はじめに
2021年春期アニメ総括です。今回、最終回まで見た作品は下記。
今期は意外と、視聴本数は少なかった様に思います。やっぱり、これくらいの視聴本数が適度なのかもしれません。
感想・考察
やくならマグカップも
- rating ★★★★★
- pros
- 陶芸を題材にしつつ朝ドラテイストでシンプルまとめた文芸の上手さ
- cons
- 中部ローカルネタでその他地方民への置いてけぼり感
岐阜県多治見市の町おこしのフリーコミックが原作。前半15分がアニメ、後半15分がキャストによるご当地案内という例外的な構成。アニメ内にもご当地要素が満載なのだが、逆にノイズに感じないのは、物語が持つ素性の良さだと思う。商用エンタメ原作ではないことが、逆にのびのびとした文芸を造れるとしたら、皮肉だと思う。
主人公は東京から多治見に引っ越してきたばかりの高校1年生の姫乃。高校の陶芸部に入り、陶芸に打ち込む姿を朝ドラテイストで描く青春コメディドラマ。同じ部活に陶芸の英才教育の十子先輩、ひたすら明るい天才肌の三華、そして陶芸部ではないのにいつも一緒な隣人の直子。彼女たちのともに、秋の美濃焼コンテストに向けて作品を制作してゆく過程が描かれる。
東農地方は陶器の全国有数の生産地であり、多治見では陶芸はなじみ深い題材である。そして、陶芸は、創作であり、芸術品であり、実用品であり、その魅力の切り口の多さに触れつつ、ドラマに落とし込んでいる点が上手い。例えば、姫乃はコンテスト向けに作品造りに悩んでおり、自由であるがゆえの創作の苦しみを味わっている。十子先輩は基本的に実用品作りを好み、三華は楽しさを表現する事に注力しておりどちらかと言えば芸術寄りである。母親は芸術品も実用品もいかんなく才能を発揮していたが、姫乃は実用品寄りである。姫乃は最愛の父親に贈った不格好な茶碗の反応で、母親の作品や十子先輩の作品よりも劣っていたと感じ、父親を無条件に笑顔にする作品造りを目指すという、無意識のリベンジを誓う。作品でもてなす客が、不特定多数だったり特定の個人だったり、何があれば笑顔になるのか?という哲学にも似た奥深さを垣間見せてくれたと思う。
さて、姫乃の陶芸家としての実力だが、今は亡き天才的な陶芸家だった母親の才能を遺伝的に受け継ぎ、次々に周囲を驚かす名作を生み出す、という事は全くない。あくまで、平凡な女子高生が、陶芸作品を作ってゆくという初心者目線で物語は進む。途中、何が造りたいか自分でも分からないとか、無意識リベンジとか、母親の偉大な業績のプレッシャーから逃げたりとか、果報は寝て待てとか、釉薬選びは直感でいいとか、作品(=自分)が急に他人より見劣りして見え始めるとか、賞(=他人の評価)が欲しくなるとか、素人の創作活動あるある、で溢れている。その中で、姫乃自身が笑顔を忘れたり、仲間と笑顔を取り戻したりというドラマがあり、心地よく朝ドラテイストを味わうことが出来た。
本作の物語のオチも秀逸である。4話で、父親を喜ばせたいという呪いにもにた想いは、実際に創作物を作り、いろいろな行程を経て、コンテストに出品し、参加賞しか貰えず身の程を知ったという状況で、作品である陶器の座布団に父親が勝手に座って割ってしまう姿を見て、怒るでもなくうれし泣きする姫乃。無意識リベンジを達成できた喜びであるが、作品を壊された事よりも、その事実が欲しかったものであり勲章であるという事。笑いと涙を同時に表現した文芸面は見事であり、かなりの手練れに感じた。
