たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

劇場版SHIROBAKO

ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

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はじめに

私は、2015年10月~2016年3月まで放送されていたTVシリーズSHIROBAKOの大ファンでした。なので、この劇場版もとても楽しみにしていました。

TVシリーズの4年後の世界を描き、アニメ作りに携わるスタッフ、クリエイターの群像劇と、あおいの成長を見事に描く、大満足の出来です。

本作はアニメ制作の醍醐味を、時に楽しく、時に辛く描き出すTVシリーズのスタイルを周到しているのですが、劇場版という事で、より大人寄りのエンターテインメント作品になっていると感じました。その辺りも含めて、感想・考察まとめます。

2020.3.4 キャラクターの「安原絵麻と久乃木愛」意向を追記

感想・考察

テーマ・物語

アニメ業界の浮き沈み、光と闇

冒頭でロロとミムジーTVシリーズ振り返り「めでたしめでたし」と結ぶ。しかし、4年後のムサニはこの台詞が皮肉だったという状態で始まる。

タイマス事変により、丸川社長は責任を取って退任。ムサニは倒産こそ免れたものの、事業は大幅に縮小。わずかな社員だけ残り、資産も社員も大幅に放出。細々と下請け作品を作る会社になり下がっていた。

タイマス事変とは、ムサニが正式契約を取る前に作業を進めていた「タイムヒポポタマス」(通称、タイマス)が、クライアントの都合で没り、制作は中止、持ち出した費用は回収出来ず、業績は大幅に悪化し、事業縮小に追い込まれた、というムサニ史上最悪の事件である。これにより、途中まで制作した作品はお蔵入りし、制作に携わっていたスタッフたちの情熱は行き場を失ない、悔しさと虚無が残った。

本件は、コンプライアンス的にNGなわけで、正式契約締結しなければ、作業着手しないのは当たり前と杓子定規に言うのは簡単だが、おそらく、この業界は人と人との信頼関係の上で、このような綱渡り的な取引は、しばしば行われているのだろう。(想像です)

限界集落過疎娘とツーピースの2ライン体制で順風満帆に見えたムサニも、この事件で衰退し、皮肉にもサンジョ下請けで怠慢制作会社だったスタジオタイタニックがお色気てんこ盛りのサンジョ続編の元請けとなり、それをムサニが下請けでグロス制作するという屈辱。栄枯盛衰、一寸先は闇である。

また、山田、円の演出家の二人も明暗を分けた。山田はツーピースのヒットを皮切りに人気監督としてTVに出演するなどしていたが、円はムサニに残り、先のサンジョ続編の演出をしていた。このようにアニメ制作者の浮き沈みも紙一重として描かれていた。

また、悪意を持った会社もあり、スタジオげ~ぺ~う~の社長は制作費用を渡しているにも関わらず、ろくな仕事も上げず、日程遅延に責任も持たず、さらに継続して費用を請求するという不誠実でヤクザみたいな、絵に描いたような悪役として描かれた。

このような、アニメ業界の不安定さは、エンターテインメント作品としての誇張はあれど、少なからずあるのだろう。実際には、これほどコンプライアンスがガバガバという事はないのだろうが、大企業に比べればこうしたトラブルは各段に多いのだと思う。(想像です)。この事がアニメ制作会社の地雷として描かれていた、と思う。

タイマス事変で折れたあおいの心

あおいは、タイマス事変で何もかも失ない、一度、心はポッキリ折れてしまった。

あおいには落ち度は無い。ある日突然、何か運命的な力が天変地異の如く、積み上げたモノを崩し、押し流してゆく。

劇場アニメ制作の話を聞いて決断を迷っているときに、丸川元社長のカレーをあおいが涙を流しながら食べるシーンが非常に良い。

本作のテーマは、丸川が喋る台詞が全てである。好きなだけでは行き詰まる、お客が満足できる作品を提供し、と自分自身も成長する。つまり、アニメを作り続けるしかない…。(うろ覚え、すみません)

平岡の台詞もあおいの背中を押した。何かをするためには、もがき続けるしかないと。

あおいは無謀とも言える9か月間の劇場アニメ制作を決意し、失意のどん底から這い上がるが、本作はそこを、まるでインド映画のようなミュージカルダンスシーンで表現する。夜道をあおいがブツブツ言いながらミムジー、ロロ、アニメキャラクター達と踊りながら活力を取り戻してゆくシーンが、荒唐無稽でありながら、妙な説得力を持っていた。キャラクター達は、あおいの分身であり、あおいのアニメに対する気持ちである。そのキャラクター達があおいを後押しする。映像の馬鹿馬鹿しさも感じるが、その馬鹿馬鹿しさが現実の不安をあざ笑うが如く、かつてのアニメ愛の気持ちをみなぎらせてゆく。それは、アニメが人に与える良い影響をメタ的に表現しているともとれる。その演出がSHIROBAKOならではであり最高だった。

入社5年目の壁

あおいだけでなく、他のドーナツ娘達も仕事の伸び悩みを感じていた。夢を持ちがむしゃらに仕事をしていた頃を経て、自分がやりたい事が思うように出来ない事、今の自分の仕事が当初やりたかった事なのか疑問を持つ事、そうした迷いや壁があった。

こちらも、丸川の台詞の通りである。好きなだけでは行き詰まる、が効いてくる。

この壁は、もっと言えば若年層だけでなく、経験年数に無関係に、全ての登場人物に存在するものである。

例えば、タローと平岡はタイマス事変を経てフリーランスとなり、制作会社に独自に企画を持ち込む活動をして自分の道を模索している。例えば、舞茸は「空中強襲揚陸艦SIVA」の脚本の行き詰まったが、このときはみどりに共同脚本の形で入ってもらう事で乗り切ったが、みどりを「商売敵」と言った。仕事の壁は誰にでもあるが、乗り越えるために皆、あがき、もがいている。

この壁に対する万能薬は無い。それぞれに、解決策を考えてもがくしかない、と言うのが実際だと思う。

ドーナツ娘達の壁は、劇中で子供たちのアニメ教室イベントがキッカケの一つとして描かれた。

アニメが子供たちを喜ばせ、アニメーションそれ自体が普遍的な楽しさを持つ事を、子供たちから教わり直す。杉江もその事に触れており、この教室は杉江からドーナツ娘たちへのプレゼントだったのかもしれない。その子供たちの笑顔、アニメーションの力の再認識が、彼女たちの栄養源となって、壁を乗り越える助走となった。

初心に立ち返るプロットは色々あるだろうが、初心よりも根源に触れる事でやる気を取り戻してゆくエピソードを面白いと感じた。

監督やプロデューサーが守るべきモノ

本作ではあおいの立場はプロデューサーである。プロデューサーが守るべきものは作品を完成させ、世に出す事。

今回の試練は、げ~ぺ~う~が権利関係でムサニにヤクザみたく難癖付けてきた件であり、あおいはタイマス事変の悪夢を思い出し、一度は夜の公園で再び心が折れそうになる。クリエイター達の熱意や頑張りを知るあおいは、今度こそ作品を守りたい気持ちで、楓と二人でげ~ぺ~う~に乗り込み、薄っぺらな契約書の解釈を説き、録音音声を証拠に裁判で戦う意向を見せ、ヤクザな相手をやり込めた。この一連のシーンはTVシリーズ23話の木下監督が原作者に直談判したときのセルフオーマージュでもある。重要なシーンだからこそシリアスに重くならない様にコミカルに描かれる。この殴り込みを知るのは、おそらく渡辺社長と葛城Pと興津さんなどの限られた者のみだと思う。ここで重要なのは、あおいが作品に対する責任を持つことを自覚し、責任を果たす事である。TVシリーズ16話で井口さんのキャラデザが原作者からOK出ない時に、あおいは制作デスクであったため、原作者との交渉は渡辺Pと葛城Pの仕事であった。あおいは、この役を楓と二人でやり遂げた事は、あおいの4年間の成長(出世?)の証である。

そして、監督が守るべきものは作品のクオリティ。

あおいはダビング終了した作品に納得しておらず、また木下監督の同様の感触である事を理解し、公開3週間前にも関わらず、ラストのシーンをリテイクをムサニ内で切り出す。ムサニスタッフもラストの弱さは認識しているが、直すとなるとただ事では済まない。あおいは、その判断を木下監督の口から言わせる。木下監督は、手戻りがどれだけ大変か、周りのスタッフを動かす事になるかは承知している。ここで大切なのは、木下監督が気にしなければいけないのはスタッフへの申し訳ない気持ちでの気遣いではなく、作品のクオリティを担保する事であり、監督はその権限と責任の両方を持っている。そして、木下監督はリテイクを選んだ。

この監督やプロデューサーの責任というのは、中高生や学生には分かりにくいかもしれないが、プロジェクトを任されたり、会社で部課長だったりの働きを見ている者であれば理解できると思う。決断するのは責任者であり、そこを逃げられない。今回はクリエイター側よりも、より管理者側のテーマに重きを置いた物語であり、その意味でより大人向けのエンターテインメント作品だと感じた。

カタルシスは弱いが、強く余韻を残すラスト

本作のラストはリテイクされた、劇中アニメ「空中強襲揚陸艦SIVA」のラストシーンの映像で終わる。エンドロールでは、後日談としてムサニのホワイトボードに「真・第三飛行少女隊」の文字もあり、ムサニの復活を匂わせる明るい希望をチラ見せする。そして、他のスタッフの一山越えた何気ない日常のシーンが映し出される。これにより、「めでたしめでたし」で終わる物語として解釈する事は出来なくはない。

しかし、本作を観終わって、TVシリーズのサンジョの打ち上げのようなカタルシスは感じなかった。はるかに盛り上がらない感じで、フラットな感じで終わる。個人的にその事に違和感を抱き、その意味を考えていた。

「空中強襲揚陸艦SIVA」のラストは、女子供を逃がし、自分達は戦場に残り、捨て身で戦い続ける、という所で終わる。戦いは劣勢であり、それでも戦い続けなければならない。その姿があおいたちムサニの現状に重なる。アニメ業界を取り巻く問題、厳しさは相変わらずであり、その中でクリエイターたちの結晶である作品を守り、理不尽に立ち向かい、戦い続ける。俺たたエンドである。一山越えても、また次の山に立ち向かっていく。決して、安楽なハッピーエンドではない。それは、TVシリーズカタルシスあるエンドが美し過ぎた事に対する否定であり、アニメ制作者の今を生きるだけでも必至という、綺麗ごとだけじゃない、よりリアル寄りな雰囲気で締めているのだと感じた。

だからと言って、悲壮感漂うラストでは全くない。気を緩めれば、負のスパイラルに呑まれて奈落に落ちてしまうこの世界で、あおいたちはどん底から不死鳥の様に生き返った。それは、勇気といっても良い。そして、その勇気はアニメから受け取っているのである。だから私は本作のカタルシスの弱さも込みで、この作品の味わいになっているのだと思う。

少々脱線するが、「天気の子」は貧困の側にいる帆高や陽菜が苦しい社会で生きて行く物語であったが、誤解を恐れずに書くなら、本作もアニメ制作関係者の苦しい社会の中で生きてゆく姿を描いているという意味で、テーマが重なるように思う。辛い社会でも前向きに生きる、というのが2020年の今の時代のメッセージなのかもしれないな、と思った。

キャラクター

宮森あおいと宮井楓

本作は群像劇で有りながら、ドラマの詳細は主人公のあおいに絞られていたと思う。あおいのプロデューサーとしての復帰、活躍を描いた。

宮井楓は、あおいにとってのバディである。あおいはムサニの中でリーダー的立場に居ながら、会社内の上下の繋がりはあれど、その鬱憤を晴らす同僚はおらず、という状況だった。その事があおいのストレスでもあったはずである。だから、平岡にタローが必要だったように、あおいには楓が、楓にはあおいが必要だった。二人とも苗字が「宮」で始まるのも意図的な設定と思われる。宮宮(みゃーみゃー)コンビ。

この二人は丁度、渡辺社長と、葛城Pの関係を継承する構図となっており、世代交代の意味もある。今後、彼女たちが企画を持ち込んでゆくのだろう。

映画2時間の尺で観る事は叶わなかったが、本当なら楓もアニメに情熱を持っているはずで、その情熱を具体的に見たかった。

安原絵麻と久乃木愛(2020.3.4追記)

絵麻は、ボロアパートを出てマンションで愛と二人でルームシェアしていた。タイマス事変でムサニが作画陣を放出しフリーランスとして在宅原画の仕事をする。

絵麻は、控え目で強く主張したり相手の懐に飛び込んでいくのが苦手で、ストレスを内に秘めてしまいがちな性格。

愛は、上手く喋る事ができず、たどたどしい会話しか出来ない。ともすれば、コミュニケーションを取るのに非常に手間がかかる。何かあると物陰に隠れてしまいぎみだが、絵麻に対しては懐いている。

絵麻と愛は、二人とも対外的なコミュニケーションに難があり、そうした二人だからこそ引き合ったのだと思う。

今回、あおいの作画監督の依頼に対し、絵麻は開口一番、短期日程だけどスケジューリングは破綻させないでね、とあおいにくぎを刺した。絵麻にとっては旧友のあおいとの久しぶりの仕事である事や、古巣であるムサニの元請け作品である事よりも、まずビジネスな会話をしなければならないところが、4年間フリーとして世間で揉まれた変化なのだろう。(この事は、パンフレットのCV佳村はるかさんのインタビューでも触れられていた)

