はじめに
毎度、毎期のアニメ感想総括です。
今期、観た作品は、下記7本。コロナ禍の状況でOA一時中断の作品も見受けられましたが、それでも私にしては結構、多い視聴数でした。作風もそれぞれ違い、それぞれを楽しむ事ができました。
- プリンセスコネクト!Re:Dive
- アルテ
- イエスタデイをうたって
- 波よ聞いてくれ
- 邪神ちゃんドロップキック'(ダッシュ)
- 乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…
- LISTENERS(2020.7.20追記)
ただし、LISTNERSだけは、視聴途中で止まってしまっていて視聴未完のため、別途追記とさせていただきます。
感想・考察
プリンセスコネクト!Re:Dive
- rating ★★★★★
- pros
- 綺麗で良く動くアニメーション映像の気持ち良さとレイアウトのカッコ良さ
- 物語を薄味にして、美食殿4人の日常生活の楽しさをキッチリ描き、キャラに愛着を持たせるディレクション
- ギャグとシリアスを緩急自在に扱う演出の巧みさ
- cons
- 特に無し
本作はソシャゲ原作のアニメ化作品であり、ソシャゲの宣伝作品でもある。
本作の見所は何と言っても、アニメーション映像の気持ち良さだと思う。とにかく綺麗で良く動く。街並みや自然の背景も緻密で綺麗。動きだけでなくレイアウトも力強くてカッコ良い。そうした映像が毎週安定して視聴できる幸せ。これらは殆どの脚本、大半の絵コンテ、さらに音響監督も努めた金崎貴臣監督の手腕によるところが大きいのではないかと想像する。
本作のラストは、美食殿の各キャラの関係において、互いの理解を少し深め、強敵を倒して一段落。その後も日常に戻り冒険は続く、というところで終わる。各キャラの問題は未解決であり、物語としては何も終わっていない。おそらく、物語としてはソシャゲで続きをお楽しみください、という事であろう。
では、アニメとしての売りは何なのか? おそらく、アニメではキャラの魅力を十分に引き出しキャラを好きになってもらい、ソシャゲに誘導する事を目的とするディレクションだったのではないかと思う。これはこれでアリである。
本作は、要所にシリアスな活劇はあるが、基本は美食殿の何気ない生活を描き、一緒に生活していて楽しい雰囲気作りに注力されていた。共同生活を営むギルドハウスも良くデザインされており、玄関入ってすぐに吹き抜けの広々としたダイニングがあり、脇に料理道具や食材が並ぶ巨大なキッチンがある。街に出かけてはレストランで美味しいモノをたらふく食べる。冒険に出かけては野営で採れた肉や魚や果実を食べる。コッコロがむすんだおにぎりを仲間と一緒に食べるだけ美味しい。そうした食事のシーンは毎話必ず挿入されていた。
しかも、食事のシーンでキャラの心情も多々描かれる。1話でランドソルの街で宿泊のアテも無く夕暮れてしまった時にユウキと一緒にコッコロが食べたクレープの美味しさで気持ちが救われたり、2話のラストで慣れ合いはしないとその場を立ち去り、独りおにぎりを食べて尻尾をふってしまったキャルなど食事密着の演出も冴えていた。馬鹿馬鹿しくて笑ったのは虫料理バトルで無駄とも言える調理シーンとブッチャー(?)の昇天シーン。ここでも、悪漢に拳ではなく調理で挑むペコリーヌの熱さと、レモン汁でペコリーヌを後押しするキャロのドラマが、ギャグシーンに溶け込んだ演出となっている。
私はキャロが大好きで、スパイと仲間の葛藤のドラマを抱えている点も、キャラデも、わちゃわちゃした性格も2話の時点ですぐに気に入ってしまった。ペコリーヌ、コッコロ、ユウキの3人は ひょうひょうとした感じで描かれていたので、ドラマの軸はキャロが担当なのだろうと想像していた。しかし、ラストはペコリーヌの心の傷の救済と4人の絆がより深まり強敵を倒す、という展開を観せる。ペコリーヌは元気で熱血として描かれてきたので不意打ちを喰らった形である。
