はじめに
いつもの、2022年秋期のアニメ感想総括です。今期観た作品は、下記5本。
- ぼっち・ざ・ろっく!
- Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-
- アキバ冥途戦争
- うる星やつら
- SPI×FAMILY(2クール目)
後追いで観たので、下記を追加
- ヤマノススメ Next Summit (2023年1月7日 追記)
感想・考察
ぼっち・ざ・ろっく!
- rating
- ★★★★★
- pros
- 緩い、可愛い、カッコいい、心にしみる、熱い、なんでも有りの幕の内弁当感
- 実験的、かつ多彩な表現力で楽しませてくれたギャグパート
- 精密なだけでなく、その上にドラマも乗せてくる圧巻の演奏パート
- 全体を通して美しさを感じるストーリー構成
- cons
- 特になし
本作を一言で表現するなら、きらら×バンド×陰キャコミュ障。コミュ障のぼっちが得意のギターを片手にバンド活動を通して少しづつバンド仲間たちと不器用ながらもコミュニケーションしてゆく、という感じの4コママンガ原作のアニメ。大半はコミュ障がらみのギャグだが、ガチなバンド演奏シーンや、しんみりする良いシーンもあり、色々と見どころが多い作風である。
制作はCloveWorks。プロデューサーは梅原翔太。監督は斎藤圭一郎。キャラクターデザイン・作画総監督はけろりら。シリーズ構成・全話脚本は吉田恵里香。
本作の最大の特徴は、ぼっちのコミュ障ゆえの奇行をギャグとして昇華しているところだろう。
ぼっちは陰キャで友達が一人も居ない。ネットではギターヒーローとしての側面もあるが、リアルでその事を知る者は居ない。友達が欲しい、でも小心者で人前では何も言えなくなり、結局流されてしまうという悪循環。そんなぼっちのテンパっている姿やフリーズしている姿がギャグとして拾われてゆく。時には福笑いのように顔面が崩れてしまったり、ときには実写の風船が割れるシーンやダム放流シーンを挿入したり、劇画調のツチノコになったり、着ぐるみの承認欲求モンスターになったり。ゾートロープ(ストップモーションアニメーション)という手間がかかる実写撮影方法はコスパで考えれば割が合わないとさえ思える技法も取り込む。これらの特殊な表現は、ぼっちの内面のパニック状態やストレスがかかり過ぎてフリーズ寸前の非ノーマル状態に応用される。これらの表現は演出的な意図でもあるのだが、その表現の徹底的な多彩ぶりが可笑しいところまで昇華している。
ここで1つポイントなのは、ぼっちを否定するニュアンスを乗せない点だろう。結束バンドやSTARRYの面々もぼっちの奇行にツッコミは入れるが、その事でぼっちを馬鹿にしたり、拒絶したりはしない。その辺りは今風の配慮かと思う。
そして、ぼっちは孤独な現状が良いとは決して思っておらず、バンドで有名になるという夢と同時にバンド仲間を大切に思っている気持ちに気付いてゆく。より繋がりたいし、バンドを続けたいし、結束バンドとして有名になりたい。変わりたいという気持ちがあるから、生じるギャグにさえ若干の切なさも帯びてくる。
本作の2つ目の特徴は、ライブシーン映像の精密さにある。
実際に楽器を演奏してモーションキャプチャーで作っているようだが、演者(=奏者)からキャラの芝居(=動き)を意識しているため、運指からちょっとした仕草に至るまで違和感がない。ここまでは当然と言えば当然なのであるが、本作はその上で演奏内にドラマ要素を盛り込んできている点が凄い。
8話の初ライブシーンでは1曲目の演奏が緊張のためズタボロだったところ、ぼっちが奮起していきなりギターソロを演奏しはじめて空気を切り替えて、2曲目の演奏に突入し観客にもウケたという流れ。これは演奏を聴いても(=見ても)1曲目はダメで2曲目でハマっているというのが分かるという表現力の凄み。
また、12話の文化祭ライブシーンでは、ぼっちの機材トラブルを察して、郁代のギターで間奏を誤魔化し、ぼっちが対応できると踏んだ時点で間奏をもう一周分リズム隊の虹夏とリョウが伸ばして、そこにぼっちのボトルネック奏法が入るという超胸阿熱連携プレイを演奏シーンにドラマとして乗せるのである。
こうしたドラマさえも演奏の映像のみで理解させるというストイックさである。
そして楽曲はプロが結束バンドならこうだろうという曲作りゆえに、高校生らしからぬプロ並みの完成度である。もちろん、昨今のアニソン(挿入歌)の文法にならって歌詞は作品世界とリンクしている。ここまで来れば、神曲なのは当然とも言える。この辺りは、ANIPLEXの作品作りへの執念というか本気度が分かる。
本作の3つ目の特徴として、絶妙なシリーズ構成についても触れておきたい。
