たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

岬のマヨイガ

ネタバレ全開につき閲覧ご注意ください。 f:id:itoutsukushi:20210905082154p:plain

はじめに

劇場版アニメ「岬のマヨイガ」の感想・考察です。

のんのんびより川面真也監督、吉田玲子脚本コンビなので、癒し効果のある良作の期待を持って挑みましたが、期待通りの出来でした。

本作は、3.11震災映画でもありますが、個人的には良質のヒューマンドラマの印象が強く残りました。

バックボーン

フジテレビの「ずっとおうえんプロジェクト2011+10・・・」という被災地支援の企画の一環として制作されている。この被災地支援は長期的なビジョンがあり、被災10年目の今年の企画は、ひらたく言えば、被災地をアニメ化し、聖地巡礼を即して応援するというモノである。

文化庁文化芸術振興費補助金も受けており、真面目な優等生な作品的を連想させる。

ちなみに、原作小説の著者は、岩手県出身、盛岡市在住の児童文学作家の柏葉幸子先生。本作は東日本大震災をテーマにした先生の40周年記念作品である。

インタビューで川面監督は、2017年頃からコツコツ作ってきたとの事。のんのんびよりの劇場版が2018年8月公開、3期が2021年1月放送開始と考えると、がっつり並行して制作していた事になると思う。

感想・考察

作画・背景

本作は地域伝承の昔話の要素をふんだんに取り入れている。”ふしぎっと”と呼ばれる優しい妖怪たちである。

その舞台となる岩手の自然の背景美術の美しさ。のんのんびよりでも田舎の風景描写に定評はあったが、今回もその実力を遺憾なく発揮している。

キャラクターデザインはややリアル寄りにデザインされていて、キャラの身長差、中高年の表情、猫などの動物などデフォルメに逃げずに描いている。

本作は人間らしい暮らしをキチンと描く必要性からだと思うが、全般的にリアリティのある描写だったと思う。古民家の居心地の良さ、食事の美味しさ、それらが伝わる事が大前提の作品なので、そうした部分はド直球の映像を作り込んでくる。

妖怪たちのファンタジー要素もリアル寄り。特に河童のデザインは怖さ込みのリアリティある楽しいモノ。遠野のマヨイガでふしぎっと達が集結しているシーンがあるが、ここはゲゲゲの鬼太郎の世界みたいになっていた。それは、ふしぎっと達は異世界ではなく、紛れもないこの世界、同一ライン上に存在するという演出だと思う。

ただし、キワが語る昔話のシーンは突然「まんが日本昔ばなし」テイストになる。これはリアル世界とのコントラストになっていた。

物語・テーマ

震災とPTSD心的外傷後ストレス障害

東日本大震災は、多くの人命を奪った。

人命はとても大切なモノで、当然のように守られるべきモノで、空気の様に存在していて当たり前というのが平和を生きる人間の感覚である。

しかし、大災害はその思い込みを否定し、宇宙から見たら人命は虫けら同然という事実を突き付けて、被災者に殴りかかる。神の力による圧倒的な暴力と言ってもいい。

震災以外にも、圧倒的な暴力により人間が大量に死ぬ事案が存在する。それは戦争であったり、スペイン風邪のような大規模な感染症だったり。

これにより、人と人との相互依存により生かされてきた人間は、死別により人間関係の接続を一方的に切断され、メンタルを壊され、最終的には発狂してしまう(=人間が人間ではなくなってしまう)。いわゆる、PTSD(心的外傷後ストレス障害)である。

本作は、被災地に残り、弱体化したコミュニティの中で生きる人たちの中で、少し特別な立ち位置のユイ、ひよりの2人の少女を通して、PTSDにならないために、人間らしく生きるために、地域が復興するために、何が大切か?をファンタジー要素をからめて描いていたと思う。

生きる強さは、人間らしく暮すことから(働く食べる寝る→住宅→家族)