ラストのドラマのきっかけは、敵に襲われるキャロを捨て身で守るペコリーヌだった。半分裏切り者である自責の念から「もう無理…」と呟いてしまったキャロの台詞を聞き、大切な人が遠のいて行くトラウマでペコリーヌに哀しみの渦に呑まれてしまう。そして、ペコリーヌを抱擁し癒すコッコロ。ペコリーヌのトラウマを知り独り敵と戦い苦戦するキャロ。回復して参戦するペコリーヌとコッコロ。魔法が自分を滅ぼす運命を知ってなお、これ以上仲間を失いたくない決意で戦うユウキ。4人が仲間を思う気持ちで一致団結し強敵を倒すという構図。12話13話のドラマは秀逸で、これも全体を通して積み上げた日常芝居の上に成り立つ計算されたシリーズ構成だったっと思う。
本作はソシャゲ原作という事もあり、美食殿の他のギルドの美少女サブキャラも多数登場する。それぞれのキャラも個性的で魅力的だが、数が多すぎて紹介だけに留まる形である。各話にちょい役として浅く効率に紹介してゆく雰囲気だが、話が脱線していきそうになるのに最終的にはキッチリ収まるのも、ある意味構成力の高さだろう。
本来、私は物語重視派ではあるが、本作は薄味な物語に対して非常に贅沢なキャラ物として良く出来ていたし、個人的に非常に満足度の高い作品となった。
アルテ
- rating ★★★★☆
- pros
- 朝ドラヒロイン的な清々しさの、アルテの葛藤と成長のドラマ
- 職人としての自立を目標とするお仕事モノとしてのテーマ
- cons
- 分かりにくかった、職人アルテの聡明さや実力
16世紀初頭、芸術の中心がフィレンツェからヴェネツィアに移ろうとする時代。女性でありながら、当時男の仕事とされる職人として自立を目指すアルテの葛藤と成長のドラマを描く。
本作の魅力はひたすらに前向きなアルテの行動とバイタリティにあり、それを見ている視聴者も元気をもらう形を目指していた事は明白である。しかし、昨今の過剰なジェンダー意識もあり、どうしてもそうしたフェミ視点に巻き込まれやすい作品でもあると感じた。
前半のフィレンツェ編では、アルテは仕事には個人の技能だけでなく、相手を良く見て相手の要望に答える事、そして人間関係(コネクション)の構築が重要な事を身体で覚え体現してゆくところがポイントだったと思う。そして、後編のヴェネツィア編では、遠く故郷を離れ、他人の家族の愛を知り、生きる上で愛が必要な事を再認識する。アルテはレオ親方の元で修行する道を選ぶが、それも師弟愛とも言える。
結局、アルテが悩まされ続けて来た「女性」「貴族」という肩書の呪いは、作品≒人間性で語り合いたいとアルテが思う事で、その重荷は取れてしまったのだと思う。そして、その素地はフィレンツェでのコネづくりで既に出来ていて、ヴェネツィアでファリエル家の人達と触れ、レオ親方の宗教画を観て、作品≒人間性の考えを強めた形だ。
余談ながら、フィレンツェ=昭和時代、ヴェネツィア=平成時代とも考えられる。昭和はもっと前の大正、明治でも良いかもしれない。頑固気質の職人の時代と、色々な文化概念を取り入れ価値観を多様化した時代。ある意味、アルテは、昭和から平成にタイムスリップした。そこでは、新しい価値観と引き換えに、人々は不器用になり愛に飢えていた。違う時代を生きたからこそ、その違いと、変わらなモノの本質を感じる事が出来たのかも知れない。
アルテは作劇上、仕事の辛さが伝わらなければ意味が無いところもあるのだが、アルテの性格や作風もあり、重くならない様にコミカルに描かれていた。ただ本来、工房の職人というのは様々なスキルを要求される難しい職種である。自立して認めてもらえるためには、技術技能や、交渉や、明晰な頭脳で相手を圧倒してゆくしかないのだと思う。しかし、本作はアルテの笑顔とド根性だけでひたすら押し通した感がある。だから、お仕事物としての説得力には欠けてしまう点を正直残念に思った。
テーマ的にどうしても女性の社会進出とか女性差別とかフェミ的な視点で見られる事が多いと思われるが、本作を通してみた結果、そうした肩書きの色眼鏡を取り外し、中身で勝負という内容に思う。本質を語らず表面的な話題で終わるのは勿体ない作品だと思う。
イエスタデイをうたって
