ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。
総括
P.A.WORKS オリジナル長編劇場アニメーションの本作は、とても奇麗で透明感がありノイズが少ない。
2時間の尺でも疲れない、見やすい映画だったと思います。
人が生まれて生きて死ぬ。その人生の中で関わった人の心に残るのは家族や大切な人のために守り守られてきたり、その事で必死に頑張れたり。
人生の別れはいつかは来る。寂しさ辛さだけが別れじゃない。そうした輝きを胸に、笑って見送れる別れもある。
翻って自分の人生はどうなんだろう?みたいな事を感じられる作品だったと思いました。
登場人物
登場人物多数だけど、主な登場人物は限られ整理されていて混乱なく見られる。一部だけど気に入ったキャラだけ感想など書きます。
マキア
泣き虫な主人公として登場し、エリアルの育ての母として奮闘し、イオルフの一族としてのメザーテへのテロ行為に参加したり。とにかく怒涛の人生。
朝の連続テレビ小説のヒロインみたいな感じで見てた。
女で一つでエリアルを育てる。一見無茶とも言えるその選択だけど、気持ちの多くは、エリアルを守りたいという思い。途中でくじけそうになった時も、エリアルがマキアを守りたいという台詞で頑張りが効いたり。
いいな、と思ったのは、イオルフの人間が追われているメザーテで、ラングや他人を頼らないようにしていたり、酒場で働いている時の忙しくも手際よく動くバイタリティーだったり。古き良き母の強さを感じるシーンがいくつもあった。
血の繋がりは無くとも、立派に母親だったと思う。
やっぱり朝ドラのヒロイン的な存在で、いろんな意味で可愛くて凛々しくて女々しくて良いな、と感じるキャラだった。
エリアルとティダ
エリアルはマキアとの母息子の関係にあり、物語の対の存在だった。
マキアは普通の人間では無いため、子供からしてみれば少なからずコンプレックスみたいのを抱いていたと思うが、そういった事よりも母親を守り切れないという理由にして家を出たのは少しショックだった。
遅かれ早かれ訪れる、親離れなのだが、残された母親のマキアの立場が無くて可哀そうだと。でも、マキアも子離れは必要で展開上、避けて通れない必要な展開だったというのは理解できる。また、ティダとの子供の事もその後すぐ出てきていて所帯を持つからという事もある。
いずれにせよ、彼が赤ちゃんとして登場して、年老いて死ぬまでの人生が、本作の時間軸の始まりと終わりでもある。
変化もあったが、マキアとエリアルの互いを思う気持ちがこの物語の原動力だった。
ティダはエリアルの子供を産み落とす際にマキアに偶然会い、その赤ちゃんを見てエリアルを拾った時の事を思い出すシーンが良かった。
自分が拾った赤ちゃん、そしてその子が親になり、また赤ちゃんを育てる。そうした命の繋がりが直感的に感じられた。こうした輪廻が長い時間を生きるイオルフの縦糸でもある。その壮大な時間が本作のテーマの一つでもあると感じた。
レイリアとクリム
イオルフは伝説とも言える存在で、その中で人間と触れる事で不幸になった存在の象徴として描かれていたと思う。
陽気だったエリアルは、幽閉され娘のメドメルと合う事もままならず発狂しそうになった。これもまた母親の本能なのかも知れない。
エリアルを想い続けたクリムは、最後はメドメルを気にして逃げられないエリアルを不純と感じ理解できないまま死んだ。
共にマキアが人間と幸せに関わった事に対して、人間と不幸に関わった存在だった。
ミド
母親としての強さ、したたかさが印象的だった。彼女無しでは、今のマキアは成立しなかったと思う。母親としての道しるべとしての存在。
肝っ玉母さんなんだけど、人間としての思慮深さを見せたり、無神経では無い繊細な部分も持ち合わせたキャラ作りが良いなと思った。
作画(原画・動画・美術)
背景は、どれもうっとりするくらい透明感に溢れ、美しい色調で絵葉書の様に奇麗。
作画(原画・動画)については、ちょっと感じた事があったので、勢いで書きます。
本作のキャラデザインは線がシンプルで上品。で、これで思い出すのが東映マンガ映画時代のキャラデザインの森やすじさんのキャラデザイン。太陽の王子ホルスの大冒険のヒルダや、フランダースの犬のキャラデザインを手掛けていた。その少ない線で優しいキャラを描く。そうしたテイストに似たデザインだな、と感じた。
それから、酒場だったり、城での戦闘シーンだったり、モブシーンが良く動いてた。こんなにたくさんのキャラをそれぞれに描き分けるのはさぞかし大変だろう、という部分を大切だと思い労力を惜しげもなく注入している。このシーンはルパン三世カリオストロの城の銭形警部突入シーンだったり、マンガ映画としてのオマージュを感じるシーン。
話は少しそれますが、P.A.WORKSのTVアニメ作品の「SHIROBAKO」関係のツイートで堀川社長が大塚康夫氏の「作画汗まみれ」などが好きで少なからず当時の東映マンガ映画のスタッフに畏怖の念を抱いている事が知られている。
本作はそうした、東映マンガ映画をP.A.WORKSが制作したくて作った作品じゃないかと感じた。原点となった大好きなアニメーションを自社の劇場公開作品として制作する。今の時代に。映像的にそうした気概を感じる所が多々ある作品だったと思う。
脚本・演出
先にも書いたけど、とても見やすい映画だと思う。
劇場版作品をリピートして繰り返し見る人も最近多いが、2時間の映画を何度も視聴する時間はないため、一度見て大体理解出来るの方が嬉しい。
芝居としては子供の描写が自然な感じが多くて良かった。
先にも書いたけどモブシーンも全然逃げずに芝居を付けてたと思う。大変な苦労だと思うが、そのあたりの気合の入り方はコダワリだと思った。