まずは、よく働いて、よく食べて、よく寝ること。

昔、ドキュメンタリーTVで、有名なお寺の住職が、人間にはこの3つが大切と語っていた。本作ではキワが、まさにこの通りの事をユイとひよりに体験させ、人間らしさを回復させている。人間は、これらの事ををおろそかにすると集中力を欠き、判断を誤り、いざという時に能力を発揮できない。大変な時だからこそ、体力や精神力が必要になる。もちろん、平常時から心と身体の健康をケアしてゆくことが重要なのは昔から不変であるが、震災時という異常事態だからこそ、この事が重要になる。

次に、住宅。

先の3つを大切にするためにも、住宅は非常に重要である。本作に登場する”マヨイガ”は、住人に至れり尽くせりだったが、人間が気持ち良く暮らすためには、人間がメンテナンスしてより住みやすい住宅に育てる必要がある。震災時には住宅を失い、プレハブの仮設住宅に暮らす被災者も多かったと思う。住宅が無いのは論外だが、こうした住宅の不自由さが人間にストレスを与える。

そして、最後は家族。

キワはユイやひよりを決して否定せず、肯定する。互いに認められる関係があり、互いに肯定し合う事で、人と人は心の繋がりを持てる。ユイは暴力で父親から否定され、両親と死別したひよりは自分につきまとう不幸に自分を否定していた。2人とも震災前から肯定されない状況があり、震災で身寄りも無くなり宙ぶらりんの状況になった。心配されて声をかけられる事はあっても、2人を肯定してくれる人はなかなか居ない。

口で言うのは簡単だが、実際の被災地の現場で人間らしく暮らす事は、物理的制約により簡単に改善する事は難しい。生きてるだけで必死という状況で、でも決しておろそかに出来ない事だと思う。主演の芦田愛菜さんのインタビュー記事で、”小さな幸せ”につて言及されている。

平時なら空気の様に当たり前過ぎて、気付く事さえ忘れてしまいがちな、これらの事について触れている様に思う。逆説的に言えば、普段からこれらの事を大切に生きたい、という作品のテーマに思う。

人間に優しい”ふしぎっと”(妖怪、お地蔵様)たち

世間一般的には、妖怪は恐ろしい存在だが、本作では、河童や、お地蔵様や、神社の狛犬は、”ふしぎっと”と呼ばれ、人間の味方で共生関係にある。

これは、ふしぎっと達と会話も出来るし通じ合えるキワが居るからこそであり、本作の癒し寄りのファンタジー要素でもある。

少し脱線するが、京極夏彦先生の「遠巷説百物語」のインタビュー記事を読んだ。

記事のタイトルにもある様に、人間が非常事態で追い詰められている状況下では、エンタメとしての妖怪が追い打ちをかけて辛さを増す事は出来ない(超意訳)とあり、本作とも通じていて面白い。

なお、彷徨える”マヨイガ御殿”は遠野にあったが、これは柳田國男先生の「遠野物語」という東北の地域伝承の昔話、民話を集めた本があり、その中のマヨイガを周到したモノである。

意外とあっさりしていた、アガメ退治

アガメは、人間の恐怖や悲しみや不安を食べて巨大化し大きな渦となる魔物。その目的は、その土地から邪魔な人間を追い払うこと。海中の洞窟に封印されていたが、震災で封印が解けて再び地上に現れた。

あれっ、と思ったのはこの設定。普通に考えて魔物なら、人間の負の感情を餌に、更に負の感情を増大し、その影響で周囲の人間も負の感情を抱かせ、エントロピー増大の法則で最終的には誰にも止められなくなるという設定になるのではないかと思う(≒まどマギ魔法少女システム)。しかし、本作では人間を余所の土地に追いやるのみに留めている。

アガメがやろうとしている事は、震災で弱体化した地域コミュニティの更なる弱体化である。このような非情事態だからこそ、互いの協力、助け合いが大切だが、その繋がりを断絶させ、人間をこの土地から追い出す、というロジック。私個人は被災者が事情により移住することを一概に悪い事とは思わない。なので若干の引っ掛かりはあったが、物語的には人間が逃げ出しアガメがその土地に定着したら人間の負けである。

