たいやき姫のひとり旅

アニメ感想など…

君たちはどう生きるか

ネタバレ全開につき、閲覧ご注意ください。

はじめに

他の人の考察とか目にする前に映画見ておかないと、という感じで公開7日目に駆け込みで観てきました。

2023年7月20日時点でまだパンフも無い、公式HPによる情報公開も無いで、何見てキャラ名とか確認すればいいの?という状況ではありますが、とりあえず鑑賞後に勢いで描いてゆきます。時間が経過したら、ブログのその2を書くかもしれません。

  • 「ヒミ」「眞人」その他一部を追記、修正。2023.7.21

感想・考察

テイスト

君たちはどう生きるか」というタイトルからして妙に説教臭い作品を想像していたが、どちらかと言えば、「崖の上のポニョ」や「千と千尋」に似た、現実世界からファンタジー世界に行って帰ってくる物語であった。今回の主人公は幼児でも少女でもなく、少年である。

現実世界の舞台は、太平洋戦争中に空襲にあった東京から疎開先の田舎(宇都宮らしい)。その屋敷の敷地内にある「塔」の中が不思議なパラレルワールドの接合点みたい(時の回廊)になっていて、色んな世界に繋がっている。

そして、その塔の中の世界自体が奇妙な世界で、海辺にある黄金の扉の何者かの墓。ちいさなヨットで漁をして死者(?)に魚を解体して売って生計を立てている女性(キリコ)。ペリカンセキセイインコが人を食べる。後で人間のタマゴ(?)だとわかる風船みたいなワラワラ。塔の最上階?に居る世界の管理人となる大叔父さま。セキセイインコはこの世界では勢力が強く大国を築いていたり。

キャラクター

ヒミ

(なんせ、情報がないので漢字が良くわからない。火の巫女という意味でヒミなのだろうか。)

眞人の母親らしい。

火を使う事ができるので浮上するワラワラを食べようとするペリカンを花火で焼き払った。

別のタイミングでセキセイインコに食べられそうになる眞人を救い家に連れて帰る。そこで、継母のナツコを連れて帰る目的を知り、わが子の眞人であると理解したと思われる。

また、大叔父さまの血筋のためか、塔の中にある無数のパラレルワールド扉(時の回廊)の接続先を理解していた。

ナツコの部屋に眞人を導いた事で、セキセイインコに捕らえられて大叔父さまとの交渉のネタに差し出される(大叔父さま=神なので、巫女を生贄にした感じだろうか)。

大叔父さまとの会話で、眞人は元の世界に戻すつもりがある事を知りホッとする。大叔父さまのもとに眞人と二人で向かうが、13個の積み石が壊された事で、この世界が崩壊すると分かったときに、眞人を元の世界に戻し、ヒミ自身は別のパラレルワールドに戻った。

おそらく、ヒミが戻った世界は、眞人の母親が1年間神隠しにあっていた時間で、キリコはその時に一緒に戻ってそのまま使用人になったのだろう。

そう考えると、ナツコを母親として認め連れ戻そうとする眞人に対する感情、妹のナツコがわが子の眞人を拒絶したことを、少女のヒミがどう感じたか?という問題につては色々深読みできる。

シンプルに少女にそれは酷だとも思えるし、この世界でペリカンたちを人間の卵と一緒に焼いていた事も考えると、ある程度達観した死生観を持っていても不思議ではないとも考えられる。実際には、その両方を持ち合わせた人間像だったのかな、と想像している。

元の世界に戻る際、眞人は、いずれ大火事(空襲)で死ぬ、と躊躇するが、ヒミは全く躊躇しなかった。ここに彼女の死生観があるような気がする。少なくとも、この空虚で冷たい世界で働いていたせいか、死に対する恐怖を持っているようには見えなかった。やはり、達観していたのだと思う。

元の世界に戻った眞人の母親は記憶を失っていたとの事なので、その事を眞人に語り継ぐ事もない。

↓2023.7.21追記↓

眞人が亡き母親の死に向き合い折り合いを付けるのも物語のポイントであろう。今回のヒミとの交流で母親という人物を知り、眞人が産める喜びがあるなら火災で死ぬのも厭わない(=火災で死ぬとしても無念じゃない)と言い、今度こそキッチリ別れの挨拶をした。これは、眞人が欲しがっていたモノそのものであろう。

一方、ヒミからしても眞人を産むという仕事が一つ増えた。ワラワラ込みでペリカンを花火で燃やしていた事を考慮すると、生命を産む側になって育てられる喜びは人一倍ではないかと思う。昔は死産や赤ちゃんが大きくなる前に亡くなるケースはざらにあった。