前述のとおり、ぼっちは一人ぼっちな孤独な存在ではあるが、他者を求める(=友達を欲する)内面がはっきり描かれており、物語上の問題点とゴールはこの点を注目する事になる。
本作は、この他者を求める気持ちに対して、時間をかけてゆっくりとぼっちの心を開いてゆく過程を描くことになるのだが、その1クールのシリーズ構成の各話の刻み方とゴールの設定が絶妙である。
本作は、前述の通りギャグシーンが多い。それは、8話までで原作マンガ1巻分というペース配分にも大きく起因しているのだが、本編の進みの遅さに対してギャグシーンの尺を伸ばして隙間を埋めるディレクションになっていたと思う。その事もあって、ドラマ部分は各話極薄となるが、それを各話終わり頃にちょっとイイ感じで挿入してくる。
ざっくりした流れで言えば、1話で虹夏がぼっちを無理やり結束バンドの助っ人奏者として引き入れたという形だろう。ギター演奏はボロボロでも敢えて引き留めたのは、虹夏が夢を焦っていた事、ぼっちが流されやすい性格である事を理解してのことだろう。その後、ライブハウスのバイト、ボーカル勧誘、郁代のギター先生、作詞、チケットノルマとぼっちにとっては不慣れなイベントが続くが、この経験を通してぼっちの中での結束バンドの関りは特別なものになってゆく。バンドを続けて4人で有名になりたい、そう願うほどに。
オーディション演奏も初ライブ演奏も、その気持ちを演奏に乗せて結束バンドのピンチを救い、虹夏からも感謝され、郁代からも羨望のまなざしを受けた。12話の文化祭ライブ演奏では逆に郁代、虹夏、リョウのナイスアシストにより、ぼっちがピンチで諦めずに人前で演奏を繋ぐという、ぼっちの成功体験が描かれる。これは、8話と12話のヘルプの逆転になっている。
その後、新しいギターを購入し、一歩踏み出した事によるぼっちにとっての新しい世界の予感が描かれたところで〆る。最後のED曲はアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」というのは上出来である。
本作は、ずっとこのラストに向かってゆっくりとシリーズ構成が組まれてきたものであり、やはり12話の脚本は至高だと思う。
シリーズ構成と全話脚本は吉田恵里香だが、実写ドラマで向田邦子賞も受賞しているとのこと。アニメの脚本もやられているようだが失礼ながら存じ上げていなかった。今後の活躍も楽しみな脚本家が増えて嬉しいばかりである。
Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-
- rating
- ★★★★★
- pros
- cons
- キャラ強度が高すぎて物語が多少弱く感じたこと
- せるふのキャラ造形に全ての皺寄せが来ていたように感じたこと
ズバリ、女子高生×DIYという組み合わせの本作だが、個人的にはキャラデザが萌え絵ではない点が新しいと感じた。DIYという事で、舞台となる新潟県三条市と工具のメーカーの高儀が協賛しているため、工具の描き方はガチである。
制作はPINE JAM、監督は「かげきしょうじょ!!」の米田和弘、シリーズ構成・全話脚本は筆保一幸という座組。
本作の特徴は、なんと言ってもキャラクターデザインと作画にあると言っても過言ではないだろう。ひと頃は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に代表される複雑で線の多いキャラデザインが目立っていたように思うが、本作のキャラクターデザインは真逆で線や色が少ない。それゆえ、簡素で作画コストはかからないとは思うのだが、逆に線も色も少ないため、緊張感を持った線で表現しなければチープになってしまう難しさがあると思う。その点、本作はシリーズを通してもう作画に安っぽさは感じず、動きも軽快で心地よいものだったと思う。線が少ないとは書いたが、もう一つの主役である工具やスニーカーなどの靴は細かく描き込まれていて、メリハリをつけている。
テーマについては、DIYという生き方を扱っている。既製品の押し付けではなく、自分の欲しいものを自分で作ったり手に入れたりする。そして、DIY部に集まってきた部員たちは、その集まり、場所自体も心地よいものに改造してゆく。ときには、費用不足や部材破棄などのトラブルもあるが、DIYで作った小物を売ってこづかいを稼ぎ、周囲の協力も得ながら乗り越えてゆく。という感じの流れである。
DIY自体は、スキー板ベンチやDIY部の表札にはじまり、売り物の貝殻アクセサリーやタブレットスタンドを経て、最終的にツリーハウス作りに挑む。ツリーハウスはともかく、女子高生にも工作できるレベルのDIYが描かれるが、DIY監修もあってのリアリティだろう。ツリーハウスという高めの目標を設定してからは、さまざまな試練に遭遇しつつ、くじけそうになっても諦めず誰一人欠ける事なく全員でやりきって目標達成する喜びを描いた。遠い道のりに見えても、諦めずに望みを形にしてゆけば必ず手に入るという肯定の物語である。