考察的な部分ではあるが、父一人、娘一人の家族であり父親の愛情を一心に受けて育った姫乃は、4話で父親にプレゼントした自作の茶碗が、最高の茶碗ではなかった事にある種のヤキモチを焼いたのでは無いかと思う。母親の茶碗は仕方ないにしろ、十子先輩の茶碗の出来栄えが上だった事を認めざるおえない時、自分が父親にとって一番ではない瞬間を味わってしまった。もっと極端に言えば、父親の浮気を感じてしまったから、ここまで呪いの様にリベンジに拘ってしまったのではないかと想像している。勿論、父親は姫乃からプレゼントされた不格好な茶碗が嬉しくないわけない。そうした、ちょっとした姫乃の影の部分もある事が本作の味わになっている。
こうしたシンプルだけど味わいがあり、言語化するのが難しい感情は、最近のアニメではあまり味わえていない気がしている。アニメの製作委員会や、商用マンガやラノベの編集の売れるためのセオリーや、そうしたモノから一番遠い所にある作品のように感じる。地元宣伝を最優先に掲げながら、文芸面では自由というのが、皮肉でもあり、重要な事の様な気がする。
ここまで、ポジ意見ばかりだったが、最後にネガ意見をいくつか。
本作は、懐かし過ぎる中部ローカルネタで中部地方民以外を置いてけぼりにしたり、1話まるまる夢オチ回があったり、お遊びが過ぎる所もあったと思う(私はお隣愛知県出身の古のおタクなので、ネタにはついて行けたが)。
また、天才肌の三華の騒がしさが、ちょっと騒がしかった。本編内でも、仲の良い十子先輩と三華が、それが原因で喧嘩になるエピソードがあるのだが、スタッフとしては意図的にやっている部分であろう。
こうしたネガ意見も、全体のコメディ色と、文芸面の良さで許せてしまう、という作風だった。
実際に、あまりにも綺麗に1期が終わったので、2期やるの? と驚いてしまった。十子先輩と祖父の関係や、姫菜、刻四郎、草野の高校時代の三角関係や、姫乃に拘り続ける直子の秘密など、ネタはまだまだありそうなので、2期を緩く楽しみにしている。
オッド・タクシー
- rating ★★★★★
- pros
- ミステリーサスペンスな超高密度シリーズ構成
- プレスコによる独特の間を持つ絵画劇
- cons
- 特に無し
本作を一言で言えば、絵本のような動物デザインのキャラが、コントの様な会話劇で、高圧縮されたサスペンスミステリーを展開する作品。無数の伏線をばら撒き、終盤加速しながら最終回に向けて伏線回収してゆく流れに圧倒される。しかも、ラストは危機が迫るところで終わるという、なかなかのビターな展開に痺れる。
本作の特徴の一つとして、癖の強い各キャラの喋りによる会話劇がある。ボソボソと喋る主役のオッサンの花江夏樹。役同様にお笑い芸人やラッパー。芸人も多数起用。淡々としていながらも、コントの様にツッコみの入る会話に思わず微笑う。また、精神異常者の田中や、負けず嫌いすぎて生きにくくなっている二階堂なども、大量のモノローグを淡々と語らせる役どころには、実力派声優を起用しており、なかなかソツがない。また、本作は全編プレスコなので、演者のタイミングで喋りが進むというメリットが生きている。
喋りのコテコテさに比べて、絵作りはあっさり目。動画枚数を使って見せるというシーンは無い。作画カロリーは低めなのではないかと思うし、作風に合っている。
一見、演出も目立つところは少ないように感じるが、分かりにくい部分が無いのは美点だと思う。終盤の現金強奪作成の段取りなんかも、事前に視聴者に分かりやすく説明しているし、各シーンの見せ場なども適切に盛られており、映像を見ていてダレる部分が全くなかったので、総じて演出力、構成力は高かったのだと思う。
そして本作の最大の魅力は、此元和津也による超高密度なシリーズ構成・脚本。サスペンスミステリー+笑いの本作の脚本を作ったところ、全20話分くらいのボリュームになり、それを全13話に圧縮。削った部分の一部をYouTubeのオーディオドラマにしたとの事だが、こちらも通して聴いて盛り上がるような作りになっており、食材を無駄にしない。