絵麻の「愛が家事や料理をしてくれて感謝しているのよ」(うろ覚え)という台詞が、絵麻が仕事に追われている様子を端的に表わしている。おそらく、収入が足りないからではなく、断れずに仕事を抱えてしまったり、スケジュールのしわ寄せを受けて仕方なく、という事が重なっているからこその、前述のあおいとのやり取りなのだろう。

絵麻は今回の仕事で、大先輩である小笠原さんの原画を作画監督として修正する事になるが、その直しについて演出の円さんから駄目出しをくらう。(円さんは遠回しな言い方を好まず直球な性格) 今回の仕事で絵麻は作画監督だけでなく作画も兼任しており、時間に追われていた。最終的には、円さんが「安原さんの作画の上りが楽しみ」と制作進行に伝言させていたシーンで、そのスランプを乗り気った事が分かる。

坂木しずか(2020.3.4追記)

しずかは、知名度も上がり事務所方針でマルチタレント路線で売り出されていたが、声優として演技したいという本来の欲求が満たせず、モヤモヤしていた。

そのモヤモヤを先輩の縦尾マリが察し、しずかと二人で主婦どおしの日常会話芝居をいきなり初めて、不満ばかり言わずにダメもとでも事務所に自分の気持ちを伝えたら?と助言をするくだりがカッコ良すぎた。日常芝居の台詞をアドリブで言わせて、その中に悩み事の回答がある。

その助言が功を奏し、「空中強襲揚陸艦SIVA」のオーディションを受け、アルテ役を演じる事になる。奇跡なんてない、という台詞。(うろ覚え) 今まで事務所に流され待ちになっていた事に対して、能動的に運命を切り開こう!という、しずかの変化と重なる台詞である。

今井みどりと舞茸しめじ(2020.3.4追記)

みどりは、師匠の舞茸の口利きもあり、新人脚本家として実績を積み始めていた。ただ、脚本会議での舞茸のチェックで状況説明不足を指摘されるなど、まだまだ粗さが目立つところもある。

舞茸は、「空中強襲揚陸艦SIVA」の脚本を進める上で、どうしてもアルテの扱いがしっくりこず、ラストシーンに手こずっていた。おそらく、アルテが作劇に絡めようとしても、矛盾をきたす雰囲気だったのだろう。(この辺りの詳細な理由は読みきれなかった)

みどりと舞茸は、グラウンドでキャッチボールをしながら会話するシーン。もともと、ここでこうしているのは、みどりが抱えている作品が野球モノであり、みどりが実際に変化球を投げて体感し作品に生かすために、キャッチャー役を舞茸にお願いしていたに他ならない。最初はボールと言葉を投げながらのキャッチボールの会話。舞茸はアルテの扱いについて、みどりに聞いてみる。君ならどんな球を投げる? すでに、みどりは2種類の変化球を習得しており、みどりの器用さ、手玉の多さを伺わせる。舞茸はキャッチャーとしてしゃがみ、みどりはピッチャーとして投球する。みどりが舞茸に投げ込むのである。舞茸の必至さに比べて、みどりのマイペースというか余裕を伺わせる二人の対比の演出が痺れる。

舞茸は後日、ムサニで脚本強力にみどりを加えたいと提案する。そして、みどりの師匠という台詞に、師匠ではなく商売敵だと返す。(このカットの舞茸さんの表情がマジ過ぎます!)

みどりは、もともと頭の回転が速く努力家で器用である。TVシリーズでは、脚本家の下積みとして面倒くさい設定の仕事をしていたが、そうした分からない事を調べて自分のものにする事に長けていた。吸収が速く成長も速い。その事を、舞茸が一番知っている、という事だろう。

ちなみに、私はドーナツ娘の中でみどりが一番お気に入りであり、TVシリーズ18話で平岡に「女だからって…」と言われてモヤモヤするシーンが好きである。(その時の舞茸の対応もカッコ良いのだが)

藤堂美沙(2020.3.4追記)

美沙は3DCGの「スタジオカナブン」に在籍し続け、チームリーダの立場にある。美沙の悩みは部下の育成と、自分で抱え込み過ぎな事である。

部下の仕事のクオリティが低い、進捗が遅い。自分がやればより短期で高品質に作れる。部下に動きのリアリティ(自動車の構造、物理法則)とは何か?進捗管理(遅延とリカバリ)とは何か?説明するが理解してくれたかどうか反応がはっきりしない。チームとして成果を上げるためには、自分が常識と思える事もきっちり意識共有しなければならない。そして、ついつい自分で仕事に手を付けてしまい、美沙自身に負荷が集中しチームの仕事が回らなくなる、という悪循環。

今回、爆発のシーンを請け負う際に、残業時間で何とかするという美沙に対し、手が遅いと思われた部下が最新ソフトを使いこなしていて短期間で仕上げられそうな事が分かる。クライアントからも勉強熱心だと褒められる。

美沙は今までの実績で部下のパフォーマンスを低くみていたが、部下の得手不得手も知らず、その意味でチームとしてのパフォーマンスを生かしきれない可能性があった。結果的に目の前の仕事で手一杯だった美沙が、部下のお陰でクライアントの要求に応える目途がたつ。チームメンバーの特性や先見性も重要な事が分かってくる、というのが美沙の成長というか、気付きだったのかと思う。

遠藤と嫁と下柳と瀬川(遠藤ハーレム)(2020.3.4追記)

遠藤はTVシリーズから、外連味あるアクション作画が得意だが、ちょっとストレスがかかると拗ねてしまう、という面倒くさいキャラとして描かれていた。

タイマスに賭けていた所もあり、タイマス事変後、すっかり仕事に身が入らなくなってしまい、仕事もせずにゲーセンなどで時間を潰したりしていた。

遠藤の嫁は、遠藤にはアニメーターという仕事が天職であり、アニメーターの仕事をして欲しいと願っている。しかし、今の遠藤は仕事を探す気力もない。ローン返済もあり嫁がスーパーのレジの仕事で生計を立てて遠藤を支える。

瀬川は、そんな遠藤にゲーセンでカツを入れるが、頭ごなしの正論に反発されて遠藤の説得に失敗する。遠藤はプライドが高い。瀬川さんはいつも強気なのだが、説得失敗した事に対して、またやってしまったと凹む姿をあおいに見せたところに親近感がわいた。

そして、下柳の水族館での説得。下柳は作品にタコが登場するという事で、タコや他の海洋生物を観察し、デジカメで撮影していた。下柳は3DCG担当であり、動きを掴むためにロケハンしていたのである。下柳は遠藤の作画が見たい、と目を合わせずに言う。瀬川とは反対のアプローチである。

遠藤が仕事帰りの嫁とコンビニで缶ビールを飲むシーン。遠藤と一緒に缶ビールを飲む事、爪が割れた嫁にプルタブを開けた缶ビールを交換する事、たったそれだけの事で今日はいい事があったと嫁が言っていた。それは、遠藤が普段家に居ないか、居ても嫁にも辛く当たっている事を想像させる。ここまで来てやっと遠藤が仕事に復帰する事を決める。

ムサニに仲間が復帰を説得するシーンは熱い。しかし、最後のダメ押しが嫁さんだったのが切実であった。観客は全員、嫁さんの味方だったと思う。

タローと平岡(2020.3.4追記)

フリーランスとなり、やりたい事をやるために、制作会社に企画を持ち込んでいる二人。それも、大量の企画を。

平岡の穏やかな助言。何かするためにもがくしかない。ムサニも上手く行くといいな。(うろ覚え) 今の平岡は他人の心配が出来る。あおいの苦境に添える言葉が誠実である。

タローは、演出が出来るようになっており、「空中強襲揚陸艦SIVA」の演出として入ってくれた。納豆のシーンが大幅カットされてしまったが、へこたれてないところが良い。

しかし、この二人を見ていて癒される時がくるとは。

丸川元社長と渡辺社長(2020.3.4追記)

丸川元社長は、タイマス事変の責任を取って社長を退任したが、ムサニを潰さず残した。

ムサニを潰しても、スタッフたちは安藤のように他の会社に移ったり、フリーランスになったりしてアニメの仕事を続けてゆく事は可能だったと思う。しかし、グロス制作が出来る最低限のスタッフとリソースを残し、ムサニの名前を残したのは、またいつかムサニの名前で元請けが作れる道筋を残して、渡辺やあおい達にムサニの復活を託したのかもしれない。

丸川は、アニメの最前線から手を引いたが、今のあおいを見て、前に前に進むしかない、と助言する。

TVシリーズ19話の丸川の、がむしゃらに進んでて気が付いたら今になっていた、という台詞を思い出す。この時は、やりたい事ばかりで進んできたのかと感じていたが、嫌な事があっても立ち止まらない事とセットの台詞だったのではないか?と思った。

丸川からムサニを預かった渡辺社長。人事的にはこれしかなかったと思うが、渡辺の心境はどうだったのか?

渡辺も麻雀ばかりしている風来坊に見えて、色々と企画を持ち込んではきており、プロデューサーとしての仕事の腕は確かなのだろう。ただ、あまり社長業が好きそうには見えない、というかもっと身軽さを信条としているように思う。

今回、げ~ぺ~う~への殴り込みは、あおいと楓の若手に行かせ、後方に待機した。あおいにプロデューサーの仕事をやり遂げさせた。(もっとも、あおい自ら殴り込むと息まいたのだろうが)

おわりに

TVシリーズは複数のエピソードを2,3話に多重的にまたがせるという作風で、劇中アニメのタイトルも長期間に渡り馴染ませてゆくので視聴者にも愛着が持たせる事ができるという、TVシリーズならではの強みを持っていましたが、劇場版という事で、劇中アニメも前情報なしでいきなり見る形となり、劇場版としては同じスタイルではやりにくい所もあったかも、と思いました。

しかし、その中で、TVシリーズに登場したキャラクター達を、最小限のシーンだけで、各キャラのドラマを見せる手腕は、相変わらず冴えており、TVシリーズからのファンを裏切る事無く楽しませてくれました。

また、キャラの成長に合わせてテーマもグレードアップしており、単純なTVシリーズの焼き直しではなく、予想を越えた味わいを持った作品になったと思いました。情報量が多い事、この作品の苦味の余韻が心地よく、何度か観たいと思える作品になりました。

2019年秋期アニメ感想総括

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はじめに

2019年秋期アニメの感想をまとめて残します。今期視聴のアニメは以下。

  • ぬるぺた
  • 私、能力は平均値でって言ったよね!
  • 星合の空

作品毎に評価(rating)と良い点(pros)と悪い点(cons)を記載します。

なお、今回は2クール以上で視聴中のアニメがありますので、それについては、評価せずに中間段階の感想だけ書き留めておきます。

  • 歌舞伎町シャーロック
  • アイカツオンパレード!

先送りになっていますが、下記は絶対に良い作品と分かっているのですが、正座してみるつもりで視聴時間がとれていない作品です。これについては、直近の鑑賞を諦めて、どこかでのんびり鑑賞しようと思います。

感想・考察(今期終了)

ぬるぺた

  • rating ★★★★★
  • pros
    • 全体を貫くブレの無い姉妹愛のドラマ
    • ショートアニメである事を逆手に取った、少人数の意外性あるストーリー構成
    • ハートウォーミングコメディ、哲学、SF、何でもありのごった煮感
  • cons
    • 敢えて、特に無し

本作を要約すると、ある事情で離れ離れになり会話する事もできなくなった姉妹が、お互いを求め合い、最終的に再会し、互いの姉妹愛を確認し合い、一緒に暮らしてゆく、というお話である。その物語にブレは無く姉妹愛のドラマを丁寧に描く。

最初は、交通事故で死亡したペた姉を模したロボットを作る妹のぬる、というところから始まり、過保護だったり不味い暗黒炒飯を食べさせようとするぺたロボから逃げるドタバタコメディ、次第に姉妹愛のハートフルな雰囲気を織り交ぜ、後半から世界を食べ尽くそうとする「バグ」との戦い、その後の世界の違和感、居なくなったペたロボ、誰も居ない死ねない世界で一人姉を思うぬる。そして、11話ラストで病院のベッドで目が覚め、交通事故にあったのはぬるの方だったこと、今までぬるが居た世界は、ぺた姉が用意した仮想空間だったこと、という衝撃の事実が明かされる。

私は当初、死別したぺた姉を追いかけるのではなく、ぺた姉離れして独り立ちするドラマを想像していたが、そうではなかった。離れ離れになった姉妹は、お互いを大切に思い合った。だから、結末は姉妹が再び一緒に暮らす事こそが王道のハッピーエンドとなる。

では、ぬるは事故以前のぺた姉べったりに戻ったのかと言えば、それも微妙に違う。先の仮想世界で友だちを作ったり、逃げずにバグ退治したり、前向きな体験もした。退院後、登校したときもクラスメイトの前で言葉に詰まっても、小ぺたロボがサポートしてくれたおかげでクラスで浮く事もなかった。そうした事で、ぬるも少しづつ前進しているという、明るい期待を感じさせて物語は終わる。

5分程度のショートアニメでありながら、全12話構成でプロットを綺麗に使い切り、視聴者の興味を惹き付けたストーリー構成は見事。

このような謎解き仕立てのストーリー構成と姉妹愛のドラマをショートアニメ作品でキッチリ仕上げてきた事が新しい。登場人物をぬるとぺた姉(=ペたロボ)の二人に絞った事、ショートアニメゆえに尺の都合上設定を細かく見せなくても許されるというショートアニメの欠点を逆手に取った演出だったと思う。

ここまでで触れていない事で、6話で登場してぬると友だちになったかき氷屋のかきちゃんというゲストキャラが居た。上がり症で人見知りのぬるを相手に、絶妙のアプローチで友だちになってゆくコミュニケーション力の高さ、ぬるの心の成長の上で重要なキャラであり、個人的に非常に好きだったのだが、7話以降再登場する事は無かった。

ぬるの居た世界は、ぺた姉が用意した仮想世界だったが、その世界にどのようにかきちゃんがアバターとして出てきたのか?についての説明は一切無かった。ちまたでは、ぬると同じように病院で意識不明で寝ていたかきが、仮想世界に迷い込んだのでは?などと考察されている。投げっぱなしとも言えるが、色々と妄想・考察を楽しむ余白があるとも言える。この辺りは人により受け取り方が違うだろうが、個人的には、これもまた良きかな、と思う。

なお、本作に関してSNSを観測していたが、本作の視聴者数の絶対数は少ないと思われるが、その視聴者の満足度は高いと感じた。知られざる名作である。昨今、ショートアニメでも趣向を凝らし、刺さる人に刺さる作品が作られていると感じるし、より楽しいショートアニメが増えて欲しいと願う。

私、能力は平均値でって言ったよね!

