たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

若おかみは小学生!

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ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。

はじめに

SNS上の絶賛の声も納得の傑作です。

とりあえず、いつもの通り、考察・感想としてまとめました。

ちなみに、私はTVシリーズ、原作小説は未見、未読です。

なお、下記のブログもありますので、併せて見ていただければ幸いです。

考察・感想

見事なまでに美しいシナリオ構成

まずブログで書きたかったのは、無駄が無く美しい吉田玲子氏の脚本の良さ。

物語は花の湯温泉の梅の香神社で毎年3月に行われる神楽で始まり、おっこの変化・成長を経て、1年後の神楽で幕を閉じる。

この一年間の四季を美しい映像に乗せながら、春の屋旅館に訪れるお客様を丁寧にもてなし、お客様を笑顔にしてお帰りいただく。

そして、お客様からいろんな形でお返しがある。時に、雑誌記事だったり、時に、洋服だったり、時に、友情だったり。与え、与えらえ、ループする。こうした一つ一つの嬉しい事が輪になって繋がってくる。

全ての事に無駄がなく、一周回って綺麗に完結する事が、とても美しい。

それと、もう一つは、それぞれのゲストの物語と、おっこ自身の物語の二重構造の巧みさ。

例えるなら、ジャブ、ジャブ、ジャブときて、右ストレートを打ち込まれた不意打ち感。しかも、右ストレートへの布石を要所で示しつつ、最後のジャブと右ストレートはスムーズに繋がってるという。ある意味、奇襲なのですが、ちょっとこれは感情持ってかれました。

本当に見事です。

贅沢な手書きアニメーションの躍動感

おっこや女将さんや中居さんの着物の動き、所作ひとつとっても凄くリアルに描いていると感じました。着物の動きというのは、すごくコンパクトで、大股で歩けたりしないので、スッ、スッと進んでゆく感じ。上半身なんかは水平に移動してゆく感じ。

おっこが秋好旅館に向かう途中に鼻緒がきれてびっこで走る姿とか、動かすのが面倒そうなのに、そのまんま描いてる。

こういう日常のありふれた動きが凄く丁寧に描かれていたと思います。

もちろん、雑巾がけのおっこの勢いあまるシーンや、ウリ坊が屋根から落ちる峰子を助けるシーンなんて、これぞマンガ映画って感じでオーバーアクションに動くわけですけど、そういった派手な動きと日常の動きが、等しく高次元で気持ちよい。

神楽の稽古中の真月の扇子の仕草とか、ビシっと決まっていてアニメーションの動きとして気持ちよい。

あとは、露天風呂プリンを康さんに褒められて、手を打って小躍りして一周回るおっことか、とても可愛い。

古臭いともいえるテイストのキャラクターデザインですが、その事も良く動く事にプラスに働いている様な気がします。

なんというか、2018年のマンガ映画としての完成度の高さをヒシヒシと感じました。

おっこのトラウマ克服のドラマ

おっこのトラウマ

おっこは、明るくて頑張り屋で、ちょっとおっちょこちょいで、見ててこちらが元気になれるといういかにもな主人公。小学生若おかみ奮戦記。春の屋旅館に来て若おかみとして頑張るおっこの姿から、そういう物語である事を伺わせます。

でも、おっこはトラウマを抱えていた。

交通事故で亡くした両親。そのショックがあまりにも大きすぎて、亡くした両親を夢に見てまだ死んでいないのだと無理やり納得したり、あの時の交通事故を連想してしまうと過呼吸になりパニックになったり。