シリーズ構成はミステリーとして破綻が無く、伏線がキッチリ回収されて行く快感があった。1話を観た時点で、その作風に絶対の安定感を感じた。しかも、それがロジカルなだけでなく、クセのあるキャラたちの感情もロジックに絡ませている点が上手い。誰もがどこか少し狂っていて、誰もが悲哀を持っている。そうした人間ドラマの感情面と、ミステリーのロジック面の掛け合わせが非常に巧に調理されている点が見事。
こうした作風なので、本作を観ているときは、パズルのピースがハマる時に微妙な興奮を覚えながら、ロジックを脳みそで楽しんでいた。エモさが爆発する事はなく、淡々と冷静に楽しんでいた。これは、唯一無二の視聴感覚だったと思う。
スーパーカブ
- rating ★★★★☆
- pros
- 台詞や劇伴の曲調に頼り過ぎない、リアリティ重視の挑戦的な映像
- 人間嫌いなJK小熊をハードボイルド主人公に仕立てた作風の新しさ
- 見ていてバイクに乗りたくなる
- cons
- イベント優先し過ぎで、キャラの心情に追従できない強引な展開
結論から言うと、個人的に文芸面にかなり不満が残る作品だった。その事を、順を追って説明する。
本作の最大の特徴は、台詞などの説明を極力排し、カメラが切り取った映像でキャラの心情を描くという挑戦的なディレクションにあったと思う。一般的なアニメ作品では、台詞はキャラの心情を的確に表現する事が多い。それにより、絵で描いた情報をより強固にしたり、絵で描けてない情報を補足したりする。しかし、実際の日常生活において、人間はそれほど的確で端的な会話をしていない。さらに、主人公の小熊は一人暮らしであること、基本的に人間嫌いで学校でも友達がほぼいない事から、小熊に説明的な台詞というのは逆に不自然になると考えられる。その事を強く意識した結果のディレクションなのだと思う。
本作のもう一つの主役は、原付のスーパーカブである。スーパーカブは、非常に信頼できるメカとして描かれる。主人公の小熊は人間嫌いであるが、それゆえに機械を信用する。小熊の中では、ある意味スーパーカブはヒーローとして神格化していると言っても過言ではない。本田技研工業の監修も入る公式お墨付き作品である。だから、スーパーカブを噓をつかずに描く事のプライオリティは高いし、リアリティを重視する。
例えば、深夜のコンビニでガス欠となり、いくらキックしてもエンジンがかからずに焦る小熊のシーンがある。キックすると、一瞬リアのランプが点灯するシーンには感心した。エンジン音、走行音は、本物そのもの。劇中に登場する取扱説明書までも忠実に再現される。そうした、バイクの細かな描写は大真面目に作り込まれる。
こうしたメカのリアリティに対して、ドラマも写実的になり、あたかも日常をカメラが切り取ったようなドキュメンタリータッチの映像になる。
主な登場人物は3名。ハードボイルド主人公な小熊、気のいい相棒の礼子、か弱いヒロインの椎。同じクラスのJK2年生である。
1話は、団地に一人暮らしの小熊は人間嫌いで他人との関りを持たず虚無的な生活を送っていた。しかし、ふとしたキッカケで手に入れたスーパーカブにより、エモーショナルな刺激を受け、少しづつ生きる輝きを持てるようになる。小熊にとってスーパーカブは、日常を楽しくするモノであり、行動力を拡張するモノである。最初は素うどんの状態だったスーパーカブだが、最終的には全部盛りの状態まで装備品が追加されて行く。箱や籠、レインスーツ、防寒用具としてハンドグローブ、ウィンドシールド、防寒着。また、小熊は自分でオイル交換したり、愛車の整備も怠らない。これは、スーパーカブがモノであり、手間をかけたらかけただけリターンがあると信じられるからできる事。面倒なモノは信用できる。
