たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

明日ちゃんのセーラー服 7話 「聴かせてください」

f:id:itoutsukushi:20220224041251p:plain f:id:itoutsukushi:20220224041340p:plain

はじめに

今期の優良株作品「明日ちゃんのセーラー服」の7話が、マジで泣いてしまったくらいに良かった。

という事で、今まで本作に感じて来たこと、7話のポイントの考察・感想を書きました。

また、7話というのはターニングポイント回であり、1話~6話までの違和感を払拭して後半進んで行くで有ろうことを予感させるモノでした。その辺りを含めて、これまでの本作についての私の解釈についても、今時点で一度整理しておきたいと思います。

考察・感想

テーマ

「明日ちゃんのセーラー服」とは、ブルセラのグラビア写真集・イメージビデオである。

SNSでも、美少女のフェチ、エロティシズム、などなどと言われている本作だが、個人的にはそれだけでは的を得ていないとと思っている。本作の本質は、仮想的な2次元のグラビア美少女である明日小路のグラビア写真集であり、イメージビデオだと考えている。そして、観客は空想の美少女に恋をする。それが、本作の狙いだと考える。

90年代後半、ブルセラ的なグラビア雑誌や写真集が一定数発売されていた時期があった。内容は美少女がセーラー服やスク水や体操服姿で、元気に笑ったり、可憐でドキっとする仕草だったり、アンニュイな表情をしていた。

ロケ地は過疎地の廃校だったり、海岸だったり、古びた日本家屋だったり、ノスタルジーを感じさせる場所が多かった。都会のコンビニなどの世知辛い現代的な要素は無い田舎の方が、オジサンが美化すべき美少女の居場所として適切だったのかもしれない。本作の舞台が田舎である事、住宅がアンティークな事、校舎が古めかしい佇まいである事、これらは全てブルセラ雑誌と符合する。

当時は、女優やアイドルが器用にタレントとしてバラエティーをこなし始めていた時代である。だからこそ、純粋に美少女の身体、仕草、表情だけを提供するグラビアが神格化した美少女を作り上げる事ができた。演じる映画やドラマの物語も、歌うアイドルソングも持たないことが、むしろノイズの無い空想の美少女を強固にする。

では、本作の主人公の小路はどうか。常にキラキラしていて、嫌味なく、負の感情を持たず、美人で可愛くて、ちょっと田舎っぽくて大胆である。身体の柔軟性の高さから、様々なポーズを自在に操り、母親や妹と楽しく仲良くやっており、憧れ要素が満載である。それらが、フォトジェニックだったり、表情が豊かだったり、仕草や言動にドキっとしたり。小路が何の運命や物語を背負っていないのも、それが誰の心にも描く空想の美少女の邪魔になるからだと思う。小路は周囲の誰も否定する事なく優しく受け入れる。これらの文法はグラビア美少女そのものと言ってよい。

原作の漫画家の博先生は、少なくとも連載当初はココを狙っていたのではないかと思う。漫画で美少女グラビアを再現するというのは博先生の絵力あってこそ、の挑戦だったと思う。

1話~6話のテーマ(干渉できない美少女)

前述の通り、小路は中学で初めて同級生を持つ。その事で級友に対しての好奇心が強く前のめりである。

級友たちも、小路のある種破天荒さに驚きつつも、接触すると心の中まで爽やかな風を吹かせてきて、小路に対して恋に落ちる。これは大げさな言い方だが、百合的な意味合いではなく、少年がグラビア雑誌の美少女に恋してしまう感じと言えばよいのかもしれない。

谷川は、4話で小路に惚れてしまい写真集のモデルを頼み写真を撮り漁った。大熊は、5話で観察対象としていた小路がそれを気付いていた事を受け、正式に小路を昆虫観察に誘った。ともに、小路は自分とは違う美しくて眩しい存在である事を理解し、小路を観察する者であるが、小路は被観察者としてではなく一緒に過ごす友達として距離を詰めてくる。

この谷川と大熊は、グラビア写真集のページをめくる読者とイメージが重なる。ただ、手を伸ばしても届かない神格化した存在ではなく、声をかければ応えてくれる級友である事を小路は主張する。しかしながら、この時点では小路は相変わらず小路であり、小路の内部に変化が生じたわけではない。小路というのはあくまで、ガラス越しに存在する干渉できない美少女なのである。