そうした見た目からは分からない、陰の部分を持っていました。

トラウマを直視しないおっこ

おっこは春の屋旅館に来てから、がむしゃらに頑張る。そして子供なのに甘える様子をみせない。若おかみとして、常に明るく努め、暗い表情を決して見せない。

それは、おっこの本来の性格でもあるのでしょうが、後になってみれば、両親の死を考えないために、自らを忙しさの中に身を置いていたのかもしれない、とも思えます。

おっこの心の友達

そうした忙しい日々の息抜きになっていたのが、ウリ坊や美陽や鈴鬼との交流。彼らは、学校の友達よりも踏み込んだ関係を作っていたし、何より遠慮が無い。おっこにとっては友達というより兄弟みたいな身近な存在だったのかもしれません。

トラウマから逃げたおっこ

木瀬一家が宿泊した日、文太がおっことの会話の中で交通事故の話をし始め、あの日あの時の、交通事故現場の瞬間の記憶が鮮明に蘇り、悲壮の渦にのまれ、パニックに陥ったおっこ。

この時、おっこの両親の幽霊(?)が現れて、そばに居られなくてごめん、おっこが生きていて嬉しい、おっこは一人じゃない、若おかみになるのが楽しみ、と言います。これは幽霊の両親からのお別れあいさつ。でも、おっこはパニックになっていて両親の死を受け入れられない。

そこに居るウリ坊や美陽も見えなくなって、心の支えが無くなってしまう喪失感と寂しさ。

「一人にしないで」「帰りたい」の叫びは、あの事故が起きる前の、家族で過ごす幸せだった日々への未練。

おっこの悲しみを受け止めたグローリー

パニックに陥り、外に出たおっこの悲しみを抱擁で受け止めたのは、胸騒ぎがして東京から駆け付けたグローリーでした。

パニックから一段落し、おっこはクルマの中で両親の事、ウリ坊たちの事、全てをグローリーに打ち明けます。

幽霊話を真剣に聞き、受け止め、おっこの心の傷を察するグローリーが良いです。グローリーもおっこは一人じゃない、と言います。落ち着いてきたおっこには、ようやくその意味が分かってくる。

若おかみとして振舞ったおっこ

少なくともおっこには、女将さん(おばあさん)が居る。仕事仲間の中居さんや板前さんも居る。学校の友達も居ます。そして、春の屋旅館で接客してきたお客様たちの縁があります。

過去は良いものだった。その過去を失う事は悲しい事。でも、過去の悲しみに閉じこもる事は出来ない。それは母親を失った過去のあかねの姿。それは恋人と別れた過去のグローリーの姿。彼らを癒し励まし回復させたのは、他でもないおっこでした。

そして、秋好旅館に移動しようとする木瀬一家に春の屋旅館に泊まっていってください、と言います。

しかし、文太は自分が辛いから春の屋旅館には泊まれない、と言います。文太の気持ちはよく分かる。自分も交通事故の被害者とは言え、両親を死に追いやった若おかみの宿に泊まれない、という感情はそうでしょう。

おっこが無理やり文太を引き留める事の是非はあるかも知れません。そっとしておく事が一番という事もある。

でも、おっこが、文太を許し受け入れる事で、文太が苦しんでいる罪の意識を解放して癒す、という行動を取った。それは、花の湯の神様の意思ともとれる、誰でも癒すというスタンス。

文太は春の屋旅館に留まったので、おっこの気持ちは通じたのでしょう。

花の湯温泉について

テーマはあらゆる人に対する治癒、回復

花の湯は、もともと動物が怪我を温泉で治療していたところを目撃して人間も真似するようになったのが始まり。すなわち花の湯温泉に来るお客様は何らかの病気や怪我を抱えた状態で訪れ、その病気や怪我を改善して日常に帰る。

これは、劇中に真月がレストランの語源に触れた時にも、お客様を回復させるニュアンスを言っていました。

繰り返して提示されるテーマです。

春の湯旅館に来た客は、あかねも、グローリーも、文太も心は傷付いていた。おっこや春の屋旅館のスタッフはそうしたお客様をもてなし、心の傷を治癒してゆく。そして元気になって、お帰りになってもらう。