こんな小熊に礼子という仲間ができる。友達ではない点がミソである。礼子もまた郵政カブに乗るカブ信者であり、趣味仲間としての繋がりである。礼子は小熊に有益な情報とパーツを提供する。この件で礼子は損得度外視で趣味仲間のために動く。2人はカブの話以外はしない。バイクと言う共通の価値観で繋がる気楽な人間関係である。
2話3話は、小熊にとって他人であった礼子が、はじめての仲間になるまでの行程を描く。はじめから意気投合ではない。駐輪場でカブのシートに座りながら食べる弁当。最初は教室では素っ気なかった。礼子の大らかな性格が小熊に趣味を通じた社交性を持たせて行く。どこにだって行ける、という夢を共有しあう。
5話は、礼子の冒険者としての片鱗を垣間見せる回であった。夏休みに郵政カブで富士山登頂を目指す礼子。前例はないわけではないが、無謀。礼子は人間的にもメカ的にも、現状のスペックで目の前のハードル越えを挑戦する。ハードルを越える事が目的ではなく、礼子がカブに乗り限界を目指す事に意義がある。淡々と転倒を繰り返し、礼子もカブもボロボロになりながら、昨年よりも高い富士山中腹まで登りつめて限界を更新した礼子。この後、礼子は壊れた郵政カブから、ハンターカブに乗り換える。
そして、7話以降、後半に登場するヒロインが椎である。椎の家は裕福である。父親は道楽でドイツパンを焼いて商売しており、店は無国籍で雑多な海外製品に溢れている。父親が独英、母親が米、椎は伊という家族でも趣向がバラバラ。中でも、椎は最近自我が芽生えてきて、父親の押しつけではなく、自らのカラーとしてイタリアを積極的に選ぶ、という状況である。そして、椎の自転車はアレックスモールトンのAM-20。父親が椎にあてがった高級自転車である。
最初は、文化祭で椎が使う機材を校内に搬入する作業を小熊と礼子が手伝う所から、交流が始まる。その時に、椎は小熊とスーパーカブを頼りがいのあるヒーローとして認識する。さながら命の恩人のような扱いで。それ以来、椎は小熊と礼子に珈琲を差入れたり、父親の店でコーヒーを奢ったりする。
11話は、椎が冬の夜、無舗装の山道をモールトンで走行中に転倒し川に落下。携帯電話で小熊に連絡が入り、小熊が椎を救出して小熊のアパートでお風呂に入れさせ、礼子が壊れたモールトンを回収し、3人でカレーうどんを食べて一泊してゆくという流れ。この時に、椎は辛さから、小熊に「冬を消して」とすがるが、どうする事もできない小熊。しかし、春休みのタイミングで、3人とカブ2台で、冬から逃げて春を掴むために、山梨県いち早く桜咲く九州最南端の佐多岬まで、超ロングツーリングを敢行する。その後、水色のリトルカブを購入する椎。完。
物語的には、小熊の父親は離婚、母親も行方不明、一人暮らしをしてきた小熊は人間不信となっていた。そんな中で運命的な出会いをしたスーパーカブが、小熊の人生の輝きに灯をともした。そしてラストは、人間嫌いでモノと仲間しか信用しない小熊が、人懐っこい椎に触れ合い、他人に「何か」を与える事が出来た、という明るめの希望を示唆して終わる。
ここまでが、本作の好意的な解釈である。ここから先は、私が本作に抱く不満を記載する。
本作は、JKに似つかわしくない主人公小熊のハードボイルドな性格付けが最大の特徴である。人間不信ゆえに、信用できる仲間と、信頼性の高いメカだけを受け入れる。他人との関りは最低限。ときおり、美味いコーヒーを飲んで幸せに浸る。まあ、これは原作小説の読者層や、深夜アニメの視聴者層のターゲットを絞った戦略として、アリはアリだろう。
そして、小熊と対称的な存在として、ヒロイン椎が存在する。椎はか弱く、困難な障害があるときに、頼りがいのあるヒーローに救いを求める、というハードボイルド小説の構図である。しかしながら、こう言ってはなんだが、椎が小熊にすがる気持ちが全く分からない。機材を運搬してくれた恩はあるが、何故そこまで小熊に熱を入れるのか?