  • rating ★★★★☆
  • pros
    • 懐パロで油断させておいて、意外と今風なドラマ
    • 単純にキャラの可愛さ
    • 俺TUEEEなのに、仲間と対等であるマイルの姿勢
  • cons
    • 主人公マイルのキャラがブレている様に感じてしまったこと

まず本作の良かった点について。

本作の最大の特徴は、アラフィフ世代直撃の懐かしパロディ満載な点にある。主人公のマイルは、異世界転生前はJK、転生後は12歳の美少女だが、パロディの出典が古すぎて、マイルの中身がオジサンではないか?と思う程だ。

実は、マイルは、異世界転生時に望まずして通常の人間をはるかに凌駕する魔力(=ナノマシン操作能力)を持ってしまう。その強さの余裕と、生前のオタク気質があって、マイルがパロディで茶化す。それってお約束ですよねといった具合に。

興味深いのは、レーナの両親や、レーナを育てたPTが、盗賊に殺された経緯を仲間に告白するシリアスな展開で、マイルは「それで?」と仇討を否定する。その心は、仇討をしても悲しみの連鎖が増えるだけ、もしレーナが死んだら、仲間であるマイル達が悲しむから、恨みつらみで命を粗末にして欲しくない、という現代風な理屈。

本作はそうした、テンプレ展開に対して肩透かしを喰わせる事を特徴とする物語運びになっている。それゆえ、何か大きな課題を解決してカタルシスを味わう作風とは違い、ドラマの盛り上がりには欠ける。演出上も感情を溜めても爆発する事無く、時に茶化しを入れながらトーンダウンしてしまう。当初は、その肩透かしの演出に驚いた。しかし、この作風が本作の真骨頂なのだと思う。

そして、キャラも総じて可愛い。主人公のマイルをはじめ、ツンデレのレーナ、宝塚風のメーヴィス、やさしくもがめついポーリンと、どのキャラも個性的で可愛さが分かりやすい。OP/EDも、気負いの無い楽しくなる感じの曲である。聞いていてワクワクする感じ。途中、レーナの仇討のくだりなど、シリアスを混ぜてきた所はあるが、基本はあまり深く考えずに見れる、口当たりの良い作風である。

あと、本作で感心したのは、主人公のマイルが人間としては突出した能力(この世界では魔法)を持っているにも関わらず、それに奢る事無く、仲間と対等な関係にある事が良いなと思った。

もともと、マイルは転生したら普通の生活をしたい、という小市民志向であり、魔王として君臨するかの願望は無い。その能力があれば、パーティで活動する際も、全部自力でやってしまえば最速で解決してしまう事も多々ある。しかし、仲間の成長のために、能力をお守り代わりに使ったり、トレーニング相手になるために使ったり、とある意味、部下を育てる中間管理職のような事を考えている。決して、社長になろうという気はない。だからこそ、共に行動し喜びを分かち合う仲間の存在に意義がある。頼り頼られの関係に人間が生きるための意味がある。その関係性が心地よかった。

次に本作の悪かった点について。

ただ、これは面倒くさいオタクの戯言と思っていただいてもいいかも知れない。一言で言えば、ストーリーにご都合主義の甘えを感じる点である。

本作は、11話で失踪した探検隊を捜索するが、どうせマイル一人で抑え込める敵であると思い込み、マイル自身と仲間を危険な目にあわせてしまう。いくらマイルが強いとは言え、仲間を危険にさらす事は本来在ってはならず、慎重に行動する必要があったと思うし、マイルが一番その事を気にしていたハズである。しかし、マイルは油断して判断を誤った。最終的には、強敵も退治して事なきを得るが、その辺りもご都合主義。しかしながら、本作でご都合主義は茶化して使う習慣もあり、あえてご都合主義を使うという事は、それを知ってて使っている、というふうに視聴者は見てしまうから、それほど目くじらを立てて起こる人は居ない。

しかし、私はキャラの心情に寄り添う事と、物語を重要視してアニメを観ているので、キャラがブレていると作品の評価が下がってしまう。本作は、パロディという鎧を纏って、テンプレ展開を引用して茶化すという作風であるがゆえに、その物語に雑味を感じてしまった。

もちろん、楽しさ優先の本作において、これは些細な事であり、多くの視聴者は気にしない事だと思う。重箱の隅をつつくような話だとも思うし、もしかしたら私の理解が足りていないだけかもしれないが、個人的にどうしてもこの事が気になったので、書き留めておく。

星合の空

  • rating ★★★☆☆
  • pros
    • ソフトテニスのスポーツの爽快感と、家庭の問題の心の痛みの、背中合わせのドラマ
    • アニメーションとして丁寧かつ良く動きと、透明感ある劇伴
  • cons
    • 未完の大作、であること

本作の善し悪しの話の前に、まず本作が12話で打ち切りの話をしなければばらない。最終話OA直後の赤根監督のTwitterへのリンクを下記に示す。

要約するとこんな感じである。本作は全24話構成の分割2クールで製作が進められていたが、2019年4月に1クールしか放送できないことが決まる。OA半年前の状況で全24話構成を変更する事もできず、前半12話を製作してOAした。後半12話を作る予定は今無い。応援して欲しい。

これに対し、たくさんの応援のリプが付いている。逆に、個人作家ならいざ知らず、共同制作の監督がプロとして未完の作品を世に出すのはどうか?という疑問の声も見かけた。個人的には、このまま未完の大作になりそうな予感がしているが、本作が完結していない前提として、★2.5個のつもりで本記事を書いている事をご承知おき頂きたい。

で、まず、作品の良かった点について。

本作のソフトテニスのスポーツとしての爽快感はかなり良かった。駄目の烙印をおされた部員達が、眞己の入部をキッカケに、組織として有効にポジティブに機能し始め、少しづつ成果を出し始め、一致団結してゆく。格上相手の弱点を着きながら、自分達の長所を生かしたプレイで、練習試合で1ゲーム取れるようになり、成長を実感する。弱小チームからやればできるを実践してゆくサクセスストーリーが気持ちよい。しかも、そのカット割り、SE、レイアウトなど見ていて小気味よくて気持ちいい。この辺りは演出力の高さを示すものだと思う。

しかし、部員達は全員、家庭の問題で心の痛みを抱えていた。もともと、やさぐれていたのはそのせいでもある。離婚した父親からの暴力、出来の良い兄との比較から始まった母親と気まずい関係、里親告白からの戸惑い、幼児期の虐待、モンスターピアレント、甘すぎる両親、好きな絵を両親に認めてもらえない、再婚の母親とのギスギス、ジェンダー問題などなど。どの家庭も親は絶対的な存在で有り、子供には選択権はなく、モロにストレスを受ける。

親からのストレスを画面を通して直に伝わってくるので、視聴者もかなりのストレスを受ける。そのストレスを解消するのが、スポーツモノの爽快感の部分である。両者は片方だけでは成立しない、背中合わせの要素である。

主人公の眞己は、人間を見る力、人をポジティブに動かす力に長けている。時には相手を怒らせてやる気を出させ、時には成功体験を作り自信をつけさせる。ジェンダー問題で悩む悠汰には、直ぐに結論付けずに、暫く、自分がどうありたいのか?考えながら生きていけば良いのでは?と身近な人の経験談をもとに助言する。眞己の優しさから出るストレスのケアが彼らの傷を癒す。視聴者の中には、中間管理職だったり、サークルのリーダだったり組織をまとめる者もいると思うが、エンタメ作品の中とは言え、その組織を見事にポジティブに活性化してゆく姿は痛快に写ったことと思う。

しかし、親は変わらず、子供たちのストレスは継続する。問題の根本解決は無い点が、よくある物語とは異なる。視聴者も安堵する事無くストレスを受け続ける。この親子の問題の解決は、後半12話で行われるための伏線だったのかも知れないし、最後の最後まで解決はしなかったのかも知れないが、それは、現時点では分からない。

ともあれ、この問題の中で生きる子供たちのドラマは見事に成立しており、苦み痛みを持つ子供たちが、その問題から逃げずに向き合う姿に、そのドラマに、本作の強さ、良さを感じていた。

つぎに、作品の悪かった点について。

前述の通り、本作が未完の大作であること。作風も硬派だと感じていたが、赤根監督自身も相当な硬派だとは思う。しかし、12話のCパートは、OP/EDを削ってまでして入れるには、ある種のギャンブルというか、大人げない気もする。この、モヤモヤを持って、素直に悪かった点とする。

感想・考察(来期以降継続中)

歌舞伎町シャーロック

2クール半分(11話)まで鑑賞の感想です。

本作は、推理物であることが一つの見所だと思う。11話までの展開で言えば、切り裂くジャックが、早くから登場していた意外な人物だったり、ホームズが殺人現場をチェックしただけで、犯人像をプロファイルする部分とかが、推理物の醍醐味である。ただ、通常のミステリー小説と違い、じっくり犯人を探すような時間は持たされず、テンポよく事件は解決してしまう。ただ、推理物のテンプレである謎解きを落語で興じるなど、アニメならではの粋な部分もある。

もう一つの見所は、変人で濃すぎるキャラたちにあると思う。まず、シャーロック含めて原典の毒々しさをオマージュにしたキャラも極端だが、ゲストキャラも相当に濃い。例えば、小林回に登場したゲストキャラのヤクザの杉本は、狂人としての狂気と変人としての可笑しさを同時に感じさせる良いキャラだったと思う。突出した狂気を笑いを込めて描く。もともと、狂気と笑いは紙一重であり、そうした面白さがある。

本作は、シャーロックホームズの原典を骨格にキャラ設定しているので、シャーロックホームズの予備知識があるほど楽しめる作品になっている。マニアは原典との照らし合わせでニヤニヤできるという楽しみの部分はある。例えば、ホームズは遠慮が無くて不躾で失礼、味覚がおかしくて、相当な変人という原典のテンプレがあると、本作のシャーロックの奇行もそれに沿ったものだと理解できる。ただし、原典では好敵手役のモリアーティだが、本作では敵役という先入観を持たせて、見方側という引っ掛けもあって、一筋縄ではいかない。

というところまでが前説。

本作で、私が好き嫌いの評価に悩むポイントがあったので、その事について触れておきたい。

一つは推理物特有のミスリードの演出について。

本作というより、推理物全般に言える事なのだが、謎解きを鮮やかに見せるために、謎かけの部分で視聴者の気を逸らす、もしくは騙すために、ミスリードを誘う演出を使う事が多い。これが、文芸作品なら真犯人を示唆する事実は文章して描写しなければ、読者の意識を逸らす事も可能だし、文章ゆえにそうした情報を意図的に削除してもさほど気にならないし、気持よく騙される事ができる。

しかしアニメ作品の場合、絵で描いて分からせるメディアである特性上、表情を見せるなら、どんな感情の表情なのか?というのを決めて作り込むわけで、Aか、Bか、Cかどの感情なのか分からずに絵を描く事は難しい。文章のように、その情報を削って演出する事は不可能ではないが、そのシーンだけ表情が無いという事で怪しまれてしまう。そういった背景があるからだと思うが、意図的にミスリードさせる方向に正確な演出をして映像化してミスリードを誘う。勿論、見ながら作り手側がらの引っ掛けか否か常に考えながら見るわけだが、あからさまであればあるほど、騙しのための映像が鼻についてしまう。それが今回のモリアーティだった。

で、今回のモリアーティはホームズと組んで味方であるワトソンを欺くという自作自演だったので、すなわちモリアーティがワトソン自身をミスリードさせるための演技、演出をしていた。その意味では、キャラの心情と演出は一致していて乖離は無いから、無茶演出ではないのだが、やはり、演出のごり押し感が気になった、というのが正直な気持ち。余談だが、謎解きは引っ張らずに1話の中でまとめて、サクっと流した方が、作風的には良いのかもしれない。

もう一つ気になったのは、切り裂きジャックの真犯人の扱いの件。

切り裂きジャックは猟奇殺人犯なので、もっと恐ろしい存在として描いて欲しかった。

ジャックを視聴者が憎むために、モリアーティの素性とこの事件の関りを描き、またジャックが狂人である事を描くのだが、汚い言葉で醜い表情の小悪党みたいな感じの演出になってしまった。その後のモリアーティのジャックへの復習劇を考えると、視聴者にも憎しみの感情を持ってもらう必要があっての演出だったと思う。

しかし、個人的には、猟奇殺人犯の恐怖は、小悪党なんかじゃなく、限りなく狂人で得体の知れない底知れぬ恐怖感である方が良かったと思う。例えば、映画「羊たちの沈黙」のレクター教授はかなり怖かったし、ジャックについてもそうした怖さが欲しかった。

結局、この二つは、この点を醒めてみてしまうと、作品の味わいが低下してしまう要素で、本来であれば、そこを気にならない様に騙してくれる作品が上質なのだが、どうもその辺りに何となく雑味を感じてしまった。

勿論、途中途中を楽しく見ていたし、面白い作品だとは思うが、詰めの甘さみたいな感じが気になった。まだ、後半1クールもあるので、その辺りを気負いせずに見て行きたい。

アイカツオンパレード!