- rating ★★★★☆
- pros
- 昭和を連想させる、不器用で手探りのコミュニケーションの濃密な恋愛ドラマ
- 真剣にコミュニケーションに向き合う事のドキドキを思い出させてくれるという美点
- TVアニメとは思えないほどリアル寄りで雰囲気のある芝居と作画
- 昭和を連想させる、不器用で手探りのコミュニケーションの濃密な恋愛ドラマ
- cons
- 陸生と晴の強引なハッピーエンドへの違和感
制作会社は動画工房。ストーリー構成、監督は藤原佳幸。動画工房と言えば、コミカルなきらら系作品が主で、超安定作画、丁寧過ぎる設定や描写にこだわりの深さを感じさせるハイカロリーで真面目な作品が多い印象である。藤原監督は、NEW GAME!でコメディの中にも泣きのドラマを嫌味なく入れてくるバランスの良さが持ち味だと思う。本作は、従来のライトな作風から離れ、おおよそTVアニメに向かないリアル寄りの重厚な芝居で恋愛ドラマを魅せる挑戦的な試みだったと思う。
余談だが、安定した品質で作品を作り続ける制作会社が、従来の常識に捕らわれないハイカロリーな作品を作りだしてゆく姿を見て、動画工房は、京都アニメーションのフォロワーとなり得るのではないか?と感じている。
リアル寄りの芝居という点では、例えば腰かけてタバコを吸うシーンとか、二人でトボトボ歩いたり、家の前で別れ際の会話をしたり、そうしたシーンにキャラの思いが重なってくる。派手なアクションやデフォルメではなく静かな動作で芝居で伝える。時に沈黙のシーンもあるわけだから、そうした事も目や口の表情で心情を語らなければならない。逆に後ろ姿で語るというのもあるが、本作ではそうして隠すのではなく、積極的に描いて語っていたように思う。また、榀子の私服が無意味に線が多かったり、福田の披露宴にカメラマンとして参加した陸生が線の入ったスラックスを穿いて帰りに歩くシーンがあったり、演出的な逃げで省略可できそうな事も、真向勝負で作画していた。本作の作画にかける気合を感じる部分である。
対して、声の芝居も上手い。小林親弘のボソボソとした感じながら誠実そうな雰囲気を醸し出す芝居が特に良い。周囲も花澤香菜、宮本侑芽、花江夏樹とそうそうたる実力派で固められている。どのキャラも呟き的なトーンだったり、普段の脱力した日常会話だったり、強弱の振れ幅の広い芝居があり、見事に演じきっていた。
本作は恋愛ドラマである。人が人を好きにる。ときめき、幸福感、切なさ、嫉妬、憎悪。ある意味、恋愛は熱病であり、人の理性を失わせ狂わせる。
男女が互いに相手の様子を見ながら探り合いの付き合う事は、日常にありふれている。陸生の優しさと、榀子の臆病さ、互いに引き合うのに一線を越えられない姿を恋愛ドラマを通して見るもどかしさ。本作はそこを丁寧に描いた。
榀子と浪の関係は昔からの姉弟みたいなもの。だから、榀子は浪からのアプローチが鬱陶しく、ましてや高校教師と生徒の恋愛はスキャンダルでもあり、そこから逃げたい気持ちで榀子は陸生を彼氏にしようとしたとも考えられる。浪は、高校を卒業した事で教師生徒の制約が外れればという思いがあったに違いないが、その時すでに榀子と陸生が恋人になった事に気付き、腹を立ててその場を走り去った。浪の行動は子供であるが気持ちは分かる。この時、榀子は陸生よりも浪を追いかけた。それはそのまま恋愛か姉弟かの天秤で、姉弟を選んだ事になる。勿論、榀子は物分かりの良い陸生より、駄々っ子の浪を何とかしなくちゃ、という気持ちだろう。だが、榀子はそれだけ恋愛にはハマっていないという事である。
陸生は、自分から踏み込まず相手が近づいてくるのを待っていたが、その優しさのせいで、榀子が迷った時に言い訳をさせてしまう。好きだから優しくして嫌われたくない。でも、その壁を越えた先の恋人ごっこを越えた恋愛があり、責任があり、幸せだったり不幸だったりがある。
