たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン

ネタバレ全開につき閲覧ご注意ください。

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はじめに

本作は、2018年1月から3月に放送されたTVシリーズを完結させる作品です。TVシリーズ最終回では、劇場版が有る事が告知され、それをずっと待っていました。

TVシリーズ、外伝のブログも書いていますので、よかったらご覧ください。

いろいろあって、2度の上映延期がありましたが、物語の完結にふさわしい映像に納得の良作です。

下記、追記しました。

  • 読まれなかった手紙の最後の1行(石立監督からの宿題)(2020.9.22追記)

感想・考察

物語・テーマ

ユリスの物語

ユリスはC.H.郵便社のドールに電話で依頼をしてきた病床の少年(パッと見12歳くらいだろうか)。

自分の死期を予感しており、その心の内をどうする事もできず、本心とは裏腹に、両親や弟にはついつい突っかかった口調になる。

ヴァイオレットはユリスから自分の死後に出す手紙の依頼を受け、父親、母親、弟の3人分の手紙を書く。

ユリスは、3話のルクリアの兄であり、10話のアンの母親であり、11話のエイダンである。ヴァイオレットは近すぎて素直な気持ちを伝えられない気持ち、永遠の別れを前に伝えたかった気持ち、その気持ちが痛いほど分かるのでユリスのドールの依頼を特別料金で引き受けたのだろう。

ただ、家族への手紙を書き終えた後、ユリスは友人のリュカにも未練があり手紙を書きたいと言い出すが、時間的に間に合わず、日を改めて代筆すると約束する。

ユリスが危篤の日、ヴァイオレットは出張中で駆けつけられなかったが、代わりにベネティクトが病院に手紙を届けるために、アイリスがリュカへの代筆するために駆けつける。しかし、急に苦しみだし代筆が間に合わない状況で、病院のユリスとリュカは電話で会話して互いの思いを伝えあう。

手紙に対する電話の優位性はリアルタイム性と双方向性である。これも技術の進歩あっての話ではあるが、思いを伝達する手段の広がりと可能性を感じさせる瞬間であった。このエピソードはドールや手紙が、いずれは衰退してゆく事を連想させる。ただ、後述の60年後のデイジーの時代にはドールという職業は消滅してたが、手紙の文化は継承されていた。通信手段の多様化であり、それぞれにメリットがあるという事だろう。

そして、ユリスは短い命を病床で終える。約束通り、家族に手紙は届けられ、それぞれの思い(謝罪と感謝)を受け取り、両親や弟に笑顔を与えた。

さて、物語としてのユリスパートの意味は、これまでのドールとしてのヴァイオレットの仕事をコンパクトに観客と共有する要素として描かれていたと思う。もっと言えば、ギルベルト少佐と離れて過ごしたヴァイオレットの数年間の成長である。ギルベルトの知らないヴァイオレットの人生であり、後述の時が止まったギルベルトに伝えたい事でもある。

ヴァイオレットとギルベルトの物語(副題「あいしてる」)

TVシリーズでは、ヴァイオレットは猛獣から人間に心が変化してゆくにつれ、自ら戦場で行ってきた虐殺、そしてギルベルト少佐を救えなかったに対する罪の意識で、心を痛めもがき苦しんできた。しかし、ギルベルトの母親から、心の中にギルベルトが生きているから自分を責める必要は無い、という言葉で罪から解放され、笑顔を作る事ができるようになった。

その後、さらに数年の時間が経過する。

ギルベルトの母親は亡くなり、ヴァイオレットの心の中にはギルベルトの存在が薄らぐどころか、より強くギルベルトの存在が頭の中に肥大化してゆく。時折、業務が手に付かなくなるくらいまでに。

ホッジンズはそんな過去に捕らわれすぎているヴァイオレットを不憫に思う。前を向いて歩いて欲しい、と。

ディートフリートは弟のギルベルトの事を思い続けるヴァイオレットを自分と同じ心に穴の開いた存在だと感じ、ギルベルトの遺品を渡し、ギルベルトの過去を共有する。

一方、ギルベルトは戦闘で右手と右目を失い、敵側であるガルダリク陣営の病院に運ばれ、その後、自らの意志で過去を捨て、遠く北に位置するとある離島に暮らす。

ギルベルトが過去と決別した理由は、自責の念。

ブーゲンビリアの家系に従い軍に入り、各地で戦闘を重ね、戦争で死体の山を積み上げ、多くの人達の哀しみ恨みを残した。ヴァイオレットの事は戦争中から「真実の愛」という花言葉に相応しい人になって欲しいという願いとは裏腹に兵器として利用し続けている自分に葛藤しストレスをためていたし、その事を今も責め続けていた。