13話まで鑑賞の感想です。

私はオンパレード!で初めてアイカツを観はじめたアイカツ初心者なのだが、このコンテンツの高濃度で、勢いある作風に毎度気圧されながら観ている。私が本作から感じるポイントは下記。

  • 超ポジティブならきを応援したくなるドラッグとも思える不思議な作風。
  • アイカツ7年の歴史の重みを感じる作品。

何と言っても、姫石らきのキャラが濃すぎる。先輩に遠慮なくちゃん付け。常にポジティブ。正直、最初は厚かましくて暑苦しいと感じていた。が、見続けるうちに、らきの感動や、らきの頑張りが、嫌味に感じなくなり、らきが頑張っている姿を見ていると、こちらも無意識に応援してしまうようになっていた。この、らきは本作の力強さを象徴している。大人の私でさえクラクラするのに、先入観の少ない子供が観たら、より強くらきの素直さを受け止め、応援したくなるのではないかと思う。

それは、ステージ上のアイドル達の歌唱シーンの派手さ賑やかさでハイな気分にさせて、更にらきのポジティブ発言やポジティブ行動の数々が化学反応を誘発し、脳みそがらきのことを好きと錯覚させ定着させてしまう、ある意味麻薬的なドラッグ的な映像作品なのではないか?とさえ思う。本作が物語が非常に薄いこと、演出も波を持たず、常にハイテンションなことも、ドラッグアニメとしての一因をになっているように感じる。

もう一つのポイントは、アイカツ7年の偉大な歴史の重みを背負っている事。例えば、星宮いちごが喋る一言一言は、その背景を知らなければ、よくある台詞にしか聞こえないかも知れない。しかし、これまでの経緯を知れば、その台詞の重みが何十倍にもなって視聴者にのしかかってくるという情報圧縮された作品である。具体的には、無印の大空あかりとスターズ!の虹野ゆめが、ユニットを組んで「Future Juwel」を歌う。その歌詞が、憧れの先輩を追いかけながら、自分らしさで悩んでいた経緯があってこその歌詞であり、あかりとゆめにピッタリの歌詞なのである。アイカツの過去を知らなければ、この歌詞も今風の歌詞というだけで終わってしまう。その積み重ねの重さを、アイカツオンパレード!はまじまじと見せる。

今までは、過去作品は終了して、新たなアップデートされた設定で新シリーズが始まっていた。その度に変るところ、変わらないところの議論や評価はあったのだろう。しかし、今回はそうした枠を超越して過去シリーズを全肯定する。その作品愛が凄いし、素晴らしいと思う。

おわりに

今期の作品は、物語的にクセの多い作品が多かったと思います。たまたま、見ていた作品が特にその傾向が強かったのかも知れません。

物語の捉え方に戸惑いを覚える作品が多かったように思います。のうきんは基本的に楽しいのですが、懐古パロ過多ゆえに、個々の物語としては成立しているのに、なんとなく俺TUEEE設定のせいで、ご都合主義に見えてしまうという雑味を感じてしまったのですが、もしかしたら、楽しい優先のための作劇優先脚本なのかも…、とか。

星合の空の前半1クールゆえからかも知れませんが、痛いドラマでえぐるけど、物語としては全く動かず、物語視点では楽しめなかったなあ…、とか。

そうした、特殊な作品を見ていたような気がします。しかし、物語偏重すぎると、逆に楽しめないこともあるという諸刃の剣のような事を感じていました。色々と、難しいく考えてしまったのかも知れません。

羅小黒戦記

ネタバレ全開につき閲覧ご注意ください。

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はじめに

話題の中国アニメの「羅小黒戦記」の長文の感想・考察です。

噂通り非常に面白い!と自信を持ってオススメ出来る作品でした。周囲でも凄い凄いと言う噂は聞くのですが、どう凄い!というのが分かりにくく感じたので、感じた事、考えた事をこのブログにまとめたいと思います。

公開劇場が限られており、気軽に観に行きにくい状況ですが、機会があれば鑑賞をオススメしたい映画です。

感想・考察

何はともあれ、ド派手なアクション!

妖精たちの超能力バトル

本作の最大の見せ場は、何と言っても妖精達のド派手なアクションシーン。

妖精と言っても羽の生えた蝶々のようなものではなく、日本で言う妖怪の事だと言えば分かりやすい。妖精はそれぞれに個別の超能力を持ち、身体能力は桁違いに高く、けものの姿をしていたりするのだが、人間の姿になる事も出来る。

人間よりも古くからこの世界に生息しているが、最近は土地開発により森は削られ都市が作られ妖精は追いやられてしまう。しかしながら、人間と共存共生している妖精もおり、彼らは妖精とはバレない様に人間の姿をして町に暮らす。そうした世界である事が物語の前提にある。

本作では、人間との共生を望む妖精と、人間との共存を否定し、人間が奪った土地を取り返そうとする妖精との、妖精同士の激しいバトルアクションが描かれる。

妖精たちの超能力バトルでは、例えば、金属片を自在に操り変形させ、それを高速で飛ばして攻撃する。時にナイフにもなり、針金にもなり、相手を縛り付けたり。これは属性が金属の場合であり、木の属性であれば樹木を、水の属性であれば水を自在に操る事が出来る、と言った感じである。

基本はカンフー映画の文法

これらのアクションが目まぐるしく行われる。画面の手前から奥まで飛んで行き戻ってくる。物凄い勢いで走りきる妖精をカメラが追いかける。妖精によっては飛んだり空中浮遊したりするから、カットも平板にならず空間を強く意識した動きになる。これら数秒のカットが何カットも連続して続く。正直、気を抜くと何が起きているのか分からず置いてけぼりをくらう。それぐらい速い。しかも、それを馬鹿丁寧に破綻なく描き、見事にキッチリ動かしている点が凄い。

一般的な作品では、速すぎるシーンはスローモーションになる事が多いが、本作は全然そんな事は無く、目の前でリアルタイムに起きた事象として等倍速で動く。まるでカンフー映画の組手のように。

そして、この素早いテンポ感だけでなく、アクションシーンはカンフー映画の文法で作られている。

例えば、序盤のムゲンとフーシーたちのバトル。ムゲンがたった一人で4人を圧倒してゆく。しかも、姿勢は後ろ手を組んで直立。無表情で口はへの字に結んでる。全力を出していないのに、目にも止まらない速さで金属片が形を変えて相手を襲う。まるで、仙人のような所作で圧倒的な強さが描かれる。

例えば、中盤にムゲンが捕らえたシャオヘイと二人でイカダに乗って中国大陸を目指すシーンでは、野良犬(実際には猫)のように吠えるシャオヘイを目も合わさずに金属片で軽くあしらう。具体的には、暴れだしそうなシャオヘイを金属片で縛り上げたり、逃げ出そうとして溺れそうになるシャオヘイを金属片ですくい上げたり。とてもコミカルで面白い。これは、カンフー映画で言えば主人公が師匠に仕える修行時代にあたるパートである。

例えば、終盤のバトルの最中に、ムゲンが相手のフーシーを睨みながら、傍らにいるシャオヘイの襟を直すシーン。緊張感の中に優しさコミカルさを織り交ぜてきて面白い。

アクションシーンが大半でありながら、その中に力量差や笑いのドラマも込める。そうしたカンフー映画の良き文法をうまく活用した作風だと思う。

魅力的なキャラ設定

可愛い子猫、兼男の子、兼化け猫のシャオヘイ(小黒)

シャオヘイは、子猫、人間の男の子、化け猫の三つの姿を持つ。子猫の時も、男の子の時も、その仕草がとても可愛らしく描かれる。そして、人間に追い詰められた時に巨大な化け猫の姿になるが、その姿こそ、シャオヘイの強さのポテンシャルの高さと、内面の激しさを示すものである。

シャオヘイは、まだ幼いので心が純粋である。そして、その幼さゆえ、霊力のコントロールの仕方を知らない。その事が物語の核にある。

本作は、シャオヘイの心の変化と葛藤が克明に描かれる。最初は、住処を奪い危害を加える人間を憎み、フーシーを仲間だと思う所から始まっている。

しかし、敵であるムゲンに捕まり一緒に旅しながら、人間と共存する妖精の話を聞き、人間も妖精も違いが無い事を徐々に理解し、無差別に人間を傷付ける事は良くない事だと思うようになる。

地下鉄でフーシーに連れ去られ、人間を追い出すために力を貸して欲しいと頼まれ、納得が出来ずに断った。これは序盤のシャオヘイからの明確な変化を示す。無垢な心は無益な殺生を嫌がった。結果を急ぐフーシーは、シャオヘイが非協力的だとわかると、慌ててシャオヘイの「領域」と命を奪った。

自分の「領域」で一人目覚めたシャオヘイは、フーシーの行動を悲しみ涙がこぼれた。仲間だと思ったのに何故?

シャオヘイはまだ子供だから価値観が安定していない。だから、信じていたものに裏切られ、殺されて何が悪かったのか分からない。観ているこちらも心が痛む。

しかし、ムゲンとフーシーの戦場となった奪われし「領域」にシャオヘイが現れ、フーシーを止めるためにムゲンを援護する。信頼するムゲンと師弟協力によりフーシーを倒す展開が熱い。

フーシーを倒した後、シャオヘイはムゲンに「フーシーは悪者だったの?」と質問するが、ムゲンは「答えはもうシャオヘイの中にあるはず」と返すシーンが良い。あの日優しくしてくれたフーシーも、テロリストとして町を破壊したフーシーも同一人物であり、どちらもフーシーだった。ちょっとした行き違いで善人が悪人に変わってしまう事もある、という理解なのだと思う。言い換えれば、根っからの悪人は居ない、とも取れる。

ラストは、シャオヘイが館に到着し他の妖精たちと暮そうというタイミングで、ムゲンと離れ離れになると分かるや否や、ムゲンと一緒に修行の旅を続ける道を選ぶ。もっと言えば、家族としてムゲンを選ぶ。大泣きしながらムゲンに師匠!と言いながら抱き着く姿が可愛すぎるて泣ける。

無表情の師匠、ムゲン(無限)

館の執行人。人間なのに圧倒的に強い。普段は険しい感じで無表情。イケメン。ネット調査では、年齢は437歳。

フーシーを捕らえ損なったときに偶然拾ったシャオヘイ。最初は只の子供の妖精だと思ったが、途中でシャオヘイが「領域」を持つ事に気付く。強い潜在能力を持つが、まだ子供であるがゆえに、シャオヘイをキチンと育てないとフーシーのような過激派になりかねない。放っておけばフーシーの所に戻ろうとする。だから、ムゲンが館に連れて行くまでシャオヘイを弟子の様に面倒を見ることなる。

序盤、ムゲンはずっとへの字口で無表情だが、シャオヘイと二人旅を続けることで少しづつ笑顔に変ってゆく所が良い。不愛想な頑固爺さんが無邪気な子供の行動に心ほだされていく過程が面白い。そして、ムゲンは長く生き過ぎているからこそ、シャオヘイの若さと可能性が未来の輝きであり、宝である事を理解する。

ムゲンのカッコいい所は、シャオヘイに人間との共生を無理強いせずに、ムゲンの背中で伝えようとする所だと思う。フーシーの道は間違っていると思う。しかしそれを押し付けず、その最終判断はシャオヘイにゆだねている。ムゲンも領域を持っているので、人は他人に言われて行動するのではなく、己の心に従って行動するという事、そのとき当人が苦しくてもそうして行動しないと後悔する事を、言葉を使わず語っているのだと感じた。

優しいお兄さんキャラの、フーシー(風息)

人間との共生を拒み、過激派として行動してしまうフーシー。物語上の悪役だが、その優しさが滲み出る人柄が魅力的なお兄さんキャラ。

フーシーの悪役としての振舞を列挙すると、シャオヘイとの初めての出会いはフーシーが人間を操りシャオヘイを襲わせた自作自演だったこと、今までタブーだった館の妖精を襲撃したこと、地下鉄テロなど人命を犠牲を前提に行動したこと、シャオヘイの協力が得られないと分かるとシャオヘイの命と領域を奪ったこと。このとき禁断の略奪の能力を使ったこと。これらは全て、人間を追い出し土地を取り戻すという結果を急ぐための過激な行動だった。

ただ、この悪行も、今まで我慢を重ねてきたが堪忍袋の緒が切れて強硬手段に出た、と言う描かれ方をした。もともといい人が、その理想の為に過激な行動をしたのだと、私は解釈している。

おそらく、多くの観客もフーシーと仲間達を好きなのではないかと思う。特にロジェなんか明らかに善人だし、シューファイは無口キャラだが憎しみは感じさせないし、テンフーは顔は怖いが大人しくてユーモラス。この当たりの敵ながら憎めない役作りも上手い。

本作の気持ちよさは、この敵対する妖精にも憎むべき悪役は誰もおらず、人間味あふれる愛すべきキャラ造形になっている点にあると思う。

力強い物語とテーマ

妖精たちの戦争という表面的な基本構造

本作を記号化するなら、下記の二つの勢力の争いであると言える。

  • 親人派(ムゲン&館)→正義
    • 主張:人間と妖精は争わず共生すべき
      • 妖精は人間の姿で町に溶け込んで生活する
  • 抗人派(フーシーと仲間)→悪
    • 主張:人間と妖精の共生は許容できない
      • 妖精に土地を返せ、人間は出て行け
      • 人間との共生は、こそこそ生きるようなモノで耐えられない

最初、悪のフーシーの側についたシャオヘイが、正義のムゲンと共に過ごす事で、正義に目覚めて悪を倒す、という物語の骨格である。

しかし、前述の通り、フーシーは物語的には悪役なのに、フーシー自体が優しいお兄さんキャラなので、勧善懲悪な感じはしない。

果たして、この物語の解釈は正しいのか?感じる違和感は何なのか?