その一線を越えられない事に付いて、視聴者は陸生や榀子を臆病者と一蹴する事は出来る。しかし、フィクションである陸生や榀子の気持ちや行動も十分にあり得るリアリティを持ち、そうした他人のドラマに触れどう感じるか? というのがエンタメであると思う。90年代までは、こうしたモヤモヤした恋愛ドラマは腐るほど存在したが、最近はあまり見かけないように思う。時代がもっと分かりやすく、ストレスの少ないエンタメを要求しているのかもしれないし、「抑圧された恋愛」に限らず、現代は我慢する時代じゃないのかもしれない。だからなのか、この手の恋愛ドラマを逆に新鮮に感じたりする。
結局、陸生と榀子の関係はリセットされ、普通の友達関係に落ち着いた。そして、陸生が晴に告白し両想いが成立する、というラストが描かれた。
私は、陸生が晴を恋愛対象として好きな気持ちは全く描かれていなかったので、このラストは感突に思えたし、キャラの気持ちの一貫性の無さを感じてしまった。
これは私の想像でしかないが、本作のスタッフは、もともと陸生と榀子のもどかしい恋愛ドラマを描く事に挑戦したくてそこに尺を割いたのだと思う。陸生と晴のカップルだと晴のストレートさから、そうした恋愛ドラマになりにくい。むしろ、晴を一方的な負け犬にしておきストレスを溜めさせる方が、耐え忍ぶ恋愛として違和感なく恋愛ドラマに参加出来る。
また、このラストは4人が決定的に決別した形をとらず、現状維持に近い状況とも言える。物語として人間関係の破壊を描かなかったのは、作品の世界観の余韻を保つためだったのかもしれないし、それがキャラへの思いやりだとも言えなくもない。
この想定であれば、榀子と付き合っている間、陸生が晴を好きな気持ちを見せてしまうと陸生の優柔不断さが強調され、陸生の誠実さが失われてしまうため、そこを封印したのだと思う。ある種の演出的なトリックである。
いずれにせよ、そうした制作側の考察は出来るが、それがキャラを描く上でご都合主義的なノイズに感じてしまった点を個人的には残念に思った。
映像の技術面、演技の高さは評価されるべきだが、文芸面での物語のラストの形が強引で、個人的には違和感を感じてしまった点をネガ意見として率直に記しておく。
邪神ちゃんドロップキック'(ダッシュ)
- rating ★★★★☆
- pros
- 最近では希少な正統派ナンセンスギャグアニメ
- 猟奇的な笑いと思いきや、意外とハートウォーミングで分かりやすいドラマ
- cons
- 現代におけるナンセンスギャグの壁・難しさを感じてしまう点
私が本作を観始めたキッカケは「邪神ちゃんはトムジェリ」という発言をSNSで見かけたからである。
昨今、笑えるアニメ自体はあるが、あくまでコメディ的な笑いの作品が多く、純粋なギャグアニメというのは最近ご無沙汰しているような気がしていた。OA前にYouTubeでOP動画を配信しており、先ほどの言葉とOP動画だけで世界観が掴めたような気がした。
ゆりねを殺せば邪神ちゃんは魔界に帰れるが、邪神ちゃんが常に返り討ちに合うくらいゆりねは強い。邪神ちゃんは悪魔なので胴体を半分に切り裂いたりしても死なない事が分かっており、ゆりねもお仕置きと称して割と邪神ちゃんを残虐に扱いがち。結果、邪神ちゃんはゆりねに常に粛正されながら、人間界でゆりねとの同居生活を送る。
邪神ちゃんは根性は曲がっていたり、ギャンブル癖はあるが、料理上手で友だち思いの良い面も持っている。時に魔界の友だちがアパートに遊びに来たり、天界を追放された天使とも交流があったりする。大体悪魔は良い人で、天使は腹黒というのが作品のアウトライン。
1話は、正直、前シリーズに追いつくための登場人物、設定説明で始まり、邪神ちゃんの脳内会議だったり、カオスなムード漂い、置いてけぼりを喰らった感が強かった。
しかし、見続けていると邪神ちゃんの友だち思いの良いエピソードなどが中心となり、段々と見易くなってくる。大体、邪神ちゃんが何か悪だくみ、もしくは人助けをするが、それがエスカレートして馬鹿馬鹿しさが増してゆくのが基本。しかし、それ以外にも不意打ち的にギャグの変化球を投げてくることもある。そうして徐々に笑いのスイッチが入り温まってくる。ナンセンスギャグも反復するうちに馴染んで笑えてくるモノである。キャラデザインや表情も萌えアニメ的だが、可愛くて分かりやすいのも良い。