また、アガメは人間の心と表裏一体なので、ふしぎっとたちが手助けはしてくれても、最終的には人間自身(=自分自身)が戦う必要がある。

これに対し、キワも伝説の小刀で対抗するが、それでも抑えきれないくらい強大化したアガメ。最終的にはひよりのお囃子とユイの舞によりアガメを退治する。

ユイとひよりは余所の土地から来た流れ者である。その2人が地域コミュニティの存続の問題に決着を付けた形である。このことで、より被災者のドラマではなく、一般的な自己肯定のドラマにシフトさせていると思う。それは、被災者自身の戦いを直接描くことが、現段階でもまだ辛すぎるということもあるかもしれないし、令和時代の痛すぎるストレスは描かないエンタメ作品として妥当なディレクションだったかもしれない。その意味でも、本作は震災をよりマイルドに扱っていると思う。

SNS等で観測した感想で、せっかくの見せ場、山場をあっさり終わらせすぎ、という意見もあったが、ユイとひよりの家族が与え合う信頼の力で魔物を倒すという物語の構図であり、バトルアクションシーン自体よりも人間ドラマ重視の構成と思えるので、これで良かったと思う。

キャラクター

ユイ

ユイは17歳であり、ショートパンツから覗く健康的な生足が印象的だったが、上半身のラフなパーカーとジャケットのおかげでエロくならない仕上がり。キャピキャピ感は無く、基本的に少し大人っぽさ強めだが、ときおり可愛さが垣間見える、という嫌味の無いライン。

ユイは、弱者であるひよりに対して優しく、何かあったら守ろうとしていたところが良いな、と思って見ていた。当初、警戒心が強くぶっきらぼうに見える面もあったが、根は優しい。

身の上としては、父親の家庭内暴力により母親は離婚。残されたユイは、すぐにキレる父親からの暴力と否定があるのみで、家庭に愛情も逃げ場も無い。「お前のためを思って」という言葉は、他人に思い通りに命令するための枕詞。

だから、序盤の氷水のシーンでこの言葉に反応してコップをテーブルから払い落として割った。実はこれは後のシーンで、父親がユイのパスタをテーブルから凪払う行動と重なっていた事が分かる。しかし、この時のキワの落ち着いた対応で、ユイの怒り感情は静まる。

キワは、ユイに家事を分担させ働いて汗をかかせ、美味しい食事を食べさせ、居心地の良い住宅を提供し、ゆっくり休める寝床を提供した。ユイの事を「真っ直ぐな所が好きさ」と褒めて肯定した。河童は、ユイのカルボナーラを美味しいと褒めてくれた。この人間らしい暮らしの中で、バイト先もはじめ、自分自身を取り戻してゆく。この事で、キワとひよりを大切な家族である、との認識を強めてゆく。

アガメがユイに見せたトラウマは、逃げてきた父親がユイを連れ戻しに来る恐怖である。父親の幻影に連れていかれそうになるユイを助けたのは、「ユイ姉ちゃん」、「大切な家族」と声に出して引き留めてくれたひより。いつも見守っていたひよりから、家族の絆のフィードバックを受ける。

危険を冒してアガメ退治したのも、家族のキワを守りたい一心で出来る事をした、という事だろう。

一昔前のドラマであれば、1つ踏み外せば、人生の奈落の底に転げ落ちてゆくリスクを持ったキャラだったと思う。それを救ったのがキワと出会い、人間らしい暮らしと家族と呼べる大切な人が出来たから、という物語だったと思う。

ちなみに、原作小説でのユイの設定は夫のDV被害から逃げてきた妻だったとの事。この場合、祖母、母、娘の3世代の疑似家族になるので、ユイが母性でひよりを守る流れにもなりスムーズだし、これはこれで面白そうである。これは全くの想像に過ぎないが、母親的な女性が主人公に据えるとアニメ的にギャップがあるというか、絵的にも難易度が上がるとかの理由で、ユイが17歳の設定になったのではないか、と考えている。