文芸面は、ごちうさシリーズも手がける筆保一幸という事もあり、女子の関係性の描き方は見事。無神経なせるふに振り回され拗ねていたぷりん。ジョブ子に共存する明晰な頭脳と幼児性。自分らしさを求めてアウェイで居場所を勝ち取り続けなければならなかった、しー。引っ込み思案なたくみん。面倒見がよく、見た目と裏腹に少女趣味な部長のくれい。物語に負けない強みのあるキャラ作りで、逆に言えばキャラが物語に食われる事無く、自由にキャラを泳がせていたような良い印象を持った。
と、ここまではよくある女子高生部活モノであるが、本作が尖っているのは、なんといっても主人公せるふのキャラ付けだろう。せるふはAHDHと思われる性質を持っており、集中力が低く複数の仕事を並行にこなせない。また、不器用で工具を上手く扱えない。キャラデザインとしていつも半分シャツがスカートから出てる。事あるごとに妄想の世界に入り込む。こんな調子なので、自転車に乗っては電柱にぶつったり、ケガでばんそうこうが絶えない。ただ、せるふは誰にでも躊躇なくぶつかってゆける強さがある。また、せるふが描く絵は独創的で絵画としても魅力的。学年3位で成績優秀。細かな事を言えば、AHDHでも忘れない手順を確立すればシャツくらいしまえる。この性格で成績優秀は無理筋ではないかとも思うが、この設定はせるふを哀れにし過ぎないチューニングなのではないかと勘ぐっている。いずれにせよ、このようなキャラの扱いはセンシティブになるが、本作では主人公というのが攻めている。
これに関連して、せるふが電動工具を使う際に、不器用な者が工具を使う危なっかしさを描く。電動工具があればハッピーでなんでも作れちゃう、みたいなお気楽な描き方ではない点がなかなか渋い。そのせいで、工作シーンはいつもちょっとした緊張感を漂わせていたと思う。最初にせるふの危なっかしさをを見たくれいは、せるふに危険な工具を使わせず、仕上げのネジ閉めをさせたりしていた。主人公の技能が一番低いという作品はなかなか存在しない。
10話でせるふにスポットライトが当たる。結局、小物も売れてない、DIYも完成させられないという負い目。今度こそDIY部員の前で豚小屋を完成させると意気込むも、結局DIY部員たちの協力を得て、なんとか完成という流れ。工作できなくても、イメージ図などで役に立っているとして丸く収める。多様性というか、できない事を否定せず受け入れるという流れなのだが、このあたりは今時のエンタメだなと思う。部長のくれいは12話のツリーハウスの完成のネジ締めをせるふに任せた。せるふの存在あってこそのDIY部であり、達成感の共有である。
本作は、DIY意外にもせるふとぷりんの関係性の物語があった。なにかと出来ないせるふに対して、ぷりんがやや怒り気味に食いついてくるツンデレ設定なのだが、ぷりんはせるふの事をいつも心配しているのに、せるふはいつもの調子で親心子知らず的な対応。そして、この関係性の原因が12話で明かされる。中学入学の際、何でも一人でできるようになりたいからと、せるふがぷりんの世話焼きを拒否した事。しかも、せるふはその事自体も覚えていない。ただ、小学生のときのウィンドチャイムの事は大事だから引き出しにしまっていたと聞き、せるふがぷりんを大切に思っている事がやっとフィードバックされた形。せるふの言葉はいつもその瞬間の本当の気持ちだろうが、忘れてしまうという意味で移ろいやすい。しかし、大切に保管していたという事実は揺るがない証拠なのである。こうして、素直になったぷりんと、いつものせるふは3年3か月のプチ喧嘩期間を経て、もとの親友に戻ったという綺麗な帰結。
他のDIY部員たちも個性派揃いで色々書きたいところもあるが、キリがないのこのへんで。
ここからは少しネガ意見を。
本作は1話で人生をDIYするというテーマを掲げていたが、最終回まで見てそこまで人生を改造していた印象は持たなかった。多分、これが描かれたのはしーの回。しーはアジアのどこかの国のお姫様設定だが、おてんば娘でしきたりなどが肌に合わず日本へ来た。しかし、湯々女高専でも破天荒なしーは浮き気味だったのであろう。しーは、日本に飛び出してきたこと、わざわざ自分の肌に合いそうなDIY部を見つけて仲間になったこと。そういう意味で、レールを逸脱し絶えず人生を改造してきたと言える。個人的に不満なのは、しー意外は別に人生まではDIYしていないと思うし、文芸にそのあたりを期待してしまったのは、筋違いだったのかもしれない。いずれにせよ、本作は物語のために全ての要素がキッチリハマるという作りではなく、強度の強いキャラを適度に泳がせて作っていた感がある。ジョブ子のステイ先がせるふ宅ではなく、ぷりん宅な点もちょっとした変化球に感じる(それもまた本作の魅力ではあるのだが)。そういう意味で思わせぶりな「人生のDIY」テーマを期待してしまったせいか、その部分が弱いという印象を持ってしまった。