ただ、キャラの行動パターンやお約束に馴染んで笑えるようになってきても、最終的には馬鹿笑いするには至らなかった、というのが正直なところ。
私は昔々、元祖天才バカボンが大好きで大笑いしながら観ていたが、そういうものを期待していた。ただ、最近、YouTubeで元祖天才バカボンの1話~3話の無料配信を久々に拝見したのだが、こちらも爆笑には至らず似たような感触だった事を考えると、観る側の私が年を取って変わってしまったのか、もしくは再び温まるまでに物凄い時間がかかるのかもしれない。ギャグ作品不遇の時代を感じてしまった。
波よ聞いてくれ
- rating ★★★★☆
- pros
- 圧倒され、つい呑み込まれてしまう、強烈な鼓田ミナレのパーソナリティと喋り(脚本も芝居も)
- 一見、毒々しそうにみえるが、実際には笑いと元気が出てくる不思議なテイスト
- 深夜ラジオの現場という珍しい設定とその意義
- cons
- 特に無し
本作は、クセの有り過ぎる女性、鼓田ミナレ(25歳)が深夜ラジオのパーソナリティに抜擢され、スープカレー屋のバイトをしながら地元ラジオ局で放送の仕事に携わってゆくという、青年漫画原作の、アニメとしては一風変わった雰囲気の作品である。
舞台がラジオ局なので、その辺りの用語や設定が飛び交い、お仕事モノとしても成立している。
本作の目玉は、とにもかくにもミナレの喋りに尽きる。会話の内容も速度も超過密なマシンガントークだが、滑舌が良いため内容が聞き取れないという事がない。CVの杉山里穂さんの迫真の演技が光る。ミナレの声は杉山さん以外はもう考えられないくらいハマリ役である。
ミナレは基本だらしない性格だが、頭の回転も早く洞察力も高く妄想力もある。物事の表層でとらえるのではなく、探偵の様に深読みできる。だから、ミナレの考えを言葉にすること自体がネタのように面白い。ただ、性格上、冷静さが無く勢いで突っ走るので、折角の考察も見当違いの方向に暴走する事が多い。お笑いの基本がボタンの掛け違いのエスカレートであるならば、ミナレの言論、行動自体がネタである。
1話は、金を持ち逃げした元カレの光雄の愚痴を居酒屋で録音され、ラジオで放送されてしまい、放送を止めさせるように申し立てるように慌ててラジオ局に乗り込む。しかし、放送を止める代わりに即興で生トークさせられる。そのトークの内容は、悪口の主語を北九州男性から光雄個人に訂正し、北九州男性に謝罪するとともに、ただし光雄は死ね!という内容であった。行動はハチャメチャで破天荒なのにマスを意識した、ある意味放送倫理を意識した内容なのが面白い。ミナレは激しい感情のぶつける中でもリスナーに共感が得られる部分があるからこそマス向けのラジオ番組として成立する。
ミナレはバイト先の中原が好いている事は承知していても男女の関係にはならないと明言し断る。ミナレの行動自体は正直で潔いが、中原にとっては生殺し的な、ある種の押しつけである。同じアパートの住民であった沖の部屋での事件も結局はミナレのだらしなさが原因で沖に大迷惑をかけていた。ミナレは自由で束縛されないが、リアルでは無自覚に周囲に負担を掛けながら生きてきた。
10話の光雄との再会デート回。問題の光雄という人物が登場し、母性本能をくすぐるクズ男として登場。あれだけ恨んでいたのに、少し優しくされ甘えられただけで、ミナレはまた光雄にほだされてしまう。男を見る目が無く騙されやすい。もともと美人であの激しい気性なので、普通の男はミナレに甘えるなどとは思わないが、逆にそこがミナレの弱点になっていたところは妙な説得力がある。
光雄はミナレの放送で命拾いをしており、その感謝の気持ちで借金の半額を返済するという流れではあるが、全額返済で無いところに、手切れではなく復縁を望む意図がチラ見えする。結局、ミナレが光雄の部屋で女性の髪の毛を見つけて我に返り、どうせ返済金も他の女性に貢がせた金だろうと、光雄の首をへし折って絶交を言い渡してミナレは帰る。ミナレはやる事が極端なのだ。
