たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

きみと、波にのれたら

はじめに

「きみと、波にのれたら」の感想・考察ブログです。

私にとっては、色んな意味で、非常に素直に心に入ってくる良作でした。

考察・感想

物語として

ひな子にとってのヒーローになった港

本作は主人子ひな子の彼氏の港との恋愛を前半に描き、中盤に港との死別が訪れ、後半は港の喪失からの再生を描く、という流れになる。しかし、本作が単なる喪失からの再生の物語だけではないのは、「ヒーロー」の存在があると思う。

ヒーローとは、常にその強い信念に基づき、弱者を救済し、庶民の憧れの存在である。それは、力を持たない庶民のありたい姿でもある。ときに、それはスーパーマンだったり、ときに、それは子供からみた大人だったり。

当初、港はヒーローとして登場する。器用で涼しい顔でなんでもこなす。

ひな子は、コーヒーの淹れ方もエッグサンドの作り方も、自分に出来ない事をやってのける港をヒーローとして憧れ、どっぷり傾倒してゆき、そして恋人関係になってゆく。

その絶頂期に、港は水難事故で亡くなる。

港に大きく依存していたひな子は現実を受け入れられず、水中に現れる港の幽霊に依存し続ける。

が、ある日、港が最初から何でも出来る子ではなく、出来ない事を努力で克服してきた過去と、その推進力となっていたのが、小学生の時にひな子に水難事故で助けられた事がキッカケであった事を知る。

この構図は、ヒーローと言う存在が、頂点に立つ最強の存在ではなく、誰かにとって、誰かはヒーローである、という事、もっと意訳すると誰もがヒーローになれる事を示している。この事が、本作のテーマだったと思う。

誰かにとってのヒーローの存在(新しいヒーローの形)

本作では、誰かが誰かのヒーローである、という構図になっている。

  • ひな子と港
    • 小学生ひな子は、小学生港のヒーロー(水難事故の命の恩人)
    • 港は、ひな子のヒーロー(ビル火災の命の恩人)
  • わさびと洋子
    • わさびは、洋子のヒーロー(兄と違ってていい、の台詞が不登校脱却のキッカケ)
    • 洋子は、わさびのヒーロー(港になれなくていい、の台詞が自信喪失脱却のキッカケ)

スーパーマンの変身前の姿が冴えない新聞記者のクラークケントというのとは、ヒーローを身近に感じさせるための設定であるが、それでもクラークケントというのは選ばれし人間であり、普通の人がスーパーマンになれるわけでは無い。

しかし、本作は、誰でもヒーローになれる、という勇気を与えてくれるメッセージを持っている。立派な人間とは弱い側面を持たない人間ではなく、弱い面を持っている事とは無関係に、困っている人を助けられる人間として描かれる。その点が新しくて強い。

そして、ヒーローになるためには、努力で出来ない事を克服したり、消防署の地図に細かく書き込みをしたり、未然に火災を防ぐ確認をしたり、縁の下の努力で人々を助ける。決して派手な活躍をするのがヒーローでは無いと描かれる。

ここで興味深いのは、洋子のヒーローは港では無くわさびである事。洋子は出来の良い兄の港と比較されコンプレックスの原因となっていた。港では洋子を救済する事は出来なかった。だからこそ、わさびが洋子のヒーローになり得た。1人のヒーローが全員を救うのではなく、誰かが誰かのヒーローになるのである。

物語の最後は、ひな子もライフセーバーとしての職業をこなし、誰かのヒーローになっている、というところでこの映画は終わる。

子供から大人に成長する、という表現は可能だが、本作は、誰かのヒーローになる、というのが相応しい言葉に思う。

向水ひな子の変化

ひな子と港の恋愛描写

アニメにおける恋愛表現と言うのは、こうマジマジと描かれる事が少なく思う。恋愛初期であれば、下記の作品が秀逸だったと思う。

もっと男女の関係になってからの恋愛表現だと、すぐに思い出されるのは、下記の作品くらいか。

なかなか、生々しく恋愛描写を描くというのは、アニメでは鬼門的な雰囲気があるような気もするが、本作では直球かつ、いやらしくない感じで綺麗に仕上げている。後半の喪失の意味を考えると、前半の恋愛は密度を上げる必要があっての結果だと思う。ハリウッド映画などと比べてみても、この程度の描写だと思うので、やり過ぎとも思わなかった。