つまり、眞人とヒミは、互いに欲するものを持ち帰ったという意味で、Win-Winの関係だったと思う。

↑2023.7.21追記↑

ナツコ

富豪の姉妹で、姉は眞人の母親。この場では分かりやすくするため、姉をヒミと記す。(ネットを見ているとどうも母親の名前はヒサコらしい)

父親は姉のヒミと結婚するが、ヒミが亡くなった後、妹のナツコと結婚する。姉妹の家が大富豪で、父親の事業(戦闘機のキャノピー作り)のためなのかもしれないし、当時はこんな話はざらだったのだろう。

映画では、ヒミが少女だったためそう感じてしまうのだが、ナツコの方が色気が濃い感じがした(演出意図は無いかもしれない)。姉妹で同じ人と結婚するというと、下世話だがどうしてもドロドロした愛憎劇を感じてしまう。

あの世界のナツコが寝ていた産屋で行われていた事が何だったのかは私には理解できなかったが、大叔父さまの血筋の子を産むための何らかの儀式だったのだろう。ここでの、眞人の拒絶=ヒミの拒絶で本心なのだろうが、儀式がナツコを過敏にしていたとも取れなくもない。

眞人から見れば、実母の存在とは別に、叔母を母として受け入るという儀式の当事者であり、それはナツコの側にも言える事である。ここで、眞人が「ナツコかあさん」と呼んだことで、ナツコも眞人を息子として扱っていたと思う。結果的に、母子として互いに受け入れた形だが、その障壁の乗り越えられた理由が何だったのかは、私にはちょっと理解が追いつかなかった。

あと、この姉妹の愛憎劇については、ご想像にお任せします、という感じだろう。

キリコ

不思議の塔の道連れとして連れて行かれてしまった使用人のキリコ。使用人の中でもタバコ好きでチョイ悪キャラである。

キリコは不思議の世界の中で漁をして魚を解体して生計を立てていた。この物語におけるキリコの役割は、眞人に対する大人側の生き方の見本であったと思う。そして、この世界ではみなそうなのだが、人間は一人で(ある意味、孤独に)生きている。

眞人は他者に心を閉ざしがちだが、一人で生き抜く術は持っていない。今回もキリコの助けがなければ、黄金扉の墓地で死にかけていた。

だから、大人が守りながら、生きる術を身につけさせる指南役が必要になる。眞人に漁を手伝わせ、代わりに寝床と食事を与えた。人形の婆やたち(使用人たち)も含めて、大人として眞人を守る。その「守られ」を眞人は理解する。

眞人が元の世界に戻ったときに、その庇護あっての自分という気付きである。

大叔父

このパラレルワールドの接合点の世界を管理し、積み石(見た目は積み木)で世界の均衡を一人で孤独に保つ。

元は人間(外国人)だったので、なぜこのような重責を担ってしまったのかは不明。ただ、大叔父さまでも、現状の世界の均衡を保つのは難しくなってきているらしい。同じ人が続けてやっていても、どこかで崩壊してしまうのは、古今東西在る話である。そこで、眞人にここの管理人を継いでもらおうとしていた。

しかし、眞人が元に世界に呼ばれている事を察してなのか、終盤では継がせることを諦めていた。最後にヒミと眞人が大叔父さまの元に訪れた際に、13個の積み石で新しい世界を創れと眞人に指示するが眞人には拒否られる。これで、この世界は崩壊して、パラレルワールド(時の回廊)の行き来も出来なくなる。

アオサギ

本作の不気味キャラ。突き詰めると、アオサギは眞人の汚いダークサイド部分だったと思う。

劇中、アオサギは眞人をつけ狙い嘲笑うような振る舞いをし続けた。母親を望む気持ちに付け込み、幻の母親を見せて溶かしたりした。

しかし、眞人がアオサギの羽の矢尻を付けた事で、眞人とアオサギが対等になる。この時点で、眞人はアオサギの恐怖に打ち勝っていたのだと思う。理性が自分自身の汚さを理解する。決して汚さを許容はしていなくても、理解することは第一歩である。

キリコの前で、アオサギは嘘つきか否かの話をした際に、「嘘」「本当」と意見が割れたシーンが興味深い。つまり同じ質問をしても逆の答えをする表と裏の関係にある。

そして、アオサギと折り合いをつけ、セキセイインコ相手にアオサギと共闘し始める。目的のためには、純粋な部分と卑怯な部分は折り合いを付けなければ、前に進めない事もあるのだろう。

ただ、アオサギはガラが悪いだけで本当に卑怯な事をやっていた訳ではないので、「悪」というわけではない。別の言い方をするなら、自分自身を嫌いな気持ち、と言い換えた方がイイかもしれない。