そして、10話11話の光雄埋葬&懺悔回。ミナレの光雄への気持ちを成仏させるために、麻藤は生放送ラジオドラマを企画する。脚本は、ミナレと麻藤が光雄を埋葬し、麻藤、光雄、ミナレの順番で3人が懺悔をし、北欧の地で生まれ変わるという雑な内容。光雄の台詞は、再会デート中に録音した音声から久連木がキャラ分析して書き起こした。ミナレのアドリブの余白は大きく残している。
面白いのはミナレの懺悔の時の台詞である。麻藤も光雄も心にわだかまる過去の罪を謝罪し転生してゆく。だが、ミナレは「後悔を後悔した事はない!ただ挽回したい!」と叫ぶ。ミナレは過去を否定せず受け入れる。放送を聞く親、同僚、知人、そして自分自身の誰も否定せずに肯定する。他人にかけている迷惑を受け止めて、その上でその人達にも何かを返します、というポジティブで未来向きな宣言である。
これは、1話の光雄は死ね!の台詞と対になるラジオドラマの脚本だったのだが、生まれ変わる=現世での人の繋がりを捨てる事をミナレは拒んだ。放送時の音響効果の滑稽さや、脚本のぶっ飛んだ設定や、ミナレのマシンガントークに持っていかれるが、文芸的にはかなり練り込まれた内容だと思うし、ギャグと文芸を両立させた手腕は見事だと思った。
ラストの12話の北海道胆振東部地震回。災害時におけるラジオでの心の繋がり。今までミナレの内面で描かれてきたラジオ番組は、停電で真っ暗になった夜空から一夜開けた早朝に、マスという非常に大きな力を持っている事を再認識し、やりがいを見出す。11話の「挽回する」の台詞が効いてくる。
一般的に、原作継続している作品のアニメ化は、物語途中でぶつ切りになる可能性が高く、カタルシスが無くなりやすい。本作は、地震とミナレの決意で綺麗に締める上出来のシリーズ構成に感心した。
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…
- rating ★★★☆☆
- pros
- 悪役令嬢というマイナススタート転生で破滅を防ぐ、という意外性ある設定
- カタリナのバイタリティと爽やかさの人間性でみせる、俺TUEEEハーレム展開のライトコメディの楽しさ
- cons
- 悪役令嬢という逆境の重さを感じさせない、薄味すぎる物語やドラマ
本作は、交通事故死した女子高生が、女性向けゲームの世界に転生する物語であるが、転生先が、どのルートでも人生破滅する悪役令嬢の幼少期であり、破滅回避し生き続けるために主人公が奮闘する物語である。
ゲームでは敵を多く作りながら生きてきた悪役令嬢だったが、主人公の持ち前のポジティブさと真剣さと思いやりで周囲の人間を味方に付けてゆき、時に無自覚に、他人のイベント(フラグ)を横取りして他のカップルの恋愛も全部主人公への好感度をアップに書き直してゆく。ただ、その好感度独り占めの状況を本人だけが理解していない。果たして、主人公は破滅を回避し幸せな人生を送れるのか? という感じのライトなコメディである。
本作は、物語としては、意外性があるプロットが面白い。ただ、個々のドラマの見せ方や描き方や演出が薄味である。勿論、絵柄や背景やキャスティングも含めて、狙った薄味だと思う。
例えば、正ヒロインのマリアは強力な光の魔力を持つがゆえに、家族はギスギスしてしまい、友だちも出来ないという身の上であった。父親は家から出ていき、母親もマリアに対してよそよそしい態度で接し、愛に枯れた幼少期を育ってきた。割と重い設定であり、物語の材料としては美味しいところである。しかし、母娘の距離が縮まるドラマの部分をかなりあっさり描く。勿論、愛が不足していたマリアは、初めての親しい友人である主人公カタリナに傾倒してゆく設定なのだが、マリア母娘の件は、枝葉の物語としても勿体ない。
例えば、ラスボスの生徒会長シリウスの呪われた生い立ち。真の悪役は別に用意して、最後は改心させる流れだが、ここでも非常に重い物語を背負っていながら、意外とあっさりと解決させた。