11話の大切なモールトンが破損したという状況から、椎の「冬を消して、春を連れて来て」の台詞がきて、最終的に小熊は「このままでは、3人とも冬に殺される」としてロングツーリング敢行するという流れ。これは、ハードボイルド小説によくあった、秘密を知ってしまったために当局の暗殺者からつけ狙われ、生き延びるための逃避行をやりたいだけ、なのではないかと思う。しかし、椎は生きて行けないほどの辛さを味わっているわけではなく、明日から前向きに体調を整えて店を好きに改造してゆくことに障害は無い。敢えて「春を連れてく」と泣きつくような障害でもないし、小熊に頼る事でも無い。小熊も小熊で調子に乗って「冬に殺される」とポエムじみた台詞を言う。
つまり、逃避行と言うイベントをやりたいがために、椎にも小熊にも強引な振舞いを強いているとしか思えないところに、個人的にかなり違和感を抱いている。キャラを尊重して考えた場合、そうはならんだろう、という行動であり極端すぎる。もちろん、シチュエーションを楽しむためのちょっとしたご都合展開と割り切れる人も居るだろう。しかし、私はキャラの行動原理を逸脱してしまうと、その作品を楽しめない性分なのである。
また、そうしてみた時に、椎は何故、冬の夜道をわざわざ危険な猫道をモールトンで走ったのか?再起不能となったモールトンは何故もっとタイヤとかひん曲がっていないのか?片道1500kmのロングツーリングの下道移動の苦行に耐えられるのか?とか、一部でリアリティを追求している割に、随分と雑な展開が気になってきたりもする。
いくつもアニメーションとして美点がありながら、私的にはこうした巨大な欠点があったために、どうしても最後までノリきれない部分が残る作品であった。
ゾンビランドサガR
- rating ★★★☆☆
- pros
- cons
- 逆に、主語を佐賀県民に変えた事で、熱さが薄まったように感じてしまった点
2019年秋期の1期から2年半、満を持しての2期であるが、個人的には1期ほど熱くなれなかったというのが正直な感想である。
1話で「Revenge」の映像を観たときに、あぁ、これぞフランシュシュと1期の積み上げがあるからこそのクオリティを感じた。特に1話ではフランシュシュに時間制限がある事が幸太郎により強調されていた。映像的にも、ぶっ飛んだ展開にしても、そこは1期の実績があるので、安心して観れると直感した。
前半は、2話サキ、3話4話純子愛、5話リリィときて、ここまでは1期の焼き直しであろう。6話のたえの強運回は、幸太郎の借金2千万円をチャラにするという展開でフランシュシュのイケイケを表現する。
7話は、舞々の超変化球回。舞々はフランシュシュに憧れてはいるが、ゾンビの覚悟を持てないから、フランシュシュ7号になり即卒業という超展開で度肝を抜いた。おそらく、舞々は藤子駒子とともに令和のアイドルになり、フランシュシュと対決するのではないか? と邪推していたが、そういう展開は無かった。
8話9話は、待望のゆうぎり回。明治に一度亡くなった佐賀の数奇な運命とともに描かれる、ゆうぎり、喜一、伊東の3人の若者の壮絶なドラマ。
11話は、集中豪雨災害により孤立する佐賀県民を、避難所で歌って元気づけるフランシュシュを描く。佐賀県民にとってもフランシュシュは、ゾンビだとしても、それをはねのける佐賀県のアイドルとしての信頼関係が描かれる。
12話は、災害復興中でインフラも麻痺していた佐賀で、無謀にも駅スタライブを決行し、佐賀県民、県外のファンが集い満席状態でフランシュシュのコンサートを成功させる。フランシュシュの不屈の魂が会場のみんなに伝搬し成功を収めた形である。
1期では、持っていないさくらが、幸太郎やフランシュシュに支えられて、何度でも立ち上がりやり直す事が力強く描かれた。2期では、持っていないのがさくらから佐賀県に主語が変わり、佐賀の自尊心を守る為、リベンジをする!という意識を、災害復興の佐賀県民と重ねて描いた。さくらとフランシュシュは、リベンジの象徴である。
ただ、これは1期と違い、2期の佐賀県民のリベンジの燃料というのが直感的に分かりにくく、どうしてもコンサートが成功したカタルシスを感じにくかった。不幸を背負っている佐賀という事を意識づけるためのゆうばりの8話9話であり、その後、リベンジの意味が変わるのだが、それにしても、主観が佐賀県民に移った事で、その情熱の濃度が薄まってしまった、という印象である。
同時に、幸太郎の余命の短さから、フランシュシュの幸太郎離れを予感させるシーンが随所に観られた。幸太郎がその場に居ない事で、フランシュシュも薄っすらゾンビメイク顔で描かれる事が多多かった。これは、幸太郎が居なくなるフラグなのだが、2期ではそこまでは触れられなかった。