一般的に、さらに言えばジブリ作品としたときに、主人公は闇を持たないクリーンな存在である事が多いと思う。聖人とまではいかないが、ダークな面を持たないというか。本作のアオサギは、主人公のダーティーな部分を別キャラに置き換えて具現化してゆくところが、新鮮である。

アオサギも最終的には、現実の世界に戻り、普通の鳥に戻った。

眞人

本作の主人公の孤独な少年。

空襲の大火事で母親と死別。助けに駆けつけたかったが、大混乱で人ごみの中走ることもままならず、それが無念となっていた。

父親は事業に忙しく、眞人との交流時間は少ない。物事をお金で解決するなどの合理性はあっても、眞人の目線まで降りてきて会話する事が無い。母親が亡くなってからは、より一層その息苦しさがあったのだろう。

今度は疎開先で新しく継母となる叔母のナツコに会う。ナツコは美人で良くしてくれるが、眞人が心を閉ざしているので懐かない。

学校に行けば、都会から来たいけ好かない子供だとして嫌われ、取っ組み合いのケンカになる。その帰り道に自ら石で側頭部を殴り傷を作ったのは、これくらいしておけば学校に行かなくて済むと判断しての行動か?(なんとなく自傷行為とも違うように感じたので)

↓2023.7.21追記↓

自ら石で側頭部を傷つけた件については、ケンカ相手の生徒に対する制裁のためだったのかな、という気がしてきた。つまり、父親や学校には、傷跡が残りそうな障害事件とする事で、何らかの処罰を学校側から与えさせる。しかも、自分の裕福な家庭環境と親バカな父親を利用して自分の手は汚さずにである。卑怯にも程があるが、後に大叔父さまに側頭部の傷が眞人の「悪意」と言うのであれば、そうなのであろう。アオサギのところでも書いたが、眞人は聖人ではなく、醜いところも持っている。

↑2023.7.21追記↑

とにかく、他人と打ち解けず壁を作るバリアの固い子供に見えた。その原因が、愛の不足というのは分からなくもないが、それだけではない何かがあるような気がしてならない。が、それが何かは読み取れなかった。

この状態で奇妙なアオサギに遭遇し、DIYの弓矢で反撃を企てる。前述の通り、アオサギはもう一人の自分自身であるから、一言で言えば反抗期の行動と言っていいだろう。

母親が眞人に残した蔵書を読み、涙する眞人は、母親を強く欲していた事を意味するが、この状況で誰でもない母親一択になっているのが、眞人のマインドの根本的な問題であろう。

不思議の塔に向かったナツコを取り戻すために、再び不思議の塔に行き、アオサギと戦う。矢尻にアオサギの羽を使っている事で、なんらかの魔力が働き、アオサギの口ばしに穴を空けることが出来た。そして、大叔父さまのお告げにより、アオサギがナツコを連れ帰る案内人として指名され、凸凹コンビが出来る。

ここからは、不思議の世界の話になる。

そこで関わった人たちの話は、前述の通りである。

テーマ

テーマとしては、孤独な少年の心の成長を描いた、という感じだろう。

他人を拒絶する孤独な少年でスタートした物語は、不思議の世界の冒険での成長を経て、元の世界に戻るのがセオリーである。

  • 自分嫌いの部分は、アオサギとバディを組み共闘することで、自分自身の汚い部分を認める事が出来る。
  • 婆やたちのように、他人に見守れて生きている事を実感し感謝する。
  • 神格化した母親へのコンプレックスは、自分と同い年の母親と会話する事で、等身大の人間として受け入れ、神格化を解除する事が出来る。
  • 継母のナツコとは、事件を経て、大声で「ナツコかあさん」と言えた事で本音を双方のわだかまりを無くせた。
  • 何よりも、大叔父さま(=神)よりも、人間として生きる選択をした。

この経験があって、眞人はその後の人生を歩んでゆく事になる。これは、一言で「成長」と言ってもいいだろう。孤独な少年は、こうして社会に適合して行った、という感じで。

ただ、ここまで書いて、「君たちはどう生きるか」というタイトルを持ってきたときに、今の若者たちに向けたメッセージとしては、なんかパンチ力が無いというか何と言うか。

自分を認め、世間とも強調し、社会と繋がって生きよう、という綺麗ごとのメッセージである。あれだけクセのある老人である宮崎駿監督が若者にぶつけるなら、もっとロックなメッセージだろうと思っていたのだが、意外にもマイルドな作品に仕上がったなぁ、というのが率直な感想である。

おわりに

とりあえず、感想・考察を上げない事には、他の人の考察記事も見れないという事で、鑑賞後、4時間半で書いたブログ記事です。

宣伝なし、という事もあり一発理解どこまで行けるか、と心配もありましたが、いつも書くような内容は語り切った気がします。

これで、安心してネタバレ踏み込んでイケるぞ、と。