいと。それとは別にレーナはシンに無意識に恋もしていたのだろう。面白いのはアナクロな音声通話のみのやり取りだからこそ、その人の内面により深く触れたような気になってしまうところであろう。これは、TVのバラエティー番組よりも深夜ラジオの方が心に沁みる、みたいな感じだと思う。だからこそ、相手を美化しやすい。最期に追いすがろうとして泣いてしまうというのは、昭和な雰囲気を感じてしまう。時代感を古くしていると書いたが、この辺りも意図的な振舞いだと想像しているし、そこを理解していないと違和感を覚えてしまう作風かもしれない。

2クール目

シン達から聞いた情報通り、レギオンはタイムリミットで稼働停止する事なく増殖し続け、この国に大攻勢をしかけてきた。多数の死傷者が出て、この国に甚大な被害をもたらしたが、これは堕落した国民達に罰が当たったのかもしれない。とは言え、祖国が滅んでいい理由にはならない。レーナは、制服を青から黒に代え、髪の毛に赤のメッシュを刺して、新たな部隊のハンドラーとなって戦っていた。

ギオンとの戦いが続く中、レーナは境界線を超えて進軍した。そして、存在を確認できなかった他国の軍と、巨大列車砲タイプのレギオンを確認し、長距離援護射撃を行う。結果的に、レギオンは沈黙し自爆した。

戦場に近づくと、レギオンと交戦し仕留めたと思しき多脚戦車。たった1機でレギオンを倒したのか。中からパイロットの声が。ギアーテ連邦軍に保護を求めるか?と聞かれる。部下を見捨てる事は出来ない。たとえ負けるのだとしても誇りを持って戦い抜く。そうできると示してくれた人達に、一緒に戦い、この先の景色を見せるために戦っている。そう言い返した。あなたも勝って生き残ったのだから、それを誇ればいい。

別部隊のレギオンに対してギアーテ連邦の援軍が攻撃する。グランミュールに戻るためにギアーテ連邦軍のヘリに輸送してもらう事になった。

ボロボロになった旧共和国に進軍してきてレギオンを追い返したギアーテ連邦軍。旧共和国軍は進駐軍におべっかを使うが、この状況に追い込まれても色付き人種を上から目線で見下す国民たち。やるせなさと屈辱感。そんな中、ギアーテ連邦軍から将校派遣の依頼があり、それに志願した。

ギアーテ連邦に来て最初に訪れたのは、旧共和国軍の戦没者慰霊碑。忘れません。そして、直後に紹介された新たな部下。シン?! 死なずに生き伸びていた? 涙が溢れる。ライデン、セオト、アンジェ、クレナ!嬉しい!!やっと追いついた。これからは、彼らと一緒に歩んで行けるなんて。完。

レーナは、命令無視してから、随分とたくましくなった。それは、死を約束されていながら、誇りを持って戦ってきたエイティシックス達を見て報いたい、自分もそうありたいと真似して生きてきたから。凛々しさと可愛さが同居しているところにレーナのヒロインとしての魅力があると思う。

フレデリカ・ローゼンフェルト

フレデリカは、2クール目のヒロインとして登場。まだ10歳の子供だが、かつてのギアーテ帝国の最期の女帝である。

フレデリカは、シンとの重なる部分と、シンを俯瞰から見る者としての役割があったように思う。レギオンを生み出して国民は滅んでしまったギアーテ帝国の末裔という事からか、シン同様にレギオンの声が聞こえる模様だが、シンの心も読めてしまう。だからこそ、シンの理解者と成りうる。子供ながらに達観した面もあり、子供っぽい素振りの合間に、大人びた正論を切り出してくる事も多い。

序盤では、シン達と大統領宅で共に暮らす事になったときに、自然とシン達の妹的なポジションの関係を築く。そして、シン達が配属されたノルトリヒト戦隊のマスコットとして同行し、モルフォ討伐戦にも着いてきた。

フレデリカは、レギオンになってしまった近衛兵のキリヤの魂を成仏させるという、やるべき事を持っていた。これは、シンが兄のレイを成仏させた下りと全く同一の構図である。だから、キリヤを仕留める事をシンに委ねる事になる。

しかし、反面、シンが生きるという事からどんどん遠ざかり、死の際まで足を踏み入れそうな気配を察する。戦闘中に浮かべるシンの薄ら笑いが、シンのレギオン化を連想させる。シン自身が死に場所を求めてさすらっている。フレデリカは、シンが相打ち覚悟で戦闘に赴くのを「わらわを悲しませるつもりか」と引き留めようとした事もあった。進軍中にライデン達と違い、シンだけが死にに行こうとしている事を叱った事もあった。シンにとってはこの説教も馬の耳に念仏だったかもしれないが、フレデリカは人間としていつも真っ当な事を言っていたと思う。ある意味、保護者としてシンの事がただ心配だったのだろう。

物語終盤で、シンとキリヤの一騎打ちになった際、土壇場でフレデリカが表に出て、自らの頭に拳銃を突きつけ、キリヤの気を引いた。キリヤは死んだハズのフレデリカが生きていた事、そしてフレデリカ自身の命を人質に戦闘停止を要求している事にパニックに陥った。シンは、すかさずモルフォの中のどこにキリヤが居るかをフレデリカに訊ねるが、フレデリカは一瞬回答に躊躇する。それは、愛すべきキリヤとの本当の別れを意味するから。そして、初心通りキリヤの居場所をシンに伝え、シンがキリヤを仕留める。自爆装置が自動起動しモルフォは大破する。

キリヤはこのとき、爆発からフレデリカを守る。キリヤは、フレデリカを死なせてしまった後悔の念をずっと引きずっていたので、フレデリカの命を救ったことで、今度こそ未練なく成仏できるのだろう。また、狂気だけ残ったように思えたキリヤだったが、守ってくれる優しいキリヤが最期の記憶として残った。これで、フレデリカのやるべき事は果たせた。

22話でレーナに救われたシンの心を見て安心するフレデリカ。シンの存在を始めて全面的に肯定したレーナにお返しをするために、次に会うまでに、がっかりさせない見たかった景色を見せる。男子特融のカッコつけだが、生きる意味を持ったシンを祝福した。

本作は、基本的にキャラが軍人ばかりなので、どうしても映像が窮屈で堅苦しくなる。フレデリカの存在は文字通りマスコットとして、本作の印象を柔らげる効果があったと思う。同時に、兵士としての義務感とは別に、実に人間として真っ当な祈りのような存在として、視聴者がシンを見る際の視点の拠り所になっていたと思う。

おわりに

本作は、1クール目こそ、どこに向かう物語なのか分からず、漂流感とストレスを感じる所もあるのですが、最後まで観てなんぼの作品です。

途中で挫折してしまった人も、是非とも最後まで観ていただけたらな、という気持ちです。

書きだしたら、あれもこれもと長文になりましたが、様々な要素を詰め込んでごった煮にした作風でもあり、自分で書いていても、なかなか書き切れずに驚いてしまいました。原作小説の魅力が大きいのでしょうが、こうした作品の分析もまた、楽しくできました。