本作の物語のハイライトは、11話の夢の中で過ごす前世の女子高生生活からの帰還だと思うが、そこに居た主人公の家族や友だち、そうした物は幻で居心地の良い空間であり、それは闇の魔法の効果で見せられていたものかもしれないが、交通事故で死んでしまったという現実を受け入れ、今のカタリナの人生を生きるという決意。前世の親友であるあっちゃんとの心のシンクロと、突然の死別で前世で出来なかった別れの挨拶のケジメ。前世は思い出でしかなく、今を生きる転生先の方がリアルである、というのが面白い。
乙女ゲーム世界ゆえに、周囲のキャラも美男美女。少女マンガのエッセンスたっぷりの絵柄。全員が主人公に好意的なハーレム状況。カタリナにマッチするCV内田真礼さんの声質と演技。総じて、ストレスなく気楽に楽しく観れるディレクションだったのだと思うし、実際、楽しく観れたが、もう少し濃いめの演出でも良かったかな、とも思う。
LISTENERS(2020.7.20追記)
- rating ★★★☆☆
- pros
- ロック音楽をモチーフにした独特の世界観
- cons
- ポエム的であるがゆえの分かりにくさ
物語について
正直、本作は途中から物語が頭に全く入って来ずに、途中で視聴が止まっていた。なので、一段落して途中から何回か見直し物語を把握し直した。まず、そのあらすじを整理する。
本作の物語は、前半は少年と少女の冒険、後半は敵のボスになった少女と人類の戦い、そして最後は少女を取り戻す少年、というのが大筋である。
ミュウは、ミミナシ側から人間側に生まれ落ちたジミの鏡の存在で有る。ただ、その経緯の記憶も何も持たずに生まれたミュウは、自分の過去を知りたい好奇心旺盛な真っ白な少女でしかなかった。自分探しの顛末は、トミーに担ぎ出されて、リスナーズであった記憶を取り戻し、ダークサイドに落ちる。
エコヲは、ここで一緒に旅してきたミュウに突き放されたと思い、一度は尻尾を巻いて逃げる。だが、ブルースの田舎でメンタルを回復し、オリジンの記憶に触れ、ミュウがミミナシの王リスナーズと理解し、その上でミュウに合いたい気持ちを貫く決意をする。
そしてラスト。自暴自棄になり暴走しながらミュウは泣いていた。エコヲはミュウに話しかけ、無事にミュウを取り戻す。その後の世界では、ミミナシは羊角人間として人類と共存する世界に変革した。そして、今まで通りのエコヲとミュウの旅は続く。完。
テーマについて
本作のテーマを上げるとすれば、以下の二点ではないかと思う。
- 理解できない他者の否定が生むミミナシの悲劇
- 何者でもない普通の人間でも世界は変えられる
後半のオリジンの記憶(記録?)によれば、ある日突然現れたミミナシは、最初は人類に危害を加えていなかった。しかし、何かをきっかけに人類に危害を加えはじめ、最終的には戦争レベルで人類とミミナシの戦いが行われた経緯が明らかになる。最初に手を出したのが人類かミミナシかは分からない。これは、理解できない相手に対する恐怖心が共鳴し発振した結果とも言える。プロジェクトフリーダムはそのケジメをつけるミッションだったが、双方に甚大な被害をもたらした。人類とミミナシの敵対関係は相変わらず続いており、本作はこの事件の10年後に始まる物語である。
ミュウはミミナシ側から人間側に落ちてきた鏡の様な存在だし、リズの家族は人間からミミナシに変化したようにも見受けたので、本質的には同一でどちらにもなり得るモノとしても描かれていたし、プレイヤーの演奏でミミナシを駆除できる意味など未だに考察の域を越えている。
ミミナシとはいったい何だったのか? 人類が自分達の理解しえない抽象的な概念でしかない。単純に国境や人種のようなグルーピングともとれなくもないが、もっと抽象的なフワフワした何か…。その意味で、何かのメタファーと決めつけずにフワフワした概念で捕らえる必要がある存在に思う。考察屋泣かせな感じである。
ラストでは、人類の有名プレイヤーの力を集結させても、ミミナシの王リスナーズには対抗できなかった。それは、ミミナシと戦うというスタンスだったからだと思う。