ギルベルトが居た離島はブドウ栽培が盛んだが、それぐらいしか産業がなく貧しい。そして戦争により女性と子供と老人しか居らず、今もなお戦後を引きずっている。復興著しい戦勝国のライデンシャフトリヒとは対称的に描かれる。

こうして、男を求めた女と、女から逃げた男が、数年の時を経て離島で扉一枚隔てて会話する。が、結局、一目見る事も叶わなかった心の断絶。

ギルベルトもヴァイオレットも戦争で互いに大きな傷を残し、その後、自分を責めるという部分においては似た者同士とも言える。

しかし、その後の数年間の軌跡は対称的である。ヴァイオレットが義手を手に入れ、ある意味、華々しくドールの仕事をしているのとは正反対に、ギルベルトの失った右手は癒えぬ心の傷を象徴し、閉ざされた心を強調する。ヴァイオレットのドールとしての活躍を知り、より自分の過去の罪を責め、自分をみじめな存在におとしめて、現在のヴァイオレットとの距離を遠ざける事になる。

翌日、ギルベルトは、老人に自分だけを責めなくてもいいと言われ、ディートフリートにブーゲンビリア家から離れて自由にしていい、と言い渡される。

そして、ヴァイオレットの手紙を読んで、ヴァイオレットの感謝の気持ちが届く。手紙が、本人も否定していた戦争中のギルベルトをヴァイオレットだけが肯定してくれた。そして、ギルベルトのヴァイオレットを好きな気持ちの封印を解いた。直接合っても伝えられない気持ちを手紙が伝えた。

最終的に、ギルベルトとヴァイオレットは海でずぶ濡れになりながら、対峙し、しばらくのやりとりの後、ギルベルトがヴァイオレットを抱きしめる。言葉は出ないが、副題の「あいしている」がその答えだろう。初めてギルベルトがヴァイオレットを預かった時と同じように抱きしめる。抱きしめることが相手を癒すだけでなく、自分自身も癒す。

女は男を求め、男は女を受け入れた。ただ、シンプルにそれだけの話である。

ギルベルトの喪失の数年間も詳細は語られないが、その後のヴァイオレットとギルベルトの詳細も語られることはなく、物語は終わる。

ただ、ヴァイオレットは、この島でドールの仕事をし続け、切手のデザインとして後世に伝えられる存在となった。国際的な華やかな仕事よりも、たった一人の大切な人と一緒に過ごす事を選んだ。後世の人の心をも温め、手紙を書きたい気持ちにさせる伝説の人となった。

デイジーの物語

デイジーは、家庭よりも仕事優先で祖母の死際にも間に合わず、葬式後もそうそうに仕事に戻る母親に不満があり、家族で会話していても、つい口喧嘩になってしまう。

デイジーは、10話のアンの孫娘である。曽祖母から祖母に送られた50通の手紙。祖母が大切に残していた宝物。その手紙の文面の暖かさに興味を持ち、その手紙を代筆したC.H.郵便社のヴァイオレットの足跡をたどる旅に出る。

アンとデイジーの年齢は明確には分からないが、デイジーが15歳、アンが65歳で50歳の年齢差と仮定する。

この場合、アンが亡くなる数年前までヴァイオレットの手紙が届いていた事になると思う。そして、当時から60年が経過した。住宅内は電灯のスイッチもあったし、感覚的には1960年代くらいだろうか。科学技術もインフラも随分と進んだのだと思う。そして、便利になっても心のすれ違いは、相変わらずあって、という時代。