そして、若おかみであるおっこ自身も両親を失った交通事故に対してトラウマを持っていて、そのおっこ自身の心の傷も治癒する。

「花の湯温泉のお湯は誰も拒まない。すべてを受け入れて癒してくれる」

という決め台詞。観終わってみるとこの作品そのものが、花の湯温泉じゃないか?と思いました。

神楽の意味

高坂監督はインタビューで、昔、村の子供を殺めたオオカミを猟師が追いかけた、花の湯につかり傷付いた体を癒すオオカミの姿をみて、猟師はオオカミを仕留められず、自らも湯につかって治療した、と神楽の詳細について語っています。

つまり、花の湯は、体の傷も、憎しみ憎しまれた心の傷も、セットで治す、というエピソードに思います。

そして、これは、おっこと木瀬文太の関係にも当てはまる。

ちなみに、神楽は二人で舞います。一人は獣で、一人は猟師。おっこは獣の方を演じましたが、この事はおっこの心の傷を神様の湯で癒す事に他なりません。神楽を舞う事で、おっこの心を回復を促進する。

夏ごろから、おっこは神楽の練習をし始めますが、ちょうどそのころから、ウリ坊や美陽の姿が見えにくくなります。これは、神楽自体が、心の傷の治療効果があるのではないかと想像しています。

おっこは、その心の傷を癒すため、花の湯に訪れるべき存在だったのだと思うと、この物語の巧みさに驚きます。

四季を通してのゲスト達の出会いの意味

春、あかねとの出会い(現在のおっこ)

先月、母親を亡くし調子を悪くしたあかね。あかねにはまだ父親が居て、その意味で父親へに甘えをぶつける事が出来る。

これに対して、おっこは周囲の人が心配するから、しっかりしなけりゃと頑張ると言い放っている。あかねの方は、何でも頑張ればいいと言うのは嫌いだと言う。正反対の二人。

この時のおっこというのは、甘えるという事が出来ない状況であると自ら考えています。その事が、その後の物語に直接関わってくるというところは、巧みな伏線。

あかねが落ち込んでいる姿をみて、おっこは胸が締め付けられ、なんとかしたいと思います。ケーキを買う事が出来なかったおっこは、露天風呂プリンを完成させ、あかねに食べてもらい、美味しかったと言ってもらいました。

おっこにとって、お客様ごとにおもてなしがあり、そしておもてなしによりお客様が笑顔になる事の喜びを知った。そういう意味があったと思います。

夏、グローリーとの出会い(未来のおっこ)

グローリーは最初、占い師の衣装で仮面を被っていました。次にラフな下着のような姿で露天風呂の辺りでシャンパンを飲む。すっぴんのグローリーさんがなかなか良いです。

ここで、おっこに浴衣を着せてもらうのですが、その後、簡易ファッションショーに。おっこも調子に乗ってモデルの真似をします。ここでは二人の底抜けな笑顔。

次のシーンでは露天風呂にどっぷり浸かったグローリーが冷たいイチジクのジュースを飲んで満足し、おっこの祖母と両親について覗いてしまうシーンが来ます。

それまで、おっこを只の明るい子供として見ていたグローリーがおっこの両親の死を察して反応が変わります。

多分、この時、おっこの抑圧された気持ちを見抜いていたのだと思います。だから、ストレス発散のために、おっこを買い物に付き合わせた。

途中、対向車のトラックを見て、おっこが過呼吸になるトラブルはありましたが、オープンカーで幌を下ろして海岸線の道路をドライブし、色んな服を試着して全て買い、何か困った事があったら連絡してと名刺を渡す。

監督のインタビューにあった、グローリーが未来のおっこということは、逆に言えば、おっこは過去のグローリーかも知れません。グローリーがおっこに思い入れる理由というのは、案外そういう事かも、と妄想しています。

晩秋、文太との出会い(過去のおっこ)