ひより

ひよりはショックで声が出せなくなった、素朴で可愛い8歳の女の子。三つ編みのおさげ髪がトレードマークだが、就寝時や寝起きの髪を解いた姿も良い。

ユイにも共通して言える事だが、ひよりは交通事故で両親を失い一人取り残される状況下で「どうして私だけこんな目に…」という気持ちがあった。他人に比べて自分だけが辛い。ただ、ユイと違い、突然前触れもなく両親と幸せな自分の居場所を失ったという落差の大きさ。お囃子の笛がお葬式を連想させ、絶望的な悲しみが押し寄せる下りは胸が詰まる。

口がきけないという事は情報発信が不便になっているという事だが、代わりに目でしっかり見て物事を受け止めている芝居の印象を持った。

ひよりは、父親の幻にユイが連れて行かれそうになった際に、これ以上大切な人を失いたくない気持ち、怯えるユイを守りたい気持ちから感極まって、声を出してユイを引き留める事ができた。キワを守りたい気持ちから、お囃子(=出来る事)でアガメを弱らせた。

ひよりは、物語的にはユイとキワを繋ぎ止める存在であったが、最終的には皆家族となり、新しく家族を取り戻す事が出来た。

河童に物怖じしなかったり、座敷童と花火をしたり、ふしぎっと達に抵抗が無く、キワの血筋でキワの役割を引き継ぐ存在になることを連想させた。

とにかく、ひよりは可愛さが目立っていた。

キワ

本作の魔法少女枠のお婆さん。ふしぎっと達とコミュニケーションを取り、ふしぎっと達と人間を仲介する。河童に海中の洞窟の様子を調査してもらったり、お地蔵さまにユイの住民票を細工してもらったり。仕事のお礼に御馳走を振舞ったり。ギブ&テイクの関係を築いている。

これは想像だが、キワという名前の由来は、「際」(境目、端っこ)という意味で、人間とふしぎっとの中間の存在という意図ではないかと思う。

身寄りの無いユイとひよりを拾って、子狐崎のマヨイガに3人で暮らし始める。ユイ達に人間らしい暮らしを提供し、存在を肯定し、自尊心を回復させる。その与え方や包容力が圧倒的。最初は警戒していたユイの心も開き、家族と呼べる信頼関係をを築いた。

キワがいいなと思うのは、絶対に相手の存在を否定しない、無理強いせずに行動を起こすまで待つ、笑顔を忘れない、といったコミュニケーションのスタイル。

なぜ、ユイとひよりの2人を選んだか?については、ひよりは実の孫だったから、ユイはひよりに親切にしてくれていたから、だと思う。

アガメとの決闘を決心した際、小刀を取りに行くついでにユイとひよりを遠野に置いてきた。死のリスクがあるから、2人には生き延びて欲しいという気持ちだったのだと思う。

地域伝承に精通しているから、常識では計り知れない、それ絡みの問題に対して敏感で、ふしぎっと達と連携して問題を解決する。その行動はボランティアとも思え、常に与える立場に居る。キワ自身が持つ力があるから、「出来る事をする(=最善を尽くす)」が、このような行動になるのだろう。圧倒的に大人であり、ある意味、仙人のようにも思う。キワの存在自体がファンタジーとも言える。

常識的に考えれば、ユイを引き取る件も事件に発展する可能性があるリスクであるが、そうした常識を超えた部分で行動するのは、ふしぎっと達と通じる達観した価値観によるものかも知れない。

キワは本作のテーマそのものである。それは、語り継がれる地域伝承の昔話のように、人間の願望や教訓が具現化したものかもしれない。

おわりに

期待通りに、優しさに満ちた上品な作品だと思いました。

テーマ的には3.11震災を描いてはいますが、より個人的な物語に帰結していますし、そこまで重く構えずに観れるヒューマンドラマに感じました。

反面、物語的にはこじんまりとしてしまい、パンチが弱いと率直に感じました。

最近感じでいた事ですが、何をするにしても、地盤となる「人間らしい暮らし」を大切にする事が重要という部分にストレートに触れていたように思います。

食事が美味しそうだったり、古民家の生活が気持ちよさそうだったり。ガジェットがほとんどないアナログな生活、しかも妖怪と人間が共生する世界。もしかしたら、外国人が本作を観たら、異世界転生モノに感じるかもしれない、などと妄想しました。