そんな中、ミュウを欲するエコヲはたった一人でリスナーズに立ち向かい、ミュウに直接呼びかけてミュウを取り戻す。ミュウの中にエコヲがあるからこそ、ミュウを引っ張り出せた。1話で落下するエコヲをすくい上げるのがミュウだったが、12話では落下するミュウをエコヲがすくい上げるという対称的な構図。これを何者でもない、一般人のエコヲが実現る所に物語としての希望があったのだと思う。
ロック音楽へのオマージュについて
本作は、ロック音楽のメタファーに満ちていて、登場人物、メカ、台詞などの設定は、有名ロックバンドのオマージュとのこと。ただし、私自身はロック音楽に詳しくないため、その部分での面白さは、よく分からなかったし、そうした考察は他の方におまかせする。
本作で少し思うのは、キャラ毎に特徴的なフレーズがあったり、それが繰り返されたりする。台詞はロジカルなものでなく、ポエムの様にも感じる。抽象的なワードの中に生き方や何かを感じさせるものがある。直接的な表現でない事が本作を分かりにくいモノにしているのだが、ふと考えると、それはロック音楽そのもののスタイルではないのか?とも思えてくる。
また、前半の各話登場するプレイヤーごとに土地、舞台の設定、背景が異なり各々のカラー、テイストを持つ。後半に各プレーヤーが集結し協力し合いながらミミナシと戦うのは、コンピレーションであり、シリーズ全体が1枚のアルバムとも考えられる。
本作の「分かりにくさ」について
最初に書いた通り、私にとって本作は後半から非常に分かりにくい作品となり、何度か視聴し直す事になった。その原因について考えていた。
その原因の一つに、本作の作風が小説的ではなく、ポエム的なモノだったからではないか?と想像している。
歌謡曲の歌詞は、敢えて抽象的に描くことが多く、それは誰が聞いても自分なりに解釈し共感できるようにするテクニックでもある。しかし、小説でこれをやられると何が言いたいかわからず、フラストレーションが溜まる。初めから、詩集を読む心づもりがなければ辛い。
そして、もう一つの原因として、各プレイヤーたちの思惑が分かりにくい、という所があると思う。後半は、トニーの陰謀から始まるが、その目的があまりにも分かりにくい。自分の欲望があるわけではなく、周囲の欲望を反映する鏡と言っていたが、その気持ちが分からないために、なぜこのような行動をするのか分からない。
後半は各プレイヤーたちが人類を救うために集結し、それぞれの信念の為にリスナーズと戦う。愛の為に戦う殿下、ノームの民のロズ、国を失ったケヴィンとビリン、それぞれの気持ちに感情移入できる人が居ない。ただ、敵討ちのためにミュウを殺そうとするニルの憎しみの感情だけは理解し易かった。
視聴者は、前半のエコヲとミュウが自分を含めて知らない事を知る旅をしている事には共感は出来る。しかし、後半は気持ちを乗っけるキャラが居なかった事が、物語の盛り上がりとは裏腹に、気持ちが滑っていた原因ではないかと想像している。
総合的な感想
最後になってしまったが、本作の好きな点をいくつか。OPは、映画のトレーラーの様で非常にカッコ良くて私好みである。pomodorosaのキャラデザインは、良い意味でアクがあって良いなと感じた。
ポエム的な作風という事であれば、考察屋としては腕の見せ所、と言いたいところだが、私には前例がなく、非常にハードルの高い作品であった。ポピュラーミュージックも繰り返し聞く事で馴染んできて、枯れるほど聞くと麻痺して引っ掛からなくなる。そんな感じの作品なのかもしれない、などと妄想していた。
おわりに
コロナ禍の影響で、今期はOAが止まってしまう作品も多数あり、かつてない緊張感のある時期のクールだったと思います。作品の方は、突出してハマる作品はなく、みな平均点的な感触でした。
私は物語重視したい人なのですが、個々の作品で、1クールの物語の終わり方に様々な違いを感じました。カタルシスが欲しい気持ちと、2次創作しやすさもありますが、楽しい現状が続いているよ、という物語を閉じない方法や、地震などのイベントで強引に物語的なカタルシスに持っていく方法など。その観点だけで観ても、本当に様々なタイプの作品があったな、と思いました。