最後の最後で、謎のUFO襲撃なので、3期やる気なのか? と勘ぐってしまうが、実際に幸太郎や舞々など今後の布石に思えるネタも散見されるので、可能性はありそうに思う。個人的には1期や、スタッフが多く重なる「体操ザムライ」のシリーズ構成の出来の良さを考えると、もう一声、何か感動が欲しかった、というのが率直な感想である。
ゴジラSP
- rating ★★☆☆☆
- pros
- 仮想科学的なSF要素で、おぉ!となるところ
- 人間ドラマを極力排した、ドライな展開の新しさ
- cons
本作は、円城塔をシリーズ構成・脚本に置き、ゴジラをTVシリーズでやるという難題に挑戦した意欲作であると思う。仮想科学的なSF要素を前面に押し出すところで、おぉ、と思う所はあったが、終わってみると、狐につままれたような決着で、全くカタルシスを感じなかった。
はじめに断っておくと、私は怪獣プロレスや、特撮オマージュネタとかに興味は無い。だから、そうした要素が多数出て来ても、個人的にはプラス査定にはならない(とは言え、マイナス査定にもしていないつもり)。
本作には、X-Fileの未知なる現象による事件がモルダーの知識や経験則で解明されたり、平成ガメラの様な怪獣が古代文明のガーディアンや破壊兵器だったりして謎解きされて行く過程で、おぉ!となる事を無意識に期待していたのかも知れない。
だから、MD5の「解けば分かる」が現実的に不可逆である事を説明するくだりが今風だなとか、紅塵が時間を超えて出力する事で計算能力を常識を超えて飛躍的に向上させるくだりに、おぉ!とかは感じた。
しかし、その先に、紅塵が大量に発生し、未来が不確定になり、世界の破滅が来る事に対して、ジェットジャガーを最強にするプロトコルを発動し破滅を防いだくだり。絵的にはジェットジャガーが巨大化して、青いツララで紅塵の象徴であるゴジラを機能停止させた。という流れに、んん?となってしまった。
過去からの置石を使って未来で救われるのであれば、一所懸命に破滅を防ごうと頑張っていたメイもユンも、ただ空騒ぎしていたという皮肉なのだと解釈した。でも、どうやって紅塵を一瞬にして消滅させたかのロジックや、特異点以降の未来予知が出来なかった理由は、私には分からなかった。いつもなら、SNSなどで考察を掘ることろだが、あまりにも不意打ち過ぎて、それすらする元気が起きなかったというのが正直な所。何回か見直せば、いろいろ紐解ける事もあるかもしれないが…。
ネガ意見ばかり、つらつら書いてしまったが、最後に本作に感じた事をいくつか。
本作は、人間ドラマを極力削り、感情や情動が事件を解決する事が無い、という世界を淡々と描いていた。その意味で、「シン・ゴジラ」とも違う。シンゴジは物語はシンプルだが、人間が持つ葛藤は随所に描かれていたし、人間が背負っているモノを描いていた。本作はそこを抜いて描いていた点が新しい。例えて言えば、作品全体が、スタートレックのスポックのような雰囲気である。敢えて、カタルシスを描かない、という姿勢が非常にクールに感じた。
主人公のメイとユンの2人の男女の描き方も面白かった。彼らは直接面会する事無く、今回の事件を深掘りできる仲間として、チャットを通じて情報交換しながら、互いに有益な情報を提供し合い、話を転がしてゆく。そこに、恋愛感情も同情も一切存在しない。先の話に通じるが、この辺りも非常にクール。
総じて、今までのエンタメの定石に捕らわれない作品造りが、本作が輝いていた点だと思う。
おわりに
今期は、シリーズ構成がクセのあるモノばかり試聴していたような気がします。
オッドタクシーは超過密サスペンスミステリーだったし、ゾンビランドサガRは各話の振れ幅が滅茶苦茶大きかったし、ゴジラSPは、物語やドラマなどで語れない不思議な手触りの作品でした。
そんな中で、スーパーカブは、女子高生でハードボイルド小説的な文法を用いた点が新しくもあり、従来のキャラクターの心情に追従するのが難しい作風で、私をかなり困惑させました。
また、やくならマグカップもは、ご当地宣伝アニメでありながら、意外にも文芸面で気持ち観られてという点で、ゆるく楽しく視聴できました。
今まで、アニメっぽいシリーズ構成に慣れ過ぎていたのかも知れない。来期もかげきしょうじょ!!やNIGHT HEAD 2014など、ドラマ畑のシリーズ構成作品も気になる様になってきており、観るのは疲れるけども、丁度面白い時期なのかも知れない、などと思いました。