それともう1つ。挑戦的ではあるが、色んな意味でせるふのキャラ造形に皺寄せが来てしまった印象を受けた。1話をみたときには、シャツがしまえないキャラデザと工具を扱えない設定でせりふは発達障害か何かだと思った。絵画の才能を発揮するところではサヴァン症候群も連想した。集中力がなく夢想癖である描写も出てきて、AHDHかもしれないとなった。AHDHは知恵遅れではないし、チェックリストなど注意すればシャツくらいしまえる。そうこうしているとせるふが学年3位の成績である事が判明し、うーんとなる。せるふのキャラ造形の根幹は、工具をまともに扱えない人を登場させる事で工具の危険性も同時に描きたかったからではないか、と想像している。そこをベースにぷりんのツンデレの関係性に発展させる。こう考えると、せるふの症状自体はリアリティを持ったものではなく作劇優先なのかな、とも思う。せるふというキャラを追い込むときに、個人的にはその雑味がノイズに感じてしまった。
とはいえオリジナル作品で脚本自体は萌え要素満載だし、しーは語尾に「にゃ」を付けているのに、萌えや媚びのあざとさは感じさせない、気持ちよく可愛さのある今風のテイストに仕上がった点は大いに評価したい。DIY自体の魅力や知識も伝えるというミッションも達成しつつ、バランスの良い仕上がりになった作品だったと思う。
アキバ冥途戦争
- rating
- ★★★★★
- pros
- cons
- ギャグがかってはいるがバイオレンスシーンが多めで見る人を選ぶところがある
異色のメイド×任侠モノ(=萌えと暴力)のオリジナルアニメ。制作はCygamesとP.A.WORKS。プロデューサーは「ゾンビランドサガ」の竹中信広で、とんでも企画を匂わせる。監督は青ブタの増井壮一。シリーズ構成の比企能博はアニメの脚本は初との事。
本作のエンタメとしての軸は、昭和の任侠モノの緊張感と切迫感のシリアスさを、ふりふりのメイド服を着たメイドが繰り広げるというコミカルさのギャップにある。お笑いの基本となる緊張と緩和と考えてよいと思うが、ドラマ部分が切実であるほど、メイド接客などが皮肉な笑いに増幅される構造である。この任侠モノをリスペクトする肯定と、ギャグとして消化する否定が同居する絶妙のラインの上に成立している。
1話は、平和ボケした視聴者をふるい落とすところから始まる。なりゆきでライバル系列のメイド喫茶に殴りこんでしまったなごみと嵐子だが、嵐子がピストルを取り出し相手の店長を射殺する。そのまま乱闘になるが嵐子は冷静さを保ったまま、次々とメイドを射殺して二人は自店に戻る。その際に、嵐子はオタ芸のペンライトのごとくピストルを振り回して乱射するという狂気の映像である。これは本作がギャグ作品であることを伝えるための、視聴者への強烈な先制パンチであるが、令和の映像にしてはさすがにジョークがキツイ。令和時代に人が虫けらの様に射殺されてゆくエンタメというのは少ない。正直、個人的には1話を見終えて後頭部を殴打されたようなめまいを覚えた。
しかし、2話を見たときに、この違和感が少しづつ面白さに変わって行く感覚があった。資金繰りに困るとんとことん店長が闇金に手を出し借金返済のためにメイドたちがカジノに訪れる。一人づつ身ぐるみはがされてゆくメイドたちだが、勝負師ゆめちがポーカーのイカサマを見破って啖呵を吐く。一瞬たじろぐディーラーとギャンブル相手。しかし、開いたカードは勝ちに届かず。結局、その場にいた闇金屋を射殺、その場は乱闘、乱射となり、最期はガス爆発でビルを吹っ飛ばしてとんずら。無茶苦茶な展開だが、底辺メイドという理不尽な状況の中で、ストレスの根源となる悪役を射殺してしまうことに、ある種の禁断のエンタメの快楽のようなものを感じた。
時代設定の1999年(23年前)というのも絶妙だと思う。現代劇だとアウトだが、時代劇であると考えるなら、雑魚メイドが次々に射殺される展開も西部劇やチャンバラ的に許容されるギリギリのラインでのディレクションである。この時代劇感がなければ本作は成立しなかっただろう。