小路は子供のように純真で素直で真っ直ぐである。身体能力が高く野生児的な部分もある。しかし、人間は成長したり、都会の喧噪に揉まれたりする事で、純粋では居られなくなる。だからこそ、小路に干渉できない事が、この空想の美少女を汚さず継続させる事を無意識に求めてしまい、それで安心してしまう。そういう面があったのだと思う。

6話では、小路は木崎と一緒に釣りをして、木崎を家に招き入れる。学校外、学生寮外で2人で遊びに行くのは初めての経験ではあるが、これもまた小路のフィールドでの行動であり、小路を変化させるものではない。しかし、小路は自分を差し置いて木崎を「江利花ちゃん」と呼ぶ母親と妹に地団駄を踏み、別れ際に木崎は「小路さん」と呼び、小路に下の名前で呼んでと告げて別れたところで6話は終わる。

7話のテーマ(美少女と観測者の変化=物語)

物語後半開始の7話。今までは干渉できない小路が周囲に干渉されて変化する事を描いて行くのだと想像している。それは、前半で描いたガラス越しの干渉できないグラビア美少女の否定である。グラビアには物語は邪魔であると書いたが、これからは小路の物語が始まり、小路が変わり始めるのではないか。

まず、7話のアバンは、早朝の教室で木崎のことを「江利花ちゃん」という変化のシーンから始まる。

そして、小路は楽器奏者に強い憧れがあり、木崎のピアノの演奏、蛇森のギターの演奏に感激し、自らの演劇の練習に負けていられないと励む。具体的な変化は7話では描かれなかったが、これは今までマイペースだった小路に対する明確な干渉であり、小路の心の変化として描かれたと思う。

勿論、7話で一番変化したキャラは蛇森であろう。蛇森は小路に干渉された事がきっかけとなり、戸鹿野の導きがあって、今まで興味があっても弾くことができなかったギターを弾けるようになった。この大きな蛇森の変化を7話に持ってきた事の意味があるような気がしてならない。

多くの視聴者は、諦めてしまった憧れに対し必死で手を伸ばす蛇森に憧れを諦めた自分を重ねたり、蛇森を我が子のように応援するような気持で見ていた事と思う。7話のドラマは視聴者にダイレクトに干渉し、私も誰も使っていない家のウクレレを弾きたくなった。

それは、今までのような眺めているだけで十分というところから、エモーショナルに変化して他者に干渉する事を良しとして描いていると思う。6話までの空気で油断していたところに、力のこもった7話のアニオリ回で、ふいに右ストレートを撃ち込まれて度肝を抜かれた、というのが率直な感想である。この変化があるからこそ、小路の物語が紡がれてゆく未来が見えるし、今までよりも能動的に作品にハマれると思うし、残りの話も期待しかない。

キャラ

明日小路

絶対的なキラキラ感を持つ美少女。田舎育ちで身体能力、運動神経が高い。朗読(=妹への読み聞かせ)は情感豊か。演劇部に所属。料理は苦手。靴下穴やゲップを恥ずかしがる。

7話の小路は、キラキラした瞳で楽器奏者の憧れを示し、木崎に遠ざかっていたピアノを練習させ、未経験者の蛇森にギターを弾かせた。木崎の練習演奏は隠れていたので小さく手を叩いていたが、蛇森の拙いギター演奏にも全力の拍手を惜しみなく送っていた。

木崎のピアノ演奏後、蛇森は自信を無くし、本当は弾けないとその場を去ろうとするところ、手を握って無理やり引き留めた。蛇森の苦労を知ってか知らずか、というところは明確に描かれないが、戸鹿野との会話の雰囲気で、それを察していたのかもしれない。とにかく、小路にとって演奏に優劣は存在せず、むしろ小路のために頑張って努力して弾いた蛇森を強く賞賛したと視聴者は感じられる作りである。

最終的に、木崎のピアノ演奏も、蛇森のギター演奏も自信の憧れの姿であり、自分もまた演劇に打ち込むというやる気の循環を持って7話を終わる。

蛇森生静

エレキギターへの憧れはあるが、面倒くさがりなのか軽音部(?)でつるむこともせず、譜面も読めず、汗をかかずに生きて来た。しかし、小路のお願いを断り切れずギターを弾く約束を。寮にはインテリアになっていた父親のギターがあり、それでとりあえず単音のドレミファソラシドを練習し始める。