興味深い人間の立ち位置

人間がもともと妖精が居た森を開発し都市を作るくだりは、漢民族少数民族を侵略を連想させる。しかし、中国は共産党一党支配であり、体制批判を匂わせる描き方だとメディアの検閲を通らない。だから、本作は体制批判を想起させる人間側の悪を描く事はできない、のだと想像している。

本作における人間の扱いは、館の妖精からすれば絶対に守るべき存在であり、人間の死者は一人も描かれない。シャオヘイが電車で誘拐犯に抱えられている姿を見て、乗客の人間の大人たちは、シャオヘイを助けようとする。(その後、大人たちは操り人形にされてしまうが) 館の妖精は、人間達の生活も楽しいものだよ、と言う。あくまで人間は害のない存在として描かれる。

こうした人間の扱いと、物語の正義と悪の基本構造は、この妖精と人間の関りのモチーフの中で、検閲を通すためのディレクションではないかと思う。

勧善懲悪の否定と、非暴力・共存というテーマ

では、あえて、この制約ある不自由なモチーフを使って作品を作る意味は何なのか?

それは、フーシー達が悪役として描かれていない所がポイントであると私は考えている。

漢民族少数民族の諍いは絶える事無く続く。少数民族が中国政府にテロ行為を行うこともあるだろう。しかし、そうした過激派であっても、もともとは優しい人間の可能性があること。シャオヘイは、フーシーが悪者だったのか?とムゲンに質問するが、その答えはもうシャオヘイの心の中にあるはずだ、と返し答えを言わない。つまり、フーシーが悪者かどうかは、観客に委ねる形になっている。単純にテロ行為だけみて、勧善懲悪に当てはめては物事の本質は見えない、というメッセージにも思う。

そして、全体を貫く、非暴力・共存というテーマも本作には確実に存在する。ここは、ある意味、体制批判というより、体制としてはそんな事実は無い、というところで検閲に引っ掛からないと想像している。

だから、私は本作は、検閲のためにぬるくなった脚本などとは思わないし、作家として制約ある中で誠意ある脚本を書いていると、感じた。この点が本作の脚本の好きなところであり、物語の骨太さを感じる所である。

「領域(レイイキ)」の存在

本作には、領域という不思議な概念が存在する。以下に映画から読み取ったポイントについて列挙する。

  • 「領域(レイイキ)」について
    • 限られたごく一部の者だけが領域を持つ
    • ≒自分自身の内面?
    • 領域の中では、持ち主自身が絶対的支配者であり、何でも思った通り動かせる
    • 他人を領域内に招き入れる事はできるが、その人にとっては圧倒的に不利
    • 基本的にはそれ程、大きくない
    • ムゲンは自分の生家を格納している

領域は、本作のクライマックス部のバトルアクションの舞台として使われた設定でもあるが、本質的には、他人が犯す事が出来ない個人の信念であり、他人に影響を与えるカリスマ性のような力だと私は想像している。だから、仙人のようなムゲンが領域を持てるのだと。シャオヘイも持っていたが、誰が持てるのか?については不明。この考察は、調査したわけでは無く、作品をは鑑賞しながら感じた想像である。

この推察が当たっているなら、答えはもうシャオヘイの心の中にあるはずだ、のムゲンの台詞と領域の存在は符合する。つまり、物事の善し悪しは、他人に委ねるモノではなく、自分の内面に問いかけろ、というメッセージにも感じた。

本作は、単純に強い奴と戦いたい、という能天気なテーマではなく、善悪の判断を自分に問いかけるという、内面に向かったテーマを持っている事が、鑑賞後の味わいになっていると思う。

印象的な地下鉄の女の子のシーン

個人的に一番好きなシーンは、電車の中でシャオヘイが乗客の人間を守るシーンである。

電車の上でテロリストとムゲンが戦っている最中、ムゲンに頼まれてシャオヘイが乗客を守る。車内に落ちてくる石をシャオヘイが砕く。霊力を使って岩を金属製のパイプで受け止める。さらに振ってくる岩々を、化け猫の姿になり人間を庇うのだが、その姿をみて人間はシャオヘイを化け物と怖がる。そうして、ムゲンとシャオヘイがその場を立ち去ろうとするときに、助けてもらった女の子が「ありがとう」とお礼を言い、シャオヘイは「どういたしまして(うろ覚え)」と返す。地下を走っていた電車が地上に出て、車窓が一面明るくなる、というシーン。

今まで、化け猫の姿を怖がらない人間は居なかった。化け猫姿というのはシャオヘイの本質であり、恐怖というのは拒絶であるから、いくらシャオヘイが歩み寄っても最終的には拒絶される存在である、というのがシャオヘイの人間感であったと思う。しかし、この女の子は、シャオヘイの本当の姿を見ても、目を逸らさず真っ直ぐ感謝してくれた。これは、妖精も人間も対等に心を通わせる事ができるという、明るい可能性を示唆していたと思う。

この時のシャオヘイの表情は、何が起きたか分からず唖然とした感じだった。すぐに全面的に人間を信用できるわけでは無い。だけど、この瞬間、何かがシャオヘイの中で変わった。この内面に何かが触れた瞬間の演出が非常に良く、胸に刺さった。

おわりに

本作の魅力は色々と多い。要所要所のコミカルさで笑いながら、鑑賞後の爽やかさも兼ねると言う作風が非常に良いと思います。屁理屈の様な考察を書きましたが、それ抜きで十二分に楽しいです。

個人的には、骨太なテーマを持った脚本・構成がしっかり出来ているからこその安定感だと思いますし、その点を大きく評価します。物語的に見てもイベント、展開に全く無駄を感じません。

誰にでも薦められる良作だと思いますし、中国映画というレッテルを外して多くの人に観て欲しい作品です。

ぬるぺた 10話~12話

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はじめに

最終話である12話を見終えて、強い姉妹愛が報われる結末に安堵しました。上出来です!

ショートアニメなので、視聴数は少なかったと思いますが、逆に視聴者の満足度が高い。

シリーズ構成は見事に必要な要素を詰め込み、ショートアニメだからこその思い切った脚本が良かった。短尺で尺を揃えるよりも必要なシーンをキッチリ描くと言うスタンスは共感しました。

今回は10話~12話の感想・考察になりますが、これまで9話までブログに感想・考察を書いていますので、こちらも見ていただければ幸いです。

考察・感想

今までの話の振り返り

本作では、独りぼっちのぬるの世界と、そこからのぬるの生還が描かれた。その流れを下記に整理する。

  • 1話:引きこもりのぬるがぺたロボを作る。
  • 2話:ペたロボによる地獄炒飯攻撃。
  • 3話:ぬるが不登校の理由を喋る。お風呂で姉妹仲良く。ぺたロボに甘えるぬる。
  • 4話:宇宙ステーションでペたロボのバッテリー切れ。
  • 5話;宇宙ステーションでぺたロボのリセット出来ず涙するぬる。
  • 6話:かき氷屋のかきちゃん登場。対人恐怖症を乗り越え仲良しになる。
  • 7話:ペたロボが一人でバグと戦い負傷して高熱を出す。
  • 8話:バグ退治中にぬるがぺた姉の交通事故思い出す。留守番は嫌。ペたロボと一緒に戦いたい。
  • 9話:ペたロボとぬるの協力プレイでバグ退治完了。
  • 10話:バグ退治後、誰も居ない世界がおかしな事に気付き始め、最後にはペたロボも消える。
  • 11話:消えたペたロボに戻って来て欲しい一心で良い子になるぬる。最後に病院で目覚める。
  • 12話:それまでの世界がぺた姉が作った仮想世界だと分かる。退院後、学校に行き始めるぬる。

ギャグ物の5分アニメだが、物語としての流れが確立している。振り返ってみると、どの話も抜く事が出来ない精密なプロットのようにも感じる。

1話から9話については、過去ブログに詳細を書いたので、今回は10話から12話の詳細について触れて行く。

ぬる

この物語の肝は、ぬるの孤独とぺた姉への愛である。

ぬるは9話までの流れの中で、新しく友達が出来たり、バグ退治で自発的にペたロボ(ぺた姉)を守りたいと思ったり、自立する素地を固めて来ていた。

しかし、この世界の誰も居ない違和感を直視し、ひっそりぺたロボが姿を消えた意味を考えたが、良く分からない。ただ、寂しい、ペたロボに戻って来て欲しい。その一心で頑張ってぺたロボ(ぺた姉)に言われていた身の回りの事や、学校に行ったり、地獄炒飯を食べた。

この事も、9話の諦めず自発的に行動出来る事の実績があっての事ではないか、と思う。ぬるはペたロボを通じてぺた姉の諦めない気持ちを知らず知らずに見習っていたのかもしれない。

地獄炒飯の大粒の涙は、いっそ死ぬ気で食べた事、ぺた姉のアイデンティティを感じてしまった事、そしてそのぺた姉にもう会えないという悲しさ、色んなものが混ざりあっての感情崩壊の涙だったと思う。

そして、その後、デジタル世界でペたロボに感情をぶつけるぬると黙って抱擁するペたロボ。良く頑張りました。そして、病院のベッドで目が覚めると傍らに泣きじゃくるぺた姉の姿。

結局、ぬるは引きこもりだったりで、逃げる事を選んできた人生だったのだと思う。その拠り所が唯一のぺた姉だった。生死をさまよい生還するまでに、その逃げ癖を改善するというドラマというか物語なのかと11話まで見て、当初は思っていた。もっと言うと、ぬるが姉依存から脱却する物語なのかと思っていた。

しかし、12話を見ると、リハビリを経てぺた姉の地獄炒飯からは逃げ、小ペたロボがぬるを学校に送り届ける。学校では自己紹介でもじもじして、またぼっちになりそうになる。今まで通りの繰り返し。

しかし、小ペたロボがその場を盛り上げ、ぼっちは回避できた。そしてぬるは自信を持って、私たちは二人一緒で「ぬるぺた」であると言う。ある意味、ぺた姉依存のままである。

ぬるの問題は何も解決していないのではないか?と思われるかもしれないが、実はそうではないと思う。

この物語は、とある理由で離れ離れになった姉妹が、直接会話する事も出来ない状態で、互いを強く求め合い、最終的にはその強い願いが叶い再会する、という姉妹愛の話である。だから、この姉妹は一緒に居ても良いんだというのが物語の決着である。だから、小ペたロボがウザイくらいにぬるの世話を焼くのだが、その結果、ぬるはぼっちにならずに友だちが出来そうな所で終わる。

ぬるの対人恐怖症については、今もなおリハビリ中であり、そこはぺた姉ではなく小ペたロボがフォロー&ケアしてゆく、という筋書きである。すなわち、未来に向けてぬるの成長をサポートする役目であり、成長が完了した時、小ペたロボは不要になる。

ギャグテイストという事もあるが、姉妹愛の強さとともに、将来に向けて改善されつつある明るさを感じられる事が、この作品の視聴後の後味を良くしているのだと思う。

ぺた姉(ぺたロボ)

本作はぬる主観なので、ぺた姉の気持ちは客観情報でしか提供されない。ある意味、ポーカーフェイスである。ぺた姉の本音は出てこない所が、本作の味噌でもある。

ぺた姉は、意識不明の妹のリハビリの為に、仮想世界を作ってぬるを住まわせた。そして、その行動の全てを見守りつつ、後でスマホで見れるようにしていた。

想像だが、ぺた姉は仮想世界を作りし神であるのに、仮想世界に直接登場する事は無かった。それは、目的がぬるのリハビリであったからと思われる。いきなり自分が登場したら、甘えるのは目に見えている。その部分をなんとかするのが目的だったから。基本は見守るしかできなかったはず。

しかし、ぬるはペたロボを作る。そして、姉として慕う。その姿を見て、ぺた姉は嬉しくないハズは無かったと思う。

途中でバグが出現してきた時、ぺた姉はペたロボを駆使してデバッグを開始する。危険なので黙っていたが、途中でデバッグの事をぬるに気付かれてしまう。そして、危険を承知でペたロボとぬるの共同作戦によりバグを殲滅出来た。ぺた姉は、ぬるの守られるだけじゃなく守りたい気持ちの芽生え、成長を知ったハズである。

ここで一つ疑問。ぺた姉はペたロボになりすまして仮想世界を生きていたか?それともペたロボは自立して勝手に動いておりぺた姉は見ているしか出来ない設定だったのか?

