ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。
はじめに
本作は、SNS観測範囲では概ね好評な作品であり、2020年アニメ映画中最高の評価の方も見受けられるという状況で鑑賞しました。なるほど、物語として良く出来ている上に、非常に分かりやすくスッと心に入ってくる作品だと思いました。
恋愛と勇気のフレーバーが絶妙に混ざった、余韻の気持ち良さのある良作だと思います。
以下、いつも通りの感想・考察です。
- 恋愛物語(後半)を一部修正(2020.1.10追記)
- 恋愛物語(後半)を一部修正(2020.1.11追記)
考察・感想
テーマ・物語
恋愛物語(前半)
外敵から守るため、お城の部屋に閉じ込められたお姫様がジョゼである。そして、外界に連れ出してくれる王子様が恒夫である。
二人は出会い、外界でデートをし、外界のまばゆさに圧倒されて上機嫌のジョゼ。
最初はバイトのためとはいえ、臆病でワガママでツンツンしていたお姫様が見せる子供の様な笑顔に、次第にほだされていく恒夫。
ここまでで、恋愛ドラマの恋の芽生え。
恒夫のバイト先に遊びに行き、健常者たちの眩しさの中で自分の知らない恒夫を知り、自分に恒夫は相応しくないのではないかと心苦しくなりその場を逃げ出したジョゼ。バイト仲間を悪く言われたようで、怒る恒夫。そして喧嘩別れ。
恒夫が3月に日本を離れる事が決まり、その事を連絡しにジョゼの家を訪問するが、恒夫の夢の話を共有して仲直り。しかし、肝心の3月の別れの事は切り出せず。
ここまでで、恋愛ドラマの恋の熟成。もう、完全に恋愛ドラマの文法と考えて良いだろう。
ハンデ克服の物語
ジョゼは車椅子の身体障碍者である。だから、本作が障碍者をテーマにした映画であるとは言えるのだが、作意としては障碍者=ハンデキャップを持つ者、として理解した。
ジョゼは祖母が亡くなり独りで生きていく決心をした後、管理人に海に行きたいと最後のワガママを言う。これは、ハンデ持つ者はキラキラした夢(=画家)には届かないという現実の受け入れ。涙のしょっぱさはハンデ持つ者の悔しさ。恒夫に吐き捨てるように言う、「健常者には分からん!」の台詞が重い。
直後に、恒夫は交通事故にあい、夢の道を断たれる。ここで恒夫はハンデを持つ者としての絶望を味わう。
これは、今まで恒夫が高くジョゼが低いという位置関係が、両方とも低く対等になってしまったという意味である。今まで、物理法則で高い方から低い方に流れる同情は、一旦リセットされる。もともと、恒夫は「健常者には分からん!」の回答を持ち得ていないので、自身への回答も、夢を諦めるとなる。
で、恒夫に対するジョゼの回答が図書館で読み聞かせた絵本になるのだが、絵本が出来るまでに舞と花菜の2人の存在が不可欠である。
舞の役割は、ジョゼを体当たりで鼓舞してやる気を起こさせるライバル(=負けヒロイン)。恒夫の心の中に舞が居ない事を泣く泣く認め、唯一、恒夫の心を動かせる可能性をジョゼに託して回りくどい方法でジョゼに火を付ける。
花菜の役割は、友達としての支えであり、表現技術や、精神的な応援である。
絵本作りは、ジョゼが全てを行う。ハンデを理由に誰かに任せるのではなく、周囲の協力を得て、自分の手で完成させる所に意味がある。
恒夫の心を覆う暗闇に灯りをともしたいという願いが、ハンデがあってもコツコツと進む事で夢を実現できるハズだから勇気を持って、と絵本を通して伝える。
これは皮肉にも、祖母と死別しハンデを持って一人きり生きる者として、一度は夢を諦めたジョゼ自身を否定し、ジョゼ自身の夢も肯定する事になる。
繰り返しになるが、その答えの導きは恒夫であり、舞であり、花菜ではあるが、その決断はジョゼ自身のモノである点がミソである。
ジョゼの位置エネルギーは低いが、「思い」を低い位置から高い位置に上昇させる事は出来る。勿論、低い位置からのスタートだからエネルギーはより必要になるが、夢を諦める必要は全くない。最終的に、ジョゼも仕事を持って生計を立てながら絵本作家としての夢を追い続けるという、より現実的な選択をして生きることで救われる。
物語序盤ではジョゼは恒夫にすがっていた。しかし、物語終盤ではジョゼと恒夫は対等であり互いに与え合う関係にある。
その意味で本作は間違いなく、高い所から見下ろす同情ではなく、低い所から高みを目指す事が出来るという勇気の物語に思う。
恋愛物語(後半)(2021.1.11修正)
12月24日、恒夫の退院の日、ジョゼが待ち合わせの場所に来なかったのは、恒夫との別れを決意していたからなのだが、それは何故か?