本作のもう1つの肝は、メイドたちがアキバという限定した地域に縛られている事である。アキバの理不尽な弱肉強食のルールが辛すぎるなら逃げてもいい、というのが今時のエンタメ感覚なのだろうが、本作がそうではないところも昭和テイストである。実際のところ、古今東西人間社会で多かれ少なかれストレスを受けながらも社会に守られて生きているし、その社会から飛び出す事は難しい。日本が嫌だからといって実際に海外移住できる人は少ない。本作の10話では、嵐子とヒットマンが駆け落ちしてカタギとして暮らすという選択肢が提示されるが、思いがけない御徒町の行動によりそのチャンスは潰されてしまう。途中下車できない呪われたメイド人生の悲哀を演出した回だったと思う。
本作では、アキバのメイド喫茶=暴力団組織という対比の中で、個性的なメイドたちの強烈な生き様が紡がれてゆく。各キャラの暴力、仁義、愛、カネのパラメーターを整理してまとめるとこんな感じか。
メイド | 暴力 | 仁義 | 愛 | カネ | メモ | 最期 |
---|---|---|---|---|---|---|
美千代 | - | - | ◎ | - | 嵐子の優しさにほだされる | 凪の指示で御徒町に射殺される |
凪 | ◎ | × | × | 〇 | 暴力とカネによる恐怖政治 愛は信用できない |
つきちゃん残党メイドに射殺される 御徒町に竹槍を投げつけられる |
嵐子 | 〇 | ◎ | 〇 | - | 愛するものを守るためだけに戦う | つきちゃん残党メイドに刺殺される |
御徒町 | 〇 | - | - | - | メイド人生を踏み外し 日陰者として生きる |
|
愛美 | 〇 | ◎ | × | - | 危険な武闘派として、 メイドリアン代表宇垣に射殺される |
|
ねるら | × | 〇 | ◎ | - | 姉妹愛 | なごみを庇って裏切ったとして、 愛美に射殺される |
なごみ | × | × | ◎ | - | あくまでも非暴力 一度はメイドから逃げ忍者に |
- |
◎:最重要、〇:重要、×:重要ではない、-:不確定
凪は孤児であり、愛を信じず武力だけを信用した孤独な存在である。部下である系列店から金を貢がせ、従わない者は容赦なく殺す。暴力と恐怖政治でケダモノランドグループを作り、ライバル系列であるメイドリアングループも吸収合併し、弱肉強食のアキバで頂点に立った。美千代の暗殺を指図したのも、11話で嵐子を直属の部下にしようとした事も、大好きな人が思い通りにならなかった凪のひねくれた愛情だったのかもしれない。
嵐子は凪とは逆に暴力を嫌っていたが、1995年に勤め先のメイド喫茶の店長が目の前で射殺された事で、自分が大切なものを守るために暴力が必要な事を思い知る。そして、1999年に嵐子はムショを出てアキバに戻り、メイド喫茶とんとことんのメイドとして再び働きだす。かなりの武闘派ではあるが、嵐子のポリシーは専守防衛。大切なものを守るためだけに戦う。寡黙で不器用な高倉健と言った役どころである。
なごみはメイドに憧れて上京したが、理不尽だらけの暴力まみれの現実のアキバに失望し翻弄されつつも、とんとことんのメイドとしての生き方を模索してゆく。6話で姉妹の契りを交わしたねるらが落とし前をつけて愛美に殺された事をきっかけに、非暴力の生き方を貫こうとする。実際にはきれいごとだけでなく、メイドを辞めようと思ったり、復讐のために暴力を振るったり、さまざまな紆余曲折な経験を経てラストに着地する。
物語的には、アキバ社会の大きな渦に呑まれたメイドたちの大河ドラマ側という側面もあった。愛に対するトラウマからアキバに暴力とカネで君臨してゆく凪。仁義を重んじて凪に戦いを挑むも身内から射殺される愛美。これをキッカケに事実上の独裁者となる凪。しかし凪も嵐子を刺殺したチンピラメイドの射殺されあっけない幕切れとなる。エピローグから察するに、アキバの暴力はその後ゆっくりと消滅していったのだろう。本作は、キャラものの日常系のとは正反対の、諸行無常や栄枯盛衰を感じさせる骨太な物語があったと思う。
これまで書いてきて事と矛盾するように思われるかもしれないが、本作は一見無茶苦茶に見えて、実際には殺した人もまた殺されるというような因果応報があり、個人的には割とすんなり物語や人間模様を受け入れる事ができた。なんというか、狂気の中にある、ある種の切なさや哀愁を感じさせる物語に感じた。この辺りは、この手のストーリーの文法やお約束のようなモノがあり、それに馴染んでるかどうかで感触が変わるのかもしれない。
昔、萩原健一主演の「傷だらけの天使」というTVドラマがあった。かなり泥臭さのある作風だったが、本作のも同様の手触りを感じた。その後登場する松田優作主演の「探偵物語」ともちょっと違う。後者も泥臭さはあるが、時代とともにスタイリッシュなカッコよさが含まれていたのだが、前者は情けないまでにカッコ悪さを含んでいる。本作の制作陣には、そうしたダサくなってしまった泥臭さに対するリスペクトを強く感じる。ただ、今の時代に馬鹿正直に泥臭さい物語を作っても受け入れられはしないのでメイド萌えという要素を入れつつギャグとして見やすいチューニングにしているが、その泥臭さいシリアスな芯の部分をちゃんと残しているところが本作の良さだと思う。