これはどちらとも取れると思っているが、私はペたロボにちょくちょく乗り移っていたのだと思う。

そう思うのは、8話の片手ダンプの時の笑顔と、台詞のシンクロ感だが、本当の所は分からない。

ただ、10話でペたロボが服を脱いで消えてしまった件は、ぺた姉が仮想世界の神として、世界を動かした結果だと考えている。それは、ぬるの自立を促すために、思い切ってペたロボが居ない状態を作り、そろそろ仮想世界から抜け出して欲しい、という事だったのではないか?

案の定、ぬるは身の回りの事を自分でやり始めた。それが、誰も居なくて仕方なくてやるのではなく、良い子にしていたらペたロボが戻ってきてくれるかもと信じて行動している所で見ている者の心が痛む。最終的には好き嫌い言わず地獄炒飯も泣きながら食べてくれた。(実際には地獄炒飯は好き嫌いを超越した問題ではあるが) もう、ぬるがもう限界というタイミングでデジタル世界でペたロボと再会させの抱擁をさせた。おそらく、ペたロボは何時でも戻せたが、ぬるに試練を与えるためにペたロボを消して、ぬるの行動を見守っていたのだと想像している。ぺた姉も頑張って我慢していた。

ぺた姉は、仮想世界でぬるが何かを成し遂げたら意識不明から戻る、などの因果関係を持って仮想世界を作っていたとは思わない。

ただ、ぬるのぺた姉に会いたい感情がマックスになったと同時に、意識不明のぬるの意識が回復した。その時のぺた姉の嗚咽は、ぬるがペたロボ(ぺた姉)に会いたい気持ちを吐露していた時の気持ちを受けての事では無いかと思う。

リハビリ中のぬるの世話。退院パーティ。変わらぬ姉妹の生活が戻って来た。相変わらず地獄炒飯もある。ぬるも仮想世界から逆戻りしてしまった面もあるだろう。人はそんなに急激には変われない。

しかし、離れ離れに過ごし、お互いに思い合った仮想空間の時間が今までとの差である。小ペたロボという賑やかしキャラも増えた。それは、ぬるのかけがえのないあの時間のご褒美でもある。特にぬるの対人恐怖症は一朝一夕に治るものでもない。これからは、小ペたロボをぺた姉の分身であり、ぬるをフォローしケアする。

CVの上田麗奈さんは、ペたロボの演技は機械らしく淡白に、ぺた姉の演技は人間らしく感情込めて、と使い分けていたような事をインタビュー記事で拝見した。そして、12話の地獄炒飯のシーンでは、ぺた姉なのに、ペたロボ風の機械的な演技をされていた。これは、ペたロボの地獄炒飯の印象が視聴者も強くあり、場面をコミカルにするための演出である。そして、仮想世界中もぺた姉がペたロボを機械らしく演技していた説や、ペたロボの仕草を神の視点で観察していて真似た説があり、そういった事を想像するのも楽しい作品だった。

かきちゃんとバグの謎

6話で登場したかきは、仮想世界で、ぬるの対人恐怖症克服のための非常に重要なキャラであるにも関わらず、現実世界に戻って来ても再登場する事は無かった。

単純に尺の問題かも知れないが、非常に好きなキャラだったので、何か補足があると良かったと思う。

仮想世界は、意識不明のぬるの心と繋がっていたので、かきもまた、ぬると同様に意識不明で病院で眠っていたところ、偶然この仮想世界に迷い込んだのではないか?という説を見かけたが、これは有りそうな設定だと思った。

しかしながら、仮想世界はぺた姉がぬるの作ったものであり、意識不明者と仮想世界を繋ぐインターフェースが不明確であり、簡単に仮想世界にアバターとして迷い込めるものなのか?も良く分からない。

7話で登場するバグだが、6話でかきと別れるシーンで、モブキャラにノイズが入るシーンがあるため、この時点ですでに何らかのバグの影響を受けていたと思われる。この6話というのは、ぬるの心境的な変化という点でも、仮想世界にぬる以外の人間が登場したという点でも、特別な回だった。そうしたイレギュラーな事象とバグ発生の因果関係がありそうな気もするが、この点も情報不足で考察しきれない。

そうした、いくつかの謎めいた事は明かされる事は無いのだろうが、物語の幹が姉妹愛にあり見事に完結させた構成なので、ある程度の明かされない謎は許容してしまっている。もしかしたら、OVAでワンチャン説明があるかも知れない。

おわりに

ギャグ、泣かせの要素をバランスよく取り込み、SF的なフレーバーが程よく効いて、哲学的な部分や世界についての考察まで楽しめる、短尺ながら盛りだくさんの贅沢な作品だったと思います。

ここのところ、ショートアニメという短尺の作品もいろんな試行錯誤がされていて、本作で言えば登場人物は基本二人(一人とロボット一体)という思い切った切り捨てのお陰で、丁寧にドラマを作り込む事ができたのではないかと想像します。これからも、ショートアニメならではの尖った作品が出て来てくれると良いな、と思いました。

ぬるぺた 7話~9話

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はじめに

マイナーな良作である「ぬるぺた」を広めるべくブログを書きました。良い作品なので、是非観てください。

今回は、7話から9話についての感想・考察です。敵であるバグの登場からバグ退治までが描かれました。なお、このバグはアニメと並行して製作中のゲームの内容と大きく重なる世界であり、ある意味、ゲームの宣伝のための話数だったとも言えますが、その中でもぬるの成長のドラマもきっちり描かれ、相変わらずの短尺ながら見応えのある内容となっています。

また、この時点でゲームの情報も開示されてきていますので、そこからもアニメについて考察します。

なお、これまでの話数についても感想・考察を書いていますので、こちらも見ていただければ幸いです。

考察・感想

ゲームについて

ゲームの情報として、公式HPのブログと、Steam上にゲーム情報が公開されました。

タイトルは「ぬるぺた クイーンバグの襲来」。プレイヤーはぺた姉となり、バグを武装で退治する、とある。

ここで、アニメとゲームでいくつか整合性がとれていない箇所があるので整理したい。

項目 アニメ ゲーム
ぺた姉 死亡している 直接バグと戦う、ペたロボの飛行パーツ背負っている?
ぺたロボ - バグと戦う(PV画像あり)
ぬる ぺたロボと共にバグと戦う ぺたをサポートするが、直接バグと戦わない
バグ 7話~9話登場、球体で繁殖力が強い、9話で殲滅済み 球体の他にメカ蜂やメカダンゴムシやメカ恐竜?
クイーンバグ - アニメ未登場?、バグのラスボス?
世界 - サイバー空間

まず、分からないのがぺた姉が生きている事。アニメではぺた姉は死んでいる。少なくとも、死んだぺた姉を再生しようとしてぺたロボを作ったのだから、ぬるにとってぺた姉の死は揺るぎない事実。ぬるにぺた姉が生きていて欲しい願望があり、サイバー空間ゆえに、ぺたロボがぺた姉に見えているという演出なのか?それとも、ぺたロボに手を加えたら、容姿もぺた姉そっくりに作り直す事が出来たのか?いずれにせよ、生身のぺた姉が戦っているとは考えにくい。

また、アニメとゲームの時系列が不明。バグは7話~9話で登場し死滅したので、その後にクイーンバグが登場するという事は、アニメが終了した後も、サイバー空間が残り、そこでラスボスであるクイーンバグとの戦いがある、ということか?メカ蜂などは従来のスライム上のバグとは明確な違いをもった金属ボディであり、クイーンが存在するということは、バグが何らかの刺激を受けて進化したものと考えると、やはり、少なくともアニメ9話以降の話だと思われる。

ただ、C3AFAシンガポールで、アニメの世界観とゲームの世界観は違う、との発言もあったようで、並行世界的に考えてしまえば、時系列を深く考察する意味は無いかもしれない。

アニメ7話~9話について

ぬるの世界についての考察と妄想

このぬるの世界は、1話でペたロボが登場するまでは、誰にも干渉されない、ぬるの都合の良い世界であった。しかし、ペたロボがいろいろとお節介をして、ぬるとしてはウザいと思う様な事が多々あっても、やはりぺた姉との思い出は消せない、書き換えられない、そしてぺた姉の事が今も大好きであることを再認識してきた流れがある。

そして、7話~9話の物語は、妹への過保護から全ての危険を背負い込むぺたロボに対し、ぬるはもう二度とぺたロボ(=ぺた姉)を失いたくない事を自覚し、ぺた姉に頼りきりにならず、ぬる自身で大切なモノを守る、大切なモノを掴み取る、というぬるの心の変化を描くところがポイントである。

これは、心の殻に閉じこもっていたぬるが、殻を破る素地となるのではないかと想像する。

ところで、このぬるの世界がサイバー空間である事を伺わせる点がいくつかある。

  • ゲーム説明にサイバー空間でバグと戦うとあり、バグがいるこのアニメ世界がサイバー空間ではないか?
  • そもそも「バグ」の呼称がコンピュータ用語
  • 8話の非現実的で意味不明な交通標識過多な大通り(ゲーム画面に合わせたと思われる)
  • 6話のグレー人間、8話の学校が不安定になるノイズ表現

やはり、このぬるの世界は、ぬる自身が現実逃避の為に逃げ込んだ仮想現実だった可能性はあると思う。では、現実世界の何が辛かったのか?そこが残り3話のポイントになると思う。

まず、考えられるのは、ぺた姉の事故死を受け止められずに全てのモノから心を閉ざしてしまったというパターン。しかし、それだけでは弱い。もしかしたら、ぺた姉の事故死は、ぬるを助けるため、もしくはぬるの過失によるものかもしれない。

なお、1話でぺたロボの材料にした写真には、ぬるの目が黒く塗り潰されていた。これはぬるの自己否定の現れではないだろうか。上記の理由であれば、ぬるが自己否定する理由にも納得がいく。ちなみに、この時の写真は、9話の指令室にも飾られていた。同じプリントではないので、ぬるの目は黒く塗りつぶされてはいなかったが、演出的に考えたら、9話で初めてぺた姉とぬるが笑顔で二人一緒に写る写真が画面に登場するという事を考えると、ぬるは自己否定の原因を取り除くことが出来て、ぺた姉と一緒に写っていてもOKなのだと、ぬる自身の心境が変化した、と解釈して良いのだと思う。

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そして、それは、与えてもらってばかりの自分と向き合い、ぺた姉に協力し、力添えする気持ちがあって、はじめて自己肯定できるようになったのではないか?さらに言えば、ぺた姉だけでなく、大好きなタマヤも、大嫌いな学校も含めて、この町をバグから守りたいと思った。この町はぬるが育った町であり、ぬるのアイデンティティとも言える。自身のアイデンティティを認め大切にしたい気持ちが芽生えたのではないか?この時のペたロボの笑顔は、そんなぬるの成長を感じての笑顔だったと想像する。

バグについて

私が気付いたバグの特徴について列挙する。

  • 最初に繁殖し始めたのはぬるの小学校
  • 地獄炒飯をも食べて、食べる事で増殖する
  • バグどおしで結合し巨大化してゆく
  • バグどおしの結合の瞬間、内部のコアが光り、そのコアが弱点
  • 最終的にバグは、町全体を覆い尽くすほど増殖した
  • ぬるの片手を取ったとき、ぬるが目を背けていたぺた姉の事故死のイメージを具現化した
  • ペたロボに攻撃した事で、ぺたロボが謎のウィルスに感染し高熱を出した

バグはぺた姉の事故死のイメージを具現化した事で、ぬるの記憶にアクセスした。それは、この世界がぬるが作った仮想世界というより、ぬるの記憶をダイレクトに具現化した世界なのだと想像している。それは、ある意味、ぬるの内面世界とも言えるのかも知れない。そして、ペたロボも例外ではなく、ぬるの中のぺた姉の記憶から作り出されたものである。

ちなみに、バグはぬるが苦手とするものを好物としていたフシがあるが、それは、グレー人間や学校に対し、ぬるが目を背けることで盲点になっていて、バグが繁殖し易かったから、と想像している。しかし、バグは最終的には、ぬるが嫌いなモノも好きなモノも含めて、町全体を呑み込み、最終的にはぬるの記憶の全てがバグに浸食されて消去されてしまいそうな勢いだった。

つまりは、バグは意志を持った生命体ではなく、ぬるの心の弱さを示していたのではないか、と想像する。しかし、ゲームではクイーンバグを頂点に持つヒエラルキーある組織を構築しメカっぽいデザインで登場する事を考えると、バグ自身の進化もあり得ることになり、より難解になる。もしかしたら、単純にバグの見栄えを良くするため、という見も蓋もない理由かもれないが。

例外的な、かき氷屋のかきちゃんの存在

この考察の中で、例外的で説明が付かないのが、6話である。

  • なぜ、かき氷屋のかきはぬるの仮想空間に出現し得たのか?
  • なぜ、海水浴場の岩場がペたロボの目をモチーフにしていたのか?