絵本の結末も、若者は魚の国に行ったきりで人魚姫は海に戻るという結末であり、恒夫に勇気を与えた後も恒夫と添い遂げるイメージはジョゼには無かった。
先の話でジョゼは一人で生きる勇気(=虎と対峙する決意)も持てた。恒夫も夢を掴む事が出来そうだ。私は、この展開でジョゼが恒夫に告白する展開があってもよいのではないかと思ったが、実際にはそうではなかった。
時系列的には、祖母死別→ダイビング中に恒夫注意散漫→舞の「同情ですから」→二度目の海岸→ジョゼの「健常者には分からん!」→恒夫交通事故という流れ。
ジョゼは舞に「同情ですから」がかなり堪えていたのだと思う。恒夫の留学の足手まといになる。好きだから迷惑をかけたくない。祖母死別で自立の準備は出来ていたのだろうが、これが決定打で恒夫から身を引いて一人で生きる決心をしただと思う。ジョゼは人魚と人間は一緒に暮せないという呪いを自分自身にかけた。
二度目の海岸はジョゼから恒夫への別れを告げるだけの目的だったハズ。それなのに、ジョゼは恒夫を怒らせた上に、恒夫の夢まで奪ってしまうという最悪の事態。ジョゼはこの罪を抱えて悶々とする。
罪滅ぼしとして、絵本の読み聞かせをして、恒夫を夢に向かって立ち直らせたのは前述の通り。恒夫はジョゼの罪を問うていないからこそ再度夢を掴みに行く流れなのに、ジョゼはケジメとして恒夫から身を引く決心を崩さなかった。
最終的に、恒夫からの好きの告白があり、ここでジョゼの呪いは解ける。そして、ジョゼの好きの返答があり、相思相愛を確認して終わる。
これは、どうみても恋愛ドラマのハッピーエンドである。
それから、ジョゼと恒夫の関係が、夏秋冬と季節を通じて(=シンクロして)表現されていた点が美しいと感じた。
「ジョゼと虎と魚たち」のタイトルの意味
本作での解釈は下記に思う。
ワード | 意味 |
---|---|
ジョゼ | ハンデを持つ者 |
虎 | 厳しい現実世界 |
魚たち | 夢 |
本作は、ハンデを持つジョゼが、祖母の死別、大切な人の挫折を通して、自分自身を見つめ直し、現実世界との折衷のなかで夢を持ち続けて生きるという物語である。
当初、ワガママで世間知らずなお姫様だったジョゼが、一人で生きていく決意を持って成長してゆくドラマであった。
ハンデを持つ者でも凛として生きて行けるという姿をジョゼを通して観客に見せてくれた。この自尊心を持って「凛」としている部分が重要だと思う。その事が、本作の視聴後の良い余韻となっていると思う。
おわりに
本作は、勇気の物語と恋愛の物語の二つの要素から構成されていると思います。勇気だけだと説教臭くなると思いますし、恋愛だけだと甘すぎる。この二つのフレーバーが互いに不可欠で溶け合っている点が本作の肝だと思いました。
SNS観測範囲では、原作小説や実査映画の「障碍者」「性」に関する話題も目にしますが、もう少し抽象的な概念で広く解釈できる物語と思える事、2020年の作品である事を考えると、本作のディレクションは非常に良かったのではないかと思います。
非常に後味がすっきりした清涼飲料水の様な作品ですので、そういうのがお好きな方は是非、という感じです。