うる星やつら(1/4クール)
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- cons
- 昭和を残したリバイバルなためか、どうしても突き抜け感、パンチ力は弱めに感じてしまうところ
原作は、言わずと知れた高橋留美子先生の傑作マンガ。1981年から1986年にTVアニメが放送され人気を博したが、小学館創業100周年記念として、約40年の時を経て令和の現代にリメイクされた。
制作はdavid production。監督は髙橋秀弥、木村泰大の二名体制、シリーズディレクターは亀井隆広。シリーズ構成は安定の柿原優子。キャラクターデザインは「映像県には手を出すな」が印象的だった浅野直之。
個人的には、昭和版のうる星やつらもしっかり見てきており、当時からラムちゃんが可愛いとドハマりしていた。古のオタクの中では押井守監督を抜きに語れない作品となっており、劇場版の「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」は名作として認知されている方が多い。半面、原作マンガのテイストから乖離してしまった面もあった。
少し脱線するが、個人的に一番気に入っていたTVアニメのうる星やつらは、スタジオぴえろ→スタジオディーンに制作が切り替わった最初の回である、第107話「異次元空間 ダーリンはどこだっちゃ!?」。どこか少しづつキャラがブレてる異次元空間に迷い込んだラムちゃんがあたるを見失い、やっと探し当てたあたるが妙に優しすぎて違和感を感じ、このあたるは違うからと元の世界に戻ってくる話。
昭和版ではアニメオリジナル要素で暴走気味のところもあったが、令和版では原作マンガに忠実に寄せてきている。40年の時を経て社会情勢、生活様式、コンプライアンスも大幅に変化している。時代設定、ギャグが当時のままでの映像化ゆえに、時代のギャップに違和感が炸裂するかとも身構えたが、個人的にはノスタルジー込みで、昭和時代を描く時代劇と理解して楽しめている。
シリーズ構成的には、あたるとラムの二人の恋愛関係を軸にエピソードを整理した感じが手堅い。この辺りは、シリーズ構成の柿原優子さんの手腕であろう。宇宙タクシーとかテンちゃんとか恋愛以外のバラエティ要素を削り、恋愛物語としてみたときのノイズを軽減している。1クールのあたるの心情は、1話でラムが押しかけ女房として居座り、5話でラムのいじらしさ可愛さに気付き、10話でラムが出てゆき戻らないことを本気で寂しがる、という流れをポイントを押さえて描いている。対してラムは、5話や10話で稀に見せるあたるの優しさを噛みしめながら、あたるの腕を握ってゆくという構図である。
あたるとラムの恋愛を語るときに、どうしても昭和について語る必然性に迫られる。あたるとラムの関係は恋愛結婚ではなく見合い結婚と考えてよいだろう。相手のことを良く知らない者どうしが、ある日いきなり夫婦として暮らす(高校生と宇宙人ゆえにハチャメチャではあるが)。あたるにしてみれば、相手はイイ女が惚れてくれるのは嬉しいが、拘束がキツイ。自由を求める男と、束縛する女という構図である。昭和の女性の歌謡曲の歌詞を聴くと、驚くほど男に置いてけぼりにされたという歌詞が多い。ウーマンリブという言葉もあったが、女は男の後ろに付いて尽くすという時代の名残が昭和後期にも多少あったのだと思う。また、あたるとラムは恋愛の末の結婚ではなく見合い結婚のようなものであろう。結婚→恋愛の順番である。結婚してから可愛さを知る。この辺りの結婚=縛りの概念も昭和テイストを感じずにはいられない。
恐らく、しのぶは典型的な日本人女性であり、ラムはしのぶのカウンターになる女性だったのだろう。スタイル抜群、耐え忍ばない、目尻は上がっていて強気(≒気持ちに正直に行動)。そんな昭和感のない女性が惚れてくれるのだから読者は嬉しいのだが、それではギャグが成立しないので男は逃げる。ただ、ラムの幼馴染の弁天やお雪は恋愛からも解放されているし、ランちゃんや了子のような拗らせキャラもいて、既に昭和のテンプレートから外れたキャラも多数いた。それがその時代に新しかったし、SFでもあったが、今となっては古典である。