水の中に現れる港と、それにすがるひな子

歌を歌うと水の中に現れる港に、すがっていってしまうひな子の描写が可笑しくも怖い。(特に水を入れたスナメリと街中を歩くシーン)

港が成仏していなかった理由は、ひな子への未練と言えばそうなのだが、物語的には、ひな子が独り立ちを見送るまでが未練だったはず。その意味では、ひな子にとって自分が用無しとなれば成仏できた、という構図だったと思う。

でも、最初は、ひな子にはその事を直接的な表現で言っていなかったし、幽霊の港自身も、呼べば現れる時点で、ひな子の独り立ちについて本気で考えていたとも思えない。

しかし、手を触れられない事や、わさびがひな子に告白した事を相談された時点で、少しずつ、幽霊である事の意味を自覚していったのだと思う。

ひな子もわさびに告白された事を素直に便器の港に相談するが、それで港に助けてもらおうとしたりする事が、港に地団駄を踏ませる事になる事を想像しておらず、相手の気持ちに立てない存在として描かれていた。(というか、その余裕がない存在?)

ひな子としても弱っていた時期であり、その状態がダメである事を丁寧に描いていた。

港の死を最後に受け入れるひな子

クライマックスでビルから落ちる波にのれたひな子だが、本当に港の死を受け入れたのは、クリスマスのビルから流れる放送を聞いて泣き崩れた時だった。

このワンシーンのおかげで、ひな子の人生に区切りが付いて、翌日からひな子の新しい日々が始まったのだと思える見事な結末になった。

アニメーションとして

無駄の無い台詞と適切なカット毎の尺

脚本は吉田玲子さんの仕事は、今回も見事な王道直球。

台詞は各キャラの心情・状況を端的に表現し、無駄が無い。物語の因果応報も綺麗。(港の死別だけが、物語の推進剤としての因果無き要素だったかもしれないが)

そして、それを映像として表現するときのカットの積み重ねが、地道に良いと思った。

最近、何故だか鑑賞する作品全てが高圧縮されたカット割りが多く、テンポが異常に早い気がしていたが、本作は、必要なカットを必要な時間かけて描いている感じがした。

何気ない、エッグサンドを作るシーンに普通に尺をとっていたり、クライマックスのビルから落ちる波に乗るシーンも必要十分に尺をとっていたり、その尺の使い方が観ている自分に合っていて、その意味でストレスをあまり感じなかった。

そういった、高密度過ぎない、だけど無駄が無い、というテンポが良かったと思う。

アニメーションとしての動きの気持ちよさ

本作は、何よりキャラが生き生きとして描かれていたと思う。

頭身で言えば手足が長く少女マンガ的とも言えるデザインだが、その表情や動きはデフォルメの効いたものであり、いかにもマンガ的で気持ちが良かった。

そして、レイアウトも思いっきり広角レンズで撮ったもの、水の中でのゆらゆら感、喫茶店の飲食物用エレベータ越しの聞き耳のシーンなど、アニメならではの手間のかかりそうな映像を、惜しげもなく使っていた。

テーマがリアルだが、気持ちアニメ的なファンタジーが入る映像になる事で、その調和を保つ。これが、ハリウッドの3DCGを生かした実写なら、作品のテイストが大分変わってしまうだろう。こうしたリアルな物語と映像のファンタジーのバランスは絶妙に感じた。

参考

このブログを書いた後、色々とネットのブログ感想・考察記事を漁って読んでいましたが、湯浅政明監督のインタビュー記事に「誰かにとってのヒーロー」のくだりが、割とそのまま書かれていてた。それはともかく、良記事です。

こちらの記事も、湯浅政明監督のインタビュー記事で、本作の本質が色々書かれている良記事です。

おわりに

脚本、吉田玲子さんという事で手堅く良い作品でしたし、湯浅政明監督の作品は、多分初見だったのですが、悪くない演出だと思いました。

ただ、若干、綺麗にまとまり過ぎているかな、とも思いました。