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今後、かきが再登場し、なぜこの世界に来れたのか?の説明がありそうな気はするが、この辺りの考察は全くまとまらず、の状況である。

ぬるとぺた姉の命

ここまで、この世界がぬるの記憶を反映したサイバー空間である事を考慮した場合、ぬるの実体はどうなっているのか?という疑問がわく。

SNS上では、交通事故で昏睡状態にあるのはぬるの方で、全てはぬるの夢の中の進行中の出来事である、という考察を見かけるが、その可能性はあると思う。ただし、ぬるが自己否定するためには、ぺた姉の死が自分の責任にあると思っている必要がある。

物語の最期を予想すると、最後はぬるがこのサイバー空間から抜け出し、現実世界に戻って、自力で生きる、というのがハッピーエンドだと思う。その時に、ぺた姉が生きていれば、最高にハッピーエンドとなるであろう、と想像してしまう。ただ、ぬるがぺた姉を死なせてしまったと思い込んでいる事と、実際にぺた姉が生きている事の整合性をとるのは難しく、うまく考察がまとまらない。

おわりに

これまでの作風で、ぬるの感情と成長を短尺ながら細やかに描いてきたスタッフ達の仕事から、ラストに向けて再度、感動的な盛り上がりを見せる事と確信しています。

残り3話でどう結ぶのか?とても興味深く、残り3話も楽しんで観て行きたいと思います。

ぬるぺた 6話「お姉ちゃん かき氷のシロップなに派?」

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はじめに

一部で話題のショートアニメ「ぬるぺた」の6話の感想・考察です。

5話で泣きのドラマを入れて、私のハートをガッチリキャッチした直後の6話で、物語の本質に関わるサブキャラの登場、そしてこの世界の謎についての置き土産。私はやられっぱなしで、お釈迦様の手の上をコロコロされている気がしてなりません。

そんなこんなで、情報がてんこ盛りの6話の考察・妄想した事をブログにしたためます。

5分アニメ1話分なのに長文ですが、今、それくらい、熱意を持って観ている作品です。

ちなみに、これまでの話のブログがありますので、よろしければご覧ください。

考察・感想

一人芝居だった、今までのぬるの世界

これまで、本作に登場していたキャラは、ぬるとペたロボ。それと回想シーンを含めるなら、ぺた姉。この3人だけだった。そして、この中で生きている人間はただ一人、ぬるのみであった。

つまり、1話から5話は、ぬるの一人芝居だった。そして、かきの登場は、この一人芝居の安定した世界を崩す存在で有る事を意味する。

もう少し、ぬるの世界について説明を補足しておく。

ぬるが学校に行かない理由は3話で語られる。ぬるが小学校で、好きな理系話をしても、周囲の同級生や先生は話題についてこれず、ぬるを変人をみるような目で見ていた。この事が辛く、ぬるは学校に行かなくなった。こうした事でぬるの心は外部の人間を閉ざした。

6話でぬるは、かきと初対面で対応した時、緊張し、真っ赤になり、挙動不審になり、すまんもす!の謎発言を残しながら、その場を逃げた。これまでも、そうした事を繰り返して、人間嫌いをより強固にしていったのかもしれない。

劇中の同級生や先生は、簡略化されたグレー人間(グレーのデザイン)として描かれる。当初、単純に作画を省力化したものと考えていたが、おそらくこれは、ぬるの主観的な映像表現だったのだろう。

1話でぺたロボが誕生し、ぬるとぺたロボの2人でドタバタコメディをしてゆくが、よくよく考えて見れば、ペたロボは機械であり、それをプログラミングし作ったのはぬるであり、その意味では、人形遊びしていただけ、とも言える。

もっとも、ぺた姉の口癖と、ぬるの記憶で、ペた姉との思い出が溢れ出す、という事はあった。しかし、ぺた姉の思い出を含めて、それは、ぬるのインナーワールドでしかない。

つまり、1話~5話までで描かれていた世界は、ぬる1人だけが人間として存在している、独りぼっちの世界だった。そして、ぺたロボはあくまで、うざくて愛しい、ぺた姉を再現した人形でしかなかった。

もうひとりの人間、かき氷屋のかきちゃん

二人目の人間、かき氷屋のかきちゃん。

最初は、ぬるは極度に緊張して上がりまくり、真っ赤になっていったが、かきの持ち前の好奇心と、ぐいぐいと押し込んでくる積極性のおかげで、二人は仲良しになった。

かきはぬるを変人扱いしない。

もとより、かきはかき氷屋で商売をしており、ぬるは客である。ぬるが対人恐怖症パニックで、すまんもすの謎発言しても、その事を馬鹿にする事もなく接した。

かきは、好奇心旺盛で、素朴な疑問を持っている。その理由について、海の家の手伝いで一人きりの時間が長く、色々考えを巡らせてしまうから、と語っている。

  • 海の昆布は、なんでダシが出んのじゃろ?
  • カニは、なんで横に歩くんじゃろ?
  • カップ焼きそばは、ちっとも焼いとらんのに、なんで焼きそばって言うんじゃろ?

一般的に、大人になるにつれ、経験則や、お婆さんの知恵袋などにより、本質を理解する事無く無駄を省けるようになる。これを学習とか成長と呼ぶかもしれないし、それで効率的に生きてゆく事は出来る。これ自体は悪い事でもなく、人類が生きるにおいて、必要不可欠とされてきた事なのだろう。しかし、一方で、物事の真理に到達したいという欲求も人間にはある。かきは、手伝い中とはいえ、一人で思考する時間を持て余している、という設定なので、そういう素朴ながら、誰も応えられないような謎に興味を持っていた。

まあ、実際のところ、かきがこんな素朴な疑問を列挙したのは、ぬるとの会話が余りにも弾まないための苦肉の策だったのだとは思う。

ぬるは、持ち前の知識で、かきの素朴な疑問に科学的に的確に応えた。言い方が渋々だったのは、これまでのぬるの経験で、その後、相手から変人扱いされる可能性が高かったから。しかし、かきは素直に驚き、ぬるを物知りと賞賛した。

かきが聡いのは、目を合わさずに照れて会話を逃げているぬるの様子を見て、「物知り」と褒める事がコミュニケーション上逆効果であると察するところである。そして、ぬるの知らないかき氷のウンチクでぬるを振り向かせ、頬っぺたをつねり、目を合わせての会話に持ち込む。かきの「コミュ強」がうかがえるシーンである。

ぬるはこれまで一人芝居で生きてきた。波の自然法則も数式で理解してた。ぬるの世界の中でぬるが知らない事なんて何も無かった。その意味では、ぬるは退屈していたハズである。しかし、ぬるはかきから新しい知識を得た。それは、余り役に立たない情報であったが、それでも刺激的な体験だったのだと想像する。ぬるにとっては、未知との遭遇であり、天岩戸が開いた瞬間であった。

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楽しく遊んだ後、ひと夏の思い出を胸に、互いに名前を知る事もなく、二人は別れた。

ぬるとかきはコミュニケーション能力においては対極の存在だが、似てる面もいくつかある。

  • ぬるとかきの対比
    • 似てない点
      • コミュニケーション能力(ぬるは低く、かきは高い)
      • 両親(ぬるは両親がいない、かきは両親がいる)
    • 似てる点
      • 物事の真理を知りたい、という好奇心。
      • 一人の時間持っていて、寂しくなく過ごせる。

かきが面白いのは、コミュ強だけど、「一人の時間」を嫌いじゃない点だと思う。その事があるから、二人は抵抗なくシンパシーを感じられるのではないか?と想像している。

ここまで整理してきて、かきのキャラクターが、よくよく練られた設定である事に唸る。

ここからは、少し妄想。

かきは暗算能力は高い。素朴な疑問を持っていはいるが、聡明なキャラなのだと想像している。夏休みは海の家の仕事をしているが、夏休みが終われば学校に通う生徒なのだろう。その後、またどこかで、ぬるとぺたは再会するのだと思う。

実は、かきはOPでは切り抜き絵の形で1話から登場していた。それは、OPの舞台装置の一つとして存在している、という演出であり、本筋のストーリーの重要な鍵ではあるが、物語を紡ぐキャラはあくまで、ぬるとぺたロボなのだと理解している。その意味で、かきは7話以降しばらく登場せずに、11話、最終12話くらいに再登場するのではないか?と想像している。(予想が外れたら、笑い飛ばしてくださいw)

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しかしながら、かきが普通の小学生という保証はどこにもない。中学生かも知れないし、もしかしたら、かきもまた、天才発明家なのかもしれない。いずれにせよ、かきの素性を示す情報は何もないが、再会の時の事を考えると、何か仕掛けか、因果があるに違いない、とは思う。

存在感を消したぺたロボ

今回ぺたロボは、非常に控え目で、おとなしく、目立たない存在だった。

それは、とりもなおさず、この物語がぬる主観であり、ぬるの関心事がかきに集中していたからだと思う。5分アニメでは、かきを描くだけで、ぺたロボの出番は殆ど無くなってしまったという側面もあったのだろう。

いつもは、学校に行けだの、ご飯を食べろだの、お風呂に入れだの、身の回りの世話をするのが役目だが、今回は夏休みの行楽なので、学校に行けとか、そうした小言は一切なかった。せっかく海水浴に来たのに、ぬるは一人でパラソルの下から動こうとしないので、仕方なくペたロボが一人でイルカのぬいぐるみを使って遊んでいたのが印象的だった。

ペたロボは機械だから、ぬると遊びたい気持ちがあるか?については不明だが、ぬるを強制的に遊びに引き込む事はしない。ぬるがやりたいようにさせていた。ここに、機械が目的もなくむやみに人間に強要する事はしない、というSF的な文脈を汲み取る事ができる。

ラスト付近の不穏な描写(ぬるの世界についての考察)

グレー人間のノイズ

ぬる主観では、他人は基本的にグレー人間として描かれるが、6話のラスト付近でグレー人間にノイズが入り、グレー人間の存在が不安定になるカットがあった。このカットについて、SNS上で、仮想現実ではないか?と話題になっていた。

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個人的には、グレー人間は、ぬる主観の映像表現という解釈も成立すると考えている。

繰り返しになるが、グレー人間は、他人と関わる事を拒絶するぬるの気持ちを映像表現したものと解釈できる。そのグレー人間にノイズが入ったという事は、ぬるの対人恐怖症が少しだけ改善され、他人を顔のある人間として認知できる可能性が出てきたのだと解釈している。

それは、本作のぬるの物語上の重要な変化点であり、6話の最重要ポイントでもある。

しかし、この仮説も、仮想現実を否定しきるものではなく、現実世界も仮想世界も、どちらの可能性もあり得るのだと思う。

ぺたロボの目を持つ海水浴場の岩場

今回の海水浴場には、なぜかペたロボの目を連想させる岩場が存在していた。

ちなみに、この岩場は、海水浴場を二つに分断し、最初に小学生が押し掛けてきた砂浜と、後にぬるとかきが二人で会話した砂浜を分断していた。

なぜ?このような岩場が存在するのか?

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ここからは、想像の領域である。

ペたロボ(ペた姉)はぬるを過保護なまでに溺愛していた。だから、ぬるを監視し、ぬるの危険を察知すると、いち早くそれを排除する、という機能があるのではないか?だから、ペたロボは周囲の空間(今回は岩場)にまでセンサ機能を拡張して、ぬるを監視していたのではないか?

そして、その機能拡張は、リアル世界で何かしらの物体を加工して拡張するという可能性と、仮想現実世界においてプログラム変更により拡張するという可能性と、どちらの可能性もあり得ると考えている。

背景のフラクタクル的な幾何学模様

ちなみに、もう一つ前から気になっている点がある。背景のフラクタル的な幾何学模様である。

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普通の空でも、水玉的だったり、多角形的な、幾何学模様が入っている。それは、映像的な揺らぎを表現するためのもの、印象派の絵画の様な映像表現だと考えていた。

今回、この世界が仮想現実の可能性が示唆されたことにより、この映像表現も、実は仮想現実世界である事を映像として表現したものではないか?という疑念を持つようになった。

ただし、この点については、個人の感想であり、全く確証は無い。

この世界の仮想化技術の可能性

この件について、箇条書きで整理してみた。

  • ★ぬるの世界の仮想化技術の可能性について

    • (a) 現実世界説
      • 全てはリアルで存在している。グレー人間は、ぬる主観の映像表現でしかない。
    • (b) AR(拡張現実)世界説
      • 全てはリアルで存在している。グレー人間は、視界に上書きされた情報。
    • (c) VR(仮想現実)世界説
      • 全ては非リアルな仮想空間。
  • ★仮想化技術(b)(c)の場合、仮想化世界の創造主は誰か?

    • (1) ぬる本人
      • →〇:この世界は基本的にぬるの都合のよい世界になっている。
      • →×:かき(=ぬるの未知)の登場は矛盾。
    • (2) ぺたロボ
      • →〇:海水浴場の岩の顔の件は怪しい。
      • →×:1話以前の世界の説明は出来ない。
    • (3) 上記以外
      • →ぺた姉
        • →実はぺた姉が生きていて、ぬるをVR内で生かしている?
          • →こんな手の込んだことをする必然性が不明?
            • →ぬるの身体に重大な問題が生じている?