これらのキャラの対比で見えてくるのだが、ラムが特殊なのは、見た目の非昭和感の軽快感とは裏腹に、恋愛に一途という可愛さがあるというところにあると思う。つまり、昭和の女性への押し付けの価値観からは解放されているが、恋愛部分だけは男に尽くすという昭和感(=男にとっての都合の良さ)が残っている。変わりゆく時代の中で生まれたキャラには間違いないが、後にも先にもラムのようなタイプのヒロインはおらず、唯一無二のキャラだと思う。それゆえに、令和時代でも古びる事無くラムは輝いて見える。
アニメーション的には、リッチすぎるという事もなく、作画もソツがなく、演出も多少緩めで見やすい感じのディレクションである。10話の「君去りし後」は紅葉を効果的に演出に使っており、時折ハッとさせられるが、基本は緩く楽しむ感じの作品である。まだ残り3クール分残っているので、この先ダレそうな予感もあるが、緩く楽しんでゆきたい。
SPI×FAMILY(2クール目)
- rating
- ★★★☆☆
- pros
- 子供から大人まで幅広い年齢層に受け入れられる間口の広いディレクション
- リッチで安定感あるアニメーション
- cons
- 子供でも理解できる分かりやすさで作られるため、それが少し物足りないと感じてしまうことも
製作に東宝、集英社、WIT STUDIO、CloverWorksなどが名を連ねる高予算感ある作品。春秋の分割2クールとして放送されたが、2期と劇場版の制作がすでに発表されている。
本作の設定やあらすじの説明の必要もないだろう。シリアスな設定ではあるが、基本はコメディ色が強く、ドラマ部分も悪くない。子供から大人まで幅広い年齢層に受け入れられる作風が持ち味。作画も動くところは良く動き、作画崩壊とも無縁。文芸も人間ドラマよりやギャグよりの脚本の振れ幅はあるものの、どちらもストレスなくバランスよく見られる。全方位に安心感と上質感を漂わせる優等生アニメである。ただ、それゆえに物足りないと感じる部分も正直ある。
1期2クール目は、大型犬のボンドがフォージャー家に加わり、さらに賑やかに。序盤の学生運動の爆弾事件のサスペンスや、新キャラフィオナとロイドのテニス界のハチャメチャながら熱量の高い回がある一方、フランキーの暗号解読などの息抜き回や、ベッキーとアーニャのデーパート回などの緩くもちょっとイイ話など、シリーズ通しての物語のバリエーションの多さが特徴だったと思う。
個人的には、23話、24話のヨルが切なかった。フィオナの登場により、ヨルは妻役、母親役の座を奪われるのではないかという疑念を抱く。そして、殺し屋を続ける事が第一目的だったのに、いつのまにか家族を続けけたい気持ちが勝っていたと自覚してしまう。二人でバーに出かけとき、ロイドはヨルの恋愛感情を察知し、任務としてハニートラップでヨルの心を操作しようとするが泥酔したヨルに蹴とばされ失敗。恋愛感情は誤解だったと再認識する。その後、公園のベンチでロイドがヨルに優しい言葉をかける。作劇上はいいシーンなのだが、ヨルは惚れているのにロイドは惚れていない事実が浮彫になる。勿論、恋愛に現を抜かしていたらスパイ失格なのだが、ロイドが優しければ優しいほどヨルが哀れに思えてしまうので、ロイドがヨルに惚れているところをどこかで描いて欲しいと思った。
物語的には、オペレーション<梟>のターゲットであるデズモンドとロイドのイーデン校での接触で1期を終了する。デズモンドの底知れない悪役感を印象付ける演出は見事。ただ、そこまでのストーリー運びは、この大筋とは関係ない小さな物語で埋められてゆくため、進展は牛歩のごとく遅い。これも、フォージャー家の関係性を大きく変化させず、長寿人気番組を狙う上での戦略なのであろう。
1クールアニメが大量生産されるなか、こうした長期戦略を見越した設計をされたTVアニメーションに挑戦する事の意義は大きいと思う。東宝がスポンサーに入っている事も含めて、劇場版は当初からの戦略であろう。アニメ映画の興行収入として考えたときに、「名探偵コナン」などの小学生向けの作品の方が圧倒的に興行収入成績が良い。本作が、アーニャの面白さを全面に押し出していることも、スパイミッションを子供にも分かりやすく丁寧に描いている事も、観客層を広くとるための戦略であろう。興行収入は作品の良し悪しとは直結しないため関心が薄いが、個人的には本作がどこまでウケるのかは関心を持って見守っている。
ヤマノススメ Next Summit (2023年1月7日 追記)
- rating
- ★★★★☆
- pros
- 動きが良くて可愛いキャラ作画
- 人生=登山と思わせる、思ったよりも深くて大人っぽい脚本
- cons
- キャストの声質が、ちょっと萌え方向にくどく感じた(物語が大人っぽいので相対的に)
女子高生×登山。あおいとひなたを中心に、楓、ここな、ほのかの5人の交流を通して、彼女たちの登山を美しい風景と共に描く。親しき友人たちとともに一歩一歩踏みしめながら山を歩き、時にはヘトヘトになって、到達点の景色や達成感を味わう。ちょっと登山=人生みたいな哲学も感じさせる作風である。