後で気付いたのだが、強烈な恋愛シーンと言うのは無い。基本が母息子という親子のストーリーなので当然といえば当然なのだが、そうした無償の愛的な事を淡々と描いている。
本作は時間の雄大な流れもテーマなので、一瞬のイベントだけを注力して描く事は無く、どのイベントもそれだけが突出して目立つ事がない展開になっている。
ラストに向かってそれなりに肉弾戦の合戦があったり、ラストでエリアルを看取るシーンのカタルシスはあるが、個々の人生のイベントは比較的淡々と描かれる。
だからといって、単調で退屈という事は全くない。それぞれのシーンはそれぞれに感動的で途中から都度泣けるシーンの連続ではある。
その他
メタ的な考察よりも物語を感じたい雰囲気
最近の深夜アニメは設定深く、演出も凝っていて、とても考察しがいがある。
いや、考察というよりも、制作サイドがどのような意図を持ってそのシーンを作っているか?というのを出来るだけ汲み取りたい、という気持ちから、作品にのめり込んでゆくパターンと言ってもいい。
大量の情報が散りばめられ、それらの分かる所を自分の中で再構築する。それが、私の最近の作品の接し方だったと思う。
少し前だと「ひるね姫」という映画が作品内にメタ的な比喩を多数盛り込み、考察しがいのある作品だった。物語に出てくる巨大ロボットやサイドカー製造秘話だとか、そういう直接描かれない部分への設定を汲み取る、そんな事が楽しい作品。
で、本作はどうか?というと、そういう雑多な考察をするよりも、物語を直接感じる事に重きを置いた作品の様に感じた。これは、私にとっては少し新鮮な感じ。
具体的に何を言っているかというと、描きたい物語があって、それを構成する各シーンがあって、それぞれのシーンが物語に対して何を語るべきなのか?という事を念頭に丁寧に描いていると感じ、あまり重要でない細かな設定に目が行かない様に作られていると感じた。
もちろん、設定がガバガバとかいうレベルの低い話は全くなく、少しだけのシーンでも細かく設定を作り込んでいて、そういった密度の高さは感じる。
だけど、その設定が一人歩きして気になるような所は無いように上品に設計されている感じがした。
要するにとても奇麗で透明感があってノイズが少ない。単純に映像や音楽としてだけでなく、演出として。飲み物で例えるなら炭酸水。過剰な甘さ辛さ酸っぱさは無い。
だから、私にとってはとても見やすい映画だった。
P.A.WORKS 初のオリジナル長編劇場アニメーションとしての本作
P.A.WORKSはもともとTVアニメの制作でその作画、背景の美しさに定評があるが、そそれが劇場版クオリティーでさらに美しくなって映像化された感じ。
更にスタッフはこれまでTVアニメでP.A.WORKSと関わってきた人たちが多数集まり協業している。監督クラスの人たちが何人も絵コンテ担当していたり。今までのP.A.WORKSの集大成的な作品とも言える。
先にも触れたけど、東映マンガ映画のような、オリジナル長編劇場アニメーションを制作したくて作られた作品に感じる。
ジブリは一旦アニメ制作が止まってしまった会社だから今更何なのだが、ポストジブリを考えると、これは京都アニメーションだと思う。これはもう、作画・演出ともに圧倒的にレベルが高く疑う余地が無い。
P.A.WORKSは二番手かも知れないし、もう少し低い位置にあるのかも知れない。
でも、これまでの古き良きアニメーションに対するオマージュを感じるのは、P.A.WORKSかも知れない。結局、アニメはいかに動くか?であるが、それを真摯にやっているのが、P.A.WORKSの特色だと思う。
ジブリのアニメーターを他の制作会社の映画で使う受け皿という所もあるかもしれない。2016年は「君の名は」がその受け皿だった。
TVアニメよりも劇場版アニメに注力する制作会社
P.A.WORKSに限らず、京都アニメーションも2018年は劇場版の作品に注力しており、本作も、P.A.WORKSとしては珍しいオリジナル長編劇場アニメーションである。
TVアニメより映画の方が収益的にメリットがあるのか?TVアニメの制作自体が破綻しているのか?その辺りはよく分からない。でも、P.A.WORKSは敢えてオーソドックスな映画作りを目指しているように感じる。
ただ、本作の興行は直感的には厳しい戦いになるような気がする。
今後のアニメ作り、アニメ制作会社の展開を見るうえで重要な作品だと感じてる。
個人的には好きな作品なので、本作のヒットを祈願したい。
Twiiterのつぶやき
さよならの朝に約束の花をかざろう
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2018年2月25日
非常に透明感のある映像・音楽。いろんな意味でノイズが無い。美しい。飲み物で言えば炭酸水。過剰な甘さ辛さ酸っぱさは無い。
それは物語を過剰な演出で包まない、いろんな当たり前を丁寧に描く作風。2時間の尺だがとても見やすかった。#sayoasa #さよ朝
さよならの朝に約束の花をかざろう
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2018年2月25日
メタ的な考察より、物語の流れを感じたい雰囲気の作品。
長寿イヲルフは人間よりも長生きするので常に人間に先立たれ残される側にあるが、寂しさ悲しさを累積するだけでなく、楽しい思い出も心に刻み、優しく見送りの言葉をかけられる別れもある。#sayoasa #さよ朝
さよならの朝に約束の花をかざろう
— 伊藤つくし (@itoutsukushi) 2018年2月25日
時間の尺が違う生き物が残される側の気持ちを扱うと結局人生の思い出を振り返り、その人の心に何を残せたのか?という生き方の話になり、我が人生を思う、という作品だと思う。
さて、振り返って我が人生はこうした事に無頓着だな、とか思う。#sayoasa #さよ朝