SNS上で、(b)のAR(拡張現実)についての意見をあまり見ないので、少し補足説明する。

(b)は、現実世界の情報に一部の情報を上書きして伝えるものである。分かりやすい応用例は、眼鏡を掛けて街中を歩くと、目的地までのルート案内を現実世界に重ねて表示するとか、人混みの中の知人の位置をマーキングで知らせるとか、などである。

(c)は、全てが作られた世界なので、存在する全てのものは、仮想世界のために創造された事になる。だから、かきの存在も作られた存在という事になるが、その場合、誰が何の目的でかきを創造したのか?という疑問点がわく。

一方、(b)は、基本的に現実世界だから、現実世界にかきが存在すれば、普通にかきを認識できるハズである。二人の偶然の出会いが、(c)では仕組まれた出会いという意味付けになってしまう。

しかしながら、(c)でも、ぬるもかきもその世界に登場するアバターであると考えるなら、二人の偶然の出会いは成立はする。

前置きが長くなったが、物語、ドラマを考える上では、(a)という解釈で十分通用するし、私は基本的に(a)として本作を見続けて来た。

しかし、本作のテイストを考慮すると、SF的な世界観があっても良い、というかその方が本作のファンは喜ぶのではないかとも思う。

本作はゲーム連動企画なのに、そのゲームの実体やシステムに関する情報が全く出てきていない、という点も、この世界に何かとんでも設定があるのではないか?と考察したくなる要因でもある。

しかし、(b)(c)という解釈の場合、誰がそのような仮想化世界を構築するのか?その必然性は?というところで思考が止まる。

で、詰まるところは、この世界の仮想化技術については、穴が多すぎて埋まらず、可能性があるだけで、何の結論も出せないという状況である。

この点に関しては、絶対何かあると思うので、今後とも目を離せない。

水着回として

堅苦しい話はここまでとして、単純にぬるの水着が可愛すぎた。

ペたロボの水着も食い込みが可笑しくはあったが、可愛いデザインであったと思う。

とりあえず、ほっこりした話題で締めたい。

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おわりに

仮想化技術の下りは、物語的、ドラマ的には、無くても成立するくらい完成度が高い作品だと思います。しかしながら、仮想化技術でSF的なテイストを出した方が、絶対に盛り上がる…。そんな感想を持って見ていました。

想像するに、7話から10話くらいまでは、また、ぬるとペたロボのコメディが続くのではないか?と想像しているのですが、実際は果たしてどうか?

オリジナルアニメ作品なので、原作ネタバレが無いのが、また良いです。

7話以降も、超楽しみにしています。

ぬるぺた 1話~5話

ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

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はじめに

ぬるぺたは、1本6分弱のショートアニメです。

本作は、天才美少女ぬるが、事故で亡くしたぺた姉をロボットとして復活させるところから始まります。そんな、ぬるとぺたロボのドタバタコメディと、ちょっとだけ泣けるお話。

今のところ最新5話まで視聴したところですが、なかなかの良作です。

その魅力について、より多くの人に知って欲しい気持ちから、ブログを書きます。

現在、Abemaで1話から最新話まで無料視聴可能です。(2019.11.8現在) 未視聴の方は、是非、下記でご覧ください。

考察・感想

ショートアニメというフォーマット

本作の長さは、1本6分弱。何故か話数によって異なる。OPは60秒で、EDは無く、本編は5分弱。

話数 タイトル 長さ
第1話 お姉ちゃん完成! 5分25秒
第2話 お姉ちゃんの完全栄養食! 5分22秒
第3話 お姉ちゃん学校行かなきゃダメ? 5分56秒
第4話 お姉ちゃん宇宙行かなきゃダメ? 5分21秒
第5話 お姉ちゃんイズデッド!? 5分50秒

従来のショートアニメは、各話連結させず1話完結で、ナンセンスなギャグで笑わせる、というパターンが多かったと思う。(個人の感想です)

しかし、本作は、1話から5話まで、途中で抜く事の出来ないようなプロットをキッチリ組んでいて、ストーリー構成がしっかりしている。だから、最初はただのハチャメチャに感じていたものが、次第にその奥にある設定に気付いてゆく。そうした、深みを楽しめる作品だと思う。

ショートアニメは尺の短さゆえに、テンポが速すぎてインパクト強い映像になりがち。本作も、1話、2話はそうしたワチャワチャした雰囲気であったが、3話、5話は泣きのドラマを丁寧に描いてきた。もしかしたら、3話、5話の尺が若干長いのも、そのせいかも知れない。

この手応えを感じているので、全12話を使ってぬるの心情に迫る、ドラマチックな物語が来ることを直感している。

ハチャメチャなギャグと、泣きのドラマのバランス

本作の基本はギャグだが、たまに泣けるドラマの展開を見せる。この姉妹愛のドラマがなかなか良い。この辺りのドラマについては、後述のキャラクターの考察で詳しく記載する。

ギャグは、小さな事からエスカレートしていくタイプだったり、見るからに毒々しい炒飯を食べさせられそうになったり、少し懐かしさ覚える昭和テイスト。

このギャグ展開の本質も、妹思いの姉の行動と、それを嫌がる妹の行動のシンプルだ動機である。

本作は、基本的にぬるとぺたロボの二人だけしか登場人物が居ない、二人芝居である。もっと言えば、ペたロボは機械なので、一人芝居である。だからこそ、ショートアニメなのに姉妹のドラマに集中できるのだと思う。

ギャグとドラマの、一粒で二度美味しい作品。

少し懐かしめのキャラとメカのデザインと、外連味ある動きの作画

ぬるとぺた姉は美少女キャラである。いわゆる「萌え」だが、最近、萌え萌えしい美少女キャラが少なくなってきているような気もするので、若干の懐かしみも感じる。

ぬるは、天才発明家で色んなものを作り出すが、その作品であるぺたロボや、2話で登場する四足歩行メカなどのテイストは昭和の懐かしさ。

作画はなかなか綺麗で、動きはいい感じでコマ数を落として小気味よい感じで、ギャグテイストに合っている。ぬるぬる動かないのが逆に良い。ちなみに、パンツ見せはありません。その辺りは、流石、シンエイ動画、という感じ。

キャラクター

ぬる

ぬるは、天才的な頭脳を持つ美少女小学生。一人暮らしで不登校。食事はウィダーインゼリー。そして、倉庫で何やら怪しい発明品を作っている。つまり、生活力に著しく乏しい。

ぬるは家族も、友達も居ない、独りぼっちの存在。だから、ぬるは、事故死したぺた姉を、下記の材料でロボットとして再生しようとした。

  • くせ毛を1本。お姉ちゃんは奇麗な髪
  • チューベローズを7輪。お姉ちゃんはいい匂い
  • ぬいぐるみを1個。お姉ちゃんは柔らかい肌
  • その他諸々(写真、設計図、お菓子、鉛筆、消しゴム…)

そしてぺたロボが生まれた。

ペたロボの機能は、ぬるが設計したものであるが、ぺた姉の特徴(綺麗な髪、いい匂い、柔らかい)は、ぬるが好きで似ていると思ったものを使って再現しているのだと思われる。

ぬるは、ぺたロボの容姿が想定外であったたこと、想定外の機能(ドリルなど)を持っていた事から、失敗作だったと思ったフシがある。

しかし、その性格は、お節介で、世話焼きで、料理下手で、ぺた姉そのものであった。以下、各話のぺたロボのお節介を列挙する。

  • 1話で、学校に送り届けるため飛行形態で飛ぶ
  • 2話で、毒タケノコ炒飯を食べさせる
  • 3話で、お風呂に一緒に入って楽しく会話する
  • 4話で、学校に行かせるためランドセルロケットを仕込む、忘れ物のブルマを宇宙まで届ける

ペたロボは基本的に、ぬるのためを思ってする事に対し、ぬるが嫌がり、それでドタバタコメディを繰り広げてしまう。

ぬるが学校に行かない理由は3話で判明する。ぬるが天才過ぎる故に、高度な理系の話を楽しくしたいのに、周囲がぬるの事を変人のような目で見てしまい、誰も友達になってくれなかったから。ぬるは、食事やお風呂は譲れても、学校に行かない事だけは譲れない。

しかし、ぺたロボは、そこで無理強いするのではなく、ぬるの好きな理系の話で聞いて、ぬるの話し相手になる。その夜、寝る時に、お伽話の様に、理系の本を読み聞かせる。

ぺたロボは、ぬるの孤独を知り、ぬるの孤独を埋めた。この時のぬるの笑顔が忘れられない。ぬるは、この幸せを手に入れるために、ペたロボを作ったのだろう。

泣きのドラマが入るのは、5話のペたロボのバッテリー切れの話である。

宇宙ステーションの電源からペたロボを充電して再起動する事は可能だったが、それまで稼働した記憶(データ)をバックアップできる環境が宇宙ステーションに無いために、ペたロボのデータが消失する、という問題が発生した。

つまり、ぬるがペたロボのコンセントを繋ぐ事で、1話から4話まで一緒に暮らしたペたロボ(ペた姉)の記憶が消える。そして、何なら、ついでに、ぬるが嫌がる事をしないように、鬱陶しくない様に、ペたロボのプログラムを修正して、無意味なドタバタコメディをしなくて済むようにすればいい、という気持ちも生じる。でも、それをしてしまうと、口うるさくて優しいペた姉では無くなってしまう。

この部分、混乱しがちなので、自分なりにぬるの選択肢を整理してみたが、間違っているかもしれない。

  • (a) ぺたロボを宇宙で充電する?
    • (a-1) Yes, →〇地球に帰れる、×ペたロボのデータ(1話からの記憶)が消える
    • (a-2) No, →×地球に帰れない、〇ペたロボのデータが残る
  • (b) ペたロボのプログラムを(鬱陶しくないように)修正するか?

私は、(a-1)(b-2)の選択肢もあったと思うのだが、劇中は、(a-1)(b-1)と(a-2)(b-2)の二択になっていたように思う。充電する=ぺた姉のアイデンティティ消失のイメージで。とりあえず、その前提で話を進める。

あの日、ぬるは、体育の授業が嫌でわざとブルマを忘れたのに、ぺた姉は、空気を読まずに登校途中のぬるにブルマを届ける。周囲の生徒たちは笑ってて、ぬるは大恥をかいて泣く。だけど、うざいところも含めて、ぺた姉の存在が好きだったのだと。

ペたロボは只の機械である。しかし、ぬるは一度ぺた姉を失っているから、もう二度とペた姉を失いたくない。その気持ちから、ぬるはペたロボの充電を泣きながらためらったのだと想像している。

結果的に、ぺたロボは衝撃で充電せずに再稼働し、今まで通りのペたロボと家に帰った。

本作の肝は、ぬるの孤独と、亡きぺた姉への愛である、と思う。

ここからは妄想。

ぬるの両親が居ない理由は分からない。ペた姉が生きていた時に、あれだけぬるの世話を焼いていたのであれば、以前は、ペた姉との二人暮らしだったのだろう。もとより、ぬるに友達は居ない。3話の雰囲気では、ぺた姉だけがコミュニケーションが取れる相手だったのだろう。唯一の話し相手を失って、本当に独りぼっちになってしまった。天涯孤独。それでも、途方に暮れることなく、趣味の発明に明け暮れた。

ぺた姉に逢いたい気持ちから、ぺたロボを作った。そして、5話で、うざいの込みでペた姉の優しさが好きだった事を再認識した。科学では説明できない、ぺたロボに宿るぺた姉の心を大切だと思った。時に拒絶しながらも、本質ではぺた姉を欲した。その裏腹な気持ちが、ぬるのドラマなのだと思う。

しかし、ぺたロボは機械であり、本当のぺた姉はもうこの世に居ない。現状のぬるとぺたロボの関係は偽りの関係であり、いつまでも続けられない、とも言える。すなわち、ぬるはぺた姉(ぺたロボ)依存から脱却しなければならない。そのためにも、ぺたロボ以外にコミュニケーションが取れる友だちや仲間を作る必要があり、1話から繰り返しネタとして使われている、学校に行く必要がある。これが出来てこそ、ペた姉(ぺたロボ)は成仏できる。

私は、物語のクライマックスは、ここに向かっていると予想している。

実際には、ギャグ作品らしく、なんだかんだで学校にも行って友だちもできて、ぺたロボとも末永く暮らすのかも知れない。まだ小学生なのだから、普通に甘えさせてやればいいじゃない、とも反面思う。

本作は、物語はカチッと作っている印象なので、どうやって終わるか、今から楽しみ。

ぺた姉とぺたロボ

5話で、ぺた姉がぬるの忘れ物のブルマを手渡しで届けたシーンがあった。周りの登校中の生徒は笑っていたが、そんな事はおかまいなしに、ぬるのために行動する。その行動がぬるにしてみたらお節介だったとしても、気にしない。ぬるの事しか見えておらず、過保護だと言ってもいい。

それくらい、ぺた姉はぬるの事を溺愛していた。

ぺた姉は事故死との事だが、その詳細は不明である。これほどまでに、ぬるの事を溺愛しているのであれば、事故の原因がぬるを助けるためだったとしても驚かないし、どこかでその事に触れるのかも知れない。

3話では、ぺたロボが、ぬると対等に高度な理系話をしていたが、ぬるの違和感なく会話していた様子から察するに、生前のぺた姉も、ぬる同様に天才だったのだと想像している。天才姉妹。

ただ、料理は安定してド下手。

でも、ロケットランドセルや、2話の目覚まし後、自動で身支度してしまう機械は、ぺたロボが作ったとも考えられるので、器用なのか、不器用なのか、よくわからない。

公式HPのブログ

ちなみに、本作のインタビュー記事や、設定資料が、ブログに掲載されている。

尺が短く、説明が少ない本編だが、この辺りで情報を摂取できるの。インタビュー記事を読むと、「ドタバタコメディなのに泣かせる展開も!?」などとなっていてスタッフのディレクションが伺えるなど、短いながらなかなか面白いので、是非ご覧いただきたい。

おわりに

私は、昔はショートアニメは好まなかったのですが、最近は、ショートアニメもストーリー仕立てにしていたり、短さゆえの高密度感が癖になる作品があったりで、なかなか奥が深いと思うようになりました。

しかも、ショートアニメは注目されていない事が多いので、埋もれし名作に光を与えるべく、今回のブログを書きました。

本作は、ぬるが明るくて可愛い点が気に入っていますが、同時にぬるが天涯孤独である事がドラマの肝になっています。その笑いと泣きのバランスが良いのが本作の美点に思います。

本作は、まだまだ何かネタがありそうなので、全12話最後まで、楽しみです。