本作の一番の強みは、可愛らしいキャラデザインと、キャラ作画力の高さにある。キャラデザインのテイストとしては、エロ美少女マンガ雑誌の「LO」をちょっと連想させるものであり、妙な色気というかエロさがある(作風自体は健全です!)。このキャラが時にコミカルに、時に外連味たっぷりに、実に気持ちよく動く。各話の作画監督で若干テイストが違ったりもするが、アニメーターに生き生きと動かしてもらう事を最重要視したディレクションなのだろう。もちろん、この動きの表現力は勾配のキツイ坂道を進むときや、登山中にバテバテになって足を引きずって歩くシーンなどにも効いてくる。その意味で、キャラの動きの芝居は本作の最重要項目である。
そして、本作のもう一つの主役である美しい風景。登山という事で、木々の間を抜けるけものみちや見晴らしの良い山頂。時にガスってたり、雨天だったり、勢いよく流れる雲海の中だったり。紅葉、雪山、新緑。穏やかさ、険しさ、さまざまな表情を見せる自然を美しく切り取り映像に落とし込む。
本作は文芸がなかなか良いと思うが、その前に、本作の構成について少し触れておかなけばならない。本シリーズは短編アニメとして1期~3期まで制作されており、4期であるNext Summitでは1話から4話がその再編集となっている。4期として新規に制作したのは5話以降。1期放送終了から9年半経っているが、映像を繋いでみても違和感が出ないように作られている。
そういった背景から、4話まではあおい⇔ひなたの関係をコンパクトに描くため余裕(=遊び)がなく、面白さに深みが出せていなかった。また、2期3期は脚本にふでやすかずゆきが参加しているが、どうも女子の関係性(あおい⇔ひなた)を分かりやすくテンプレ的に扱ってしまっていたように思う。5話以降の脚本は基本的に監督でもある山本裕介が担当しており、本シリーズの強みを生かした、しっとりした脚本に仕上がっていたと思う。それは、尺に余裕ができた事と、キャッチーな要素なしにあおいという内気な人物の成長物語に軸を絞れた事が大きいと思う。
2話で、あおいは富士登山中に高山病にかかり、山頂のご来光を拝むことなく下山した経験がある。一緒に行ったひなたとここなはご来光を拝めたが、自分は足を引っ張ってしまったという自責の念が残っていた。トラウマというと言い過ぎかもしれないが、近場で登山したときに遠くに見える富士山を見るたびに、リベンジの気持ちを暖めていた。5話以降の物語としては夏秋冬春と駆け抜けて、11話12話で夏休みに再度富士登山に挑む流れである。あおいは今回も軽い高山病の症状が出るが、無理せずいったん小屋で休んで、無事翌朝ご来光をみんなで拝むことができた。このストーリーの流れで努力や根性を持ち出さないところがイイと思った。準備して一歩一歩確実に前進してゆけば目標に到達できる(=成長する)というメッセージに感じた。一言で行ってしまえば、登山=人生なのだが、それほどステレオタイプじゃなくて、もっと深みがある大人っぽい脚本だと思う。
あおいは、登山中に苦しくなると、なんで私今登山をしているのだろう、と自問自答していた。苦労した後でご褒美の目的地の絶景を見るため、とも言えなくはない。しかし、辛くても前に足を踏み出し続けなければならないのが人生なのだろう。そして、人生は登山が続くから、未来の自分にも今の気持ちをエールとして送ったのだろう。〆としては上出来である。
もちろん、5話~9話の秋冬春の季節を過ごす間に、あおいの成長があるわけだが、そのあたりの脚本も味わいがある。群馬の新しい友人との出会い。失恋したバイト先の女性とのデート。ひなたベッタリだった内弁慶なあおいのひなた意外の級友との交流。そうした一つ一つの経験が、あおいの成長の肥しとなっていた。女子グループの交流なので、ごく微量の百合の匂わせはあるが、その匂いは限りなく薄い。そういう媚びてないところがいい。
最後に少しだけネガ意見。
媚びていないとは書いたが、10年前の作風に寄せている所もあり、キャストの声質はちょっと古いというか萌え方向にクドイ感じもした。物語の大人っぽさからすると、ちょっとリアル寄りでも良かったかな、とも思った。
おわりに
今期は、「ぼっち・ざ・。ろっく!」が一番ハマりました、やっぱり。梅原P作品は信頼できます。1話時点で良い作品になる手応えありましたが、5話、8話のライブシーンは期待通りだったし、12話はそれを超えてたし、ラストに繋がるまでのシリーズ構成も見事でした。
DIY!!とアキバ冥途戦争も、アニオリ作品ならではの安定感とぶっ飛び感の両極端を味わえました。ちょっと、情報量が多かったですね。