おっこが両親の死を直視せざる負えない相手がお客様。なかなか凄い運命です。鈴鬼の客引きが強烈過ぎる。

皮肉にも、木瀬一家は交通事故にあう前の関一家を連想させます。そこがまたキツイ。

木瀬一家の中で最初に登場するのは、息子の翔太です。翔太はトカゲを石で潰そうとしていた。その殺生を美陽が食い止める。おっこも可哀そうとトカゲを助ける。木瀬一家の登場は、こうした殺生の不安と共に訪れました。

実際の文太とおっこの傷の癒しの話は、前述のトラウマ克服のところで書きました。

それにしても、とにもかくにも、山寺宏一さんの芝居が染みる、絶妙なキャラでした。

その他のキャラクター

ウリ坊

エンディングのストーリーボードで、おっこの母親が妊娠してお腹をおおきくしているのを観ているウリ坊というシーンがあるのですが、この時の心境はどんなものだったでしょう。

峰子が結婚して、おっこの母親を生んで、人の人生を見守ってきたウリ坊。

でも、物語の最期には成仏して、この世から消えました。峰子が最後まで心配していた旅館の跡取りがおっこに決まり安心してからなのか?関わっていたおっこが治癒してきて役割が終わってきたからか?

まぁ、交通事故で助けたおっこと友達になって、跡取りを無理強いする事になるとは、その時は思っていなかったと思いますが。

最後の神楽は四人で舞うのですが、ウリ坊と美陽が成仏して消える時にいろんな花をウリ坊が舞い散らせます。これは、おっこと出会った春に、峰子と遊んだ場所を見せた時に散らせていた花と同じです。

美陽

美陽が春の屋旅館に居ついた理由は、いつも誰も構ってくれなくてつまらないから。基本的にいたずらっ子で遊びたい盛り。

やっぱり、美陽のシーンでは、翔太が潰そうとしていたトカゲを守ろうとしていた所がぐっときます。自分が死んでしまっているから、命は粗末にできない。

おっこが真月の知恵を借りるために秋好旅館に向かう途中、おっこから見えなくなっているのにおっこを秋好旅館に案内するシーンが良いです。見えなくなってたので声だけの誘導になりましたが必死だったのだと思います。

図書室?でおっこが真月に頼みごとをしたときに、一瞬照明を消したのは、美陽の苛立ちだったのだと思います。この時は、完全におっこの味方。

美陽も成仏する最後の日に、幽霊を信じないと言っていた妹の真月が、姉の応援の声を聞いたことがある言ってくれました。自分の存在を信じてくれていた事を知り、嬉しかったに違いありません。美陽の成仏には真月のこの台詞が必要だったのかもしれません。

鈴鬼

子鬼なんだけど、なんか渋い。

おっこがウリ坊と美陽を見えなくなった事と、成仏の事を知っていたのはどういう背景・役割だったのかは、分からなかったので、もう少し知りたいと思いました。

劇場で、鈴鬼の登場シーンで何故か子供にウケていたのが印象的でした。

おっこの両親

当初、おっこの夢の中の存在だと思っていました。

しかし、文太の話を聞いて動揺するおっこの目の前に両親が現れ、一人じゃない、立派な若女将になってほしい、と言ったところから考えると、はやり両親の意思をもった幽霊だったのかな、と思います。

受け止められないおっこのために、おっこを見守っていた、のだと思いました。

真月

おっこと正反対のキャラ。

全体を見るマネージャー・経営者タイプの真月。個々のお客様を見るおっこ。

プライドで動く真月。根性で動くおっこ。

真月とおっこは得意が違うので、お互いに協力し合えば最強コンビになると思う。

おわりに

私は、現代によみがえる東映マンガ映画だと感じました。

こうした良質な映画の配給会社が意外にも洋画が得意なギャガ★というのも時代の変化なのかも知れません。

こういう作品は久々であり、今後もちょくちょく見たい、と思わせる作品でした。