しかし、一般的には和音のコード進行で演奏するモノであり、すでにそこから障壁となっていた。弦が切れてしまい難しさから逃げてしまいたくなる蛇森の尻を叩いたのは同室の戸鹿野だった。いきなりは出来ないから、最初は簡単な所から始めてゆけばいい。そこから諦めずに練習を続けた。左手の指は絆創膏だらけになり、授業中も空気中で弦を押さえた。

演奏当日、蛇森の足取りは重いが、牧羊犬である戸鹿野がしっかりクールに蛇森を教室まで連れて来た。そして、言いずらそうに小路と夕方の約束をした。

演奏直前にハプニングがあり木崎のピアノ練習を聴かされてしまう。上手すぎる演奏の後ですっかり自信を無くしてしまい、ギターを片付けて帰ろうとするが、小路の懇願もありチェリーを演奏する。拙くて冷や汗ものの演奏だったが、なんとか最後まで演奏できた。

思うに今回の演奏というのは小路だけに聴かせる小路へのプレゼントである。それは、自分自身をさらけ出す告白に近いのかもしれない。その演奏に対し、小路は全直で拍手し蛇森を賞賛した。力強い肯定である。蛇森はこの肯定を持って自信を付け、さらなるステップの練習に励む。また上達した演奏を小路に聴かせるために。

憧れを実現し継続するためには、喜んでくれる人がいてくれる事が望ましい。蛇森は小路が喜んでくれたことで一歩を踏み出すことが出来た。

戸鹿野舞衣

表面はクールに見えるが内に熱いものを秘める印象を持つ戸鹿野。しかし、他人と距離を置いて干渉を避けているようにも見える。

蛇森がギターを弾き始めても、文句を言うのでもなく、気にしないからと本音を飲み込んでしまう。小路との会話で蛇森が弾けもしないギターを弾く約束をした事を知り、弾けるようになりたい気持ちを確認した上で、蛇森にいきなりは出来ないから簡単なところから目標を設定してゆくことを勧める。これは、帰宅前に小路との会話で小路が楽しみにしている事と、部活動で少しづつ出来るようになる楽しみの話をしていた事と、戸鹿野が部活動で上手くシュートが決まっていなかったことがリンクしている。つまり、いろんな偶然の重なりがあり、ギターを演奏させる方向で蛇森に干渉した。

その後は、シュートも決まり次のステップに進めた。その喜びを知るからこそ、蛇森の演奏を応援し、小路に聴かせるまでの牧羊犬として蛇森の尻を叩いてきた。

演奏当日、帰宅した際に蛇森が熱心により難しいFコードの練習をしていた事で、蛇森もまた次のステップに進んだことを悟り喜びを共有する。

木崎江利花

木崎は、都会的でお金持ちで音楽に強く洗練されている。だからこそ牧歌的な自然への強い憧れがあるが、そのアプローチも、本で知識を得て形や道具から入るスタイルである。

小路とは何もかもが正反対で、互いに強い憧れがある。それゆえ、他の級友よりも一歩近い友達となり、下の名前で呼ぶようになる。名前で呼ばれた木崎は既に舞い上がった惚れた女の顔である。

木崎はおしゃれだから、小路が家庭内で臆面もなく振舞っている様子が妹や母親経由で木崎にバレる事を恥ずかしがっていた。7話では、逆に音楽室の木崎と兎原の会話で、小路は木崎の知らないツンツンな一面を垣間見る。

小路の演奏者への強い憧れ→埃のかぶった自室のピアノ→音楽室のピアノ練習という流れからも、過去に何らかの挫折があり、小路をきっかけに再度ピアノの封印を解いた、という事だろう。この辺りの伏線も追々紐解かれてゆくのだろう。

兎原透子

柳原も木崎と同様に都会(東京)から来た。コミュニケーション能力が高く誰とでも会話でき情報収集能力は高いが、逆に本心が見えにくい。その事がまた、純真無垢な小路と対照的な存在に思える。根拠は無いが、もしかしたら過去に人間関係のトラブルで人間関係に疲れ気味という設定があるのかもしれない。

兎原もまた本作の重要キャラだと思うので、今後の展開に期待したい。

おわりに

色々と考えていたのですが、7話を視聴しての私の気持ちは、期待しかありません。

シリーズ構成、脚本は山崎莉乃さんの作品は初めて拝見するのですが、凄く巧みで繊細なドラマ運びに唸ります。監督の黒木美幸さんはじめ、女性スタッフも多い事も、本作のテイストを決定する重要な要素ではないかと感じています。

残りの話数もどう流れてどう〆るのか非常に楽しみな作品です。