デイジーはヴァイオレットの足跡を追い、ライデンシャフトリヒの今は郵便博物館となっている旧C.H.郵便社を訪ね、ギルベルトの離島の郵便局を訪ねる。

そして、ヴァイオレットの手紙同様、素直な謝罪と感謝の気持ちを手紙に込めて、ここから母親に手紙を出す。

デイジーが見たヴァイオレットの伝説はどのように語られていたのか分からない。ただ、この行動から察するに、我々が観てきたヴァイオレットの物語はそのまま語り継がれているのだろう(もしかしたら、ヴァイオレット自身が自伝を書いていたのかも、などと妄想)。

デイジーは、ヴァイオレットの物語を観た観客である我々と重なる。デイジーはこの作品が、偉人の伝記ではなく我々の物語である事を強調する。

つまり、この物語を観て、好きな人とわだかまりがあったとすれば、手紙などで素直な気持ちを込めて伝えよう。というメッセージをより自然に伝えてくれる。

デイジーパートは、そうした意味合いがあると思うし、それはとても素敵な演出だと思う。

読まれなかった手紙の最後の1行(石立監督からの宿題)(2020.9.22追記)

舞台挨拶で石立監督が、ファンに出した下記の宿題があり、それについて考えてみる。

  • ギルベルト宛てのヴァイオレットの手紙には読まれなかった1行がある。それは、皆さんで考えて欲しい。(石立監督)

あの日、ヴァイオレットは、ギルベルトに土砂降りの小屋の前で拒絶され、灯台に宿泊させてもらい、ギルベルトに対して激昂していた。

しかし、ユリスの危篤の報せが電報で舞い込む。ユリスとの約束を守るため今すぐ帰ると言い出すが、どうする事もできない。ユリスの件をベネティクトとアイリスに任せて、その後の電報をただ待つ事しかできなかった。

ここで、少し意外に感じたのが、ヴァイオレットの心は直前のギルベルトの件で相当乱れていたはずなのに、ユリスの件が一件落着する頃には冷静さを取り戻していた点である。心のスイッチの切り替えが早いと思ったが、任務遂行のために軍で心の動揺を一旦引き出しにしまう訓練をしていたのかも知れない。

ヴァイオレットは電報で、ユリスとリュカは電話で本当の気持ちを伝えあう事が出来た、と知らされる。

ヴァイオレット自身も、今、ギルベルトに本当の気持ちを伝えないと後悔すると思ったのではないだろうか? 感謝の気持ちを伝えたいのは間違い無いが、伝えたい本当の気持ちはそれだけ?

戦争中は子供だったヴァイオレットも数年間を経て、またドールの仕事で品格を備え、立派な大人の女性になった。

しかし、想いこがれてきたギルベルトは、自己肯定感ゼロで、とてつもなくメンタル面が弱っていた。優しかった男は数年の歳月を経て変わってしまった。ギルベルトは戦争中も、戦後も、ヴァイオレットの心の支えだったはず。そして、変わってしまった男の「気持ちが理解できる」というヴァイオレットなら、いくら拒絶されても、その男を支えたいと思うのではないだろうか?

物語のラストは、ヴァイオレットが離島に引っ越して一生を終える、という事から逆算すると、ヴァイオレットからプロポーズするくらいの破壊力がある言葉でなければ、最後の1行は成立しないのではないか?

この辺りのキーワードを下記に列挙する。

  • 「本当の気持ちは伝えなければ、分からない場合も多いです」
  • 「今の私は少佐の気持ちが理解できるのです」
  • ギルベルトは傷付きメンタル的に弱っている
  • おそらく、ヴァイオレットからギルベルトへのプロポーズ的な言葉

以上を踏まえて、私の考えた最後の1行は、下記。

  • 「今度は私があなたの右腕になって、ずっと、あなたを支えたい。」

私の稚拙な文章でキレは悪いですが、意味合いとしてはこんな感じじゃないかな、と考えてみました。異論は認めます。

おわりに

途中、7.18京アニ事件があり、上映も2回延期されましたが、この度、無事に完結した事、嬉しく思います。

今回、物語が変化球ではなく、ド直球勝負だったので、こねくり回した考察はあまり要らないのじゃないか? と思いました。外伝のような凝りに凝った装飾が無い分、誤魔化しは効かない。しかし、この劇場版のテーマ、テイストから察するに、このド直球勝負で良かったのだと思います。

私は、物語が完結する事を好みます。一つの物語が完結し、一つ心の荷が下りた、というのが正直な感想です。